All Chapters of 少年王が愛する蓮は誓いの海ではなひらく: Chapter 31 - Chapter 40

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chapter,4 ~追憶は桜真珠の君を導く~ 1

  九十九がはじめてセイレーンを訪れたのは十歳の盛夏だった。当時はかの国と良好な関係を築いていた誓蓮王朝は、九十九たちを快く迎え入れ、盛大な宴を催してくれた。  年間を通じて温暖な気候がつづくこの地は常に極彩色の花々が咲き、色鮮やかな珍しい小鳥がかん高い声色で歌を囀りつづけている。七つの宝石が島となり国を成したというセイレーンは国そのものが宝物のように眩しかったと九十九は回想する。  国祖神ナターシャは麗しい姿を見せ、始祖神の子孫である皇一族に頭を垂れたが、始祖神と国祖神の母神にあたる海神の眷属でしかない人魚の女王オリヴィエは常に偉そうにしていた。 ――なぜあの女王さまは国神さまより偉そうなの? 父親に訊けば、上機嫌な表情で美しいからいいのだと質問を撥ね退けられ、それ以上口にするのを憚れてしまった。  確かに女王オリヴィエは美しかった。けれど九十九は彼女が怖かった。人形みたいで。  逆にセイレーンの国神はきさくで人間らしく、九十九のような少年の言葉にもしっかり耳を傾けてくれた。自分の母が生きていたらこんな感じなのかと本人に尋ねたら、せめて姉にしなさいと窘められたのもいい思い出だ。  だが……そんな彼女から、自分は国を統べる神のちからを奪ったのだ。彼女が女王を制していれば、九十九の父で九十八代神皇帝だった哉登が死ぬことなどなかったのだから。  那沙と名を改められた元国神は、九十九の要請どおり、迎果七島の土地神になることを承諾した。そのときできれば女王の娘を手に入れたかったが、それは叶わなかった。「――なぜなら、彼女は女王に認められずに市井で育てられた、珊瑚蓮の精霊だったから、の」 ふぃと浮かび上がる影に遮られ、九十九は瞳を瞬かせる。宙に浮かぶ少女は目にも鮮やかな瞳を悪戯っぽく煌めかせ、風もないのに白い袿の裾をゆらゆら揺らして遊んでいる。  天色と呼ばれる空の青を宿した双眸は、興味深そうに九十九の姿を映し出す。  それは神皇帝に選ばれたものしか認識することの叶わない、始祖神の姐神。父なる創造神と母なる海神が産み落とした、天を統べることを司る、最初で最後の宿命を賜れた第一の女神。天神。万物の理を無視
last updateLast Updated : 2025-09-12
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 2

  誘惑するような声色が、九十九の耳元を攫っていく。彼女を敬う口調はすでに忘れ去られていた。「……助言、だと」 受け入れてはいけない。神が口にする気まぐれはときに国を滅ぼしかねない。自分の父が至高神に唆されてセイレーンの女王と対面して心奪われ闇鬼に囚われてしまったときのことを思い出しながら、九十九は反論する。「そうさ。この世界の命運を握る珊瑚蓮の精霊を手に入れたいのだろう? 初恋の君に早(はよ)う逢いたいだろう? そなたが彼女を強く求める理由を、知りたくはないのかえ?」 「強く求める理由?」 その言葉に、抵抗を感じたのはなぜだろう。九十九はカッと顔色を赤くして言い返す。「まるで神がおれの初恋を決めたような言い方だな。おれが彼女を見初めたのはけして神のちからではない。おれが決めたことだ」 「そう思いたければそう思っているがよい。ま、そなただけがその思い出を美化して胸に仕舞っているようだがな」 ガツンと頭を硬い物で殴られたような衝撃を感じながら、九十九は反論する。「……何をわかったようなことを。彼女はおれを頼ったんだ。おれが次の神皇帝となったら、珊瑚蓮の花が咲くのだと」 「それは否定せぬ。げんに今、珊瑚蓮には蕾がついておる。だが、その花の色が問題だ」 「花の色?」 「このままだと、花は闇を包容し、滅亡の黒花を咲かせるだろう」 予言するように至高神は口にする。うたうような柔らかな口調に、九十九は思わず黙り込む。「珊瑚蓮の精霊には愛情を。女王が闇に染まってしまったいま、珊瑚蓮の花を愛溢れる珊瑚の桜色へと染め上げるのは、始祖神の『地』のちからと彼女の『海』のちからが結ばれなければ叶わぬこと……だから妾はとっととそなたが珊瑚蓮の精霊を見つけ出すことを待っておるというのに。女王の娘だと思った花嫁は生粋の人魚で男! まったく話にならぬ。初恋の思い出に足を掬われないうちに、現実を思い知れ。このままだと死んでしまうぞ。あのちいさな真珠の花は」 「死ぬのか!」 物騒な言葉に九十九が食らいつく。「そうさ。過度なちからを宿した珊
last updateLast Updated : 2025-09-13
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 3

