Todos los capítulos de 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した: Capítulo 171 - Capítulo 180

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第171話

「今も、そしてこれからも、考えるつもりはありません。柏木さん、もう僕に干渉しないでいただけますか」志帆はすっと目を細めた。まさか智也が、ここまで物分かりの悪い男だとは思わなかった。少しでも頭が回る人間なら、どちらを選ぶべきか分かるはずなのに。智也は、これで三度も彼女を拒絶した。まったく理解できない。志帆は眉をひそめて数秒考え、そして、はっとしたように言った。「あなた、江崎さんのことが好きなのね?」そうでなければ、あそこまで彼女に心酔する理由が説明できない。「だとしたら、何か?」智也はあっさりと認めた。本人に告げる勇気はない。この危うい均衡を、ただ慎重に保っているだけだ。だが、他人の前でこの気持ちを隠す必要はなかった。その答えに、志帆は逆にほっと息をついた。「ううん、別に」智也を引き抜けなかったのは残念だ。でも、もしこの二人が結ばれるなら、それはそれで彼女にとって都合がいい。むしろ、そうなってほしいとさえ思う。それに、プロジェクトは……久坂智也本人を引き抜けなくても、彼のスタジオの人間を懐柔すればいい。スタッフ全員が、智也のように詩織に心酔しているわけではないだろう。江崎詩織には、久坂智也とその技術がある。けれど、私には柊也くんの支持がある。それに、人の気持ちなんていつだって移ろうものだ。江崎詩織が、いつまでも得意げでいられるわけがない。二人がようやく別れるのを見届けてから、詩織は静かに身じろぎした。すぐにその場を離れず、通路の反対側で壁に寄りかかっている人影を、詩織は瞬きもせずに見つめていた。賀来柊也。彼がそこに現れたのは、詩織が聞き耳を立て始めてすぐのことだった。まるで示し合わせたかのように、どちらも口を開くことなく、密かに壁の向こうの会話に耳を澄ませていたのだ。一部始終を。その間ずっと、二人は暗がりの中で無言のまま視線を交わしていた。柊也はゆっくりと壁に背を預け、その顔は深い影の中に沈んでいき、次第に輪郭が曖昧になっていく。詩織は彼の心中を探る余裕もなく、ただその場を去る前に、忠告だけを残した。「賀来社長。ご自分のパートナーは、しっかり見ておかれた方がよろしいのではなくて?人のものを欲しがってばかりいると、そのうち自分の足元を掬われますわよ。割に合わな
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第172話

「私が望めば、彼だって全力でサポートしてくれる」彼女が望む限り、賀来柊也は彼女の「資本」なのだ。そして彼女には、それを誇示するだけの価値が自分にあると信じている。だからこそ、あれほど自信満々に智也を引き抜こうとしたのだ。頭で理解していることと、現実として目の当たりにすることとでは、意味がまったく違う。詩織の胸の内に、名状しがたい感情が渦巻いた。ちくりと刺すような痛みはない。ただ、ひたすらに不快だった。結局、詩織は提携に同意した。柊也が提示した条件が、あまりにも「多すぎた」からだ。向こうから差し出された儲け話を、断る理由などどこにもない。賀来柊也は、柏木志帆の後ろ盾となるためなら、本当に惜しまないらしい。エイジア・キャピタルの根幹をなすコア技術でさえ、こうしてあっさりと他社に共有してしまうのだから。提携話がまとまり、須藤は上機嫌でしきりに二人に酒を注いだ。詩織がグラスを手に取った、その時。「彼女は酒に弱いんで、私が代わりに飲みます」柊也が会話に割り込んだ。「おや、お二人はお知り合いで?」須藤は意外そうな顔をする。でなければ、相手が酒に強いか弱いかなんて分かるはずがない。「ええ」「いいえ」ほとんど同時に発せられた答えは、まったく正反対だった。須藤は完全に混乱している。「はて、いったいどちらなんですかな?」「彼女が知らないと言うのなら、そういうことなんでしょう」柊也の口調には、どこか諦めたような響きがあった。いったい彼が何を諦めているというのか、詩織にはさっぱり分からない。結局、詩織は一滴もアルコールを口にしなかった。代わりに柊也が、須藤に付き合ってかなりの量を飲んでいる。詩織は、その様子を密かに観察していた。このところ、彼の脱感作療法はかなりうまくいっているらしい。あれだけ飲んでも、アレルギーの兆候は微塵も見られない。きっとこの間、志帆のために酒を断り続け、少しずつ体を慣らしていったのだろう。詩織は茶を啜った。ひどく渋い味がする。ティーポット一杯で数十万円もする茶葉だ、と給仕は言っていたのに。会食が終わり外へ出ると、ぱらぱらと小雨が降っていた。詩織はアシスタントの小林密に、もう終わったから車で迎えに来てほしい、とメッセージを送る。接待の席ではどうし
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第173話

