少年王が愛する蓮は誓いの海ではなひらく のすべてのチャプター: チャプター 41 - チャプター 50

58 チャプター

~追憶は桜真珠の君を導く~ 11

     * * *  躑躅の花は神皇帝本人にしか認められない高貴な花。かの国の民に愛される桜の花のような優美さを持ちながら、その一方で太陽のあたらない日陰でも花をつける強さを持つことから、揺るがない姿が神皇帝に重なると古くから伝えられている。  紫紺躑躅宮と名付けられたこの宮殿の周辺にはその象徴でもある満天星躑躅(どうだんつつじ)が植えこまれ、春になると星の形をした色とりどりの大輪の花をあちこちで顔を見せる。その数、軽く千は越える。  セイレーンでは見ることのない花木だが、星の形の花が咲く季節が訪れるたび、バルトは島に残してきた娘のことを思い出す。 ――まさか、こんな形で再会するとはな。 人魚の女王オリヴィエとの間に生まれた娘、道花。バルトは彼女に『海誓(ミチカ)』という真名を授け、国神ナターシャが祝福と称して『真珠(マジュ)』の冠を与えたことから彼女の真名はマジュミチカ……海に誓う真珠、となった。だが、通り名として選ばれたのは道に咲く花という意味を持つ道花。リョーメイら神殿関係者がつけた安直な名をバルトは受け入れられず、彼だけは彼女のことを『海誓』と呼びつづけていたが、読みが同じなので本人はその違いに気づかぬままだったはずだ。  オリヴィエによる呪詛で傷ついた彼女を看ているよう九十九に命じられたバルトは長椅子で無防備に眠る娘を見て、苦笑する。 ――相変わらずの直毛だな。 太陽のひかりにあたると蜂蜜色に煌めく髪はいまは茶色く、セイレーンでは珍しい波打たない髪がすとんと床に零れている。バルトは床に落ちた髪をそっと拾い、長椅子へ流す。  幼いころの浅黒い肌は多少ましになったものの、かの国の華族令嬢と比べるとまだまだ白いとは言い難い。つんと尖った小鼻に赤みを帯びた頬と紅緋色の唇は幼さが残っている。それでも九十九は彼女を自分の花嫁にすると言って、バルトに頭を下げたのだ。 ――ったく。かの国の最高権力者がそんなことで頭を下げるんじゃねえよ。 欲しければ奪え。どんな手段を使っても。  自分が仕えていた先代、哉登の生きざまは見ているこっちが気持ち良いくらいの疾走感があった。
last update最終更新日 : 2025-09-22
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 12

    * * * 「……慈流どの?」 なぜ彼女がこんなところにいるのだと、目覚めたばかりの仙哉は自問自答する。  黄金水仙宮にある自室で眠っていた仙哉が自分の寝台に別の温もりがあるのに気づいたのはついさっきのこと。「ん……」 艶めかしい声を発しながら寝がえりを打つ姿は、黄金色の波打つ髪が美しい女性のもの。  仙哉は慌てて立ち上がり、適当な服を見繕い逃げるように隅で着替えを済まし、改めて彼女を観察する。  透き通った白磁の肌、人形のように長い睫毛、そして触れたら折れてしまいそうなほどに華奢な腕……纏っているのは外つ国で織られたレエスのネグリジェだろうか、幾重にも束ねられた浅葱色の布地に縫い付けられた光沢ある水色のリボンが蝶のように見える。本来ならこのような姿を見せることの叶う異性は自分ではなく異母弟の九十九であるはずなのに……それともこれは、夢なのだろうか。「――夢じゃないわよ。夢だったら、あんな痛み、感じるわけがない」 ぱちりとおおきな瞳をひらいて、無邪気に呟くのは、眠っていたはずの人魚。「……な」 仙哉が顔を真っ赤にする姿を見て、カイジールに扮したオリヴィエは蠱惑的な笑みを浮かべて甘い声をあげる。呪詛を破られた返しで受けた身体の痛みをすり替えて。「ねえ。覚えてないの? 昨日の夜のこと」 闇鬼に憑かれた仙哉は母親の活にカイジールを九十九から奪うため玉座を手に入れると宣言したのだ。だが、さすがに神皇帝の血を引いているだけあって、すぐに自我を手放してはいないらしい。今朝になって我に却った仙哉は自分のなかに異形が棲みつき欲望のままに動き出したことを知らないでいる。  いっそのこと闇鬼に喰われていればよかったものをと心の中で毒づきながら、オリヴィエは仙哉に囁く。「ひどいわ、忘れてしまうなんて」 蕩けるような声色で、仙哉を責めるオリヴィエの姿は、爪を立てた気高い猫のように威圧的で、思わず跪きたくなってしまう。たしかに仙哉は昨日の夜の出来事を忘れている。晩餐会の後、室に戻ったところまでは覚えているが……彼女
last update最終更新日 : 2025-09-23
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 13

