聞き覚えのある低い声に、紗友里は弾かれたように顔を上げた。開いたドアの隙間から、見知った長身の男が入ってくる。光雅だ。こんな時間、こんな場所で鉢合わせるなど想像すらしていなかった。紗友里は目を丸くしたまま固まる。数秒間、瞬きも忘れて凝視したあと、ようやく我に返って口を開いた。「……どうしてここに?」光雅はその問いにすぐには答えなかった。調書を取っていた警察官へと視線を移し、スーツの内ポケットから名刺を取り出して差し出す。「彼女の身元引受人です。手続きに来ました。サインする書類はどれですか」警察官は名刺を受け取り、記載された肩書を確かめる。東央システムズ社長。東都市でいくつもの投資案件を抱え、興衆実業との共同事業も手がける大物実業家だ。これだけの人物が身元保証人に立つなら、何一つ申し分ない。手続きは滞りなく進み、ほどなくして紗友里は署の外へと連れ出された。*取調室のドアを出てから階段を下りるまで、光雅は一言も発しなかった。彼が無言を貫く以上、紗友里から口を開く気にもなれない。見栄を捨てきれないプライドが、まだ胸の奥にくすぶっていた。助手席に押し込まれ、車が静かに走り出したところで、ようやく光雅が横目で視線を向けてきた。気のない口調で、皮肉っぽく呟く。「最近、ずいぶん血の気が多いな。行く先々で喧嘩でも売ってるのか?」前回の衝突を引き合いに出した当てこすりだと、すぐに察しがついた。だが、紗友里は言い訳などしない。理解してくれる相手に弁解は要らないし、理解する気のない相手になら、言葉を尽くすだけ無駄だ。その皮肉を受け流し、感情を乱すこともなく、紗友里は涼しい顔で訊ねた。「こんな夜更けに、警察署に何の用だったの?」自分がここにいた理由より、彼が居合わせたことのほうがよほど不可解だった。ハンドルに両手を添えたまま、光雅は淡々と返す。「野暮用を片付けに来ただけだ。まさかお前と出くわすとは思わなかったがね」光雅の言葉に偽りはなかった。実際、私用を片付けに来ただけであり、こんなところで彼女に出くわすとは思いも寄らなかった。それ以上踏み込んだ説明がないため、紗友里も追及はしなかった。「ふうん」と短く相槌を打ち、再び前方の闇へ視線を戻す。横目で彼女を盗み
続きを読む