All Chapters of そろそろ別れてくれ〜恋焦がれるエリート社長の三年間〜: Chapter 501 - Chapter 510

561 Chapters

第501話

俊彦は、険しい表情のまま部屋の入り口に立っていた。どうやら、かなり前からそこにいたらしい。先ほどまでの会話もすべて耳に入っていたのだろう。その目には、抑えきれないほど濃い殺意が宿っていた。綾の顔から、すっと血の気が引く。この瞬間、彼女は自分の結末を、はっきりと見たのだった。……一方その頃、美穂は、家で起きている異変など知る由もなかった。彼女は佳苗を波止場に送り、さらに記者を大勢集め、秀一と佳苗の写真を撮影するよう指示したあと、念入りに体を洗い、何事もなかったか顔で帰路についた。それでも、車内では終始スマホから目を離せなかった。秀一と佳苗が波止場で密着する写真がネットに流れる、その瞬間を心待ちにしていたからだ。しかし――十分、二十分……気づけば、もう一時間近くが経過している。自宅に着く寸前になっても、スマホにはなんの通知も届いてなかった。それどころか、手配した記者たちからも、一本の連絡すら入らない。美穂の脳裏に、いくつもの疑念が浮かぶ。秀一は、そもそも佳苗の元へ行かなかったのか。それとも波止場には行ったものの、何も起きず、マスコミに付け入る隙を与えなかったのか。どんな理由であれ、美穂は自分から佳苗や記者に連絡を取ることはしなかった。余計な動きをすれば、それ自体が証拠になり、俊彦の前に突きつけられかねないとわかっていたからだ。そうこうするうちに、車は藤原家の敷地へと滑り込んだ。美穂はさっと髪を整え、念のため自分の体に残る匂いを確かめる。鼻をくすぐる生臭さがないことを確認してからゆっくりと車を降りた――この家の女主人として、これまで通り、優雅に、堂々と。だが屋敷に足を踏み入れると、広々としたリビングには人影ひとつなかった。「……今日も、帰っていないのね」小さく呟いた直後、美穂は苛立ちを隠すことなく靴を脱ぎ捨てる。先ほどまで張り付いていた上品な仮面は剥がれ落ち、本性が露わになった。「まったく……紀子が亡くなってからというもの、あの人、ここを自分の家だなんて、一度も思ってないんじゃない?」世間では、美穂は親友だった紀子を押しのけて正妻の座を手に入れ、さらに子どもまで授かった「勝ち組」だと思われている。けれど、現実はまるで違った。二人はまさに仮面夫婦だった。俊彦は必要最低限の言葉しか交わさず、ひどいとき
Read more

第502話

美穂は、冷や汗を流しながらリビングの床に膝をついていた。傍らでは、綾が涙を流している。――あれほど周到に手を打ったはずなのに、結局娘に裏切られてしまった。俊彦に問い詰められる事態を想定して、美穂はあらかじめ、切り抜けるための言い分も、逃げ道も、いくつも用意していた。どんな追及を受けても話をすり替え、無難にやり過ごせる――そのはずだった。だが、彼女が家に戻るよりも早く、すべては終わっていた。綾が、事情を洗いざらい話してしまっていたのだ。美穂が佳苗と手を組み、玲を陥れようとしたこと。そしてその延長線上で、秀一を追い詰めようとしていたことも。今、美穂に残された選択肢は一つしかない――今回の件を、十三年前の出来事と結びつけさせないこと。秀一の誘拐、そして紀子の自殺。もしその二つに因果関係があると見なされれば、自分はもう、この家に居場所を失う。美穂の目に、じわりと涙がにじんだ。言葉を発するより早く、涙が頬を伝って落ちていく。「……あなた」震える声で、必死に言葉を絞り出す。「今回、佳苗と手を組んで秀一さんを陥れようとしたことは……確かに、やりすぎでした。でも、それも私と綾が生き残るためだったんです」首を振りながら、訴えるように続ける。「秀一さん、ここ数年ずっと言っていたじゃない。藤原家を継いだら、私と綾たちをこの家から追い出すって。母親として、自分の子どもを守ろうとすることが、そんなに間違ってますか?」さらに言葉を重ね、美穂は必死に否定する。「でも、誓って言います。佳苗と関わるまで、私は何も知りませんでした。烏山家が秀一さんに薬を飲ませて山に閉じ込めていたことも、黒幕と取引して、秀一さんが家に帰れないよう仕組んでいたことも……佳苗と手を組んだというだけで、秀一さんの誘拐や、紀子の死まで疑われるなんて――そんなの、あまりにも理不尽です。今日ここで、私と綾を殴り殺してでも……やっていないことを認めるわけにはいきません」濡れた瞳で、美穂は静かに俊彦を見つめる。「それに……私とあなたのことは、誰よりもあなた自身がわかっているはずでしょ?私は、紀子の親友として、ただ寄り添うつもりでこの家に来ただけ。あの日だって……あなたが酔って、私を書斎に引き込んでいなかったら、あんなことにはなりませんでした。結局私は、ただの被害者
Read more

