All Chapters of 地底の悪魔と歯車の魔女: Chapter 11 - Chapter 20

30 Chapters

10話 あまりに似合う王者の名

 まさか質問を質問で返されると思わなかった。ネクターがきょとんとしてしまうと、彼はやんわりと唇に笑みを乗せる。 「名前だよ、おまえの名前。ボク、おまえのこと、何も知らない」「えっと、ネクター。ネクター・ブラックバーンよ。今は事情があって、ネクター・エヴァレットって名乗ってるけど」  少し慌てて答えると、彼は感心したように目を細めた。 「ネクター……花の蜜で、不死の霊薬。変わってるけど、綺麗な名前だな」 綺麗だから似合ってる、とサラリと続けるその声音に、ネクターは驚いたようにまばたきをした。   自分でも変わった名前だとは思っていた。発案者は叔母のドリスで、それをそのまま採用した両親の感性にも、正直疑問がないわけではなかった。それでも、「綺麗だ」と言われたのは、初めてのことだ。ましてや、それが異性の口から出たとなると、胸の奥がくすぐったくて照れ臭い。 だけど──と、ふと思う。 彼はどうして、その名の意味を知っているのだろうか。ネクターの名前の由来は神話にあるが、それは一般常識ではない。記憶を失っている筈の彼が、なぜそんなことを知っているのか。(全部を忘れているわけじゃ、ないのね……) 多分、兵器として目覚めるより前の記憶だけが、抜け落ちているのだろう。でなければ、こうして自然に会話などできる筈もない。 そんな風に思いを巡らせていると、突然、彼の細長い指がネクターの眉間をちょんと突いた。 「難しい顔すんなよ。小皺、増えるぞ」 ──まったく、誰のせいでこうなったと思ってるのよ。 ネクターはジトリとした目で睨んでから、咳払いをひとつ。気を取り直すように問いかけた。「ねぇ、貴方の名前が分からないから……〝レックス〟って呼んでもいいかしら?」 そう言うと、彼は三白眼気味の目を丸く開いてから、嬉しそうに何度も頷いた。  ──『そうだけど、そうじゃないと思う』と、本人が言っていたくせ
last updateLast Updated : 2025-08-27
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11話 五百年の違和

 ***   機械仕掛けの偶像と徒花の聖女の伝承──その歴史改革 ツァールの歴史を紐解けば、王朝期、帝国期、そして現在の共和制と、三つの時代に大別される。  王朝期と帝国期のツァールはいずれも教権主義国家であり、それぞれ異なる信仰を持っていた。特に帝国期までは、聖痕を持つ者〝能有り〟と持たぬ者〝能無し〟という二種の人間が存在し、これが後の宗教戦争を引き起こすこととなった。【Ⅰ】王朝末期から帝国初期──信仰「刻の偶像(クレプシドラ)」  王朝期における〝能有り〟は「神の力を授かりし者」として崇められ、政を司る聖職者や高貴な階級の者たちが多くを占めていた。  しかし、度重なる飢饉や伝染病の蔓延により国政への不信が高まり、やがて〝能無し〟による反乱が勃発。それが宗教戦争へと革命に発展し、王朝は滅び、〝能有り〟は帝国期において最下層へと転落する。※邪教の成り立ち  この革命で生じた人の憎悪は、悪しき神「永遠の夜(ナハト)」を創造し地に堕ろす。これを存在しない新たな神「機械仕掛けの偶像(デウス・エクス・マキナ)」として崇めたことが帝国期の邪教国家の礎となった。【Ⅱ】帝国末期から現代──信仰「機械仕掛けの偶像(デウス・エクス・マキナ)」  邪教国家へと成り果てた帝国では、神話や理論に基づかぬ“存在しない偶像”が信仰の中心となった。※改変された伝承──徒花の聖女  帝国末期、機械仕掛けの偶像が現れ、帝都ファルカを焼き尽くす。しかし、慈愛に満ちた「徒花の聖女」の手により、偶像は〝真なる神〟へと昇華し、ともに「永遠の夜」を討ったという。  この歴史的転換を境に〝能有り〟は姿を消し、以後全ての人間は〝能無し〟となったと伝わる。※一説には、「機械仕掛けの偶像」は永遠の夜によって、その姿を変えられた〝人間〟であり、「徒花の聖女」の恋人だったとされる。  現在の舞台劇ではこの説が採用されており、〝能有り〟の少女と、人で非ず者と成り果てた青年の尊き犠牲によってツァールが救われたと語られる。 ***  ──まるで御伽噺のような、あまりにも現実離れした伝承。  ネクターは読み終えた史書をパタンと閉じるなり、眉間を揉みながら深いため息をついた。 先進国家ツァールの成り立ちが、このような信憑性に欠ける話に基づいていることが、どうにも信じがたかったのである。  
last updateLast Updated : 2025-08-29
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12話 主従契約は唇から

