All Chapters of 私は待ち続け、あなたは狂った: Chapter 271 - Chapter 280

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第271話

則枝のアパートは買い物袋で溢れかえっていた。ピンクやブルーのベビー服、ぬいぐるみ、小さな哺乳瓶がソファに散らばり、テーブルには妊娠ガイドブックが数冊置かれていた。彼女は鼻歌を歌いながら、クマのプリントが入ったベビー服を丁寧にたたみ、ギフトボックスに収めていた。顔には抑えきれない笑みが浮かんでいた。葉月の妊娠を、則枝は心から喜んでいた。産むことを選んだ以上、その子を精一杯愛してやろうと思った。「赤ちゃんの性別がわかったら、また買い足そう」可愛い女の子だと嬉しいけれど、ハンサムな男の子でも悪くない、と則枝は密かに思っていた。独り言のように呟くと、またガラガラを手に取り軽く振った。澄んだ音に思わず笑みがこぼれた。その時、不意にインターホンが鳴った。則枝は眉をひそめ、手にしていた物を置いてドアに向かった。しかし、ドアの外に立つ人物を見た瞬間、彼女の笑顔は凍りついた。そこに立っていたのは太一だ。前回病院で会って以来、太一とは会っていなかった。彼女は反射的にドアを閉めようとしたが、彼に腕で押さえこまれた。「則枝、そこまでして俺を中に入れたくないのかよ?」則枝はまだドアを閉めようとしながら言った。「私たちはもう別れたんだから、あなたはここに来るべきじゃないでしょ」太一は鼻で笑うと、則枝の肩越しに室内を鋭い目で睨んだ。「家に男でも隠してるのか?」「何言ってるの?」則枝は本当に太一の気が狂ったのかと思った。「じゃあ、なぜ入れてくれないんだよ?」則枝はむっとした。「さっき言ったでしょ?私たちはもう終わったのよ!」太一はさらに鋭い目をして、力任せにドアを押し開け中に入ってきた。則枝は止めようとしたが止められなかった。太一はリビング無防備に置かれているベビー用品に目を留めた。「これは何だ?」彼の声は不気味なほど低かった。則枝は一瞬心臓が止まりそうになった。来るタイミングが最悪だと思った。それでも平静を装って言い返した。「あなたには関係ないでしょ?私たちはもう別れたんだから、出てって。許可なく人の家に入ったのだから、警察を呼ぶわよ!」太一は彼女の言葉を無視し、ソファの上のベビー服を手に取ると、指の関節が白くなるほど強く握りしめた。「則枝、正直に言え。お前、妊娠してるのか?」「何言ってるの!」則枝の耳が
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第272話

太一は動きを止め、瞳には複雑な感情が渦巻いていた。「別れた後に気づいたから、俺に隠してたのか?」「……」則枝は本当に呆れ果てていた。「勘違いしないで!」則枝は彼の手を振り払い、言葉を選ばずに言った。「仮に妊娠してたとしても、あなたの子じゃないわ!別れたその日に別の男と寝たんだから、今妊娠してても他人の子よ。もういいでしょ?」その瞬間、太一の顔は蒼白になり、まるで頭を鈍器で殴られたような感覚に陥った。何か言おうとしたが声が出ず、目の前の女の嫌悪と頑なな表情から、彼女の言葉が本当なのか嘘なのか太一にはわからなかった。だが則枝は言い終わるとすぐに後悔した。ひどい言い方をしてしまったが、プライドが邪魔をして謝ることができなかった。しかし葉月を裏切って太一に真実を告げることもできなかった。二人はその場に立ち尽くした。太一は彼女をじっと見つめた後、突然背を向け、ドアを力任せに閉めて去って行った。……クラウド・ナインで、逸平は酒を煽る太一を見て眉をひそめた。卓也も呆れ顔だ。この間逸平が泥酔したばかりなのに、今度は太一が同じ様に酒に溺れている。自分はまだ足にギプスをしているというのに、また二人の付き合いで誘われたのだ。「ゆっくり飲めよ。まさか死ぬ気じゃないだろう?」逸平はグラスを取り上げた。太一は既に泥酔していた。朧げな目で笑いながら言った。「ぺいちゃん、女って何でこんなに冷酷な生き物なんだ?どう見ても俺の子なのに、それなのにアイツは……他の子だなんて言うんだ……」逸平の動作が止まった。「則枝、妊娠してるのか?」卓也もさすがに驚いた。妊娠?則枝が妊娠した?マズイ、大変なことになるぞ。望月家の人間が知ったら、太一を殺しに来るかもしれない。「でも則枝は認めないんだ。俺の子じゃないって」太一は顔を手で覆い、声を詰まらせた。「でも俺にはわかる。アイツはそんな軽はずみな女じゃない。赤ん坊が俺の子じゃないわけがないだろ?」逸平と卓也はまだ混乱していた。どうして突然妊娠したんだ?「どうして彼女が妊娠したと分かったんだ?」逸平はふと、前回病院で葉月と則枝に会ったことを思い出した。でもあの時、則枝は妊娠していないと言っていたのではなかったか?その則枝がなぜ突然妊娠したんだろう?「俺見たんだよ、則枝の家にベビー
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第273話

