All Chapters of そろそろ別れてくれ〜恋焦がれるエリート社長の三年間〜: Chapter 151 - Chapter 160

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第151話

友也は心の中で思った。雨音が好きなのは他の男。なら、今さら自分を好きになるはずがない。そもそも、本当に誠実な女性なら、同時に何人も好きになるなんてあり得ない。彼は相変わらずのんきな口調で言う。「それに、俺たちは秀一とは違う。秀一は玲さんのことが好きだから、彼女が自分のことをどう思ってるか気になるだろうけど、俺は雨音が好きじゃない。だったら、彼女が俺のことをどう思っていようと、どうだっていいじゃないか」どうせ雨音は自分のことが嫌いだとしても、妻として自分のそばにいなきゃいけないと、友也は思った。秀一はわずかに唇を動かし、気の抜けた表情の友也をちらと見た。「確かにその通りだ。君と雨音さんは、俺と玲とは違う。俺は玲が好きだ。だから、彼女が苦しんでいるのを見ると、たとえ自分がどれだけ大変でも心が痛むし、できる限り支えたいと思う。俺は玲が好きだから、彼女が弘樹に裏切られたと知ったとき、嫉妬で気が狂いそうでも、あの二人の婚約を壊して、彼女が幸せになれる道を作ってやりたいと思った。でも、君は雨音さんのことが好きじゃない。だから、彼女の気持ちを無視できるし、今まで通り冷たくあしらうこともできる。さらには、山口さんに借りを返すことを言い訳に彼女に近づきつつ、雨音さんを繋ぎ止め、時には山口さんと一緒になって彼女を傷つける。『大人なんだから、我慢しろ』とでも言いながらな」そこで秀一はふっと言葉を切り、意味深に友也を見た。「そう考えてみると、君はあの弘樹にすごく似てるな。となると、そうかからないうちに、雨音さんは限界になるんだろう。玲がそうだったように、完全に見切りをつけて、君よりずっと優秀な男を選ぶ」――雨音のそばにも、もしかしたら、ずっと彼女を想いながらチャンスを待っている男がいるかもしれない。リビングの空気は凍りついた。そこにいる誰かが、すでに息を止めた屍のようになっている。秀一の隣に座っている友也の顔は完全にこわばり、わずかに引きずる。「秀一……そんなひどい言い方しなくてもよくないか……?それに、今の話、途中から夫婦の惚気が混ざってない?」秀一は茶を一口飲んで、淡々と答えた。「混ざってない。全部惚気だ」「……」友也は言葉を失った。――ここまで堂々と言われると逆に反論できない。秀一は湯呑みを置き、表情を引き締めた。「とに
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第152話

「秀一、言いたいことはわかるよ」友也は、秀一の忠告を静かに聞き、今度はちゃんと姿勢を正して答えた。「実は、こころを連れて帰国する前に、彼女と彼女の両親のことは調べてあるんだ。こころの両親は、海外で強盗に遭い、彼女を庇って刺されて亡くなった。これは紛れもない事実だ。それから、こころが海外で俺に会ったのも、偶然ってわけじゃない。俺が海外出張に行くことを事前に知っていて、それでウチの現地オフィスの前で張ってたらしい。ただ、それも、もう海外にいられなくなって、両親の遺骨を連れて帰りたいから、俺に頼っただけだ」そう言う友也の口調は、わずかに庇うようでもあった。多少の小細工はあっても、悪意あるものじゃないと彼は思っている。それに、昨日こころを転院させた後、彼はきちんと説教もした。彼女は泣きながら数時間は謝り、もう二度と玲や秀一に迷惑をかけないと約束した。それを聞き、秀一はしばらく沈黙し、それから低く言った。「……君の言葉が本当に届いていればいいがな。俺は、弘樹みたいになった君に、雨音さんが心底から失望し、他の男が好きになってしまうような結末になってほしくないんだ」「秀一、頼むからそいつの名前を出さないでくれ……何なら、惚気ててくれたほうがマシだ……!」これ以上聞きたくないと言わんばかりに、友也は両耳を塞いだ。頭もガンガンする。特に――「他の男が好きになってしまう」という一言を聞いたとき、胸の奥に燃え上がった苛立ちは、座っていられないほどだった。とうとう彼は立ち上がり、勢いよく言う。「秀一、この前、玲さんに告白するって言ってただろ?俺もスピードアップしたほうがいいと思ってる。もし何か困ってることがあったら、俺が力になるよ」「いいだろう」秀一は珍しくすんなり頷いた。しかも真面目に返事した。「それじゃひとつ聞きたい。性行為についてどれほど詳しい?ぜひ学ばせてほしい」夫婦の営みできちんと玲に満足してもらわないと、次の一歩が踏み出せないと思い、秀一はそう問いかけたのだ。だが友也にとって、それはあまりにも衝撃的な質問だった。スピードアップしたほうがいいとは言ったものの、いきなり高速道路に乗せられるとは思わなかったのだ。友也の目がまんまるになる。「……は?秀一、他に協力してほしいことはないの?たとえば藤原家のことを調べるとか?俺の勘だと
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第153話

