All Chapters of 流産の日、夫は愛人の元へ: Chapter 691 - Chapter 700

709 Chapters

第691話

素羽は幼稚園へ駆けつけた。先生と素羽の表情は、どちらも険しかった。前者は怯え、後者は怒りに満ちている。幼稚園という場所では、子どもを帰す際、必ず保護者本人に直接引き渡さなければならない。それなのに、園側の手元で子どもに何かあったとなれば、素羽が激怒するのも当然だった。先生は申し訳なさと不安を抱えていたが、それ以上に責任を問われることを恐れていた。「誠矢くんを迎えに来た方は、素羽さんのお友達だと言っていました。お二人の写真も見せてくれたんです。素羽さんにもお電話したのですが、出られなくて……」言い訳を重ねるほど、先生の声は小さくなっていった。どう取り繕おうとしても、落ち度があるのは幼稚園側なのだ。それでも素羽は冷静さを保っていた。「相手は男ですか、女ですか。どんな見た目でしたか。監視カメラの映像を見せてください」内心では焦りでどうにかなりそうだった。それでも、今は何より問題を解決することが先だ。「男の人です」先生は、自分が知っていることを隠さず、すべて素羽に打ち明けた。相手の並外れたオーラや、裕福そうな身なりを見て、警戒を解いてしまった。それが間違いだったのだ。監視カメラの映像を確認した素羽は、誠矢を連れ去ったのが誰なのか、すぐに悟った。素羽はギリッと奥歯を噛み締めた。――司野!司野は、素羽が監視カメラを調べることを予見していたかのように、立ち去る直前、正門のカメラへ視線を向けていた。その微かに動く唇から、彼女には彼の言葉が読み取れる気がした。「待っているぞ」素羽の瞳の奥には、冷ややかな怒りが渦巻いていた。素羽は映像のコピーを受け取ると、そのまま真っ直ぐ警察へ向かった。権力も後ろ盾もない人間が通報したところで、たいていは適当にあしらわれて終わる。しかし、今の素羽は名もなき一般市民ではない。誠矢もまた、普通の家庭の子どもではなかった。確たる証拠がある以上、警察も決して見て見ぬふりなどできない。その頃、景苑の屋敷では――森山は、旦那様が連れ帰ってきた子どもを見て、ただただ呆気に取られていた。まさか、旦那様が外で作った隠し子なのだろうか。もしそうでないのなら、どうして旦那様はこの子にここまで優しくするのだろう。森山から見れば、司野は決して心優しく、忍耐強い人間ではない。「
Read more

第692話

誠矢は、まん丸な瞳に困惑の色を浮かべた。「どうしてママの猫ちゃんが、ここにいるの?」司野は答えた。「ここが君のママの家だからだ」誠矢はぱちぱちと瞬きをした。「おじさんは、ママとどういう関係なの?」「一番親しい人間だ」誠矢は、彼のこめかみに混じる白髪をじっと見つめた。「もしかして、おじさんはママのパパなの?」司野は口角を引きつらせた。「……」傍らに控えていた森山はそれを聞いて、思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えた。この子の年齢から考えれば、母親はどれだけ若く見積もっても二十四歳にはなっているはずだ。旦那様は現在三十五歳。年が明けても三十六歳にすぎず、どう考えても、こんなに大きな孫がいるはずがない。一体どれだけ老けて見えれば、この小さな子に「お爺ちゃん世代」だと思われるのだろうか。森山は司野へ視線を落とし、特にその頭の白髪をまじまじと見つめた。うん……確かに、若々しいとは言いがたい。司野は、この子どもが奏に似て、まったく可愛げのない育てられ方をしていると感じた。本当に、口の利き方を知らない子だ。誠矢は、これ以上ないほど無邪気な口調で、司野が最も聞きたくない言葉を放った。「でもママが言ってたよ。ママは孤児で、パパもママもいないんだって。だから、おじさんは絶対にママのパパじゃないよ。それなら、おじさんは僕の二番目のパパになりたいの?」ママがモテることは、小さな彼もずっと前から知っていた。パパはそのことでよくママにヤキモチを焼いていて、ママはいつもパパのことを「ヤキモチ大将」と呼んでいた。「ヤキモチ大将」がどういう意味なのかはよく分からなかったが、ママがそう言うなら、きっとそういうものなのだろう。「二番目のパパだと?」司野は一瞬、言葉に詰まった。誠矢は言った。「そうだよ。お外にはママのことを好きな男の人がいっぱいいるけど、ママが一番好きなのは僕とパパだもん。僕が一番で、パパは二番目だよ」「でも、おじさんにはチャンスないよ」誠矢は口を開くや否や、オブラートに包むことなど一切せず、ありのままの言葉で司野の心を容赦なくえぐった。「ママは若い人が好きなんだもん。おじさんは年を取りすぎてるから、ママの好みじゃないよ」「ぷっ……」森山はついに堪えきれず、失態
Read more