詩織は名刺を差し出す。「賀来社長とアポイントを取ってあります」「あ、はい!承っております!社長から伺っておりますので!江崎社長、こちらへどうぞ!」受付の女性が自ら案内しようとする。「一人で大丈夫よ。あなたは仕事に戻って」この時間帯がフロントにとって一番忙しいことを、詩織は知っていた。受付の女性も、詩織がこのビルに詳しいことを知っているので、安心して彼女を一人で行かせた。エレベーターが十階に停まり、ドアが開くと、人が乗り込んできた。投資第二部の赤城沙耶だ。彼女は詩織の顔を見ると一瞬固まり、それから侮蔑するように鼻で笑った。沙耶と一緒に乗り込んできた同僚らしき女性は、詩織に向かって小さく会釈をして挨拶代わりとする。ドアが閉まった途端、沙耶が冷たく言い放った。「ここのセキュリティ、もっと強化した方がいいんじゃない?どうして誰でも入れるのかしら」同僚は何も答えられずにいる。エレベーターが十二階に着くと、今度は秘書部の社員が乗り込んできた。詩織の顔を見るなり、彼はすぐに恭しい態度になる。「江崎社長! 受付からいらっしゃったと聞いて、ちょうどお迎えに上がろうとしていたところでした。まさかご自身で上がってこられるとは」「そんなに気を遣わなくていいわ。勝手知ったる場所だから、一人で上がってきたの」詩織は少し間を置いてから、ちらりと沙耶に視線を向けた。「でも、次からは下で待っていた方がよさそうね。誰かさんに、不審者と間違えられそうだから」その言葉に、秘書部の男性は慌てて言った。「江崎社長は我々エイジアの大切なパートナーです!不審者などと、とんでもない!もしかして、誰かが何か失礼なことを? 教えていただければ、私が賀来社長にありのままご報告いたします!」その手の社内規律に関して、柊也は極めて厳格だ。社員が根も葉もない噂話をすることを、彼は決して許さない。発覚すれば即刻解雇、再雇用の道は永遠に閉ざされる。沙耶の背筋を、冷たい汗が伝った。彼女は明らかに助けを求めるように詩織に視線を送る。どうか慈悲深い心で、何も言わないでほしい、と。しかし、詩織は聖人君子ではない。ばらまくほどの善意など持ち合わせていなかった。「それは、そちらの赤城さんに直接お聞きになれば?彼女がどう説明するか、見てみたいものですわ」
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第174話

