夜は深く、部屋の隅々まで静寂が染み込んでいた。東條家の寝室、シーツの上で瑛司は目を閉じたまま、眠れない夜の重さをじっと抱え込んでいる。隣には美月が小さく寝息を立てているはずだったが、その息遣いさえ瑛司には遠い音にしか思えなかった。頭の中には、蓮の姿しかなかった。名前を呼ぶこともできず、触れることもできないのに、昨日まで身体の奥に残っていた香りや熱、指先の感触だけが鮮やかに蘇る。瑛司は枕に顔を埋めた。シーツの匂いは洗剤と美月の香りしかなく、そこに蓮の痕跡はどこにもなかった。それでも、まぶたの裏には蓮の輪郭だけが幾度も浮かび上がる。なぜ、ここにいるのだろう。なぜ、自分はこのベッドに寝ているのだろう。静かな闇の中、問いは繰り返される。答えの代わりに胸の奥には、言葉にならない焦燥と空虚が膨らんでいく。ひとつ息を吸ってみる。部屋の空気は冷たく、静かだ。外ではまだ雨が降っている。窓ガラスを伝うしずくの音が、遠くの鼓動のように微かに響く。美月が寝返りを打った。シーツが僅かにきしみ、また静けさが戻る。そのたびに、瑛司はこの家のすべてからどんどん遠ざかっていく気がした。身体を動かせば、蓮の腕の中に戻れるだろうか。あの熱の中に、もう一度だけ身を投じられるだろうか。しかし現実には、ただ暗闇の中に取り残されたまま、朝を待つことしかできない。---そのころ、蓮もまた眠れずにいた。薄暗い部屋の中、毛布に包まったまま膝を抱える。雨の音がガラスを叩き、時折、部屋の空気を微かに揺らす。瑛司の名を呼びたかった。けれど、声にすればすべてが壊れてしまいそうで、ただ唇を閉じたまま夜に沈んでいく。窓辺にうっすらと明るみが射してきた。夜明け前の青白い光がカーテンのすき間から滲み、壁紙を淡く照らしている。けれどその光も、蓮の胸の内にある闇を少しも溶かさない。スマートフォンを手に取る。
Última atualização : 2025-09-20 Ler mais