妊娠中に一緒にいた彼が、彼女を失って狂った話。 のすべてのチャプター: チャプター 571 - チャプター 580

776 チャプター

第571話

長年の友人?天音の表情から笑顔がすっと消える。なんとか椿の手に自分の手を差し出した。「初めまして、私は……」要の妻。「存じ上げておりますよ、加藤さん」椿は天音の言葉を遮った。「隊長はよくあなたの話をしていますから」要が、椿に自分の話をしている?そんなに頻繁に?誰に対しても無口なはずの要が?椿が手を離すと、天音の手は力なく体の横に落ち、指先をかすかに丸めた。耳には、割れんばかりの拍手が鳴り響く。天音は呟いた。「どんな話を……」でも、口に出した途端、聞くべきじゃなかったと後悔した。そこへ、暁がこちらへ歩いてくるのが見えたので、天音はそちらに向かった。しかし、背後から椿の声が追いかけてきた。冗談めかした口調で、「隊長を困らせているようですね」と。天音は足を止め、瞳を見開いて椿を振り返った。一方の椿は、少しも態度を崩さず、優雅に天音を見つめている。「奥様、隊長から警察署での事情聴取に同行するよう言われておりますので」暁はそう言うと、天音の背後に視線を移した。「平野先生、隊長の新しいオフィスはまだご覧になっていませんよね?」暁は椿とも顔見知りのようだ。「部下に案内させましょう。隊長もお待ちですよ」「ありがとうございます、小島さん」椿は淡々と応えると、暁が手配した案内の者に従ってその場を去った。椿の後ろには、二つのスーツケースを引く人物が付き従っていた。椿は泊まる場所も決めずに、まっすぐ要に会いに来たようだった。会いたくてたまらなかったのか。それとも、要がすべて手配してくれると分かっていたからか。「奥様、車に乗りましたら、まず聴取内容の確認をしましょう」暁が淡々と予定を告げる。天音は頷き、暁と共に庁舎を後にした。シャンパンゴールドのポルシェの横に立った天音は、ドアハンドルに手をかけたまま動きを止めた。天音の視線は庁舎の、要のオフィスがある階へと向けられた。そこは煌々と明かりが灯っている。要は今夜、とても忙しいはずだ。それでも椿に会うなんて。一体何のために?天音は寂しげな表情で、車のドアを開けた。助手席に乗り込んだ暁が言った。「奥様、安西さんを拉致した件については、話す必要は……」しかし、天音は突然ドアを閉め、庁舎に向かって大股で歩き出した。天音はエレベーターに
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第572話

そして、天音は大智に何とかリベンジマッチを承諾させたのだった。そんなことを思い出していた要は、軽く笑みを浮かべながら顔を上げた。「君のために二人の心臓外科研究の専門家を探してみた。それと、これは彼らが書いた3D心臓設計に関する論文だ」要はそう言いながら達也に椿へと資料を手渡すように視線を向ける。「頼りになるか、少しみてみるといい」しかし、椿はそんな要を見て唖然としていた。資料を渡しても椿から反応がないので、要は「平野先生?」と声をかける。椿はようやく我に返って達也が差し出している資料を受け取った。うつむいて書類に目を通すが、どうしても視線の端で要を追ってしまう。なんだか頬が熱くなってきた。要が笑うところなんて、一度も見たことがなかった。ましてや、こんなにリラックスした様子は初めてだった。「一度、彼らと話をしてみるわ」要は落ち着いた様子で言った。「山本、平野先生の滞在先を手配してくれ」達也は頷いた。要は休憩室を出てオフィスに入ると、携帯を手に取った。天音の声が聞きたくなったのだ。しかし、その前に上層部からの電話が掛かってきた。要は仕方なく諦めた。……暁は天音の手首の傷に気づいた。「奥様、隊長が、事情聴取が終わったら、病院で傷を見てもらうように、と」「大丈夫です。必要ありません」天音がアクセルを強く踏み込み、車が猛スピードで走り出す。暁は驚いて、とっさに手すりを掴んだ。暁も無理強いはできなかったようで、事情聴取から帰ってくると、香公館の前で天音と別れた。そして迎えに来た車に乗り込み、庁舎へと戻っていった。天音が別荘に戻ると、想花と大智はもう寝ていた。天音は三階の自室に戻るとノートパソコンを開き、『マインスイーパ』を起動して、【平野椿】と入力した。椿の経歴を隅々まで調べ上げたが、結局分かったのは「優秀」ということだけだった。天音は恵梨香の日記を取り出した。最後の一ページには、要のことが詳しく書き記されている。要と椿には、共通の趣味がたくさんあった。澪に見せられた写真を思い出す。身長も顔立ちも、二人はまるでお似合いのカップルのようだった。天音はオフィスチェアの上で、小さく体を丸めた。この二日間、ひどく疲れた。感情の浮き沈みが激しく、体はもう限界に近い。天音は、そのまま机に突っ伏し
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第573話

