All Chapters of ワンナイトから始まる隠れ御曹司のひたむきな求愛: Chapter 41 - Chapter 50

98 Chapters

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 美桜が書棚の奥で資料を探していると、背後でカチャリと小さな音がする。(あれ? 誰か資料室に来たのかな。珍しい) 深く気にせず作業を続けた。  ようやく目当ての資料が見つかり、資料室を出ようとドアノブを回すが、開かない。(え?) その直後、パチンという乾いた音と共に、室内の照明が全て消えて完全な暗闇に包まれた。(停電? ……いいえ、違う。ドアが外から施錠されている!) 真っ暗な中で、美桜は血の気が引くのを感じた。「誰か! 誰かいませんか! 閉じ込められてしまって……」 ドンドンと必死でドアを叩きながら叫ぶと、人の気配がした。  くすくすと笑う若い女の声。  聞き覚えがある――玲奈の声だった。「河合さん、そこにいるの? 鍵を開けて!」 答えはない。小さい笑い声は最後に「あははっ! いい気味!」と嘲笑に形を変えて、遠ざかっていった。  分厚いドアは音を遮断してしまう。元より人通りの少ない場所だ。  いくらドアを叩いても、助けを呼んでも、重い扉に阻まれて誰にも届かなかった。(どうしてそこまで……) 玲奈は美桜から翔を奪って、満足したのではなかったのか。  暗闇と静寂の中、美桜はぐったりと床に座り込んだ。何も見えない、何も聞こえない環境というのが、こんなにも恐ろしいものだとは知らなかった。無力感がじわじわと心を蝕んでいく。 ◇  それから何時間も経ってから、偶然通りかかった警備員に発見されて、美桜はようやく外に出られた。  暗闇に慣れきった目に、外の明かりがまぶしい。疲れ切った体で営業企画部のフロアに戻ると、上司が怒りの表情で待ち構えていた。「高梨! どこをほっつき歩いていたんだ。リーダーが長時間無断で席を空けるとは、どういうつもりだ!」「違います! 資料室にいたら、誰かに鍵をかけられて……」 美桜は必死に抗議するが、上司は疑いの目を向ける。「本当にそんなことが? どうせまた新し
last updateLast Updated : 2025-10-06
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「あら、高梨先輩、まだ会社にいらしたんですね。私ならこんな状況、恥ずかしくて顔も出せませんけど」「河合さん。さっき、資料室に鍵をかけたでしょう。中に人がいるか確認せずに鍵をかけるなんて、事故が起きたらどうするの」「えー? 知りませんけどぉ? 変な言いがかりするの、やめてくださいー」 玲奈が施錠した証拠はない。  美桜が悔しさに唇を噛んで無視を貫こうとした、その時。  玲奈は手に持っていたコーヒーカップを「あっ、ごめんなさーい!」と言いながら、美桜のノートパソコンのキーボードの上にぶちまけた。 バチッという短い音と共に、美桜のノートパソコンの画面が真っ暗になった。数日かけて完成させたばかりの資料も、その中だ。美桜の努力が、一瞬で電子の藻屑と消えた。 周囲の社員たちは、その光景を確かに見ていた。けれど誰もが気まずそうに目を逸らし、PCに向き直るか、そそくさと席を立つだけ。悪い噂が立っている美桜を助けようとする者は、誰一人いなかった。 美桜は、震えそうになる手でキーボードを拭う。 玲奈たちが勝ち誇ったように去った後、美桜はしばらくの間、その場で動くことができなかった。甘く焦げ付くような匂いが、壊れたノートパソコンから立ち上っている。彼女の数日間の努力と、会社から貸与された大切な備品が、一瞬にしてただのガラクタに変わってしまった。 美桜は壊れたPCを抱えると、重い足取りで総務部のカウンターへと向かった。「あの、すみません。パソコンにコーヒーをこぼしてしまって……」 カウンターの向こうで、担当の女性社員は心底面倒くさそうに顔を上げた。「またですか。皆さん、もう少し丁寧に扱ってくださいよ。で、始末書と修理申請書は? 部長の捺印はもらいました?」 矢継ぎ早に、事務的な言葉が投げつけられる。美桜がまだだと答えると、彼女は「話になりませんね」とでも言いたげに、書類の束をデスクに叩きつけた。「まず、この始末書と修理申請書を書いて、直属の上司である部長の承認印をもらってから、もう一度来てください。話はそれからです」 美桜は深々と頭を下げて
