All Chapters of 偽りの婚姻から脱出、御曹司は私に惚れ: Chapter 961 - Chapter 970

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第961話

佐知子は突然黙り込んだ。しばらくしても返事がなく、清流が苛立ち始めた頃になって、ようやく彼女が口を開く。その声はぞっとするほど陰湿だった。「どうして急にあの女の母親のことなんか気にするの?須藤君江に何か吹き込まれたの?二人、かなり頻繁に連絡を取り合ってるみたいね。へえ、ずいぶん仲がいいじゃない」清流は眉間に皺を寄せた。「そんな嫌味を聞いてる暇はない。母さん、一体何を企んでるんだ?」「それはこっちのセリフよ!企んでるのはあんたの方でしょう!」佐知子が甲高い声で叫んだ。「須藤君江が私たちの仇だってこと、忘れたの!?親子鑑定なんて持ち出さなければ、私たち親子三人がこんな目に遭うこともなかった!全部あの子のせいなのよ!なのに、あんたは今さらあの子のことばかり気にしてる!本当に頭がおかしくなったんじゃないの!?」清流は、その言葉がどれほど身勝手で恥知らずなものかを考える余裕すらなかった。今の彼が気になったのは別の部分だ。「……気にしてるって、どういう意味だ?」彼はゆっくり問い返した。入院中、佐知子は何度も病室に来ていた。だが、自分と君江のことなど一度も話した覚えはない。それなのに、なぜそんなことを言うのか。「ふふっ……まだ分からないふりをするの?」佐知子は歯ぎしりするような声を漏らした。「よりによってあの子を好きになるなんて!」その瞬間、清流の心臓が激しく跳ねた。否定しなければならない。そう思った。だが、不思議なことに言葉が出てこない。耳に届くのは、電話の向こうで荒くなった佐知子の呼吸音だけだった。しばらくしてようやく我に返り、慌てて口を開く。「何を言ってるんだ……俺が彼女を好きだなんて、勝手なことを――」「好きじゃないなら、寝言であの子の名前を呼んだりするもの!?」佐知子が怒鳴る。「私はちゃんと聞いたのよ!最近ずっと落ち着きがなかった理由も、これで全部分かったわ!今回入院したのだって、あの子が関係してるんでしょう!?本当に疫病神みたいな女!」「違う。彼女は関係ない」清流は必死に胸の動揺を押し殺した。「俺たちの間には何もない。この怪我だって俺自身の問題だ」――俺は夢の中で、君江の名前を呼んでいたのか。その事実が頭の中で何度も反響する。だから佐知子は突然あんな態度になったのだ
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第962話

このようなことが起きてしまった以上、奈穂が動かないはずがない。奈穂が手を貸せば、正修だって黙って見ているわけがない。つまり佐知子は、一度に四大財閥の中の三家を敵に回したことになる。そのどこも、決して逆らっていい相手ではなかった。佐知子は自分の母親だ。普段どれだけ不満を抱いていたとしても、彼女に何かあってほしいとは思っていない。それに、もし佐知子が本当に取り返しのつかないことをしてしまえば、君江は間違いなく自分たちを心の底から憎むだろう。今は一刻も早く佐知子を見つけ出し、過ちを犯す前に止めなければならない。清流はしばらく考えた末、人をやって清澄を探させた。清澄の居場所は案外すぐに見つかった。ネットカフェでゲームをしていたところを連行され、あっという間に清流の前へ引き出された。「お、おい、弟よ……いったい何の用だ?」清澄は肩をすくめながら身を縮こませた。「俺はちょっとネカフェでゲームしてただけだぞ?まさかそれで俺に因縁つける気じゃないよな?」「母さんが今どこにいるか知ってるか?」清流は冷たい声で尋ねた。「知らねえよ」清澄はきょとんとした顔をする。「用があるなら電話すればいいだろ?」「最近、母さんから何か変わった話を聞いてないか?どんなことでもいい。思い出したことがあれば全部話せ」清澄は頭をかきながら、不機嫌そうに唸った。「変わった話なんてねえよ。俺は何も知らないって。まだゲームの途中なんだよ……」言い終える前に、清流の堪忍袋の緒が切れた。拳が飛び、まったく警戒していなかった清澄は、そのまま床に叩き倒される。清流は身をかがめると、勢いよく襟首を掴んで引き起こした。その目には凶暴な光が宿っていた。「母さんが君江の母親を誘拐したかもしれないってこと、分かってるのか?」「な……なんだって?」清澄は呆然と目を見開いた。殴られたことなど、もう頭から吹き飛んでいる。「か、母さんがそんなことするのか?なんで急に……」そこまで言ったところで、何かを思い出したように顔を上げた。「あっ!だからか!この前、母さんが電話で『必ず準備を整えてちょうだい』『絶対に失敗は許されない』って言ってるのを聞いたんだよ!まさかこの件のことだったのか!」「それを聞いたのはいつだ?」清流はすぐさま問い詰めた。「お、俺だって
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第963話

