Todos los capítulos de 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した: Capítulo 161 - Capítulo 170

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第161話

詩織の目に、そこに表示された価格が飛び込んでくる。2億円——本当によく出すわ……けれど、詩織はそれを羨ましいとも、不公平だとも思わなかった。むしろ、自分で買った車に乗る方が、ずっと心が落ち着く。たとえ、この車の値段が向こうの十分の一にも満たなくても。詩織が車種を決めると、京介はまず試乗してみることを勧めた。乗り心地を確かめて、納得してから決めるべきだと。言われた通り、詩織は試乗車で店の周りを一周してみる。ハンドリングも良く、乗り心地も申し分ない。すっかり気に入った詩織は、店に戻って契約を済ませることに決めた。店の入り口まで戻ってくると、そこには志帆と美穂の姿があった。どうやら誰かを待っているらしい。詩織は試乗車を駐車場に停め、営業担当と共に店内へ向かった。そこで、志帆と美穂も詩織の存在に気づく。美穂と話していた志帆は、詩織を見るなり、すっと表情を曇らせた。しかしすぐに視線を外し、何事もなかったかのように美穂との会話に戻る。「大丈夫よ、ちょっと擦っただけだって。ひどい傷じゃないから、そんなに思いつめないで」今朝、美穂が運転中に、誤ってバンパーを擦ってしまったのだ。彼女は真っ青になって、すぐに車をこのディーラーに持ち込んだという。連絡を受けた志帆も、様子を見に来たというわけだ。幸い傷は浅く、志帆もほっと胸をなでおろした。そして、ショックを受けている美穂を慰めることも忘れない。「もう、心臓が止まるかと思ったわ!だってこれ、柊也さんがお姉ちゃんに贈った愛の証じゃない。もし私のせいで何かあったら、どうしようかと……!」「大丈夫よ。柊也くんは、こんなことくらいで怒ったりしないわ」ほどなくして、柊也も姿を現した。「お義兄さん、早ーい!よっぽどお姉ちゃんのことが心配だったのね!」美穂がからかうように言う。志帆は笑顔で柊也を出迎えた。「大したことじゃないのに……わざわざ来なくてもよかったのよ。美穂が勝手に連絡しちゃって」そして、気遣わしげに続ける。「お仕事、邪魔じゃなかった?」いつものように、物分りのいい女を完璧に演じている。「君に関することなら、些細なことなんてないさ」柊也はこともなげに言った。「ちょっと、二人とも!いちゃつくなら場所を考えてよねっ、私だっているんだから!」目
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第162話

確かに、今の彼の資産は柊也ほどではないかもしれない。けれど、決して低いわけではないはずだ。それなのに、たったこれしきの車。もしこれが本当に彼からの贈り物なのだとしたら、それはつまり、彼が詩織を大して重要に思っていないという証拠だ。そうだ、きっと自分の考えすぎだったのだ。志帆はすっと視線を外し、安堵の笑みを静かに浮かべた。京介が詩織と店を出る際、柊也と志帆の姿を見かけた。京介は彼らに軽く挨拶を交わす。詩織は二人を素通りするように、まっすぐ前だけを見て歩いた。一瞬たりとも足を止めることなく、直接店を後にする。その時、柊也が志帆を慰める声が聞こえた。「ほんの小さな擦り傷だ。直せばほとんど分からないくらいになる。美穂さんにも、気にするなと伝えておけ」まるで、詩織の存在など初めからなかったかのように。「だから言ったじゃない、大したことないって。わざわざ来なくてもよかったのに」志帆の声は、安堵に満ちている。「君のことだからな」柊也は、ただそれだけを口にした。二人の睦まじい様子を見て、京介の口元にもごく微かな笑みが浮かぶ。彼は柊也たちに別れを告げると、足早に詩織の後を追い、共にディーラーを後にした。二日後、詩織は時間通りにディーラーへ車を受け取りに来た。今回は静かなものだ。会いたくない人に出くわすこともなかった。詩織は新車を運転し、そのままオフィスへ向かった。会社の駐車場では、密が待っていた。彼女は詩織が車から降りるのも待たずに、何かをそっと手渡してくる。「これ……」詩織はそれを受け取り、一瞬、息をのんだ。仏田山のお守りだった。しかも、かつて自分が柊也のために求めたものと、全く同じ。ただ、こちらはまだ真新しく、ひのきの香りがする。「詩織さん、ご納車おめでとうございます!この辺りでは、新しい車にはお祝いを渡すのが慣わしなんです。これ、交通安全のお守り。詩織さんが、いつも無事でいられますようにって」「ありがとう」詩織はその贈り物が、心から嬉しかった。とても心のこもった贈り物だ。このお守りを手に入れるのは、とても大変なのだ。九十九段の石段を、一段一段祈りを込めながら登りきらなければならない。この子は一体、いつの間に……「でも、どうしてここに? 今日は週末じゃなかった?」詩織は、お
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第163話