第503話

当時の美穂は、実に聞き分けのいい態度を装っていた。自分から「もう避妊薬は飲みました」と告げ、俊彦に迷惑をかけるつもりは一切ない、という顔をしてみせたのだ。俊彦というと、精神的に余裕がなく、心底疲弊していた。本来なら確認を怠らないはずの彼も、そのときばかりは深く追及せず、美穂の言葉をそのまま受け入れてしまった。――それが、致命的な誤りだった。一か月後。美穂は、何食わぬ顔で妊娠検査の結果を携え、俊彦の前に現れた。しかも、あろうことか、その報告書は、重度の抑うつ状態にあった紀子の目にも、偶然という形で入ってしまった。その後に何が起きたかなど、言うまでもない。俊彦の瞳が、ゆっくりと沈んでいく。抑え込んでいた怒りと後悔が、冷気となって室内に満ちた。その気配を察し、美穂は一瞬で青ざめた。まさか、ここで再びその話を持ち出されるとは思っていなかったのだ。彼女は慌てて表情を整え、震える声で弁明を始める。「違うんです……あのとき、私がわざと嘘をついたわけじゃないんです。確かに……避妊薬は飲んでいませんでした。あの夜、私にとって本当に初めてで……薬を飲むのが怖かったんです。たった一度くらいなら、何も起きないだろうって……だから、あなたを安心させたくて、ああ言っただけ。まさか、その一度で子どもを授かるなんて、私自身も、思ってもみなかった……それに、本当は、検査結果を持ってあなたに会いにいくつもりもありませんでした。紀子に見られるなんて、なおさら……でも、お医者様に言われたんです。私の体質では、赤ちゃんを諦めたら、もう二度と母親になれないかもしれないって。そんなことを言われたら、誰だって迷うでしょ?だから、あなたと相談したくて、会いに行ったんです。それに、紀子はあなたの妻だったし、私が産んだ子が藤原家の子として生きていくなら、彼女の了承ももちろん必要で……だから思ったんです。私の子が生まれれば、秀一さんに代わって、少しでも彼女の心を支えられるんじゃないかって。けど、その願いが叶う前に――紀子は、自殺したなんて……」美穂はその場に崩れ落ち、床に手をついたまま嗚咽を漏らした。「お願い……信じて。ほんとうに、私には悪意なんてなかったの……!お願いだから、そんな大昔のことで私を捨てないで……あなたは、感情で人を裁くような人じゃなかったで
Read more

