All Chapters of そろそろ別れてくれ〜恋焦がれるエリート社長の三年間〜: Chapter 141 - Chapter 150

397 Chapters

第141話

だが――玲が言葉を発するより早く、秀一の手が彼女の手をしっかりと包み込んだ。周りに見つめられる中で、秀一は淡々と告げる。「確かに、俺はあの部屋が消えてしまえばいいと、ずっと思っていた。できることなら跡形もなく。母を藤原家に縛り付けて、裏切った夫の幸せな姿を毎日見せ続けるなんて……それを思うと、胸が締め付けられる」俊彦の顔色が、生気を失ったように白くなる。「秀一……私は、そんなつもりじゃ……」「誤魔化しても無駄だ、あなたの考えくらい、俺にはよくわかってる」秀一は切り捨てるように遮った。その声は低く、氷の刃のようだ。「それだけじゃない。ここ十数年間、あなたは何をやってきたかもよく知っている。占い師だの霊媒だのを呼び、母の部屋さえそのままに残せば、彼女の魂もここに留まると信じてるようだが……そんなの、あなたの独りよがりにすぎないのだ。母は、あなたのそばにいるくらいなら死を選んだ。なら、この牢獄に縛られ続けるはずがないだろ?」一番大切にしている部屋だとか、紀子に残ってもらうために、自ら掃除や修繕をしていたとか、すべては俊彦の自己満足にすぎないのだ。秀一は冷笑する。「遅すぎる愛情は、なんの役にも立たない。母が成仏していくのを邪魔しないでくれ」俊彦の目が充血し、次の瞬間、視界が揺れ、意識が遠のきかける。よろめき後ろへ倒れそうになったところを、親戚たちが慌てて支えなければ、本当に床へ崩れていた。囲まれた俊彦は、頭を垂れ、肩は小さく震えていた。こめかみに増えた白髪がやけに目立つ。だが――秀一の反撃はそこでは終わらない。鋭い視線が、部屋の隅で小さく縮こまっていた長岡へと向く。「今日の騒ぎは、お前が火を点けたな。だが、お前も黒幕の指示に従っただけだろう。利用されるということは、弱みを握られ、逆らえなかったということだ。だからこれ以上困らせるつもりはない。荷物をまとめて首都を出ろ。それから――藤原家で働いている使用人は、全員解雇だ」長岡は、その場に尻もちをついた。言い訳の余地すら与えられなかった。美穂は血の気が引いていく。彼女は確かに長岡の弱みを握っていた。それを切り札に使おうと思っていたが、まさか秀一に逃げ道を完全に塞がれたとは。「な、なにそれ……使用人を全員解雇?秀一さん、そんなことしたら、誰が家事をするの?こんな広
Read more

第142話

「そして、今日をもって、藤原家と高瀬家のすべての共同プロジェクトは、全面的に中止だ」秀一の声は、冷たい刃のように空気を裂き、場にいた全員の背筋を凍らせた。弘樹の顔色は一瞬で青ざめ、思わず一歩前に出る。「藤原さん、正気ですか?こんなことで私怨を晴らすつもりなんですか?」藤原家と高瀬家の共同プロジェクトは、両家にとって莫大な利益と将来性が見込まれていた。綾が担当として名ばかりに関わってはいたが、実際に計画を推し進めてきたのは弘樹。進捗は順調で、あと少しで結果が出るはずだった。それなのに――秀一は、たった一言ですべてを無に返した。両家が被った損失はもちろん、弘樹がこれまでに注いできた努力のすべても、あっけなく否定されたのだ。このプロジェクトのために、弘樹は何度も胃を痛めてきた。玲を守るためとはいえ、秀一のそのやり方は、あまりに冷酷すぎはしないか?弘樹は拳を握りしめる。「藤原さん、今日は玲のことで怒っているのはわかります。でも、あなたは藤原グループの社長です。公私混同はどうかと思いますが」「お前の考えなど知らん」秀一は淡々と、しかし一字一句を突きつけるように言った。「俺の大切な人が傷つけられた。その代償を払わせるのに、綺麗事を語る必要があるか?公私混同だろうと、倍返しどころか十倍返しでも俺はやる」弘樹は言葉を失い、綾は唇をわななかせた――えこひいきなのに、これほど堂々とやり抜く人間は初めて見たのだ。綾は今日こそ玲を叩き潰すつもりだった。だが現実は、自分も美穂も、婚約者の弘樹も、次々と反撃を受けていく。特に弘樹が言い負かされるのが悔しく、彼女は焦って口を開いた。「秀一!あんたは確かに藤原グループの社長だけど、プロジェクトのことは、あんたの一存で決められるはずがないわ!会長のお父さんだって――」「言い忘れてたが、綾、お前はもう病院に戻らなくていい。今日から藤原グループ傘下の全病院に指示を出す。お前の診察も手術も、あらゆる治療を全面的に拒否してもらう」綾の言葉をあっさりと遮り、秀一は俊彦に視線を向け、低く言い放つ。「今年、俺がこの家に足を踏み入れたのは、たった二度きりだった。どちらも玲のために――そして、どちらも玲を傷つける結果で終わった。だから、あなたが家のことを片付ける前に、俺はもう玲を連れて帰らない。母へのお線
Read more

