All Chapters of 妊娠中に一緒にいた彼が、彼女を失って狂った話。: Chapter 511 - Chapter 520

520 Chapters

第511話

「加藤天音は、遠藤要と、一生を共にすると誓うんだ。俺たちは愛し合っている。離婚なんてしない」要の言葉に、天音の心は大きな石を乗せられたように重くなった。息もできないほど、苦しかった。要は静かに天音を見つめ、答えを待っている。その期待に満ちた眼差しを受け止めると、玲奈との約束が天音の頭をよぎった。それに、要のそばにいる、あの親しい女性のことも。それから、蓮司のことも……かつて、自分は蓮司のことを心の底から愛していた。そして、蓮司もこんなふうに優しかった。いつもそばにいてくれて、何度も絶望の淵から救い出してくれた。でも、蓮司はそんな自分を裏切ったのだ。蓮司は五年も浮気していたのに、自分がそれに気づいたのは五年も経ってからだった。なぜなら、蓮司が自分に与えてくれる優しさは、ずっと一緒だったから。だから蓮司の裏切りに気づけず、こんなにも長い間、馬鹿みたいに騙され続けてきたのだ。天音は要の胸に顔をうずめ、もうどうすればいいのか分からなかった。それに、要に心を預けてしまうのも怖かった。預けた心が、いつかまた粉々に砕け散ってしまうのではないかと、怖くてたまらなかったのだ。また誰かに裏切られたら、自分はもう耐えられないだろう。でも、要のキャリアのことも心配だった。色々考えていると、突然車のドアが開けられた。天音は要に抱きかかえられるようにして、庁舎の中へと入っていく。天音が建物の外の門に目をやると、そこには大勢の記者たちが詰めかけていた。要の執務エリアは、煌々と明かりが灯っている。会議室では、要の側近たちが激しく言い争っていた。互いをなじり合ったかと思えば黙り込み、対策を話し合ったかと思えばまた口論になる、ということを繰り返していた。一方、ネット上も大炎上していた。巨大なモニターには、ネットユーザーからのコメントが次々と表示される。それはどれもこれも要を非難するものばかりだった。天音はソファに座りながら、暁が落ち着きなく歩き回るのを見ていた。「記者会見の準備は進めていますが……」暁は心配そうに言った。「奥様、大丈夫でしょうか?」天音は部屋に入ってから、一言も口を開いていない。要はただ静かに天音を見つめ、彼女の決心を待っていた。その時、裕也と玲奈が慌てた様子でやって来た。
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第512話

「要はお前の気持ち分かってるから」「分かってるのにこんなこと言うの?」玲奈はそう叫びながら、部屋を出て行こうとした。しかし、要は話を続けた。「お母さん、もう少し落ち着いて」ドアの前に立った玲奈は、ギリっと歯を食いしばった。息子を自分のお腹の中にもう一度押し戻してしまいたい、そんな思いで部屋を後にした。裕也が後を追う。廊下に、玲奈の声が響き渡った。「なんであなたまでついてくるのよ?私は天音に話をしにいくんだから。まさか、女だけの会話をあなたまで一緒になって聞くつもり?そんなことより、あっちのバカ息子をちゃんと見張ってなさいよ!ちゃんと今回の問題を解決できるか、しっかり見ていて!もし彼がこの件を片付けられないなんてなったら……全部あなたのせいだからね!」「玲奈、玲奈、ちょっと待ってくれよ……」裕也は小声で言った。「どうして俺のせいになるんだよ?」裕也が会議室に戻ると、ディスプレイは再び点けられていた。10分前までは非難の嵐だったのに、今ではすっかり雰囲気が変わっていた。ディスプレイに次々と流れていくコメントを裕也は呆然と見つめた。【なんで離婚するの?】【離婚理由が『世間の目』って???】【ふざけんな!】【バツイチだとお偉いさんと結婚しちゃダメなの??】【私なんかバツ2だよ!クズ男に二回も引っかかったけど、そのおかげで強くなったわ!彼女はまだバツイチでしょ、何も怖いことなんかない】【本当?かっけー!】【いい男がいたら、さっさと結婚しちゃうべき!】【離婚協議書もネットで出回ってたけど、みんな内容見た?男の方、自分名義の財産を全部女の方に渡して、子供の共同親権だけを求めてるだけだったよ】【名義の財産って、具体的に何があるの?】【十ページもぎっしり何が書いてあるの?】【なんでも書いてあるよ。万年筆一本まで書いてあった】【よく見なよ。その万年筆、世界に二本しかなくて、一本何億円もするやつだよ】【下着は?シャツやズボンは?ゴルフのクラブは?カフスボタンは?財布、シェーバー、ベルト、腕時計は?】【めちゃくちゃ書いてあるよ!でも書いてあることは結局ただ一つ、『彼女を愛してる』ってことだけ】【愛があるかは知らないけど、これ全部受け取るの、めっちゃ面倒くさそう】【手続きだけで
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第513話

