All Chapters of 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める: Chapter 641 - Chapter 650

650 Chapters

第641話

二人が一階へ下りたときには、祐斗がすでに車を回し、通用口で待機していた。真琴の体を後部座席へそっと滑り込ませると、信行も身をかがめて車内へ乗り込んだ。そのまま真琴の隣に腰を下ろす。間もなく車が走り出すと、信行は顔を上げて祐斗に命じた。「真琴が口にした酒を調べさせろ。誰が手を回したのか突き止めるんだ」両手でハンドルを握り、祐斗はすぐに応じた。「承知いたしました、社長」続いて祐斗が尋ねる。「このままどちらへ向かいましょうか」「ヴァンクラッセだ」そう答えると、信行はポケットからスマホを取り出し、かかりつけの医師に電話をかけた。ヴァンクラッセまで急行するよう指示を出す。通話を終えた信行が視線を落とすと、胸元に寄りかかる真琴はすっかり力なくぐったりとしており、彼の腕を掴む手にもまるで力が入っていなかった。眉をひそめ、苦しそうな表情を浮かべたその顔は、さきほどよりも赤みを増している。うっすらと開いた瞳は、熱に浮かされたように虚ろだった。一ヶ月以上にわたって保ち続けてきた距離感も、こうして弱り切った真琴の姿を前にしては、崩れ去るしかなかった。じっと真琴を見つめていた信行は、右手を伸ばすと、その頬にそっと触れた。「大丈夫だ。医者がこちらへ向かっている。お前に手出しできる奴など誰もいない」信行の宥めるような言葉に、真琴は眉をひそめたままうなずいた。人生の苦境に立たされるたび、万策尽きて死線に立たされるたび、いつだって自分のそばに駆けつけてくれたのは信行だった。両手で信行の腕を強く握りしめ、真琴は何度もうなずいた。信行が大丈夫だと言うのなら、絶対に大丈夫なのだと信じられた。二十分ほど走り、車はヴァンクラッセの入り口に滑り込んだ。真琴を抱きかかえて部屋へ運び込んだ信行は、そのまま普段自分が使っている主寝室のベッドへと彼女を横たえた。この一ヶ月間、いくら割り切ったフリをしてみせたところで、このような状況になってしまえば、もはや演じ続けることなど不可能だった。胸の奥深くでは、やはり真琴を案じ、真琴のことが頭から離れないのだから。壊れ物でも扱うかのような手つきで真琴をベッドへ寝かせると、信行は思わず彼女の額にそっと唇を寄せた。「すぐに医者が来る」そう囁き、身を起こして立ち上がろうとした瞬
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第642話

祐斗の案内で中年の医師が寝室へ入ってくると、信行はベッド脇から立ち上がり、真琴の診察を委ねた。一通りの診察を終えた溝口は、眉間に深い皺を刻んだ。そのまま立ち上がり、信行へと視線を向ける。信行は神妙な顔つきの医師に切り出した。「溝口(みぞぐち)先生、様子はどうだ?薬は持ってきてくれたんだろうな」溝口はゆっくりと首を横に振った。「盛られた薬の効き目を打ち消すような解毒剤はありませんよ。これを抑えるには、お二人でどうにかしていただくしかありません」片桐家の主治医を長年務める溝口は、信行だけでなく真琴のことも昔からよく知っていた。診察した限り、相手の使った新薬は非常に悪質で、身体を許す以外に解決策がない代物だった。溝口は言葉を重ねた。「このまま我慢し続ければ、薬が抜けた後に神経障害が残ったり、最悪の場合は脳に支障をきたす恐れがあります」医師の言葉に、信行の顔色が一段と陰った。胸の底から恐ろしいほどの怒りが湧き上がり、仕掛けた奴を今すぐ引きずり出して引き裂いてやりたい衝動に駆られる。傍らで話を聞いていた祐斗もまた、顔色を失っていた。誰がこれほど惨い真似をしたのか。真琴を完全に潰し、どん底に突き落とすつもりだった。今日、社長が間一髪のところで気づき、連れ戻さなければ、取り返しのつかない事態になっていたはずだった。ベッドの上の真琴は、朦朧とした意識のなかで医師の言葉を聞き取っていた。わずかに残された理性ゆえに、理不尽な悔しさと怒りで目頭が熱くなる。幼い頃から誰かを傷つけたことも、不当に虐げたこともないはずだった。それなのに、どうして自分ばかりがこんな仕打ちを受けなければならないのか。なぜこれほど惨く苦しめられなければならないのか。ベッドに横たわる真琴を見下ろすと、その瞳に涙が浮かんでいるのが見えた。信行の胸が激しく締め付けられる。切なさが込み上げると同時に、これもまた自分と関わったが故の災難なのではないかという自責の念が胸を掠めた。重苦しい空気が寝室を支配する中、溝口医師が祐斗へ視線を向けた。「武井さん、私たちがここにいてもお役に立てそうにありません。引き揚げましょうか」薬の性質とリスクはすでに伝えた。あとは当人たちの選択に委ねるしかない。余計な時間を取らせて真琴の身体
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第643話