清澄の媚びるような言葉を聞いても、清流は無表情のままだった。もし自分までこの兄と同じように、毎日遊んで飲んでばかりの人間だったら、とっくの昔に一家は終わっていただろう。ほどなくして、清流はその小さな会社のかつての所在地を突き止めた。すぐにでも向かうつもりだった。出発する前に、清澄のスマートフォンを取り上げ、さらに二人を残して監視につかせる。「おい、何なんだよ!知ってることは全部話しただろ?なんでまだ帰してくれないんだ!」清澄が不満そうにわめいた。もちろん、佐知子に情報を流されるのを防ぐためだ。それに、誰かに余計なことを聞き出される可能性もあった。だが清流は説明する気にもなれず、そのまま部下を連れて立ち去った。……君江たちがまだ母親の行方を探している最中だった。その時、見知らぬ番号から数枚の写真が送られてきた。君江は一目見た瞬間、視界が真っ暗になった。そのまま気を失いそうになり、床に倒れ込みかける。「君江っ!」奈穂は慌てて君江を支え、悲鳴にも似た声を上げた。「どうしたの!?」幸い、その場には君江のアシスタントもいた。二人は急いで彼女をソファに運び、頬を軽く叩いたり、人中を押したりして、ようやく意識を取り戻させる。「は、母が……」君江の手は激しく震えていた。涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。奈穂は眉をひそめながらスマートフォンを受け取り、画面を確認した。その瞬間、奈穂の顔色もわずかに青ざめる。写っていたのは君江の母親だった。両手両足を縛られ、目隠しをされ、口まで塞がれている。自分の母親がこんな姿にされているのを見て、君江が耐えられるはずがない。先ほど気を失いかけたのも無理はなかった。アシスタントも写真を見て顔色を変えた。「お母様が……どうしてこんな……?」声を震わせながら言う。「もしかして拉致されたんですか?警察に通報しましょう!」まるでその言葉を予想していたかのように、新たなメッセージが届いた。【警察に通報したら、即座に殺す。お前も母親を失った子どもになりたくはないだろう?余計なことはせず、大人しく連絡を待て。時間ならたっぷりある。ゆっくり遊んでやるよ。】そのメッセージを見た瞬間、君江は悲鳴のような泣き声を上げた。そして慌ててスマートフォンを取り返す。「電
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第964話

