All Chapters of 妊娠中に一緒にいた彼が、彼女を失って狂った話。: Chapter 501 - Chapter 510

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第501話

要に抱きしめられ、天音は薄い布越しに彼の体温を感じ取ると、おもわず身を引いてしまった。すると、要もさっと離れた。天音が驚いて顔を上げると、要はソファのところまで離れ、彼女から距離をとっていた。そして、そのままソファに腰を下ろす。どうしたんだろう?あっきまでは、あんなに……思わず要のズボンに目をやってしまった天音は、すぐに顔を赤らめて視線をそらした。天音はその場に立ち尽くす。シルクのロングドレスを身に纏う彼女の白い鎖骨や肩、そしてか細い腕やくるぶしすべてが、ほんのりとピンク色に染まっていた。さらに、その端正で小さな顔の頬は熱を帯び、赤らんでいる。天音がその顔を夕焼けのように赤く染め、要の視線に耐えられなくなったその時、要が口を開く。「おいで」その声は、彼女を怖がらせないようにと、とても優しかった。天音は顔を上げ、要を見つめる。要は子供たちを預けていたので、この家には誰もいない。天音を求めているのは、明らかだ。でも、要は決して無理強いはしなかった。天音が受け入れられるのを、そして、天音の方から自分を求めてくれるようになるのを、要は待っている。しかし、天音は要の落ち着いた瞳を見つめながら、一歩後ずさってしまった。胸の奥に冷たい水を流し込まれたみたいに、なんだか全身が冷たくなる。要はまるで、自分の心に容赦なく流れ込んでくるその冷たい水のようだった。天音がためらっていると、要の瞳から徐々に光が消えていった。滅多に感情を表に出さない要だったが、天音が後ずさるのを見て、明らかに傷ついた表情をしている。その悲しげな瞳を見て、天音の胸はぎゅっと締め付けられた。すると要が立ち上がり、優しく呟いた。「もう、お休み」彼は部屋を出ていこうと、ドアノブに手をかける。その寂しそうな後ろ姿を見ていたら、天音の目から涙が溢れてきた。ダメだと分かっているのに、足は要の方へと向かってしまう。天音が歩き出すと、要も振り返って彼女の方へと歩み寄ってきた。そのまま要は身をかがめ、天音を抱き上げると、ベッドまで運んでいった。涙が浮んだ天音の目元にキスを落とし、掠れた声で「泣かないで」と囁く。「本当は俺のことが欲しかったんだろ?」天音はうつむき、長いまつ毛を震わせる。要のことが直視できずに、胸の前で組ん
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第502話

要が天音の耳元で囁く。「ちゃんと俺のそばにいろ。無茶なんかするなよ。それに、俺には何でも話してほしいんだ」天音は小さな手で要のシャツをぎゅっと握りしめた。彼女は目を潤ませながら、彼の背中に爪を立てる。泣く勇気はなくて、ただ頷くしかなかった。頷く天音を見て、要の瞳に微かな光が静かに宿る。この嘘つきめ。まだまだ、躾が足りないようだな。しかし、突然の天音からのキスには、要ももう我慢などしていられなかった。……どれくらいの時間が経ったのだろう。要は天音をもう一度お風呂に入れてあげた。そして、風呂上がりの天音を腕の中に抱き、大きな手で彼女の腰や太ももをさする。気持ちが良かったのか、天音は要の腕の中で眠ってしまった。要は天音を抱きしめ、髪にキスを落とし、耳元で囁く。「天音、もう逃げたりなんかしないでくれよ。もし、また君に逃げられたら、俺は悲しみでどうにかなってしまうだろう」要は天音の頬をそっと包み込み、小さな唇に軽く触れながら、ため息まじりに呟いた。「君が繊細なのは知っていたが、まさかここまでとはな」要まだ本気を出す前だというのに、天音はもうぐったりしていた。要もう少し天音と話していたかったが、彼女はもう疲れて眠ってしまった。それに、外からは車のエンジン音が聞こえる。名残惜しいが、行かなければならないようだ。要は天音をベッドに寝かせ、部屋を出ていき、玄関で子供たちを出迎える。この子たちは天音の子であると同時に、自分の子でもあった。「面白かったか?」要は想花を片手で抱き上げると、もう一方の手で大智をぎゅっと抱きしめた。子供たちは楽しそうに映画の話をしている。……天音が目を覚ました時には、すでに次の日になっていた。ベッドから降りてみたが、予想していたような体の痛みはない。それに、バスルームに入ってみても、ゴミ箱の中は空っぽだ。もしあの時、要の体の熱を肌で感じていなければ、昨日の夜のことは全部、夢だったんじゃないかと疑ってしまいそうだった。「若奥様?」ドアの外から彩子が声をかける。「大智くんと想花ちゃん、早くお出かけになりたいそうですよ」「うん」天音は急いで着替えようとネグリジェを脱いだ瞬間、呆然としてしまった。服に隠れる部分のあちこちに……ふと、太ももの内
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第503話