 確かに、彼の言うことは一理ある。だが、どう考えても余計なお世話だ。 誰のために悩み、唸っていたと思っているのか──そう考えると、胸の奥からじわりと怒りが湧き上がってくる。 できることなら、今すぐ部屋の外へ放り出してしまいたい。けれど、それも叶わない。ネクターは深く息を吸い込み、煮え立つ感情を鎮めた。「そうね。私は女職人で冒険家だから色恋は無縁なの。機械と冒険こそが生き様。だけどキスに動じなかったといえば嘘になるわ」 正面から告げると、レックスは首を傾げる。「ファーストキスだったのよ? 当然、びっくりしたわ。でも本気で死を悟ったし怖いっての感情の方が強かったわ。だけどね、キスなんて別に減るもんじゃない。貴方に唇を奪われたからといって、自分の求める生き様に支障がある出るわけじゃないでしょう?」 言葉をきっぱりと並べれば、レックスは苦笑しながら「やっぱり変わってんな」と呟く。「そもそもね、貴方の言い方だと……まるで記憶無い昔に他の女も知ってるってことになると思うの。恋人がいたとか妻がいたとかそんな心当たりはなくて?」 もし過去にそういう相手がいたとしても、自分には関係のないことだ──ネクターはそう思う。 昔の人間なら婚姻が早いのも普通だ。レックスの正確な年齢は不明だが、十五、六歳程度と仮定すれば、妻子がいてもおかしくはない。「うーん。心当たりがひとつも無いわけじゃねぇけどな。だけど、恋人とも妻とも違う。そんなモンは多分、ボクにはまだいなかったと思う。けど、こう……もっと身近に……」「身近に……?」「ああ。それが何かは分からないが、おまえに似た声質の奴を知ってた気がする。それが、誰かは分からねぇけど……」 レックスはそこで言葉を切り、顎に手を当てる。 自分とその誰かを混同したのだろうか。だからこそ、彼は目を覚ましたのだろうか。ネクターも顎に手を当て、思考を巡らせる。 だが、答えは出ない。本人は依然として記憶を失っており、
last updateLast Updated : 2025-08-30
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13話 夜更けのミルクと生者の匂い

 工業地帯アッシュダストは、昼夜を問わず何かしらの音が響く街だった。 深夜であっても、貨物列車が定期的に通り過ぎる。汽笛の長い尾が空気を震わせ、鉄と油の匂いが混じった風が路地を抜ける。線路を進む車輪の低い唸りは、地面を通じて家々の床板にまで伝わってきた。 この街に暮らす労働者たちは、そんな環境にすっかり順応している。騒音はもはや子守歌のようなもの。誰も気に留めることなく、翌朝の労働に備えて眠り、体を休めていた。  深夜──ネクターはキッチンにひっそりと行くことが、あの夜からの日課となっていた。  取り出すのは、パンを二切れと、木いちごジャム、そしてカップ一杯のミルク。それらをトレーに乗せて、足早に部屋へ戻る。 それはもちろん、自分の夜食ではない。密かに同居する古代兵器──いや、かつて人間だった少年、レックスのための食事だった。 初めて「腹が減ったし喉が渇いた」と口にした彼に、試しにパンとミルクを差し出してみたところ、驚くほどの勢いで平らげたのだ。 ──元は人間。今は兵器といえど、食べ物を摂取し、消化する。 どうやら体の仕組みは人間と変わらないらしい。  その証拠に手洗いにさえ行くのだ。「便所行きたい」と身を震わせながら告げられた時には、さすが叔母に打ち明けるしかないと焦った。しかし、場所だけを教えると、レックスは窓から外へ抜け出し、屋根と壁を伝って手洗いまで行ってしまったのだ。 そして、驚かされたのは、戻ってくる時だった。地面を蹴って、自分の背丈をはるかに超える石造りの雨樋に手をかけ、そのまま屋根へとよじ登り、何事もなかったかのようにネクターの部屋へ帰ってきたのである。 思えば、岩をも砕く脚力の持ち主なのだから、その程度の跳躍は造作もないのかもしれない。 それからというもの、昼夜を問わず、彼は人知れず部屋と外を往復していた。 ──もっとも、定期的に外に出る以上、いつ叔母に見つかってもおかしくはない。 それでも奇跡的に、ふたりの同居生活は順調に五日目を迎えていた。 その夜も、キッチンから戻ったネクターが部屋のド
last updateLast Updated : 2025-09-01
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14話 秘密を抱く背中

