All Chapters of ワンナイトから始まる隠れ御曹司のひたむきな求愛: Chapter 51 - Chapter 60

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52:再会

 週明け早々になると、プロジェクトの第一回公式キックオフミーティングが開かれた。ガラス張りのモダンな会議室には、三ツ星商事側のメンバーと、パートナー企業である「キサラギ・イノベーションズ」の精鋭たちが集まっている。 リーダー席に座る美桜は、責任の重さに押しつぶされそうになりながらも、背筋を伸ばした。隣でサブリーダーの陽斗が、落ち着いた様子で資料に目を通していることが、彼女の唯一の支えだった。一方で末席に座る翔と玲奈は、明らかに不機嫌なオーラを放っている。 会議室の空気は、期待と緊張で張り詰めていた。リーダー席に座る美桜は静かに息を吸い込むと、凛とした声で口を開いた。「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。本プロジェクトのリーダーを拝命いたしました、営業企画部の高梨です。それでは、早速ですが、プロジェクトの全体像について、基本方針を共有させていただきます」 彼女の声には、以前のような控えめな様子はない。膨大な資料を完璧に頭に叩き込み自分の言葉で再構築した、自信に満ちた響きがあった。 美桜は複雑なプロジェクトのロードマップを、驚くほど分かりやすく論理的に説明していく。技術的な側面、市場のポテンシャル、そして潜在的なリスク。その全てが緻密なデータによって裏付けられていた。 議論が各部署の役割分担という、最も揉めやすい議題に移った時だった。案の定、営業部の翔が腕を組んで横槍を入れてきた。「異議あり。そのタスクの割り振りでは、我々営業部の負担が大きすぎる。第一線で数字を作るのは俺たちなんだ。もっとリソースを割いてもらわないと、現場が回らない」 その言葉に、他の部署からも「うちもそうだ」「人員が足りない」といった不満の声が上がり始める。会議室が不穏な空気に包まれかけた、その時のこと。 陽斗が口を開いた。挙手も何もない発言だったが、実に完璧なタイミングである。「皆様、お手元のタブレットの15ページをご覧ください。そこに各部署の現状のタスク量と、本プロジェクトで発生するタスクの予測所要時間を、過去5年間の類似案件のデータに基づいてグラフ化したものを追加しておきました」 社員たちが慌ててタブレ
last updateLast Updated : 2025-10-11
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「ご覧の通り、高梨リーダーのタスク割り振り案は、各部署の負荷を最も効率的に分散させるための現時点での最適解です。もちろん今後状況に応じて、リーダーの判断で柔軟に見直していくことになりますが」 陽斗の言葉はただのサポートではない。美桜の決定が感情論ではなく、客観的なデータに基づいた最も合理的な判断であることを、誰にも反論できない形で証明してみせたのだ。  翔はぐっと言葉に詰まり、他の社員たちは納得したように頷いた。 美桜は隣の陽斗にだけ聞こえる声で「ありがとう」と囁くと、再び正面を向いて凛とした声で続けた。「それでは、次の議題に移ります」 完璧な連携プレーは、彼らが最高のビジネスパートナーであること、会議室の全員に知らしめるのに十分だった。 翔と玲奈は憎々しげな顔で黙るしかなかった。 ◇  さらに会議は進んでいく。  議論が核心であるシステムの仕様に及んだ時、それまで黙って話を聞いていた蒼也が、初めて口を開いた。「高梨リーダーの案は素晴らしい」 彼はまず、美桜が提示した基本設計を褒めた。「だが、この部分の拡張性を考慮すると、別のシステム設計も考えられる」 その上で、こう指摘を入れた。その指摘は鋭く専門的で、並の技術者のものではない。 三ツ星商事の面々もキサラギ・イノベーションズのメンバーたちも、思わず唸っている。「高梨さんの分析は素晴らしい。だが、ポテンシャルを最大限に引き出すなら、僕のやり方の方が合理的です。どうでしょうか?」「……! なるほど。その視点はなかったわ」 美桜と蒼也の間で、専門用語が飛び交うハイレベルな議論が始まる。陽斗はその様子を穏やかな笑みを浮かべて見守っている。  だが陽斗の笑顔の奥では、蒼也の高い能力と、彼が美桜に向ける「同レベルの人間」としての視線に、焦りと嫉妬の入り混じった感情が渦巻いている。  そうと自覚して、陽斗は苦々しい思いに駆られた。(俺は先輩を守ってあげたかった。でも先輩は、ただ守られて満足するよううな女性じゃなか