子供たちのはしゃぐ姿を見て、天音はその場を白けさせたくなかった。由理恵が天音に声をかける。「若奥様、若様が出かける前に、お医者さんに腕を見てもらってから外出するようにと」天音は頷き、大智と直樹と想花がかくれんぼをして遊んでいる方へ視線を向けた。すると隣で、由理恵が話し始めた。「隊長は若奥様に本当に優しいですよね。うちの娘の旦那さんとは大違いです。娘が生理痛で苦しんでるのに、『温かいものでも飲んでおけ』って言うだけで、一杯淹れてくれるわけでもなく、すぐに自分の部屋に戻ってゲームを始めちゃうんですよ。でも隊長は若奥様に医者に見てもらうように言うだけでなく、ちゃんと手配までしてくださるんですもの。なんて気がきくんでしょう」「うちの若様は、家柄も人柄も良くて、仕事もできて、それにイケメンで、まさに選ばれたお方……ただ、欠点もありますよね」彩子は由理恵が天音の隣で想花の粉ミルクや離乳食を準備するのを見ながら、うどんを手に持ってやってきて、話に参加した。「隊長に欠点なんてあるんですか?」「忙しすぎることですよ……ほら、せっかく家族で出かける日だっていうのに……若様、お仕事でいらっしゃらないじゃないですか」そう言った彩子だったが、天音の暗い表情にすぐ気づき、慌てて言葉を継いだ。「若奥様、もしお気に障るようなことを申し上げてしまっていたら、本当に失礼いたしました。ただ……若様ったら、やっとお帰りになったと思ったら、またすぐに出かけてしまわれて」天音はうどんをかき混ぜながら、二人が自分の言葉を待っている視線に気づき、口を開いた。「別に怒ってませんよ。ただ少し疲れてて」「そうですよね、うちの若奥様がこんなことで怒ったりしませんもんね」彩子は話を続けた。「それに、若様はあなたが食欲がないだろうと、わざわざこれを用意するようおっしゃったんですよ。あなたがお疲れだろうからと、子供たちの遊び相手に二人も人を手配してくださったんです」彩子はこの数日で由理恵と親しくなり、少し内情を聞いていた。天音がしょっちゅう勝手に家を出ては、要を避けているのだと。天音は頷いたが、元気も食欲もなく、二口ほど食べただけだった。しばらくすると医師が来て、天音の腕のアザと手首の手当てをした。この医師は、以前から要に付き添っている医者だった。
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第574話

