All Chapters of 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した: Chapter 1131 - Chapter 1140

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第1131話

「お前の肌に纏わせてこそ、初めて本来あるべき場所に戻ったと言えるんだ」詩織は息を呑み、瞳を揺らした。胸の奥で心臓が早鐘のように激しく打ち鳴らされている。車内は、長い静寂に包まれた。ただ、エアコンの微かな駆動音だけが響いている。詩織はそれ以上何も追及せず、ただ俯いて、固く繋がれた二人の手を見つめていた。かつて細い棘のように彼女の心に刺さっていたわだかまりが、暖かな風に溶かされるように、いつの間にか跡形もなく消え去っていくのを感じていた。新しい年が、本当に始まったのだ。......詩織が家に帰り着いたのは、空が白らみ始める頃だった。母・初恵の生活リズムを知っていたため、彼女が目を覚ます前にこっそりと戻ってきたのだ。家の中はしんと静まり返っている。詩織は終始つま先立ちで、泥棒にでもなったかのように、微かな足音さえ立てないよう細心の注意を払った。自室に戻ると、いつ起きたのか、小春がパソコンの前に張り付いて何やら忙しそうに作業をしていた。詩織が入ってくるのを見るなり、声をかけようとする。詩織は慌てて人差し指を唇に当て、「しーっ」と合図をして彼女を制した。誰にも見つからずに済んだと確信し、ようやく肩の荷が下りてホッと息をつく。だが彼女は知る由もなかった。自室のドアが閉まった直後、隣の部屋のドアが密かに開いていたことを。今日の初恵は、いつもよりずっと早く目を覚ましていたのだ。部屋から出ようとしたその時、ちょうど玄関の電子キーが開く音が聞こえた。初恵はとっさに身を潜め、詩織がこそこそと外から帰ってきて、そのまま自分の部屋へ逃げ込む様子をその目でしっかりと捉えていた。初恵は詩織を問い詰めたりはせず、静かにベランダへと歩み寄り、眼下の通りを見下ろした。歩道のクスノキの下には、まだ柊也が立ち去らずに残っていた。彼はじっと見上げるようにして、詩織の部屋の窓を見つめている。初恵は思わず、険しく眉をひそめた。ベッドに入った詩織は、隣のスペースをぽんぽんと叩き、小春にもう一度寝るよう促した。小春は大人しくベッドに潜り込む。詩織はひどく眠気を感じており、声まで少しこもっていた。「小春はいつ起きたの?」小春は少し視線を彷徨わせると、「さっき起きたばっかり」と答えた。実は、詩織が部屋を出て行
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第1132話

正月二日。詩織と初恵は、新年の挨拶のために賀来家を訪れた。かつて初恵が病に倒れた時、江崎家の親族は助けを求めた詩織を冷酷に門前払いした。それ以来、初恵は実家との縁を完全に切っている。そのため、盆暮れ正月であっても江崎家との付き合いは一切ない。近年になって詩織がビジネスで大成功を収めると、江崎家の親族たちは手のひらを返したように擦り寄ってきたが、初恵が容赦なく追い返したため、親戚付き合いの煩わしさとは無縁の静かな正月を過ごすことができていた。詩織自身も、この静けさを気に入っている。それでも、賀来家への新年の挨拶だけは、彼女が心から望んで行く数少ない行事だった。詩織たちが来ると聞き、松本さんは朝早くから準備に奔走していた。当初は新しく雇ったシェフに料理を任せる予定だったが、柊也が「俺が作る」と言って自ら厨房に立っていた。リビングに座っていた海雲は、息子がエプロン姿で厨房に入っていくのを見て、鼻を鳴らしながら呟いた。「私まで便乗しておこぼれに預かれるとは、ありがたいこって」松本さんがくすくす笑う。「食べさせてもらえるだけ儲けもんですよ」詩織と初恵が到着した時、柊也はまだ厨房で立ち働いていた。二人を出迎えたのは松本さんだった。詩織は初恵に怪しまれるのを恐れて柊也のところへは行かず、リビングで海雲を相手に背筋を伸ばして碁を打っていた。心が盤上になかったせいか、一局目はあっという間に負けてしまった。彼女が勝負事で負けるのは、これが初めてのことだ。海雲はそれには触れず、黙って次の局を始めた。詩織の視線は、まるで目に見えない糸で引かれているかのように、チラチラと厨房の方へ彷徨ってしまう。食事の時間になる頃には、詩織は立て続けに三連敗を喫していた。松本さんまで不思議そうに首を傾げた。「詩織さん、なんだか腕が落ちました?」詩織は恥ずかしさのあまり穴があったら入りたい気分だった。「最近仕事が忙しくて、すっかり勘が鈍っちゃったみたいです」幸い松本さんはそれ以上深くは追求してこなかった。もしこれ以上言われていたら、本当に床板を引っぺがして隠れていたかもしれない。ダイニングへ移動すると、柊也がちょうど最後の汁物を運んでくるところだった。松本さんが「もう十分ですから、座って食べてくださいな」と声をかける。
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第1133話