天音の心臓は激しく脈打っていた。涙に濡れたその漆黒な瞳はキラキラと揺らめき、その視線は要の凛々しい顔を見つめている。要に向かって、天音は一歩踏み出した。すると、要は今まで無表情だった目にほんのりと喜びをにじませ、立ち上がると、大股で天音の方へと向かっていく。要が手を差し出すと、天音もその手に自分の手を重ねてくれた。二人の視線が、そっと絡み合う。ネットは、10ページにも及ぶ資産リストを深掘りする人たちで盛り上がっていた。【なるほど、これが本当の『身ひとつ』ってやつか】天音のもう片方の手で握られている携帯の画面には、【めちゃくちゃ書いてあるよ!】というコメントがあった。「どうして服までリストに載せたの?それをもらった私に、どうしろっていうの?」天音が落ち着いたのを見て、要は静かに彼女を見つめた。「暁の悪い癖なんだ……」本当は、自分自身もリストに載せたかったのだが。「税理士の職業病でして、つい」と、暁が入ってきた。「隊長から、資産の詳細をリストアップしてあなたに渡すように言われたもので」「そうだったんですね」そう答えながらも、天音の頭の中は、あるコメントでいっぱいだった。【めちゃくちゃ書いてあるよ!でも書いてあることは結局ただ一つ、『彼女を愛してる』ってことだけ】要は天音の腰に手を添え、自分の方へぐいっと引き寄せた。要の心が高鳴り、そっと天音を抱きしめる。「隊長、記者会見の準備ができました。原稿もできています」と、要に告げた暁は、どうにか乗り切れたことにほっとしていた。「ああ、君がやれ」暁は耳を疑った。「え?今、なんと?」今日一日、要に振り回されてばかりだ。そんな暁に構うことなく、要は天音の手を引き、彼女に反応の隙も与えず、休憩室の主寝室へと連れて行った。要はクローゼットを開けると、ずらりと並んだ女性用の服の中から、ロイヤルブルーのドレスを選んで天音に手渡す。「着替えて」天音はきょとんとした。「あなたと一緒に記者会見に出るんじゃなかったの?離婚は誤解だって、みんなに説明するんじゃ……」「それは暁がやればいい」要は天音をバスルームに押し込み、ドアを閉めた。ネットでの評判は既に好転しているため、もう大した騒ぎにはならないだろう。それに要は最初から、天音を表舞台に立た
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第514話