    * * *  道花は自分が滞在している桃花桜宮の名の由来となっている桃の花も桜の花も知らない。 ――だというのに桜という植物がひどく懐かしいものに思えてしまうのはどうしてだろう? 生まれたときからずっと常夏のセイレーンにいたから当然のことと言われたらそうかもしれないが、木陰がかの国では桜の花はセイレーンの蓮の花のようなものだと教えてくれたのだ。それで昔どこかで耳にしていたのだろう、サクラという凛とした言葉の響きを。  かの国の国花に定められているのだ、きっと美しい花なのだろうとその話を聞いていてもたってもいられなくなっていた道花は寝台で眠っているカイジールをおいて、早朝の散策に出発していた。桜の花が春にしか咲かないことも知らないまま。  だって道花が知っているのは天高く花開く大輪の向日葵や神殿の柱に蔦を這わせて至る所に星型の花を咲かせる赤や橙の縷紅草(るこうそう)、建物を囲うように鬱蒼と茂る凌霄花(ノウゼンカズラ)、天井から垂れさがるように花を見せる瑠璃茉莉(るりまつり)に海辺に植えられた清楚な白い浜木綿(はまゆう)、道花の顔よりもおおきな花をつける天使の喇叭(エンゼルトランペット)……そして自分が丹精込めて育てている珊瑚蓮。その程度しか、植物の知識がないのだ。  だからかの国で見聞きする植物はどれもこれも奇妙で興味深くて、昨日の夜に気をつけろとカイジールに忠告されたばかりだというのにこうして単独行動に走ってしまった。「だけど大丈夫よね、まだ朝早いんだし」 興奮していたせいか、ふだんよりも早く目覚めてしまった道花は、むくりと起き上がり、カイジールが目覚める前に戻れば問題ないだろうと結論付けて昨日と同じ宮廷装束で中庭に降り立っている。  五つの宮殿に囲まれた芝生の中庭は見通しがよく、数人の警吏兵が周辺に目を配っていた。規則正しく植えられた低木には一重の真っ赤な小花が咲いている。なんの花だろうと疑問に思いながらも道花はぺこりと挨拶をして通り過ぎ、珍しい花木が植えられているという裏庭の薬草園へ足を向ける。 すでに朝ご飯の準備がはじまっているのか、紅薔薇宮近辺から乳酪(バター)の香ばしい香り
last updateLast Updated : 2025-09-14
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 4

 「……へ、陛下?」 その色はかの国の頂点にいる者にしか許されない禁じられた色。その色を纏うのはかの国の少年王ただひとり。至高神の支持を得て十三歳にして玉座に降り立ち、十八歳になった今もなお国にその名を轟かせている現神皇帝……皇九十九。  驚く道花に、九十九は首を傾げる。「何かおかしいか? 朝の散歩くらい、おれだってする」 「いえ、おかしくないですよだってここは皇一族が所有する敷地内ですもの。おかしいのは陛下がおひとりで散歩をされているというその点にあると思うのですが」 慌てて首を振って言い返せば、九十九もまた素直に言葉を返す。「常に護衛を置けというのか。自分の家でそこまで神経使うのもどうかと思うがまぁ警吏がその辺にうようよしているから問題ないだろう。木陰には言づけているし」 「あ、木陰さんはご存じなのですね」 それならいいかと頷く道花に九十九が怪訝そうな表情を向ける。「むしろおれは侍女どのがひとりでふらふらしている方が疑問だ。慈流どのの傍にいなくていいのか」 「慈流ならあたしより強いから大丈夫です。それに寝込みを襲おうにも結界を張っておきましたから幽鬼対策もバッチリです」 その言葉に九十九がぴくりと頬をひきつらせる。「……やはり幽鬼は侵入しているのか?」 「そうですねー、昨晩の時点で木陰さんは一定量の瘴気に気づかれたそうですが、それが幽鬼か闇鬼かはまだわからない感じです。でも慈流は生粋の人魚なので、かの国に渡る際にどうしても歪みが生じたのは事実です。冥穴から機会を窺っていた幽鬼が動くとすればやはりこのときしかないだろうなー、ということで瘴気避けの結界を張ったんです」 九十九は夜半に訪れた至高神の言葉を思い出し、首を振る。「侍女どののその見解は間違っていない。皇位を狙う何者かに闇鬼が憑いたらしい」 「あ、そうなんですか」 やっぱり憑いちゃったんですねうんざりした風に道花は応え、九十九につづきを促す。「至高神いわく、このどさくさに鬼神が動くんだと。しかもこのままだと珊瑚蓮は黒い花を咲かせて
last updateLast Updated : 2025-09-15
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 5

