All Chapters of 狐の記憶に触れるたび、私はあなたに恋をした: Chapter 61 - Chapter 70

77 Chapters

第61話 朧月会の動き

 椿京の中心部、表向きは商館として知られる建物の地下深くに、朧月会の本部が存在していた。厚い石壁に囲まれた秘密会議室では、数名の上層部が円卓を囲んで座っている。室内を照らすのは、妖を寄せ付けない特殊な術式が施された燭台のみ。その薄暗い光の中で、慎吾は緊張した面持ちで報告を続けていた。 「昨夜、時雨鈴凪の妖力が覚醒しました。その規模は……これまでに記録されたどの妖力をも上回るものでした」  朧月会の幹部である武森の言葉に、会議室内がざわめく。上席に座る高師小夜は、表情を変えることなく武森を見つめていた。 「具体的な状況を説明せよ」 「はい。朧月会の隠れ家から、強大な霊的エネルギーが放出されました。その影響で、椿京一帯の結界に亀裂が生じています」  武森は懐から術式で記録された報告書を取り出し、小夜の前に置いた。小夜はそれに目を通しながら、冷静に分析を続ける。 「エネルギーの性質は?」 「浄化の力です。ですが、その強さは尋常ではありません。恐らく……」  武森は一瞬言葉を詰まらせる。この先の言葉を口にすることの重大さを理解していたからだ。 「恐らく何だ」 「『鈴の娘』の再来である可能性が高いと思われます」  会議室が静寂に包まれた。『鈴の娘』――それは朧月会の古い記録に残る、伝説的な巫女の名前だった。数百年前に現れ、数多の妖を浄化したとされる存在。その力はあまりにも強大で、人と妖のバランスを根底から覆しかねないとして、朧月会は密かにその行方を追い続けていた。 「時雨鈴凪は『鈴の娘』の血筋か」  小夜の問いに、武森は頷く。 「時雨家の
last updateLast Updated : 2025-08-28
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第62話 契りの真実

 理玖と鈴凪は、朝霞家の主座の間で向かい合って座っていた。障子から差し込む午後の陽光が、畳の上に格子状の影を落としている。鈴凪は正座したまま、膝の上で手を組んでいたが、その指先は微かに震えていた。 理玖は長い沈黙の後、意を決したように口を開いた。 「鈴凪、あなたに話しておかねばならないことがある」 「はい」  鈴凪の返事は小さかったが、真剣な目で理玖を見つめていた。理玖は視線を一度逸らし、部屋の奥にある床の間の掛け軸を見つめた。そこには朝霞家の家紋が美しく描かれている。 「あなたとの結婚は、確かに政治的な必要性から始まった。朝霞家と時雨家、双方にとって利益のある縁組として」  理玖の言葉に、鈴凪の表情が僅かに曇る。最初から伝えていたことではあったが、改めて言葉にされると胸が痛むのか。 「でも、それだけではなかった」  理玖は鈴凪の方を向き直る。 「鈴凪の曾祖母、ちよが遺した言葉がきっかけだった」 「はい。わかっています」  鈴凪は理玖の言葉に小さく頷いた。このことも、最初から伝えていたからか、鈴凪は表情を変えることなく答えた。 「ちよは特別な人だった。霊感が強く、未来を見通す力を持っていた」  理玖の目は遠くを見つめた。六十年以上も前の記憶を辿って、理玖の回想が始まる。 まだ若かったちよは、朝霞家の屋敷を訪れていた。当時のちよは既に朝霞邸を辞めていたが、その瞳には深い知恵の光が宿っていた。 『朝霞様には、過去に辛いことがあったのは承知しています』 『……その話はしないでくれ』  俯く
last updateLast Updated : 2025-08-28
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第63話 九尾の封印