必死に瞼を開き、信行と視線を交わした真琴は、その腕にすがるようにして掴んだ。「……信行」弱々しく漏れ出た声。全身から力が抜け落ちていながらも、彼女は残された気力を振り絞ってその手を強く握りしめていた。その切実な力強さに、信行の胸が締め付けられる。遠隔操作のプロジェクトもまだ途上にある。無線給電の事業にも関わりたかった。彼女には、やり遂げたいことがまだ山ほどあった。熱に潤んだ瞳で自分を頼る真琴の姿に、信行の胸は引き裂かれそうだった。彼女が今の仕事を続けられなくなったら、その聡明さと眩いばかりの輝きを失ってしまったら――考えただけで恐ろしかった。きっと彼女は生きていけない。真琴の手を握り返した信行は、その手の甲をぐっと自分の唇に押し当てた。「大丈夫だ……何も心配いらない」信行の囁きに、真琴はそっと瞼を閉じた。目尻から一筋の涙が零れ落ちる。モノトーンで統一されたマンションの空気は、どこまでも静まり返っていた。大きな掃き出し窓のカーテンは開け放たれたままで、東都市の煌びやかな夜景が一望できた。無数の街の灯火と、高層ビルの狭間に浮かぶ細い三日月。信行の手を握りしめたまま、真琴の身体はかすかに震え、意識の混濁は深まっていく。静寂の中、熱と痺れが全身を苛んでいた。皮膚の裏側を無数の蟻が這い回るような感覚に、足の指先まで強ばらせ、シーツを固く掴んで耐えるしかなかった。うっすらと瞳を開け、何かを言いかけた瞬間、信行が身をかがめ、彼女の唇をそっと塞いだ。温かな触感が重なり、真琴の震える身体が不意に硬直した。まばたきを繰り返し、至近距離にある信行の顔を見つめる。信行が真琴の手を放すと、彼女の手は自然とシーツを掴み直した。かつても、信行に惑わされ、唇を奪われたことはあった。だがあの頃の真琴は、理性を保って彼を拒絶し、押し返すことができた。しかし今、再び彼に口づけられると、胸の奥が焦れったくてたまらなくなった。抑えの利かない身体が、もっと欲しいと叫んでいる。信行の口づけが、より激しく深くなることを乞うていた。目を閉じ、深まっていく口づけに呼吸を乱す。シーツを握りしめていた手は、いつしか信行の腕へと伸びていた。珍しく自分に応える真琴の仕草に、信行もまた煽られるように情
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第644話