須藤もそれに乗じて、「そうですよ、江崎社長もぜひ」と誘った。詩織は丁重に断る。「いえ、私はこの後約束がありますので」「おお、そうですか。では、私がお二人の邪魔をするのも野暮ですな。このお食事は、また次の機会にでも」須藤は気を利かせてそう言った。柊也も志帆も、特に彼を引き留めようとはしない。本当にこれからデートの約束があるのだろう。詩織のように、ただの口実というわけではなさそうだ。あの二人と食事など、考えただけで食欲が失せる。詩織がエイジア・キャピタルのビルを出るとすぐ、譲から電話がかかってきた。着信画面を見たが、出なかった。ただ、出たくなかったのだ。ここ数日、譲はほとんど毎日電話をかけてくる。詩織は一度も出ていない。だが、父親である春臣からの電話には、必ず出るようにしていた。そのことが、譲をひどく悩ませていた。彼は心から詩織と提携したいと思っているのに、当の本人からは一向にチャンスを与えられない。その上、父親からの催促は日に日に厳しくなるばかりだ。このチャンスを、他の自動車メーカーに横取りされてしまうのではないかと、春臣は焦っている。スマートカー市場の進化は日進月歩だ。参入が一日遅れれば、それだけで先行者利益を失いかねない。だから譲は、かなり追い詰められていた。電話がまた自動で切れた後、譲は悩んだ末に、仲間内のグループチャットにメッセージを打ち込んだ。譲:【なあ、みんな。女を本気で怒らせちまったんだが、どうやったら機嫌を直してもらえる?】太一が即座に反応した。【‘お前からそんな質問が出るとはな!このグループきってのプレイボーイ様が、女一人どうにもできないのかよ?】譲:【今回は事情が違うんだ。普通の女じゃない。そこらの手管は通用しねえだろ】太一:【お、お前もなんかあんのか?】太一:【なんでどいつもこいつも色気づいてんだよ。京介兄貴もそうだし、お前もかよ。俺だけ仲間外れか?そろそろ本気で縁結びの神社にでも行くべきか? 腐れ縁でもいいからなんかくれよ!】ギャーギャーと騒ぐ太一を、グループの誰も相手にしない。譲は柊也をメンションして尋ねた。【なあ柊也さん、なんかアドバイスくれよ】その時、柊也は志帆と食事の最中だった。メッセージに気づき、一言だけ返す。【金が好きな女には
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第175話

だが今は……譲は、過去の自分の偏見を後悔し始めていた。運命の風向きとは、本当に変わるものだ。花は捨てられ、電話は無視される。となれば、もう直接会いに行くしかない。譲が『華栄』のビルの前に着いたちょうどその時、グループチャットに太一から全員宛のメンションが飛んできた。【なあ、お前ら今夜の予定は?】大晦日だ。特別な夜には違いない。太一はすぐに柊也と志帆を候補から外す。【あ、柊也と志帆ちゃんは答えなくていいぜ!こんな大事な日に、二人が一緒に過ごすのは分かってるからな!】志帆が口元を隠して笑うスタンプを送り、それを肯定した。柊也からの返信はない。京介が答える。【用事がある。お前は一人で遊んでろ】太一が「何の用事だよ」と食い下がるが、京介はもう返事をしなかった。それから二分も経たないうちに、譲も返信する。【用事だ。一人で遊べ】太一:【???】なんだよ、結局俺だけがぼっちってことか!【お前ら、もしかして全員なんかあんのかよ!?】太一はたまらずそう尋ねた。だが、その問いに答える者は誰もいない。彼だけが、もどかしい気持ちで取り残されていた。グループチャットで太一に返信し終えた、ちょうどその時。譲は、前方に立つ京介の姿に気づいた。少し考えた末、譲は彼に声をかける。「あんたも江崎さんに用か」「ああ」京介は譲に視線を向けた。「君は?」「奇遇だな。俺も彼女に会いに来た」譲は一瞬の間を置いて、説明するように言った。「俺は、提携の件で来てる」「俺も『ココロ』に出資してるからな。仕事の話で来ただけだ」 京介もまた、静かにそう応じた。「……なら、一緒に行くか」そうして、二人は連れ立って詩織のオフィスへと向かった。詩織は会議中だったため、アシスタントの密が二人を出迎えた。譲は、彼女の顔を見て尋ねる。「あんた、エイジアにいなかったか?なんでこんな所にいるんだ?」「やってられなくて、辞めました」譲には理解できなかった。大手を辞めて、わざわざこんな零細企業に移る人間がいるなんて。詩織の会議がまだ終わらないうちに、今度は紬がやってきた。年末年始の休みを利用して、詩織と遊ぶために顔を出したのだ。ところが、オフィスに入った途端、彼女は二人の男がいるのに気づく。どちらも詩織を訪ねてきたと言うでは
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第176話