    * * *  胸に痛みが走った。「っ!」 「どうした」 桃花桜宮から紫紺躑躅宮へ向かう途中で、悠凛の足が止まる。不審に思った九十九が声をかけると、悠凛はなんでもありませんと小声で応えてふたたび足を動かしだす。  けれど胸の痛みはひどくなるばかり。まるで呪詛を破られた際に感じる返しの痛みのような苦しみに、悠凛はその場に倒れこむ。「おい、しっかりしろ!」 さすがにおかしいと気づいた木陰が悠凛の身体に触れ、症状を把握する。「血の呪いですね。狗飼一族の何者かが生命の危機に瀕したか……すでに儚くなられたか」 狗飼一族は古来より血の絆を優先する。そのため狗飼の姓を持つもののすべてが血による契約を受けているといって過言ではない。一族の高位にあるものが死の危険に冒されると、周りの一族も同じ痛みを身に受けるというこの契約は呪いの枷とも呼ばれ、一生外すことが叶わないという。  九十九は苦悶を浮かべる悠凛を支え、木陰に確認する。「狗どもは」 「すでに感づいて動いているみたいです。おそらく央浬絵どのが闇鬼を扇動し、幽鬼化させたのでしょう」 「では、誰が」 幽鬼にさせられたのか。  九十九が口を開く間もなく、四方で黄金色の輝きが発生し、三人の動きが拘束される。「な」 「おひさしぶりー、九十九サマ」 五宮に囲まれた中庭の中央へ、浅葱色のネグリジェ姿の美女が舞い降りる。波打つ黄金色の髪をなびかせながら、海の瞳を持つ絶対的存在はさながら世界を司る女神のように魔術陣の上に浮かび、動きを封じられた三人を虫けらのように見下ろしている。「おとなしくしてるの飽きちゃった。だからあなたを殺してお義兄さんを玉座に置いてみようかなと思って」 「央浬絵どの……」 禍々しいまでの眩しさに目を眇めながら九十九は押し殺した声で彼女の名を口にする。「だってひどいじゃない、あたくしが想いをこめた呪詛を簡単に浄化するんですもの!  まさかここにきて返しを喰らうなんて思っ
last update最終更新日 : 2025-09-24
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 14