柊也は慌てるそぶりもみせず、さらに蟹を剥き続けながら、ゆったりとした口調で言った。「皆さんの分も俺が剥きますよ」彼は『皆さんの分』と言った。つまり、詩織だけを特別扱いしているわけではなく、同席している全員に剥いてやるつもりだというアピールだ。その言葉通り、彼は初恵や松本さんの皿にも次々と蟹の身を配っていった。結局、テーブルの真ん中にあった大皿の蟹は、すべて彼が一人で剥いてしまった。ヒヤリとしたこの小さなハプニングは、こうして彼の手によって見事に丸め込まれたのだ。初恵がそれを信じたかどうかは分からない。それでも詩織は、柊也が自分の皿に置いてくれた蟹の身を、黙って綺麗に平らげていた。食事が終わると、詩織は自ら進んで食器の片付けを始めた。松本さんが何度引き止めても、彼女は手を止めようとしなかった。初恵も微笑みながら言った。「松本さん、やらせておいてあげてください。気にしなくて結構ですから」結局、食器の片付けは詩織と柊也の二人で行うことになった。厨房では、柊也がシンクの前に立って食器を洗っている。彼は詩織に手伝わせようとせず、代わりにフルーツを切り分けて小皿に盛り付けると、それを食べながら横で自分を見ているように言った。詩織は彼に尋ねた。「さっきの料理、全部あなたが作ったの?」「ああ」「じゃあ、一日中ずっと働きっぱなしじゃない」「朝からずっと立ちっぱなしだな」詩織は急に彼のことが不憫になり、胸が痛んだ。「やっぱり私が洗うわ。あなたは休んでて」「心配してくれてるのか?」「……うん」彼女は小さく頷いた。「なら、一回キスしてくれよ。そしたら疲れなんて吹き飛ぶから」柊也は甘い声で彼女を誘惑した。「やめてよ」詩織は後ろめたさから、しきりにリビングの方を気にしている。誰かに見つかるのを明らかに恐れていた。柊也はほんの少し身をかがめ、鼻先が触れ合うほどの距離で囁いた。「誰にもバレやしないよ」詩織は半信半疑だったが、心臓は早鐘のように激しく鳴り響いている。「ほんとに?」彼は揺るぎない自信を込めて答えた。「ほんとだ」そして、わざと水道の蛇口を大きく捻り、豪快な水音でリビングの話し声を掻き消すような真似までしてみせた。詩織は緊張でガチガチになりながらも、こっそりと彼の唇に
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第1134話

