All Chapters of 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める: Chapter 701 - Chapter 710

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第701話

あたりはすっかり暗くなっていた。窓の外へ目をやると、向かいのビルの上に半月が浮かんでいる。月を見上げ、真琴は深く息を吐き出した。今、自分と信行がどういう間柄なのか、すぐには言葉にできそうもない。渚が巻き起こしたあの騒動のせいで、生活のリズムは完全に狂い、信行との関係までかき乱されてしまった。重い気分のまま外を見つめていると、背後で物音がした。ハッと我に返り、振り返って信行と言葉を交わした。手は出さないという約束通り、信行は実に律儀だった。彼女を腕に抱いて眠る以外、本当に何もしなかった。その間、信行もかなり深く眠れていたようだった。*翌朝、真琴が目を覚ました頃には、すでに祐斗が着替えを届けていた。彼女がそばにいさえすれば、信行は何から何まで手配してくれる。真琴が気を揉む必要など微塵もなかった。身支度を整え、出かけると声をかけた真琴に、信行はじっと視線を向けて言った。「今朝、紗友里と話した。今日は戻って来られないそうだ」信行のささやかな思惑など、真琴にはお見通しだった。入院中の信行を前に問い詰める気にもなれず、何気ない調子で視線を返した。「分かった。夜、またご飯持ってくる」一呼吸置き、真琴は言葉を継いだ。「退院したら、ちゃんと話しましょう」昨晩ずっと考えあぐねていたが、このまま曖昧にはしておけない。信行ときちんと向き合い、自分自身の調子を立て直す必要があった。とりわけ、体の状態を。真琴の言葉に、信行はそっと彼女の頬に触れ、素直に頷いた。「ああ。退院したら、ゆっくり話そう」今の真琴は頑なになっている。信行は機嫌を損ねまいと必死で、言われるがまま二つ返事で受け入れていた。真琴は右手を伸ばし、信行の手首を少しの間握ると、静かにその手を離した。そうして仕事へと向かった。ここ最近はずっとラボに通い詰め、実験データの整理に追われていた。だが昨日のうちに一区切りついたため、今日の業務はそれほど多くない。午後3時過ぎには手が空いた。デスクから紗友里に電話を入れてみたが、やはり今日は戻れそうにないという。ふいに手持ち無沙汰になり、やることがなくなってしまった。以前、東都にいた頃は、空き時間さえあれば紗友里と一緒に過ごしていた。幼い頃から変わらない2人の習慣だ。席の前
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第702話

そう、今回の工事現場の事故で、またしても信行を救ったのは成美だった。もともと不自由だった両足に、今度は落下物が直撃して骨折していた。成美の手術が終わったのが今日の午後だったため、信行もこのタイミングで見舞いに訪れていた。祐斗が信行の意を汲んで申し出ると、成美はくすりと微笑んだ。「武井さんは昔から変わりませんね。そうやって先回りして気を回すところも。内海家も峰亜も、今は特に助けを必要としていません。それに峰亜はもう十分に自立していますから、誰かにすがる必要もないんです」怪我で入院し、顔色は蒼白で、脚には包帯が巻かれている。それでも成美の凛とした佇まいは健在だった。卑屈にも尊大にもならず、醸し出す気迫だけで由美を遥かに圧倒している。傍らでは、由美が陰で呆れ果てたような目を向けていた。だが、成美ほどの覚悟も知恵もない。1人の男を完全に手に入れるためなら、成美は我が身を削るリスクすら惜しまない。正直、あの状況で自分なら飛び込めたかどうか怪しいと、由美自身も分かっていた。成美はそう告げ終えると、顔を上げて信行を見つめた。「信行、私が不在だったこの数年間、峰亜は本当によく面倒を見てもらったわ。そのことだけでも感謝してる。それにあの状況なら、相手があなたでなくても同じ行動を取っていたはずよ。だから、本当に気にしないで」本来なら深く気にするつもりもなかったが、成美にここまで余所余所しくされると、信行としてはかえってきちんと恩を返したくなる。彼女に借りを作りたくないという思いが、逆に募っていった。*同じ頃、真琴の車が病院の1階に到着した。エレベーターで上がった病室に、信行の姿はない。ただ私物は置かれたままで、片付けられた様子もなかった。真琴は買ってきた果物をテーブルに置くと、ナースステーションへ足を向けた。「408号室の患者さんはどちらへ行かれたか分かりますか?」カウンターの看護師が記録を確認し、答える。「406号室へ行かれていますよ。お二人一緒に搬送されてきたんです。片桐社長を助けられたのが、その406号室の女性の方で」406号室の女性が、信行を助けた?真琴は小さく眉をひそめた。信行からもそんな話は聞いていなかったし、紗友里の耳にも何も入っていなかった。廊下の突き当たりへ視線
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第703話

