All Chapters of 流産の日、夫は愛人の元へ: Chapter 31 - Chapter 40

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第31話

素羽は必死になって司野の腕を振りほどこうとした。「やめて、お願い、嫌なの!」けれど彼女の抵抗なんて、司野にはまるで意味をなさなかった。むしろ彼はさらに激しく素羽を押さえつけ、「子どもが欲しいなら、これしかないだろ」と、淡々とした声で言い放つ。彼の瞳の奥には欲望が燃えていた。しかし、その声は至って静かで冷たかった。まるで、素羽のことを、ただの産むための道具としか見ていないようだった。司野はベッドの上ではいつも乱暴だった。だが今夜は、これまで以上に荒々しく、素羽の気持ちなんてまるで眼中にない。快感なんて一切なかった。あるのは、途切れることのない痛みだけ。素羽の顔色はどんどん青白くなっていく。「お願い、離して……本当に痛い……」男の優しさなんて、好きな女にしか向けられない。他の女には、決して与えられないものだ。素羽もまた、その「他の女」に過ぎなかった。何度も何度も激しく貫かれるたびに、素羽の顔はますます蒼白になり、声もどんどん細く、かすれていく。「司野……お願い、離して……もう、本当に痛いんだから……」そのとき、ようやく司野も違和感に気づいた。ふと下を見ると、真新しい白いシーツには赤黒い血が滲んでいる。素羽の真っ白な顔を見て、司野の瞳が細まる。次の瞬間、彼はベッドから飛び降り、慌てて服を着ると、素羽を抱き上げて部屋を飛び出した。廊下でまだ起きていた美宜が、その様子を見て駆け寄ってきた。「司野さん、どこ行くの?」司野は険しい顔のまま、美宜の問いかけには一言も返さず、まっすぐ外に向かった。「司野さん……」美宜が慌てて後を追う。司野は素羽を車の助手席に乗せ、美宜を押しのけて、「どいて、邪魔だ!」と冷たく言い放った。車がエンジン音を響かせて夜の道を駆け抜け、あっという間に闇の中へ消えていった。遠ざかる車を見つめながら、美宜は唇を噛みしめ、悔しそうに足踏みした。この女!わざとこんな夜中に司野さんを振り回してるんでしょ!……病院へ向かう道中、素羽は激しい痛みに意識を失ってしまった。次に目を覚ました時、彼女は見知らぬ病室のベッドで、点滴を受けていた。司野の姿はなく、代わりに医者が入ってきた。「ご主人は、流産のこと、ご存知ですか?」素羽は弱々しく口を開いた。「できれば……このこと、彼には言わな
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第32話

彼女は一人で来たわけではなく、隣には家政婦の梅田が付き添っていた。司野が驚いたように眉をひそめる。「どうしてここに?」美宜は心配そうに声を上げた。「昨日の夜、あんなふうに飛び出していったから、心配で眠れなかったのよ。素羽さん、一体何があったの?夜遅くに司野さんが病院まで送るなんて、体にどこか不調でもあるの?」素羽はその問いにすぐは答えず、代わりに司野の方へ顔を向け、思いきり軽口を叩いた。「ああ、昨夜はベッドの上でちょっと盛り上がりすぎちゃって」その一言で病室の空気が凍りついた。美宜の瞳の奥がきゅっと歪むのが見えた。おかしいわね、どうせ聞かれても不機嫌になるくせにって、素羽は内心で笑いをかみ殺す。司野が気まずさを隠すように話題を変えた。「何しに来た?」その態度は、素羽から見るとただの動揺の裏返しにしか思えなかった。美宜も、司野のペースに巻き込まれる。「朝ごはん食べてないだろうと思って、梅田に作ってもらって持ってきたの。さあさあ、温かいうちに食べて!」と美宜は司野を呼び、梅田にも指示を出す。「梅田、素羽さんのことお願い」一つの病室、四人、二つの陣営。美宜は誇らしげに、「これは司野さんの好みに合わせて梅田に特別に作ってもらったのよ」と勧める。素羽はもともと食欲がなかったが、さらに喉を通らず、数口で箸を置いた。司野がそれに気づいて声をかける。「もう食べないのか?」美宜の視線も素羽に向かう。素羽は静かに答えた。「お腹いっぱい。もう帰りたい」その言葉に、司野も箸を置き、立ち上がる。美宜が卵焼きをつまんだ手は宙に浮き、唇を噛みしめていた。司野はさっぱりしたものだ。「じゃあ休んどけ」と、素羽に休みを与え、自分は美宜と一緒に会社へ向かった。車に乗る前、美宜の勝ち誇ったような、挑発的な目つきが今にも溢れそうだった。無理もない、もう「家に上がり込む」ほどの存在になったんだから、そりゃ自信満々にもなるわ。素羽は庭のデッキチェアで一息ついたが、束の間だった。すぐに上司の晴香から電話がかかってきたのだ。「なんで出勤してないの?」「今日は休みもらってます」「誰に許可取ったの?」司野、まさか自分をハメた?「社長に直接休みを取ってもらいました」「入社してどれくらい?直属の上司を飛ばして休み取ってい
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第33話