詩織がカットフルーツの盛られた皿を手にして厨房から出てきた時、顔の火照りはようやく引きかけていたものの、まだ微かな余熱が両頬を薄紅に染めていた。松本さんが慌てて彼女の腕を引き、ソファーに座らせる。「だから手伝わなくていいって言ったのに。ほら、熱気にあてられて顔が真っ赤じゃないの」その言葉に、詩織は危うく腰から砕け落ちそうになった。松本さんは気を取り直し、初恵にフルーツを勧めている。皆、何事もなかったかのように世間話に花を咲かせていた。詩織が出てきてからほどなくして、柊也もリビングに戻ってきた。彼はどこまでも涼しい顔をしており、つい先ほど厨房で見せた、あの飢えた獣のような貪欲さなど微塵も感じさせない。彼は詩織の向かい側のソファーに腰を下ろし、彼女と適度な距離を保った。初恵がぽつりとこぼした。「柊也くんは、ずいぶんと料理の腕がいいのね」すると、松本さんが嬉しそうに応じた。「ええ。でも柊也様、滅多に台所に立たないんですよ。私たちもここ数年で二回しか食べたことがありません。前回作ってくれたのは、もう五年も前のことですね」滅多に台所に立たない?詩織は数え切れないほど彼の手料理を食べているのに。だが、松本さんが口にした『五年前』というタイミングが、詩織にある記憶を呼び起こした。五年前、彼女も一度だけこの賀来家で食事をとったことがある。ただしあの日は、柊也が不在だったからこそ、勧められるままに居残ったのだ。そして偶然にも、あの日のメニューはすべて彼女の好物ばかりで占められていた。ただ、味付けがいつもより少しだけ甘かったことを覚えている。今、松本さんの言葉を聞いて、詩織の心にひとつの疑念が浮かんだ。この世に、そんな都合のいい偶然がいくつもあるだろうか?彼女は少し考えたあと、こっそりとスマホを取り出し、柊也にメッセージを送った。【五年前のあの時の料理も、あなたが作ったの?】向かいの席でスマホが震え、柊也がふと顔を上げて詩織を一瞥した。それからロックを解除し、長い睫毛を伏せて目元の感情を隠しながら、なんでもないことのように返信を打ち込む。【ああ】彼の長い指が、続けて画面をタップする。数秒後、詩織のスマホに二通目のメッセージが届いた。【俺が作ったと知ったらお前は絶対食べない
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第1135話

柊也は長い指を差し込み、その紙切れをそっと引き出した。そこには、詩織の流麗な文字が記されていた。【そうして初めて、続く未来があるのだから】彼の足が、前触れもなくぴたりと止まった。玄関へ向かおうと踏み出した足が、まるでその場に縫い付けられたかのように動かない。部屋の薄暗さと外の光が交差する境界に立ち尽くし、彼は視線を落としたまま、その紙切れの縁を親指の腹で無意識に撫でていた。「――そうして初めて、続く未来があるのだから」彼はその言葉の重みを噛み締めるように、低く呟いた。そして次の瞬間、何かに思い当たったようにハッとし、自身のスマホを取り出すと、慣れた手つきで同じ大きさの紙切れを一枚抜き出した。二枚の紙切れを並べる。破断面は、寸分の狂いもなく完璧に噛み合った。【ちゃんと、生きて、そうして初めて、続く未来があるのだから】擦り切れて端が丸くなったその紙切れを指先で握りしめたまま、柊也の胸の奥で暗い感情の波が激しく巻き起こった。その波は一波ごとに高さを増し、抑えきれないほどの力で肋骨をガンガンと打ち据える。この瞬間、彼はようやく彼女が奥底に隠し続けていた、切実な愛情に触れることができたのだ。柊也は弾かれたように踵を返し、外から戻ってきた松本さんに声をかける余裕すらなく、大股で外へと駆け出していった。松本さんは不思議そうに首を傾げた。「一体どうしたの? あんなに慌てて」新年の春風はまだ冷たさを帯びていたが、彼の瞳の奥で燃え盛る執着の炎を消し去ることなど到底できなかった。門を出ようとしたところで、ちょうど引き返してきた詩織と鉢合わせた。その様子からして、スマホを忘れたことに気づいて取りに戻ってきたのだろう。視線が交差した瞬間、柊也の足が止まった。彼が穴があくほど見つめてくるその複雑な眼差しに、詩織は思わず背筋をゾクッとさせた。その目には、狂おしいほどの歓喜と、胸をかきむしるような痛惜、そして……ほとんど暴走寸前のような、どす黒い偏執が入り混じっていたのだ。射抜くような視線に居心地の悪さを覚え、詩織は無意識に半歩後ずさった。「ど、どうかしたの?スマホを忘れちゃって、取りに戻ったんだけど……」柊也は何も答えない。ただ深く息を吸い込み、その喉仏を大きく上下に揺らした。彼は唐突に一歩踏み出
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第1136話

