中庭は相変わらず不思議な空間だった。春の桜、夏の紫陽花、秋の紅葉、冬の椿が同時に咲き誇り、季節の境界が曖昧になっている。華に初めて案内された時は、その美しさに感嘆するばかりだったが、今は別の感慨を抱いていた。 これは、自然の摂理を超えた現象だ。 一回りしてから部屋へ戻ろうとした私は、思い立って廊下の角に身を隠し、そっと中庭を覗き見ていた。すると、池のほとりに華が姿を現した。きょろきょろと周囲を見渡した後、水面を見つめながら何かを呟いている。 私は息を殺して、その様子を観察した。華は膝をついて池に手を伸ばし、水面に指先を触れている。すると不思議なことに、彼女の周りだけ風が起こり、池の蓮の花びらが舞い上がったのだ。 しかも、それだけではなかった。 夕日を背にした華の影が、地面に映っている。その影は人間の形ではなかった。長い尻尾のような影が揺れ、まるで四本足の獣のような輪郭を描いている。狐、そう、まさに狐の影だった。 私は思わず息を呑んだ。その瞬間、華がゆっくりと振り返る。 二人の視線が交わった刹那、華の瞳が金色に光った。人間の瞳ではない、野生動物のような縦に細い瞳孔が、一瞬だけ鈴凪を射抜いたのだ。「奥様?」 華の声は相変わらず穏やかで、その瞳は既に普通の人間のものに戻っていた。まるで今の光景が幻だったかのように。「あ、あの……お疲れ様です」 私は慌てて頭を下げると、足早にその場を去った。心臓が激しく鼓動し、手のひらに汗が滲んでいる。見間違いだったのだろうか。そう思おうとしても、あの金色の瞳と狐の影を、私は確かに見た。慎吾の言葉が頭をよぎる。『この街には、人ならざる者たちが紛れ込んでいる』 自室に戻る途中、私は意識的に屋敷の様子を観察してみた。今まで何気なく見過ごしていた光景が、全く違って見える。 台所の近くを通りかかった時、中から若い女中の声が聞こえてきた。「あら、火が起きないわねぇ」 覗いてみると、台所手伝いの茶渡福子が竈の前で困っている。火打ち石を使おうとしているのだ
Last Updated : 2025-08-08 Read more