  核を返してくれれば、この場は引きあげてあげるわと笑顔を見せるオリヴィエに、九十九は表情を曇らせる。「核だと」 「セイレーンの国祖神である宝石神ナターシャを土地神へ降格させた際にあなたが手にした石よ」 ちからの源ともいえる核は、定まった形を持っていない。だが、九十九がナターシャのちからを奪った際に生じたのは、宝石神だった彼女を象徴するような立派な天青石(セレスタイン)だった。「ナターシャだけでなくあたくしのちからをも吸収したその石を、返しなさい」 「ここにはない」 「嘘おっしゃい。そのような大事なものを肌身離さず持たないなんて……」 「事実だ。それに、核を返したところでそなたはかの国を滅ぼすおつもりだろう?」 ――ならば、容赦はしない。 目配せをする九十九に、木陰が詠唱で応える。「――神に逆らいし地に仕える逆さ斎が命ずる。黄金の檻を御土に熔解(とか)し還元なさい!」 地面から吹き荒れる突風に、オリヴィエの波打つ髪が巻きあがる。突然の反撃に顔を顰めるオリヴィエを見据え、悠凛もまた、神謡を口にする。「Chiranaranke shirokani rera〈吹き降りろ銀の風〉!」 木陰の術を補うように、悠凛は触れれば切れそうな刃のように鋭い風をオリヴィエへ向けて解き放つ。「生意気な! この海神の眷属に刃向うと言うのか!」 「おまえなどすでに神の眷属ではない。鬼神に憑かれし悪しき異形だ」 木陰と悠凛に護られた九十九はふたりの間から射抜くような視線を向ける。  三つの魔術陣を指先で描き、オリヴィエは鬼気迫る形相で三人に襲いかかる。毒の鱗分を振りまく蝶は木陰の術に蹴散らされ、悠凛の神謡によって消滅していく。  それでもオリヴィエに疲労の色は見えない。海神のちからを半分奪われたとはいえ、人間を相手にする分にはまだまだ余力があるらしく、まるで久しぶりの遊戯を楽しんでいるような満足そうな表情を浮かべている。「何がおかしい」 「このままだと、抗っているあいだに仙哉サマが珊瑚蓮の精霊の息
last update最終更新日 : 2025-09-25
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 15

    * * *  ――珊瑚蓮の精霊を犯せ。殺せ。 女王オリヴィエの命令を受け幽鬼となった仙哉は超人的な速さで黄金水仙宮から紫紺躑躅宮へ駆けつけ、結界に触れた。  悪意あるものが触れれば灰になると恐れられる結界だが、瘴気を発する闇鬼と異なり、幽鬼は瘴気を外へ垂れ流すことがないためすぐさま灰になることはない。現に仙哉の身体に火傷の痕が生じても、炭化するまでには至っていない。  すでに痛覚も意味を成さない幽鬼にとって、自分の身体が傷つくことはたいしたことではない。ただ、命令を無事に遂行できるまで、この身体がもてばよいだけのこと。そのためなら何人でも殺してその血肉を自分の身体へ分け与えることも厭わない。  見えない結界を力ずくで壊した仙哉は血玉に染まった瞳で周囲を見回す。「どこにいる、珊瑚蓮の精霊」 すでに宮殿前に立っていた警吏兵を三人殺めた手と足は血まみれで、すり歩くたびに床や壁を真っ赤に染めていく。途中で自分を拘束しようと立ちはだかった神殿の術者にも遭遇したが、彼らも再起不能の状態に陥っている。徒に生命を奪うことはせず、腕や足を切断して壁に飾りつけたのは、彼らが仙哉と同じ狗飼の人間だったから殺すと自分の身まで厄介なことになるというたわいもない理由だ。  仙哉の手には禍々しい光を帯びた長剣がある。オリヴィエが幽鬼となった仙哉を従えるために渡した呪具だと知らないまま、彼はその武器で邪魔者を退けていく。 ――珊瑚蓮の精霊を傷つけ、黒い花を咲かせることで神皇帝を絶望させ、国を、世界を、滅ぼすのだ。 仙哉を洗脳していく蕩けるような甘い囁き声が憎しみに彩られた世界を壊せと命じつづける。神々が遊ぶこの世界は間違いなのだと言いたそうに。「……ここか」 やがて辿りついたのは宮殿の最奥に位置する硝子の間。幾重にも張り巡らされた結界を長剣で一気に断ち、仙哉は扉を突き破る。「そこまでだ」 低い声が、仙哉の耳底に響く。首元に白銀に光る細剣(レイピア)が突きつけられている。  ハッと瞳を見開いた仙哉の口から、自分ではない何者かの声が飛び出す。
last update最終更新日 : 2025-09-26
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 16