車に戻ってきた時、詩織の頬はまたしても赤く染まっていた。初恵は何も気づいていない様子で、ただ「ずいぶんと遅かったわね」と尋ねてきた。「スマホがなかなか見つからなくて……」詩織はしどろもどろに答える。幸いなことに、初恵はそれ以上追及してこなかった。詩織は車のハンドルを握りながらも、心の中はぐちゃぐちゃだった。穏やかな水面に巨大な石を投げ込まれたように、波紋がいつまでも消えずに広がり続けている。――頭の中は、先ほどの柊也の強引で熱いキスで埋め尽くされていた。詩織を見送った後、柊也もまた庭先で長いこと立ち尽くしていた。暴れ狂う心臓の鼓動がようやく落ち着きを取り戻してから、彼はきびすを返して母屋へと向かう。いつの間にか、海雲が外へ出てきて、池の縁に座って錦鯉に餌をやっていた。家に入ろうとしていた柊也はふと方向を変え、池のそばへと歩み寄った。傍らに置かれていた麩(ふ)の餌を手に取り、海雲の代わりに鯉に餌を撒き始める。一掴み分を投げ入れると、水面は瞬く間に赤や黒の鱗が入り乱れ、激しい水飛沫が上がった。海雲は餌に群がる鯉たちを見つめながら、機嫌が良いのか悪いのか分からない声で言った。「うちの鯉を何匹腹破裂させて殺す気だ?」柊也は手を止めず、さらに一掴み分をばら撒きながら、淡々とした口調のなかに微かな得意げな響きを滲ませた。「父さんの『未来の義娘』が、もう少しあんたを大事にしてやれって言うから親切にしてやってるんだろうが。恩知らずな」海雲は鼻で笑った。「向こうはお前をまだ『正式な相手』として認めてもいないんだろうに。どの口が『未来の義娘』などと抜かすのか」柊也は、「……」と見事に黙り込んだ。痛いところを的確に抉ってくる。彼は手の中の残りの餌を器に放り投げた。「なら、自分で勝手にやれよ」海雲は息子を相手にせず、再び池へと視線を戻した。柊也が拗ねたようにその場を離れた後、松本さんが厚手のブランケットを持って出てきて、海雲の肩にそっと掛けた。彼女はため息をつき、呆れたように言った。「本当に、あなたたち親子のやり取りときたら見ていられませんね」いつだって言葉に棘がある。相手の一番痛いところばかりをわざと突く。事情を知らない人が聞いたら、親の仇同士かと思うだろう。けれども……
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第1137話

無視されてもめげずに、太一は面白半分で言葉を続ける。「万が一、彼女が一生あんたに『彼氏』という肩書きをくれなかったらどうするんだよ?」「なら、一生住むまでだ」柊也にとって、そんなことはどうでもよかった。ただ、彼女がそばにいない時でも、ここで暮らしていれば、少しだけ心が落ち着く気がするのだ。太一は呆れたように首を横に振った。「確定だな。完全な恋愛脳の末期症状だ」彼はそのままソファにごろんと寝転がり、やけに低い天井を虚ろな目で見つめながら尋ねた。「今日みたいないい日に、なんで江崎と一緒に過ごさないんだよ?」「俺がそうしたくないとでも思ってるのか?今日は向こうの母親が家にいるから、抜け出せないんだよ」太一は鼻の頭を掻いた。なるほど、そういうことか。そしてまた好奇心から口を開く。「じゃあ、バレンタインのプレゼントとかは用意してくれてるわけ?」「愛想を尽かされないだけでありがたいよ」柊也は端からそんなこと、微塵も期待していなかった。太一はそれを聞いて絶句した。こんな苦行みたいな恋愛、俺なら絶対に御免だね。「万が一の話だけどな。万が一、江崎が本気であんたを生殺しにして、一生都合のいい男扱いして、ただ感情を弄んで復讐しようとしてたらどうするんだ?」太一は命知らずにもそんな質問を投げかけた。しかし柊也の表情は一切変わらない。まつ毛の先すら、微塵も揺れなかった。「それでも構わない」「俺を弄ぼうとするなら、それは彼女が俺を見ている証拠だ。復讐しようとするなら、彼女の心の中にまだ俺がいる証拠だ」「たとえ一生、正式な相手として認められなくてもいい。彼女のそばにいることさえ許されるなら、俺はそれだけで本望だ」柊也は一呼吸置くと、その声には狂気にも似た、偏執的な確信がこもっていた。「生殺しにされたっていい。彼女はどうして他の奴じゃなく、俺を弄ぶんだ? 俺を選ぶってことは、俺を気にしているからに他ならないだろう」「……」太一は無言のまま、柊也に向かって親指を立てた。ヤバい奴だ。究極の自己暗示というか、自分で自分を洗脳(マインドコントロール)するなんて、筋金入りの狂気だ。一方、江崎家。実は詩織も、柊也に何をプレゼントすればいいかずっと悩んでいた。しかし、いくら考えても良いアイ
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第1138話