ピクリとも動けず、全身の力を抜いたままベッドに横たわっていると、目の前には荒れ果てた室内が広がっていた。ベッドの上だけでなく床にまで衣類が散らばり、シーツも掛け布団もぐちゃぐちゃに乱れている。普段はどこか無機質で禁欲的な印象を与える寝室が、今は濃密で生々しい名残に満ちていた。カーテンが半分ほど開いた窓辺を見つめながら、真琴は小さく眉をひそめた。相変わらず指先ひとつ動かす気力すら湧いてこない。ここで、信行とまるまる36時間も過ごした。その間、まともな食事すら一度も摂っていない。ぼんやりと頭に浮かんでくるのは、思い出すだけで顔が火照るような出来事ばかりだった。自分がかなり積極的だったことや、信行にしがみついて離さなかったことまで鮮明に覚えている。そして、信行が熱っぽく、それでいてどこまでも優しかったことも。小さく息を吐き出し、真琴は体を起こしてベッドから降りようとした。だが全身を襲うだるさと節々の痛みに阻まれ、まったく力が入らない。意識が冴えてくるにつれ、身体に痛みが残っていることにも気づかされた。自分の初めてを、まさかこんな形で失うことになろうとは思いもしなかった。力なくベッドに横たわっていると、不意に寝室のドアが開いた。視線を向けると、牛乳の入ったグラスを手にした信行が入ってきた。今の信行は随分とラフな格好をしていた。ダークグレーのバスローブを羽織り、腰紐は緩めに結ばれているだけだった。その胸元や首筋には、生々しい引っかき傷や噛み痕がびっしりと残っていた。その痕跡を目にした瞬間、真琴の顔が一気に熱くなった。言うまでもなく、信行の体に刻まれたそれらは、すべて自分が残したものだった。真琴が目を覚ましているのに気づいた信行は、何事もなかったかのように歩み寄ってベッド脇に腰を下ろした。そのまま手を伸ばし、真琴の髪をそっと撫でた。「起きたか」ベッドに横たわったままで力が入らず、真琴はかすかに頷いた。「ええ」真琴の短い返事に、信行は身をかがめて彼女のこめかみにそっと口づけを落とした。唇を離すと、彼は尋ねた。「起き上がれそうか?」真琴は視線を上げ、信行を見つめた。「起き上がりたいけど……力が入らなくて」牛乳の入ったグラスを傍らのナイトテーブルに置くと、信行は
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第645話

もちろん、そこには彼自身のちょっとした下心も含まれていた。信行が浮かべた笑みを目にしながらも、真琴はそれ以上何も言わず、残りの牛乳に口をつけた。その様子を見つめ、信行はベッド脇に腰掛けたまま、どこか重々しい面持ちで切り出した。「今回盛られた薬はかなり毒性が強くてな。溝口先生の話では、後遺症が残る可能性があるらしい」「後遺症……?」その言葉に、真琴は弾かれたように顔を上げて信行を見つめた。動揺しかける彼女に対し、信行はすぐさま言葉を重ねた。「そう焦るな。神経系や知能に支障をきたすわけじゃない。ただ……別の部分だ」真琴が何よりも懸念している点を見抜き、先回りして不安を打ち消した。説明を受け、真琴は信行をじっと見つめたまま言葉を待った。信行は平静な態度で告げた。「今後はその……男女の営みに対して、人より少し関心が強くなるかもしれない」信行の口から放たれた言葉に、真琴は一瞬、本気で彼を叩きのめしたくなった。すっと顔を背け、そのまま窓のほうへと視線を向けた。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。心を落ち着かせようと努め、腹を立てまいと自分に言い聞かせようとしたものの、腹の底で煮えくり返る怒りは一向に収まりそうになかった。真琴が見せた射殺すような視線を、出会ってからの長い年月の中で信行は一度として見たことがなかった。そんな彼女の姿をどこか愛おしく思いながら、信行は首筋に優しく手を添え、撫でながら宥めた。「大したことじゃないさ。元々、欲を抑え込みすぎていたんだ。今回を機にホルモンのバランスが整ったと思えばいい」信行の宥めの言葉に、真琴は再び向き直って問い詰めた。「薬を盛った犯人は特定できたの?由美かしら」犯人の正体を問いただすような言葉に、信行は応じた。「ここ二日ずっと家で付き添っていたからな、武井も遠慮して電話を寄越さなかったが、まず特定は済んでいるはずだ」真琴が言葉を挟む前に、信行は言った。「体が回復したら、俺が付き添ってケジメをつけに行こう」そこまで言われると、真琴もそれ以上は追及せず、ただじっと信行を見つめ返した。まっすぐ注がれる眼差しに、信行はその手を握りしめて言った。「そんな目で見つめられると身がすくむよ」そう冗談めかす信行から、真琴はすっと視線を逸らし、う
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第646話