 夜が深まり、朝霞家の屋敷は静寂に包まれていた。中庭に面した廊下を、理玖が一人で歩いている。月は雲に隠れ、庭は深い闇に沈んでいた。彼の足音だけが、静かな夜気に響く。 中庭の中央で理玖は足を止めた。ここで九尾の力を封印する儀式を行うつもりだった。人間の姿に九つの尾の力を押し込める─それは九尾の狐にとって、自らを弱体化させる危険な術だった。 理玖は着物の帯を解き、上半身を露わにする。月光に照らされた彼の背中には、九つの狐火を象った刺青が浮かび上がっていた。それは彼の真の力の象徴でもある。 「これで……朧月会と対等に話し合えるだろう」  理玖は小さく呟きながら、儀式の準備を始めた。地面に複雑な術式を描き、その中央に座る。九つの尾を束ね、人間の器に収める儀式。一歩間違えば、命を失いかねない危険な術だった。 「一人で行くおつもりですか」  突然の声に、理玖は振り返る。廊下の向こうから、白い寝間着姿の鈴凪が現れた。その表情には、深い心配の色が浮かんでいる。 「鈴凪……なぜここに?」 「理玖様の気配を感じました。とても……悲しい気配でした」  鈴凪は裸足のまま庭に降り、理玖の傍らに歩み寄る。露に濡れた草が、彼女の足元を冷やしていた。 「朧月会は鈴凪を狙っている。私が出向いて交渉すれば――」 「――私も一緒に行きます」  鈴凪の即答に、理玖は眉をひそめた。 「危険すぎる。私一人でも狙われているのに、鈴凪までわざわざ向こうの懐に飛び込むことはない」 「でも、私のことで理玖様が危険を冒すなんて」  鈴凪の瞳に涙が滲む。自分のせいで
last updateLast Updated : 2025-08-29
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第64話 嵐の前

 朝霞邸の空気は、まるで嵐の前の静寂のように張り詰めていた。薄明の光が障子を通して差し込む中、理玖は庭に面した縁側に座り、自分の両手を見つめていた。 昨夜の戦いで封印した影響は思った以上に深刻だった。九尾の力の大半が眠りについており、今の自分では本来の三分の一程度の力しか使えない。それでも――いや、だからこそ、急がなければならなかった。 「理玖様」  振り返ると、鈴凪が湯呑みを手に立っていた。その瞳には、昨夜から変わらぬ決意の光が宿っている。 「お茶をお持ちしました。少しでも力の回復に」 「ありがとう」  理玖は湯呑みを受け取りながら、鈴凪の手に触れた。彼女の手は微かに震えていたが、それは恐怖からではない。自分の中に宿る力への戸惑いと、これから向かう戦いへの覚悟が入り混じった震えだった。 「鈴凪」 「はい」 「鈴凪には朝霞邸で待っていてもらいたい。やはり、どう考えても危険すぎる」 「いいえ。私も一緒に行きます」  鈴凪の声は、いつになく強く響いた。理玖が驚いて顔を上げると、彼女はまっすぐに理玖の瞳を見つめていた。 「理玖様。私たちは夫婦です。形だけの契約から始まったかもしれませんが、今は違います」  鈴凪は理玖の隣に座り、その手を両手で包み込んだ。 「私は自分の中にある力を感じています。それが何なのか、まだ完全には理解できていません。でも、一つだけ確かなことがあります」 「鈴凪……」 「あなたを一人で行かせるわけにはいきません。危険だからって、大切な人を一人で戦わせるなんて、私にはできません」
last updateLast Updated : 2025-08-29
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第65話 朧月会本拠地

 椿京の地下深く、人々が決して足を踏み入れることのない暗闇の中に、朧月会の本拠地は築かれていた。 地上から降りること百メートル以上。岩盤を削り取って作られた巨大な空洞に、要塞のような建造物が佇んでいた。その外壁には無数の封術札が貼られ、強力な結界が幾重にも張り巡らされている。  「すごい……こんな場所が椿京の地下にあったなんて」  私は息を呑んだ。私と理玖は、篝の案内で秘密の入り口から侵入していたが、目の前に広がる光景は想像を遥かに超えていた。 「人間たちも、ここまでやるか……」  理玖の声には、驚きと同時に複雑な感情が込められていた。これほどの施設を建設するには、相当な時間と資金、そして強い意志が必要だったはずだ。それは朧月会の本気度を物語っていた。 「理玖様、気配があります」  篝が警戒の声を上げた瞬間、前方の暗闇から人影が現れた。 「鈴凪さん……?」  その声に、私の体が硬直した。私たちの目の前に現れたのは、慎吾だった。 「慎吾さん……」  月明かりに照らされた慎吾の顔は、深い苦悩に満ちていた。彼は朧月会の制服を身にまとっているが、その表情は敵対者というより、苦しんでいる友人のそれだった。 「やはり来たか、朝霞理玖」  慎吾の視線が理玖に向けられた。そこには敵意ではなく、諦めにも似た感情が宿っていた。 「君まで連れてくるとは思わなかった……」  慎吾の視線が理玖から篝へと移り、最後に私を捉えた。
last updateLast Updated : 2025-08-30
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第66話 小夜の野望