第143話

藤原家は首都の頂点。秀一もグループを掌握し、誰も逆らえない力を持っている。――ただ。長年、高瀬家で過ごしてきた玲にはわかっていた。高瀬家もやられっぱなしで終わる甘い相手じゃない。弘樹は見た目こそ柔らかく紳士的だが、商戦では容赦のない男だ。だから、自分のせいで秀一に損失が出るなんて――玲には耐えられなかった。だが、玲は震える声で問いかけても、秀一はすぐには答えない。ただ無言でハンドルを切り、藤原家から一直線に車を走らせ、人気のない細道へと入っていく。やがて車が止まり、玲が戸惑いかけた瞬間、秀一は突然、ハンドルから両手を離し、その腕で玲を強く抱きしめた。熱い掌が、迷いなく玲の腰を引き寄せる。抱きしめるというより、自分の一部として体に取り込もうとする強さで。玲は息を呑んだ。秀一に抱きしめられるのは初めてではないが、それでも今回は、胸の奥がぐらりと揺れて、目の前が少し霞むほどだった。反射的に押し返そうと手を伸ばしかけた時。耳元に落ちた声は、驚くほど低く、震えるように鋭かった。「……玲。どうやって、母の部屋から逃げた?」当時の状況を秀一は見ていなかった。だが、美穂たちの態度から察すれば、玲は確かに紀子の部屋に拘束されていたのはわかる。本来なら、部屋が開いた時、玲は中にいるはずだった。なのに、姿を現したのは隣の洗面所。つまり、玲は、秀一には考えたくないくらい危ないことをしてしまったということだ。秀一に聞かれた以上、玲は嘘をつく気はなかった。小さく息を吸い、大人しく答える。「紀子さんの部屋のベランダから外へ出て、壁の石の出っ張りを伝って、隣の洗面所まで……」あのとき、玲は確かに閉じ込められていた。階下の人々が階段を上がってくるまでのわずかな時間を利用して、ベランダから逃げたのだ。機転を利かせたその行動で、美穂たちの計画を見事潰したのだった。だが秀一のこめかみがひどく脈打っている。「そんな高いところを……もし落ちて、頭を打ってたらどうするつもりだった?」「……危ないのはわかってます。高いところは苦手ですし、石の上を移動する時は足が震えて……すごく怖かった」ベランダを乗り出したときの怖さ、体の横を吹き抜ける冷たい風を思い出すと、玲は足を震わせた。それでも彼女は平気を装いながら言った。「でも、部屋に捕まっていたら、きっと彼女た
Read more