柊也の、もうひとりの幼馴染。もちろん、譲がこれまで詩織に好意的な態度を見せたことなど一度もなかった。とはいえ、宇田川太一のように所かまわず狂犬のように噛みついてくるタイプではない。譲のほうは、もっと陰湿で、言葉に棘があるタイプだ。今だってそうだ。彼はなにも口にしない。けれど、その嘲るような笑みが、彼の胸の内を物語っていた。また柊也に付きまとって、懲りない女だ。きっと、心の中でそう笑っているに違いない。以前の詩織なら、見て見ぬふりをするどころか、必死に彼らの輪に入り込もうとして、自分から話しかけに行っただろう。けれど、七年間努力しても、彼らの世界に受け入れられることはなかった。かつては自分の努力が足りないせいだと思っていた。でも、今はわかる。彼らが初めから、自分を仲間として受け入れるつもりなどなく、ずっと爪弾きにしていたのだと。住む世界が違うのなら、無理に溶け込もうとする必要なんてないのだ。詩織はすっと視線を外し、挨拶も会釈もせず、彼の存在そのものをないものとして扱った。そのあからさまな無視は、譲を少なからず驚かせたらしい。だが彼はすぐに鼻でふっと笑うと、躊躇なく詩織の向かいのソファに腰を下ろした。「耳が早いじゃないか。柊也がここに来るって嗅ぎつけて、追いかけてきたのか」柊也がここに来るなど、詩織は初耳だった。けれど、譲の決めつけるような物言いが、無性に癪に障る。だから詩織は、静かに言い返した。「ずいぶんと想像力がたくましいのね。その才能、他で活かしたらどうかしら」譲は一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。彼の知る江崎詩織は、穏やかで、物分かりが良くて、感情を表に出さない、実に扱いやすい女だったはずだ。以前、仲間内でどれだけ揶揄われようと、彼女は決して怒らず、顔を赤らめることさえなかった。次に会う時も、いつも通りにこやかに挨拶してくる、そんな女。それが、こんなにも鋭く切り返してくるなんて。完全に不意を突かれた。だが譲も、すぐに口の端を吊り上げて応戦する。「俺が想像?昔のお前がそうだっただろうが。柊也に自分を糊付けでもしたいみたいにベッタリで、今更しらばっくれるなよ」「昔のことを思い出させてくれて、ありがとう」詩織は、なおも凪いだ表情を崩さない。「誰だって、若い頃はろくでもな
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第164話