要が即座に体を躱すと、椿はソファに倒れ込んだ。「隊長……」椿は情けない声を上げた。要に助け起こしてほしかったのに。要は天音を引き止めた。今朝、家に帰ってからシャワーを浴びさせ、抱きかかえて部屋に連れて行った時、天音はもう目を覚ましていた。しかし、なぜだか自分を拒絶していたのだった。だから、要はオフェスに戻り、監視カメラの映像を確認した。すると、ちょうど自分が椿に手を貸していた時、天音が休憩室前の廊下に立っていたことが分かった。天音はそれを見ていたのだった。要は天音に言った。「平野先生は、まだこの環境に慣れないみたいなんだ。昨夜転んだと思ったら、今日もまた転んでしまったんだよ。平野先生を起こすのを手伝ってくれ」要の言葉を聞いた椿は、少し決まりが悪そうな顔をし、気まずそうに髪をかきあげる。天音は目を伏せ、手伝う気はないと示すように要の手を振り払った。だが、またすぐに腕を掴まれた。要は天音の耳元で囁いた。「相手は女性なんだ。俺では色々と都合が悪い」天音は要を見上げ、その美しい瞳を大きく見開いた。それは、少し険しい表情だった。昨日の夜は、椿を抱きかかえていたくせに。自分に見られたとたん、都合が悪い?「私も色々都合が悪いの」天音は、腫れた手首を見せつけるように上げた。「隊長、もう大丈夫。私は平気だから」そう言いながら椿はすでに起き上がっていた。「加藤さんは手を怪我されているし、確かに無理はさせられないもの」要は椿に冷ややかな視線を向けると、「紹介しよう」と言った。「妻の加藤天音だ。そしてこちらが……」「知っているわ。長年の友人なんでしょ?」天音は平静を装ったが、声は冷え冷えとしていた。「他に用がないなら、私はこれで失礼するわ」「話したいことがあって来たんじゃないのか?」要は天音を横抱きにすると、外に向かって命じた。「山本、平野先生を応接室へ案内してくれ」要は天音を抱いたまま、主寝室へと向かった。天音は不機嫌そうに身をよじる。「要!離して!あなたに話すことなんて何もない!」だが要は天音を離さず、低い声で言った。「俺はあるんだ」椿は唖然と見つめていた。要は天音を抱き上げ、天音は激しく暴れて要を突き飛ばそうとしている。天音のことを勝手におとなしい女性だと思っていたが、まさ
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第575話

でも、なにも聞けなかった。要が就任するまであと8日。それが終わったら、要のもとを去るんだから。蓮司と付き合っていたころは、こんな問題はなかった。なぜなら、蓮司に近づこうとする女は、全てボディーガードが止めていたから。それなのに、蓮司はあんな酷い仕打ちを自分にした。天音がぼんやりしていると、要にぐっと腰を引き寄せられた。要は天音の顔を両手で包み込む。この小さな顔は、要の掌に収まってしまいそうなほど小さかった。要はゆっくりと天音の鼻先に自分の鼻先を重ねた。熱っぽい息が彼女の心をくすぐる。「また一つ、成長したな」「え?」天音はすぐに唇をきゅっと結んだ。口を開けば、要にキスしてしまいそうだった。要の温かい手の中で、顔が熱くなる。視線をさまよわせながら彼を見つめた。「怒っても、逃げ出さなかった」と、要が静かに言った。周りの空気がどんどん熱を帯びていくのを感じる。天音は両手で要の肩を押し返そうとした。でも、力を入れると手首が痛む。「怒ってなんかない」と不機嫌そうに言い返す。「ああ、そうだな」要の声は掠れていた。その瞳には濃い欲望の色が宿っている。彼は天音の唇に軽くキスを落とした。そして、さらに低い声で囁く。「俺のことが心配なんだろ。でも、俺を信じることも覚えてほしい。俺たちは、一生を共にするんだ。なのに、基本的な信頼すらないなんて、辛いだけだ」その言葉を聞いて、天音の瞳に憂いの色が浮かんだ。一生……それは、手が届きそうで届かないもの。要は今朝、天音のパソコンの画面に【平野椿】という名前があるのを見ていたので、天音が椿のことを調べているのを知っていた。でも、残念ながら天音に真相を話すわけにはいかない。「話があるって言ってたけど?」天音がささやく。「天音、どこか具合悪いところはないか?」昨夜はどれだけ悲しんで、うずくまっていたんだろう。朝起きて、体は痛くなかっただろうか?天音は首を横に振ると、自分の手首を示した。「お医者さんに診てもらったからもう大丈夫」由理恵と彩子の言葉を思い出し、改めて夫としての要は非の打ちどころがないと思った。「ねえ、お医者さんから、精密検査を受けるようにって言われてるんでしょ?薬の毒素が残ってるかどうか確かめるために。暁さんも、あなたに何度も言ったって。
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第576話