「重要な手がかりが見つかった」正修がそう言った。その言葉を聞いた瞬間、君江は勢いよく駆け寄った。「どんな手がかりですか!?九条社長、お願いです、早く教えてください……!」「須藤さん、まずは落ち着いてください」奈穂は慌てて君江の背中を優しくさすり、その手を握った。「まずは落ち着いて話を聞きましょう」二郎たちは周辺のいくつかの交差点や、マンション近くにある大型スーパー数店舗の防犯カメラ映像を調べた。その結果、君江の母親は家を出た後、無事にそのうちの一軒のスーパーに到着し、食材を購入していたことが確認された。問題は、その後だった。スーパーを出た彼女は真っ直ぐ帰宅せず、近くにあるケーキ店に向かっていた。店の前に着いた時、一人の子どもが彼女にぶつかった。防犯カメラの映像によれば、彼女は怒るどころか、その子に怪我はないかと優しく声をかけていた。子どもは困ったような顔で何かを話し、それを聞いた彼女は店に入り、ケーキを一つ買って渡した。そして、そのまま子どもと一緒に立ち去ったのだ。「最後に映像に映ったのは、とある交差点でした」正修が説明を続ける。「彼女はその子どもに案内されるようにして人通りの少ない細い路地に入り、その後は二度と映っていません。その路地も調べました。監視カメラは設置されておらず、住人もほとんどいません。家々を一軒ずつ訪ねて聞き込みをしましたが、不審なものを見たという証言は得られませんでした」「そのケーキ店……知っています。私が前に、母に『あそこの蜂蜜ゆずミルクレープが好き』って話したことがあるんです」君江は呆然と呟いた。「きっと……私のために買いに行ってくれたんです……」「その子どもが怪しいね」奈穂が冷静に言った。「おばさんをあの路地に誘導したのは、その子だから」正修も頷く。「二人が路地に入ってからしばらくして、その子どもだけが走って出てきました。周囲を確認した後、急いで立ち去っています。すでに人を動かしています。監視カメラには顔がはっきり映っていましたから、見つかるのも時間の問題でしょう」「子どもを利用したなんて……!」君江は怒りに震えた。「母はその子にケーキまで買ってあげたのに、その子がまさか……」その先は言葉にならなかった。自分を信じてくれた人間を、奈落へと導くための囮だっ
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第965話

正修は知人の警察官に連絡を取り、事件の経緯をすべて説明した。すると警察は直ちに、水面下での捜査を開始した。夜はとっくに明けている。君江は、自分のために一晩中付き添ってくれた皆を見回し、申し訳なさそうに言った。「みんな、少し休んでください……」アシスタントはため息をつく。「眠いのは眠いんですけど、たぶん寝られません。こんな大きな事件に巻き込まれるのは初めてですし……それにお母様には普段から本当に良くしていただいていましたから」アシスタントは君江の母親と何度か会ったことがある。そのたびに優しい夫人は、美味しいお菓子をたくさん持たせてくれた。そしていつも笑顔でこう言うのだ。「仕事ばかり頑張りすぎちゃ駄目よ。ちゃんと休まないと」あの穏やかな笑顔を思い出しながら、彼女は胸を締めつけられるような気持ちになった。――今、夫人はどうしているのだろう。「みんなに迷惑をかけてしまって……」君江の目元が再び赤くなった。「何言ってるの。今さら『休め』って言われても、たぶん誰も眠れないよ」奈穂は首を横に振る。「それより、君江の方こそ少し休んだ方がいい。眠れなくてもいいから、少し横になるだけでも違うから」誰よりも大きな重圧を抱えているのは君江だ。拉致されたのは彼女の母親なのだから。その苦しみは、誰にも代わることができない。しかし君江は静かに首を振った。「今は休む気になれないの」目を閉じれば、犯人から送られてきた写真が脳裏に浮かぶ。母親は今どれほど怖い思いをしているのか。どんな場所に閉じ込められているのか。犯人たちは一体何を企んでいるのか。考え始めると止まらなくなる。休む気になれないというより、休むこと自体が怖かった。奈穂はそんな君江を見て胸が痛んだ。だが、この状況でどんな慰めの言葉を並べても意味はない。一刻も早く君江の母親を救い出すこと。それしかなかった。アシスタントは両頬を軽く叩いて気合を入れる。「私、コーヒーを淹れてきます。眠気覚ましにもなりますし。このあとも監視カメラの映像を確認しなきゃいけませんから」その時だった。コンコン――突然、ドアをノックする音が響いた。アシスタントがドアを開ける。外には男性が立っており、両手にはいくつもの袋が提げられていた。「どちら
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第966話