第693話

司野も機嫌を取るのをやめ、彼の向かいに腰を下ろした。両肘を膝につき、前のめりになりながら、誠矢の言葉に合わせるように問いかけた。「誘拐だと分かっていて、どうしてついて来たんだ」誠矢は言った。「僕がついて行かないって言ったら、行かなくて済んだの?」司野は答えた。「いや」一度誠矢を連れ去ると決めた以上、彼は当然、それを実行するつもりだった。誠矢はまだ幼いが、その思考は驚くほど論理的だった。「ママが言ってたよ。賢い人は、無駄な抵抗をして痛い目を見たりしないんだって」ママの言葉に間違いはない。自分は言うことを聞くお利口さんなのだから、当然ママの言う通りにする。どうせママが迎えに来る。それまで大人しく待っていればいい。それを聞いた司野の冷峻な顔つきに、わずかな揺らぎが生じた。彼は笑っていた。素羽の機転の利くところに、思わず笑みがこぼれたのだ。ひとしきり笑った後、彼の胸にふと暗い影が落ちた。あれほど子供を上手に導けるのに、なぜ自分自身にはそれができなかったのか。なぜ、あそこまで頑なにならなければならなかったのか。素羽自身ももう少し空気を読んで、賢く立ち回ることができていれば、二人が五年間もすれ違うことなどなかったはずだ。ちょうどその時、外からボディガードが部屋に入ってきて報告した。「社長、警察が来ています」それを聞いた誠矢は目を輝かせ、スルリとソファから滑り降りると、満面の笑みを浮かべた。「ママが来たんだ」短い足で走り出そうとしたその瞬間、司野に首根っこをひょいとつまみ上げられ、誠矢は一瞬で首をすくめた。「何するの。早く離してよ」司野は彼の抗議など意に介さず、口を開いた。「二階に連れて行って、遊ばせておけ」その言葉はボディガードに向けられたものだった。誠矢はまるでヒヨコのように、そのまま二階へと連れて行かれた。ボディガードに抱え上げられた誠矢は、大声でわめき散らした。「この悪いもの、早く僕を下ろしてよ!ママはね、おじさんみたいな悪いやつが一番嫌いなんだから!おじさんみたいな老いぼれなんて、絶対に好きにならないよ」司野はチッと舌打ちした。その言葉がよほど気に入らないらしい。奏親子を嫌うのには、それなりの理由があるのだ。屋敷の入り口。素羽は警察とともに、その入り口
Read more