この二人が裏でこっそりヨリを戻しているのではないかと、初恵は以前から疑念を抱いていた。そして、新年の挨拶で賀来家を訪れた際、その疑念はすべて確信へと変わったのだ。詩織の母親として、初恵がそれを快く思うはずがない。何しろ相手は、かつて自分の娘を深く傷つけた男なのだから。だからこそ、賀来家から帰ってきた後、初恵は詩織としっかり腹を割って話し合うつもりでいた。それは昨夜のこと。初恵が詩織を探してバルコニーへ向かった時、偶然にも詩織とミキの会話を耳にしてしまったのだ。最初はミキと白彦の離婚についての話をしていたはずが、会話が進むにつれて、話題はいつの間にか柊也のことへと移っていった。ミキが尋ねていた。「初恵さんには、いつまで隠し通すつもり? 私、絶対におばさんにはもうバレてると思うんだけど」それは、最近の詩織の心にずっと重くのしかかっていた悩みだった。これといった解決策が見つからないため、自分からは言い出せずにいたのだ。ミキにそう問われ、詩織は頭痛を堪えるようにため息をついた。「私にも分からないわ」ミキは椅子の背もたれに腕を乗せ、体重を預けながら尋ねた。「じゃあ、彼と一緒にいて幸せなの?」「ええ」詩織は迷いなく頷いた。「だよね。私から見ても、最近の詩織ってば完全に愛の潤いで満たされた、幸せオーラ全開の顔になってるもん」ミキは深くため息をつくように言った。「私にすらバレバレなんだから、初恵さんが気づかないわけないじゃない」「ちゃんと初恵さんと腹を割って話してみたら?初恵さんは詩織のことすごく愛してるんだから、私と同じように、詩織が幸せでいてくれることだけを願ってるはずよ。あなたの笑顔が何より大事だと思ってるから、あなたがどんな選択をしようと応援してくれると思うな」「それに、柊也は初恵さんに自分の腎臓を提供したんでしょ。それってとてつもなく大きな恩じゃない」詩織は小さく息を吐いた。「私が懸念してるのは、まさにそこなの。母は、柊也がその恩を盾にして私を感情的に縛り付けているんじゃないかって誤解するかもしれない。私が『恩義』と『愛情』の区別がついていないんじゃないかって心配すると思うの」「じゃあ、実際のところはどうなの?」「もちろん、そんなことないわ」詩織は静かに首を横に振った。
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第1139話