「私にはちゃんとお礼してくれないの?」奈穂はわざと不満そうに頬を膨らませた。「えー、だって私たちの仲じゃない」「はぁ……私は君江のためにこんなに心を砕いてるのに、感謝の一つもないなんて。傷つくなあ」「じゃあ落ち込まないで」君江は手にしていたカップを差し出した。「ほら、残り半分あげるから」二人はそんな軽口を交わした。このやり取りをして、奈穂はようやく少しだけ安堵する。君江の顔に、ほんのわずかではあるが笑みが戻っていたからだ。今の君江はあまりにも張り詰めている。このままでは本当に心が壊れてしまうのではないかと、奈穂は心配していた。お茶を飲み、お菓子を少し口にした後、二人は再び防犯カメラの映像確認を始めた。何か手がかりが見つからないか、少しでも可能性を探るためだ。しばらくして、奈穂のスマートフォンが鳴った。正修からだった。話を聞いた瞬間、奈穂の目がぱっと輝く。「その子を見つけたの?何て言ってるの?」その言葉に、君江も即座に顔を上げた。奈穂はスピーカー機能をオンにし、スマートフォンをテーブルに置く。「警察が今、そいつを厳重に監視してる」正修の落ち着いた声が響いた。「ただ、まだ迂闊には動けない。犯人と連絡を取り合ってる可能性もあるから。もし犯人を刺激したら、おばさんの身が危険になるかもしれない」「うん、それは分かる」「身元も確認できてる。十歳の男の子で、両親はもう亡くなってる。今は祖父と二人暮らしだけど、その祖父は毎日酒と賭けばかりで、ほとんど面倒を見てない。数年前から近所で盗みを働くようになってたけど、年齢が幼かったため、本格的な処分には至らなかったようだ。たぶん今回は、犯人から金を渡されて、おばさんをあの路地に連れて行くよう指示されたんだろう。今日、その子は大量のお菓子やおもちゃを買ってる。彼の祖父がそんな金を与えるとは思えない」君江は奥歯を強く噛み締めた。額には青筋が浮かんでいる。相手が子どもだから仕方ないなんて、そんなふうには到底思えなかった。今も母親は犯人の手の中にいる。その現実がある限り、自分はその少年を許せそうになかった。「もう私服警察官が接触を試みてる。そう時間はかからないはずだ。うまくいけば事情聴取に持ち込める」「分かった」通話を終える前に、奈
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第967話

警察は事前にそのおもちゃの店と連携を取っていた。少年が店内に入った瞬間、待機していた数名の警察官が即座に身柄を確保する。まだ十歳の子どもだ。突然の事態に完全に怯え切ってしまい、抵抗することも、大声を上げることもできなかった。警察はまず所持品検査を行い、通信機器を持っていないことを確認する。その後、少年を裏口から連れ出し、人目につかないよう警察署に移送した。法定監護人である少年の祖父も、同様に秘密裏に警察署に連れて来られた。しかし、事情聴取が始まっても、少年は何を聞かれても「知らない」の一点張りだった。祖父が問い詰めても変わらない。防犯カメラの映像を見せられても、「路地に入った後、すぐ帰ったから、何も見てない」と言い続けた。金についても、「拾っただけだ」と頑なに主張する。だが警察もこうしたケースには慣れている。表向きは穏やかに話を聞きながら巧みに誘導し、ときには適度なプレッシャーもかける。そうして少しずつ包囲網を狭めていった結果、ついに少年は本当のことを話し始めた。奈穂と君江が警察署に到着した頃には、少年はすでに知っていることをすべて供述していた。「その少年の話によると、マスクとサングラスで顔を隠した男に声をかけられ、金を渡されたそうです」担当警察官が説明する。「そして、その男から『須藤真理子(すどう まりこ)をあの人気のない路地まで誘導してほしい』と頼まれたとのことでした。成功すれば、さらに報酬を支払うとも約束されていたそうです。少年は家族とはぐれたふりをして、お母さんの同情を誘いました。お母さんは彼を心配し、怖がっているだろうと思ってケーキまで買い与えています。その後、少年が『家まで送ってほしい』と頼み、お母さんはそれを断りませんでした」君江は唇を強く噛み締める。指先には力が入り、関節が白くなっていた。警察官は続ける。「路地に入った直後、二人の男が突然現れました。まずお母さんの口を塞ぎ、そのまま気絶させて連れ去っています。当時、周囲に通行人はいませんでした。近隣住民も外に出ておらず、目撃者は確認できていません。少年自身もその時は驚いていたようです。その後を追いながら、男たちの様子を見ていたそうです。そこで少年は、男たちがお母さんを古い白色のワンボックスカーに乗せ、西
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第968話