あの日、椿のハイヒールが折れ、転びそうになった時、要がさっと腕を引いて守ってくれた。要の手のひらのぬくもりが肌に触れた。それだけで、朝も夜も要のことを考えてしまうほどだった。椿はもともと要を落とせる自信があった。そして昨夜、か弱い花のような天音を見て、その自信はさらに強くなったのだった。でも、今は……「昨日の夜、もらった資料は全部読んだわ。それと、他の二人の先生にも連絡してみた」椿は続けた。「もう少し先生たちと話してみてから、決めた方がいいと思う。隊長が忙しいのは分かっているけど……私も二人の先生も同じ意見で、やっぱり隊長には同席してもらいたいの。だから隊長、今夜は時間はあるかしら?」要が達也に視線を送ると、達也はスケジュールを確認して言った。「一時間でしたら、お時間を確保できます」「わかった。今夜、顔を出すよ」要は目の前のグラスを取ると、椿の前に置いた。その表情は、上司が部下をねぎらう温かいものだった。「ご苦労様、平野先生」「隊長のためだもの、当然のことよ」椿は静かに言った。しかし、要の袖口から覗く手首に小さな引っかき傷を見つけた瞬間、椿の優しい眼差しは凍りついた。その視線に気づいたのか、要はすっと袖を引いて傷を隠した。そして、口の端を上げて言った。「うちの妻が、少しわがままでね。君に何か失礼があったかもしれないが、気にしないでくれ」椿はグラスを握り、一口水を飲んだ。常温の水のはずなのに、心の奥がすうっと冷えていく。自分でも聞こえないほどか細い声で、椿は呟いた。「加藤さんは……」言葉を言い終える前に、ふと要の冷たい視線とぶつかった。その眼差しに喉を締め付けられるようで、背筋がぞっとする。椿はとっさに「加藤さん」という言葉を飲み込み、こう言い換えた。「奥さんは天真爛漫な方だもの。気にしてないわ」……とろけるような時間は、要の優しい誘いから始まり、天音が泣きじゃくるまで続いた。天音が疲れ果てて指一本動かせなくなった頃、要はようやく体を離した。……主寝室に、着信音が何度も鳴り響いていた。天音は気だるい瞼を上げる。目じりはまだ赤く充血していた。ビジネスバッグに手を突っ込み、携帯を探し出す。「加藤さん!想花ちゃんと大智くん、それに直樹くんが迷子になっちゃったんです!」由理恵の叫び声で、天音は
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第577話

天音は怒って要を睨みつけた。耳が熱くなるのを感じる。「子供たちを迎えに行く時間だから。もう遅くなっちゃったし」要は天音を解放した。赤くなった彼女の頬を見て、ふっと微笑む。「運転手を一人、一緒に行かせるよ」断りたかったけれど、足に力が入らない。天音は頷くしかなかった。……雲航テクノロジーの社長室で、蓮司は一睡もせずに座り続けていた。ボディーガードのリーダーがドアを開けて入ってきた。「旦那様、池田さんが見つかりません。思いつく限りのところは全て探しました。それに、これだけじゃないんです。会社の周りに見張りの目が増えました。池田さんは、また警察と手を組んだのかもしれません」ボディーガードのリーダーは心配そうに続ける。「今回はかなり難しい捜索になるかと」「遠藤とその周りの人間を見張れ。奴の仕業に違いない。俺の娘を誑かしたうえ、息子まで手に入れようとしている」蓮司の漆黒な瞳に怒りが燃え盛り、声は氷のように冷たい。「池田を匿って、俺を陥れようとするなんて。そんな真似ができるのは、遠藤だけだ」ボディーガードのリーダーが携帯で指示を出していると、急に新たな報告が入った。「旦那様、ユニバーサル・スタジオで、遠藤隊長のボディーガードがお子様たちを見失ったとのことです」蓮司は、弾かれたように立ち上がると外へ向かった。……天音が駆けつけると、そこにいたのは……自分の息子と娘が、蓮司と楽しそうに笑い合っている姿だった。周りは人でごった返している。でも、ボディーガードも秘書の姿も見えない。蓮司は想花を抱きかかえている。想花はいたずらっぽく、蓮司に買ってもらったアイスをその顔に塗りつけていた。想花は「変な顔!」と大笑いしている。大智と直樹も、隣でアイスを食べながら楽しそうに笑っていた。いつもはビシッとスーツを着こなしている蓮司が、今は黒いシャツに色とりどりのアイスをべったりつけられ、短い髪は想花にくしゃくしゃにされている。以前の蓮司とは、まるで別人だった。昔の蓮司は、大智にこうして付き添ってあげたことなんてなかったのに。遊園地に来たことなんて、一度もなかった。天音が近づいてくるのに気づくと、蓮司はすぐに想花を地面に下ろした。想花は天音の胸に飛び込んで言った。「ママ、やっと来てくれたのね」天音は忘れてい
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第578話