「……一つだけ頼みがある」友也は、もじもじと視線をそらし、やっと口を開いた。「今後、こころを藤原グループの病院には連れていかない。でも、秀一のところには国内外の一流の医者がいるだろ?何人か、貸してくれないか?」首都でも限られた人間しか知らない事実だ。数年前の一件をきっかけに、秀一は藤原グループ内で医療事業を拡大しただけでなく、国内外の名医を集め、特殊な治療チームを作った。植物状態の患者を覚醒させることすら挑んだことのあるチームだ。こころの心臓の病気だって治療できるんじゃないか――友也はそう思っていた。だが、秀一は目にわずかな陰を落とし、迷いもなく答えた。「断る。山口さんは玲を傷つけた。俺が彼女を助けたら、玲に悪く思われる。俺は、君みたいにその辺を曖昧にしたくない」「え?ちょ、秀一……!」言い返したかったが、秀一の表情で完全に見込めないと悟り、飲み込んだ。そのとき、庭のほうから玲が戻ってきた。どうやら雨音は先に帰ったようだ。友也は即座に「じゃあまた」と言い残し、そのまま庭へ駆け出す。そして、少し離れた道をひとりで歩いていく雨音の姿を見つけた。「そっちの話も終わった?帰るタイミングまで一緒なんて、今日はとことんついてないね……」息を整えながら、雨音の可愛らしい横顔を見て、わざと不満げに声を掛ける。雨音は、もう友也の突っかかりには慣れきっていた。今さら言い返す気力もなく、淡々と答える。「嫌なら戻って藤原さんと話してくれば?」「もう出てきたのに戻れるかよ。それに秀一だって忙しいんだ、俺の話に付き合うほど暇じゃない」友也はふてくされたように言い、続けて探りを入れる。「でさ、お前と玲さん、庭でだいぶ話してたよな?俺の悪口、たっぷり言ってただろ?」ネットでよく見かける話だが、女同士が集まったら、まず旦那の悪口大会だ、と。秀一は言う――好きな人には、無意識で優しくしたくなる。だから友也は、雨音の反応で確認したくなったのだ。雨音は、顔を向けることもせず答えた。「うん、たっぷり言ったよ」「……」友也は固まった。やっぱり秀一の話は当てにならない。雨音は自分のことなんて、好きなわけがないのだ。そして、なぜか突然、負けず嫌いのスイッチが入った。「それは奇遇だな。俺も秀一と二人で話してる間、ずーっとお前の悪口言って
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第154話