 食事を終えると、ネクターはレックスを連れて静かに階段を下りた。 幸い、ネクターのシャワーの時間は就寝直前だ。いつもなら、その頃には叔母もすっかり夢の中。だから、たとえレックスがシャワーを浴びても、うまく誤魔化せるだろうと踏んでいた。 シャワー室は階段を降りてすぐ、裏口にほど近い。脱衣所のドアをそっと閉じ、ネクターは小声で使い方を説明する。 さすがシャワーくらい浴びられる筈――いや、浴びられなければ困る。湯浴みでも何でもいいから、「元・人間なら本能で思い出せ」と心の中で祈り、ぷいと背を向けた。「……で。何でおまえ、後ろ向くんだ?」「脱ぐからでしょ。貴方は男、私は女。当たり前でしょ?」 ちらりと振り向き、「当たり前のことを聞くな」と小さく返せば、彼は心底つまらなそうな相槌を打つ。「キスは気にしないとか言ったのに、そこは恥じるのか、変な奴」「……それとこれではまた話が違うでしょう。ほら、さっさと脱いで浴びてきなさいよ」 小声でぴしゃりと言うと、気の抜けた返事が返ってくる。 やがて、絹ずれの音と衣類が床に落ちる小さな音が響き、続いてシャワー室のドアが閉まった。ネクターはほっと息をつき、脱ぎ捨てられた衣服を拾い上げる。 一応、下着は着けていたらしい……どうでもいい事実を知る。それより、ペンダントは黒く濁っていたのに、服の状態は意外と良いことに気付いた。 ――とりあえず洗濯して自室で干しておこう。他に着替えはないのだから。 しかし乾くまでの間、どうするか。背丈は自分より少し高い程度で細身だから、自分の服は着られるだろう。だが女物だ。ブラウスくらいならまだしも、フリルやレースだらけのスカートなど論外。下着に至っては無理だ。 第一、あの悪人顔の三白眼にフリルは惨事でしかない。彼も拒絶するに違いない。服が乾くまでは腰にリネンを巻いてもらうしかないが、我ながら酷い発想にネクターは少し狼狽した。 間もなくシャワーの音が止まる。 ネクターは慌てて背を向けた。
last updateLast Updated : 2025-09-03
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15話 時を刻む傷の記憶

 ネクターは熱いシャワーの湯気の中で、静かに思考を巡らせていた。頭から離れないのは、彼の背中に刻まれた傷の生々しさだった。まるでつい最近の手術痕のようで、五百年以上も昔のものとは思えないほど鮮明だった。(彼はあの姿になってから歳を取らない。時を止めた……或いは不死かもしれない)  考えられるのはその二つだけだった。 もしそうなら、彼が長い年月を眠り続け、死ぬことなく生き延びたことや、背中の傷がまるで昨日のもののように見えることにも納得がいく。 きっとあの傷は、彼が変身したことと深く関わっているのだろう。 金属質な腕や尾が生えた瞬間、身体を突き破るように現れたのをネクターはこの目で見た。その傷痕と照らし合わせれば、部位は完全に一致する。(背中に何らかの装置を埋め込まれたとしか思えない……でも) 考えを深めるほど、胸に引っかかる疑問があった。 彼は自分が試作品の兵器であることを自覚している。それでいて、どこか人間だった頃の記憶をぼんやりと持ち合わせているようにも見える。何百年も眠らされていたことも、きっと想像できている筈だ。 もし何も覚えていなかったとしても、絶望的な状況に置かれ、失望の中で生きてきたことは、考えるまでもなく想像できるだろう。普通の人間なら、焦ったり、苦しんだり、発狂したっておかしくない。 それなのに彼は落ち着きすぎているのだ。 普通ならば、こんな風に暢気に振る舞える筈がない。 不思議に思いながら、ネクターはシャワーを終え、部屋に戻った。 部屋では、レックスが腰にリネン一枚を巻いただけの姿で、ソファにうつ伏せになっていた。 ネクターが戻ると、彼は視線だけを向けてきた。だが、半裸の男が部屋にいるのは落ち着かない。 細い体ではあるが、薄く筋肉がついていて、どう見ても異性の身体だ。ネクターはソファの背もたれに掛けてあった毛布を手に取り、そっとレックスの腰にかけた。「暑いんだけど……」「半裸の男が部屋に居る方が落ち着かないわ。私の服な
last updateLast Updated : 2025-09-05
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16話 静かな午後と、彼の悪戯