一時間余りが過ぎ、二人が汗ばんだ肌を寄せ合ってベッドに横たわると、真琴を苛んでいたあの熱っぽい感覚もようやく引いていった。真琴の背中にそっと身を寄せ、滑らかな肌の感触を確かめながら、信行は彼女の耳にかかる髪を払い、耳たぶにそっと唇を寄せた。「恥ずかしがる必要なんてないさ。ごく自然なことなんだから」腕を頭の横に置いたまま、真琴はベッドにうつ伏せのまま黙っていた。ただ、こうして信行の重みを感じているのが、不思議と心地よかった。耳元に口づけを落しながら、信行はどこか含みを持たせた声で囁いた。「これからは、呼ばれればいつでも駆けつけるよ」言葉の意味を、真琴もむろん理解していた。今の彼女にとって、彼を頼る以外に選択肢などないに等しかった。まさか今後そういう欲求に襲われるたび、別の相手を探すわけにもいかない。あの夜、信行が現れたタイミングはあまりにも出来過ぎていた。耳元に触れる吐息を感じながら、真琴は運命のいたずらを思わずにはいられなかった。しばらく身じろぎもせず黙り込んでいた真琴は、消え入りそうな声で口を開いた。「……お腹が空いた」真琴の言葉を聞くと、信行は掛け布団を二人の上にかけ直して言った。「分かった。今すぐ食べさせてあげる」「……」真琴はくるりと向き直ると、両手を信行の胸に押し当て、深く眉をひそめた。「そういう意味じゃない」畳みかけるように言葉を続ける。「丸二日、何も食べてないの」真琴の訴えに、信行は愛おしそうに見つめ返し、柔らかく微笑んだ。「分かってるよ。雑炊も作ってあるし、煮物も用意しておいた」そう言い終えるや、耳元でそっと甘い言葉を囁き、信行は再び彼女の唇を塞いだ。耳たぶを赤く染めながら、真琴は信行の首に手を回した。彼を拒みはしなかった。求めたい、という思いがあった。この瞬間、二人にはどこか気兼ねなく甘え合える理由ができたかのようだった。結局、昼の12時近くまで二人でさらに身体を重ね合い、真琴はようやくベッドから降りることができた。足を踏み出そうとすると膝に力が入らず、腰の奥にはだるい痛みが残っていた。両手で腰を支えながら歩くしかなかった。真琴の身体を支えながら、信行はいたわりとおかしみが混ざり合った表情を浮かべた。信行へ視線を送ると、そ
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第647話

腹の底から煮えくり返るような怒りを覚えながらも、光雅はその感情をぐっと押し殺した。真琴に対してこの件に触れることも、追及することもなかった。彼女を余計に気まずくさせたくないという配慮からだ。顔を合わせた真琴にしても、光雅が事の顛末をすべて把握していることは察していたものの、その振る舞いは終始落ち着いていた。すでにそれ相応の大人であり、何より自分自身が不当にはめられた被害者なのだから。歩み寄ると、静かに口を開いた。「この数日遅れた分、急いで取り戻すわ」真琴の言葉に、光雅は言った。「仕事なんてキリがないんだから、まずは体を一番に考えなよ」「ええ」短くうなずくと、二人は今後の業務スケジュールについて少し言葉を交わしたのち、それぞれの執務室へと戻っていった。信行のマンションを去ってからというもの、真琴はあの数日間の出来事を意識から追い出し、彼と肌を重ねた事実も過去のこととして脇に置いた。一度は夫婦だった間柄だ、今さら変に引きずるつもりもなかった。ただひとつ気がかりだったのは、信行が言っていた「後遺症」の件だった。自分の身体に何か異変が起きるのではないかと、密かに不安を抱いていた。だが幸いにも、信行と離れてからはひたすら仕事に没頭できていたおかげで、そうした方面へ意識が向くことも、妙な欲求が湧き上がることもなかった。すべてが、何事もなかったかのように元の日常に戻っていた。……興衆実業。信行が会社に戻った直後、祐斗がドアをノックした。「入れ」短く促されて入室した祐斗は、自分のスマホと数枚の資料を信行へ差し出した。「社長、真琴様に薬を盛った者を特定いたしました」実のところ、犯人自体は翌日の段階で祐斗がすでに割り出していた。ただ、真琴の状況が状況だけに信行が付き添っていたため、気を利かせて報告を控えていただけだった。手渡されたスマホと証拠資料に視線を落とし、そこに記された犯人の名を目にした瞬間、信行の瞳に凄まじい冷気が宿った。思い返せば、自分は少しばかり甘すぎたのかもしれない。人に寛大に接しすぎた。バサッと音を立てて手元の証拠料をデスクに叩きつけると、信行は顔を上げ、冷徹に命じた。「旧倉庫へ連れていけ」「かしこまりました、社長」祐斗は即座に頭を下げると、手配へ
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第648話

