All Chapters of 私は待ち続け、あなたは狂った: Chapter 171 - Chapter 180

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第171話

優奈の口ぶりから察するに、相手を最も深刻な状況に追い込むつもりらしい。弁護士が帰った後も、葉月はまだぼんやりしていた。二億円がこんなにあっさり葉月のものに?この弁護士、なかなかやり手のようだ。葉月は、怪我をしているせいで、今日は病院にいる菊代を見舞いに行けず、心配をかけてしまうのを気にしていた。足を挫いているが、それでもスタジオに行きたかった。スタジオは今も散らかったままで、思い出すだけで胸が苦しくなり、全身がむずむずしてしまう。心を決めた。行く、絶対に行く。荷物をまとめていると、インターホンが鳴った。足を引きずりながらゆっくりドアまで歩いた。開けると、目の前に逸平のすらりとした姿が現れた。逸平は今日濃い灰色のコートを着て、ますます冷たい白さが際立つ肌をしていた。今、その深い目で葉月をじっと見下ろしている。「出かけるつもりか?」眉を上げながら、明らかに不賛成といった声で尋ねた。葉月が軽くうなずいて振り返ろうとした瞬間、体が浮かび上がるのを感じた。逸平は何も言わずに葉月を横抱きにした。優しいが容赦ない動きで、「足を挫いてるのにまだじっとしていられないのかよ」とつぶやいた。「あなたこそ足挫いてるよ!」葉月は恥ずかしさと怒りで逸平の肩を小突いたが、傷を引きずる動作で思わず「いたっ」と声を漏らした。逸平は軽く笑い、その胸の振動が服越しに伝わってきた。そっとソファに下ろすと、上から見下ろしながら尋ねた。「言ってみろ。どこに行くつもりだったんだ?こんな状態でも行きたいほどに」「スタジオに」葉月が言った。逸平は淡々とした表情で言った。「急ぐことじゃない。怪我が治ってからにしろ」葉月が顔を上げて逸平を見つめ、頑なな口調で言った。「もしあなたの会社が壊されたら、のんびり養生なんてしてられないでしょう?」この仮定は逸平には当てはまらなかった。「誰もそんなことはできないさ」それに、グループの警備も金食い虫じゃない。葉月は本当に逸平と話が続かないと感じ、小声で言った。「待ってなさい。そのうちあなたの会社を壊しに行くから」逸平は眉を上げた。「いいぞ、お待ちしてる。自らお出迎えするよ」葉月はここで逸平と口論する気もなく、ソファから立ち上がると、足を引きずりながらスマホを取りに行った。今日はどうしても
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第172話

葉月はしゃがみ込み、床に散らばった化粧品を見て、あまり傷ついていないものを拾い上げた。葉月は突然腕が掴まれ、逸平が彼女を立ち上がらせて、傍らの椅子を引き寄せて彼女の後ろに置いた。「座って、動かないで」逸平はコートを脱いで、さっと椅子の背もたれにかけると、カフスボタンを外してシャツの袖を肘まで捲り上げた。逸平は倒れた机や椅子を起こし、比較的大きな物を一箇所にまとめた。そして残ったまだ無傷そうな小物を一つ一つ、葉月にまだ必要かどうかと尋ねていった。お金に困らない井上家の御曹司は、おそらく何年も掃除のようなことをしていなかっただろう。だが逸平が片付け始めると、それは驚くほど手慣れた様子だ。千川市での生活経験や、海外での一人暮らしが、こうした作業を逸平にとって容易なものにしていたのかもしれない。逸平は外見上無傷そうな箱を拾い上げ、開けてみると中にはネックレスが入っていた。葉月はそれを見て、少し惜しそうな表情を浮かべた。「どうした?これは君のものか?」逸平が尋ねた。葉月は頷いた。「ええ、この前悦子が誕生日にくれたものなの。でもある日、お客様が写真撮影に合うアクセサリーが見つからなくて、悦子が私に借りに来たの。一度着けただけで、こんなふうに壊れてしまうなんて」逸平はアクセサリーに詳しいわけではなかったが、高価なジュエリーを多く見てきた逸平には、このネックレスが大した値段のものではないことがわかった。しかし葉月が気に入っているようだったから、葉月の手からネックレスを取り、「修理に出そう」と言った。しかし、葉月は拒んだ。「ううん、結構よ」「じゃあ新しいのを買おう」葉月が顔を上げると、逸平の優しい表情の中に、かつて有紗と全く同じピンクダイヤのネックレスを思い出した。葉月はふっと笑った。その笑いは浅かったが、逸平の心をなぜか締め付けた。「逸平、同時に二人に贈られるプレゼントはいらないわ」自分にくれたら、有紗さんにも同じものが届くんでしょう?逸平は葉月の言葉の意味がわからず、困惑の色を浮かべた。「どういう意味だ?」葉月は答えなかった。彼女は再びその欠けたネックレスを手に取り、指先でその欠けた部分を軽く撫でながら言った。「ほら、このネックレスは直しても跡が残るわ。それは避けられないことなの」葉月
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第173話