第694話

会いたかった。狂おしいほどに。素羽はここのすべてを熟知していた。だが同時に、ここをひどく嫌悪していた。ちょうどその時、ガシャンという甲高い音が響き、森山の手から磁器の器が床に滑り落ち、粉々に砕け散った。「ゆ、幽霊!?」森山は目を限界まで見開き、目の前に立つ素羽を恐怖に引きつった顔で凝視していた。司野のもともと弾んでいた気分は、森山の大げさな叫び声ですっかり冷めてしまった。「何を騒いでいる」「あ、あの……」森山は素羽を指差したまま口ごもり、まともに言葉を発することさえできなかった。「森山さん」素羽の冷ややかな声には、ほんのわずかながら温もりが滲んでいた。「お、奥様……」森山は信じられないといった顔をしていたが、視界の隅に床へ落ちた影を捉え、それが幽霊などではなく、紛れもない生きた人間であることに気づいた。素羽は死んでなどいなかった。まだ生きているのだ!「奥様」という呼び方は、司野の耳にはひどく心地よく響いた。森山がこれまでずっとこの家で働き続けてこられたのには、やはりそれなりの理由があるのだ。素羽は声を冷たくして、彼女に釘を刺した。「森山さん、今の私は須藤家とは何の関係もありません。それに、もう結婚もしていますから」司野の胸中に湧き上がった心地よさは、数秒も持たなかった。素羽の冷酷無情な言葉によって、あっさりと打ち砕かれた。次から次へと飛び込んでくる情報に、森山の頭はすっかり混乱し、処理が追いつかなくなっていた。そして、ある一つの考えが彼女の脳裏をぐるぐると駆け巡り始めた。先ほど連れ帰ってきたあの子どもは、もしかして……素羽様の子どもなのではないだろうか。つまり、あの子どもは、旦那様の子どもではないのかもしれない……のか。その考えに至った森山の顔色は、目まぐるしく変化していった。「誠矢」素羽が呼びかけても、息子からの返事はなかった。司野が口を開いた。「あの子なら二階で寝ているぞ」素羽は彼を冷ややかに睨みつけた。さっきは猫と遊んでいると言ったかと思えば、今度は寝ていると言う。この男の口から出る言葉には、一言たりとも信用できるものがない。司野は言った。「俺についてきてくれ」素羽はすぐには動かず、涼しげな眼差しで彼をじっと見つめた。司野は呆れたよう
Read more

第695話

隠し扉は、隠し部屋と外の部屋を完全に二つの世界へと隔てていた。素羽のボディガードがドアを蹴り開けて中へ踏み込むと、もぬけの殻になった部屋を見て眉をひそめた。明らかに、こんな事態は予想だにしていなかったのだ。一方、司野の側はとっくにこうなることを見越しており、ボディガードたちには誠矢を使って注意を逸らすよう命じていた。誠矢は素羽の姿が見えないことに気づき、ボディガードに尋ねた。「僕のママは?」素羽が消えたその部屋は、すでに司野の手下たちによって厳重に見張られていた。ボディガードは、誠矢が幼いからといって隠し立てすることなく、ありのままを伝えた。「奥様は、この部屋に入られてから姿を消されました」その場にいる者たちは皆、この部屋の中に隠し部屋があることを知っていた。ただ、司野が警察の目の前で堂々と人をさらうほど大胆な男だとは、誰も思っていなかったのだ。まさに傍若無人、恐れ知らずである。警察もひどく頭を抱えていた。双方ともただの一般人ではない以上、どちらの機嫌も損ねるわけにはいかないからだ。警察の責任者は後ろへ下がると、上層部に電話をかけ、どう対処すべきか指示を仰いだ。隠し部屋などというものは、誠矢が歩けるようになって以来、いつも出入りしていたごくありふれた空間だった。海外にある奏の家にはそういった場所がいくつもあり、パパはそこを「物を隠す場所だ」と教えてくれていた。ということは、あの男はママを隠すつもりなんだ!誠矢は激しく憤った。自分からママを奪うことなど、誰であろうと絶対に許さない。たとえパパであってもダメなのだ。「池田さん、ここにあるもの全部ぶっ壊して」誠矢の言う池田とは、素羽側のボディガードのリーダーのことだった。彼は相手が子どもだからといって無視することなく、その命令をきっちりと受け入れ、すぐさまその場で破壊活動を始めた。ガシャン、ドシャッ。音を立てて壊せそうなものはすべて、容赦なく叩き割られていく。投げられるものは投げ、投げられないものは解体し、解体しにくいものはハンマーで叩き潰す。目につくものは何一つ逃れられなかった。物音を聞きつけて出てきた森山は、その惨状を見るなり悲鳴を上げた。「あなたたち、一体何をしているの!早くやめて……それは壊しちゃダメ――」一人の男が骨董品の
Read more