詩織が玄関先で待つこと五分ほどで、海雲を乗せた車が到着した。彼女は自ら駆け寄り、後部座席から降り立つ海雲の腕を支える。「ずいぶん待たせたかな」と気遣う海雲に、詩織は慌てて「いいえ、滅相もございません」と深く頭を下げた。その言葉とは裏腹に、彼女が早くから到着していたことを見抜いたのだろう。海雲は、その姿勢に満足げに頷く。「時間観念がしっかりしているのは良いことだ。事を成す者は、時間を最も貴重な資源と見なし、すべての務めを滞りなく采配せねばならん」海雲が語る言葉を、詩織は一つも聞き漏らすまいと、真摯に耳を傾けた。二人が個室へたどり着くと、室内の人々はすでに全員席に着いて待っていた。海雲が入室するや、その場にいた全員がすっくと立ち上がり、恭しく彼を迎える。ある者は「会長」と呼び、またある者は「兄貴」と声をかける。その呼び方は違えど、眼差しに宿る敬意は一様だった。ここへ来る前に、今日の会食に集うのが錚々たる大物ばかりだと、詩織は重々覚悟していた。だが、実際にその顔ぶれを目の当たりにすると、それはまた別次元の話だった。この中の誰か一人を名指ししただけで、江ノ本市の財界が震撼するほどの人物ばかりが、ずらりと並んでいる。詩織にも見知った顔が幾人かいた。テレビの経済ニュースでしか見たことのない顔ぶれもいる。そして、その誰もが、海雲に対して深甚な敬意を払っていた。その時になって、詩織は海雲のもう一つの顔を思い出す。――江ノ本商工連合会、会長。それは、江ノ本市を拠点とする企業家たちが任意で結成した、非営利の連合団体。江ノ本に根差す企業の発展を支援し、牽引し、そして結束させることを目的としている。その会員は製造、金融、貿易、医療、教育、不動産から、IT、インターネットといった新興産業まで、あらゆる分野を網羅していた。強固な人脈を築き、経済交流と協力を促進するための、巨大な組織。江ノ本市における最高峰のビジネスリソースが、そこに集約されているのだ。その総帥たる海雲は、ここ数年、必要不可欠な会合以外、自ら音頭を取って宴席を設けることは滅多になかった。実質、半ば隠居状態だったはずだ。その彼が、今回ばかりは異例の呼びかけを行い、連合会の主要メンバーが残らず顔を揃えている。誰もが固唾を飲んで待っ
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第165話

「ええ、おっしゃる通りです。AIが果たせる役割は、それだけではありません。自動車業界全体のイノベーションを後押しし、新機能の開発とアップデートを加速させ、産業構造そのものを引き上げる力を持っています」「わしらみたいな年寄りには、ちんぷんかんぷんだが……いや、しかし面白い!あいつがここ二、三年、ずっと研究してたのは、まさしくこれだ!わかった、息子を呼ぶ!あいつに直接、君と話をさせる!」春臣は興奮冷めやらぬ様子で、その場でスマートフォンを取り出し、息子に電話をかけ始めた。その姿に、詩織は思わず眉根を寄せた。坂崎社長の息子……その言葉で、ようやく思い至る。まさか。脳裏に、つい一時間ほど前に交わした、あの不愉快なやりとりがよみがえる。けれど、これは仕事だ。私情を持ち込むつもりはないし、彼もそうであってほしいと願う。坂崎譲は、宇田川太一とは違う。彼には確かな能力があるはずだ。二年前の留学から戻るとすぐにサカザキ・モータースに入社し、ずっと自動車産業の改革を推し進めてきたと聞く。新エネルギー開発と、自動運転技術の導入を。その頃、譲は同じ東方庭園の敷地内にあるゴルフコースで、志帆と太一に付き合っていた。まだ柊也は到着しておらず、彼ら二人はまるで忠実な騎士のように、甲斐甲斐しく志帆をもてなしている。そこへ、父からの電話が入った。事情を飲み込んだ譲は、二人に軽く声をかける。「親父に呼ばれた。ちょっと業界の重鎮方に挨拶してくる。すぐ戻るよ」「おう、さっさと戻ってこいよな。あとで柊也たちが来たら、勝負すんだからよ!」太一の威勢のいい声を背に、譲は父に指示された個室へと向かう。ドアの前に立つと、一度息をつき、スーツの襟元や髪の乱れを念入りに直した。中にいる大物たちに、少しでも良い印象を与えたい。準備を万端に整え、満面のビジネススマイルをたたえて、彼はドアをノックし中へと入った。そして、にこやかに挨拶の言葉を口にしかけて――その笑顔は、室内にいる詩織の姿を認めた瞬間、ぴたりと凍りついた。詩織は、彼には目もくれず、ただ静かにお茶を口に運んでいる。その表情からは何も読みとれない。父である春臣が、呆然と立ち尽くす息子の腕をぐいと引いた。――江崎社長?譲の頭の中に、疑問符が浮かぶ。春臣は、そんな息子の耳元で畳みかける
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第166話