要は天音を腕の中に引き寄せ、チューリップを洗面台に置く。大きな手で彼女の細い腰を抱き、もう片方の手で後頭部を支え、小さな顔を自分の胸に埋めさせた。そして、ずっと胸に秘めていた言葉を、天音の耳元で囁く。本当に好きなのは子供ではなくて、君のことなんだ、と。要は頭を天音に近づけ「どこか、痛いところはある?昨日の夜、どこか怪我はしてないか?」天音は、その優しさに耐えきれず、感情が溢れ出しそうだったが、ここで崩れるわけにはいかないと思い、なんとか持ち堪えた。小さな手で、要のシャツの襟を掴む。要はその小さな顔を両手で包み、自分の方を向けさせると、その瞳が潤んでいることに気がついた。どうやら、自分が感情を素直に見せると、天音の心を動かせるらしい。例えば、こうやって……「どっか痛むのか?」要が心配そうに尋ねると、天音は素直に首を横に振った。なるほど、天音はこんなにも自分に甘かったのか。「そんなに泣いたら目が腫れてしまう」要は天音の目尻に唇を寄せ、涙を拭うようにキスをした。すると天音が突然、つま先立ちになって、要の唇にキスをした。要は一瞬動きを止めたが、それでも、次の瞬間には優しく天音にキスを返した。しかし要は、天音がまた自分になにか隠し事をしているのに気がついていた。さあ、今度はどこへ逃げるつもりかな?……澪は一晩中、英樹に銃を突きつけられた恐怖で震えていた。それに、もし、警察にバレてしまったら、と考えるといてもたってもいられない。そう思いながらも、外の騒ぎが収まったので、真っ青な顔になりながらも、自分の持ち場に戻った。そして戻ってきたら、この現場に遭遇したのだった。バスルームのドアの前で要が天音にキスをしている。すると要が突然、天音を抱きしめた。そして、天音の姿を隠すように体をずらし、開いたドアの方へ視線を向ける。そして、澪のことを見ると、要は少し眉をひそめた。澪は慌てて顔を伏せる。「隊長、あちらから催促が」「後にしろ」と、要に冷たく言い放れ、澪は慌てて背を向けてその場を離れたが、数歩先で足を止める。要は天音をとても大切にしている。それも、天音の輝きをほんの少でも人に見せるのを嫌がるぐらいに。彼らの話す声が聞こえてくる。どうやら、要が天音に優しく言い聞かせているようだ。「今
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第504話