友也は、軽く腕を引いただけのつもりだった。まさか、それで雨音を自分の胸元に倒れ込ませ、もう片方の手で胸をわし掴みにしてしまうなんて、夢にも思わなかった。雨音は、なおさら想定外だった。胸を掴まれたことより――ものすごく痛い。柔らかな場所を、加減を知らない男の大きな手で思い切り押し潰された感覚は、まるで綿菓子が石に叩きつけられたようで、瞬時につぶれて、全身に走る言いようのない激痛が、ぼんやりしていた頭まで真っ白に染めた。「友也!」雨音が悲鳴のような声を上げ、身をかがめて胸元を押さえた。震える声には怒りと痛みがにじむ。「……あなた、わざとでしょ!最低っ!」「ち、違う!本当に違う!今のは完全に事故だって!」友也は両手を上げて慌てて弁解した。確かにいつも雨音とは口喧嘩ばかりだが、さすがにこんなやり方で女を弄ぶほど、下劣でも野蛮でもない。なにより――女子の手すら握ったことのない彼が、いきなりそこに触りたいはずがない。「ごめん!本当に悪かった!まさか女の子って、あそこぶつけると男のあれと同じくらい痛いなんて知らなかったんだ!」友也は顔を真っ赤にし、オロオロと雨音の青ざめた表情を見つめながら固まる。「その、俺……何かできることある?冷やすとか、押さえるとか……なあ?」「まだ何かしようとしてるの?」雨音の睨みは、まるで刺さるようだった。「違う!ただ力になりたくて――」「そんなのいらない!」「でも俺のせいでこうなったんだから、責任取らせろよ!」「だからいらないって言ってるでしょ!耳が飾りなの?」とうとう友也の表情に、子どものような意地が滲む。今日という今日は、おかしなことばかりだ。秀一にも断られ、雨音にまで「助けはいらない」と突き放されるなんて。名目上とはいえ、夫なのに、そこまで信用がないのか。胸の奥に、負けん気にも似た感情が燃え上がる。「いいや、今日は絶対に助けてやる!胸が痛いんだろ?揉めば楽になるって!」勢いのまま、友也は半ば突発的に手を伸ばし――また、彼女の胸をつかんだ。その瞬間、世界が止まった。掌に戻ってきた、柔らかい感触。そこでようやく、友也の脳も再起動した。「ち、違う違う違う!これは本当に……反射で……!いや、だからその、助けたいだけだって……!」しどろもどろになりながら、なんと、自
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第155話

その後、半月ほどが過ぎても、雨音と友也のことは、玲の耳に届くことはなかった。だがその代わり、弘樹と綾の話が、首都の上流社交界で静かに広まっていった。あの日、玲と秀一の新居まで来たが、門前払いを食らった弘樹はその後、洋太を通してアポイントを取ったかどうかは定かではない。けれど、藤原家と高瀬家の共同プロジェクトは、間違いなく白紙になってしまった。連日、藤原家の株価は落ち続け、わずか数日で数十億が吹き飛んだ。そして、この打撃は、綾にも波紋を落とした。あれほど恋人に寄り添うことで有名だった弘樹が、初めて、綾のそばに張り付かなくなったのだ。それに加え、綾が藤原家の病院に戻る道は完全に閉ざされ、やむなく別の病院へ転院することになった。その手続きのときですら、弘樹は現れなかった。代わりに綾は自腹で、時給数千円くらいの付き添い介護スタッフを雇い、荷物を抱えて移る羽目になったと噂されている。そして――その腹いせのように、綾の怒りは日々増幅し、新しい病院のスタッフや患者を相手に何度もヒステリーを起こし、とうとう、かつて彼女の取り巻きだった名家の令嬢たちでさえ「とばっちりを食う前に距離を置こう」と訪問を控えるようになった。だが、今回ばかりは、誰が綾の味方になることもなかった。というのも――藤原家の使用人が全員解雇されてから、美穂は毎日、家で掃除や洗濯、そして料理に追われ、優雅なティーパーティーどころか、社交界に顔を出す暇もない。そして、俊彦もほとんど家に寄り付かなくなったらしい。その一方で、雪乃が、静かに「次の社交界中心候補」として名前がささやかれ始めている。とはいえ、まだ「候補」でしかない。理由はたった一つ。玲が、雪乃を母として認めていない。そして、結婚してから今日まで、一度も秀一を連れて実家へ顔を出していないのだ。それが、社交界にとってはあまりに大きな違和感だった。だからこの日――雪乃は、自ら玲の新居を突き止め、リビングで涙ぐみながら、娘と向き合っていた。「玲、そろそろお母さんを許してくれない?秀一さんを連れて帰って、一緒に食事しましょう?」玲は、黙って自分の分の茶を淹れ、口をつけた。「……食事はただの口実で、本当は高瀬家のためでしょ?」その一言で、雪乃の表情が固まった。涙は引っ込み、視線が揺れる。図星だったのだ。彼女は、決
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第156話