「今の話、理解できないの?」アシスタントが睨みつけて、うんざりしたように顔を背ける。「さっさと行きなよ。ここでウロウロされると迷惑だから」ちょうどその時、司野がオフィスから出てきた。「須藤社長」司野の視線が素羽に落ちる。眉間にしわを寄せて、「どうしてここに?」「企画書、承認もらいたくて来ました」「広報部には他に人はいないのか?」邪魔だと言われてるのだろうか。美宜が口を挟む。「社長、会議室で皆さんお待ちです」「ここはお前がいる必要ない」そう言い捨てると、司野は美宜と一緒に歩き去ってしまった。アシスタントは、素羽が未練がましく見つめているのを見て、鼻で笑う。「ちょっと顔がいいからって、シンデレラストーリーでも狙ってるの?自分の立場もわからないくせに、分不相応な夢見てんじゃないよ。社長があんたなんか相手にすると思ってるの?」司野を狙ってる?素羽は、なぜこの人が自分にこんなに敵意を向けるのか、なんとなくわかった。美宜が裏で余計な噂を流していたのだ。素羽は口元を引きつらせただけで、何も言い返さなかった。弁解したところで、信じてくれる人がいなければ意味がない。広報部に戻ると、素羽は事情を晴香に説明した。司野が自分に直接対応させたくないのなら、それで構わない。晴香は不満そうだったが、司野の指示とあっては、素羽を使うわけにもいかなかった。……もう自分を縛る仕事もなくなり、素羽の退職手続きもいよいよ最後の段階になった。人事部で手続きをしていると、背後で誰かがヒソヒソと話しているのが聞こえた。「彼女だよ、高嶺の花に手を伸ばそうとしたって噂の。社長に色目使ってたって」「まったく、いやらしい顔してるし、まともな人間なわけないじゃない」「既婚者に手を出そうとするなんて、ロクなもんじゃないよ。悪いことする人は結局こうやって追い出されるんだ」最初は自分のことだと思わなかったが、聞けば聞くほど、自分が話題の中心だと気づいた。ついには目の前で啖呵を切られる。「フン、恥知らずめ!女としての品位を落として、うちの会社のイメージまで台無しにして!」素羽はじっと相手を見つめた。「何見てんのよ?恥知らずなことしといて、文句があるの?」「その噂、誰が流したの?」「なに、今さら恥ずかしいとか思ってるの?男を
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第34話