要は、玲奈が天音に何を話したのか知らなかった。だからもし、彼女が自分以上に頑固で、また裏で何か企んでいたらと思うと、不安で仕方がなかった。何としても、この結婚を推し進めなければならない。二人の距離は近く、温かい吐息が、甘く絡み合う。要はそっと顔を近づけると、優しく問いかけた。「いいかい?俺を助けてくれよ?」その懇願するような視線を受けて、天音は目を伏せて頷いた。そして、次の瞬間、唇を奪われていた。要は思いの丈を込めて、深く天音にキスをした。やっと、また一歩進めた。要は天音を連れて国会議事堂へ向かい、外国からの来賓を迎える晩餐会に参加した。そして、天音を上層部でも特に重要な役職についている人物に紹介した。その上層部の人は穏やかで、まるで優しい父親のように天音に話しかけてくれた。「若いんだから、間違うこともあるさ。それを次に活かせばいいんだよ。遠藤くんがここまで来るのは大変な道のりだった。そばで支える君も、苦労しただろうね」天音は上層部の人との挨拶を終えると、席に座って、人々の間を立ち回る要の姿を眺めていた。要がこんなにも才能にあふれ、何ヶ国語も操り、誰とでも打ち解けられる人なのだと、改めて思い知らされた。あっという間に三十分が過ぎた。上層部の人たちが次々と会場を去っていった。要は天音の前に戻って来ると、彼女の手を取った。そしてその左手薬指にはめられた真珠の指輪をそっと撫でる。お酒を飲んだせいか、要の声は少し掠れていた。「そろそろ出ようか?」「もういいの?」天音は要の手を強く握りしめながら、彼を見上げた。頭上からライトで照らされる要は、いつもより一層、輝いて見えた。それに、少しお酒を飲んだ要の体からは、ほのかにブランデーの香りが漂っている。普段、こういう席ではほとんどお酒を飲まない要だったのに、今日に限っては飲んでいた。「ああ」要は天音を立ち上がらせると、その腰に手を回し、会場の外へと歩き出した。先ほどまで要一人に向けられていた熱い視線が、今度は自分も含めた二人に注がれているのが嫌でも感じた。聞きたくなくても、聞こえてきてしまう。「一体、どんな魅力があるっていうのかしら。あの遠藤隊長を、あそこまで夢中にさせるなんて……」そんな言葉を背に、二人は国会議事堂を出ると、
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第515話

……ファミリーレストラン。スタッフが二人のためにレストランのドアを開けてくれたので、天音は要に腰を抱かれがら入る。しかし、天音は目を疑った。そこには、息子と娘と一緒に蓮司がいたのだった。蓮司はピエロの格好をしていた。バルーンアートの風船でウサギを作り、それを想花に手渡している。天音たちに気づいた想花は大喜びで駆け寄ってきて、天音に力いっぱい抱きついた。「ママ、ずっと待ってたんだよ!」想花の勢いに、思わずよろけてしまった天音を、要がしっかりと支える。想花は続けて要の足に抱きついた。「パパ!パパが呼んでくれたピエロさん、私、とっても大好き!ジャグリングもできるし、面白いお話もしてくれるの。それに、手品もすごいんだよ」要は屈んで想花を抱き上げると、静かに大智へと視線を移した。大智は悲しげな表情で、少し気まずそうにしている。「気に入ってくれたならよかった」要は静かに答えた。想花は要の肩に顔をうずめて、小さな声で囁いた。「パパすごいね。ちゃんとママを連れ戻してきてくれた」そう言って、想花は要の頬にキスをした。要は少し表情を緩ませると、そのまま大智に想花を預ける。「大智くん、想花をお願いしてもいいかな。もう帰ろう」大智の視線が、テーブルの上のプレゼント箱に向けられる。箱はすでに開けられていて、中にはピアノの模型が入っていた。要は表情を変えず、穏やかな口調で言った。「君のプレゼントは、俺が持っていってあげよう」大智の緊張が解けたのが分かった。彼は要のそばに歩み寄ってきて、想花を抱きかかえた。彩子と由理恵も、後を追って出て行った。「先に行ってて。俺もすぐに行くから」要は天音の肩にかかる髪を優しく撫でながら、甘い声で囁いた。天音の張り詰めていた空気が和らぐ。彼女は視線を要に戻すと、そのまま外に出ていった。レストランのガラスドアが揺れ、ドアベルがカランコロンと音を立てる。要は愛する妻と子供たちが、角に停めてある黒い車へ向かうのをガラス越しに見送ると、視線を蓮司に向け静かに口を開いた。「風間社長、いつまで彼女に付きまとうおつもりなんですか?」「想花と大智は俺の子供だ。お前に、俺たち親子が会うのを邪魔する権利はない」「つまり風間社長は、一生付きまとうと?」要から、強烈で氷のようなオーラが放た
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第516話