last updateLast Updated : 2025-10-07
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「高梨、君はプロジェクトのリーダーだろう。備品の管理も仕事のうちだ。そんな基本的なこともできないのか?」「申し訳ありません。でも、これは……」 悪意のある事故だった、と言いかけて、美桜は言葉を飲み込んだ。玲奈の名前を出したところで、今の自分を信じてくれる人間など、この会社にはいない。「言い訳はいい。まったく、これだから女は……。プライベートが乱れると、すぐに仕事に影響が出る」 上司の口から吐き出された理不尽な叱責と侮蔑の言葉に、美桜は奥歯を噛み締めることしかできなかった。彼は、まるで汚いものでも扱うかのように申請書に判を押すと、さっさと美桜に突き返した。 修理申請書を受け取った総務の女性は、「あぁ、あなたが『あの』高梨さん」とつまらなさそうに言った。 申請書は受け取ってもらえたが、総務の社員から好奇と悪意の視線をぶつけられて、美桜は逃げるようにその場を立ち去る。 玲奈の悪意ある「事故」は、煩雑な手続きと上司からの理不尽な叱責という「二次被害」を生んで、美桜をさらに追い詰める。彼女は会社という組織の中で、完全に無力で孤立無援であることを、心の底から痛感させられていた。 ◇  陽斗が静かな反撃を始めて数日。 オフィスを包んでいた美桜への悪意に満ちた空気は、少しずつだが確実に変化し始めていた。 一つは噂話が鎮火し始めたこと。 以前は給湯室や喫煙所で当たり前のように交わされていた美桜の悪評が、ぴたりと止んだ。中心になって噂を広めていた翔の取り巻きたちは、今ではその話題に一切触れようとしない。むしろどこか怯えたような表情で、互いに探り合うような視線を交わしている。 その日の喫煙室では、こんな会話がされていた。「おい……お前も、一条に声かけられたか?」「ああ……。昨日、給湯室でな。『確かな証拠はあるんですよね?』って、笑顔で詰められたよ。目は一切笑ってなかったけどな。背筋が凍ったよ。あれ
last updateLast Updated : 2025-10-07
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44:盾

彼女が「高梨先輩ってさー」と話を切り出そうとしても、皆「ごめん、ちょっと電話が……」「あ、会議の時間だ」と、露骨に避けていく。 給湯室では、玲奈と距離を置いた女性たちがひそひそ話をしている。「ねえ、玲奈ちゃん、最近ちょっとやりすぎじゃない?」「わかる。噂の『被害者』の一条くん本人が、あんなに高梨さんのこと庇ってるんだよ? どっちが本当のこと言ってるか、もうわかんないよね……」「下手に玲奈ちゃん側について、後でとばっちり食うのはごめんだわ」 これらの変化と同時に、美桜への周囲の態度も変わっていった。  美桜へのあからさまな無視や侮蔑の視線は消えて、代わりに戸惑いや罪悪感が入り混じった、気まずい空気が流れている。すれ違いざまに小さく会釈をしてくる者が現れて、だんだん以前のように挨拶を交わすようになった。 美桜自身は変化の理由が分からないまま、相変わらず孤独な日々を過ごしていた。けれど自分を刺していた無数の見えない刃が、少しずつその切っ先を収めていくのを、確かに感じていた。 ◇  昼休み、社員食堂。美桜がいつものように一人で食事をしていると、玲奈が数人の取り巻きを連れて、これ見よがしに彼女のテーブルにやってきた。  劣勢に追い込まれつつある玲奈だったが、だからこそ虚勢を張って美桜への嫌がらせに来たのである。「あら、高梨先輩。まだ一人でご飯食べてるんですか? 一条くんにまで捨てられちゃったから、寂しいですよねぇ」 玲奈は美桜が屋上で陽斗を突き放したことをどこからか聞きつけたようだ。それを捻じ曲げて、とどめを刺しに来たのだ。周囲が「やっぱりそうだったんだ」と囁き始める。 と、その時。「――河合さん」 静かだが有無を言わせぬ声が響いた。陽斗だった。玲奈と美桜の間に割って入る。「高梨先輩が誰と食事をしようとしまいと、あなたには関係のないことだ。それに、根拠のない憶測で人の名誉を傷つけるのは、感心しませんね」 彼の声は静かだが、普段の彼からは想像もできないほどの冷たい怒りを帯びている。玲奈と取り巻きた