 「侍女どの?」 視線が絡み、動きを止めて九十九に見入ってしまった道花に、穏やかな声が降ってくる。「あ、申し訳ありません! その、陛下の双眸が美しすぎて……」 「この瞳が? つまらぬ黒い瞳だろうに」 「いえ。孔雀石みたい」 道花が率直に告げた瞬間、森の奥から眩い光が差し込み、視界が一気に明るく染まる。  朝陽が顔を見せると同時に、道花の姿にも異変が生じていた。  変哲もない茶色い髪が黄金色に煌めいている。蜂蜜のようなとろみのある色へ。陽光を受けた双眸も榛色から青みがかった月長石(ムーンストーン)のような輝きへ。「陛下? 何をっ……」 思わず、みつあみを結っていた組紐に手をかけていた。蜂蜜色の長い髪を持つ月光のような瞳の少女を九十九は確かに知っていたから。もし、彼女がそうなのだとすれば……  引きちぎられるようにほどけたふたつの組紐が地面へぽとりと落ちる。丁寧に編みこまれていたはずのみつあみは、不思議なことにすとんとまっすぐ重力に従った。「やはり、そうなんだな」 みつあみをほどかれ、茫然自失としている道花の前で、九十九が納得する。  生粋のセイレーンの女性に、直毛はいない。だとすると、彼女はセイレーンの地で生まれ育ったものの、両親がセイレーンの人間ではないということになる。 ――人魚の女王とかの国に系譜を持つ男の娘である可能性が高い。それに、この姿は、間違いない。あのときの彼女だ。「あ……」 蜂蜜色の長い髪は針金のような直毛で、みつあみを結っていてもほどくとすぐに元に戻ってしまう。セイレーンの女性はみな海の波のように美しい髪を持っているのに、道花だけは生まれた頃から直毛で、コンプレックスだったのだ。みつあみを結っていれば露見することはないと思っていたのに、目の前の少年はあっさりと道花の前で正体を暴く。 「やっとみつけた。珊瑚蓮の精霊……いや、海に誓った真珠」  その言葉に、道花の身体に震えが走る。それは、夢のなかでも彼が囁いていたもうひとつの名前。
last updateLast Updated : 2025-09-16
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 6

    * * *  自分が生まれながらに持つ強大な『海』のちからを人魚の女王に疎まれていたから仕方のないことだと理解しようとしたけれど、それでもたびたび命を狙われるのだけは慣れることができずにいた。  ナターシャは少女が世界を司る珊瑚蓮の精霊だから、たとえ彼女があなたを消そうとしても必ず護ると言ってくれた。  あるとき、女王オリヴィエは神殿に匿われた珊瑚蓮の精霊を消すため、彼女の真名に呪詛を仕込んだ。セイレーンで生まれた人間には必ず真名が存在する。彼女を産み落とした女王がその名を知らないわけがない。  それを知ったナターシャは、彼女を護るため彼女の真名をふたつ名にすり替えた。 ロタシュミチカ。国の宝石神が与えたふたつ名は、蓮(ロタス)と海に咲く千の花――海千花(ミチカ)という意味を持つ。 ミチカという名称に込められたそもそもの発端は、道端に咲く花。  だが、ふたつ名の候補とされた同じ読みで違う意味を持つ言葉……海千花、未知華、三千荷、満賀……などを考慮していくうちに、神々の古語に基づいた解釈が複雑になりすぎて、まとまりがつかなくなってしまった。  ミチカという言葉に改めて込められたすべてを彼女が受けつけることは叶わなかったが、神殿が『珊瑚蓮の精霊』と『ロタシュミチカ』を同じ意味のものとしたことで、幼かった彼女はそれ以上混乱することがなくなった。 ナターシャは彼女に「あなたはミチカ。他の誰かに珊瑚蓮の精霊と呼ばれようが、これからずっと名乗りつづければいい」と告げて、真名にまつわる記憶を封じた。だからこれ以上その名に苦しむことはなくなった。  だから……自分に最初につけられた真名を記憶の奥へ封じた道花は、その名を呼んでくれた少年がいたということも、すっかり忘れていたのだ。    * * *  そもそも真名は生まれたときと死ぬときにしか使われない神聖なもの。自分ですら知らずにいる人間も多く、いまでは神職者や術師など特定の人間しか意識しない。だが、真名という文化が存在する限り、呪詛はこの時代もひそやかに存在しつづけている。「それで真名を口にし
last updateLast Updated : 2025-09-17
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 7