第504話

俊彦の中で、妻と呼べる存在は紀子ただ一人だ。だからこれまで、美穂が甘い声で「あなた」と呼びかけるたび、彼の胃の奥は嫌悪感でかき乱されていた。それでも俊彦は、その不快さを自分への罰だと思い込み、何も言わずに耐えてきたのだ。――だが、もう終わりだ。離婚を決めた今、俊彦は初めて、胸の奥に沈め続けてきた本音をすべて吐き出した。美穂は床に伏したまま、しばらく言葉を失っていた。まさかあの呼び方が、俊彦にとっては長年の苦痛だったなど、想像したことすらなかったのだ。やがて、俊彦の言葉の意味をようやく理解し、美穂の声は震え始める。「待って……俊彦さん、何を言っているんですか?離婚、ですって?私たち、もう何十年も一緒に過ごしてきたんですよ?子どもたちだってもう大人になっているのに……今さら私たちを藤原家から追い出すなんて……正気ですか?」「ああ、正気だ」俊彦は一歩も退かず、淡々と言い切った。「いや、違うな。私は二十年以上、正気じゃなかった……今になって、ようやく目が覚めただけだ」彼は静かに続ける。「美穂、お前はいつも自分が被害者だと言っている。紀子が亡くなってからというもの、私はあの頃の出来事と向き合うことから逃げてきた。追求すればすべてが壊れてしまいそうで、深く掘り下げる勇気がなかった。だが今日、秀一が――自分が誘拐された当時の詳細を洗い出し、私の前に突きつけた。そのとき、ようやく思ったんだ……もう、目を背けてはいけない、と。振り返れば、あの頃から不自然な点はいくらでもあった。すべてが、まるで巧妙に張り巡らされた網のようだった。絡め取られていたのは秀一だけじゃない。私自身も、その中にいた。そして――その網を編んだ人間の一人が、お前だと私は思っている」俊彦はゆっくりと美穂に近づき、初めて真正面からその顔を見据えた。「お前は、あの夜のことを私が酔っていて、紀子に不満を抱えていたから、勢いでお前を抱いたと言ったな。だが、はっきり言っておく。私は、紀子に腹を立てていたことはあっても、憎んだことなど一度もない。愛していた。狂おしいほどにな。そんな私が、腹いせに他の女を抱いて、彼女を辱めようと思うか?だから私は、お前が戻ってくる前に、あの夜のことを何度も思い返した。確かあの日、高瀬家との会食があって、弘樹くんに注がれた酒もを
Read more

第505話

一方、秀一たちの家では。藤原家で大きな騒動が起きていることを、玲も秀一も知ってはいた。だが、二人とも様子を見に行くつもりはない。玲は、もうすぐ秀一と離婚し、近いうちに藤原家とは無関係になるのだから、今さら騒ぎを見物しに行く理由はない。そして秀一はというと――玲が行かない以上、一人で行く選択肢など最初から存在しなかった。今の秀一にとって、何より大切なのは玲だ。それに、美穂と綾が家から追い出されるだけで、命を取られるわけでもない。本当に取り返しのつかない事態になったときに、顔を出せば十分だとさえ思っていた。しかし――雨音の野次馬根性だけは、まったく別物だった。「ちょっと待って。あの生意気な親子が、ついに家を追い出されるの?こんなおいしい展開、見逃すわけないでしょ!」雨音は目を輝かせ、勢いよく立ち上がる。「玲ちゃん、うちに引っ越してくるのは大歓迎だけど、ちょっとだけ待ってて!綾たちの修羅場、見てくる!戻ってきたら、全部まとめて報告するから!」そう言い残すと、彼女は嵐のようにリビングを飛び出していった。それを見て、友也もすぐに後を追う。雨音がいなくなった以上、ここに留まる理由はなかった。それに――友也は、雨音の「本当の狙い」にも気づいていた。玄関へ向かう途中、彼は声を落とし、秀一に囁く。「秀一、雨音には、俺から事情を話してある。お前が、わざと同じ過ちを何度も繰り返したわけじゃないってこともな。だからあいつ、最後にもう一回だけ、玲さんとちゃんと向き合う時間を作ってくれたんだ。このチャンス、絶対に無駄にするな。本当に限界じゃない限り、玲さんを家から出さない方がいい。一度距離ができたら、心は想像以上に簡単に離れる。それに……玲さんが一人になったら、弘樹みたいなの、絶対すぐ寄ってくるから。秀一、愛を守るのも、結婚生活を続けるのも、簡単じゃない。今までは俺が教わる側だったけど……今回は、離婚の危機を経験した『先輩』として言わせてくれ。手段なんて選ぶな。何があっても、玲さんを引き留めるんだ」――男なんて、多少ずるくていい。そんな含みを残し、友也は秀一の肩を軽く叩いた。そのまま友也は、洋太まで半ば強引に外へ連れ出し、雨音の車に図々しく同乗して、勢いよく走り去っていった。気づけば、さっきまで賑やかだった
Read more

