歩道にじんわりと染みていく黒いしみが、最初にそれが雨だと気づかせた。空は鈍い灰色の雲に覆われていて、まるですべての音を吸い込んでいるようだった。午後の街は湿り気を帯び、雨粒がコンクリートに弾ける音が、瑛司の耳に遅れて届く。傘は持っていなかった。それでも構わず、彼はその場所に立ち続けていた。蓮のマンションの前、歩道脇の電柱に背を預け、何度目かの缶コーヒーを片手に。カフェインも苦味も、もう味として認識していなかった。缶の表面を滑る水滴が指にまとわりつき、身体の芯に冷たさがじわじわと染みていく。時刻は午後四時をまわっていた。このまま暗くなるのを待つのか、それとも今日もこのまま何も起こらずに終わるのか。その答えが出ないまま、頭のなかでは、蓮の顔だけが繰り返し浮かんでは消えていた。細く降り始めた雨は、やがて本格的に地面を濡らし始めた。足元の水たまりに雲の影が揺れている。その一瞬だった。視界の端で、見慣れたシルエットが現れた。傘も差さず、ただ静かに雨に濡れながら歩く細身の男。黒いスキニーパンツに長めのシャツ、その上に羽織られた薄手のジャケットが、雨で身体に張りついている。蓮だった。心臓が一拍、遅れて脈打った。不意に、呼吸が浅くなる。瑛司は咄嗟に一歩踏み出した。舗道を打つ雨音がすべてをかき消しているのに、口から出た声だけは確かだった。「蓮!」蓮が足を止めた。傾いた視線が、ゆっくりとこちらを向く。その瞬間、胸の奥に沈んでいたすべてのものが一気に浮上してきた。蓮の顔が、濡れた前髪の隙間から覗く。睫毛には細かい水滴が滲んでいた。「なんで、連絡くれないんだ」声は予想以上に掠れていた。押し殺した感情が、喉の奥で焦げついている。蓮は一歩も動かず、ただそこに立っていた。「仕事の連絡はしてるよ」「そうじゃないだろ。俺が何を送っても、全部無視するく
Última atualização : 2025-09-15 Ler mais