逸平は不安だったし、理解もできなかった。それでも臆病で聞く勇気がなかった。聞きたくない答えを聞くのが怖かった。葉月と逸平がエレベーターから出た時、葉月の家の前にここにいるはずのない人影が立っていた。甚太だった。逸平は甚太を見た瞬間、体内で最も暴力的な感情が猛り立った。一方、甚太も逸平を見て少なからず驚いた。葉月はもう逸平と別居しているんじゃなかったのか?逸平は黙って葉月を支えながら進み、葉月は小声で尋ねた。「甚太、どうしてここに?」甚太の手には保温バッグが提げられていた。開けると保温容器が入っていた。甚太は優しく微笑み、葉月に言った。「怪我したんだろ?不便だろうと思って、スープを作った。簡単な料理も持ってきたんだ」葉月は驚き、断りたいと思ったが、すでに作って届けてくれたものをどうすればいいのか?葉月は笑って礼儀正しく言った。「ご面倒おかけしました」傍らの逸平は保温バッグの中身を一瞥し、軽く鼻で笑った。「腕前はいいようだが、葉月のことは俺で十分だ。これ以上ご迷惑はかけられない」甚太が目を上げると、逸平と視線が合い、暗雲が立ち込めた。甚太は口元に穏やかな笑みを浮かべながらも、声には鋭さがあった。「冗談言わないで、逸平。葉月は今動きにくいんだから、世話する人が多い方がいいでしょ」逸平は口元を緩め、さりげなく葉月を自分の方へ引き寄せた。「ご親切にどうも」彼は手を伸ばして保温バッグを受け取った。「ちょうど俺も腹がすいたんだ。甚太、俺も食べさせてもらっていいかな?」そう言うと、甚太の返答を待たず、片手で葉月を支え、もう片手で保温バッグを持ち、葉月に極めて優しい声で言った。「ドア開けて、葉月」逸平は、甚太の前でわざと親しげに振る舞った。これまで自分に対して、こんなに親しげに接したことは一度もなかった。甚太の前では、怒るわけにもいかなかった。どんなに二人で騒いでも、外の人に笑いものにされるようなことは避けなければならない。葉月は逸平を睨みつけ、ドアのロックを解除した。逸平はすでに相手の保温バッグを受け取っていたから、甚太をドアの外に追い返すわけにもいかなかった。葉月は振り返って甚太に言った。「甚太、あなたも上がってきて」三人が食卓に着くと、逸平はさっさと保温バッグの中身を一つ一つ取り出した
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第174話