last updateLast Updated : 2025-10-12
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 会議が終わって、各々が席を立つ。蒼也が美桜と陽斗の元へ、まっすぐにやってきた。「高梨さん。今日の会議は素晴らしかった。だが、話はまだ尽きないようだね」 クールな表情のまま彼は言った。「今夜、今後の戦略について、僕と二人きりで食事でもしながら、じっくり話さないか? 君の考えを、ぜひ聞きたい」「え、それは……」 業務上の提案を装っているが、明らかにデートの誘いである。  しかし蒼也は三ツ星商事の重要な協業先であり、今回のプロジェクトの成否を握っている。そう簡単に断れるものではない。 美桜が返答に窮し、陽斗が何かを言いかける前に、蒼也は「7時にロビーで待っている」とだけ言い残して、部下を連れて颯爽と去っていった。 後に残されたのは、蒼也の強引ながらも魅力あるやり方に戸惑う美桜と、静かに拳を握りしめる陽斗だった。  美桜はため息をついた。「ごめんね、陽斗君。如月社長は、実は、高校時代の同級生なの。それで懐かしくなって、あんな言い方をしたんだと思うけど……」 陽斗はいよいよ焦りを感じる。彼にはない蒼也の「大人の男」としての余裕と、美桜との間にあったはずの特別な距離に、踏み込まれたと感じて。(同級生だって? 何なんだ、あいつ。クソ、俺としたことがこんな気持ちになるなんて) 恋の三角関係が始まろうとしていた。 ◇  蒼也が去った後、会議室の出口で美桜と陽斗は立ち尽くしていた。陽斗は普段の彼からは想像もつかないほど、固い表情で黙り込んでいる。(どうしたんだろう、陽斗君。さっきからすごく不機嫌そう……。蒼也君の指摘が的確すぎたから、サブリーダーとしてプライドが傷ついたのかしら? それとも私が強引に誘われたから、心配してくれてるの……?) 美桜は陽斗が見せた鋭い光が、蒼也に向けられた『嫉妬』であるとは、まだ理解できていなかった。ただ陽斗の見たことのない表情に、戸惑うばかりでいる。 やがて陽斗が努めて冷静な声で口を開いた。「仕事の話なんですか
last updateLast Updated : 2025-10-12
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55:ディナーの駆け引き

 夜7時。美桜は指定されたホテルの最上階にある、夜景が美しいレストランへと向かった。  蒼也が予約したレストランは、彼のスマートな雰囲気に違わず洗練された空間である。食事が始まる前の少し緊張した沈黙を破ったのは、蒼也の方だった。「思い出したんだけど、高梨さん。覚えてるかな。高校二年生の時の文化祭のこと」「文化祭? 私たちのクラス、確か、お化け屋敷をやったよね?」 懐かしい思い出に、美桜は微笑んだ。「そう。その準備で、君が実行委員だったよね。全然仕事をしない男子連中を見事にまとめ上げていたのを、僕は見ていたんだ。君が作ったシフト表と作業マニュアル、完璧だったよ。おかげで僕みたいな非協力的な生徒ですら、ちゃんと働かざるを得なかった。……最初僕は、文化祭を馬鹿にしていた。だが君の手で『クラスの仲間』に引っ張り込まれて、みなで協力して何かを作り上げる楽しさを学んだ。おかげで今、こうして会社を立ち上げられた」 蒼也はクールな表情を少しだけ崩して、いたずらっぽく笑う。美桜は、彼がそんな昔のことまで覚えていることに驚いた。自分の仕事ぶりを当時から見ていてくれたことに、少しだけくすぐったい気持ちになる。「そんなことあったかしら。如月君こそいつも一人で本を読んでいて、何を考えているのか誰も分からなかったわ。……あ、ごめんなさい。『如月君』だなんて。今は社長なのに」「君付けで呼んでくれて構わないよ。高校時代は、あまり周囲に打ち解けていなかったのは、本当だ。……でも、君のことは、いつも見ていたよ」 その言葉はまるで告白のよう。美桜はドキリとして、思わずグラスに手を伸ばした。 思い出話で空気が和んだところで、蒼也はビジネスマンの顔に戻った。「今日の君のプレゼンを聞いて、あの頃を思い出したんだ。君の分析は、相変わらず緻密で正確だ。だが一つだけ、僕には懸念がある」「懸念……?」「今回のAIシステムは、三ツ星商事の古い物流インフラに、僕たちの新しい技術を『接続』させるプロジェクトだ。君のプランは、今のインフラを前提に、完璧に最適化されている。だが5年後、10年後、インフラそのものが時代遅れに