  にたりと微笑むオリヴィエに寒気を感じ、バルトが道花を護るように前へ動く。「ミチカを殺させはしない」 「あんなの娘でもなんでもないって何度言ったらわかるの? あれさえいなくなれば、あたくしたちは何度でもやり直せるのよ。永遠に愛し合うことだって」 「オレはもうお前を愛していない」 「ひどいわ。それもこの珊瑚蓮の精霊がすべていけないのね。やっぱり生まれたときに殺しておけばよかったわ……あたくしの手で」 天井に叩きつけられ床に転がる道花の耳元にも、氷雪のように冷たい言葉は降り注いでいる。意識を取り戻した際にバルトからことの次第をきいた道花は、目の前で繰り広げられている現実が、夢ではないと知って、絶望の声をあげる。「……女王陛下」 「あら、まだ生きてるの? なんて汚らわしい。そんなに死にたくないのなら、もっともっと苛めてあげるわ」 「やめろ、オリヴィエ!」 バルトの制止をきかず、オリヴィエは道花に向けて指先を動かす。複雑に組み込まれた魔術陣は道花に反撃の隙を与えることなく、彼女を包囲し、がんじがらめにする。「くっ!」 見えない巨人の手が道花を摘みあげたかのように、身体が浮かび、その場に止まる。ぐらぐらと揺れる視界と徐々に締めつけられていく苦痛が道花を襲い、息が絶え絶えになる。「ねぇ、海神のちからを使わないの? あたくしよりも強いちからを持っているんだから、それくらいできるでしょう? それともこのままおとなしく死んでくれるの?」 オリヴィエの挑発が道花の意識を辛うじて現実へ繋ぎつづける。そうだ、自分は類稀なる『海』の加護を持つ珊瑚蓮の精霊。「だ、誰が」 喘ぐように、道花は声を紡ぐ。自分を産んだ母親が、自分を殺そうとしている。その現実を目の当たりにしたからといって、父親だと告白してくれたバルトの前で、すべてに絶望して諦めるようなことはできない。  それに。  まだ、道花は確認していない。自分の真名を呼び、幼い頃に刻まれた呪詛を浄化してくれた彼が、あのとき結婚を約束したハクトという少年だということを。「死
last update最終更新日 : 2025-09-27
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~追憶は桜真珠の君を導く~ 17

 「逃げるのか」 「バルトさま。またお逢いしましょう。それまでにはこの煩わしい珊瑚蓮の精霊を、残酷な方法で処刑してさしあげますわ……まずは自分のちからの限界を知ることね。このままだと彼女、自滅するわよ?」 からからと厭な笑い声を転がしながら、オリヴィエは幽鬼とともに魔術陣のなかへ入り、姿を消す。  放心状態の道花は敵が逃げたことに気づかぬまま、銀の閃光を放出しつづけている。「……畜生」 オリヴィエの捨て台詞は的を射ている。彼女がひとりで『海』のちからを最大限使うのは危険を伴うのだ。止める人間が傍にいなければ自我を失い暴走したちからは留まるすべを知らない。セイレーンにいた頃は那沙が常に傍にいたからさほど問題にはならなかったが、彼女がひとりで『海』の強大なちからを使う局面に陥った際、那沙以外に彼女を扱える人物がいないことが問題になり、神殿では道花にちからを最大限使わせないようきつく教え込み、本人も表向きは理解していたはずだ。  だが、自分の生命が危うい状態で自分が持つちからを加減するのは無理な話だ。オリヴィエもそれがわかっていたから、彼女にちからを使うよう唆したのだ。  バルトが指先で印を描き鎮めの神謡を紡ぐが、道花の意志を無視したちからの暴走はもはや神謡ひとつで治まりそうにない。  このままではちからに身体を乗っ取られて衰弱してしまう。どうにかして彼女が生み出した嵐を止めさせなければ。 あたふたするバルトの背後でバタンと大きな物音が響く。咄嗟に顔を向けると、そこには自分のもうひとりの子どもと逆さ斎の青年が、主を守護するように両脇に立ち、それぞれが術を紡いでいた。道花の発する海神の怒りを鎮めるように、九十九が訴えるように、彼女を呼ぶ。「ーーもういい、もういいんだ! ミチカ」 眩い閃光に包まれた少女の身体を、自分まで銀の小矢に貫かれかねないというのに、九十九はぎゅっと抱き寄せ、彼女の名を呼びつづける。「やめてくれ、マジュミチカ……」 そして、何を思ったのか口づける。自身が傷つくことも厭わず、彼女をきつく抱き締めたまま、九十九は嵐を封じるためのキスを彼女につ
last update最終更新日 : 2025-09-28
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chapter,5 ~真実は珊瑚蓮の蕾に宿る~ 1