逸平の言葉には刺がついており、痛烈に皮肉を込めていた。甚太もこんな無頼漢は珍しいと感じた。「構わないよ。井上社長がお気に召したなら、今度またもっと作って差し上げよう」「そこまでしなくても」逸平はスプーンを置き、ゆっくりとした口調で言った。「スープくらい俺もできるんだ。これからは俺が葉月に作ってあげるから。ただし、甚太がどうしても俺にスープを作りたいというのなら、お言葉に甘えさせていただこうか」葉月は二人の男の間で交わされる目に見えない火花に、こめかみがうずくのを感じた。彼女はついに我慢できず、逸平の太ももをひねった。逸平は痛みでヒッと声を漏らし、葉月を振り返った。顔には無理に平静を装った笑みが浮かんでいた。葉月はそれには気づかず、甚太に言った。「今日はありがとう、甚太。でもこれからは大丈夫よ。私には十分」彼女の拒絶は明らかだった。逸平はそれを聞いて、ご機嫌だった。まあ、葉月もそこまで自分を失望させはしなかったようだな。逸平は椅子の背もたれに寄りかかり、甚太を漫然と見つめた。顔には笑みを浮かべ、明らかな嘲りが見て取れた。甚太は色を変えず、ただメガネを直して言った。「わかった。ではゆっくり休んでください。何かあればいつでも連絡して」逸平はわざと指の関節をポキポキ鳴らし、葉月と甚太の視線を同時に自分に向けさせた。甚太はここまでだと悟り、立ち上がった。「では失礼するね」葉月も立ち上がろうとしたが、逸平に押し戻された。「座ってろ。足が不自由なくせに」葉月は歯ぎしりした。この人の言葉はどうしてこんな耳障りなんだろう?逸平は葉月の恨めしい視線を無視し、甚太が持ってきた物を全て保温バッグに詰め、渡した。「お気をつけて。見送りはいらないだろう?」甚太は保温バッグを受け取り、黙って去っていった。夜風は冷たく、吐く息が白くなっていた。甚太は建物の入り口でタバコに火をつけ、口元を緩めた。その目には普段の温厚なイメージとはかけ離れた凶暴な光が走っていた。一本の煙草を吸い終わってから甚太は完全に立ち直り、保温袋をさりげなくゴミ箱に捨てた。急ぐ必要はない、ゆっくりやればいいんだ。これからはまだ長いんだ。一方、葉月の家では、逸平がソファに座り、スマホを真剣に見つめ、時々指先でタップしていた。「まだ帰らな
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第175話

逸平の誠実そうな顔と真摯な口調は、かえって葉月の心をさらに不快にさせた。どうして今になったこそ、こんなに深情けで責任感があるように振る舞うのか。「逸平、今日スタジオで私が言ったことの意味は分かっているはずよね」逸平は聡明な人間だ。葉月は彼が理解していないとは信じられなかった。そして逸平がよく分かってる。ただ自分を欺き、知らないふりを強いているだけなのだ。「あなたからの親切はもう結構よ。もういらないわ」そう言うと、葉月はゆっくりと部屋へと歩き去り、逸平が去るか留まるかにはもう構わなかった。逸平はソファに座り、一点を見つめてじっとしていた。心は乱れ、ばらばらになっていた。どうすればいいのか、逸平ままったく分からなかった。葉月は逸平を拒み、距離を置き、どんな親切も受け入れようとしなかった。まるで今はもう償う機会さえないかのようだった。長い時間が過ぎ、葉月はようやくドアの閉まるかすかな音を聞いた。逸平は去った。葉月は軽く息を吐いた。これでいい、もう十分だ。……菊代はようやく退院した。その日、善二と韻世も来ていたし、一騎も珍しく姿を見せた。韻世に抱かれていた一騎は、葉月を見ると明らかに不機嫌そうだ。しかし葉月は一騎を気にかけるつもりもなかった。そもそも一騎のことが好きではなかったのだ。善二一家など、見えないふりをすればいい。逸平の姿がずっと見えないと、善二は何か好機を捉えたように、「いい婿だと思っていたのに、お義母さんの退院にも来ないなんて」とわざと愚痴をこぼした。葉月はその言葉に不愉快と感じた。「そうわね、あなたのような立派な息子には確かに及ばないわ。お母さんが入院して一ヶ月以上経ったのに、あなたは何回来たのかしら」葉月のはっきりな言葉は、すべて事実だ。その故、善二は反論のしようがなかった。菊代はまた喧嘩になりそうなのを見て、すぐに仲裁に入った。「いい加減にしなさい。逸平は忙しいんだから、私のことにそんなに時間を割けるわけがない。この間はもう十分してくれたわ」葉月はそれ以上何も言わなかった。ただ母の腕を支えに歩み寄った。彼らは皆、逸平が今日は来ないだろうと思っていたが、ちょうど荷物をまとめて帰ろうとした時、逸平が慌ただしく駆けつけてきた。急いで来たせいか、前髪が乱れ、身な
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第176話