澪は携帯をポケットにしまい、やって来た天音に向き直る。「野村さん、体調はもう大丈夫なんですか?」天音にそう言われ、澪は自分が休んだ口実を思い出し、頷く。「奥様、お気遣いありがとうございます」「奥様」?天音は驚いた。どうしてみんな急に自分のことを「奥様」なんて呼びだしたんだろう?暁もそうだった。昔はみんなもっとフランクに接してくれていたのに、要と籍を入れてからは「加藤さん」なんて呼んでくるようになった。それが今度は、「奥様」?天音は少し不思議だったが、とりあえず話を続ける。「野村さん、とにかく無事でよかったです。それで、昨日の夜、私に話があるっておっしゃってましたが」澪は天音の澄んだ瞳を見つめながら、自分の足元に倒れ込んだ英樹の姿を思い出していた。どうして、みんな天音にばかり優しくするんだろう?英樹なんて、天音のために命まで落としたのだ。それなのに、当の本人は何も知らない。自分は昨日の夜、そのせいで悪夢にうなされて、一睡もできなかったというのに。どうして天音だけが、何も知らずに要に守られ、愛され、平気な顔をしていられるのだろう?この女は地獄に落ちるべきだ。澪は天音にぐっと近づくと、その目をじっと見つめて言った。「隊長には、とても親しい女性がいるんです」「親しい……女性?」天音の、穏やかで美しかった瞳が、わずかに伏せられた。体の横に下ろされていた手は、居心地悪そうに指を絡ませている。小さな声で、天音は尋ねた。「知り合ってもう長いんですか?」「ええ、もう五、六年になるでしょうか。隊長は毎年、その女性に会いに行っているんです」天音が傷ついた表情を見せたのを確認すると、澪は携帯のロックを解除して写真フォルダを開く。「この人です」天音の視線は、写真の中に写る、要の隣に立つ女性に釘付けになった。女性は堂々としていて、華やかな顔立ちをしているし、すらりと身長も高い。そして何より、愛情のこもった瞳で、要を見つめている。写真の中の要も彼女のことを見つめており、その目には優しい笑みが浮かんでいた。そして、要の手は、彼女の腕にそっと添えられている。澪はわざと淡々と言った。「まあ、もう過去のことです。だって、隊長が最後に選んで結婚したのはあなたなんですから。もしかしたら、彼女が
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第505話

要が自分に優しくしてくれるのは、ただ責任感からくるものだ。だから、要は妻が誰であっても、きっと同じように接するんだろう。そして要の心は……もう他の女の人のものなのかもしれない。天音は、笑顔で想花と大智を学校へ送り届け、運転席に戻ると、ハンドルに突っ伏した。なんとか堪えていた涙が、一気にあふれ出す。あと、12日。でも、もう耐えられそうになかった。……朝のミーティングを終えた要に、大智から電話がかかってきた。「ママが朝泣いてたって?うーん、きっとおばあちゃんのことを思い出して、寂しくなっちゃったんだろうな。だってもうすぐ、おばあちゃんの命日だから。ん?いい子でいて、ママを怒らせないようにって思ってるのか?」要は優しく笑った。「大智くんは、そのままでいいんだよ」だって、大智があんまりいい子にしていると、かえって天音が気を遣ってしまうから。「うん、ママのことは見ててあげるから。安心して」電話を切ると、要の顔からはすっと笑顔が消えた。彼は暁のほうを見て言う。「鑑識課から、何か結果は出たか?」「写真の男の子は英樹さんで間違いないそうです」と暁が言った。「でも、建物は三十年も前のものですし、大規模な再開発で壊されてしまっているので、撮影場所の特定は難しいようです。まだ分析を続けてはいますが。それに、英樹さん本人もまだ捜索中でだそうです」要は静かに言った。「ご苦労」要は手を伸ばし、暁が持っていた書類を受け取った。暁は内心喜びながら、次の議題に移った。今日は、すべてが新しく動き出す日だ。まだ正式な辞令は出ていなかったが、要はすでに幹部クラスのメンバーとして、海外からの要人を迎えた、国際フォーラムに参加していた。その姿は、星のようにまばゆい輝きを放っている。しかし、彼はどこまでも落ち着いていて、まるでここにいるのが当たり前、そんな風に見えた。その姿を見て、暁は胸が熱くなるのを抑えきれなかった。だから、要のキャリアを邪魔するような人間は、誰であろうと許さない。たとえそれが、澪であっても。……天音は子供達を学校へと送った後、役所へと向かい、大智と想花のパスポートを申請してから、会社に戻った。会社の向かいに楽器店ができたらしく、そこから美しいピアノの音色が聞こえてくる。
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第506話