会社から逃げるように帰ってきた素羽は、家に着いた途端、全身がだるくて仕方なかった。頭もぼんやりして、目も回る。ベッドに倒れ込むと、そのまま眠ってしまった。目を覚ましたのは、梅田が揺り起こしてくれたおかげだった。自分がどうしてこんなに具合が悪いのか、その時やっと気づいた。「奥様、熱があるみたいです」梅田がそう言う間にも、素羽は寒気と熱さが交互に襲ってきて、歯の根が合わなかった。「とりあえず、解熱剤を飲みましょう」梅田が薬を持ってきて、口まで運んでくれた。「旦那様にお電話しますね」電話はすぐにつながった。だが、電話口から聞こえてきたのは、司野本人ではなかった。「旦那様、奥様が熱を出して、今……」梅田が事情を伝えようとしたその時、電話の向こうから美宜が割り込んできた。「司野さんは今、忙しいの。病気なら病院に行けばいいじゃない。電話して何になるの?」梅田が電話をかける前、素羽は止めようと思えばできた。だが、どこかでまだ、期待してしまっていたのだ。けれど、現実はいつも思い知らせてくれる。司野のプライベートの番号、妻である自分ですら簡単に触れない。でも美宜なら、いとも簡単に繋がる。素羽は目を閉じ、じわりと滲む涙を隠した。梅田も、まさかこんな結果になるとは思っていなかっただろう。あの二人のせいで自分の体を粗末にする理由はない。素羽は自分で救急車を呼んだ。梅田は普段はややお節介だが、決して放っておくような人じゃない。結局、ずっと付き添って点滴が終わるまでいてくれた。点滴を終えて帰宅した頃には、外はすっかり暗くなっていた。梅田が栄養たっぷりのお粥を作ってくれた。お粥を食べていると、司野が帰ってきた。酒と女物の香水の匂いが入り混じっている。鼻が利かないわけじゃない、この馴染みの香りは、間違いなく美宜のものだろう。「美宜から、熱出したって聞いた。少しは良くなったか?」その言葉に、素羽の心は全く温まらなかった。これまでなら、「美宜が勝手に電話を取っただけ」と自分に言い聞かせられた。だが、今は違う。すべて、最初から許されていることだったのだ。自分が熱を出していることくらい、司野も知っている。それなのに、何一つ気にかけてくれない。もしこれが美宜だったら、たとえ川が氾濫しても、彼は泳いで駆けつける
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第35話

朝食を食べ終えた司野は、立ち上がって出勤の準備を始めた。彼は両腕を広げ、素羽に上着を着せてもらうのを当然のように待っている。だが、いつものお決まりの流れは訪れなかった。素羽はまるで椅子に根が生えたように、ぴくりとも動かない。家の使用人たちも異変に気づき、皆がダイニングに目を向けた。素羽もまた、何事かといった様子で顔を上げる。「どうしたの?」と素羽は自問自答するように言う。「私、ちょっと体調が悪いの。今日は仕事も休ませてもらったし、一緒に行かなくていいわ。車の運転、気をつけてね。私は部屋で休むから」そう言い残し、素羽は振り返ることなく階段を上っていった。彼が何を求めていたのかなんて、分かっている。これまでずっと、まるで家政婦のように彼の身の回りを世話してきた。服を揃え、食事を用意し、彼はただそれを当然のように受け取ってきた。けれど、もうそんな役回りはまっぴらだった。遠ざかっていく素羽の背中をぼんやりと見つめながら、司野は物思いにふけった。最近の素羽は、どこか以前と違う。何が違うかと言えば、もう前のように、彼の言いなりにはならなくなったのだ。だが、司野にはそれを深く考えている暇はなかった。視線を戻すと、そのまま家を後にした。仕事を休んだ日も、素羽は決して無為に過ごしていなかった。久々に筆を手に取り、絵の下描きを始めていた。何年も描いていなかったので最初はぎこちなかったが、体が覚えている感覚は消えていなかった。すぐに勘を取り戻した。体調がやっと落ち着いた頃、琴子から食事の誘いがあった。司野も同席するという。屋敷のダイニングで。温かな空気の中、琴子が口を開いた。「最近、司野の周りに若い女の子がいるって聞いたけど?」司野は、真っ先にこちらに視線を向ける。素羽はスープを飲む手を止めた。琴子はすぐに話をつなぐ。「素羽が言ったんじゃないわよ」まるで自分が告げ口したとでも思っているのか?彼の中で、自分はそういう人間なのだろうか。琴子は続ける。「おばあさんは、そういうごたごたが一番お嫌いなの。私生活が乱れているのを見せたりしないでね」司野は淡々と答えた。「俺たちは、そういう関係じゃないから」琴子は意味深に微笑む。「どうして彼女をそばに置いておくかは分かってるわ。でも、過去のことはもう終わったの。
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第36話