last updateLast Updated : 2025-10-08
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 噂の「被害者」であるはずの陽斗自身による、堂々とした庇護の宣言。  既に揺らいでいた悪意の噂は、彼の言葉で浄化されていった。  玲奈は顔を真っ赤にして立ち尽くし、周囲の社員たちは気まずそうに目を伏せる。  小さく囁く声が聞こえてくる。「そうだよね……。高梨さんは真面目ないい人だった。噂に騙されて、酷い態度を取ってしまった」「後で謝らないと」 陽斗は、呆然とする美桜に向き直ると、いたずらっぽく笑ってみせた。「言ったじゃないですか。俺はあなたの味方ですって」「でも、私、あなたに酷いことを……」 言葉を詰まらせる美桜に、陽斗は優しく言う。「先輩が俺を守ろうとしてくれたこと、分かってますから。でも、もう一人で戦わないでください。俺も一緒に戦います」 陽斗の言葉は一つの迷いもなかった。美桜の瞳から感謝の涙があふれ出す。「うん……ありがとう……」 美桜は急いで涙を拭った。陽斗の献身に泣き顔は似合わない。  美桜は微笑んだ。可憐な花が咲くような笑顔だった。 陽斗はその笑顔に一瞬見とれて、彼自身も満面の笑顔になった。  二人の絆がより深まった瞬間だった。 ◇  その日の終業後、翔は上司である営業部長にフロアの隅へと呼び出されていた。部長の顔には普段の温厚さはなく、ひどく冷たい表情が浮かんでいる。「佐伯くん。君が発信源だという、高梨さんに関するくだらない噂が、私の耳にも入っている」「いえ、あれは……!」 翔が焦って反論しようとするが、部長は聞く耳を持たなかった。「言い訳は聞きたくない」 部長の声は、低く鋭かった。「プライベートな感情のもつれはあるとしても、社内に持ち込むのは論外。社内にゴシップをばら撒き、新人を巻き込んで雰囲気を乱すのは、課長職にあるまじき行為だ。我が部のエースとして、自覚が足りないんじゃないかね。次はないと思え」「……申し訳、ございませんでした」 翔は、屈辱に
last updateLast Updated : 2025-10-08
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46:さようなら、私のいなかった部屋

 週末、美桜は翔と同棲していたマンションに、最後の荷物を引き取りに行った。  新しい一人暮らし用のアパートは、もう契約を済ませている。今は荷物を持ち出して運んでいる最中だった。 部屋に入ると、翔と玲奈が既に新しい住人としてソファで寛いでいた。翔は腕を組んでソファ寄りかかり、侮蔑の眼差しで美桜を見ている。 美桜は彼らを無視して、黙々と自分の私物をダンボールに詰めていった。洋服、本、化粧品。三年間の同棲生活で、本当に「自分のもの」だと言えるのは、たったこれだけだった。「あら高梨先輩。お引越し、大変ですねぇ」 玲奈が猫なで声で話しかけてくる。「そのダンボールだけで終わりですか? 意外と荷物、少ないんですね。みすぼらしいなぁ」「……ええ。お世話になりました」 美桜が淡々と返すと、翔が嘲るように言った。「おい、美桜。まさかとは思うが、そこの棚とか持っていく気じゃねえだろうな?」「この本棚、私が買ったものだけど?」「は? 何言ってんだ? お前が出ていくんだから、全部置いていけよ。俺への慰謝料だと思え」 理不尽な言葉だった。だが美桜の心は不思議と凪いでいた。それらは「二人の思い出」ではなく、「彼に尽くした日々の残骸」にしか見えなかったからだ。「分かったわ。全部、置いていく」 美桜がそう言うと、玲奈は勝ち誇ったようにニヤリと笑った。 ◇  マンションの前で待っていてくれた陽斗の車に、数個のダンボールを運び込む。それが美桜の三年間の全てだった。陽斗は何も聞かず、ただ黙って一番重い箱を彼女から受け取った。 次に到着したのは、美桜が新しく借りた日当たりの良い小さなアパート。がらんとした部屋にダンボールを置く。  美桜はどこか吹っ切れたような、晴れやかな気持ちになっていた。この何もない部屋から、もう一度新しく始めるのだ。  陽斗はそんな美桜を見つめた。彼女を独りにはしておけない、そばで守りたいという想いが、衝動的に喉まで出かかる。「先輩。いっそ、俺と……」
last updateLast Updated : 2025-10-09