last updateLast Updated : 2025-10-13
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 美桜は指摘に背筋が伸びる思いだった。自分の考えを自分の言葉で、懸命にぶつける。「おっしゃる通りです。ですが、まずは既存インフラとの連携で早期に結果を出し、社内の抵抗勢力を納得させることが第一フェーズだと考えています。そして、その成功を元に得た予算と信頼で、第二フェーズとして、インフラ自体の刷新を会社に提案する。……そのための布石が、今回のプランです」 美桜がそう言い切ると、蒼也は初めて心の底から感心したような、満足げな笑みを浮かべた。「……なるほどな。そこまで考えていたとは。やはり君は、僕が思った通りの、いや、それ以上の女性だ」 ◇  食事が運ばれてきて、二人は会話を続けた。  そんな中、蒼也はふとした調子で口を開いた。「高梨さん。君は知らなかっただろうけど、高校時代、僕は君が好きだった。告白する勇気もなく遠くから眺めているだけの、臆病者だったがね」「え……?」「でも今は違う。仕事で君と組むと分かってから、色々と調べさせてもらった。君があの会社で、どんな扱いを受けてきたかも含めてね。優しくてしっかり者の憧れの君が、あの頃と何も変わらない――いや、大人の女性として成長していると知って、昔の気持ちが蘇ったんだ」 彼の突然の告白に、美桜は言葉を失う。「今日、君と話して確信したよ。僕は君が好きだ」 蒼也は続ける。「君ほどの才能があんな会社で、あんな男のために埋もれているのは、社会的な損失だと僕は思う」 蒼也は美桜が翔に使い潰されていたのを知っていた。「翔のことなら、きちんと別れたわ。陽斗君に助けてもらって、今は充実しているの」「そうか。でもそれは、当たり前の状態に戻っただけだよ。これまでがおかしかったのだから」 彼はまるでチェスで王手をかけるかのように、最後の一枚のカードを切った。「高梨さん。もし今の環境が窮屈なら、うちに来ないか? 役員待遇で君を迎える。君が本当にやりたいことを、僕の隣でやってみないか?」 蒼也の言葉は、単なる口説き文句ではない。彼女の
last updateLast Updated : 2025-10-13
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57:揺れる心

 蒼也とのディナーを終えて、美桜は一人暮らしのアパートに帰宅した。部屋で一人になると、蒼也に言われた言葉が何度も頭の中で響いてくる。『役員待遇で君を迎える』『一人の男としても、諦めるつもりはないよ』 自分の価値を初めてこれほど高く評価されて、戸惑ってしまう。正直に言えば、胸が高鳴る部分もあった。 けれど気持ちが高ぶるのと同時に、陽斗の顔が浮かんだ。(陽斗君は私を助けてくれた。あの夜のこともある。あんなに良くしてくれたのに、蒼也君の言葉に揺れるなんて、間違ってる) 美桜は罪悪感に苛まれた。 その時、タイミングを見計らったように、陽斗から電話がかかってきた。 電話に出ると、陽斗の声はいつものように明るかった。だがその裏に隠された緊張と焦りを、美桜は敏感に感じ取ってしまう。「先輩、お疲れ様です。……その、『ビジネスディナー』、終わったんですね」「う、うん。今、帰ってきたところ……」「何か、変なこと、されませんでしたか? あの誘い方、少し強引だなって気になってたんです」 美桜は心配をかけたくない一心で、告白やスカウトの件を隠すことにした。「ううん、何も。本当に、ただ仕事の話をしていただけよ」「そうですか。なら、よかったです」 その嘘を、陽斗はおそらく見抜いている。彼の声は納得したというよりは、何かを諦めたような寂しい響きをしていた。短い会話の後、電話は切れる。 美桜はスマートフォンを握りしめたまま、その場に立ち尽くした。陽斗を裏切ってしまったような罪悪感と、新しい未来への期待。二つの感情が、彼女の心の中で激しくせめぎ合っていた。◇ プロジェクトが中盤に差し掛かった頃、一つの大きな壁にぶつかった。 三ツ星商事の各部署に散らばる、古くて形式もバラバラな膨大な在庫データを、蒼也のAIにどうやって連携させるかという技術的かつ社内政治的な問題だ。会議室には、停滞感と部署間の責任のなすりつけ合いのような不穏な空気が