【二十億を用意しろ。その二十億でお前の母親の命を買うんだ。公平な取引だろう?金を用意する時間は一日やる。また連絡する。ああ、もう一度だけ忠告しておく。もし警察に通報したら、お前の母親はもう生きて帰れなくなるぞ!】そのメッセージを読み終えた君江は、再び全身を震わせ始めた。幸い、奈穂がすぐそばにいた。奈穂は素早くメッセージに目を通すと、わずかに安堵したように息をつき、君江に言った。「この内容を見る限り、おばさんに今すぐ命の危険はなさそう。それに、犯人たちも私たちがすでに警察に通報していることには全く気づいていないみたい」もし気づいているなら、メッセージには「なぜ警察に通報した」などと非難の言葉が並ぶはずで、こんな脅し文句を繰り返したりはしないだろう。「うん……そうだよね……」君江は奈穂の手をぎゅっと握った。「このメッセージも警察に見せたほうがいいよね?」犯人からのメッセージを警察に隠しておく理由などない。まして今は警察署の中だ。奈穂と君江はすぐに、そのメッセージの件を警察に伝えた。「犯人に電話をかけてみてください。もし出たら、できるだけ時間を稼いでください。その間に現在地を追跡して、こちらの捜査員を向かわせます」君江はすぐに電話をかけた。だが、まったく繋がらない。サービス圏外だというアナウンスが流れるばかりだった。メッセージを返信してみても、送信できない。これでは、その番号が君江にメッセージを送った時点の位置情報しか特定できない。でもおそらく警察が到着する頃には、犯人はすでに別の場所に移動していたのだろう。前回、犯人からメッセージが送られてきた時と同じだった。それでも警察がわずかな手がかりを見逃すはずもない。彼らは直ちにその場所に向かい、周辺で秘密裏に聞き込みや捜査を開始した。「そうだ、一人思い当たる人物がいるの」奈穂がふと言った。「もしかしたら、その人についても調べるべきかもしれない」……廃墟となった地下オフィス。薄暗い照明の下で、二人の男と一人の女が弁当を食べていた。その一方で、一人の女性が部屋の隅に縛り付けられている。目は黒い布で覆われ、口にはガムテープが貼られていた。男の一人が彼女をちらりと見て、隣で弁当を食べている女に尋ねた。「本当に何も食わせなくていい
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第969話