高瀬家がどれだけ嫌な相手だとしても、秀一にとって最良のパートナーであることは、玲も十分わかっていた。だが、そっと湯のみを置くと、玲は静かに雪乃を見て言い切った。「その話、断るわ。もし食事会を開きたいなら、ご自由にどうぞ。ただし、私と秀一さんを巻き込まないで」秀一は、かつて玲のために高瀬家との契約を白紙に戻した。大勢に反対されながらも、彼女を守るために迷わずそうしたのだ。なのに、自分が勝手に「秀一さんのため」と都合よく理由をつけて、高瀬家を許すなんて――それは彼の想いを踏みにじるのと同じ。それこそ、裏切りだ。玲は立ち上がり、恵子に向かって告げる。「恵子さん、お客さんをお見送りして。今後、勝手に押しかけて来ても、扉を開けなくて大丈夫です。私はこれから、二階で作品の続きを作らなきゃいけないので」「待って!玲、私は何度も頭を下げてるのに、無視する気なの?」雪乃も勢いよく立ち上がり、目をむいて叫んだ。「それに、今なんて言った?二階で作品を?秀一さんがあんたの泥まみれの趣味を嫌がらないどころか、家にアトリエまで作ってあげたってこと?あんたのその彫刻、出世にも繋がらないし、一円にもならないのに、秀一さんは何考えてるの?」昔から雪乃は、娘が彫刻を学ぶことに猛反対だった。なにより高瀬家の男たちは神経質なくらい潔癖だ。毎日掃除でクタクタの雪乃が、家の中を汚す趣味を許すはずもない。玲は何も言い返さなかった。恵子は腕まくりをし、迷いなく雪乃をずるずると外へ引きずっていく。悲鳴が玄関に響く中、玲は穏やかな足取りで階段を上り、アトリエの前に立った。ここへ来るのは、もう何度目になるだろう。それでも扉を開けるたび、胸の奥から感嘆が湧きあがる。秀一は、ただ弘樹とは違うというだけじゃない。世の中の誰とも違うのだ。彼が用意したアトリエは、まるで明るいギャラリーのように広く、窓の向こうは静かな庭が広がっている。国内外の粘土や道具も一式揃い、見ているだけで目が回りそうなほどだ。「玲が好きな種類がわからないから、全部置いておいた。片っ端から試してみるといい」と秀一が言っていた。そして、ただひとつだけ条件があった――食事を抜かないこと。「作品に没頭すると、君は必ず食べるのを忘れる。お腹がすいても、作業を中断したらもったいないと言って動かなくなる。だ
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第157話

雨音は、まるで契約書に判を押させるような真剣さで脅してくる。玲は思わず笑い、柔らかい声で答えた。「心配しなくても、展示の独占権も、発表の独占も、全部雨音ちゃんにあげるよ、これまでと同じようにね。作品が完成したら、一番に連絡するから」「それなら安心!でもね、玲ちゃんに連絡される前に、私はもう駆けつけてると思う。なんせ、これからもっと全力で働き込むつもりだから!」玲は驚いて目を瞬かせる。「……ってことは、この前みたいに、毎週ご両親のところへ顔を出すの、もうやめるの?」この二年間、雨音はどれだけ忙しくても、水沢家に必ず時間をつくっていた。料理を作ったり、旅行に連れて行ったり――自分の両親以上に義父母を大切にしてきた。だが、今の雨音は違う目をしていた。「これまで友也とはずっとうまくいかなかったけど、お義父さんお義母さんが本当によくしてくれた。でも……友也と山口さんを強引に別れさせたのもあの二人だった。それが原因で友也がずっと私にきつく当たってきたのに、二人は私に一言の説明もなかった。私がどんなに悩んで、自分自身を信じられなくなってもね。そんな人たちに、前みたいに尽くすなんて無理。結局、世の中に嫁に優しい義父母なんていないんだよ。いたとしても、全部取り繕うための嘘!」その言い切り方は、今までの雨音とはまるで違うほど強かった。これからは、誰の顔色も伺わない。水沢家にも尽くさない。自分の人生を、自分のために使うんだと、雨音は覚悟を決め、無意識のうちに胸元を押さえた。すると、あの日の友也に襲われたことを思い出し、奥歯をきしませる。玲はその件まで知らなかったが、雨音の言葉に雪乃のことを思い出し、小さくうなずいた。「……そうね。相手が年上でも、何考えてるのかわからない人には付き合う必要なんてないわ」「ん?玲ちゃん、その言い方……まさか、お母さんまた来たの?」雨音は鋭かった。「でもお母さん、水沢家の義父母とは違うでしょ?玲ちゃんが無視したって、絶対に裏からでも目的を達成してくるタイプ。気をつけなきゃね」雨音がそう忠告すると、玲ははっとして表情を引き締める。……結局その忠告は、数日後には現実となった。藤原家から連絡が入り、雪乃が俊彦に会いに行ったらしい。玲が藤原家の親戚に挨拶を済ませたのなら、秀一が高瀬家に顔を出さ
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第158話