第506話

「悪い、玲……邪魔するつもりはないが、どこにいけばいいのか、わからないんだ。昨日、一日中あちこち回って、人にもたくさん会ってたから……もう、限界で。床に寝るだけでいい。二時間でいいから、休ませてほしい……」秀一はドアの脇に立ったまま、低く言った。背は高く、立ち姿も凛としているのに、玲の前ではまるで雨宿りの場所を探す野良犬のようだった。秀一が勝手に部屋に入ってきた瞬間、玲は反射的に眉をひそめていた。だが、その声を聞いているうちに、険しかった表情は次第にほどけていく。「昨日、秀一さんが相当大変だったことはよくわかってます。休むなとは言いません。でも、この家は広いですし、私と同じ部屋で休まなくても……」藤原グループの社長を床で寝かせていた――そんな話が外に漏れたら、誰もが耳を疑うだろう。けれど秀一は、まるで気にしていない様子だった。「他にも休める部屋があるのはわかってる。でも……今は、どこに行っても眠れない。落ち着かないんだ。君のそばじゃないと、だめなんだ」玲は一瞬、言葉を失った。「……それでも、二時間後に出ていくって決めた気持ちは変わりません」玲の意思は、すでに固まっている。雨音が残してくれたこの二時間で、情に訴えれば何とかなる――もし秀一がそんな期待を抱いているのなら、それは完全な見当違いだった。だが、秀一にそのつもりはないらしい。彼は黙ったままクローゼットを開け、柔らかな布団を取り出すと、ベッド脇の床に静かに敷いた。そしてそのまま横になり、何も言わずに目を閉じる。――本当に、ただ休みたいだけなのだ。その姿は、どんな言葉よりも雄弁だった。玲はしばらく立ち尽くしていたが、やがて小さく息を吐き、ベッドへ向かう。疲れ切っているはずなのに、硬い床に横たわっている秀一を見ると、胸が痛んだ。けれど、何があっても動じないと決めた以上、手を差し伸べることはできない。玲はベッドに入り、布団をかけると、何気ない仕草で枕を一つ床へ落とした。――腕を枕にしなくてもいいように。ただ、それだけの配慮だ。秀一は、その意味をすぐに理解したようだった。玲が横向きになろうとした、そのとき。ベッドの脇から、低く、それでいて先ほどよりもずっと柔らかな声が聞こえてくる。「玲……ありがとう。愛してる」その瞬間、玲の体がわずかに強
Read more

第507話

雨音は、急に鼻の奥がつんと痛くなり、横の友也に向かって思わず声を荒らげた。「まったく、全部友也のせいだよ!変なこと吹き込むから、私まで頭おかしくなって、あなたの話を信じたじゃない!私、本当最低……玲ちゃんに、なんて申し訳ないことを……!」突然の怒りに、友也はきょとんとしながら頭をかく。「え、でもさ……俺、秀一の肩ばっか持ってたのは認めるけど、嘘は言ってないぞ?さっきの雨音の行動だって、結果的にはあの二人のためだったわけだし、別に玲さんに申し訳ないことをしたわけじゃ……」「いや、したに決まってる!」雨音は勢いよくドアを叩いた。「時間稼ぎして、すぐに玲ちゃんを連れ出さなかった。それだけでアウトなの!藤原さんの周りには、あなたも含めて味方がいっぱいいる。でも、玲ちゃんの味方は私だけなんだよ!だから私は、玲ちゃんの意思を最優先する。今すぐ戻って、あの家から玲を連れ出す!」「え?い、今すぐ?」友也の声が裏返る。「でももう藤原家の近くだぞ?俺たち、綾と美穂が追い出されるとこ見に来たんじゃ――」ここまで来て引き返すなんて、完全に二度手間だ。だが雨音は一切迷わなかった。「今の私にとって、そんな見世物より玲ちゃんのほうが大事なの!第一、綾と美穂が追い出されるだけでしょ?それの何が面白いっていうの?」雨音の中で、俊彦は昔から「堅物で体裁第一の人」という印象だ。だからこそ、せいぜい車を一台用意して、二人を静かに屋敷の外へ送り出す――その程度の展開しか想像していなかった。正直、地味すぎて退屈。そう判断すると、雨音はあっさり言った。「停めて。私が運転する」このままでは友也がぐだぐだ言って、時間を無駄にするだけだ。玲を「救出」するには、一秒でも早いほうがいい。ところが、車を路肩に寄せ、運転席を交代しようとした、その瞬間――「きゃあっ!」耳をつんざくような女の悲鳴が、前方から響いた。反射的に顔を上げた雨音の視界に飛び込んできたのは、二人の女と山のような荷物が文字通り「放り出される」光景だった。転がるスーツケース。袋からあふれる衣類。そして、その中心にいるのは――他ではなく、美穂と綾だった。綾は、体の傷がまだ癒えていなかったらしく、乱暴に扱われた拍子に傷口が開いたのか、衣服の一部が赤く染まっている。その姿はあまりに痛々しく
Read more