もし本当に好きじゃないのなら、なぜ彼は離婚しないのだろう?美宜に愛人のレッテルを貼りたくないのなら、離婚して新たに彼女を娶るのがもっともスムーズなはずだ。もしかして……司野の表情は相変わらず氷のように冷たい。「この数年、お前に使った金が勘違いさせたのか?」素羽は彼の顔をじっと見つめ、何かしらのほころびを探そうとしたが、そこには何もなかった。表も裏も、まるで同じ。自分の淡い期待をぐっと押し込める。やっぱり、考えすぎだった。素羽はさらに問いかける。「じゃあ、どうして離婚しないの?」司野はあっさりと言った。「俺は商人だ。損な取引はしない。妻として、今のお前には特に不満もないし……それに、おばあさんがお前を気に入ってる」その一言を聞いた瞬間、素羽の胸の奥がきゅうっと痛んだ。結局、それが離婚しない本当の理由なのだろう。七恵の気持ちを大事にしたくて、孝行孫を演じているだけだ。素羽は指先をいじりながら、ぽつりと呟く。「あなたと美宜のことは、私がカバーしてあげる。代わりに、私と離婚してほしい」もうこれ以上、惨めな役割を演じたくなかった。司野は口の端を皮肉っぽく吊り上げて言った。「お前、江原家がどうやってお前を売り飛ばしたか、忘れたのか?」素羽の目に、チクリとした羞恥がよぎった。あの時、松信は、須藤家が急ぎで縁談を欲しているのを見透かし、法外な条件を突きつけた。自分は縁起直しの嫁として、莫大な結納金と引き換えに須藤家へと差し出されたのだ。江原家の強欲さは、須藤家の人々に軽蔑され、自分も長年その余波で見下されてきた。司野は淡々と続ける。「俺は言ったはずだ。離婚したいなら、受け取った分はきっちり返してもらう」素羽の顔色が曇る。貸しも借りも元は江原家のもの、自分の手元に入ったわけじゃない。払い戻せと言われても、そんな資産はどこにもない。「金持ちほどケチだ」なんて噂は、やっぱり本当かもしれない。結局、離婚の話はまたもや立ち消えになった。険悪なまま別れたふたりは、その後しばらく顔を合わせることもなかった。瑞基での退職手続きもすっかり終わり、もう素羽は司野の部下ではない。暇な時間もなく、すぐさま清人の事務所に移った。着いたばかりの素羽に、清人は「歓迎会を開こう」と盛り上がる。遠慮しようとしたけ
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第37話

灯りの下、二人の影が重なり合っていた。素羽は瞳を細め、息を潜める。隣にいた清人も、素羽の異変に気づき、思わず振り返る。夜風さえ、素羽の胸の中に渦巻く熱を冷ますことができない。ただただ、恥ずかしさでいっぱいだった。その視線があまりに熱くて、司野も何かに気づいたように、こちらを振り返る。目が合った瞬間、彼は無意識に口を開いた。「素羽、どうしてここに?」素羽は口元を動かし、目の奥に皮肉な光を宿す。「邪魔だったかしら?」司野が答えるより先に、美宜が慌てて、まるで浮気現場を押さえられたかのような表情で弁解を始めた。「素羽さん、本当に誤解です!私たち、何もしてませんから。ただ……私、わざと司野さんに抱きついたわけじゃないの、理由があって……お願いです、聞いて!とにかく、司野さんだけは絶対に誤解しないでください!全部私のせいで、司野さんは関係ないですから」素羽はその稚拙で言い訳がましい弁解を聞いて、思わずおかしくなった。そんな芝居をするなら、まず司野の腕の中から離れたらどうなの?せめて形だけでもさ。けれど、美宜はそのまま、司野も特に気にする様子はない。まるで、自分が正妻であることが邪魔者でしかないような気分になる。司野が言う。「お前、ここで何してる?」「レストランで食事以外に何ができるの?あんたたちみたいに、部屋を取るの?」司野の眉間に皺が寄り、明らかに不機嫌そうな顔になる。素羽は白けたように言った。「もう、行こう」これは清人に向けて言った言葉だった。個室へ戻る途中、沈黙を破ったのは素羽の方だった。「気にならない?」清人も自然に受け答える。「昔、海外に行かなかったのは……あいつのせいか?」素羽は無理やり笑おうとしたが、力が抜けてしまう。「可笑しいと思ってるでしょう」清人は答えをはぐらかす。「今からでも、やり直せばいい」司野のことは知っている。正直、二人の身分差はあまりにも大きすぎた。彼はまさか、素羽の相手が司野だなんて、夢にも思っていなかった。素羽は軽く頷いた。「そうね」彼女は感情を表に出さず、何もなかったかのように振る舞った。宴席が終わり、清人の車で送ってもらう。景苑別荘。車を降りて礼を言い、素羽は家に入った。中に入ると、もう司野がリビングに座っている。素羽は
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第38話