英樹が突然現れて蓮司を投げ飛ばしたので、周りの人たちはびっくりした。天音はとっさに想花を抱きしめる。パトロール中の警察が駆けつけ、英樹を制止すると、蓮司を支え起こした。蓮司は一睡もしていなかったのでひどく憔悴していた。そして、今はさらにみすぼらしく見えた。「松田グループの件は、俺たち兄妹の問題だ。風間、あなたには何の関係もない」英樹の声は冷たかった。「どんなことがあろうとも、俺の妹に近づくな。失せろ!」蓮司は英樹の言葉を聞きながらも、視線はずっと天音に注がれていた。しかし、天音が何も言わないのを見て、蓮司は表情を暗くした。蓮司は冷たく笑った。「兄妹だと?お前ごときが天音の兄を名乗る資格があるのか?」英樹はメガネの奥にある目を暗く光らせ、怒りを募らせた。天音は英樹を庇うように立ち、蓮司に言った。「私のことはあなたに関係ないから。松田グループの件は、私が自分で片付けるわ」その時、パレードで道を塞がれていた由理恵たちがやって来た。由理恵が想花を抱き上げると、天音は大智と直樹を連れてその場を離れた。蓮司と英樹のことを振り返りって見ることはなかった。「ママ、さっき僕たちが迷子になっちゃったから、想花ちゃんがすごく怖がってたんだ。だから僕は……」大智の恐る恐るといった視線に気づいて、天音はそっと彼の頭を撫でた。「うん、大智のせいだなんて思ってないからね。ママが悪かったの。ちゃんと一緒にいてあげればよかった」大智は首を横に振った。「ママ、僕がもっと早く大きくなればいいんだ。そしたら、迷子になってもちゃんと想花ちゃんの面倒を見てあげられから」天音が大智を抱きしめると、突然、車の後部ドアが開けられた。英樹が乗り込んできたので、みんなびっくりした。「要の証人保護プログラムに参加したんだ。俺の身辺警護を頼んである」英樹は天音をじっと見つめて言った。天音は何も言わず、窓の外に目をやった。天音は政府のシステムに侵入して、すでに真相を掴んでいたのだ。レストランの向かいの路地で起きたあの夜の銃声。あれは、洋介が英樹に向けて撃ったものだった。どうりで、初めて意識不明の英樹に会って手術痕を確認した時、彼の皮膚に凹みがあったわけだ。事件の記録には、澪が英樹に殺人を唆し、英樹が逆に澪を殺そうと
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第579話