第696話

そこには二人の結婚写真や婚姻届受理証明書、素羽が身に着けていた服や愛用していた品々、さらには当時の妊婦健診の記録や、彼女がお腹の赤ちゃんのために編んだベビー服まであった。素羽が存在していたことを証明するものを、司野はすべて残していたのだ。まるで、こうして大切に保管しておきさえすれば、素羽が永遠に存在し続けるとでも言うかのように。ほら、自分のやり方は間違っていなかった。俺がこうして大切にしていたからこそ、神様も祈りを聞き入れ、哀れに思って素羽を再び送り返してくれたのだ、と。素羽はそれらを目にすると、嘲笑うように口角を引き上げた。人差し指でスカイブルーの小さなセーターを引っ掛け、薄笑いを浮かべる。「いい歳をして、須藤さんがまだこんな純愛ごっこに浸っているなんて思いもしなかったわ。ねえ、お芝居を続けるのも疲れないの?」言い終えるや否や、かつて素羽が心を込めて編んだそのセーターは無惨にも床へ投げ捨てられ、彼女の足で無造作に踏みつけられた。それを見た司野は、鋭く目を細めた。素羽はその上を踏み越え、今度は彼が保存していたさまざまな妊婦健診の記録を手に取った。司野は念入りに保管しており、ご丁寧にもアルバムにまで収めてあった。素羽は何気なく一枚を引き抜き、そこに印字された日付と時間を確認した。そして、爪の先ほどしかない小さな影を見つめ、その瞳の奥にかすかな暗い色をよぎらせた。次の瞬間、彼女はそれを真ん中から無情にも引き裂いた。紙が破れる音は、静まり返った隠し部屋の中に、ひどく鮮明に、そして耳障りに響き渡った。「やめろ」素羽はその破片を司野の顔めがけて投げつけた。ひらひらと舞う紙片は、この瞬間、鉛のように重く感じられた。顔に当たったそれがひどく痛く、鋭く彼を切り裂いたようにさえ感じられた。素羽は鼻で笑った。「あんたは演じてて疲れないかもしれないけど、見てるこっちは吐き気がするのよ。あんたの純愛劇のヒロインになるつもりなんて毛頭ないわ。本当に胸糞悪いったらありゃしない」司野は瞳の色を暗く沈ませ、喉仏を上下させた。「お前が俺を憎んでいることは分かっている。理解できるし、憎んで当然だ」素羽はトレンチコートのポケットから煙草の箱を取り出すと、一本を口にくわえ、メンソールのカプセルを噛み潰した。煙草の火が燃え始めるにつれ、
Read more

第697話

彼女を抱きしめたかった。その身を骨の髄まで溶け込ませるように抱きしめ、これからの人生で二度と離したくなかった。この抱擁は、司野が五年間も胸の奥に秘め続けてきた、切なる想いの表れだった。それは切実な願いであり、夢でもあった。そして今、ついにその夢が現実のものとなったのだ。司野は素羽を力強く抱き締め、その顔を彼女の首筋に深く埋めた。馴染みのある香り、懐かしい温もり。この瞬間、彼はまるで何の諍いもなく、何のわだかまりもなかった昔に戻ったかのような錯覚に陥った。司野はそっと目を閉じ、この上ない静寂と、失ったものを取り戻した至福の時に身を委ねていた。だが、その時だった。司野の体がビクッと硬直し、閉じていた両目がカッと見開かれた。刃物が衣服を引き裂き、生身の肉を貫く鈍い音が、二人の耳元にひどく鮮明に響き渡った。素羽は彼の耳元に顔を寄せ、冷ややかな声で囁いた。「これも、私があなたと再会した瞬間から、ずっとやりたかったことよ」言い終えるや否や、素羽は凶器を引き抜き、彼を力任せに突き飛ばした。司野はよろめきながら二歩後退り、反射的に自分の脇腹を押さえた。掌に広がる生温かい感触が、今しがた素羽が自分に何をしたのかをはっきりと物語っていた。素羽はテーブルの上にあったきれいなセーターを手に取ると、ナイフにべっとりと付着した血痕をゆっくりと拭き取っていった。「素羽……」司野の暗い瞳には、痛切な色が満ちていた。素羽は本当に、自分を殺したいほど憎んでいるというのか。服は血に汚れ、ナイフはすっかりきれいになった。これは奏が彼女の護身用にと贈ってくれたもので、なかなかの業物であり、切れ味も申し分なかった。素羽は一呼吸置き、鋭い視線を向けた。「私、これまでの人生で、自分のやったことが正しかろうが間違っていようが、後悔したことなんて一度もなかったわ。でも、あなただけは別よ。あなたは、私の人生における最大の後悔。もし過去をやり直せるチャンスがあるなら、私は絶対に、最初からあなたと出会わない人生を選ぶわ」素羽に刃を突き立てられた肉体の痛みなどよりも、今の彼女の言葉のほうが、司野の心をはるかに深く抉り、傷つけた。司野はこの現実を受け入れることができず、言葉を絞り出した。「俺と出会ったことを後悔しているだと……?だがお前は、
Read more