卓也は逸平の肩を叩いた。「何をぼんやりしてるんだ?」逸平は目を伏せて感情を抑え、軽く首を振った。「何でもない」卓也は軽くため息をつき、彼の肩を叩いた。「もう忘れろよ。葉月さんとのことは誰のせいでもない。これからは先のことを考えろ」逸平は微笑んで、それ以上は何も言わなかった。確かにこれから先のことを考えなければならない。しかし、骨の髄まで染みついた執着心を、簡単に捨て去ることはできない。逸平が離婚に同意したのは、葉月が自分を愛していないと思い込み、自分の愛が彼女の枷になることを望まなかったからだ。でも今は違う。逸平は、葉月の心の中には自分がいることを、ようやく知ったのだ。彼女に愛されていると知った以上、もう自分の気持ちが簡単に折れることはない。逸平は突然、何かを思い立ったように立ち上がった。卓也は素早く逸平の腕をつかんだ。「どこに行く気だ?まだ飲み始めたばかりだろ?」以前なら、家族がいることを理由に途中で抜け出すこともできた。独り身になった今、まだ逃げだすつもりなのか?逸平は言った。「お前には関係ないだろ?」そう言うと、逸平は踵を返して去っていった。-あっという間に妊娠三ヶ月になった。妊娠がわかって以来、葉月は何をするにも以前よりずっと慎重になっていた。ある夜、子供がいなくなる夢を見て飛び起きると、体中が冷や汗でびっしょり濡れていた。その時、葉月は強く思った――この子を産み、自分の愛情を全て注いで、成長を見守いたいと。他のことは、もう考えたくもないし、考える気力もなかった。今日は則枝が訪ねてきて、お腹の子へのプレゼントを持って来てくれたが、彼女は不機嫌そうだ。葉月は則枝に白湯を手渡して言った。「どうかしたの?」則枝は泣きそうな顔で言った。「今日誰が家に来たと思う?」「誰?」「太一よ」「信じられる?私が家にベビー用品を置いていただけで、彼、発狂したのよ」則枝は自分も頭がおかしくなりそうだった。「彼、私が妊娠したと思い込んで、私がいくら説明しても信じてくれなくて、病院で検査を受けさせようとするの!」「考えれば考えるほど腹が立って、何なら病院で検査を受けて見せてやるべきだったわ。アイツとの縁を切るためにね!」葉月は唇を軽く噛みながら笑い、彼女の腕を抱きしめ
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第274話

