夜闇が椿京を包み込んだその時、朝霞邸を守る結界に最初の亀裂が走った。 空気が震え、庭に咲く椿の花弁が一斉に舞い散る。華は中庭で空を見上げると、長い袖を翻しながら縁側へと足を向けた。華の瞳に宿る紅い光は、迫り来る危険を敏感に察知していた。 「奥様を奥の間へ! 急いで!」 華の声が、屋敷に潜む眷属たちに響く。猫又や狸、狐たちが影のように動き、中庭の鈴凪を迎え入れ、奥の間の廊下を走っていた。しかし、彼らが奥の間の襖を開く前に、結界の破砕音が夜気を裂いた。 ばきり、と。まるでガラスが砕けるような音と共に、朝霞邸を包んでいた不可視の守りが崩れ落ちる。 「来たか」 理玖の声が、書斎から低く響いた。彼は窓辺に立ち、夜闇に潜む影たちを見つめている。月明かりが彼の琥珀色の瞳を照らし出すと、そこには静かな怒りが宿っていた。 庭の向こうから、足音が近づいてくる。一人、二人、三人——いや、もっとだ。朧月会の術者たちが、息を殺してこの屋敷を包囲していた。 先頭に立つのは、慎吾だった。 慎吾の手には、月光を反射する短刀が握られている。その刃には封印の術式が刻まれており、妖を縛る力を宿していた。慎吾の瞳は決意に燃えているが、その奥には迷いのような影もちらついている。 「鈴凪さん……必ず、あの化け物の手から救い出してみせる」 慎吾の呟きが夜風に混じる。彼の後に続く朧月会の術者たちも、それぞれに武器や術具を手にしていた。彼らの顔は皆、正義感に満ちている。自分たちが正しいことをしているのだと、疑いもしていなかった。 華が門前に姿を現したとき、慎吾は一歩前に出た。 「玉依華! 鈴凪さんをどこに隠した!」 慎吾の声が夜空に響く。華は袖で口元を隠しながら、静かに微笑んだ。その笑みには、どこか哀れみのような色
Last Updated : 2025-08-23 Read more