その夜、朝霞邸の奥座敷に、静かな緊張が漂っていた。 部屋の中央には、朱色の敷物が敷かれ、その上に白い蝋燭が九本立てられている。妖の古い作法に則った契約解除の儀式の準備が整えられていた。 華と篝が両脇に控え、理玖と鈴凪が向かい合って正座している。理玖の手には、契約の際に作成された契約書が握られていた。 「鈴凪」 理玖は厳粛な表情で口を開いた。 「我々の契約結婚を、正式に解除する儀式を行う」 私の胸に、複雑な感情が渦巻いた。理解はしている。契約という形で結ばれた関係では、真の夫婦にはなれない。それでも、この瞬間が来ることに、言いようのない不安を感じていた。 契約の解除によって、理玖の気持ちが変わってしまうのではないか……そんな思いも過る。 「……よろしくお願いいたします」 私は静かに答えた。 「でも、私は……」 「まずは儀式を済ませよう」 私が気持ちを伝えようとするのを遮って、理玖は優しく微笑んだ。 「その後で、鈴凪の気持ちを聞かせてほしい」 理玖は蝋燭の炎を見つめながら、古い妖の言葉で唱え始めた。 「天に誓いし契りの糸、今ここに解き放たん。束縛なき自由の身として、それぞれの道を歩まん」 契約書が炎の中に投げ込まれる。紙が燃え上がると、部屋全体に薄い光が満ちた。その瞬間、私が髪に挿していた柘植の櫛が、パキリと音を立てて真っ二つに割れた。 「契約は解除された」 理玖は立ち上がり、私に手を差し伸べた。
Last Updated : 2025-09-02 Read more