 慎吾の案内で要塞の内部に入ると、理玖たちは朧月会の真の規模に息を呑んだ。廊下の両側には無数の部屋が並び、制服を着た構成員たちが忙しく行き交っている。しかし、その表情は一様に暗く、重苦しい空気が漂っていた。 「慎吾さん」  鈴凪が慎吾に小声で尋ねた。 「皆さん、なんだか苦しそうに見えるのですが……」  慎吾の足が一瞬止まった。 「……ここにいる全員が、今夜の作戦に賛成しているわけじゃない」  振り返った慎吾の表情には、深い苦悩が刻まれていた。 「朧月会は元々、妖による被害から人々を守るための組織だった。でも今は……」 「今は?」  理玖が促すと、慎吾は重いため息をついた。 「小夜会長が実権を握ってから、組織の性質が変わった。『妖との共存』を訴える穏健派は次々と左遷され、急進派だけが重要なポストに就いている」  一行は人目につかない裏通路を進んでいた。石造りの壁には湿気が染み付き、松明の炎が不気味に揺れている。 「僕たちが目指していたのは、こんな虐殺じゃない……」  慎吾の呟きは、廊下の壁に吸い込まれるように消えた。 「真壁、君のような考えを持つ者は、他にもいるのか?」 「ああ。半数近くは内心では反対している。でも皆、怖いんだ」 「怖い?」 「小夜会長の力を。そして、彼女の狂気を」  慎吾は立ち止まり、前方を指
last updateLast Updated : 2025-08-30
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第67話 理玖の限界と鈴凪の覚悟

 迦具土の炎が理玖を襲った。九尾の力で炎の壁を作り、なんとか防御するが、衝撃で理玖の体が壁に叩きつけられる。 「ぐっ……」  理玖の口から血が溢れた。封印の影響は想像以上に深刻で、本来なら余裕で防げるはずの攻撃すら満足に防げない。 「どうした、理玖よ」  迦具土は嘲るような笑みを浮かべながら近づいてきた。 「百五十年前の威勢はどこへ行った? まさか人間との交わりで、そこまで力が落ちたのか?」  理玖は立ち上がろうとしたが、膝が震えて思うように体が動かない。 「理玖様!」  鈴凪が駆け寄ろうとしたが、慎吾が彼女の腕を掴んで止めた。 「駄目だ! 君まで巻き込まれる!」 「離してください!」  鈴凪は慎吾の手を振り払った。その瞬間、彼女の体から金色の光が溢れ出し、慎吾は驚いて手を離した。 「鈴凪さん……君のその力は……」  慎吾と鈴凪の動きを他所に、迦具土は理玖の前に立ち、その姿を見下ろしていた。 「情けないものだな。昔のお前なら、こんな小細工など通用しなかったものを」  炎の鞭が理玖の頬を打った。深い切り傷ができ、血が流れる。 「百五十年前、おまえは妖の誇りを捨てて人間の女に走った」  もう一度、炎の鞭が理玖の肩を打つ。 「そして今度は、別の人間の女に魂を売った」 「黙れ…&helli
last updateLast Updated : 2025-08-31
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第68話 命をかけた守護

 迦具土の炎が、これまでとは比較にならない規模で噴き上がった。要塞の残された部分も完全に溶け落ち、地下空洞全体が火の海と化す。 「見せてやろう、これが神に等しい妖の真の力だ」  迦具土の全身が炎に包まれ、その姿はもはや人の形を留めていなかった。巨大な火の巨人となった迦具土の前に、理玖たち三人は蟻のように小さく見えた。 「この炎で全て焼き尽くし、世界を正しい姿に戻してやる」  炎の波が三人を襲う。鈴凪が金色の結界を張るが、迦具土の本気の炎の前では長く持たない。 「くっ……」  鈴凪の顔に汗が浮かんだ。力はあっても、まだ完全に制御できていない。 「鈴凪、無理をするな」  理玖が前に出ようとしたが、体がふらついた。迦具土との戦いで負った傷が深く、九尾の力も限界に近い。 「理玖様、下がっていてください」 「しかし……」 「お願いします。私を信じてください」  鈴凪の瞳には、迷いがなかった。けれど、理玖にはわかっていた。今の鈴凪の力でも、迦具土には及ばない。このままでは――。 その時、小夜が横から封式断刃を振るった。 「邪魔だ、小娘」  狂気に駆られた小夜の攻撃が、鈴凪の結界の隙を突く。 「鈴凪!」  理玖が咄嗟に鈴凪を庇った。封式断刃が理玖の背中を深く切り裂き、封式断刃が鈴凪の鈴に触れた瞬間、鈴が砕け散った。 「理玖様!」  鈴凪の絶叫が響いた。理玖は血を
last updateLast Updated : 2025-08-31
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第69話 静寂の朝霞邸