もうすぐ、七恵の誕生祝いがやってくる。祐佳は、まるで自分が主役かのように、名家のお嬢様よりも着飾っていた。「なに見てるの?私の方が可愛いって、気づいちゃった?」腰をくねらせて、祐佳は自信満々に言う。「……」素羽は、内心でため息をつく。せっかく江原家がこれまで彼女にかけてきた教育費、全部犬にでも食わせたのかしら。この態度、成金どころか、品も何もあったものじゃない。「須藤家はうちみたいに甘くないんだから、勝手なことしないでよね。何かやらかしたら、私だって助けてあげられないんだから」祐佳は素羽を睨みつけ、鼻で笑う。「私のやることに、いちいち口出ししないで。自分を姉だとでも思ってるの?自分の立場、よく考えなさいよ。我が江原家がいなかったら、あんたみたいな孤児、司野と結婚できるわけないでしょ?自分を大物とでも思ってる?」よく言うよ、どうせ死ぬ運命なら、どんなに諭しても無駄ってやつ。……七恵の誕生祝いの宴は、北町で名のある人たちばかりが集まり、とても華やかだった。司野は、おばあさんに可愛がられている長孫の嫁ということで、素羽を連れてゲストたちに挨拶してまわる。「琴子さん、お嫁さん、本当に綺麗な方ね。司野くんと並ぶとお似合いだわ。うちのバカ息子なんて、私の気に入らない子を嫁にもらって……あの子が二人も男の子を産んでくれなかったら、家に入れたくなかったわ。その二人の悪ガキも手がかかるし、もうシワが増えちゃった。ねえ、見てよ、ぜんぜん若くないでしょ?」そう言いながら、相手は自分の目尻を指で示してみせた。馬鹿でない限り、その含みを誰でも察せるだろう。素羽の胸には苦さが広がる。これじゃ、とばっちりを受けたようなものだ。肺を抉るような一撃、相手の狙いは的中した。素羽も分かっていた、次は自分が災いを被ると。案の定、一通りの応対が終わったあと、琴子の視線は素羽に突き刺さり、彼女は憂さ晴らしの標的にされた。「役立たずめ」家柄も、子供も、何一つ誇れるものがない。顔だけは良くても、他は全部ダメ!最近の琴子は、素羽に対する不満がどんどん増している。素羽は目を伏せて、ただ耐えるしかなかった。ここで騒ぎを起こせば、場の空気を壊してしまうから、琴子もあまり無茶はしない。琴子が去ったあと、素羽はようやく顔を
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第39話