成美に声をかけられ、真琴は顔を上げた。穏やかな笑みを浮かべて応じる。「成美さん」学生時代、真琴は成美に幾度か助けられたことがあった。2人のあいだにいざこざが起きたことは1度もない。だからこそ今も、真琴は年長者に対する礼儀を保って接していた。病室の中から、成美は信行と祐斗のあいだから真琴を見つめ、声を弾ませた。「私のお見舞いに来てくれたの?そんな外に立ってないで、遠慮しないで入って」成美の言葉に、信行と祐斗が揃って病室の入り口へと振り返る。そこには案の定、真琴の姿があった。信行の表情が一変する。まだ4時前だ。今日に限って、なぜこんなに早く来たのか。真琴の仕事中に済ませておけば、成美と同じ病院に入院していると知られずに済む。そう踏んでいた信行の目論見は、あっさりと崩れ去った。信行の隣で、祐斗が慌てて頭を下げる。「真琴様」引きつる信行の表情も祐斗の焦りも意に介さず、真琴は堂々と病室へ足を踏み入れた。微笑みながら口を開く。「成美さんもこちらにいらしたとは知らなくて。手ぶらですみません」真琴の突然の来訪に、真弓の顔色もさっと変わった。露骨に不快感を滲ませている。その隣で、由美は口元に薄い笑みを浮かべた。ずいぶん面白い展開になってきた。自分は何年も真琴と暗闘を繰り広げた挙げ句、結局信行を手に入れられなかった。今度は成美がどう出るのか見ものだ。信行を見つめながら、由美はいっそ一生独身でいてくれればいいとさえ思っていた。誰とも結婚しないのが一番いい。それなら誰の勝ちにもならないし、自分の惨めさも薄れる。真琴の言葉に、成美は満面の笑みを広げた。「いいのよ。顔を見せてくれただけで十分嬉しいわ」そう言われる間に、真琴は病室の中央へと進み、ベッドの足元に立っていた。真琴が入ってきたのを見届け、信行がようやく重い口を開く。「今日はどうしてこんなに早いんだ?」怪訝そうに尋ねる信行へ、真琴は平然と返した。「特に用事もなかったから、早めに来たの」病室の中で二言三言と言葉を交わし、真琴が容態を尋ねたところで、成美が切り出した。「信行、自分の病室に戻って休みなさい。私も少し横になるわ。大したことないから、心配いらないわよ」そう促され、信行と真琴は挨拶を済ませると、信行の病室へと引
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第704話