天音はずっとその答えを考えていた。それはもしかしたら、蓮司に傷ついた過去があるからかもしれない。まるで、あの時の自分と同じように。だが結局、蓮司も父親の純一と同じような人間だったのだ。自分の子供……大智には、絶対同じ道を歩ませたくない。大切な大智……すると、天音の脳裏に要の凛々しい顔が浮かんできた。大智には、要のような人になってほしい、と思った天音だった。一方で、天音が背を向けたとき、蓮司は彼女を目で追っていたのだった。耳元で、蛍の声がした。「蓮司さん、私が何とかするから。もう少し、そばにいてくれる?」蛍は、決して人を脅すような人ではなかった。でも、蓮司にちゃんと自分のことを見てほしかったのだ。蛍の両手が鍵盤に置かれ、優雅なピアノの音色が流れ出す。周りの人から見れば、ピアノが弾けるなんてとてもすごいことだ。しかし、遠藤家ではたしなみの一つとされ、できて当たり前のことだった。蓮司は視線を戻したが、もう鍵盤に触れることはなかった。蛍のピアノの音色を聞きながら、愛嬌のあった16歳頃の天音の姿を思い浮かべる。慣れ親しんだ記憶で刺激し続ければ、天音は自分との記憶を思い出してくれるかもしれない。そうすれば、天音に忘れられることはないだろう。花村医師の言葉が、今でも耳に鮮明に残っていて、天音に忘れられてしまうこと、そして自分が他人になってしまうことを嫌でも想像してしまう。蓮司の漆黒な瞳からは光が消え、彼の胸は苦しさでいっぱいになった。もう戻ってきてはくれないのか?もう自分のことは見てくれないのか?もし、自分が死んだとしても?いや。天音は絶対そんなことはない。だって、自分が危険を冒してまで崖を降り、天音を探しにいった時、天音はいつまで経っても帰ってこない自分のことを心配するあまり、心臓発作まで起こしたのだから。そんな天音が、自分の死を望むはずがない。蓮司の瞳の奥に、暗い炎が宿った。……会社に戻った天音はみんなに告げた。「私が居なくても、あなた達だけで新しいウイルス対策ソフトをメンテナンス出来るようになってもらわないと。だから、今日から研修を始めるわ。手を抜かないようにね!」光太郎は渉にこそっと話しかける。「社長、急にどうしたんですかね?」そんな光太郎に容赦ない天音の声が飛
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第507話

驚いた天音が顔を向けると、そこには龍一の優しい眼差しがあった。「先輩。ここのところ、何か忙しかったの?」ずっと、龍一のほうから連絡をしてくれていたのだが、ここしばらく何の連絡もなかったのだ。それに、こんなことは初めてだった。龍一は手に持っていたペンライトを想花に渡し、その小さな頭を優しく撫でる。しかし、想花はペンライトを受け取ったものの、くりくりした黒い瞳で龍一を見上げるだけで、特に嬉しそうな様子はなかった。「直樹も発表会に出るの?けど、姿が見えないし、プログラムにも名前が載っていないみたいだけど」と天音は何気なく尋ねた。「直樹、実は足を怪我してしまってね」「怪我?大丈夫?」天音は驚いた。直樹が怪我をしたっていうのに、龍一はどうしてこんな所にいるんだろうか。看病は大丈夫なのだろうか?「回復にはしばらく必要らしい」龍一は要のことも、研究所のことも大切に思っている。本来なら、彼女にこれ以上近づくべきではなかった。けれど、夏美から「蓮司がずっと彼女につきまとっていて、しかも怒らせたらしい」と聞いてしまった。それに、夏美の言い方では、「天音が二股をかけている。ろくな女じゃない」ということだった。じゃあ、その相手は自分でもいいのに、なぜ天音は自分を選んでくれないんだ?自分には隊長ほどの力がないから?それとも蓮司みたいに、しつこくできないから?だが、自分と天音には先輩後輩という、彼らにはない特別な繋がりがある。基地で半年間暮らしていた時、自分の研究成果を天音に真剣に話し、恩師にも紹介した。恩師も喜んで、素人の天音を弟子として受け入れてくれた。そして、「佐伯教授」から「佐伯さん」、今では「先輩」と呼んでくれるまでになった。自分だって必死に努力してきた。何もせずに手に入れようとしているわけじゃない。それなのに、なぜ要と蓮司だけが許されて、自分はただ指をくわえて見ていなければならないんだ。「直樹が君に会いたがってるんだ」龍一は天音の腕を掴む。ひんやりと柔らかい肌だった。「もし時間があれば、お見舞いに行ってやってくれないか?」「もちろん。大智の出番が終わったら、すぐに行くわ。ここ何日か直樹に会えてないから、私も会いたかったところなの」と天音は微笑んだ。しかし、想花が突然天音の腕に
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第508話