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 彼の配慮は言葉にはならずとも、美桜にはよく伝わってきた。  少しだけの沈黙を払うように、陽斗が明るく言う。「さて、何から揃えましょうか! 色々あって迷っちゃいますね」「ええ。一通り揃えないとね」 ◇  陽斗に連れられてやって来たのは、郊外にある大型の家具・インテリア用品店だった。広大なフロアには、お洒落な家具や生活雑貨が、モデルルームのように並べられている。「さて、何から行きましょうか、リーダー?」 陽斗が楽しそうにショッピングカートを押して、美桜をからかう。「もう、会社じゃないんだから。まずはベッドからかな」 美桜は少し笑って、ベッド売り場へと向かった。  様々なデザインのベッドフレームが並ぶ中、美桜は一つのシンプルな木製のベッドの前で足を止める。「これがいいな。温かい感じがする」「いいですね。じゃあ、マットレスも試しましょう。寝心地は大事ですよ」 陽斗はそう言うと、ためらう美桜を促すように、自らマットレスの上に腰掛けて、ぽすぽすと弾力を確かめる。  少し子供っぽい仕草に、美桜も緊張が解けた。彼女もおそるおそるベッドに横になってみた。  ほどよい弾力のあるマットレスが彼女を支えてくれる。(……ああ、気持ちいい。自分のためだけの、新しいベッド。ここでならきっと、もう悪い夢は見ない) 天井を見上げれば、新しい生活が始まるのだという実感が湧き上がってくる。「ベッドはこれ、マットレスはこれにするわ」 美桜は注文票を取って、陽斗が押しているカートに入れた。 ◇  次に二人が向かったのは、ソファ売り場だった。「このソファ、いいんじゃないですか? 先輩の部屋のサイズに、ちょうど良さそう」 彼が指差したのは、座り心地の良さそうなベージュの二人掛けソファだった。「そうね。座ってみましょう」 美桜が頷いて、二人は同時に腰を下ろす。その瞬間クッションが沈
last updateLast Updated : 2025-10-09
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 家電コーナーに移動すると、美桜は最新式の掃除機の前で足を止めた。「お掃除ロボットはいるかしら? 狭い部屋だしいらないかな?」 実は美桜はロボット掃除機や食洗機に憧れていた。 スイッチひとつで面倒な家事を引き受けてくれる最新の家電は、まさに令和の時代の道具。(このロボット掃除機、頑張って働いているみたいで、何だか可愛いよね) 翔と同棲していた時は、全ての家事が美桜の仕事だったにもかかわらず、翔の「そのくらいサボるな。ちゃんとやれ」の一言で諦めざるを得なかったのである。 陽斗はデモンストレーションで動いているロボット掃除機を指さした。「俺、持ってますけど、便利ですよ。朝出かける時にセットしておけば、帰る時はきれいになってますから。忙しい時には特に助かってます」「そうなんだ。じゃあ買っちゃおうかな。あと、コーヒーメーカーも欲しいな。あなたに、美味しいコーヒー、淹れてあげたいし」 美桜がはにかみながら言うと、陽斗は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。みるみるうちに顔が真っ赤になる。「……! それは、すごく嬉しいです。楽しみにしています!」 ◇  最後に二人はカーテン売り場に行った。美桜はシンプルな無地のベージュと、明るい気持ちになれそうな淡いブルーの柄物とで迷っている。  ブルーのカーテンを手に取って、美桜は小さく首を振った。「どっちがいいかな。翔と一緒だった時は、こういう色は選ばせてもらえなかったから……」 ぽつりと漏らした彼女の独り言を、陽斗は聞き逃さなかった。「じゃあ、こっちのブルーにしましょう。先輩の部屋なんですから、先輩が一番好きな色を選ぶべきです。俺もこっちの方が、先輩らしいと思います」 彼のきっぱりとした言葉に、美桜は背中を押される。自分の「好き」を誰にも遠慮しなくていい。当たり前の事実に嬉しさが込み上げた。「うん、そうする。私の部屋だものね!」 会計を済ませて店の出口に向かう途中、食器コーナーで美桜は足を止めた。彼女は陽斗が好んで着て
last updateLast Updated : 2025-10-10
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50:新プロジェクト