清原家の別荘に戻ってからも、逸平は去らず、庭で一本の煙草を吸い終わってから、ようやく中へ向かおうとした。しかし、ボールを拾いに走り出してきた一騎とばったりぶつかってしまった。小さな一騎は逸平の腿ほどの高さもなく、ぶつかるとすぐに転んでしまった。実際は軽くぶつかっただけで、一騎が踏ん張れなかっただけだった。残念なことに、一騎は性格が悪く、癇癪持ちで、地面に座り込むとすぐに駄々をこね、泣きわめき始めた。韻世が声を聞いて出てきたら、逸平が立ち尽くす姿を見え、その傍らで、一騎が地面に座り込み、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら「ママ、ママ」と叫んでいる姿が見えた。韻世はすぐに胸が痛く感じ、駆け寄って一騎を抱き上げた。「泣かないで、ママがここにいるよ」と優しく慰めた。一騎の泣き声があまりにも大きかった。善二と正雄もその鳴き声を聞いて、出てきてしまった。菊代も心配で外に出ようとしたが、外は寒いため、葉月が風に当たらないよう留めた。代わりに自分が見に行くと伝えた。しかし外に出てみると、なんと逸平と一騎の間でトラブルが起きていた。葉月が現れると、逸平の視線は自然と葉月に向けられた。しかし、葉月の探るような視線と合うと、逸平は思わず目をそらした。善二は一騎が泣き叫んでいるのを見て、「どうしたんだ?」と尋ねた。韻世は一騎を抱いたまま二歩くらい下がり、怒りに満ちた顔で皮肉たっぷりに言った。「よくも聞けるわね、大人のくせに子供をいじめるなんて、どういうつもりか?」外にいた大人は逸平だけだったから、これは明らかに逸平が一騎をいじめたと言っているに等しいのだ。逸平はこれを聞いて冷笑し、不愉快そうだ。しかし口を開く前に、冷静で冷たい声が響いた。「自分の息子がどんな子か分かってないのか?事も確かめずに、でたらめを言うのはやめなさい。逸平がどうであれ、自ら子供に因縁をつけるような真似はしないわ。自分の息子がトラブルメーカーで泣き虫なのに、自覚がまったくないわね」韻世は葉月の言葉を聞いて、たちまちカッとなった。「何をでたらめ言ってるの?一騎が悔しい思いをしても泣いちゃいけないの?あなたたち、これが初めてじゃないでしょ。前回泥沼に放り込んだ件、あれで終わりだと思ってるの?」「じゃあ、どうしたいの?あなたに何ができるのかしら?」葉月が
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第177話

逸平はゆっくりと視線を戻し、顔はあくまで澄んでいて、少しも見つかったことによる気まずさなど感じさせなかった。むしろ薄笑いが浮かんで、葉月を見ながら「どうした?」と問いかけた。葉月はまるで拳をわたあめに打ち込んだような気持ちに襲われた。ふわふわとして、力が入らなかった。菊代は二人を家で食事に誘った。葉月も逸平も断らなかった。食卓の雰囲気は良くなかった。韻世たちと口論したばかりで、今は互いに目も合わせたくないようだった。普段から口論していなくても、互いに嫌悪感を抱いていることには変わりないのだが。食事を終えると、葉月は則枝から届いたメッセージを見て、両親に一声かけるとすぐに二階へ向かった。葉月は幼い頃から使っている部屋に入った。ドアは閉められておらず、後からついてきた逸平が入り口で葉月を見つめていた。以前からこの部屋も別に秘密の場所でもなかった。逸平は何度も入ったことがあった。二人が結婚してからは、むしろ逸平が足を踏み入れる機会はなくなっていた。葉月は振り返って逸平に気づくと、少し考えてから「入って」と言った。逸平も遠慮せず、さっさと机の前に座り、葉月が本棚で何かを探すのを見ていた。今回帰ってきたのは、則枝に大学時代のアルバムを探してあげるという用事もあった。数日前から則枝に頼まれていたことで、さっきまたメッセージが来なければ、葉月はすっかり忘れるところだった。葉月と則枝は大学が別々だったが、その時則枝はよく葉月の大学に遊びに来ていた。葉月は則枝がなぜ大学時代のアルバムを必要としているのかわからなかった。聞いても教えてくれなかった。ただ「役に立つ」と言うだけだった。葉月は幼い頃からの写真が多く、それぞれの時期ごとに別々のアルバムにまとめられている。大学時代のアルバムを見つけた時、それを引き出そうとしたが、高いところに置いていて、つま先立ちにならないと届かなかった。逸平が取りづらそうにしているのを見て手伝おうとした瞬間、葉月は誤って高校時代のアルバムを落としてしまった。アルバムは床に落ち、開いた。葉月がふと見下ろすと、開いたページからちらりと見えた写真に驚き、慌ててしゃがみ込みアルバムを閉じた。逸平に見られないように必死だ。葉月の動きは速く、何かを急いで隠そうとしているようだ。逸平はは
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第178話

