All Chapters of そろそろ別れてくれ〜恋焦がれるエリート社長の三年間〜: Chapter 471 - Chapter 480

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第471話

【玲、秀一の恋愛をかき乱した張本人?】【確証あり!玲が弘樹と綾の婚約を壊したのは事実!】【Rの素顔に疑問の声。発信する価値観と本人の言動は一致しているのか?作品にも盗作疑惑浮上】……ネット上ではわずか二時間足らずで、玲に関する話題が、これまでとは比べものにならない勢いで広がっていった。しかも目立つのは、否定的なものばかりだった。誹謗や憶測は次第にエスカレートし、玲個人への中傷にとどまらず、彼女の仕事やキャリアそのものを揺るがしかねない内容へと変わっていく。だから――雨音がこれを目にした瞬間、真っ先に動いたのも無理はなかった。友也から「今秀一と一緒にいる」と聞き出すと、彼女はほとんど反射的にその場へ駆けつけ、感情のままにスマホを秀一に投げつけた。雨音には、どうしてもそう思えてならなかったのだ――これは、秀一が招いた事態だと。秀一は今まで、佳苗のことをうまく隠していた。けれど、よりによって今、玲が正体を明かし、Rとしての評価も人気もようやく安定し始めたこの時期に、佳苗が表に出ることを許してしまい、騒ぎをここまで大きくした。玲の親友であり、仕事のパートナーでもある雨音にとって、そのやり方はどう考えても無神経――いや、悪意に近いものにしか見えなかった。正直、怒りで頭がどうにかなりそうだった。だから雨音は、玲へ電話することすらできなかった。もし今、玲が家で静かに過ごしていて、まだ何も知らないのなら、せめて、もう少しだけ時間を稼げるかもしれない。そう思ったからだ。だが――その願いは、すでに叶わないものだった。玲は、佳苗の存在も、ネットの騒ぎも知っていた。雨音の話を聞き、秀一は明らかに動揺し、その場の空気が一瞬で張りつめた。次の瞬間、彼の目に抑えきれない感情が渦を巻く。「玲は……ずっと俺を待ってたっていうのか?俺が、自分から全部話すのを……?」そして、声を低くして問い返す。「佳苗のことは、いつ知った?」「雪乃さんの秘密が明るみに出た日です」雨音は、秀一の反応に驚きながらも、視線を逸らさずに続けた。「あの日、雪乃さんはアート展で烏山さんと組んで、玲ちゃんを陥れようとしました。でも、烏山さんが直前で手を引いたみたいで、計画は失敗して、結果的に、雪乃さんが玲ちゃんのお父さんと殺したの件まで暴かれた。それ
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第472話

そのときになって、ようやく友也も異変に気づいた。画面に映る内容を目にした瞬間、彼は顔色を変え、苛立ちと動揺を隠せない声を上げる。「……そんなはずがない、あの女は病院にいるはずだ。なんで、こんなことに……」言い終わる前に、けたたましい着信音が室内に鳴り響いた。友也の部下が病院からかけた電話だ。通話を繋いで数秒もしないうちに、友也の怒声がその場に響き渡った。「ふざけんな!お前ら、何のためにそこにいるんだ?佳苗がいなくなってたなんて、今さら気づくとかあり得ねぇだろ!……俺、ちゃんと言ったよな?今日はレストランの対応で病院を離れるから、絶対に気を抜くなって、目を離すなって、何度も言ってたよな?どうして俺がいなくなった途端、トラブルが起きたんだ?……は?佳苗の両親がずっと誤魔化してた?ドアを閉め切って、リハビリ中のふりをしてた?――だから何だよ!本当にリハビリしてるかどうか、確認くらいしろよ!で、誰があいつを連れ出したんだ?どうやって見張りの目をすり抜けてあいつを連れ出したのか、今すぐ調べろ!何があっても突き止めろ!あの女を野放しにしてる時間が長くなればなるほど、事態は手に負えなくなるんだぞ!」電話の向こうは、完全に沈黙していた。それだけ、友也の怒りが尋常ではなかった。だが――よく聞けば、彼の声はどこか不安定で、震えていた。それも無理はない。今日の件について、友也自身にも大きな責任があった。もともと、佳苗の入院管理は秀一から任されていた。だがこのところ、友也自身の生活も混乱続きで、佳苗の件に十分気を配れていなかったのが事実だ。雪乃の一件が片付き、すべてが終わったと思っていた。佳苗がこれ以上何かを仕掛けてくることもない。まさか、こんなタイミングで手を組む相手を見つけ、しかも友也の目が届く病院から、堂々と抜け出すとは。通話を切ると、友也は明らかに焦った様子で秀一を見た。「秀一、本当にごめん……今回のことは、全部俺の落ち度だ。すぐに部下を総動員して、佳苗を見つけてみせる!」「黙っててくれ!」秀一は、友也のほうを一度も見なかった。彼の視線は、手元のスマホに落ちたままだ。ネットのニュースを見た時から、彼は玲へ電話をかけ続けた。だが何度かけても、繋がらない。これ以上、ここで待っているわけにはいかなかった。秀一は踵を返
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第473話