「いいえ、別に」と、詩織はきっぱりと否定した。デート?いったい誰と?よっぽど暇な人間だけが、そんなことにうつつを抜かすのだ。その答えを聞いた京介の口元が、誰にも気づかれないほど微かに綻んだ。だが、そのほんのわずかな表情の変化を、真向かいに座っていた譲は見逃さなかった。まるで地球を揺るがすほどの秘密を暴いてしまったかのように、彼の心臓がどきりと跳ねる。けれど、今は好奇心を追求している場合じゃない。譲は逸る気持ちをぐっとこらえた。「じゃあ江崎社長、もし他に用事がないなら、善は急げって言うし、今日このまま話を進めないか」「かまいませんよ」詩織に異論はない。彼女は仕事となれば時間を問わない人間だ。エイジア時代には「残業の鬼」として有名だったくらいだ。とはいえ、京介がいる手前、詩織は彼の意向も確認する。「俺はプロジェクトの視察に来ただけだから。君たちが気にしないなら、同席させてもらうよ」京介が淡々と言う。もともと衆和銀行は出資者の一社なのだから、話を聞く権利は当然ある。こうして、京介もその場に残ることになった。……間違いない。譲は自分の推測に、ますます確信を深めていた。十億円の投資など、衆和銀行にとっては小さな案件のはずだ。それなのに、執行役員である京介本人が、わざわざ視察に訪れるだろうか。ありえない。彼の本当の目的は、仕事とは別のところにあるに違いない。だが、譲はあえてそれを指摘せず、詩織との提携話に意識を集中させた。そこに、『ココロ』の技術責任者である智也も加わる。オフィスの外では、紬が一人でやきもきしていた。本当は、兄に代わって詩織を花火大会に誘うつもりだったのだ。詩織さんさえOKしてくれれば、あとは適当な理由をつけて自分だけ姿を消し、兄にチャンスを譲る……完璧な計画だったのに。まさか、初手からつまずくなんて。詩織も兄も、揃いも揃って仕事の虫だということを、すっかり忘れていた。でも、大丈夫。まだ次の手がある。議論が白熱してきた頃、紬はそっとドアをノックして部屋に入った。「詩織さん、よかったらどうぞ。喉、少し痛めてるってお兄ちゃんから聞いたから、はちみつ生姜湯、作ってみたの」たしかにここ数日、喉の調子が少し悪かった。自分自身では気にも留めていなかったのに、智
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第177話

「お前こそ、そうなんじゃないのか。なんで行かない」「人混みは好きじゃない」「奇遇だな、俺もだ」まるで禅問答のようなやりとりが続く。「……じゃあ、どこか座れる場所を探しませんか」見かねた詩織がそう提案すると、満場一致で可決された。どうしても花火が見たいという紬一人を残し、四人は川沿いにある景色のいいカフェに入る。席に着いた途端、隣のテーブルにいた女性が、興奮した声で恋人らしき男性に話しかけるのが聞こえてきた。「ねえ、今聞いたんだけど、今夜の花火って2億円もするんだって!ある大金持ちが、恋人のためだけに打ち上げてるらしいよ!私たち、超ラッキーじゃない?」「まじかよ、そりゃ得したな!」二人の会話が終わった瞬間、外でひときわ大きな花火が開き、夜空をまばゆい光で染め上げた。たしかに、息をのむほど美しい。普段は興味を示さない詩織でさえ、思わず窓の外に見入ってしまった。その時、太一から届いたメッセージを、譲は無意識にスピーカーモードで再生してしまった。「柊也、今夜は川辺で志帆ちゃんのために数億円の花火だってさ!マジぱねえ!お前らも来いよ、こんなショー見逃すとかありえねーだろ!」軽薄な声が店内に響き渡る。譲の手がかすかに震え、慌てて画面をタップして音を消した。そして、恐る恐る詩織の様子を窺う。どうであれ、詩織と柊也は元恋人同士だった。しかも、彼女は振られた側だ。こんな話を聞けば、傷つかないはずがない。なぜ自分が彼女の気持ちを心配しているのか、譲自身にもよくわからなかったが、とにかく気にかかった。しかし、彼の予想に反して、詩織の反応は驚くほど冷やかで、表情ひとつ変えなかった。まるで、何もかも自分には関係ない、とでも言うように。それが本心なのか、それとも平気なふりをしているだけなのか。譲には見当もつかなかったが、彼女の心情を慮って、太一には返信をしなかった。この花火が柊也から志帆へ贈られたものだと知っても、詩織は席を立とうとはしなかった。それどころか、まるで何かに取り憑かれたかのように、最後までじっと夜空を見つめ続けている。その横顔からは、彼女が何を考えているのか、まったく読み取ることができなかった。譲の意識は、いつしか目の前の壮大な花火から、完全に詩織へと移っていた。一方、その
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第178話