「司野さん」美宜は司野の手に渡るはずだった杯を手に取り、そのまま一気に飲み干した。「あー、喉が渇いてたまらなかったわ」「えっ……」突然の出来事に、素羽の表情は一変した。杯を取り返す暇もなく、美宜はすでに酒を飲み干していた。「……」美宜は無邪気そうにパチパチと瞬きして言う。「素羽さん、どうしたんです?まさか、私が一杯飲んだくらいで文句言うつもりですか?それとも、このお酒に何かあるのですか?」その言葉に、司野の眼差しも鋭くなった。素羽は内心の動揺を押さえ、冷静を装って言った。「別に、何でもないよ」祐佳の考えそうなことなど分かりきっている。素羽は、この酒に何か仕込まれていると察していた。きっと、既成事実を作って無理やり縁を結ぼうという魂胆だろう。祐佳には警戒していたのに、美宜までは盲点だった。祐佳がどこで薬を手に入れたのかわからないが、効き目は早かった。すぐに異変が現れた。美宜は頭を押さえながら、「司野さん、なんだか頭がふらふらする……」と呟き、そのまま彼の胸に倒れかかった。司野は慌てて彼女を支えた。「大丈夫か?」美宜の頬は紅潮して、甘えるような声で言った。「休憩室まで、連れてって……」二人が部屋を出ると、すぐに素羽は祐佳の元へ向かった。突然、部屋のドアがノックされ、祐佳はてっきり計画がうまくいったものと思い、艶やかなパジャマ姿でドアを開けた。だが、そこに立っていたのは素羽だった。祐佳の笑顔は一瞬で消え、不機嫌そうに言った。「なにしに来たのよ!」邪魔をする気か、とあからさまに不快感を滲ませる。素羽は祐佳の格好を見ると、ため息まじりに低い声で言う。「今すぐ一緒に来なさい」祐佳は素羽の手を振り払う。「なんで私がついて行かなきゃいけないのよ」まだ自分の計画は終わってないんだから。素羽はもう言い争っている時間もなく、手を伸ばして引っ張ろうとする。祐佳は抵抗しながら言う。「どうせ司野はあんたのことなんて好きじゃないし、あんたも彼を繋ぎ止める力なんてないでしょ?私はあんたのためにやってるのよ、分かってる?」まったく、あいつらの脳みそはお尻についてるんじゃないの?そうじゃなきゃ、こんなバカみたいな計画思いつかないわよ。仮にうまくいったとしても、祐佳の立場じゃ、司野に寝取られたところで、江原家
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第40話

病院。素羽も後を追うしかなかった。芳枝は彼女の唯一の弱点。どうしても逆らえない。病院に駆けつけると、美宜はすでに手術室へと運び込まれていた。眩しい手術ランプの灯りを見つめながら、素羽は愕然とした。一体、あの祐佳が仕込んだ薬はどれほど強烈だったのか?まさか人をここまで追い詰めて、手術室で救命措置まで必要になるなんて!事態が飲み込めず、素羽は焦燥感で胸が締め付けられる。時が過ぎるにつれ、司野の怒りはますます濃くなっていった。そんな中、素羽の姿が彼の怒りに火を点けた。彼は素羽の首を掴み、壁に押し付けた。力任せの一撃に、背中が激痛に襲われる。素羽は彼の手を引き剥がそうとしながら、必死に手を叩いて訴えた。「司野……」「俺が普段、あんたらに甘すぎるって思ってるのか?」司野の目は冷たく光る。「誰の許しで俺を騙そうなんて考えた?」顔を真っ赤にしながら、素羽は呻いた。「もし、私じゃないって言ったら……信じてくれる?」司野は鼻で笑った。「俺がそんな間抜けに見えるか?」結局、彼は最初から自分を信じていなかったのだ。首の痛みだけでなく、素羽の心臓まで軋むように痛んだ。その時、カチリと手術室の扉が開いた。美宜がストレッチャーで運び出されてきた。司野はすぐさま素羽を放し、美宜の元へ駆け寄る。素羽は壁に寄りかかったまま、膝から崩れ落ちるように床にしゃがみこんだ。荒い息と咳が同時に漏れる。やっと落ち着きを取り戻した時には、司野も美宜と一緒にとっくに去っていた。これが現実なのだと、素羽は静かに受け入れた。あのまま殺されなかったのは、司野の手加減だったのかもしれない。医者から、美宜が数年前に心臓移植を受けていたこと、その状態であんな刺激の強い薬を摂れば命に関わると聞かされた。だからこそ、救急搬送になったのだ。司野があそこまで取り乱すのも無理はない。祐佳はとんでもないことをしでかしたのだ!素羽はすぐには病院を離れず、美宜の容体が落ち着くのを見届けることにした。美宜が目を覚ましたのは翌日の昼だった。命に別状がないと分かったところで、素羽はようやく病院を後にした。一夜明けても、松信からは何の連絡もない。本気で自分を生け贄に差し出すつもりか。だが、こんな盾じゃ何の役にも立たない。病院を後にした素羽は
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