詩織は、流れるように淀みなく、問いに答えていく。それどころか、一つの問いから派生させて、逆に譲へと質問を投げ返す余裕さえ見せた。今度は、譲の方が言葉に詰まる番だった。軽蔑のこもった詩織の視線が、一瞬だけ彼を射抜く。その時、彼は初めて、自分が自ら墓穴を掘っていたことに気づいた。「江崎社長には、お見苦しいところをお見せしてしまいましたね。もしよろしければ、連絡先を交換させていただけませんか?改めて、ゆっくりと協力体制についてお話ししたいのですが」そう言って、譲は自らスマートフォンを取り出し、詩織に連絡先を尋ねた。この光景は、詩織にとってどこか既視感を伴うものだった。かつて自分も、こんなふうに誠実に彼の連絡先を尋ねたことがあった。あの時、彼は何と言ったのだったか。「すみません、僕はLINEは使ってないんですよ」そう答えておきながら、あっという間に新しく口説いた女にLINEでビデオ通話をかけ、しかも詩織の目の前で、隠すそぶりも見せなかった。あからさまに見せつけるかのように。あの頃の詩織は、柊也との関係に囚われていたため、何も言えず、反論一つしなかった。しかし――今は違う。詩織は静かに茶器を持ち上げ、一口、ゆっくりとお茶を啜る。その間も譲は、スマホを手に持ち続けたまま、詩織からの返事を辛抱強く待っていた。その態度には、確かに誠実さがあった。だが、詩織は。「申し訳ありません、私、LINEは使っていませんので」譲は、言葉を失った。春臣が何か口を挟もうとしたが、海雲が絶妙なタイミングで話をそらした。人工知能がグローバルビジネスに与える影響や、それによって変貌するビジネスモデルの現状、そして対応戦略といった、まったく別の話題を切り出したのだ。これ以後、譲は二度と会話に割り込む機会を見つけられなかった。一方、春臣は気が気ではない。痺れを切らしたのか、彼は思い切って、無理やり話題を大きく転換させた。「ところで江崎社長、お歳は、うちの息子とさほど変わらないように見受けられますが……その、お相手はいらっしゃいますかな?」隣で黙々と何杯もお茶を飲み続けていた譲は、その言葉に派手にむせ込んだ。しかし、詩織は何事もなかったかのように落ち着いていた。「今のところ、独身です」春臣の目に、かすかな希望
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第167話

むしろ、その名に反応したのは、傍らでずっと静かにスマートフォンをいじっていた京介だった。彼はすっと顔を上げ、短く問いかける。「どういうことだ?」一同の視線が集中するが、当の本人である譲でさえ、まだ状況をうまく飲み込めていない。何から説明すればいいのか、と途方に暮れた顔だ。「賀来のおじさんが主催した会合でな。江ノ本商工連合会の理事たちが、全員来てた。……もちろん、お前の親父さんもな」譲は、最後に太一に付け加えるのを忘れなかった。「はあ!?なんでそこに江崎がいるんだよ!」太一は、心底理解できないと叫ぶ。あんな会合、自分など足元にも及ばない。自分の父親ですら、旧家の威光を笠に着て、ようやく末席に座ることを許されるような場所なのだ。そこに、あの江崎詩織が。太一にとって、それはまさに青天の霹靂だった。「賀来のおじさんが、彼女を連れてきたんだ」譲の言葉に、その場にいた誰もが息をのんだ。重い沈黙が落ちる。だが、京介が気にかけていたのは、そこではなかった。「なぜ、お前が詩織と見合いをすることになる?」「親父が勝手に盛り上がっただけだ。くだらない」吐き捨てるような譲の答えに、京介の全身からふっと力が抜けた。彼は、面白そうに口の端を釣り上げる。「断られたんだろ?」「……聞くなよ」まるで「当たり前だろう」と言いたげな譲の表情を見て、京介は小さく笑った。それ以上、彼らの会話に関心を示すことなく、再び手元のスマートフォンの画面に視線を落とした。志帆が受けた衝撃は、隣で目を丸くしている太一に勝るとも劣らないものだった。たしかに今、柊也との関係は順調そのものだ。けれど、彼の父である海雲には、まだ一度も会ったことがない。母の佳乃からは何度となく「先方のご両親にご挨拶して、はやく婚約を済ませたらどうか」と急かされている。はやく正式な婚約者になりたい。その気持ちは、志帆自身がいちばん強く望んでいることだった。けれど、女である自分から、それを切り出すわけにはいかない。だから彼女は、柊也が口火を切ってくれるのを、ただ辛抱強く待ち続けていた。今この瞬間まで、ずっと。考えを巡らせた志帆は、意を決して、隣にいる恋人を見上げた。「ねえ、柊也くん。私、おじさまにご挨拶に伺ったほうがいいかしら……この前の入院の時も、お見舞
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第168話