興衆実業が所有する、郊外の旧倉庫。信行は真琴よりも一足早く現場に到着していた。彼が旧倉庫へ足を踏み入れた時点で、渚はすでに祐斗によって連れて来られていた。とはいえ、祐斗が渚に暴力を振るうような真似はしていない。ただ丁寧に取り扱っただけだった。そのため今の彼女は、相変わらず華やかに着飾った、女性アナウンサーの姿そのものだった。信行の姿を認めると、渚は胸の前で組んでいた腕を解き、視線を向けて問いただした。「信行さん、一体どういうつもり?」ポケットから煙草を取り出して火を点け、深く紫煙をくゆらせてから、信行は静かに告げた。「やったことに、しらを切るつもりか?」冷徹な詰問を突きつけられ、渚の胸の奥にかすかな動揺が広がった。事件から何日も何のお咎めもないまま日が過ぎたため、立ち消えになったものと踏んでいた。まさか信行の手で自分まで突き止められ、こうして呼びつけられるとは思ってもみなかった。信行を正面から見据えた。彼がゆっくりと歩み寄り、何事もなかったかのように煙草の煙を吐き出す姿を目にしながら、渚の頭には一つの思いが巡っていた。信行は元々自分のものになるはずだった。二人は結ばれるはずだった。真琴さえ割り込んでこなければ。信行の祖父だって自分を認め、お墨付きを与えてくれていたのだから。男が目の前まで迫る中、渚は強気に突っぱねた。「言っている意味が分からないわ」白々しく突っぱねる渚に対し、信行は煙を吐き出し、鼻で笑った。「まあ、見ようによっては感謝すべきなのかもな。お前のくだらない企みがなかったら、俺と真琴の関係もここまで進展しなかった」きっかけが何であれ、薬のせいであろうと、自分と真琴は間違いなく結ばれた。自分こそが真琴にとって最初の男であり、唯一の存在となった。信行の言葉に、渚の顔から一瞬で血の気が引いた。あの夜、真琴のグラスに薬を仕込んだのは、見知らぬ男たちに真琴を襲わせ、無残に壊された彼女を信行がなおも受け入れるかどうか確かめるためだった。だが計画は狂い、信行が間一髪のところで駆けつけて真琴を連れ去ってしまった。後ろめたさと焦りで言葉を失う渚に対し、信行の面持ちは急速に冷めきっていった。「その身の程知らずな自信はどこから来る?真琴に手をかけたお前を、俺が振り
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第649話