第144話

秀一は、幼い頃から穏やかな家庭とは無縁だった。家族を失い、ずっと孤独の中で生きてきた。ようやく人生が、自分にも優しさを向けてくれた――そう思った矢先に、そのささやかな幸せをまた奪われるとしたら、彼は、どうなるのだろう。その言葉を聞いていた玲の澄んだ瞳には、普段見せない秀一の弱さが映り込んでいた。もう軽く冗談で流すことなんてできない。玲は唇を結び、慎重に答える。「怒らせてしまってすみません……これからは秀一さんを困らせるようなことは絶対しません。約束します」秀一は短く息を止めた。しばし沈黙が落ち、それから低い声が落ちてくる。「……君の行動が俺を困らせたから、俺が怒ったと思ってるのか?」「はい。だって……秀一さんは優しいから、誰かが傷ついたら、絶対つらいでしょう?」協力し合うパートナーになった以上、相手のためを思うのは当然――玲は、それを当たり前のように信じていた。自分があのベランダで、秀一のことを思って取った行動のように。秀一は黙り込む。――自分の思いは結局、届かなかったわけだ。彼はしばらく玲を見つめ、深くため息を吐いた。「もういい。危ないことは二度としないでくれ。それで俺も困ることはない」「はい……!」玲は慌ててうなずき、それから恐る恐る尋ねた。「秀一さん……私が紀子さんに入ってしまったのは事実ですし……本当に気にしてないんですか?」「さっき父の前で言ったこと、全部本音だ。それに、あれはただの部屋だ。もう母はそこにはいない」だから秀一は、藤原家に戻っても、一度たりともその部屋に足を踏み入れなかった。俊彦が、供え物をし、祈り続け、魂を引きとめようとする一方で、秀一は願っていた。――母が、もう苦しまずに済むように。早く成仏するようにと。そして、母が最後まで気にかけていた息子である彼は、もう自分の幸福をこの手で掴めている。思考がそこまで辿り着いたところで、秀一は玲の肩を強く抱き寄せた。彼女の細い身体を胸元に閉じ込め、さらに頬を玲の首筋へ深く埋める。ざわついていた心が、ようやく静まっていく。けれど、そこまで密着されると玲の方が限界だった。秀一の唇が首元をかすめるような感覚に、心臓が喉元まで跳ね上がる。幸い、秀一には仕事がある。彼が出て行けば、また前みたいに、ひとりで頭を冷やせるはず――そう思
Read more

第145話

「秀一さん……私が紀子さんの部屋のベランダから外に出たの、もしかして……辛い記憶を思い出させちゃいましたか?」玲は先ほど、ようやく気づいた。紀子が命を絶ったのは、あの美しいベランダからであり、自分も同じ場所から身を乗り出したのだ。無事だったからと言って、秀一の心を抉らなかったはずがない。秀一は、少しだけ目を伏せた。否定はしない。「母が命を絶った時、俺はそばにいなかった。だけど夜になると……まるで目の前で見たかのように、あの瞬間が蘇る」玲は胸が締め付けられた。「ごめんなさい、わざとじゃないんです。本当に……!傷つけるつもりなんて一ミリもなくて……これからは、たとえ美穂さんに何か仕掛けられても、絶対に危ない方法なんてとりません、ちゃんと穏便に済ませます」言いながら、玲は不安で声が震えた。罪悪感でいっぱいになり、顔を近づける。「だから、今日のこと……罰っていうのもなんですが、デコピンでもしてください」子どもの頃、悪いことをしたら大人にデコピンをされたりした。もちろん、秀一がそんな幼稚な真似をすると思っていたわけじゃない。必要なのは、きちんと反省しているという態度だった。――ところが。大人しく顔を近づけてくる彼女を見て、秀一は少し手を上げた。「え、ちょ、ちょっと待って……軽くですよね?ね?」玲は反射的にぎゅっと目を閉じる。秀一の力を考えれば、ただのデコピンだとしても、肌が赤くなるに決まっている。だが次の瞬間――痛みは来なかった。代わりに、秀一の大きな指が、玲の小指をそっと絡めとる。「もし、また誰かに狙われて、安全に対処できない時は――そのまま待ってろ。俺がそっちに行く」低く穏やかな声とともに、絡めた小指が優しく揺れる。「だから罰はいらない。謝りたいなら……俺と指切りしてくれ」指切りげんまん。約束は、百年変わらない。玲はぽかんと目を丸くする――デコピンをする幼稚さはないのに、指切りはするんだ。けれど、その言葉の中に紛れていた「俺がそっちに行く」が、胸の奥で小さく膨らんだ。自然と笑みがこぼれ、玲は秀一の小指を揺らしながら、指切りを結ぶ。だが、約束が終わっても、秀一は手を離さなかった。やがて玲は頬を熱くし、困ったように問いかける。「……秀一さん?まだ、手、繋いでますけど……」「問題ない。長く繋
Read more