詩織が画面を二秒ほど見つめていると、新たな通知がポップアップした。今度は柊也の投稿だった。かつてはSNSなど見向きもしなかった男が、ここ三ヶ月で二度も投稿している。そしてそのどちらも、志帆に関連したものだった。今回、彼が綴った言葉は【あけましておめでとう】。添えられているのは、やはり花火の写真。ほとんど間髪を入れずに、志帆がコメントを返す。【あけましておめでとうございます】おそらく、二人で示し合わせて投稿したのだろう。柊也が彼女にどんな返信をしたのか、あるいはしなかったのか。詩織にとってはどうでもいいことだった。彼女はSNSを閉じる前に、二人のアカウントを何の感情もなく削除した。他意はない。ただ、静かな日常が欲しかっただけだ。……新年が明け、仕事の鬼である詩織も、珍しく一日だけ休みを取っていた。いくつもの誘いを断り、栄養ドリンクの詰め合わせを手に母である初恵の家を訪れる。エイジアを辞めて以来、仕事に没頭するあまり、母とゆっくり過ごす時間さえ満足に取れていなかった。だから今日はわざわざ早起きをし、家に着いたのはまだ朝の七時半だった。初恵の生活は規則正しい。七時半は、ちょうど朝食の時間だ。一緒に食べようと心弾ませ、詩織は威勢よく母に呼びかけた。「お母さん、ただいま!」リビングに返事はない。けれど、キッチンからは物音が聞こえてくる。料理をしているのだろう。詩織は荷物を置くと、キッチンへと駆け寄った。「お母さん、今日の朝ごはん、なあに?」その言葉を言い終えた瞬間、彼女の表情が凍りつく。キッチンに立っていたのは、母ではなかった。そこにいたのは、どうやっても思い描くことのできない人物。柊也だった。男は鍋の中のスープを器によそい、火を止めると、ようやく口を開いた。顎が外れんばかりに驚愕している詩織に向かって、ゆっくりと、しかし確かな声で告げる。「『お母さん』は、少し違うんじゃないか」「……呼び方を変えれば、もっとそそられるかもな」朝の清々しい気分は、その一言で打ち砕かれた。詩織の顔から笑みが急速に消え失せ、氷のような冷たさだけが残る。「……なんで、あなたがここにいるの」柊也は食器棚からもう一つ器を取り出すと、こともなげに、そこにまたスープを注いでいく。答えを返さない男の
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第179話