でも子供は生きている人間で、物ではないのだから、隠そうと思って簡単に隠せるものではない。遅かれ早かれ逸平が気付く日が来る。その時彼らがその気になれば、子供はすぐに奪われてしまうだろう。「まあいいわ、もう一度よく考えて。私は絶対あなたの味方よ。何があってもあなたを応援するわ」二人はこの話題をそれ以上は続けず、則枝が買ったベビー用品を一つ一つ見始めた。以前はベビー用品店の商品を見ても何も感じなかったが、今改めて見ると、一つ一つが葉月にはたまらなく可愛く思えた。見ている最中、葉月の携帯の画面が突然光り、メッセージが表示された。裕章からのだ。【葉月、明日時間ある?カナティーが君と一緒に食事したがってるんだ】葉月は手に持っていたものを置いて返信した。【明日一緒に夕食を食べましょう。仕事が終わったら行きますわ】裕章からすぐ返信が来た。【了解、じゃあ明日また連絡するよ】これで終わりかと思ったら、またボイスメッセージが届いた。葉月が開くと、和佳奈の声が聞こえた。「葉月お姉さん、明日絶対来てね!プレゼント用意したから!」傍らの裕章は苦笑いした。明日の食事をする時に渡した方がサプライズになるから秘密にしておこうと言ったのに、和佳奈は我慢できず、葉月に言ってしまったのだ。葉月もボイスメッセージで返した。「うん、楽しみにしてるね」携帯を置くと、則枝が意味深な目で葉月見ていることに気づいた。「どうしたの?」則枝は片手を腰に当て、片手でソファに寄りかかりながら言った。「あの子のこと、そんなに気に入ってるの?」葉月は笑って頷いて言った。「明日一緒に行かない?きっと則枝も好きになるよ」則枝はふんと鼻を鳴らした。「私は誘われてないもの」そして葉月のお腹に向かって言った。「安心してね、則枝おばちゃんはあなたのことが一番好きよ。あなたは他の子とは比べ物にならないんだから」葉月は則枝の言葉を聞いて笑った。ここ数日の複雑で重苦しい気持ちが少し晴れた気がした。とは言え、翌日則枝は葉月に連れられて食事に同席したのだった。事前に則枝も来ると聞いていたので、和佳奈は急いで彼女のためにもプレゼントを準備した。会うなり、小さな女の子は待ちきれないように葉月の懐に飛び込もうとした。「あっ、気を付けて!」則枝は素早く反応し、横に
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第275話

葉月が後ろから現れ、則枝の手から和佳奈を抱き上げて座った。葉月の腕に抱かれた和佳奈は、則枝に抱かれていた時よりもずっと嬉しそうだった。和佳奈は葉月と則枝にそれぞれ綺麗な小箱を手渡した。包装には歪んだ星のシールが貼られており、明らかに子供の手によるものだった。「葉月お姉さん、先に開けて!」和佳奈は彼女の腕の中でじたばたし、彼女の反応を見たくてたまらない様子だった。葉月は笑いながら彼女の頭を撫で、丁寧に包み紙を開いた。箱の中には手作りの貝殻のブレスレットが入っており、一つ一つの貝殻は丁寧に磨かれ、灯りの下で優しい光を放っていた。「これはパパと海で拾ったんだよ!」和佳奈は誇らしげに小さな顎を上げた。「すごく長い時間選んだんだ!」「本当にきれい、とっても気に入ったわ」葉月はすぐさま手首に着け、少女の頬にキスをすると、和佳奈はくすくす笑った。則枝は自分にもプレゼントがあるとは思っていなかった。「則枝お姉ちゃんも見てみて」小娘は葉月の胸に寄りかかり、少し恥ずかしそうに彼女を見た。則枝が箱を開けると、中には可愛い猫のピアスが入っていた。「猫ちゃん可愛いでしょ。パパがおばさんは可愛いものが好きだって言ってたから」和佳奈は小声で説明した。則枝は心底気に入り、葉月がこんなにこの子を好きなのも頷けると納得した。裕章は優しい笑顔で彼女達を見つめた。この数年、裕章は娘の和佳奈に最高の生活をさせてやろうと尽力し、惜しみなく愛情を注いできた。しかし子供の成長には欠かせない賑やかさや温もりを買い与えた物で補うことはできなかった。家には父親である裕章とお手伝いさんしかおらず、広い家はいつも時計針の音が聞こえるほど静かだった。そんな中、葉月の存在は、まるで静かな湖面に投げ込まれた小石のように、さざ波を立て、彼らの生活に新たな彩りをもたらした。裕章は今までの生活を振り返り反省した。もっと早く自身の頑なな考えを捨てるべきだった。成長期の和佳奈にはもっと多くの人と接することが何より大切なのだ。自分が和佳奈に与えられるものには限界がある。もう前に進むべき時だ。四人で食事を終え店を出ると、裕章は会計に行き、則枝はトイレへ向かった。葉月は和佳奈の手を引いて、ロビーで二人を待っていた。「葉月お姉さん」小娘が突然彼女の袖を引っ
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第276話