「どうしてここに?」「お前を待ってたんだ。デートからのお帰りをな」英樹は要の冷たい視線に気づき、鼻で笑った。「どうした?今になってしらを切るのか?」蓮司の部下は要を、そして英樹の部下は蓮司を尾行していた。蓮司が知っていることは、英樹もすべて知っている。「道理で、俺が天音は風間の野郎と一緒にいると伝えても、お前は平然としていたわけだ」英樹はメガネの奥で怒りの目を光らせた。「天音は叢雲なんだぞ。ミサイルの軌道を操れる叢雲だ。結局、お前はずっと天音の能力だけが目当てで、彼女をそばに置いてるんだろう?だから風間の好き勝手にさせてるんだ。何度もあいつに天音を拉致させて。お前は天音のことなんて、これっぽっちも大事に思ってない!要、お前だけは風間よりマシな男だと思ってたのに」要は疲れたようにこめかみを揉み、淡々とした声で言った。「英樹を送ってやれ」ドアのそばに立っていた特殊部隊の隊員が、英樹のもとへ歩み寄った。要の無関心な態度に、英樹は怒りを爆発させ、要に詰め寄ると、胸ぐらを掴んだ。「誰にも天音を傷つけさせはしない。どこの馬の骨とも知れない女との関係を今すぐ断て。さもなければ……」要は伏せていた目を上げ、静かな声で問い返した。「さもなければ、どうするんだ?」「さもなければ、俺が天音をお前から引き離す」英樹の脅しの声に被せるように、要は一層冷たい声で言った。「天音がお前について行くとでも?」怒りに燃えていた英樹の瞳が、一瞬で暗く曇った。掴んでいた手は、要によってそっと払いのけられた。「英樹。お前の存在が天音を苦しめているんだよ」要は静かに言った。「だから、もう天音の前に現れるな。天音の母親がお前に向き合えなかったように、天音もお前との向き合い方がわかんないんだよ」その言葉は、英樹の心を完膚なきまでに打ち砕いた。天音が下へ降りると、ちょうど英樹が肩を落として立ち去る後ろ姿が見えた。しかし次の瞬間には、要の腕の中に抱きしめられていた。要は天音を抱きかかえてソファに座らせる。彼の目は少し輝いていて、なんだかとても機嫌が良さそうだった。機嫌が悪いはずがなかった。心臓外科の専門家二人による分析を聞き、3Dプリント心臓の研究が大きく進展する可能性が見えてきたのだから。要は天音の柔らかな腰をさ
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第580話

天音は目を覚ますと三階の部屋にいた。隣に要の姿はなかった。ズキズキと痛むこめかみを揉みながら、今朝、要が家を出る時に囁いた、甘い声を思い出す。「先に子供たちと千葉家へ行っていておいてくれ。俺も後から行くから」要にキスされた耳をそっと揉むと、今もまだ耳たぶに彼の温もりが残っている気がした。天音はベッドから出ると、まず龍一に電話をかけた。でも、コール音が長く鳴り続けるだけで、電話は繋がらなかった。不思議だ。龍一は直樹のことをすごく心配しているから、一晩も連絡してこないなんてあり得ない。天音は胸の内でかすかな不安を感じた。身支度を済ませ、階段を降りる。子供たちはリビングで遊んでいた。由理恵と彩子に可愛らしく着飾ってもらったらしく、想花はソフィア姫のようなドレスを着て、ツインテールにした頭には小さなティアラを乗せている。大智と直樹は白と黒のタキシードを着ていて、すごく様になっていた。要が手配した車が数台、すでに家の前に停まっていたので、みんなで乗り込む。車の前後は特殊部隊の隊員が乗った車で固められていた。その物々しい雰囲気は、まるで要本人が外出する時のようだった。「佐伯教授の別荘へ彼の安全を確認しに行ってもらえませんか?」車に乗る前、天音は特殊部隊の隊員の一人に声をかけていた。隊員はすぐさま部下を向かわせた。「奥様、ご安心ください。佐伯教授もなかなか腕が立つ人ですから、そんなにご心配なさらなくて大丈夫だと思いますよ。それに、京市の治安はとても良いですから」「ええ」自分の心配しすぎだろうか。車は海城の千葉山荘に到着した。いつもと違ったのは、千葉家は今回総出で天音を出迎えたことだった。これは要が来た時と同じレベルの歓迎の仕方だ。天音は三人の子供たちを連れ、自分に不満を持っていたはずの光希を、少し驚いた表情で見つめる。しかし今、光希はとても優しそうな表情を浮かべていた。まるで、一晩でみんな人が変わってしまったかのようだった。玲奈が前に進み出て天音の手を取った。「天音、ヘアメイクのチームはもう着いているし、お客さんたちもそろそろいらっしゃるころよ。子供たちのことは任せて、あなたは先にドレスに着替えて準備してちょうだい。要は仕事で遅くなるそうだから、あなたが入り口でお客さんを迎える
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