第146話

「旦那様、外に……高瀬弘樹さんという方が、今すぐお目にかかりたいと……!」バタバタと駆け込んできた恵子の声で、熱を帯びていた空気が一瞬で凍りついた。玲も現実に引き戻され、そっと秀一の手を離し、小さく息を吐く。さっき、秀一が問いかけた、あの最後の一言。もう少しで、玲が頷いてしまうところだった。けれど、恵子の乱入で救われた。一方、秀一の顔は暗くなっていった。恵子と、すでに空になった自分の手を交互に見下ろす。しばらくの沈黙の末、深い息を吐いた。「玲……俺に、高瀬に会ってほしいか?」弘樹は恵子に「秀一に会いたい」と言ったのだろう。だが、秀一はわかっている。このタイミングでここまで追ってくる理由なんて、一つしかない。玲に会うためだ。けど、玲はそう思っていないらしい。「弘樹さんは、藤原家と高瀬家のプロジェクトが中止された件で、交渉に来ただけだと思います。会うかどうかは秀一さんが決めてください。もし家に上がることになったら、私は二階のアトリエに行きますし」「……君は、彼に会う気はないようだな」秀一は玲の表情をじっと観察し、彼女の言葉は本心だと確信すると、顔つきが少しだけ柔らぐ。「なら、俺もここで会う必要はない。仕事の話なら会社でアポを取れと言えばいい。自宅で外部の人間は相手にしない」「賛成です。出直してもらうほうが、スッキリします」玲は微笑みながら同調した。弘樹を閉め出す――その行動に、玲は密かに爽快さすら覚えていた。弘樹が偽の証言をし、自分を裏切ったことを思えば、これ以上の仕返しはなかった。恵子は「かしこまりました」と頷くと、また駆け足で戻っていった。伝言を告げ、しっかり「お帰りください」まで言うのだろう。そして、リビングの中は再び二人きりになり、静かになった。秀一は、柔らかく笑う玲の横顔を、ずっと見つめていた。可愛らしくて、無自覚に人を惹きつけるその表情。知らず知らずに距離を詰めるように、秀一が近づいた。喉が上下し、低く響く声が落ちる。「玲。さっきの返事、まだ聞いていない」玲は肩を震わせた。まさか、また話を戻されるなんて。でも、さっきとは違う。冷静になった今の玲は、はっきりとわかっている――秀一が自分のことが好きだなんて、そんなはずがないと。だから、無理やり笑ってごまかした。「え、えっと……どんな質問でしたっ
Read more

第147話

玲が沈黙し、美穂のことを心の中で責め立てているうちに、秀一は再び視線を逸らした。……結局、秀一の問いかけがハプニングのように終わり、しばらくすると恵子がまた小走りで戻ってきた。また客が来たのだ。今回は雨音と友也だった。もっとも、この二人は約束して来たわけではなく、家の前で偶然顔を合わせてしまったらしい。だが並んで玄関をくぐった彼らの間には、太平洋以上の距離が空いているようだった。互いに一瞥すらしない。知らない誰かが見たら、夫婦どころか敵同士にすら見えただろう。だが、そんな二人のピリピリした空気に、秀一も玲も、もう驚きはしない。「雨音ちゃん、お庭にすごくきれいなブランコがあるの。ちょっと一緒に見に行かない?」玲は立ち上がり、雨音の手を取った。リビングに友也と秀一を残し、庭へと彼女を連れ出す。雨音も、友也と同じ空間にいたくないようで、素直に従った。けれど、せっかく目の前に素敵なブランコがあっても、雨音の心は弾まない。彼女は玲の全身を、上から下まで真剣に確認するように見つめた。「玲ちゃん、本当に大丈夫なの?今日、藤原家で何か大きな騒ぎがあったって聞いて……でも何があったのかは全然情報が出てなくて、心配になって来たんだよ」たぶん、友也も同じ理由でここへ来たのだろう。悲しいことに、夫婦としてはうまくいかない二人なのに、友達のこととなると、行動だけはいつも一致する。玲はそんな雨音にふっと微笑み、彼女を宥めた。「私は平気。確かに、ちょっと仕掛けられたけど……結局相手のほうが自爆したみたい。私は一切傷なし」「……ほんと?それならよかった!」雨音は大きく息を吐き、肩の力を抜いたかと思えば、少し悪戯っぽく笑う。「でも、考えてみれば当然だよね。藤原さんがそばにいるんだもの。あんな下心を持つ連中に手を出せるわけないじゃない?」「……」確かにそうだが、今、玲が一番触れてほしくないのは、秀一の話だった。胸の奥がまた暴れ出す。玲はそっと胸元を押さえ、頬を染めたまま慌てて話題を変える。「そ、そんなことより……雨音ちゃん、この間、退院したあと友也さんとちゃんと話すって言ってたよね?それ、結局どうなったの?」雨音の表情から、笑みがゆっくり消える。頬が赤くなるわけじゃなく、色そのものが落ちていくように、淡く沈んだ。「話したよ……
Read more