蓮司は要を突き飛ばし、地面から起き上がった。蓮司の表情は暗く、その漆黒な瞳には血に飢えたような冷たさが宿っていた。「やれるもんならやってみろよ、遠藤隊長。お前の思い通りなんかにはさせないからな!」しかし、要は特に相手にすることもなく、外へ向かって歩き出す。蓮司は追いかけようとしたが、達也によって阻まれた。蓮司は要に向かって低く唸るように叫ぶ。「離婚届のことは、お前の周りの人間しか漏らせない。それに、ずっと面倒事を起こしているゼロだが、最終的なターゲットは叢雲じゃなく、お前だ。道明寺が潰したい相手も……お前だ。だからな、遠藤。お前が天音にもたらすのは、いつだって危険だけなんだよ。俺だけが天音を安全に、そして何の心配もなくいさせてやれるんだ」要はドアノブに手をかけ、蓮司の方を横目で見た。その無関心そうな眼差しの奥には、誰にも気づかれない悲しみが宿り、冷たく光っていた。「かつてのお前は、天音にとって世界の全てだった。なのに、お前の裏切りで、天音の世界をめちゃくちゃにしたんだ。風間、その口で何を言ってるんだ?お前なら天音を心配させないだって?お前こそそんなこと言う資格があるのか?」そう言い終えた要は、ガラスの向こうにいる天音の穏やかな視線に気づき、全ての感情を抑え込むと、ドアを開けて外に出た。ドアベルが、ちりんちりんと音を立てて鳴った。天音は戻ってきた要の大きな手を掴む。「子供たちが眠たそうだったから、車で先に帰らせたわ」「俺を待ってたのか?」「ええ、だってあなたお酒を飲んでいるから」「じゃあ、良い覚ましがてら少し買い物にでも行くか?」「何か買いたいものでもあるの?」「そうだなぁ」買えるのであれば、時間が欲しい。天音の十年、二十年、そしてそれから先の何十年も…………達也は蓮司を押しのけると、大智のピアノの模型を手に取り、レストランを出て二人の後を追った。蓮司はガラス窓越しに、要と楽しそうに話しながら遠ざかっていく天音を見つめていた。天音の穏やかな顔立ちと静かな微笑みは、まるで自分と一緒にいた頃の、何も心配事のなかった姿そのものだった。爪が手のひらに食い込み、血が一滴、また一滴と滴り落ちた…………二人は化粧品店に入った。天音はボディソープで十分いい香りだと思って
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第517話

天音の手を、要が握ってくれた。要は天音の耳元でささやいた。「この女が俺にちょっかいを出してきたんだ」その言い方は、まるで告げ口をしているかのようだった。天音はきょとんとして言った。「ただのナンパでしょ?ただあなたの連絡先が聞きたかっただけで、別にあなたを取って食おうってわけじゃないじゃない」「彼女は、君を不愉快にさせた」要はスーツを脱ぐと、そばにあったゴミ箱に投げ入れた。この間、智子と少し話しただけで、天音に見捨てられそうになったことを要は忘れていなかった。「そんなことないわ。ただ、あなたが既婚者だって知らなかっただけよ」天音はゴミ箱のスーツをちらりと見た。どういうわけか、要のその行動に胸がじんと熱くなるのを感じた。「彼女を放してあげて」要が特殊部隊の隊員に視線を送ると、隊員はすぐに女性の手を離し、丁寧に詫びの言葉を述べた。「指輪をしておくべきだったな」要はふっと小さくため息をついた。そして、ふと視線を下げると事情がのみ込めずにいる天音のまなざしとぶつかった。「ナンパ?君もよくナンパされて、連絡先を聞かれたりするのか?」要は天音を抱き寄せ歩きながら、耳元でささやいた。何だかくすぐったい。天音は耳元のおくれ毛をかきあげ、顔を赤らめた。「そんなにしょっちゅうってわけじゃないわ」「言い寄ってきている男は何人いるんだ?」要は食い下がった。彼が知っているのは龍一一人だけだったから。「龍一の他にも、誰かいるのか?」「いるわけないでしょ?だって、私はあなたの妻なのよ、誰がそんなことするっていうの?」「知っている人間は少ない」要は呟くように言った。ネットで拡散された写真も、ぼやけた横顔だけだったし。しかし、天音は聞き取れなかったようだ。「え、何?」要は天音の顔を両手で包み込み、真剣な眼差しで言った。「君が俺の妻だと知っている人間は、ほとんどいないんだ。だから、もし君に言い寄ってくる奴がいたら、必ず断るんだぞ」天音はまつ毛を小さく震わせた。要の真剣な眼差しに、胸がどきりと高鳴り、痺れるような感覚に襲われる。「もう、本当に」天音はそう呟きながらも、心の中では別のことを考えていた。もしA国のY市にいる、あの心臓外科の専門医が……もし、突然帰ってきたら……でも大丈夫。要はこん
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第518話