 週の半ば、社内全体がある一つの話題で持ちきりになっていた。  会社の未来を左右するとも言われる、社長直下の超大型新規プロジェクトの発足である。誰がその名誉あるチームメンバーに選ばれるのか、社員たちの間で様々な憶測が飛び交っていた。「リーダーはやっぱり、営業部の佐伯課長だろうな。営業のエースだ」「だろうな。あの大規模案件を成功させたんだし」「パートナー企業も、IT業界で今一番イケてると噂のベンチャーらしいぞ」 同僚たちの興奮した声が、美桜の横を通り過ぎていく。  美桜は新しい住居を得て、自分の好きなものに囲まれながら少しずつ自信を取り戻しつつある。でも仕事においてはまだ、噂の余波でやりにくさを感じていた。  大きなプロジェクトも、自分には関係のない遠い世界の出来事のように思えた。 その日の午後、プロジェクトの担当役員から関係部署の社員全員に召集がかかった。緊張で張り詰めた空気の会議室で、役員がスクリーンに映し出されたメンバーリストを読み上げ始める。 営業部のエースとして、誰もがリーダーは翔だろうと予測していた。しかし役員が最初に読み上げた名前は、全員の予想を裏切るものだった。「本プロジェクト、『AIを活用した次世代型サプライチェーン・システムの共同開発』のリーダーは、営業企画部、高梨美桜主任に一任する。彼女の卓越した分析能力と、粘り強い交渉力を、役員会が高く評価した結果だ」 フロアがどよめきに包まれた。「え……? 営業企画部の高梨主任?」「佐伯課長じゃなくて?」「少し前に噂になってた人でしょ?」「いや、その噂は事実無根だったと証明されたぞ」 ざわめきの中、美桜自身が何かの間違いではないかと耳を疑う。  隣を見ると、陽斗が「やりましたね、先輩」と、自分のことのように誇らしげな笑顔を向けていた。 続いてサブリーダーとして陽斗の名前が、さらにチームメンバーとして翔と玲奈の名前が読み上げられる。  役員は続けた。「そして、本プロジェクトの成功に不可欠なパートナー企業の代表をご紹介する
last updateLast Updated : 2025-10-10
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【回想】 高校の放課後、クラスのほとんどの生徒が部活や帰路へと急ぐ中で、教室には数人しか残っていなかった。  美桜は日直の仕事で、少し高い位置にある連絡事項を黒板消しで消そうと、必死につま先立ちをしていた。(あと、もうちょっと……!) その時、すっと影が差した。驚いて隣を見ると、いつの間にか如月蒼也が立っていた。彼はクラスの誰とも馴れ合わず、いつも窓際の席で一人静かに分厚い本を読んでいる、少しだけ謎めいた同級生だった。 蒼也は何も言わなかった。ただ、美桜の手から黒板消しを自然に受け取ると、いとも簡単に彼女が届かなかった場所の文字を綺麗に消してくれた。  美桜は蒼也が助けてくれたのを、意外に思った。彼はいつも壁があるというか、誰とも仲良くしようとしなかったからだ。「あ……ありがとう、如月君」 美桜がお礼を言うと、彼はこくりと小さく頷いた。そしてまた静かに自分の席に戻り、まるで何事もなかったように、再び本のページに視線を落とす。一連の動作には一言の会話もなかった。 ただ……去り際に一瞬だけ向けられた彼の眼差しが、いつもより少しだけ優しかったような気がした。 ◇  メンバー発表が終わって、美桜はまだ呆然としていた。  大きなプロジェクトのリーダーに、主任に過ぎない自分が抜擢されたこと。  かつての同級生が取引先の社長となって、彼女の前に現れたこと。 急に降り掛かった様々な情報を処理しきれずにいたが、ふと視線を感じて顔を上げた。  視線は三つ。どれもがそれぞれに独自の色彩を帯びていた。 一つは信じられないものを見る目で、わなわなと拳を震わせる翔からのもの。リーダーの座を奪われ、自分が捨てた女の下で働くという屈辱。彼の目に浮かぶのは嫉妬の域を超えて、純粋な憎悪の炎だった。 もう一つは、壇上の蒼也からのもの。彼は無表情の仮面を一枚剥がして、美桜にだけ気づくようにほんのわずかに口元を綻ばせていた。再会を喜ぶ笑みだった。 そして最後の一つは、隣にいる陽斗からのもの。彼は美桜と蒼也の間に流れる微かな空気を
last updateLast Updated : 2025-10-11
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