第148話

友也は、雨音に淡々と告げた。「雨音、こころが海外にいる間、生活環境が悪くて、性格も変わってしまったらしい。彼女、この二年俺が何度も会いに来ていたとか、俺たちはちゃんと別れてないとか言ってるけど……そんなの、全部嘘だ。二年前にきちんと別れてから、一度も会っていなかった。今回連れて帰ったのは――偶然、海外でバッタリ会ったからだ。彼女の体が弱いから、放っておけなかった。こころが、お前を傷つけたことはわかってる、お前が怒ってることも。あのあと、ちゃんと叱ったし、できれば……許してやってほしい。俺には、彼女を見捨てることができないんだ。昔、兄が事故で下半身不随になった時、俺たちは政略結婚した。俺の両親は彼女と彼女の家族を半ば強引に海外へ追いやった。言葉も通じない土地で、彼女の両親は事故に巻き込まれ、帰国もできないまま亡くなった。……俺は、こころに償わなきゃいけない。せめて、心臓の病気だけでも治してやりたい。そうしなきゃ……一生、罪悪感に押し潰される」確かに、政略結婚の件に関しては、雨音にも責任があった。だから、もし雨音に人としての良心があれば、こころのことをこれ以上責めるべきではないと、友也はそう仄めかしたのだった。雨音は呆れた。五時間待って、待って、待ち続けて――返ってきた答えは、これだとは。彼女は力なく笑い、口を開いた。「そこまで責任感があるなら……彼女の病気を直すだけではなく、私と離婚して、彼女を妻として一生面倒を見るべきじゃないの?」友也の顔色はみるみる悪くなる。だが、苦々しい表情のまま、首を横に振った。「俺とこころは終わった。もう一緒になることはない」そして乾いた声で付け加える。「それに、水沢家と遠野家は、婚姻関係があってこそ互いに利益を生む。両家がこれからも安定するために――離婚はできない。お互いの両親のためにも、離婚できないんだ」その瞬間、雨音は悟った。自分が傷ついたのは、友也が丁寧にこころの世話をしていたからではなかった。もっとずっと深いところ――最初から、彼は自分を愛しておらず、二人の婚姻は、利益の上で成り立っていた。それが、胸を引き裂いたのだ。当時自分は政略結婚を選んだのは、婚姻を通して友也と少しずつ仲良くなっていけると思ったからだ。だが、今の友也の言葉で、自分の美しい願いが引き裂かれ、二人の可能
Read more