要には、大智がかなりの努力を重ねてきたことが分かった。「おやすみ」要は立ち上がって部屋を出て行こうとした。大智が要を呼び止める。「遠藤おじさん、ありがとう」要はかすかに笑うと、大智のためにドアを閉めた。三階では、シャワーを終えた天音がデスクの前に座っていた。ノートパソコンの画面をぼんやりと見つめ、考え込んでいた。『マインスイーパ』はすでに起動し、英樹と恵梨香のツーショット写真の分析を続けていた。……要は香公館を出てると、庁舎へと車を走らせた。記者会見がもう終わり、スタッフが次々と帰っていく中、会議室だけはまだこうこうと明かりがついていた。要が会議室のドアを開けると、恐怖におびえる澪と目が合った。要は上座に座ると、冷めた表情を浮かべる。「隊長、本当に私じゃありません!」澪は要の足元に駆け寄り、すがるように跪いた。達也もかばうように言った。「隊長、野村さんは隊長に仕えて、もう5、6年になるんですよ。裏切るはずがありません。もしかしたら、前にいた特殊部隊隊員の誰かかもしれませんし」澪は要の手にしがみつき、充血した目で要を見上げ、必死に訴える。「私が隊長を裏切るなんて絶対にありません。あの時助けていただいた恩を仇で返すなんて、私は絶対にしません!」しかし、要は淡々と暁に視線を送った。暁は前に進み出て澪を引き離すと、手にしたファイルをデスクの上に置いた。「私のオフィスに入れるのは、あなたと山本さんだけですし、シュレッダーにかけた書類は、いつも私自身で後始末しています。そして、離婚届の一部がなくなったあの日、私のオフィスに来たのはあなただけでした」「何を根拠にそんなことが言えるですか!別に、あなたのオフィスに監視カメラがあるわけでもないのに!」澪が目を吊り上げて叫ぶ。「自分のミスで離婚届を流出させて大騒ぎになったからって、私に濡れ衣を着せるつもりですか?」暁は澪が逆ギレするとは思わず、何だかとても気分が冷めた。「廊下には監視カメラがあるんですよ、野村さん」澪は一瞬固まったが、すぐに言い返した。「入ったからって、私が盗んだ証拠にはならないでしょ?」「話にならないですね」暁はため息をつくと、携帯を取り出してある録音を再生した。それは、とても長い録音だった。澪が要の元に戻ってきてからの、全
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第519話