わざわざ『誠実そうに見えるか』なんて気にするとは。「未来の義母さんへの挨拶だ」なるほど、そりゃ緊張もするわけだ。太一は真面目に彼のコーディネートを審査し、「完璧。問題なし」と太鼓判を押した。「手土産を買いに行く。付き合え」手ぶらで訪問するわけにはいかない。自分は都合のいいパシリか何かかと思いつつも、太一は大人しく車を出し、彼を高級デパートへと連れて行った。柊也の買い物はまるで嵐のようだった。売り場にある最高級の健康食品や贈答品を端から買い占め、あやうく店の在庫を空にしかけた。詩織から「まだ?」と催促のメッセージが来なければ、さらに買い続けていただろう。大量のギフトボックスを詰め込むため、太一は愛車の大型SUVの後部座席をすべて倒し、なんとか無理やり押し込んだ。そして、荷物と柊也を乗せて詩織のマンションの下まで送り届けた。車を降りる前、太一はニヤニヤしながら顔を近づけ、からかうように聞いた。「緊張してる?」柊也は微塵の揺らぎもない声で答えた。「してない」太一は片眉を上げ、これ以上ないほど面白がった顔をした。「この十分の間に、ルームミラーを八回見て、襟元を十回直してたけどな。手のひら、絶対汗ばんでるだろ?」「そこまでかよ? 数年前に海外の巨大な多国籍企業を買収して、数兆円規模の契約書にサインした時だって、あんたの指先一つ震えてなかったぜ。今日のこのプレッシャーは、証券取引所での上場の鐘を鳴らす式典より重いってわけ?」柊也はまたしても彼を無視し、さっさと車のドアを開けて降りた。だが、彼が足を外に踏み出した瞬間、太一は目を真ん丸に見開いた。財界で嵐を呼び、その鋭い視線ひとつでライバルたちを震え上がらせるあの冷酷な若きトップが、なんと……右手と右足が同時に出ているではないか!まるで歴史的奇観でも目撃したかのように、太一は慌てて両手で口を塞ぎ、肩を激しく震わせた。ここで声を上げて笑えば、間違いなく後で殺される。仕方なく、太一も荷物持ちとして一緒に上の階まで上がった。ドアの前に立ち、インターホンを押す前、柊也は深く、静かに深呼吸をした。ドアを開けたのはミキだった。足元に積み上げられた大小さまざまな箱の山を見て、彼女は目を丸くして冷やかした。「デパートごと買い取ってきたの
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第1140話

佐知子さんは猫を再び初恵の腕に戻しながら、冗談めかして言った。「もしかして、賀来さんのことをもう家族だって分かってるんじゃないかしら。私が若い頃、初めて夫の実家に行った時も、そこの家の犬が私にすごく懐いてねぇ。お義母さんが『この子は、未来の家族だって分かって懐いてるんだよ』って言ってくれたのよ」初恵は特に何も答えなかったが、ただ無言のまま、カイの頭をポクポクと二回軽く叩いた。温め直したおかずの他に、二品の新しい料理が食卓に並んでいた。温め直したものだけでは味が落ちて美味しくないかもしれないと心配し、詩織が新しく作り足したのだ。そのうちの一品は、牛肉とニンニクの芽のオイスターソース炒めだった。ネットのレシピ動画を忠実に再現したはずなのだが、完成品は見本とは程遠い仕上がりになっていた。やけに色が黒っぽく、食感もどこかゴムのように奇妙だ。しかし、柊也は全く気にする様子もなく、次から次へと箸を進め、あっという間にその牛肉の炒め物を平らげてしまった。それを見た詩織は途端に大きな達成感に包まれ、ついに自分の『唯一の弱点』を克服したと確信した。「これからは、もっとたくさん私が料理を作ってあげるわ」「ああ、お願いするよ」柊也は目元に優しい笑みを浮かべて頷いた。その後、詩織が食器を下げにキッチンへ入ると、ミキもすかさず後を追ってきた。「彼があんたの作ったあの料理を顔色一つ変えずに完食した心意気に免じて、二人の交際、この私が許可する!」「……それって、私の料理がそこまでひどくなかったって証拠じゃない?」詩織は負けじと反論した。しかし、ミキは鼻で笑った。「あのねえ、あんたがドッグフードをお皿に盛って『私が作ったの』って出しても、あの人は絶対に『美味しい』って言って食べるわよ。賭けてもいいわ」「……」「あんたの手料理を食べてる時の彼の顔、見てなかったの? まるで最高のご褒美でももらってるみたいな幸せそうな顔してたわよ」江崎家の実家において、当然ながら柊也が詩織と二人きりでイチャイチャできる隙などあるはずがない。食後、詩織とミキがキッチンで片付けをしている間、柊也はリビングで初恵と向かい合い、行儀よく姿勢を正して座っていた。カイがまたしても初恵の腕から抜け出し、トコトコと歩いてきて柊也の膝の上に丸
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