 五月下旬。地底探索に出かけたあの日から、もうすぐ二週間が経とうとしていた。 レックスを匿う生活は、意外にも順調だった。 何度も「これはバレる」「絶対バレる」と肝を冷やす場面はあったものの、幸運にも叔母の鈍感さが味方してくれている。今のところ、彼の存在は露見していない。 けれど、彼の救いへの道筋はいまだ見えない。 その事実だけが、ネクターの胸に重く沈んでいた。 とはいえ、日々の仕事はきっちりこなさなくてはならない。彼女は今日も、精密部品と格闘していた。 昼前、ようやく作業が一段落する。ルーペを外し、ぐっと伸びをすると、肩から小気味よい音が鳴った。 今日は思いのほか捗った。あとは修理品を梱包し、集荷に来る提携工場の配送員に渡せば、午前の仕事は終わる。新しい飛び込み依頼も今のところは無し。午後は少し、自分のための時間を割けそうだ。 ネクターは席を立ち、棚の上のラジオの電源を入れる。 はじめはザザッとノイズ混じりの音ばかりだったが、次第に管楽器の澄んだ音色が流れ、音が安定していく。外の陽気にぴったりな、軽やかで爽やかな旋律だ。 窓辺に歩み寄り、窓を開けて天を仰ぐ。「おん? 仕事、もう片付いたのか?」 不意に背後から暢気な声が響いた。振り返れば、レックスがソファの上で胡座をかき、数冊の本を手元に積んでいる。その手にも、読みかけの本が開かれていた。「ええ。今日の分はとりあえず終了よ。読書は捗ってる?」 ネクターは床に散らかったガラクタの上を、飛び石のように踏み越えてソファへ向かい、彼の隣に腰を下ろす。覗き込むと、見慣れない文字がびっしりと並んでいた。 ツァール語──自分では読めない言語だ。 退屈を紛らわせてもらおうと、最初は自分の持っていた伝記や冒険譚を貸したが、レックスはイフェメラ語の文章をほとんど読めなかった。そこで、図書館の外国文学棚からツァール語の本を数冊借り与えたところ、どうやら彼にはそれが読めるらしい。 本人曰く、彼の記憶にある文法とは少し違うものの、解読は可能とのことだった。「それで、その本はどんな内容だ
last updateLast Updated : 2025-09-06
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17話 ノイズの向こうで動き出したもの

 耳障りなノイズが、ラジオから唐突に響き始めた。 ──故障だろうか? 年季こそ入っているが、これまで調子は良かったはずだ。ネクターはソファから立ち上がり、棚に置かれたラジオを手に取った。「おかしいわね……」 背面の蓋を外し中を覗き込む。すると、まるで悪戯をやめたかのようにノイズは止まり、代わりに金管楽器が奏でる国家の旋律が流れ出す。「……接触不良かしら」 故障ではないと判断し、蓋を閉めかけたその時だった。『軍事緊急速報、軍事緊急速報──』 ノイズの間に挟まる男の声。どうやら速報への切り替え時に混線が起きただけらしい。それでも、軍事速報など初めて耳にする。まさか戦争勃発の報せではないだろうか──胸に不穏な緊張が走る。ネクターは慌てて蓋を閉め、ラジオを元の場所に戻した。 続く放送が、息を止めさせた。 ──南西部ホワグラスの地底遺跡で崩落が発生。軍事機密遺産の封が解かれた可能性が高い。現在、軍による捜索が進行中。 三度復唱の後、音は再びノイズに紛れ、やがて何事もなかったかのように弦楽器の穏やかな調べへと戻った。 ネクターの頭は真っ白になった。南西部ホワグラス、軍事遺跡の崩落──それは間違いなく、彼女自身の所業だった。「ね……レックス。今の、聞いてたわよね?」「聞いてたも何も。ネクターの話と、ネクターのじいちゃんの手帳を照らし合わせれば、どう考えてもボクたちのことだろ」 軽妙で暢気な口調はいつも通り。なぜ分かっていながら平然としていられるのか。ネクターは狼狽し、呼吸が乱れる。 ──バレる。まだ確証は持たれていないが、相手は軍だ。突き止められるのは時間の問題。「……どうしよう、私」 告白すべきか、黙り通すか──しかし黙っていてもレックスが危険に晒されるかもしれない。再び箱に閉じ込められるか、最悪処分されるかもしれない。そんな想像は、恐ろしくて耐えられなかった。「落ち着けよ」
last updateLast Updated : 2025-09-08
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18話 紅茶の香りと重い沈黙