深く被ったベースボールキャップが、彼の顔の半分を覆い隠している。それでも、詩織にはすぐにわかった。柊也もまた、足を止めていた。数歩分の距離を隔てて、じっと彼女を見つめている。磨かれた窓から差し込む陽光が、ゆらゆらと頼りない光の粒子を廊下に踊らせていた。焦げたような黄色い光と影の中で、柊也の胸が、呼吸に合わせて静かに上下するのが見えた。彼の唇が、なにかを紡ごうと、わずかに動く。だが詩織は、彼にその機会を与えなかった。一瞥もくれることなく、その横を通り過ぎる。あまりにも素っ気なく、あまりにも他人行儀に。まるで、一度も知り合ったことなどなかったかのように。それでいい、と詩織は思った。彼は利害を天秤にかけ、私は損切りをした。これでもう、道が交わることは二度とない。柊也は、彼女が去った後も、しばらくその場に立ち尽くしていた。コースでは、京介に連敗を喫した太一が、すっかりやる気をなくして喚いている。「柊也、おっせえなあ!これ以上やったら、俺のパンツまで剥ぎ取られちまうぞ!」「私、見てくるわ」そう言って立ち上がる志帆の後ろ姿を、太一が羨ましそうに見送った。「ラブラブだなあ、ほんと」言うなり、彼は汗を拭う京介の横顔を、探るように覗き込んだ。「で、京介兄貴はどうなんすか?さっきの話」「別に」「またまたあ、しらばっくれちゃって!」京介はそれ以上取り合わず、ポケットからスマートフォンを取り出すと、メッセージアプリを開いた。宛先は詩織。【新しい車、どうだ?】と短い文を打ち込む。彼女が今、会食の席にいることはわかっていた。返信があるとは限らない。それでも、彼は送信ボタンを押した。そして、暗くなった画面を、しばらくぼんやりと見つめていた。ちょうどその時、詩織は会合の合間に、そのメッセージに気づいた。彼女は簡潔に一言だけを返す。【悪くない】長い間、ただスマートフォンの通知を待っていた京介の唇が、その短い返信を目にした途端、知らず知らずのうちに弧を描いた。その瞬間を、太一は見逃さなかった。好奇心に駆られて、身を乗り出し、彼の画面を覗き込もうとする。「誰だよ、そんなにやけた顔しちゃって!」その気配を察した京介が、すっと画面を伏せた。面白いものを見損ねた太一が、不満げに口を尖らせる。「…
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第169話