第508話

雨音は、何よりも親友を大切にする人間だ。――けれど。こんなお金を積んでもなかなか見られない修羅場を前にして、黙って立ち去るなんて、さすがにもったいなさすぎる。しかも相手は、美穂と綾。かつて何度も玲を踏みにじってきた、筋金入りの「大悪党」だ。この瞬間をその目で見届けることこそ、親友としての務めだろう。そう腹を括ると、雨音は呆然と立ち尽くす友也を置き去りにし、迷いなく現場へと突撃した。「――あらあら?道端に転がってる可哀想な人たちがいると思ったら、藤原家の奥様とお嬢様じゃない」わざとらしく首を傾げ、楽しそうに続ける。「それにしても、ずいぶん派手なお引っ越しね。荷造りもさせてもらえずに放り出されるなんて。これって、今流行りの『プレイ』か何か?」そして今度は、綾へと視線を向けた。「そういえば綾さん、前に玲ちゃんから弘樹くんっていう最低な男を、必死で奪い取ってたよね?あんなに『愛されてる』って自慢してたのに……あれ?本人、顔すら出さないんだ。ずいぶん薄情じゃない?まさかとは思うけど……綾さんも、あの最低男に捨てられちゃったの?でも安心して。奪える程度の男なんて、しょせんその程度だから」にっこりと、毒のある笑みを浮かべる。「今さらだけどさ。玲ちゃんが捨てたゴミを拾ってくれて、本当にありがとう」玲と秀一の間には、確かに複雑な確執がある。だが、それと綾と弘樹の関係は、そもそも比べる次元が違う。少なくとも――怪我をしたまま、誰にも助けられず、道端に放り出される。そんな未来が、玲に訪れることはない。家を追い出され、怒りと屈辱で限界に達していた綾は、体を走る痛みも忘れたように、金切り声を上げた。「黙りなさい!あんたに何がわかるの?私と弘樹さんの関係を、あんたごときに評価される筋合いなんてないわ!いい?弘樹さんがどんな人であろうと、玲から彼を奪ったのは事実なの。玲のことで私を辱めようとしても、そんなの無理に決まってるでしょ!」――今回、弘樹がここに来ていないのは、綾が知らせていないだけ。電話に出なくても、事情を知れば必ず駆けつけてくれる。綾は、そう信じて疑わなかった。雨音に次々と言葉を投げつけられ、正気を失いかけている娘を見て、片方の靴を失い、髪も服も乱れた美穂が、歯を食いしばって綾の前に立ちふさがった。「雨音さん
Read more