 ネクターとレックスは階段を降り、一階のキッチンへと向かった。  ──狭い空間には、磨き込まれた調理台、煤けたグリル、年季の入った大釜、ぎっしりと器が並ぶ食器棚。中央には少し大きめの木製テーブルが据えられ、その周りには椅子が四脚、きちんと等間隔に置かれている。 テーブルの上には、ミートパイとベイクドポテトが湯気を細く立てていた。時間が経ってしまったせいか、香りはまだ温かいのに、湯気は心許なく消えていく。  奥の席に叔母のドリスがどっかりと腰を下ろし、手前にネクターとレックスが座る。ネクターは叔母と手を取り合い、短い祈りを捧げた。 祈りの声が消えると同時に、レックスは待ちきれないとばかりにミートパイを手掴し、大口で頬張る。生地が崩れ、肉汁が指先を伝ったが、気にも留めない。「どうだい、美味しいかい?」 ドリスの問いに、レックスは咀嚼したまま、こくりと頷いた。その頷きに、叔母の眼差しが柔らかく細まる。怒りが完全に消えてはいないはずなのに、そこに確かに喜びが混ざっている。「ドリス叔母さん……あの」 ネクターがおずおずと切り出そうとした瞬間、ドリスは鼻を鳴らし、真っ正面から彼女を睨みつけた。「話は昼飯を食べてからだよ! ほら、さっさとお食べ!」 ──わたしゃ午後だって忙しいんだ。  その言葉に気圧され、ネクターは押し黙る。皿にパイを一切れ移し、フォークで小さく切り分けて口に運んだ。 食事の間、空気は重く沈みきっていた。皿が空になると、ドリスは素早く食器を片付け、薬缶を火にかける。ほどなく、シュンシュンと湯気が吹き出す音が響き、ふくよかな体を揺らしながら茶葉をポットに落とす。  カップに注がれた紅茶は、柑橘の香りをふわりと漂わせたが、空気の刺々しさを和らげるには至らなかった。「……それで、ネクター。話とは何だい?」 向き合った叔母の声は依然として冷たく、椅子に腰掛ける仕草も荒い。怒りはまだ底に燻っている。  ネクターの肩がびくりと震え、血の気を失った唇がかすかに動く。「……その」 しかし、言葉は詰まったまま。
last updateLast Updated : 2025-09-10
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19話 古代兵器、弟子になる

「……それで、この子をどうするか、自分がどうすべきかって話かい?」 叔母の問いかけに、ネクターはこくこくと何度も頷いた。「だけど……私が軍に自白すれば、機密を知ったってことで殺されるかもしれないって……」 「隠してきたもんを破ったんだ。そりゃ、そのくらいはありうるだろうね。でもよく考えてごらん。この子はイフェメラ人には珍しい髪色をしてるが、見た目は普通の人間とそう変わらないじゃないか」 どうすればいいのか……ネクターは眉を寄せる。すると叔母は「馬鹿だね」と呟き、呆れたように鼻を鳴らした。「この子が〝古代兵器〟だと言っても、誰だって半信半疑さ。私だって実物を見たわけじゃないんだ。あんたとそう歳も変わらなそうな、若い男の子にしか見えないよ」 「本当に……そうかしら」 ネクターが不安げにレックスへ視線をやると、叔母は溌剌と笑い声を立てた。「そう簡単にばれやしないさ。崩落の規模にもよるが、捜索を打ち切る可能性だってあるからね。それに、あれだけ厳重な鍵が掛かっていたとなれば、今の軍人たちが箱の中身を知っているとは思えないよ」 ──だから、見つけ出すなんて難しいだろうね。  叔母はそう言い切ると、二杯目の紅茶を一気に飲み干し、すっと立ち上がった。「待って、ドリス叔母さん……お母様には……」 ネクターは言い淀んだ。だが叔母は、その一言で言いたいことを察したらしい。やれやれと首を横に振る。「面倒だから言わないさ。あんたからすれば煩わしいだろうが、姉さんは相当な心配性だ。あんな叱責をした後でも、無線でちょくちょく連絡を寄越すんだからね」 その答えに、ネクターはほっと胸を撫で下ろして頷いた。  二年前のあの日──母が彼女を連れ戻しに来た後のことだ。  母は叔母にも辛辣な言葉を浴びせたくせに、以来ずっと定期的に無線でやり取りを続けている。二階にいるネクターからは会話の内容はわからなかったが、叔母の口調は和やかで、どうやら険悪な様子ではないらしい。 血の繋がった唯一の姉妹。魔女と罵ろうが、「ブラックバーンの姓を名乗るな」と言おうが、母は妹である叔
last updateLast Updated : 2025-09-12
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