寝室には、玲の姿がなかった。秀一、雨音と友也はほとんど車を飛ばすようにして戻ってきた。本来なら三十分はかかる道のりを、半分ほどの時間で走り切ったのだ。だが、家に着き、階段を駆け上がり、扉を開けても――どこにも、玲はいない。「恵子さん……玲は?どこへ行ったって、何か言ってなかったか?」がらんとした部屋を見渡しながら、秀一が問いかける。室内は不自然なほど静まり返り、どこか冷えた空気すら漂っていた。しかし、後から上がってきた恵子のほうが、秀一よりも驚いた表情を浮かべた。「え?奥様は外出されたんですか?そ、そんなはずはないと思いますが……今日は一日、私は庭の手入れをしていて……奥様が外に出られるところも、階段を下りられるところも、一度も見ていません」つまり――恵子は、ずっと玲が家の中にいるものだと思っていたのだ。その一言が、まるで爆弾のようだった。特に、ついさっき佳苗を見失ったばかりの友也は、堪えきれず声を荒らげる。「秀一……玲さんは外出してないのにいないって、まずくないか?まさか、誰かが家に入り込んで連れ去ったとか?玲さんのボディーガードも、基本的に屋外待機だろ?中で何か起きても、物音がなければ気づけない可能性だってある。もし佳苗を病院から連れ出したの協力相手が動いてたら……今、玲さんは相当危ないんじゃ……!」しかも玲は今、妊娠をしている。危ないのは言うまでもない。雨音は今にも泣き出しそうな顔になった。「……玲ちゃん、前にも拉致されたことがあったし、どうして、こんなに次から次へと……玲ちゃんを狙う人間ばっかり出てくるの?」そして、感情が決壊したように秀一を睨みつける。「藤原さん、今すぐ玲ちゃんを探して!もし玲ちゃんやお腹の子に何かあったら……私は、一生許さないから!もう……男なんて、ろくなもんじゃない!私も玲ちゃんも、これからは男に近づかない方がいい!そうしないと、みんな不幸になるから……!」雨音は、ついに声を上げて泣き出した。だが、その怒りと悲しみの裏には、強い自責の念もあった。もし最初から、玲のもとへ向かっていれば。ネットの騒ぎを見た瞬間、真っ先に玲の家に駆けつけていれば――玲が危険な目にあわなかったかもしれない。秀一の表情もこわばっていく。まるで張りつめた弓の弦のように、今にも切れそうな
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第474話