   緑色がかった白い薔薇が硝子の棺に敷き詰められているのは覚えていたのに、そこに眠る女性の姿を彼ははっきりと思いだせない。 それはきっと、子ども心に見てはいけないものだと理解していたから。 彼女が自分の身体に油を撒いて火をつけたのは、兄たちの死に耐えられなかったからだと政務官は言っていたけれど、その嘘の方が自分には耐えられない。 恨み事を延々と連ならせながら燃え尽きた母親の無残な亡骸は、ただひとり残された自分を狂気の渦へ誘った。 だから彼は自分の一族が玉座についた九十九の手によって一掃されてから、幽霊になろうと考えた。母親の幻影に悩まされ呪われた皇子を演出し、ひとり室(へや)に籠ることを選んだ。 幼いからと命を救われたものの、今後自分が叛意を向ければ、彼らのようにあっさり殺されてしまうのは目に見えていたから。絶望で自死を選ぶこともできたが、それでは九十九の思うつぼだ。ここはやはり、復讐をしなくては。 それが九つの誕生日を迎えた彼の決意。四つ年上の彼と対等に渡り合い、いつの日か彼を殺して自分が王となる。彼の治める国を、一族で殺し合いをするような国を、神々に躍らされるこの国を、滅ぼして再び創世し直すのだ。さながら、始祖神の再来と呼ばれるように。 はたからみれば空気のように存在感のない第七皇子。皇玉登という名すら、彼の世話をする侍従たちは口にしない。これは自主的な幽閉だから。人形のように心を閉ざした彼を最初のうちは九十九もどうにかして心を開かそうとしたけれど、母親とふたりの兄が彼と玉座を争ったことによって死んだ事実は変わらないし、慣れ合うことだけはしたくなかったから、拒絶をつづけた。そして五年。 ようやく諦めたのか、最近は顔を見せていなかったが、その理由が珊瑚蓮の精霊を娶ることで忙しかったからだと知り、焦った。 九十九が花嫁を手に入れてしまったら、もう、復讐は叶わない。 なぜなら――人魚の女王オリヴィエが秘密裏に産んだとされる珊瑚蓮の精霊は、創世神の半神である海神のちからを引き継ぐ世界樹に愛された、世界の命運を握る娘だから。 幽鬼や神の存在は生まれたと
last update最終更新日 : 2025-09-28
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~真実は珊瑚蓮の蕾に宿る~ 2