「私は怒らないさ」茂は軽く手を振り、ロイヤルホテルの座席表を確認しながら、珍しく穏やかな笑みを浮かべた。「秀一くんは若いのに頭が切れて、実力もある。多少クセがあったって当たり前だ。それに、もし彼が玲を庇うために私に楯突くなら――むしろ立派じゃないか。そんな男を、私は喜んで認めるよ」そう言うと、ふと思い出したように顔を上げた。「ところで、前に取っておいた高麗人参と茶葉はどこだ?玲が結婚したあと、秀一くんに会うのは初めてだ。手土産は万全に、しかも一流のものを用意しないと。田中、保管庫の中で贈り物に使えそうなものを全部出しておきなさい」「承知しました」田中はすぐに動き出し、保管庫を開け、家政婦たちに指示を出す。その光景を見ていた雪乃は、しばらく言葉も出ず口を開けたまま固まる。「あなた、玲の結婚に、そんなに気を配ってくれて……しかもここまで念入りに準備してくれるなんて……本当に秀一さんのことが気に入ってるんですね……?」それは、雪乃にとって衝撃に近かった。長く寄り添っていた妻として、雪乃は茂に愛されていると確信しているが、茂は、「好き」という感情を表に出すような男ではないことも知っている。実の息子である弘樹にさえ、こんなふうに嬉しそうな顔は滅多に見せない。茂は静かに答えた。「秀一くんが好きなのは――彼が玲の夫でもあるからだ。玲だって、君のたった一人の娘だろう?」「ええ、その通りです……こんなにいろいろやってくれたのは、やっぱり、私のため……なんですね?」雪乃の頬が一気に赤くなる。嬉しさが隠しきれず、声が弾んだ。「あなた……やっぱり私はあなたの奥さんでよかった……私、今まで頑張ってきて本当によかったです……!」茂は満足げにうなずき、雪乃の手を撫でた。「今回の食事会のために、わざわざ藤原家に行ってくれたことも感謝してる。ありがとうな」そのひと言に、雪乃はますます気合を入れる――明日は、夫を支える妻として、絶対に結果を出す。秀一を味方につけ、高瀬家との取引を元通りにするのだ。茂から褒められたこの瞬間を裏切るわけにはいかない。ふと、雪乃は思い出したように口を開いた。「あなた。明日の食事会、弘樹さんと綾さんは来るんですか?」最近、綾は療養を終え、退院したばかりらしい。弘樹とはまだ結婚前だが、いずれ妻になる人だ。本
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第159話