先ほどは寝室だけを見て、焦るあまり大騒ぎし、玲が連れ去られたのではないかと早合点してしまった。今になって思えば、かなり冷静さを欠いた判断だったと言わざるを得ない。だが幸いなことに――玲は無事で、ただ別の部屋にいただけだったのだ。雨音は涙を止めきれないまま、急いで玲のそばにしゃがみ込む。「玲ちゃん……本当に心臓が止まるかと思ったよ。無事で本当によかった……」「心配させてごめん、私は大丈夫よ……」玲は少し間を置いてから、ようやく口を開いた。声はひどく掠れていたが、まだ元気が残っているように見える。「ただ考え事をしてて……ぼうっとしてたの。みんなが来てたことに気づいてなかった」「うんうん、大丈夫だよ。玲ちゃんが悪くないから謝らなくてもいい……」雨音は言葉を選びながら、そっと続ける。「それで……ネットのこと、もう見た?」佳苗の名前を出すのは、正直ためらわれる。だが、ここにいる全員が察していた。今の玲は、いつもとは違うと。感情を爆発させるわけでもなく、淡々と落ち着いていて、秀一に抱き寄せられることすら拒まなかった。――それが、かえって不安を煽る。玲がこうなっている理由など、一つしか考えられない。今日起きたことを、全部知ったのだ。秀一もそれを悟り、そっと腕をほどくと、今日の出来事を説明しようと口を開きかけた。だが、その前に――玲がスマホを取り出し、静かに操作する。「ネットのニュースならもう見たわ。それから、二時間前……烏山さん本人からも電話があった。『一度会って、ゆっくり話したい』って。行くって返事をしたけど……行くつもりはないわ」玲は、決して愚かではない。話し合いという名目で家の外へ誘い出す――その本当の目的はわからなくても、何か裏があるくらい、玲にはわかっていた。では、なぜ行くふりをしたのかというと……玲はスマホを友也の前に差し出す。「これ、烏山さんから送られてきた住所です。たぶん今も、ここにいると思います。行けば見つけると思いますよ」ここまでの大騒ぎになっているということは、おそらく佳苗は病院からこっそり逃げ出したのだろう。だったら、早めに見つけて連れ戻したほうがいい。友也は一瞬、言葉を失った。すぐにスマホを受け取り、部下へ連絡を入れる。だがその視線は、落ち着かず揺れていた。――わかってし
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第475話

玲の言葉が落ちた瞬間、空気そのものが凍りついたかのようだった。雨音も友也も完全に言葉を失い、ただ立ち尽くす。息をすることすら忘れてしまったように、誰も動けなかった。雨音は、玲がこれまでどれほど苦しみ、耐えてきたかを知っている。それでも、こんなにも静かに、迷いなく「離婚」という言葉が出てくるとは、想像していなかった。秀一の周囲の空気は、一気に重く沈み込む。それは玲を威圧しようとしたものではない。ただ、この瞬間、彼自身が感情を制御できなくなっていた。喉が焼けるように渇き、声は掠れ切っている。「玲……ネットに出ていることは全部嘘なんだ。俺に説明させてくれ……」「ううん、もう説明は必要ありません」玲は、静かに首を振って言葉を遮った。「烏山さんが言っていたことが、全部作り話だってことはわかります。あなたが彼女と恋人関係だったわけでもないし、大げさな約束を交わしていたわけでもありません。ましてや、私への恩を返すために、彼女を捨てて私と結婚した――そんな話じゃないことも、ちゃんとわかっています。あなたは前から言ってましたね。私が好きだから、時間をかけてそばに来たって。愛してるから、私が困った時や危険な目に遭った時、何度も迷わず手を差し伸べてくれたって。だから、烏山さんから電話があって、ひどい言葉で煽られても……正直、私は揺れなかった」玲は、ゆっくりと視線を上げ、秀一を見据える。「私を本当に動揺させたのは、あなたなんです」唇を引き結び、わずかに自嘲の笑みを浮かべた。「秀一さん、ここ最近、あなたは私にたくさんのことを隠していました。昨日も、その隠し事や嘘のせいで、私たちは大喧嘩しました。そして今日、烏山さんの件が起きて……私はようやく気づいたんです。あなたを待っているつもりでいた時間の中で、私はいつの間にか、十三年前の自分に戻っていたって。我慢すること、そして信じて待つことが、愛だと思っていました。けど、結局私がもらったのは――日々積み重なっていく隠し事と、嘘まみれの関係でした。だから、茂さんは平然と私の前で『君は何も知らない』なんて言えたし、烏山さんも、得意げに『彼はあなたに何も話していない』って笑えた。……こんな関係、あまりにも歪んでいます。私はもう、十三年前の過ちを繰り返さないって決めてたのに、気づいたら、また同じ道を
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第476話