第698話

司野の顔は真っ青で、恐ろしいほどだった。今にも気を失って倒れてしまいそうな顔つきである。素羽はさらに言葉を重ねた。「死に損ないの人間が、一体何をやり直すっていうのよ」それに、彼が心を入れ替えたいからといって、なぜ自分がチャンスを与えなければならないのか。司野は自分のことを何様だと思っているのだろう。神様気取りで、誰もが自分の言うことを聞くとでも思っているのだろうか。司野がドアを開ける気がないと見るや、素羽はもう催促すらしなかった。彼自身が出血多量で死ぬのを恐れないのなら、自分だってここで根比べに付き合うまでのことだ。どちらが先に耐えきれなくなるか、試してみればいい。二人が白黒をつけるよりも早く、屋敷にけたたましい警報音が鳴り響いた。火災報知器だった。どこかで火事でも起きたのか、隠し部屋の中にもその音が響き渡る。隠し部屋の仕掛けは、なかなか安全性を考慮して設計されていたようで、火災警報システムが作動した途端、隠し部屋の扉が自動で開いた。扉が開いた以上、素羽もここで司野と時間を無駄にする気は毛頭なかった。そのまま大股で外へ歩き出す。部屋を出る直前、素羽は足を止め、司野を冷ややかに見下ろして、凍てつくような声を放った。「次、私の息子に指一本でも触れたら、息の根を止めてやるわ」隠し部屋の外では、仕掛け扉の場所が分からない須藤家のボディガードたちが、死ぬほど焦り狂っていた。一刻も早く司野に知らせなければ、この屋敷が完全に灰燼に帰してしまうところだったのだ。幸いにも、隠し部屋の扉はようやく開いた。「社長」ボディガードは彼の衣服に血が滲んでいるのを目にすると、さっと顔色を変えた。彼らの務めは司野の身の安全を守ることであり、雇い主が怪我を負ったとなれば、それは彼らの完全な職務怠慢を意味する。素羽は奴らの主従の絆などには目もくれず、愛しい我が子に会うため、足早にその場を離れた。部屋から一歩足を踏み出した瞬間、素羽は再び足を止め、愕然と目を丸くした。これは……強盗でも押し入ったのだろうか。屋敷の中は隅々まで荒れ果てており、強盗被害に遭った現場よりもひどい有様だった。見渡す限り、まともに足の踏み場すらなく、何もかもが粉々に叩き壊されていた。外へ進むにつれて、その光景はますます凄惨さを増していった。そし
Read more