第149話

それに──恋愛では、年上のほうが寛容的で、相手を無条件に受け止めないといけないという決まりはどこにもない。一度話し合えば十分。雨音は、もう二度も三度も同じことを言うつもりはなかった。玲も、追い続ける側のしんどさは誰よりわかっている。だから小さくうなずき、雨音に合わせるように言った。「うん。なら無理に説明しなくていいと思う。でも今回の話し合いは、ちゃんと意味があったよ。少なくとも友也さんは、山口さんとはもう別れてるから、彼女が二人の邪魔になることは絶対にない。そうなると──離婚を急ぐ必要も、なくなったわけだし」「そうだね。友也と山口さんは、よりを戻す心配がないだけでも……離婚はひとまず急がなくてもいいよね」雨音はブランコに腰かけたまま、心ここにあらずな声で呟き、そのまま玲のほうへ苦笑まじりに顔を向けた。「玲ちゃん、こんなときにこそ、本当にあなたが羨ましい。あなたと藤原さんは、もう好きとか嫌いとかで悩む必要がないんだもの」「っ……それは……そうでもないかも……」玲は、雨音の羨望にかすかに肩を強ばらせて、視線を泳がせた。「雨音ちゃん……あなただけには言うけど……私、多分、秀一さんのこと……ちょっと気になってるかも……でも、ありえないよね?ついこの間、失敗した恋をようやく終わらせたばかりだし、自分の夢だけ見て、しばらく人を好きにならないって……そう思ってたのに。なのに、どうしてよりにもよって、いちばん好きになっちゃいけない相手が好きになっちゃうなんて」今の自分は、昔弘樹が好きになったときの自分より、もっと盲目かもしれないと思った。雨音は泣き言を言っていた顔を一瞬で切り替え、玲の肩をがしっと掴んだ──自分の推しカップルが、リアルで本当に成立しかけているなんて。「玲ちゃん、何言ってるの?そんなの、最高じゃない!」興奮気味の声で言うと、玲をブランコに引き寄せ、一緒に揺れた。「藤原さんは今、あなたの旦那さんなんだよ?好きになることのどこがいけないの?むしろ、当たり前の自然現象みたいなもんじゃない!それに、失恋直後だからって新しい恋をしちゃいけないなんて誰が決めたの?しかも藤原さんは弘樹くんと違う。あなたを束縛しない、自立も夢も応援してくれる。彼と一緒なら、計画を変えなくても、玲はもっと輝けるよ!」そして何より──あの弘
Read more

第150話

夜はさらに濃く深く落ちていった。静けさばかりが増していくはずの時間なのに──リビングの空気だけは、まるで真逆だった。友也は玄関を入るなり、珍しい見世物でも見つけたかのように目を丸くし、秀一の周りをぐるぐる回って観察しはじめる。「秀一、俺さ、藤原家でなんか大事件あったって聞いて、心配して来たんだよ?でも、秀一の実力なら、藤原家でやられるなんてまずないよな?なのに、どうしたのその顔?なんかめちゃくちゃ苦しそうだけど。……え?まさか本当に藤原家の連中にやられた?」余計な一言が止まる気配はない。秀一の異常さに気づくと、雨音と揉めながら入ってきたことなんて、すっかり棚に上げて。何せ、彼と雨音のトラブルは日常茶飯事で、秀一が藤原家の人間にやられ、これほど落ち込むことは滅多にないのだ。今は友人のことを優先すべきに決まってる!秀一はそんな友也を一瞥もしない。長年の付き合いで、今の友也の声には半分くらい「面白がってる」成分が混じっているのがわかる。だが、胸の奥に引っかかりがあることも事実で、薄く息を吐き、言葉を落とした。「……さっき、もう少しで玲に気持ちを伝えられた。けれど肝心なところで話題が遮られて……そのあと改めて切り出そうとしたら、玲が話をそらしたんだ」秀一の表情には、解釈しきれない複雑な色が浮かぶ。玲が照れて避けたのか、それとも拒絶なのか──答えがわからない。それが彼を苦しめた。だが、その話を聞いた友也は別の意味で絶句した。「待って待って。結婚してからまだそんなに経ってないんだろ?この前まで『少しずつ距離を縮めていく』って言ってたじゃん?いつのまに高速道路乗ったんだよ?」秀一はちらりと目を上げ、静かに返す。「……君の結婚みたいに、冷たくて荒れ果てたものにしたくないだけだ」友也の声がうるさく、秀一は淡々と言い返した。「……」友也はその場で見事に沈黙した。惚気されたあげく、正面から平手打ちをくらったような屈辱を覚える。悔しくなり、彼は唇を尖らせて言い返す。「少なくとも、俺と雨音は契約結婚なんかじゃない。三年経ったからって終わる関係じゃないんだぞ」秀一は茶を注ぎながら、淡々と切り返す。「本気でそう思ってるのか?君たちが結婚してもうすぐ三年だ。雨音さんが、これ以上付き合ってくれると思う?」友也の喉が詰まり、顔
Read more
PREV
1
...
1314151617
...
40
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status