二人がゴルフコースへ戻ってきた時、その親密な様子は、誰の目にも甘やかな恋人同士にしか見えなかった。太一が待ちかねたように、二人へと駆け寄ってくる。「おっせーぞ、二人とも!やっと戻ってきたか!俺、こっちですっげえもん発見しちまった!」「なにかしら、そんなに興奮して」志帆が微笑みながら尋ねると、太一はここぞとばかりに胸を張った。「京介兄貴っすよ!あの兄貴に、女がいたんす!」その言葉に、志帆は意味ありげな視線を、静かに座る京介へと送った。好奇心を刺激されたのは、譲の方だった。彼はすかさず京介に問いかける。「誰なんだ?きれいな人か?いつ紹介してくれるんだよ」京介はラウンジチェアの背もたれに深く体を預け、気だるげな声で応じた。「すごくきれいな人だ」「ほら見ろ!言った通りだろ!」太一が、まるで自分の手柄のように大声をあげる。譲は、さらに食いついた。「すごくって、どれくらいだよ?志帆さんより、きれいなのか?」その無遠慮な問いに、京介は間を置かずに、はっきりと答えた。「ああ」一瞬にして、志帆の顔から、すっと笑みが消えた。譲は目を丸くして、感心したように言う。「へえ。そりゃあ、ぜひ一度お目にかかりたいもんだな」「まだ、その時じゃない」それきり、京介は口を閉ざしてしまった。あとでどれだけ太一と譲が囃し立てようとも、彼は二度とその話題に触れようとはしなかった。「なあ、柊也。気になんねえの?」この話にまったく食いついてこない柊也に、太一がしびれを切らしたように尋ねる。柊也の声は、ひどく冷たかった。「別に。……連れてきたら、その時の話だ」そんな彼らを面白がるように、京介がふっと軽く哂う。「ああ。連れてくるさ」……週明けの月曜、朝一番で。詩織は智也を伴い、坂崎春臣のもとを訪れた。春臣は、息子の譲を同席させていた。父親である春臣がそばにいるせいか、譲の詩織に対する態度は、以前のような傲慢さが嘘のように消え、むしろ丁寧ですらあった。けれど、詩織の彼への態度は変わらない。塩対応、というか、何の感情も動かされない、という方が正しい。譲は内心、自分で自分の首を絞めたような気分だった。こんなことになるなら、最初からあんな意地の悪い態度をとるんじゃなかった、と。この気まずい空気には、人付き合いに疎い智也でさえ気づ
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第170話

譲は慌てて志帆に向き直った。「悪い、また今度にしてくれ。江崎さんとは仕事の話があるから、ちょっと都合が悪いんだ」その返事は、明らかに志帆の予想外だったのだろう。彼女は一瞬きょとんとした後、ようやく無理に笑みを作って見せた。「そう、わかったわ。じゃあ、私たちはお先に」そう言うと、志帆は柊也に向かって付け加えた。「行きましょう、柊也くん。須藤社長をあまりお待たせするわけにはいかないわ」その一言は、言わなくてもいいことだった。あえて口にしたのは、何かを意図的に知らせようとしているのが見え見えだ。須藤社長……?詩織の眉がぴくりと動く。まさか、リードテックの須藤宏明?レストランに入る直前、志帆はこちらを一瞥した。その瞳には、侮蔑と得意げな光が浮かんでいる。その視線が、詩織の胸に生まれた疑念を確信へと変えた。やはり、柊也が動いたのだ。柏木志帆のためなら、彼は本当に何でもする。譲が空気を読んだおかげで、詩織の彼に対する態度は少しだけ和らいだ。その小さな変化に、ずっと緊張していた譲は、胸の内でそっと安堵のため息をついた。食事の間、彼らはひたすら提携に関する具体的な話に没頭した。その中で譲は、詩織のビジネス手腕がいかに卓越しているかを目の当たりにすることになる。ふと気づかされる。自分は今まで、色眼鏡で彼女を見ていたのだと。柊也のそばに長年いられたのは、その類まれな美貌と手練手管のおかげに過ぎないのだと、そう思い込んでいた。だから、柊也が彼女を捨てて志帆を選んだと聞いたときも、特に驚きはしなかった。しょせん美しさだけで男に仕えるのは、長続きしない。本物の実力がなければ、意味がないのだと。だが今、その認識は完全に覆された。譲が詩織に向ける眼差しには、いつしか純粋な賞賛の色が混じっていた。途中、詩織は少しだけ席を外した。化粧室へ行くふりをして、レストランのスタッフにこっそり探りを入れたのだ。案の定、柊也たちが個室で待たせていたのは、リードテックの須藤宏明だった。詩織が何食わぬ顔でテーブルへ戻ろうとした、その時。思いがけず、志帆が「引き抜き」をしている現場に遭遇した。今回のターゲットは、智也だ。智也は詩織を探しに席を立ったところで、志帆に捕まったらしかった。「久坂さん。実を
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