    * * *  朝早くから何者かがちからを使ったらしい。  寝台で眠っていたカイジールは跳ね起き、隣にいるはずの少女がいないことに気づき愕然とする。「道花……?」 昨日あれほど勝手に出歩くなと言ったのに。  うんざりした表情で眠そうな両目をこすり、カイジールは並べられた衣装を手に取る。昨晩のうちに悠凛が手配してくれた装束は、晩餐の際に着た振袖とは異なり、セイレーンでも一般的になりつつある西洋風のワンピースだった。  丁寧に紡がれた萌黄色のレエスの縁取りを指で辿りながら、カイジールはどうしようかなとひとりごちる。 ――道花のことだからお腹がすいて先にご飯を食べに行ったか、庭に散歩でも行ったんだろうが……あのさっきのちからの波動を考えると、何かに巻き込まれた可能性も否定できないなあ。 ただ、カイジールが感じたそのちからに悪意は感じられなかった。単に神殿の人間が敷地内に入り込んだ闇鬼を浄化しただけかもしれない。「五宮二塔一神殿か……」 まだ朝陽がのぼったばかりなのだろう、室の前の廊下はしんと静まり返っている。いまなら誰に咎められることなく、行きたい場所へ行くことができそうだ。  萌黄色のワンピースに白い毛皮のカーディガンを羽織り、室内履きのまま、扉を開く。  カチリ、と音が響いた瞬間。  カイジールの目の前を真っ青なドレスの裾が通過する。まるで魚の鰭のような繊細な布地の動きにカイジールは足が竦み、動けなくなる。「よかった、そちらから扉を開けてくれて」 聞きなれた甘い声が、カイジールの脳髄を蕩けさせるように侵食していく。  海と同化したような長いドレスを纏った女性は、長い睫毛を伏せて、言葉を紡ぐ。「お久しぶり? おはよう? なんて挨拶すればいいかしら?」 しんと静まり返った廊下で、カイジールは信じられないと蒼白な表情で彼女を見つめる。「あたくしのこと、忘れたなんて、言わせなくてよ」 「……女王、陛下」 なぜ自分の目の前に幽閉されているはずの彼女
last updateLast Updated : 2025-09-18
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 8

    * * *  セイレーンの夢を見た。  道花の真名がまだ、呪われていなかったころ……いまから八年前の、ある夏の一日。 夢の中を浮遊しているかのようにそのときの状況が過去から現在の道花へと伝えられていく。さながらこの世界を俯瞰するかのような錯覚に、目眩さえ感じる。まるで自分が神になったかのようだ。  灼熱の太陽を浴びて真っ赤になった肌よりも濃い真紅が真っ白なワンピースに痕をつけていた。シュウシュウと爛れるような音を立てて縮れた布地を引き裂いて、当時七歳の道花は泣きそうな顔を隠そうともせず、目の前で傷ついた少年の腕を引きよせ施術をはじめている。 彼は誰だろう、どこかで見たような気がするけれど…… 真名の封じとともにいままで忘れ去られていた思い出が、顔を出しはじめたことに道花は気づいていない。だから、過去の事象をもういちど、はじめから追体験していく。「だいじょうぶだ、これくらい」 「だめ! バイ菌が入ったら腕が腐っちゃう。それに、このままにしたら潮風が吹くたびに痛みをぶり返すことになる」 「きみを護ることができた勲章だ。潮風が吹くたびにきみを想うことができる」 「ばか」 神謡を口に乗せ、少女はとっとと少年の傷を癒していく。血のように赤い夕陽の照り返しを受けて、目の前に拡がる海もまた、あかい色に染まっていた。「あたしなら、国神さまが護ってくれるから護る必要ないのに」 「おれが護りたかったんだよ」 たとえ国神の加護で死ぬことはないと知っていても、少年は目の前の少女が傷つく姿をこれ以上見ていたくなかったのだ。  その言葉に、幼い道花が怪訝そうな表情を浮かべる。「……あたしが珊瑚蓮の精霊だから?」 ナターシャや、神殿のみんなは、道花が海神の祝福を受けた珊瑚蓮の精霊だから、ちからを欲する異形に生命を狙われるのだと、だから我々が護るのだといつも口にしていた。だから目の前の異国風の装いの少年もまた、自分の持つ未知のちからに惹かれてきたんだと、つい、考えてしまった。  だから彼の応えに驚いた。
last updateLast Updated : 2025-09-19
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 9