「明かりを消して!早く!」佐知子が低い声で怒鳴った。照明が消されると、地下オフィスはたちまち闇に包まれた。三人は真理子を人質にしたまま部屋の隅に身を潜め、息を殺してじっとしていた。しばらくすると、頭上から聞こえていた物音も消えた。男の一人がようやく少し安堵したように言う。「俺たちの考えすぎじゃないか?たまたま誰かが上を通っただけかもしれないし、野良猫や野良犬が入り込んだだけかもしれないだろ」「そうだよ。この場所は俺が見つけたんだぞ。こんなに人目につかない場所だし、とっくに廃墟になってる。誰も覚えてるはずがないんだから、絶対に大丈夫だ」そう言ったもう一人の男こそ、清流兄弟の実父――石田龍一(いしだ りゅういち)だった。すべてが露見したあと、龍一は恐ろしくなって逃げ出していた。だが、二人の息子に対する後ろめたさを捨てきれず、息子たちのことも気にかかっていた。それに、逃亡生活を続けるうちに手持ちの金はあっという間に底をつき、かといって自分でどう稼げばいいのかも分からない。結局、彼はまた戻ってきたのだった。息子たちに連絡しても相手にされず、佐知子に連絡すれば散々罵倒される。途方に暮れていたところに、突然、佐知子から電話がかかってきた。手伝ってほしいことがあるという。彼女に取り入って金を手にしたいと思っていた龍一は、二つ返事で引き受けた。ところが、佐知子が持ちかけてきたのは、進の妻を拉致する計画だった。当然、最初は断ろうとした。しかし佐知子はこう言った。「知ってる?須藤進の娘の須藤君江が、うちの清流を苦しめてるのよ。あの性悪女、一体どんな手を使ったのか知らないけど、息子を完全に骨抜きにしてる。寝言でまであの子の名前を呼んでるんだから!本気で清流のことを好きだと思う?そんなわけないでしょう。将来、あの子はきっと清流を手玉に取って利用するだけ。最後にはどうやって遊ばれたのかも分からないまま捨てられるわよ」それを聞いた龍一は慌てた。「なんて馬鹿なことを……!好きになる相手なら誰でもよかっただろうに、よりによって須藤進の娘だなんて!あの女は絶対に俺たちを恨んでる。機会があれば必ず仕返ししてくるぞ!下手をしたら、俺たちまで巻き添えになる!」「だから先に手を打つのよ、分かる?須藤君江にとって一番大事なのは母親
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第970話

「ちっ、驚かせないでよ」そう吐き捨てると、佐知子は隣で今にも意識を失いそうな真理子に視線を向けた。そして冷たく笑う。その目には、隠しきれない快感が浮かんでいた。かつて人目を忍んで進の愛人をしていた頃、真理子が羨ましくてたまらなかった。佐知子は須藤夫人になりたかった。進に妻と離婚してほしかった。だが進は決して首を縦に振らなかった。長い間耐え続けた末、ついに我慢の限界が来た。進の怒りを買う危険を承知で、自分と進の関係を密かに世間に漏らしたのだ。そして、ようやく進は離婚することになった。やっと自分が須藤夫人になれる。そう胸を躍らせていたのに、すべてを台無しにしたのは君江だった。何もかも壊れた。須藤夫人になるという夢も、完全に消え去った。だからこそ、かつて雲の上の存在だった須藤夫人が今こうして無様な姿をさらしているのを見ると、嬉しくてたまらなかった。佐知子は立ち上がると、真理子を思い切り蹴りつけた。「まだ死んでないの?」真理子はかろうじて目を開き、佐知子を見つめた。何かを言おうとしているようだったが、声を出す力すら残っていない。その様子を見て、佐知子はますます上機嫌になった。そして堪えきれずに高笑いする。「おい、もう少し声を抑えろよ!」龍一が慌てて注意した。この場所は人目につきにくいとはいえ、さすがに大声を出しすぎだ。佐知子も自分が少々調子に乗りすぎたと気づいたらしく、慌てて声を潜めた。「分かったわよ。さあ、その女をまた隅に放り込んでおいて」四郎は真理子を再び部屋の隅に引きずっていくと、二人に尋ねた。「俺、いつ金もらえるのかな?金もらって遊びに行きたいんだけど。もうここにいたくない」龍一も佐知子に視線を向けた。「もう須藤君江に金を用意させてるんだろ?いつ受け取るんだ?」「何をそんなに焦ってるの?慎重にやらなきゃ駄目でしょ。捕まりたいの?」佐知子は鼻で笑った。「それに……私はまだ須藤君江をもう少し苦しめてやりたいの」「その必要あるか?さっさと金を受け取って逃げるのが一番だろ」「あるに決まってる!うちの息子はあの女のせいで大怪我したのよ!何日も入院する羽目になったんだから!」佐知子は怒りをあらわにした。「痛い目を見せてやらないと気が済まないわ。そうすれば、もう二度と清
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