  鬼神はうっすらと笑みを浮かべてかつて女王陛下と国民に崇敬された人魚の美しい姿を思い浮かべる。同じ異形でありながら幽鬼のような残忍性を持たない人魚。けれど彼女は人間を殺すという禁忌を犯し、自分と同じ立場になった。 すなわち、神とひととに敵対するモノ。 目の前にいるこの少年は鬼神を兄のように慕い、彼の言葉に素直に従っている。心を病んだ彼が持つ闇は甘美で、つい余計に憎悪を掻き立ててやりたくなる。この国を、世界を滅ぼし新たな世界を築けばよいと教えたら嬉しそうに頷き、喜んで人魚の女王の御遣いになった。 オリヴィエは鬼神が来たことに驚かなかった。むしろ来るのが遅いと怒られた。玉登の身体を乗っ取った姿でこの世界を乗っ取ろうと誘ったら、その肉体を御遣いにさせろと要求された。鬼神は素直に明け渡しに応じ、彼女が胸元に隠していた黒蝶真珠を玉登に飲ませた。 ジェリオットと名づけられた黒い蝶が玉登の魂を吸い取ったことで、彼は自室に籠っていながらあちこちを飛翔できるようになった。オリヴィエは彼を間諜に利用して幽閉生活を楽しんでいた。そのあいだ鬼神は女王不在のセイレーンとかの国の間の冥穴を行ったり来たりし、神皇帝をめぐる内乱の状況整理や珊瑚蓮についての情報を集め、計画を練っていた……至高神に一矢報いるための計画を。 いまの神皇帝である少年王九十九が珊瑚蓮の精霊を自分の花嫁に望まなかったら、鬼神は動かなかったかもしれない。いや、そもそものはじまりはやはりオリヴィエにある。彼女が珊瑚蓮の精霊を厭わず愛していれば、セイレーンはかの国に併合されることもなかっただろうし、ナターシャ神は土地神に降格せずに済んだだろう。彼女が娘を拒み、殺意を抱いたところから、この世界の破滅の序曲は奏でられていたのだ…… 鬼神が誰よりも愛する混沌がそこにある。だから彼は冥穴から出て、神々相手に戦いを挑む気になったのだ。それも、創世神が遺した海神の加護を持つ珊瑚蓮の精霊が不完全ゆえに。「まあ、珊瑚蓮に桜花が咲いたらしばらくこっちで遊べなくなるからな……」 災厄や滅びを招く黒い花なら大歓
last update最終更新日 : 2025-09-28
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~真実は珊瑚蓮の蕾に宿る~ 3

    * * *「ったく、元気そうじゃない」 突然の珍客に、道花は瞳を瞬かせる。「那沙! どうしてここに……」 九十九によって国神のちからを奪われ土地に縛られる土地神となった那沙がかの国の帝都にいる。藤棚のような寝台で退屈そう横になっていた道花は勢いよく起きあがり、数日ぶりに逢った友との再会に心を躍らせる。「九十九がリョーメイを代理神に定めて一時的に術を解いてくれたのよ。道花の見舞いに来いって命じられて何が起きたのかと思ったら……ちからを暴走させたのね?」「――うん」 申し訳なさそうに道花が頷くと、呆れたように那沙が呟く。「オリヴィエが脱獄したことが関係するのかしら? そのうえ幽鬼まで動いてるとか。ここの結界はどうなってるのよ……こんなんで道花を花嫁にするのは難しいわよ」 道花の手を握りしめたままの九十九は那沙に責められ、素直に頭を垂れる。「扱いづらいとの話は前から聞いていたが、それはこういう意味だったのだな」「ま、あんたが道花の暴走を止められたってことは救いになるけどね。いままであたししか彼女の暴走を止められなかったんだから」「ならばすごいことではありませんか、まだモノにできていないとはいえ、九十九さま、自信を持ってください!」「モノにできていないは余計だ、莫迦逆さ斎っ!」 那沙の言葉を明るく受け止めているのは白衣を着た木陰だ。道花がちからを暴走させて倒れて以来、九十九とともに面倒を看てくれている。「……なんなのよこの逆さ斎は」 基本的に神と相容れない術者である逆さ斎は元異国の神であった那沙からすれば異端である。異形の人魚を女王に据えていたセイレーンもかの国からすれば異端だったことを考えればたいしたことはないのだろうが、それでも那沙は木陰のような人種をどう扱えばよいのかわからず混乱している。「逆さ斎ってひとはかの国の魔導師……魔法
last update最終更新日 : 2025-09-29
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