しかし佳苗の前では、美穂は秀一への敵意をあらわにしなかった。それも当然だ。佳苗の秀一に対する感情は、もはや執着に近い。そして同じ女として、美穂にはわかっていた――佳苗が玲を敵視する本当の理由は、彼女を蹴落とし、自分が藤原グループの社長夫人の座に着きたいからだ。贅沢と名誉を手に入れ、一生楽に暮らす。佳苗の目に映っているのは、その未来だった。だからこそ、美穂は一歩引いた立ち回りを選んだ。表向きに語ったのは、「玲が綾を傷つけたから、母として仕返しをする」――それだけだ。けれど実際、彼女が狙っている相手は、最初から秀一だった。玲を潰すことは、秀一を最も早く、確実に叩き落とす手段でもある。今回に限って言えば、その思惑は見事に当たった。佳苗は、実に扱いやすい存在だった。美穂が何か仕掛けるまでもなく、自ら動画を撮り、ネットに投稿し、事態を一気に燃え上がらせたのだから。スマホ画面に表示される、うなぎ上りの注目度。それを見つめながら、佳苗の声は興奮で弾んでいく。「美穂さんが用意してくれた裏方チーム、本当にすごいですね。玲のファンとやり合っても、まったく引けを取らないし、むしろ私の味方が増えてきてます。今ごろ玲、ここに来る途中で、相当苛立ってるはずです」美穂は静かにコーヒーカップを置き、わずかに唇を緩めた。「まだまだ序盤よ。あの女が綾に味わわせた苦しみを思えば、これくらいで終わるはずがないでしょう」「ええ」佳苗は目を細め、乾いた笑みを浮かべる。「もうすぐ玲はこのカフェに来ます。今回は……無傷では帰せません」佳苗が玲に電話をかけ、穏やかな口調で誘い出したのは、すべてこの瞬間のためだった。自分と秀一との関係は完全に壊れている。秀一の好意を取り戻す余地もなく、このままでは地元へ戻されるだけ。ならば――せめて玲だけは、徹底的に引きずり下ろす。秀一が彼女を失えば、いつかまた自分を思い出してくれるかもしれない。佳苗は、そう信じて疑わなかった。そして美穂の考えも同じだった。彼女は身を乗り出し、低い声で切り出す。「最近わかったんだけど、玲、妊娠しているそうね。しかも、経過は順調だとか。あんたも、あの人が秀一さんの子どもを産んで、穏やかに暮らす姿を見たくないでしょう?」もっとも、それを誰よりも望んでいないのは、美穂自身だった。玲が宿している子は
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第477話

美穂は、玲が無事に子どもを産むことをどうしても許せなかった。だから今日こそ、佳苗を利用し、自分の目的を果たすつもりだ。案の定、美穂の言葉に煽られるようにして、佳苗は秀一と玲が仲むつまじく暮らし、しかも玲が妊娠までしていることを思い浮かべる。彼女の表情はみるみる歪んでいき、痩せこけた顔に、怒りと執念がさらに濃くなっていく。「美穂さん、安心してください。玲のせいで、私たち家族はひどい目に遭いました。なのに彼女は平気な顔で秀一さんとイチャイチャしてるし、子どもまで産もうとしてる……そんなの、絶対許しません!このあと彼女が部屋に入ってきたら、真っ先にお腹に体当たりして、流産させてやりますよ」その言葉を聞き、美穂は満足そうに目を細めた。「さすが佳苗さん、頼りにしてるわ。愛する人のためにここまで頑張れるなんて、すごく立派だね」そして、いかにも味方であるかのように、穏やかに続ける。「あんたが動きやすいよう、玲が来たら、私は一旦別の部屋に移動するわね。でも安心して、何かあれば、すぐに駆けつけるから、何も心配いらないわ」「ありがとうございます」佳苗は準備万端といった様子で、にっこりと笑った。そのときだった。窓の外に、一台の黒い車が止まった。それを見た瞬間、佳苗と美穂は同時に口元を緩めた――玲が来た。美穂はすぐにバッグを手に取り、部屋を出る支度をする。あとは佳苗と玲を二人きりにして、好きなだけぶつけ合わせればいい。邪魔が入らないよう、美穂は事前に多額の金を払って店内を貸し切っていた。今このカフェには、店員一人すらいない。計画は完璧――そう思いながら、部屋の扉を開けた、その瞬間。「え?ど、どういうこと……?美穂さん、様子がおかしいです!玲じゃない、来たのは秀一さんの部下たちです!」佳苗の悲鳴が響いた。彼女は慌てて窓の外を指差す。そこには、次々と車を降りてくる屈強な男たちの姿。玲など、どこにもない。佳苗は呆気に取られた。まさかネットの騒動のあと、玲は秀一と決裂したどころか、自分の居場所まで教えたのか?「……最悪だわ!」美穂は思わず悪態をついた。「どうしてあの二人、いつも肝心なところで予想を裏切ってくるのよ!」この状況で、自分と佳苗が一緒に捕まれば――ネットの一件が、美穂の差し金だと秀一に知られてしまう。そんなことになれば、秀一
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第478話