「隊長の妻になるのは、この私だったはずなのに!どうして加藤さんなんですか?」要はその場で足を止め、ゆっくりと目線を落とす。澪の涙に濡れた顔には、これまで見せたことのない鋭い眼差しが宿っていた。要が冷酷にならないわけがない。要は、かつて死体の山から生還した男なのだから。要は感情のない声で尋ねた。「俺のことが好きなのか?」澪は驚いて要を見上げると、まるで希望を見出したかのように力強く頷いた。「俺が好きだから、俺の妻を殺そうとしたと?」要の無機質な声が更に冷たくなっていった。「君なんかが、生きていていいはずがない。人の命を軽んじるだけではなく、自分の人生さえも軽んじている」要は、自分は天音に危険しかもたらさない、と蓮司に言われたことをふと思い出した。要が歩き出すと、澪は声を上げながら地面に崩れ落ちた。「隊長!私が証人になります!木下部長が彼の息子を殺そうとしたことを証言しますから!」ああ、最後の希望もどうやらなくなったようだ。いや、違う。希望なんてとうの昔からなかったのだ。だって、要は天音のためなら、彼自身のキャリアを捨てることさえ厭わないのだから。これほどまでに、天音を愛している。そのことに気づいてはいた。ただ、悔しさがずっと邪魔をしていただけ。要は振り返ってはくれなかった。彼の怒りを表すかのような、ドアが乱暴に閉められる音だけが残った。澪は瀆職と殺人未遂の容疑で、暁によって検察に送還された。彼女は刑務所の中で、残りの人生を送るのだろう。要は庁舎を大股で出ると、運転手から鍵を受け取り、自ら運転席に乗り込んだ。そして、猛スピードで家へと車を飛ばす。廊下の明かりが彼の影を長く伸ばす。激しく上下する胸の呼吸に合わせて、その影もかすかに揺れていた。天音はパソコンデスクに突っ伏して眠っていた。スクリーンの光が天音に降り注ぎ、まるで守りのベールのように華奢な体を包み込んでいる。天音の部屋は薄暗かった。天音は夜に電気をつけるのが嫌いで、いつも闇の中に身を隠そうとする。まさにハッカーの性分とでも言うのだろう。要は天音のそばに歩み寄り、そっとその小さな顔に触れる。そこには涙の跡が残っていた。ノートパソコンの画面に写る写真に目をやると、マインスイーパシステムが、まだデータを分析し続けてい
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第520話

部屋が薄暗く、要は天音の顔がよく見えなかった。ボタンを外そうとする天音の手を、要はそっと押さえた。口元には自然と笑みがこぼれる。天音がこんなに積極的なのが、嬉しくてたまらない。もし天音が、自分にすべてを打ち明けてくれたら、もっと嬉しいのに。要は天音の顎を持ち上げ、その唇にキスをした。墨の香りが彼女を包み込む。天音がキスを返そうとすると、要はその小さな顔を押さえた。「今日はもう遅い。早くお休み。な?俺は、やることがあるから」がっかりして手を下ろした天音を、要は抱き上げてベッドに寝かせた。要はいつものように天音に布団をかけると、ベッドサイドに座って背中を優しく叩き、寝かしつけようとした。しかし天音は、今夜はどうしても眠れそうになかった。天音は何とか目を閉じて、寝ようと試みる。でも、すぐに限界が来た。天音は要の手を払いのけ、くるりと寝返りをうって彼に背を向けた。要は、その子供っぽい態度がおかしくてたまらなかった。どうして急に、機嫌を損ねたんだろう?化粧をしたのに、可愛いって言わなかったからかな?さっきキスしたとき、口紅のべたっとした感触で、天音が口紅をしていることには気づいていた。要は天音の小さな頬に触れてみる。さっきは気づかなかったが、ファンデーションが塗られているのが分かった。要はその場から離れ、部屋を出た。そのことに、天音はますます腹を立てた。ベッドから起き上がり、バスルームに行って化粧を落とす。戻って横になろうとベットに倒れ込んだ瞬間、うめき声が聞こえた。どうやら、誰かを押し潰してしまったらしい。そんな驚く天音を温かい腕が抱きしめ、唇を塞ぐ。墨の香りと、ほんのり香る石鹸の匂い。天音は少しほっとしたが、それでも相手の胸を押しのけようとした。だって、それは要だったから。要は人の心を読むのに長けている。特に、天音のような単純な人は、要の相手ではなかった。ただ、何が原因で機嫌を損ねたのかは分からなかったが。天音は普段化粧をしないし、自分もしてほしくないと思っている。それなのに、急に……「用事があるんじゃなかったの?」そう言いながら天音が力を込めて要の胸を押し返す。「終わらせてきた」天音の機嫌を直す方が、今は大事だ。要は天音の小
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