 夜明けの光が朝霞邸の中庭を薄紅色に染めていく。 私は縁側に腰を下ろし、今も変わらない不思議な光景を眺めていた。中庭では桜と梅、そして椿が同時に咲き誇っている。季節を無視したかのような花々の競演は、あの激しい戦いの後に訪れた静寂の美しさを象徴しているかのようだった。 「こんなことって、あるのですね」  独り言のように呟いた声は、朝の空気に溶けて消えていく。三日前の記憶が、まだ夢のように感じられる。迦具土烈火との最後の戦い。理玖の九尾の力がすべて解放された瞬間。そして――。 鈴凪の手の中で、銀の鈴が小さく震えた。 かつて曾祖母ちよから受け継いだ鈴は、あの日、砕けて消えてしまった。 今は理玖から贈られた銀の鈴が、私の心と完全に同調している。激しい戦いの最中には鋭く警告を鳴らしていたが、今は温かな音色で静かに響いている。まるで、やっと平和が訪れたことを喜んでいるかのように。 「理玖様……」  小さく名前を呼んで、私は主座の間の方角を振り返った。あの戦いで封印が解け、九尾の力を解放した理玖は、三日間深い眠りについている。華は「お力が全て解放されたので、お体がそれに慣れるまで、時間が必要なのです」と説明してくれたが、私の心配は尽きない。 自分の中に眠っていた百合の記憶が、今では鮮明によみがえっている。あの時代の理玖の孤独も、絶望も、すべてを理解できるようになった。そして同時に、自分が百合の生まれ変わりなだけではなく、百合の想いを受け継いだ「鈴凪」なのだということも。 「私は百合でもあるけれど……鈴凪として生きる」  庭の花々に向かって、はっきりと言葉にした。百合の記憶は確かに私の一部だけれど、それでも私は鈴凪だ。慎吾へのかつての想いも、理玖への恐れも、そして今感じている愛も、すべて私としての感情なのだ。 銀の鈴がもう一度、優しく鳴った。 
last updateLast Updated : 2025-09-01
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第70話 九つの尾を持つ理玖

 四日目の明け方、朝霞邸の主座の間に差し込む朝日が、静寂を破るように輝いていた。 私は理玖の枕元で、浅い眠りから目を覚ました。看病のために徹夜を続けた疲労が体に重くのしかかっているが、それでも私は理玖の側を離れるつもりはなかった。 「理玖様……」  私は理玖の額に手を当てた。熱は下がっている。迦具土との戦いで消耗した体力も、ようやく回復の兆しを見せていた。 その時、理玖の瞼がゆっくりと開いた。 「鈴凪……?」  かすれた声で理玖が私の名を呼ぶ。私の胸に、安堵が広がった。 「お気づきになられましたか」  私は慌てて水の入った茶碗を取り、理玖の唇を潤した。 「ありがとう」  理玖は体を起こそうとして、ふと自分の背後に気づく。そこには、金色に輝く九つの狐の尾が、まるで生きているように静かに揺らめいていた。 「これは……」  理玖は自分の手を見つめている。以前よりも透明感があり、指先に薄い光が宿っているのが分かる。これまで封印されていた力と記憶が完全に解放されたのだという。 「理玖様、お体の具合はいかがですか」  黙ったままの理玖に私が声を掛けると、理玖は我に返ったように視線を上げた。 「ああ、大丈夫だ。むしろ、長い間忘れていた感覚が戻ってきた」  理玖は私の顔をじっと見つめた。その表情は、以前とは明らかに違っていた。かつてのような孤独感や諦めは消え、代わりに深い安らぎと温かさが宿っている。 「鈴凪、ずっと付いていてくれたのか? すまな
last updateLast Updated : 2025-09-01
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