佳苗は秀一を執拗なほどに追いかけてきた女だ。彼女に狙われた以上、美穂だけが都合よく逃げ切れるはずがない。「そんなの知りません。とにかく、私も一緒に連れて行ってください!このまま秀一さんに捕まったら、次は病院どころじゃない。首都から追い出されて、即刻地元へ返されちゃいますよ。そんなの、絶対に嫌!連れて行ってくれないなら、あとで秀一さんに会えば、あなたのことまで全部話しますから!そしたら、今日逃げ切れても、いつか捕まっちゃいますよ!」佳苗は、決して綾のように事の経緯も整理できない女ではない。本気で噛みつくつもりなら、美穂が自分を病院からこっそり連れ出したことも、ネットで玲を叩くために組織的に動いたことも、さらにはあの顔出し告発動画を美穂自身が撮影したことも――一つ残らず、順序立てて語ることができる。佳苗に脅かされ、美穂の顔色は一気に青ざめた。そして、彼女ははっきりと理解する。秀一が、幼なじみで命の恩人でもある佳苗を受け入れなかった理由を。――この女は、うんざりするほど厄介なのだ。だが、今さら切り捨てることもできない。黒服の男たちが部屋を確認する足音が、確実に近づいてきている。美穂は歯を食いしばり、バッグを肩に掛け直すと、車椅子を押して裏口へ向かった。問題は、そこに至るまでに階段があることだ。慎重に、少しずつ車椅子を下ろそうとするが、佳苗の体は見た目以上に重い。美穂一人で支えきれるはずもなく――次の瞬間、二人と車椅子は、まとめて階段を転げ落ちた。二人が床に転び、さらに車椅子がのしかかる。美穂も佳苗も、その衝撃で気を失うかと思った。そのうえ最悪なことに、階上から再び黒服たちの声が聞こえてくる。どうやら階段の物音にも気づいたらしい。立ち止まる余裕などない。美穂は歯を食いしばり、半ば引きずるように佳苗を連れて外へ出ると、力がとうとう尽きてしまい、たまたま鍵が開いていたゴミ置き場へ滑り込んだ。次の瞬間、鼻を突く強烈な悪臭が、二人を包み込む。腐った生ゴミ、湿った紙くず、粘つく感触と、むせ返るような臭い。佳苗は、これまでどれほど落ちぶれても、ゴミの山に身を置いたことはなかった。耐えきれず、その場で嘔吐する。美穂も同様だった。幼い頃から何不自由なく育ってきた彼女にとって、この光景と臭気は拷問に等しい。佳苗の吐瀉物を見た瞬間、美
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第479話