龍一は驚いて、天音を引き留めようと手を伸ばす。しかし、現れた男の視線に気づいて、伸ばしたその手は行き場を失ってしまった。天音は驚き、危うく声を上げるところだった。でも、要の静かな瞳と目が合うと、ぐっと唇を引き結び何とか気持ちを落ち着かせた。「どこに座ればいいんだ?」想花は子供だから仕方ない。だが、天音は分かっているはずだろう……要はその視線を暗くなっている龍一の顔から天音へと移しながら、低い声で尋ねた。近くに座っている人たちが、ちらちらとこちらを見ている。こんな公共の場所で、天音は要に抱きしめられるなんて耐えられなかった。天音は、腰に回された要の手に自分の手を重ねる。でも、要は手を離そうとはしなかった。「ママ、ほら!パパは約束したこと、ちゃんと守るんだから」想花は、どうだと言わんばかりの得意げな顔をしている。要は、そんな想花の頭を撫でながら、満足そうに微笑んだ。この様子を見ていた龍一は、居心地が悪くなり席を立とうとした。天音は慌てて「先輩、そのままで大丈夫」と言った。「要には、私の席に座ってもらうから」天音は要の手を外しながら、柔らかく言う。「私、待合室に行って大智の様子を見てくるね」それを聞いて、要はようやく天音の腰から手を離した。しかし、天音が歩き出そうとしたその瞬間、突然かがみ込んだ要に抱き上げられた。しかも、お姫様抱っこだ。驚いた天音は、ほぼ反射的に要の首にしがみつく。要は天音に抵抗する隙を与えず、堂々と彼女が元々座っていた席に腰を下ろした。そして、龍一に背を向ける形で、天音を自分の膝の上に座らせる。要は天音のスカートの裾をそっと直して、彼女の白く細い脚を隠した。そこには、昨夜自分がつけた跡がまだ残っていた。二人の顔がとても近い。視線が絡み合い、互いの温かい吐息が甘く混じり合う。いやでも、昨夜の出来事が鮮明に脳裏によみがえってくる。恥ずかしくなった天音は要から視線をそらす。しかし、彼の首に腕を回していたままだったことに気づいて慌てて手を下ろした。天音の頬がほんのりと赤く染まる。人前でこんな風にべたべたするのは、普通の夫婦だってしない。天音は気が引けた。こんな風に離れられないでいるのは、付き合いたてのカップルくらいだろう。それに、要の社会的立場を考えれば
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第509話