葉月がドアを開けた途端、強い酒の匂いが鼻を突いた。「またこんなに飲んだの?」葉月は無意識に逸平のふらつく体を支えようとしたが、逆に手首を掴まれた。逸平の目は薄暗い廊下の灯りの中で異様に輝き、まるで暗い炎を燃やしているようだった。逸平は葉月の質問には答えず、酔いの混じった目でじっと彼女を見つめた。「酔ってなんかいない」酔っ払いは決して自分が酔っていることを認めないものだ。葉月はこれ以上言い争う気になれなかった。彼を追い出そうと思ったが、逸平に帰る気がないなら何を言っても無駄だと分かっていた。イライラしながらも諦め、彼を家の中に引き入れてドアを閉めた。「ここで待ってて。タオルを持ってくるから」「今日、お前を見かけた」彼女が振り向いた瞬間、背後から男のしゃがれ切った声が響いた。「裕章たちと一緒にいた」葉月は彼の方に向き直り、探るような目を向けた。「私を尾行してたの?」逸平は沈黙し、しばらくしてようやく「すまない」と言った。卑怯だと言われようが、下劣だと言われようが、変態だと言われようが構わない。だが彼は不安でたまらなかった。葉月が視界から消えれば、そのまま永遠にいなくなってしまうような気がしていた。逸平が一歩前へ進むと、体から滴る雨水が玄関の床に落ちた。「本当に子供が好きなのか、それとも裕章が好きだから子供が好きになったのか」彼の声は次第に低くなり、抑えきれない感情を帯びていた。彼が進むたび、葉月は無意識に後退り、ついに背中が壁にぶつかった。逸平は壁に手をついて、彼女を自分と壁の間に閉じ込めた。彼は耳元に唇を寄せ、酒混じりの熱い息を彼女に吹きかけた。「あいつらと並んでいるお前を見ている時、俺が何を考えていたと思う?」「狂いそうなほど嫉妬してたよ」突然、逸平は葉月の耳たぶを軽く噛み、彼女は全身を震わせた。逸平の唇が首筋を伝い、鎖骨のあたりでゆっくりと動きを止めた。「逸平、もうやめて。あなた酔ってるわ。水を汲んでくるから、少し落ち着いて」葉月は逸平を押しのけようとしたが、彼は彼女の腰を抱き寄せて抱きしめた。「確かに酔ってるよ」逸平の掌が葉月の頬に触れ、親指で唇を撫でた。「葉月、俺も娘がほしい」逸平の言葉に、葉月の胸の奥が震えた。「お前によく似た娘がほしい」逸平の眼差しは信じられ
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第277話

逸平は本当に酔っ払っていた。葉月に抱きついてぶつぶつと何か言った後、酔いが回ってきて朦朧としていた。葉月は肩に預けられた頭を抱え、彼のこめかみが脈打つのを感じた。本当に、一日だってゆっくり休める日がない。ようやく逸平をソファまで運び、へとへとになった。葉月は腰に手を当て、ソファでぐっすり眠る逸平を見下ろした。髪も服もびしょ濡れのままで寝かせたらきっと風邪を引いてしまう。「あなたは本当に世話のやける人ね」バスタオルとドライヤーを取りに行き、まず逸平のびしょ濡れの服を脱がせた。「真冬にこんな薄着をして、何考えてるの?」ふいに腹が立ち、逸平の胸を強くつねった。痛みを感じたのか、逸平は眠りながらかすかにうめき声をあげた。「痛みは感じるのね?」葉月は逸平の体を拭きながら、彼がずいぶん痩せていることに気付いた。体を拭く手を止め、「困った人ね。どうせちゃんとご飯を食べていないんでしょう?」と独り言のように呟いた。葉月は軽くため息をつき、また彼の髪を拭き始めた。リビングにドライヤーの音が響いた。細く白い指が逸平の硬い髪を梳く。葉月の声はドライヤーの音にかき消された。この瞬間だけ、彼女は思い切って本音を口にできる気がした。視線は逸平の顔に留まり、その輪郭を丹念になぞるように見つめた。眉から鼻筋、薄い唇まで。輪郭が大人びて精悍になっていたけれど、やはり昔の面影も残っている。でも、心は?長い年月を経て、逸平の心はどう変わったのだろうか?傷ついた二つの心は、本当に元通りになれるのだろうか?自問自答して、葉月はそれが難しいと感じた。裏切られた信頼、無視された期待は、割れた鏡のように、仮に繕ったとしても、ひびが永遠に残ってしまう。逸平を見るたび、あの3年間の結婚生活の痛みを思い出してしまう。他のことの真偽はともかく、辛い思いをしたのは紛れもない事実だった。やっとの思いであの息苦しい関係から抜け出した葉月には、もう一度彼と向き合う勇気を持てそうになかった。「逸平、あなたは本当に私たちがやり直せると思っているの?それとも、ずっと自分の所有物のように思っていた私を突然失ったから、悔しくなってそんな態度をとっているだけ?」質問しても、眠っている逸平は何も答えない。髪を乾かし終えると、葉月
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第278話