そして葉月も確かに逸平にメッセージを送っていたが、内容は【今日は甚太が来てくれたおかげで、私もずいぶん助かったわ】というものだった。当時、葉月と甚太の間にあったのはまだ公にされた婚約関係ではなく、逸平は少し嫉妬を感じていたのだが、深くは考えなかった。逸平はただ、自分が葉月のそばにいられないことを恨んだ。そうでなければ、甚太など関係なかったのに。そして逸平が二十歳の年に急いで海外から戻ってきた時、受け取ったのは好きだった女の子が別人と婚約したという知らせだった。その時初めて、葉月は自分を好きではないという事実を認めた。葉月がひそかに想いを寄せていたのも逸平ではなく、甚太だった。「アルバムを持ってどうするの?」逸平は葉月を見つめ、表は平静を装っていたが、裏には恐れていた。「則枝が欲しいって言うから。何に使うかは私もわからないわ」逸平はしばらく葉月を見つめた後、それ以上何も言わず、立ち上がって階下へ向かった。葉月は感じ取った。逸平はまた何か不機嫌になっているようだ。もしかしたら、さっきの写真のせいか?葉月は、おそらくそうだろうと思った。今の葉月はどうあれまだ井上夫人なのだ。突然あんな写真を逸平の目の前に出すのは、やはりまずかった。階下に降りた逸平はひどく無口になり、ソファに座ってスマホを見つめていたが、何を見ているのかはわからなかった。葉月は逸平の斜め前の席に座り、アルバムの写真を撮って則枝に送った。【ありがとう、マイベイビー!そのうちご飯おごるわ!】と則枝からメッセージが届いた。葉月は尋ねた。【これ、一体何に使うの?】則枝は相変わらずの言い訳――役に立つから、そのうちわかるよ。しか言わなかった。明らかに話す気がないとわかったので、葉月はそれ以上詮索しなかった。葉月は自分で車を運転して来ていたので、帰りも逸平と同乗するつもりはなかった。明日用事があるから、いつでも車が必要で、慣れた車がないと不便だと言い訳して、無理やり自分で車を運転して清原家を後にした。そして葉月と同じ方向の逸平は速度を調整し、ゆっくりと葉月の後を追いついた。葉月はバックミラーに逸平の車を確認できたが、特に気にも留めなかった。逸平はあの写真を見なかったふりをしようとしたが、一度目にしてしまったら忘れられるものではな
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第179話