由美の後ろ姿を見送りながら、真弓は眉をきつく寄せ、ドアを指差した。「あの子ったら、本当に……!」ベッドの上で、成美は落ち着き払った様子で口を開く。「放っておけばいいのよ」「由美にあなたの半分でも知恵があれば、半分でも先を読む力があれば、内海家だってこんな体たらくじゃなかったのに。いつだって詰めが甘いし、落ち着きがないんだから」真弓がどれだけ愚痴をこぼしても、成美は淡々とした態度を崩さず、相槌すら打たなかった。*同じ頃、信行の病室。部屋に戻った真琴と信行の後ろを、祐斗が気まずそうについてくる。病室に入っても2人は一言も口を利かない。先ほど成美の病室で起きた一幕も思い返し、祐斗はたまらず口を開いた。「社長、真琴様。まだ仕事が残っておりますので、私はこれで失礼します」「いってらっしゃい」「ああ」2人の声が重なる。祐斗がドアを閉めて立ち去るなり、信行は真琴へ向き直り、弁明するように切り出した。「あの日、峰亜と一緒に現場にいたんだ。峰亜との共同プロジェクトだったから」真琴は小さく微笑んで返す。「わかってる。事情はさっき看護師さんからも聞いたから」それに、信行から事細かに説明してもらう必要もない。信行と成美、そして峰亜のあいだの問題なら、彼自身で片付ければいいだけの話だ。真琴のどこ吹く風といった態度に、信行はたまらずその腕を引き寄せ、胸の中へと抱きしめた。真琴の頭に顎を乗せ、信行がぽつりと呟く。「そんなふうにされると、逆に怖いよ」問い詰められたり、少しでも不機嫌な顔をされたりするなら、ここまで緊張はしない。こうして平然と受け流されるほど、かえって不安が募る。真琴の心の中で、静かに減点されているのではないか――信行にはそればかりが怖かった。信行の腕に抱かれたまま、真琴は静かに息を吐き出した。テーブルの上に視線を落とし、声をかける。「果物を買ってきたの。洗ってくるわね」そう言って腕をすり抜けると、果物を手に取ってミニキッチンへ向かった。信行はすぐに真琴の後を追い、背後から抱きすくめる。腰に腕を回し、肩に顎を乗せて頬を寄せてくる。ひどく甘えた仕草だった。真琴は果物を洗いながら横顔を向け、落ち着いた声で言った。「そうやってくっつかれたら、洗いにくいんだけど」
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第705話

30分後、車は会社の駐車場に滑り込んだ。真琴は気持ちを切り替え、バッグを手にして車を降りると、身だしなみを整えてオフィスへと向かった。一方、病院では真琴を見送った信行が、早々に仕事へと戻っていた。テーブルで作業を進めていると、病室のドアが不意にノックされる。信行が顔を上げると、そこに立っていたのは真弓だった。その姿を認め、信行は手を止めて平然と声をかける。「内海さん、どうぞ」真弓は笑みを浮かべて歩み寄ってきた。「お仕事中だったかしら」「ええ」短く答え、信行は立ち上がって白湯を淹れ、差し出した。由美や成美には容赦のない信行だが、真弓は曲がりなりにも目上の相手だ。差し出されたコップを両手で受け取りながら、真弓の表情はさっと曇った。重大な悩みを抱え、ひどく困り果てているような顔つきだ。真弓が椅子に腰を下ろすのを見届け、信行も席に戻って単刀直入に尋ねる。「何かご用でしょうか」両手でコップを包み込んだまま、真弓は何かを言いかけては何度も言葉を呑み込んだ。そのもどかしい様子に、信行はわずかに口元を緩める。「言いたいことがあるのなら、はっきりおっしゃってください。遠回しなやり取りは苦手なもので」信行に釘を刺され、真弓は慌てて口を開いた。「実は少し、手を貸してほしいことがあるのよ。こんなことを頼むのは気が引けるのだけれど……でも、あなた以外に頼れる人も、思いつく手立てもなくて」真弓の顔には居たたまれなさが滲んでいる。だが、信行は表情ひとつ変えずに返した。「先に用件をどうぞ」真弓は白湯を持ったまま眉間に深い皺を寄せ、しばらく考え込んだ末にようやく言葉を絞り出した。「成美の性格は知っているでしょう?あの子、口では平気だとか何でもないとか言っているけれど、本当はずっと気にしてるのよ。他人のことばかり気遣って、自分のことはいつだって後回しにしてしまう子だから」信行は手元の茶を一口すすると、冷ややかな視線を向けたまま淡々と言い放った。「本題に入ってください」真弓の煮え切らない態度に、信行の表情はみるみる硬化していく。先ほどまでの穏やかさは消え失せていた。張り詰める空気に、真弓は重く息を吐き出す。そして哀愁を帯びた声で切り出した。「知っての通り、成美も今年でもう28よ。ここ数年、
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第706話