「お母さん、私、あの人とはもう……」これ以上、母を巻き込むわけにはいかない。二人の関係は終わったのだと、はっきりさせなければ。詩織がそう口を開いた、その時だった。「おばさん、浄水器、直しておきましたよ。一度使ってみてもらえますか。もし調子が悪ければ、すぐに新しいものに交換しますから」柊也がキッチンからひょっこりと顔を出す。「まあ、また面倒かけちゃって、ごめんなさいね」嬉しそうな声をあげて、初恵がキッチンへと向かった。「いえいえ、簡単なことですから」柊也の優しげな声が続く。「あ、そうだ。コンセントも換えておきました。前のものは使いづらかったでしょう。今度のはスイッチ付きなので、使わない時はボタン一つでオフにできます。もう、つま先立ちでプラグを抜き差ししなくても大丈夫ですよ」「まあ、ほんと!いつも気が利くのねえ。ありがとう、柊也くん」「いいんですよ、気にしないでください。それより、鶏の煮込みスープができましたから。熱いうちに皆さんでどうぞ」初恵は心から嬉しそうで、普段よりもずっと楽しそうに笑っている。その無邪気な笑顔を見てしまうと、詩織はさっき言おうとした言葉を、ぐっと喉の奥に押し込めるしかなかった。食卓には、柊也が作った滋味あふれる鶏の煮込みスープと、鶏出汁でことこと煮込まれた野菜粥が並んでいた。詩織は母に促されるままにスープを二杯、お粥を一杯平らげ、もう何も入らないほどお腹が張ってしまった。食事が終わると、初恵は詩織に皿洗いを命じたが、すかさず柊也が代わろうとする。それを、初恵が手で制した。「ご飯を作ってくれたのはあなたなんだから、洗い物は詩織の仕事よ。あなたは座って、ゆっくり休んでなさい」詩織が皿を洗っていると、下腹部にずんと重い、覚えのある痛みが走った。また、予定より早く来てしまったらしい。何の準備もしておらず、じっとりと冷や汗が滲む。痛みで力の抜けた手から、つるりと皿が滑り落ちた。がしゃん、と派手な音を立てて砕け散る。音を聞きつけ、真っ先に駆け込んできたのは柊也だった。「怪我はないか」言葉を発するより早く、柊也は詩織の体を抱え上げると、ガラスの破片が散らばる場所から引き離した。彼女が傷つくことを心から恐れるかのような、切羽詰まった様子で。詩織は下腹部の激痛に、彼を拒む余裕さえなかった。なす
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第180話

昨日の夜は、大事なあの人とロマンチックなひとときを過ごし。今朝は早くから私の家で、甲斐甲斐しくご機嫌取りときた。これのどこが、タイムマネジメントの達人でなくて何だというのだろう。そして、彼の目的は一体何なのか。「はっきり言ったはずよ。あなたと私は、もう終わり。赤の他人だって。今さら私の母にまで近づいて、何のつもり?気でも狂ったの?」「こんな回りくどい手を使って、私が絆されるとでも思った?」だとしたら、見くびられたものだ。この江崎詩織は、過去の男に二度と振り返ったりはしない。立て続けに浴びせられる詰問にも、柊也は怒る素振りも見せず、むしろ面白そうに眉を上げた。「そんなに俺のことが嫌いか」「当然よ!」詩織は、斬り捨てるように言い放った。「この世で一番憎い相手とあなた、どっちか一人を撃てって言われたら、私は迷わずあなたを二回撃つわ!」その言葉を聞いた柊也の黒い瞳に、ふっと薄い笑みが浮かぶ。それは一瞬、見る者に深い愛情を抱いているかのような錯覚をさせた。「……それは本当に、嫌われているらしいな」詩織はもう、口を開く気力さえ失せた。エレベーターのドアが開くと、彼を待つそぶりも見せず、さっさと外に出る。長い脚のおかげだろう。彼女より遅れて降りてきたはずの柊也が、すぐに追いついてくる。「君が、俺の車からお守りを持っていったんだろう」詩織は歩みを速め、彼に視線をくれることすらない。「ないわよ!人を泥棒みたいに言わないで!それに、二度とお母さんや私の生活にちょっかい出さないでちょうだい」「ああ」彼は気の抜けた返事をしただけだった。その言葉が彼の心に届いたのかどうか、詩織にはわからない。だが、言うべきことはすべて言った。これ以上、彼と関わるのはごめんだ。一言だって話したくない。今日の空は雲一つなく晴れ渡っている。午後二時の陽光が、二人の間にくっきりと境界線を描いていた。「もうすぐ、親父の誕生日なんだ」柊也は、地面に落ちる二つの影を見つめながら、ぽつりと言った。「あいつは俺を良く思っていない。……もしよかったら、君が顔を見せてやってくれないか」詩織の足が、ぴたりと止まる。ようやく合点がいった。彼がわざわざ自分の家までやってきて、甲斐甲斐しく立ち回っていた本当の理由。孝行の身代わりってわけ?
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