第699話

司野は、誠矢によって徹底的に破壊された屋敷を目の当たりにし、顔を歪めた。彼は、素羽が自分に抱いている恨みの深さを甘く見ていた。それと同時に、誠矢の奔放さも見くびっていた。あれほど幼いにもかかわらず、その振る舞いは呆れるほど傍若無人だったのだ。景苑の屋敷は誠矢のせいで、上を下への大騒ぎとなり、見るも無惨な有様だった。しかし、屋敷がどれほど混乱していようと、素羽たち親子には何の関係もない。ボディガードの護衛のもと、二人はさっさと自分たちの家へと帰った。家に着くと、素羽は誠矢と一緒に連れ帰ってきた猫の世話をした。何年も会っていなかったというのに、だんごは素羽のことを忘れていなかったらしい。キャリーバッグから出るなり彼女の足元にすり寄り、離れようともせず、ニャーニャーと鳴き続けていた。誠矢は小さな頭を持ち上げて言った。「ママ、猫ちゃん、ママのこと覚えてるんだね」素羽は口角を上げ、だんごの愛情に応えるように優しく撫でてやった。だんごのこれほどの「一途さ」は、素羽にとっても予想外だった。実のところ、素羽はこの猫にそれほど愛情を注いでいたわけではない。かつて飼っていたキジトラ猫の身代わりとして買ったものであり、この猫を見るたびに、胸の奥にわだかまりを覚えていたからだ。猫なのだから、まさか自分がほんの気まぐれに世話をしていたことを、ここまで覚えていてくれるとは思いもしなかった。動物でさえ恩を忘れないというのに、それが分からない人間もいる。素羽は誠矢に、もう一度、本当にこの猫をきちんと世話する気があるのかと尋ねた。彼からはっきりと肯定の返事をもらってから、ようやくペット用品を買い揃えることにした。だんごもなかなか図太い性格らしく、見知らぬ場所に来ても微塵も怯える様子を見せなかった。それどころか、まるで家の見取り図でも頭に叩き込むかのように、家中の隅々まで悠然と歩き回っていた。母子二人で夕食を取り、少し休んだ後、素羽は誠矢を風呂に入れた。白くてすべすべした小さな体を見つめる素羽の表情には、優しい温もりが滲んでいた。かつては痩せ細り、ひどく弱々しかった小さな彼が、今こうして健やかに成長している。その姿を目にすると、素羽の心は限りない満足感で満たされた。素羽は誠矢専用のバスタオルで彼を包み込み、肉付きの良い小さなお尻を
Read more

第700話

そんな思いに加え、二人の絆が深まるにつれ、素羽は彼に普通の子どものように、明るく朗らかで、何の悩みもなく育ってほしいと願うようになっていた。誠矢は小さな肩を落とし、戸惑ったように言った。「ママ、僕、悪いことしちゃったの?」物を叩き壊せば、ママが怒ることは分かっていた。でも、どうしても我慢できなかったのだ。あの場所をめちゃくちゃに壊してやりたかった。素羽は彼の小さな頭を撫でながら、優しく穏やかな声で言った。「誠矢くんは悪くないわ。ママを守ろうとしてくれたんでしょ。でもね、君はまだ小さいから、そういうことはボディガードたちに任せればいいの。君が今やらなきゃいけないのは、ちゃんとご飯を食べて、ぐっすり眠って、毎日楽しく過ごすことよ。それがママと、そしてパパの願いなの」誠矢は素直に頷いた。「ママ、僕、いい子にするよ」素羽は身を屈めて彼の額にキスを落とし、優しく言った。「いい子ね」キスをされた誠矢は、たちまち嬉しそうな顔になり、甘えるように言った。「ママ、今夜一緒に寝てくれる?」パパがいる時は、「誠矢くんはもう大きいから、自立しなければならない」などともっともらしい理由をつけて、ママと一緒に寝ることを絶対に許してくれないのだ。パパが自分に嫉妬していることくらい、誠矢はとっくに気づいていた――息子だけが妻と一緒に寝られるのに、夫である自分は寝られない。息子だけ特別扱いされるのが我慢ならないのだろう。パパは本当に心が狭い。素羽は微笑みながら頷いた。「ええ、いいわよ」許しを得た誠矢は、しっぽをピンと立てた子犬のように大喜びでベッドの上を転げ回った。そして自ら隅っこに縮こまり、素羽のために広いスペースを空けた。「ママ、早く来て」誠矢は自分の隣のスペースをぽんぽんと叩き、彼女を誘った。大小二つの影が、子ども用ベッドに並んで横になった。暖かなオレンジ色の明かりが降り注ぎ、二人を優しく照らし出す。その柔らかな光の輪が、部屋全体を温かく穏やかな空気で包み込んでいた。部屋の中からは時折、素羽の優しい声と、誠矢のあどけないおしゃべりが聞こえてくる。その光景は、誰が見ても心が温まるものだった。一方、その頃。病院では。司野を取り巻く空気は、素羽たちとは正反対だった。陰鬱で重苦しい低気圧のよ
Read more
PREV
1
...
666768697071
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status