第509話

「それに、人の運が巡るものだって?今更そんなことを言ってももう遅いよ」友也は軽く身を乗り出し、薄く笑った。その目には、隠しようのない嘲りが浮かんでいる。「美穂さん。あんたに運が味方していた時期なんて、もう二十年以上も前の話だ。神様が一度だけ目をつぶって、見逃してくれた――それだけ。そのあとは、年を追うごとに運は離れていった。今年で、完全に尽きたんだ」友也はそう言い切ると、声をさらに落として続けた。「今の状況が、何よりの証拠だろ。俊彦さんがあんたを藤原家から追い出したのは、ただ――本来、あんたが持つべきじゃなかったものを取り上げただけだ。本当の罰は……まだ、これからだ」その言葉の意味は、誰の耳にも明らかだった。藤原家を追い出された程度で、罰が終わるわけがない。秀一にとって、これはあくまで「始まり」にすぎない。そして、美穂と綾――さらには、海外に逃げたまま、帰国する勇気すらない豪。彼らに待っている本当の苦難は、まだ先にある。言うべきことをすべて言い切ると、友也は雨音の手を引き、そのまま車へ向かった。見世物はもう十分だ。あとは帰るだけ。二人の背中を、地面にへたり込んだまま見送る美穂の顔は、怒りで引きつり、唇まで小刻みに震えていた。その隣では、綾が半狂乱のまま叫び続け、目元を真っ赤にしている。「お母さん……今の話、本当なの?もう藤原家から追い出されたのに、それでもまだ終わらないってこと……?」次の瞬間、綾の感情が一気に噴き出した。「全部、お母さんのせいよ!私、佳苗からのメッセージなんて、もう無視しようと思ってたのに!それを無理に引っ張り出して、結局こんなことになって……自分で自分の首を絞めただけじゃない!」嗚咽をこらえきれず、声が震える。「……お父さんがあなたを愛してなかったとしても、私はお父さんの実の娘よ!たとえ昔、お母さんが秀一のお母さんに何かしたとしても、それは私の罪じゃない。私は何もしてないのに……どうして私まで一緒に責められなきゃいけないの……」綾は泣きじゃくりながら、不満と恨みを吐き出し続けた。――母親に、人生を壊された。そう思わずにはいられなかったのだ。役に立たないどころか、逆恨みの言葉をぶつけてくる娘を前に、美穂の視界が一瞬ぐらりと揺れた。正直に言えば、今すぐにでも平手打ちをして黙らせたかった。
Read more

第510話

玲は、雨音が持ち帰ってきた動画を最後まで見終えたあと、胸の奥に違和感を覚えた。藤原家から追い出され、長年しがみついてきた立場も失った。普通なら、精神的に崩れ落ちてもおかしくない。実際、綾は完全に取り乱し、右往左往するばかりで、思考も感情も制御できていなかった。――だが、美穂は違う。「人の運は巡るもの」。あの場面で、ああした言葉を口にできる余裕。それは、すべてを失った人間の顔ではなかった。――まだ、切り札を隠している。冷たい確信が、玲の胸に静かに落ちる。美穂は、決して袋小路に追い込まれてはいない。背後には、必ず「逃げ道」を用意してくれる人物がいる。……それは、いったい誰?無意識のうちに、視線が秀一へ向いた。しかし秀一は、何も語らず、表情も変えない。まるで、すでに全体像を把握しているかのような、静かな落ち着き。その様子を見て、玲は何も言わなかった――彼にはもう見えている。今さら自分が指摘する必要はない。玲は雨音のスマホをそっと返し、自然に話題を切り替えた。「雨音ちゃん、荷物をまとめて……そろそろ出ましょうか」「うん、私も手伝う!」雨音は即答した。ゴシップ好きな彼女でも、今は優先順位を間違えない。どんな決断であれ、玲が選ぶ道を支える。それが、親友として当然のことだった。二人は並んで部屋へ向かった。その横を通り過ぎるときも、秀一は引き留めようとしない。それを見て、友也は思わず目を見開いた。ついさっきまで必死に「粘れ」、「引き止めろ」と説いていた相手が、まるで覚悟を決めたかのように、その場に立ち尽くしている。我慢できず、友也は声を潜めて詰め寄った。「秀一、正気か?このまま玲さんが出ていったら、また弘樹みたいな男が寄ってくるぞ!」最悪の場合、自分が止めに行く覚悟すらしていた。雨音を止めるついでに、玲も引き止める――そのくらいの気持ちだった。だが次の瞬間、秀一が一歩前に出て、友也の行く手を静かに遮った。表情は穏やかで、黒い瞳には一切の迷いがない。「止めるつもりはない。今日は、誰にも止めさせない」秀一はゆっくりと息を吸い、淡々と言葉を続ける。「俺が間違ったのは事実だ。今の玲にとって、俺のそばにいること自体が苦しい。無理に引き留めれば、もっと傷つくだけだ。俺から離れることで、少しでも楽
Read more
PREV
1
...
4950515253
...
57
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status