「それに先日の事故だってそうよ。たとえ相手があなたじゃなくても助けに飛び出したはずだなんて言ってたけれど、真に受けないで。あの子、あなたに余計な気兼ねをさせたくなくて、あんなことを言っただけなの。信行さん、私にはもうどうすることもできないの。あなた以外に、この願いを叶えてあげられる人はいないわ」信行が口を開く暇も与えず、真弓は先ほどまでの躊躇いをかなぐり捨てて単刀直入に切り出した。「成美の願いを叶えてやってほしいの。あの子と結婚式を挙げてくれないかしら。知っているでしょう?ALSは治らない病気なのよ。成美は……」それ以上は言葉にならなかったのか、真弓は胸を痛めた様子で口を噤んだ。ここへやって来たのは、成美が信行を救った恩義につけ込み、強引に結婚を取り付けるためだった。由美が信行に費やした時間はあまりにも長すぎた。真弓としては、成美にまで無駄な時間を費やさせたくない。成美自身は峰亜がすでに自立できていると主張しているが、長盛の妻であり、峰亜の直接の利害関係者である真弓は誰よりも内情を把握している。峰亜が今手がけている事業は単なる名声集めにすぎず、実質的な利益にはまるで結びついていない。峰亜には、どうしても強大な後ろ盾が必要だった。東都を見渡しても、信行以上の相手など見当たらない。何より、成美は信行を取り込むために何年も前から布石を打ってきた。ここで手放してしまうには、あまりに惜しすぎる。真弓の言い草に、信行は怒りすら通り越して冷笑を浮かべた。冷淡な視線を真弓へ据え、突き放すように言い放つ。「内海さん、自分が何を言っているのか分かっているのか」確かにALSに治療法はない。だが進行は緩やかで、長く生きることも可能だ。内海家が企んでいるのは、成美の願いを叶えることではない。道徳的な負い目を盾にして、自分をがんじがらめにすることだ。よくもまあ抜け抜けと言えたものだと、信行は冷ややかな目で真弓を見つめた。信行のあからさまな嘲笑に、真弓は慌てて取り繕う。「もちろん、あなたと成美に本当の夫婦になれとまで言うつもりはないわ……」言い終わらないうちに、信行は容赦なく言葉を遮った。「そんな茶番に付き合う気はないよ。他を当たってくれ」「……でも、成美が……」食い下がろうとする真弓を、信行
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第707話

信行は冷ややかに言い放った。「その件なら、内海さんが戻って別の候補をじっくり考え直してくれ。病室までは見送らないから」「……」あまりの無情さに、真弓は成美の病室へ引き返すしかなかった。真弓が去るのを見届け、信行は手元の書類を机の上に放り出す。10年前ですら、成美と結婚する気など微塵もなかった。今さらあり得るはずがない。あの頃、同情から成美の告白を受け入れたことを思い返し、当時の自分はよほどお人好しだったのだと苦笑する。しばらく病室の入り口を見つめていた信行は、机の上のスマートフォンを手に取り、祐斗へ電話をかけた。「前に頼んでおいた件を急いで調べてくれ。それと先日の事故のことも、もう1度洗い直すんだ」受話器の向こうから、すぐに祐斗の声が返ってくる。「承知いたしました、社長。ただちに取りかかります」祐斗の返答を聞き届け、信行は通話を切った。*同じ頃、東央システムズでは真琴が黙々と自分の仕事に没頭していた。夕方になり、仕事を終えて退社したところで紗友里が戻ってきた。遠くから真琴の姿を認めるなり、クラクションを軽く鳴らして合図してくる。ポルシェを滑らせて現れた紗友里の姿に、真琴の表情がふっと緩んだ。車内の紗友里も顔を綻ばせている。助手席のドアを開けて乗り込みながら、真琴は紗友里を見て笑った。「やっと帰る気になったの」ハンドルを握り、車を発進させながら、紗友里は澄ました顔で返す。「外で用事があっただけよ」その言葉に、真琴は小さく吹き出した。「もういいって。付き合いが何年になると思ってるの。わざとらしい嘘はやめて」からかうような真琴の笑いに、紗友里は横を向いた。「どういう意味よ」「前を見て」まずは紗友里に前方を注意させてから、真琴は続けた。「信行との件、本人から全部聞いたんでしょ。じゃなきゃ、あんな勢いで逃げ出すわけないもの」腹を割って話す真琴に、紗友里も取り繕うのをやめた。ハンドルを握る手に力を込め、忌々しそうに吐き捨てる。「成瀬の奴、逃げ足だけは早かったわね。捕まえてたら、ただじゃおかなかったのに」物騒な台詞を口にする紗友里に、真琴は笑って相槌を打つ。「はいはい、紗友里お嬢様が一番お強いですよ」口ではそう宥めながらも、真琴の胸中には、渚が立
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第708話