「わ、私も……うっ……」美穂が吐き捨てた直後、佳苗もお腹を押さえ、えずきながら同調した。先ほどゴミ置き場に身を潜めていたとき、佳苗はカビの生えたリンゴに手をついてしまったらしい。その嫌な感触に、張り詰めていた神経もとうとう限界を迎えていた。感情の行き場を失った佳苗は、震える手でスマホを取り出し、必死に気を逸らそうとする。「……い、今から他のネタもネットに書き込んで、玲の悪評を増やしてやります。今なら、みんな私の味方だし……私が必死に訴えれば、きっと玲に追い討ちをかけられるはず!」「そう、その通りよ。私も一緒に拡散を――」美穂も同じようにスマホを開き、SNSを確認したが、突然、声をあげた。「……え?なに、これ……?」画面に映し出されたのは、彼女が想像していた光景とはまるで違うものだった。先ほどまで溢れていたはずの、玲への非難や中傷の声が、どこにも見当たらない。なぜなら――一時間ほど前、秀一が自ら動いたからだ。藤原グループの社長である秀一は、裏で煽動していた悪質アカウントや投稿を一斉に洗い出し、削除と同時に法的措置に踏み切った。トレンド入りしていた話題、誘導記事、炎上を狙った書き込み――玲に不利なものは、すべて秀一とそのチームによって消されていた。それだけではない。秀一は自筆の文章を公開し、自身と玲の関係について、はっきりとこう綴ったのだ。――玲とは互いに想い合い、信じ合っている。二人の関係に、第三者が割り込んだ事実は一切ない、と。さらに、佳苗がネットで語っていた「五年前、秀一をかばって交通事故に遭い、重傷を負った」という話についても、事実無根だと明確に否定した。秀一のチームは、五年前の駐車場の防犯カメラ映像を修復し、公開した。そこに映っていたのは――虚栄心から高級車を乗り回したいがために、佳苗が無断で秀一の車の鍵を持ち出し、勝手に運転していた姿だった。その結果、彼女は秀一の敵に秀一本人だと勘違いされ、狙われて事故に遭ったのだ。それでもなお、秀一は佳苗の軽率な行動を責めることはなかった。彼女の治療費を負担し、五年にわたる昏睡から目覚めるまで、責任をもって支え続けた。――だが。目を覚ました佳苗は、秀一に愛して欲しいと迫り、また、彼がすでに愛する人と結婚していると知ってから、何度も二人の間に割り込もうとした
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第480話

ネット上では、さまざまな声が飛び交っていた。佳苗の精神鑑定書が公表されると、多くの人々は一気に冷静さを取り戻した。もはや、彼女に肩入れして騒ぎ立てる者はほとんどいない。相手が精神的な問題を抱えているとわかっていながら、なお同調して暴れ回れば、今度は自分自身が同類だと見なされかねない――その程度のことは、誰の目にも明らかだった。もちろん、それでも例外は存在する。もともと疑り深く、逆張りを生きがいにしているような人間たちだ。【その精神鑑定、本当に本物なの?藤原秀一がでっち上げた可能性だってあるでしょ。金を積めば、精神科医に嘘の診断を書かせるくらい簡単じゃない?】いかにも事情通を気取った、穿った書き込みが、散発的に見受けられた。だが、そうした声が大きくなる前に、すぐさま手が打たれる。藤原家が運営する系列病院が動き、精神科医による佳苗の鑑定過程を記録した映像が公開されたのだ。画面の中の佳苗は、支離滅裂な受け答えを繰り返していた。話は前後で食い違い、質問にはかみ合わず、感情は不自然なほど激しく揺れ動く。途中、「秀一さん、私が一番愛してるの!」と突然叫び、泣き崩れる場面まで映し出されていた。専門知識のない者の目にも明らかだった。これは、どう見ても正常な精神状態ではない。こうして、佳苗の精神が著しく不安定であるという事実は、もはや動かしようのないものとなった。それでもなお言いがかりを続けた一部のアカウントは、次々と凍結され、表舞台から姿を消していく。かくして――昼間から燃え上がっていたこの一連の騒動は、夕暮れとともに、あっけないほど静かに幕を下ろした。そして、最後に秀一が投稿した言葉は、短いながらも、はっきりとした重みを帯びていた。【今日、私の妻に危害を加えようとした者。そして、その裏で手を貸した者。私は決して見逃さない。必ず、相応の代償を払ってもらう】その言葉を見た瞬間、美穂の手からスマホが落ちた。鼻をつく悪臭と疲労でふらついていた身体は、恐怖に突き動かされるように、小刻みに震え始める。美穂は歯を食いしばり、佳苗を睨みつけた。「あんた、精神鑑定を受けてたってこと……どうして私に言わなかったの?私を道連れにするつもりだったの?」実のところ、美穂は薄々気づいていた。佳苗の精神状態が、もはや常人の域を逸していることを。ただ―
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