要と天音はぴったりと寄り添い、抱き合っていた。二人は、もうあんなに親密な関係になったのか?まるで本当に愛し合っている恋人同士みたいだった。隊長の手は天音の腰を抱き、もう片方の手は彼女の手を握っていて、完全に腕の中に閉じ込めていた。もう、自分が入り込む隙はこれっぽっちもないというのだろうか。龍一の瞳からすっと光が消える。大智の演奏が終わり、会場が雷鳴のような拍手に包まれる。その音はしばらく鳴りやまなかった。周りの人たちが「どこの子かしら、すごいわね」と話しているのが聞こえ、天音はとても誇らしい気分になった。そして、なんの気なしにふと振り返ると、自分を静かに見つめる要と目が合い、天音は思わずすぐに視線を逸らしてしまった。すべてのプログラムが終了し、観客たちはぞろぞろと会場を後にする。天音たちも、帰路に着く人波の中を進んでいた。龍一は大智の演奏を褒めた後、期待に満ちた目で言った。「天音、直樹が君に会えるって知って、すごく喜んでるんだ」天音が返事をする前に、大智が割って天音に話しかける。「ママ。僕、今日頑張ったから、遠藤おじさんがお祝いしてくれるんでしょ?遠藤おじさん、僕が一番行きたかったファミリーレストランを予約してくれたんだって!」大智は早く行きたくてたまらないという様子だった。大智は直樹のことが好きではなかった。なぜなら、直樹が現れてから、天音が直樹のことばかり構って、自分のことをあまり見てくれなくなったと感じていたからだった。だから、今でも直樹のことが大嫌いだった。天音がその場で返事に困っていると、突然要に手を掴まれた。「龍一、直樹くんの見舞いは明日、俺と天音で一緒に行くから。俺たちは今夜、お先に失礼するよ」どうしても大智をがっかりさせたくなかった天音は、龍一の誘いを断って、明日の朝一番に直樹のところへ行って埋め合わせをしようと思っていた。でも答える前に、要に手を掴まれてしまった。天音は要の手を振りほどき、その感情の読めない瞳を見つめて言った。「直樹との約束は破りたくないの。すぐに戻るから、先にお祝いを始めてて」要との距離が縮まってしまう前に、天音は逃げたかった。いつか完全に要のもとを去るために……天音は気づかなかったが、要の静かな眼差しの奥では激しい感情が渦巻いていた。しかし、
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第510話

突然のこの出来事に呆気に取られた天音だったが、彼からのキスは情熱的で、愛情が溢れ出していた。数秒間キスされていた後、天音ははっと我に返った。そして、要の胸に手を当てて、力いっぱい彼を突き放す。要が息継ぎをする合間に、天音は叫ぶように言った。「要、離婚……んっ」天音の言葉は遮られ、また要のキスで彼女の唇は塞がれた。「しーっ、ちょっと黙ってろ」要は天音の小さな顔を支えていた片方の手を、彼女の腰の方へと滑らせ、もう片方の手では後頭部を強く押さえつける。要は情熱の赴くままに、天音にキスをした。力強く、引き締まった要の手によって、半ば強引に腕の中に閉じ込められた天音には、もはや抵抗するすべは残っていなかった。周囲からは絶えず驚きの声が上がっているようだ。今、この瞬間にどれだけの携帯が自分たちに向けられているか、容易に想像できる。しかし、要のキスで、天音の瞳は潤み、小さな顔は赤く火照っていた。その時突然、人混みの中から甲高い声が上がった。「あれ、今話題の遠藤隊長じゃない?じゃあ、この人が彼の奥様?」ここは育徳、国内のトップクラスの私立校で、要も以前ここに視察に来たことがあったのだ。だから、学校の掲示板には要と校長とのツーショット写真が飾られていた。だから当然、要のことを知っている人もいるのだった。あちこちから囁き声が聞こえてくる。要は天音から唇を離すと、キスのせいでぼーっとしている彼女の顔を自分の胸に押し付け、周りから隠した。天音は要の腕の中で息を切らしている。一方、要は胸を激しく上下させながらも、視線は周りの携帯のライトによって作られるカラフルな光を見ていた。これでやっと、天音が自分の妻だと知らしめることができる。天音は遠藤要の妻なのだと。黒い車がそばまでやってくると、要は天音を抱き上げて後部座席に乗せた。二人の子供たちは、数分前に暁が連れて行ってくれていた。状況が全く飲み込めないでいた天音だったが、要の腕の中で息を整えると「私たちの離婚届が、ネットで出回ってるの」と、言った。要は天音の手をそっと握る。そして、彼女を抱き寄せると、その小さな顔を自分の肩にうずめさせた。天音は不安そうに要のシャツの襟を掴みながら、涙を流していた。声も涙で震え、とても弱々しい。「暁さんが破ってくれた
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