last updateLast Updated : 2025-10-14
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 彼女はぐるりと会議室を見渡す。誰もが疑念と不満を持った顔だ。リーダーとして解決しなければならない課題だった。「問題の本質は、データの『分断』です。本日の議題は犯人探しではなく、この分断されたデータをいかにして我々のシステムに繋ぐか、その『橋のかけ方』を見つけることです」 美桜は問題を明確に定義する。 何が問題なのか明らかに慣れば、議論を前向きな方向へと持っていける。だがある部署の部長が、腕を組んで反論した。「高梨リーダー、言うのは簡単だが、うちの部署のサーバーは特殊でね。外部のシステムと連携させるなど、セキュリティ規定で認められていない」 その言葉に、他の部署も「うちもだ」「前例がない」声が続いた。再び会議が停滞しかける、その時。「田中部長。おっしゃる通り、原則としてはその通りです。ですが、お手元のタブレットの補足資料3をご覧ください。3年前に社長承認で通った、『基幹システム刷新プロジェクト』の社内規定が残っています。そこには、『次世代のデータ活用を目的とする場合に限り、特例として外部システムとの連携を許可する』という条文がございます。本件は、まさにこの特例に該当します」 陽斗は誰も覚えていないような過去の社内規定を、この会議のために事前に探し出し、準備していたのだ。「こんな規定があったとは……」 社員たちが驚いて資料に目を落としている。 彼のサポートにより、最大の障壁であった「前例がない」という政治的な壁は、いとも簡単に取り払われた。 その瞬間を、蒼也は見逃さなかった。「なるほど。道は拓けた、というわけですね。……ならば、話は早い。皆さん、データを我々のサーバーに『移行』させるから、話が大事になる。発想を逆転させましょう。データを動かすのではなく、僕たちのAIに皆さんのデータを『見に行かせる』のです」 彼は専門的だが誰にでも分かる言葉で続ける。「各部署のサーバーに、僕たちが開発した極小の『翻訳プログラム』を置かせてもらう。それは僕たちのAIが必要な時にだけ、皆さんのデータを翻訳して見せてく
last updateLast Updated : 2025-10-14
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 会議室の空気が、停滞から興奮へと一変した。「これならいけるんじゃないか?」「ああ、前進だ」 美桜は二人の連携に胸が熱くなるのを感じながら、リーダーとして具体的な次のステップへと繋げた。「ありがとうございます、如月社長、一条君。それでは、この方針で進めます。如月社長には『翻訳プログラム』の仕様書作成を。一条君には、社内規定に基づいた各部署との調整を。私は、全体のスケジュールとリスク管理を担当します。皆さん、よろしいですね!」「はい!」 美桜の的確なリーダーシップ、陽斗の完璧なサポート、蒼也の天才的な発想。三つの歯車が完璧に噛み合った瞬間、停滞していたプロジェクトは、再び力強く未来へと動き出した。 チームはこれまで以上の活気に満ちあふれていた。◇ 会議でまたしても主導権を握れなかった翔は、自席に戻ると、忌々しげに舌打ちをした。 美桜、陽斗、蒼也。あの三人が組むと、正攻法や少しの嫌がらせはまるで歯が立たない。(クソ。ちょっとやそっとのやり方じゃ、あいつらには勝てない。特にあの如月とかいう小僧……頭が切れすぎる。だが、どんな会社にも『穴』はあるはずだ) 翔はただ闇雲に不満をぶちまけるのではなく、もっと狡猾な方法へと思考を切り替えた。 このプロジェクトに、会社組織の力を使って「待った」をかけられる人物。新しいものや急進的なものを嫌い、旧来のやり方を重んじる、守旧派の権力者……。 脳内で役員たちの顔を一人ずつ思い浮かべる。社長派閥、改革派閥……。そして一人、最適な人物に行き当たった。(田中取締役。そうだ、あの人だ。あの人は、AIだのDXだの、そういう新しいものが大嫌いな守旧派の筆頭だ。高梨のような若手の女がリーダーというのも、絶対に気に入らないはず) ターゲットは定まった。翔の口元に、歪んだ笑みが浮かぶ。彼はさも重要な仕事が入ったかのように、一つのファイルを手に席を立った。◇