 「意中の相手に結婚を申し込むとき。そしてそれに応えるとき」 「なんですって!」 過去の道花と意識を溶け込ませていた現在の道花が思わず裏返った声を出していた。  目の前の少年は七歳の道花に求婚しているのだ。自分の真名を捧げてまで真剣に。「――きみが何者であろうが構わない。誓蓮についたときに海で珊瑚蓮と遊んでいただろう? おれはそのときから、きみのことばかり考えているんだ」 「あれは、珊瑚蓮の世話をしていたのよ。遊んでいたわけじゃないわ!」 拗ねた口調で言い返すと、ハクトは苦笑する。「そうか、すまない。それで珊瑚蓮の精霊って言われているのか。それはきみにしかできない大切な仕事なのだな」 「うん! 結界を守護する御神木なの。数百年に一度、すごい花を咲かせるの」 「すごい花?」 興味深そうにハクトが先を促すと、道花は胸を張って発言する。「そうなの! 桜色っていう薄桃色に真珠のような光沢をまぶした花を幾重にもつけて、海に蓮のような花を千以上も浮かべるというの! その花が咲くと、世界に栄華が訪れるとも、異形が浄化されて悪しきものが消えるとも言われているのよ。すごくない? あたしも見たことないけど、きっと、絶対にキレイだと思う。だから頑張って咲かせるの!」 「……」 突然黙り込んでしまったハクトに、道花が首を傾げると、彼はくすりと微笑みを見せる。「おれはそんなきみのまっすぐな姿に惹かれたのかもしれないな」 可愛いよと小声で付け加えられて、道花の頬に朱が走る。「だけど、いきなり真名を名乗って求婚してくるのはおかしいと思う」 セイレーンでは異端といわれる直毛を持つ道花が面と向かって可愛いと称賛されたことはまったくない。だからハクトのその言葉にときめきながらも、戸惑いを隠せない。「真名だからだよ。おれが……おれの本心をきみに捧げたかったんだ」 通り名を名乗って道花が臆する姿を見たくないからだと言わず、彼は真摯に訴える。「きみに誓いたい。この先おれは故郷で父上の跡を継ぐため大
last updateLast Updated : 2025-09-20
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 10

     * * * 「何があった、悠凛!」 「ご覧のとおりです」 苛立ちを隠すことなく紫紺躑躅宮から呼び出された九十九は桃花桜宮の客室……カイジールと道花が留まることを許された室内の惨状に眉を潜める。「花嫁……慈流どのは何処へ?」 「それが、わからないのでしょう?」 九十九とともに桃花桜宮へ入った木陰は、悠凛に確認するまでもないと言いたそうにぽつりと返す。土地神の子孫を補佐する役につく国祖の狗と呼ばれる狗飼一族は土地神の加護を受けることができずに我流で術を習得し神皇帝に仕える立場を得た逆井一族のことを蔑むものが多いため、木陰は極力彼らを避けて任務に励んでいる。こうして顔を合わせることがあっても、必要最低限の会話しか交わさないのもいつものことだ。  意識を失ったままの状態の道花が気になる九十九だったが、どこよりも強い結界を張り巡らされた紫紺躑躅宮にはバルトが残っている。彼なら何があっても彼女を護ってくれるだろうとあとを任せ、現場に立った九十九は悠凛と木陰のやりとりをよそに、淡々と室内を見回し、顔を顰める。「ずいぶん異形の気配が濃いな」 カイジール自身が人魚という異形だから、多少の気配があるのは別段問題にならないが、彼ひとりでこれだけ濃い気配を出すことはできないだろう。カイジールではない、同じ気配を持つものがもうひとりいて、それが彼を襲ったと考えた方が自然だ。「幽鬼ではないですね」 木陰が頷くと、九十九は首をひねる。「だが、瘴気が残ってないのは不自然だな」 「闇鬼が憑いた人間……でもなさそうです」 悠凛がぽつりと口にすれば、木陰も素直に同意する。「魔術陣の形跡があります。この魔法の術式は我がかの国では使われません」 セイレーンでは神の加護による術とは異なる特別な術を操るもののことを魔導師と呼び、彼らは神謡を詠唱することをせず、指先で魔術陣を描いて魔法を発動するときいたことがある。たしか、生粋の人魚が使用するのも神謡ではなく魔術陣だったはずだ。  九十九は苦虫を噛み殺したような表情で結論付け
last updateLast Updated : 2025-09-21
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