紗友里の探るような問いかけに、真琴はクスリと笑った。「信行に丸め込まれたの?彼のために説得でもする気?」からかう真琴へ、紗友里はハンドルを握ったまま平然と言い返す。「違うわよ。お兄ちゃんに何か頼まれたわけじゃないし。ただ余計なお節介をするな、邪魔立てするなって言われただけ」そこまで言って、紗友里はしみじみとした口調で言葉を重ねた。「お兄ちゃんを庇うわけじゃないけどさ。真琴たちのことを見てると、本当にもったいないって思うのよ。今の私は完全に第三者だから、当事者の2人よりもずっと状況が見えてる」真琴が口を挟む間も与えず、紗友里は淡々と分析を続ける。「2人の性格を考えたらね、脅かすわけじゃないけど……もし寄りを戻さなかったら、この先一生独り身の可能性が高いと思う。他の誰かと一緒になるなんて、まずあり得ないわ。形だけの妥協した関係なんて、あんたたち2人には絶対に割り切れないんだから」ハンドルを握り直しながら、紗友里はちらりと真琴へ視線を走らせ、さらに言葉を継いだ。「前に五十嵐さんと試しに付き合ってみたみたいだけど、自分でもわかってたんでしょ?あの人と添い遂げるのは無理だって。五十嵐さんがどれだけ優秀で、申し分なくて、何から何までお兄ちゃんより優れていたとしてもよ。真琴もお兄ちゃんも情に脆い割に、変なところで精神的な潔癖さがある。結局、自分の心をごまかせなくなるのよ」一息にまくし立てると、紗友里は念を押すように付け加えた。「正直なところ、あんたとお兄ちゃんは似すぎてる。本当にそっくりよ」いつになく落ち着き払った紗友里の物言いに、真琴は心底驚いたように目を見張った。まるで別人と話しているかのようだ。瞬きもせず紗友里を見つめていた真琴は、ようやく口を開いた。「ずいぶん大人になったわね。なんだか落ち着いたというか」以前の紗友里には見られなかった冷静さが、今の彼女には確かにあった。信行と一緒にあの事故に遭ってから、変わり始めたのかもしれない。話題を逸らされ、大人びた変化ばかりを指摘された紗友里は、前を向いたままふっと笑みをこぼした。「もう25よ。いつまでも昔みたいに能天気じゃいられないでしょ。人間、誰だって大人になるわよ」口ではそう言いながらも、紗友里の脳裏には光雅の姿が浮かんでいた。あの夜、
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第709話