逸平はこめかみを押さえた。昨夜の記憶が断片的によみがえってきた。接待の後、葉月と裕章親子が一緒にいるところを見かけた。三人はまるで家族のように見えた。会員制クラブで一杯また一杯と飲んだ強い酒に突然の豪雨、そして……葉月の顔。「ちくしょう」彼は低く呟き、自分が酔っ払って行った馬鹿なことを思い出した。こんな大切な時期に酔って葉月にまた迷惑をかけるなんて。彼女の自分への印象がさらに悪くなったらどうするんだ?ただ、具体的に何をしたかはっきり覚えていなかった。ぼんやりと葉月を抱きしめたことだけは覚えていたが、何を言ったかまでは思い出せなかった。今はただ、あまりにも常識外れなことをしていないこと、でたらめなことを言っていないことを祈るばかりだ。「目が醒めた?」背後から冷たい声が聞こえ、逸平は慌てて振り返ると、少しめまいがした。葉月が少し離れたところに立っていた。シンプルな部屋着を着て、手には湯呑みを持っている。「おはよう」逸平はしゃがれ声で言い、突然どう接していいかわからなくなった。「昨夜は……ありがとう」葉月が近づき、手に持っていた湯呑みと薬をテーブルに置いた。「二日酔いの薬とお白湯」彼女は逸平の少し青白い顔を見ると、思わず聞かずにはいられなかった。「頭、痛い?」「大丈夫」逸平は反射的にそう答えたが、彼女と目が合うとすぐ言い直した。「本当は結構痛い」葉月の口元がかすかに動いた。正直な彼の言葉に思わず笑ってしまったようだが、すぐに平静を取り戻して言った。「自業自得よ」彼女は腰をかがめて布団を抱えながら言った。「昨夜はかなり酔ってたわよ。それにずぶ濡れだったから、熱が出なかっただけでも運がよかったと思わなきゃ」逸平が二日酔い薬を飲みながら、彼女の目の下の薄いクマに気づいた。「昨日の夜、眠れなかったのか?」葉月はその言葉を聞いて、思わず苦笑いした。一瞬、逸平は葉月から目を逸らした。すると彼女は言った。「あなたが邪魔しに来なければ、ぐっすり眠れていたかもね」逸平の耳が熱くなった。「本当、ごめん」彼は少し間を置き、勇気を出して尋ねた。「昨夜、俺何か余計なことしたり、言ったりしなかった?もし嫌な思いをさせてたのなら、謝りたいんだ。どんな罰でも受けるよ。次からはこんな風になるまで飲まないって約束する
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第279話