last updateLast Updated : 2025-10-15
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 翔は田中の姿を認めると、今初めて気づいたふりをして、驚いた表情を作って駆け寄った。「あっ、田中取締役! お疲れ様です!」 ビシリと90度のお辞儀をしてみせる。体育会系の田中取締役が好む姿勢だ。「ん? おお、佐伯くんか。どうした?」 いきなり呼び止められて、田中は少しだけ眉をひそめた。「いえ、お引き留めして申し訳ありません。ですが、今、私が参加しておりますAIプロジェクトの件で、どうしても取締役にご相談と、ご報告を差し上げたいことがございまして……」 翔は声を潜めて、真剣で憂いを帯びた表情を作る。会社の未来を本気で心配している、忠実な部下の顔に見えることだろう。翔は演技は得意だった。 ただならぬ様子に、田中取締役は足を止めた。「……なんだ、改まって。分かった、聞こう。少しだけだぞ」 翔は「ありがとうございます」と内心でほくそ笑みながら、再び深々と頭を下げた。 彼の仕掛けた巧妙な罠の第一段階は、成功した。「田中取締役。僭越ながら、申し上げたいことがございます。今進んでいるAIプロジェクトですが、高梨リーダーの進め方は、パートナーである如月社長の言いなりで、あまりに急進的で危険です」 心配する部下のふりをしながら、彼は続けた。「私が諌めようとしても、彼女は聞く耳を持たず……。高梨リーダーはまだ若い。それに女性です。彼女はリーダーという立場に酔っているようにしか、私には見えないのです」 翔の言葉は巧みな嘘と、不安を煽るキーワードで塗り固められていた。会社を憂う忠誠心からの進言であるように、田中の心を揺さぶるように、狡猾に計算されていた。 翔の讒言(ざんげん)を信じ込んだ田中取締役は、「君の言うことが本当なら、看過できんな」と、険しい表情で頷いた。◇ その日の夕方。美桜のPCに、一通のメールが届いた。 差出人は、田中取締役の秘書。 件名は『【至急】AIサプライチェーン・プロジェク
last updateLast Updated : 2025-10-15
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61:凍結

 翌日、美桜は一人で田中取締役の重役室へと向かった。どう考えても良からぬことが起きる。足取りは重かった。 田中の重役室は重厚なマホガニーのテーブルが鎮座する、威圧的な空気が漂う場所である。 部屋の中には田中取締役と、その隣に補佐役のような顔で座る翔だけが待っている。陽斗も蒼也もいない。(あの招集メール、私だけに送られていたのね。CCは翔の名前しかなかった。わざと他の人は外していたんだわ) そうして美桜は悟った。 これは公平な監査などではない。美桜をリーダーの座から引きずり下ろすための、仕組まれた「査問会」、もっと言えば「吊し上げ」なのだと。「――では、始めようか」 会議が始まると、田中取締役は翔が吹き込んだ虚偽の情報を元に、美桜の決定事項を一つ一つ詰問していく。「高梨リーダー。君は、パートナー企業の如月社長の言いなりだと聞いている。彼の急進的な提案を、十分なリスク評価もせずに受け入れているそうじゃないか」「いえ、それは違います。リスクについては、こちらの資料にある通り、三重のセーフティネットを……」「言い訳はいらん!」 田中は美桜が提示したデータには目もくれず、苛立ったようにさえぎった。「私は君のリーダーとしての資質を問うているんだ!」 美桜がどれだけデータとロジックで反論しても、田中取締役は「君は若すぎる」「女性には荷が重いのではないか」「経験が足りない」と、年齢や性別を持ち出して彼女の言葉を封じ込めてくる。「いいえ、どうかお聞きください!」 それでも美桜は諦めずに、反論を続けた。 彼女の的確な反論に、田中が少し心を動かされたように「ふむ……?」と首を傾げたので、翔は顔を歪めた。 しかし彼はすぐに、さも悲しげな、憂いを帯びた表情へと切り替える。田中取締役に、まるで美桜を庇うかのように話しかけた。「田中取締役、お言葉ですが、高梨リーダーのこのプロジェクトに対する情熱は、本物です。私も、それはよく存じ上げております」 翔
last updateLast Updated : 2025-10-16
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