紗友里の報告を聞き、信行が口を開いた。「役に立ってくれとは言わないが、余計な首を突っ込んで引っ掻き回すな」紗友里は露骨に嫌そうな顔をする。「真琴を説得してあげようと思ってたのに。そんな言い方されたら、邪魔のひとつでもしなきゃ割に合わないじゃない」そう言い返す紗友里を、信行は顔を上げて睨みつけた。兄妹のくだらない口喧嘩に頭痛を覚え、真琴が宥めるように割って入る。「もうやめて。昔から顔を合わせれば喧嘩ばかりなんだから、少しは落ち着いて」真琴に窘められ、信行と紗友里はそこでようやく口を閉じた。病室で信行に付き添い、夜の8時半を回った頃、紗友里が帰るために立ち上がった。それに合わせて真琴も腰を上げ、信行を見つめて告げる。「特に問題もなさそうだし、今夜は病院に残らないわね」2日間看病していた真琴には、信行の容態が十分に把握できていた。本音を言えば残ってほしかったが、実のところ大した怪我でもない。信行は伏し目がちに真琴を見つめ、頷いた。「わかった。気をつけて帰って」ポケットに両手を突っ込み、信行は2人をエレベーターホールまで見送ることにした。エレベーターを待つ間、肩にバッグを掛けた紗友里が腕を組み、真琴へ横顔を向けた。「真琴のおかげね。普段なら、お兄ちゃんがここまで見送りに来るなんてあり得ないもの」紗友里の軽口に、真琴は笑みを浮かべるだけで何も言わない。やがてエレベーターが到着し、2人が乗り込むと、信行は真琴の目を見て言った。「家に着いたら連絡して」「ええ」真琴が小さく頷き、扉が静かに閉まっていく。信行はその姿を最後まで見届けた。その後もしばらく1人で佇んでいたが、表示が1階を示したのを確認し、ようやく踵を返す。今この瞬間、無性に結婚したかった。真琴と添い遂げたい。真琴のために、盛大な結婚式を挙げてやりたい。これまでしてやれなかったことを、すべて償いたかった。窓から長い廊下へ、澄んだ月明かりが差し込んでいる。別れたばかりだというのに、真琴が愛しくてたまらなかった。*同じ頃、病棟前の屋外駐車場。車に乗り込むと、紗友里はハンドルを握り、真琴をマンションまで送り届けた。車を停めた際、真琴が泊まっていくかと声をかけると、紗友里は素直に頷いた。そうして2
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第710話

光雅が素早く平静を取り繕うと、紗友里もすぐに我に返った。2人が挨拶を交わすのを待って、紗友里は何食わぬ顔で真琴に向き直る。「大事な用があるみたいだし、今日は帰るね。また今度泊まりに来るから」2人が言葉に詰まったのはほんの一瞬だったが、真琴はその違和感を見逃さなかった。もっとも、確証があるわけでもなく、事情を呑み込めていないだけだ。真琴は紗友里へ視線を合わせ、素直に頷いた。「わかった。家に着いたら連絡して」急に泊まるのをやめたのには、紗友里なりの理由があるのだろう。だからこそ、真琴は深く追及せず、あっさりと受け入れた。「うん」真琴に返事をした紗友里は、光雅へ視線を移し、堂々とした態度で口を開く。「西脇社長、ではお2人でごゆっくり」言い終えるや否や、紗友里は踵を返してエレベーターホールへ戻っていった。ちょうど上がってきたエレベーターへ、一度も振り返ることなく乗り込む。前回、光雅が訪ねてきた際、紗友里ははっきりと念を押していた。薬は飲んだから後腐れはない、心配いらないと。それ以来、光雅から連絡が来ることはなかった。あの夜の出来事はただの過ちで、光雅に責任を取る気など毛頭ない。そんなこと、誰よりも自分自身がよくわかっている。仮に薬を飲まず、万が一妊娠していたとしても、光雅が自分と一緒になるはずもない。せいぜい親権を争うか、認知すら拒むかのどちらかだ。彼ほどの男なら、父親になる機会などいくらでも転がっている。1階に到着すると、紗友里は長く息を吐き出し、エレベーターを後にした。*一方、上の階。紗友里を見送った真琴は玄関の鍵を開け、光雅を部屋へと招き入れた。靴を脱ぎ、バッグを靴箱の上に置いた真琴は、光雅へ振り返って単刀直入に尋ねる。「紗友里と何かあった?」紗友里が言いたがらないのなら、無理に問い詰めはしない。だが、光雅相手なら率直に聞けた。さっきの空気が、どうしても引っかかっていたからだ。問われた光雅は、眉ひとつ動かさずに淡々と返した。「何もないよ」真琴は光雅の表情を観察したが、感情の揺らぎはまるで見当たらない。本当に何事もなかったようにも見え、それ以上の詮索はやめにした。そのまま話題を切り替える。「急に来るから驚いたわ」そう言いながら、お茶
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