逸平はそのスウェットを見て、表情を曇らせた。逸平はスウェットを受け取り、少しの間じっと見つめた後尋ねた。「この服……誰の?」葉月は逸平の問いには答えず、腰をかがめて湯呑を取り、まっすぐにキッチンへ向かった。逸平の胸がチクリと痛み、低い声で言った。「どうして家に男物の服があるんだ?葉月、聞こえてるだろ」葉月はその言葉で足を止め、振り返って彼を見ると、冷ややかに笑った。「逸平、あなたは一体どんな立場で私に質問してるの?元夫として?」逸平は表情を変え、言葉を詰まらせた。葉月は目に笑みを含ませて言った。「元夫に過ぎないあなたに、干渉する権利なんてないでしょう」逸平は口元を引き締め、渦巻く感情を無理やり押し殺した。彼は静かに、ぎこちない動作でスウェットを羽織った。そんな逸平の様子を見ると、なぜか葉月の心にかすかな快感が湧きあがった。葉月はわざと説明せず、キッチンから出てくると、白湯を一口飲んで言った。「どう、着心地悪い?」逸平は低い声で「ああ」と頷いた。「サイズが合わない」葉月は笑いをこらえるのに必死だった。――サイズが合わないだって?この服は元々彼のために用意しておいたものだった。しかし葉月は静かに、冷たく一瞥して言った。「じゃあ脱ぐ?」逸平は薄い唇をきゅっと結び、何も言わなかった。彼の胸に苦い感情が渦巻いていたが、葉月の態度を見ると、これ以上問い詰める勇気が持てなかった。葉月は逸平の表情を見て、なぜか一瞬心が緩んだ気がしたが、すぐにまた我に返った。……自業自得よ。このスウェットは卓也が届けたものだった。以前、葉月のスタジオと卓也の会社が協力して仕事をした時、彼女がこのスウェットのデザインや素材を気に入ったので、彼がそれをプレゼントしたのだ。ところが後日、卓也はカップル用だと言って、葉月と逸平のために2着送ってきたのだ。しかし今の逸平との関係から、葉月がスウェットを彼に渡せるはずもなかった。ずっと箱の中にしまっていたスウェットを、まさか逸平が着る日が来るなんて思ってもいなかった。「脱いだ服は洗っておいたけど、まだ乾いてないから、明日誰かに取りに来させてね。要らないなら、そのまま捨てておくけど」逸平は、葉月が昨晩自分を家に入れ、体を拭いてくれたことや洗濯までしてくれたことを
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第280話

「勘違いしないで。ただ酔ってまたここに来られると迷惑だから」視線が合い、逸平は葉月の瞳に拒絶と頑なさしか見いだせず、再び無力感が押し寄せた。「はあ……」逸平は重いため息をつき、諦めるしかなかった。逸平は一歩下がって言った。「ああ、わかったよ」葉月はそれ以上逸平を相手にしなかった。彼もそれ以上は何もせず、荷物を持って出て行った。外に出ると、冷たい風が吹きつけ、逸平は思わず身震いした。彼は思わず悪態をついた。昨夜、なぜ自分はワイシャツ一枚で葉月を訪ねたりしたんだ?-葉月がスタジオに着いたのは10時を過ぎていた。七海は彼女を見ると、タブレットを抱えて小走りに近寄ってきた。「葉月さん、待ってましたよ」七海はタブレットを差し、嬉しそうに言った。「昨夜、綾子さんのスタジオから連絡があって、来月のイベントに協力してほしいって」「綾子さん?」葉月はバッグをデスクに置き、タブレットを受け取った。綾子には専属のメイクチームがいるはずだ。それなのになぜ協力する必要が?それに、彼女とは個人的な付き合いがあるのだから、事前に一言あってもおかしくないのに。「綾子さんのチームがなぜ私たちと組むの?何か具体的な内容は話してた?」「前回行った澤口さんの会社とのコラボ企画を、綾子さんが高く評価して興味を持ってくれたそうなんです。詳細はタブレットにまとめてあります」葉月はそれ以上詮索せず、タブレットの内容に目を通して言った。「わかった。でもすぐ返事はしないで、まず状況を確認するわ」七海は「わかりました」と返事した。七海が出て行くと、葉月はしばらく考え、結局綾子にメッセージを送った。しかし暫く返信が来なかったので、葉月は携帯を置いて他の用事を始めた。あっという間に昼食時になり、七海が葉月を呼びに来た。葉月は携帯を見たが、まだ綾子からの返信はなかった。彼女は七海に返事をすると、外へ向かった。葉月が食事をしていると、悦子が近寄ってきて、にっこり笑いながら言った。「葉月さん、最近顔色いいですね!」彼女は葉月の体を見て言った。「でもちょっと太りました?顔も少しふっくらした気がします」葉月は箸を持つ手をわずかに震わせ、無意識に自分の頬に触れ、平静を装って笑った。「そうかな?」三ヶ月のお腹はまださほど目立たないが、
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