信行が振り向くと、真琴が歩みを進め、重い鉄扉を押して入ってきた。それに気づいた祐斗が、すぐさま深々と頭を下げた。「真琴様」それに続き、控えていた部下たちも次々と頭を下げた。「真琴様」落ち着いた様子で祐斗たちを見やった真琴だったが、渚の姿を目にすると、わずかに驚きの色を瞳に浮かべた。自分を嵌めたのは由美かと思っていたのだが、まさか接点すらほとんどないこのアナウンサーだったとは。凛とした佇まいで入ってきた真琴に対し、渚もまた顔を上げて鋭い視線を向けた。視線が交錯した。渚の瞳には、露骨な敵意と怒りが宿っていた。渚を正面から見据えながら歩み寄るにつれ、真琴の面持ちは冷ややかに陰っていった。盛られた薬のこと、そして身体に残された後遺症のことに思いが至ると、普段は穏やかな彼女の腹の底も、さすがに激しい憤りで煮えくり返っていた。渚の前まで進み出ると、真琴は感情を押し殺し、薄く笑みを浮かべた。「成瀬さん、私に何か恨みでもおありかしら」薄暗い旧倉庫の中、真琴と渚の背丈はほぼ同じだったが、纏う空気と佇まいは真琴のほうが遥かに勝っていた。渚がどれほど知名度の高い女性アナウンサーであろうとも、真琴の内に秘めた知性と品格には到底及びはしなかった。真琴の詰問に対し、渚は顎を上げ、不遜な態度で言い放った。「被害者ぶるんじゃないわ。腹の探り合いや手管なら、私なんて到底及ばないもの」真琴は眉をひそめ、まっすぐ渚を見つめた。どういう意味かと問うような眼差しだった。それを受け、渚は畳みかけた。「姿を消しておきながら、焦らすように再び現れる。信行さんの気を引き、愛を手に入れようと策略を巡らせたんでしょう?男なんてみんな同じよ。優しく尽くされている時は見向きもしないくせに、邪険にされた途端にしがみついてくるんだから。私は何一つ負けてなんていないわ。ただ、あんたの手管ほど浅ましくなれなかっただけ」手管が浅ましい?淡々と渚を見つめながら、真琴はかつて信行と結婚したばかりの頃や、あの思い出すのも嫌な三年間を思い返していた。過去の記憶が脳裏をよぎると、渚がいくら憤慨しようとも、真琴の胸の騒ぎはかえって静まっていった。実のところ、二人とも同じ過ちを犯していた。自分の幸せを他人に委ねるという過ちを。物思いに耽
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第650話

よりによって、信行のお膝元で薬を盛ってくるとは。渚から視線を外さずに見つめながら、真琴は信行と関わったことで、まさかこれほど不毛な揉め事にまで巻き込まれるとは思ってもみなかった。信行のスキャンダルや、乗り込んできた愛人の相手をするのが自分の限界だと思っていたが……どうやら、自分の見識が甘かったらしい。渚へ歩み寄る二人のボディーガードを平然と見つめながら、真琴は思う。以前の自分であれば、こうした過激な真似を見過ごせずに、止めに入っていたはずだ。だが今の彼女は違った。信行のベッドで耐え抜いたあの苦痛、なりふり構わず彼を求めてしまった記憶、身体に残る痛みとダメージ。そして、「我慢し続ければ神経や知能に悪影響が出る」という溝口医師の言葉。それらの記憶が、真琴の中から弱さと優しさを完全に消し去っていた。そうして彼女は、渚が無理やり顎を掴まれて口を開けられ、薬を流し込まれていく様を、ただ冷ややかな眼差しで見つめていた。「っ、ゴホッ、ゴホッ……!」後ずさりしながら激しく咳き込む渚は、真琴を指差し、怒りと憎しみに満ちた声を張り上げた。「あんただって信行さんと結ばれることなんてないわ!この人は誰も愛せない人間なの!あんたが彼の愛を手に入れることなんて絶対にできない!」渚の呪詛のような言葉に、真琴はただ静かに視線を外した。そもそも、今回戻ってきたのは信行とやり直すためでもなければ、彼の愛を求めるためでもない。ただ、ろくに面識すらなかったはずの女二人が、一人の男を巡ってここまで愚かに争う羽目になった現実に、虚しさがこみ上げるばかりだった。すっと向きを変えると、真琴は信行に向けて言った。「まだ仕事が残っているから、先に失礼するわ」本当なら来たくなどなかった。それでも、盛られた薬の苦しさを身をもって知っていたからこそ、確認のために足を運んだに過ぎない。だが実際にこの惨状を目の当たりにしても、復讐の達成感などは微塵もなく、ただ割り切れない徒労感だけが残った。誰かと敵対するつもりなど毛頭なかったのに、いつの間にか泥沼の中心に引きずり込まれていた。立ち去ろうとする真琴に対し、両手をポケットに突っ込んだ信行が淡々と声をかけた。「送っていくよ」「車で来たから大丈夫よ」淡々と返し、最後に一度だけ渚へ視
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