葉月の足からは力がすっかり抜け、膝がガクガクと震えて体重を支えきれないほどだ。彼女は下唇を強く噛みしめ、痛みで意識を保ちながら、よろめくように前へ走り出した。夜風が頬を切りつけるように吹き抜け、目を刺すような痛んだ。温かい涙が溢れるが、冷たい風ですぐに冷たくなった。葉月は手の甲で顔を拭ったが、どうしても涙を拭ききれなかった。事故が起きた交差点はすでに大混乱に陥っていた。周囲には見物人や救助に駆けつけた車が数多く停まっていた。事故現場の周りには多くの人が立ち尽くしていた。叫び声と泣き声、燃える音が入り混じり、炎の明滅が混乱した現場を照らしていた。葉月の心臓も不安定に鼓動を打っていた。葉月の視線は歪んだ車両の間を慌ただしく行き来し、無意識に拳を握りしめ、爪が掌に食い込むほどだ。逸平は?逸平の車は見当たらなかった。さっき、黒いセダンがいきなり右側から飛び出し、無理やり前の車に割り込んできたのだ。まぶしいブレーキランプが点灯した瞬間、後続車が次々と追突し、耳をつんざく追突音が響き渡った。しかし割り込んだ黒い車は何も感じていないかのように前進を続けた。左折していた大型トラックは避けきれず、運転手が急ハンドルを切ったが間に合わなかった。耳を劈くような轟音と共に、巨大なトラックが横転し、地面に叩きつけられた。避け遅れた数台の乗用車は一瞬にして下敷きになった。これが事故の原因だ。警察官と救急隊はまだついていない。すでに通行人たちが自発的に救助活動を始めていた。葉月は血まみれの人々が車から救出されるのを目の当たりにし、自身の血液も徐々に凍りつくようだった。血だらけの逸平の姿が脳裏に浮かび、考えるのも恐ろしくて体が震えた。「逸平!」葉月は周囲を探し回り、一台一台確認しながら、逸平の車が見つからないことを恐れた。しかし同時に見つけてしまうことにも怯えていた。だが葉月の叫び声は、騒然とした現場にかき消されるほど微かなものだ。パトカーと救急車のサイレンが鳴り響き、葉月の鼓膜を貫きそうだった。警察は警戒線を張り始め、救急隊員は担架を運びながら事故現場の車の間を駆け回っていた。助けを求める叫び声、苦しそうなうめき声が交錯し、葉月のこめかみは脈打つように疼いた。やがて、葉月は少し離れた場所に
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第180話

拒めば拒むほど、あの血生臭い光景が脳裏に鮮明に浮かび上がた。トラックの下に押しつぶされた歪んだ車、救急隊員が運び出す血まみれの担架を思い出した。「大丈夫ですか?しっかりしなさい!」警察官の声が遠くから聞こえてくるようだった。葉月の視界がぼやけ、耳元でブーンという音が鳴り響いた。葉月が倒れそうになったその瞬間、騒音を突き抜けて、慣れ親しむ声が葉月の耳に届いた。「葉月」葉月は全身を震わせ、ゆっくりと振り向いた。幻聴だったらどうしようと恐れていた。そして少し離れたところで、逸平がパトカーの灯光の中に静かに佇んでいた。黒いトレンチコートが夜風に軽くたなびき、逸平の姿を一層颯爽と見せていた。眉をひそめ、複雑な感情が渦巻く瞳、薄い唇は一直線に結ばれていた。無傷で、生きている逸平。葉月の涙が一気に溢れ出した。今まで抑えていた恐怖、心配、絶望が、この瞬間一気に爆発した。周囲の人々も、散乱した惨状も気にせず、逸平に向かって走り出した。葉月は逸平の懐に飛び込み、その腰をしっかりと抱きしめた。突然の衝撃で逸平は半歩後退して、手が固まった。そのあとすぐ葉月をしっかりと抱き締めた。「もう、びっくりした!」葉月は逸平の胸に顔を埋め、鼻声でぼそっと呟いた。逸平の慣れ親しんだ冷たい香りと、微かな血の匂いが混ざり、葉月はさらに強く抱きしめた。逸平の手がそっと葉月の後頭部に触れ、指が乱れた長い髪を梳いた。「もう大丈夫だ」逸平の声は低くかすれ、かすかな震えを隠しきれなかった。「お前の方が心配だった。もう離れていたのに、なぜ戻ってきた?どれだけ危険か分かっているのか?」ここら中に燃料漏れの車が転がっていて、いつ爆発してもおかしくないのだ。責める言葉だが、最も優しい口調だった。逸平は前の信号で葉月から少し遅れてしまい、追いついた時には既に2台の車がその間に挟まっていた。そしてあの狂ったように加速し始めた車に、逸平はすぐ警戒心を抱いた。前の車が急停止した時、逸平は即座にブレーキを踏んだが、激しい追突事故が起こり、強烈な衝撃にぶつかった瞬間、頭が真っ白になった。続いて起こった多重追突と、制御を失った数台の車の衝突は、完全に予想を超えていた。トラックが横転する瞬間、逸平の心臓は止まりそうになった。幸い、
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