雪乃が俊彦に直接プレッシャーをかけ、秀一に働きかけた──その事実を知ってから、玲はずっと胸が痛んでいた。けれど、当の秀一はどこ吹く風だ。「前から、君のお母さんにちゃんと挨拶してみたいと思ってた」そう言って、秀一は玲の頭をやさしく撫でる。「前回の記者会見は時間が足りなかったしな。明日はロイヤルホテルだから、話す時間もある。きちんと話してみるよ」「でも……うちの母、言い方が刺さるっていうか……まず間違いなく、高瀬家の話ばっかりしますよ?」そんな光景は目に見えるようだった。なんせ雪乃の目的は、先日新居に来たとき本人がはっきり口にしたばかりなのだ。だが秀一は、まるで気にも留めてない。「構わない。高瀬家の話をしたいなら聞く。ただし――俺が話すときも、ちゃんと聞いてもらうがな」玲は思わず沈黙した。……なにこの人。なんでこんなに器が大きいんだろう。「秀一さんって……ほんとに、優しいんですね」雪乃のあの強引さや、明らかに相手を陥れようとするような物言い。普通なら一度聞いただけで帰りたくなるのに、秀一は涼しい顔で受け止めようとしている。けれど――秀一が優しいからといって、玲まで大人しくしているつもりはない。雪乃がもし食事の席で、「年上」とか「義理の母親」とかの肩書きで秀一に無理を押しつけ、高瀬家の利益を取ろうとするなら──例の協議書をそのまま卓上に叩きつけて、全員の顔を真っ赤にしてやるつもりだ。最悪、テーブルひっくり返す覚悟もある。もうどうせ、「反抗的な娘」のレッテルは貼られている。だったら、とことん嫌われてやるまで。……ただし、テーブルをひっくり返す前に、まずはやることがある。秀一の「初対面の挨拶」に、見合うだけの大きな祝儀袋を、雪乃からしっかり引き出すこと。だって、自分が藤原家に行ったとき、山ほどご祝儀渡されたんだから。雪乃が「会いたい会いたい」と言うなら、それ相応の礼儀は払ってもらう。──タダで偉そうに「義理の母」を名乗れると思うなら、大間違いだ。玲は胸を張り、秀一を正面から見つめる。「秀一さん。私、あなたを守ります。絶対に、誰にも傷つけさせません」「そうか。それは心強い」秀一は静かに目元を細め、頭に置いた手がするりと下がり、玲のうなじへ触れる。彼は低い声で囁いた。「でも今は、俺の頼みを
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第160話

男が上着を脱ぐだけ──普通なら、それだけのことだ。だが、その「男」が秀一で、さらに玲が「スーツにネクタイ姿の男」にとことん弱いとなれば話は別だ。しかも、あの日、雨音と話をしてからというもの、秀一を見る視点がどこか変わってしまった。そのうえ本人も、まるで恋愛の教科書でも手に入れたのかと言いたくなるほど、急に磨かれてしまった。立ち居振る舞いも、距離の詰め方も、目線ひとつも。すべてが、前よりずっと色っぽい。──おかげで玲は毎日、理性を削られている。そして今、秀一がひとつ、またひとつとボタンを外す。露わになった胸筋、腹筋、そして背中のライン。視界が灼ける。鼻の奥がつんと熱くなり、玲は鼻血が出るような感覚に襲われた。苦しいが、視線を外せない。これを見逃すなんて、もったいなさすぎる。当の本人は、そんな玲の心中を知ってか知らずか、まったく平然とし、新しいスーツに袖を通した。長い指先が、黒いネクタイを持ち上げる。「玲。これ、結んでくれるか?」玲の瞳孔が拡張した。思考が追いつく前に、体が勝手に動く。気づけばネクタイを受け取り、秀一の正面に立っていた。無言のまま数秒が経つ。このままでは、自分がいかに「見るのを楽しんでいたか」がバレる。必死に体裁を整え、咳払い。「こ、このネクタイ、今のスーツだとちょっと色味が……合わないかもしれません」「大丈夫。たくさん準備した。一つずつ試そう」秀一は軽く身を屈め、玲の耳元へ低く落とすように囁いた。その熱が肌に触れ、玲の理性が再び蒸発した。玲の指先が震え、ネクタイを結ぼうとした瞬間──かすかに、指先が秀一の喉仏をかすった。「……っ」低い息が、秀一の喉から漏れる。それを聞いた途端、玲の理性が粉々に砕け散った。「わ、私……急にお腹すいたので……寝ます!秀一さん、ネクタイは自分で選んでください!」言ってることもバラバラだ。半分結びかけたネクタイを秀一に押し付け、そのままドアへ一直線。本当は言うつもりだった。「明日、弘樹は来ないから心配しなくていい」と。けれど、そんな余裕は跡形もなく吹っ飛んだ。バタァンとドアが閉まる。秀一は追わなかった。ただ、呆れもせず、むしろ静かにその小さくて、慌てた背中を見送った。そして手元に残されたネクタイを見つめ、ゆっくりと、布に口づけを
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