All Chapters of 王子様系御曹司の独占欲に火をつけてしまったようです: Chapter 61 - Chapter 70

94 Chapters

61

 インペリアル・クラウン・ホテルの最上階、役員会議室。 湊さんからの連絡を受けて、私は一人でその場所へと向かった。 案内された部屋の扉は、重厚なマホガニーでできていた。ノックをする指先が、わずかに冷たい。 部屋の中央には、黒曜石のように磨き上げられた長大なテーブルが鎮座していた。 その席にはすでに、黒瀬社長、柳専務をはじめとする、ホテルの最高幹部たちが顔を揃えている。 私が部屋に入っても、誰一人、挨拶の言葉を口にする者はいなかった。 ただ法廷に立つ罪人を検分するような、冷たい視線だけが私に注がれる。 湊さんも役員の一人として、テーブルの向こう側に座っていた。 私が部屋に入ってきた時、彼は一度視線を上げただけだった。 その表情からは、何も読み取れない。 この部屋の中で、私は完全に一人だった。◇ 会議の口火を切ったのは、黒瀬社長だった。 彼の声は感情を一切排した、事務的な響きを持っていた。「今回の盗用疑惑が、我々のブランドイメージと、プロジェクト全体にどれほど深刻なダメージを与える可能性があるか。まずは、その点を共有したい」 社長の言葉を合図に、部屋の巨大なスクリーンに光が灯る。私のデザインと、告発の根拠となっている学生のデザインが、並べて映し出された。 言い逃れのできないほどの酷似が、改めて突きつけられる。 部屋の空気がさらに重くなった気がした。 社長は私に向き直る。「相沢さん。これは、極めて深刻な事態だ。弁明を聞こう」 喉がカラカラに乾いている。私は唾を飲み込んで、口を開いた。「存じません。この学生のデザインは、この記事で初めて見ました。私のデザインは、全て私自身のアイデアです」 やっと出た声は、自分でも驚くほど小さく頼りなかった。 私の言葉が誰の心にも届いていないのは、明らかだ。 テーブルの端に座っていた役員の一人が、ため息混じりに言った。「本当に記憶にないのですか? アシスタントが持って
last updateLast Updated : 2025-10-20
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62:彼の答え

 湊さんが口を開いた。「異論しかありません」 その声は大きくはなかった。だがその一言で、会議室の空気が変わった。 それまで私を値踏みするように見ていた役員たちが、皆、湊さんを注視している。 彼は私ではなく、スクリーンに映る二つのデザイン画を指し示した。「父さん、役員の皆さん。あなた方は、この二つのデザインが『似ている』という一点のみで、判断を下そうとしている。……ですが本当に見るべきなのは、そこではない」 彼は立ち上がり、部屋の中を歩き始めた。「なぜこのタイミングで、このような無名の学生の、しかも数年前のデザインが、これ見よがしに世に出たのか。なぜそれを報じたのが、よりにもよってライバルホテルと懇意にしている評論家だったのか」 湊さんは役員一人ひとりの顔を、見つめて言った。「これは偶然起きた不祥事などではない。我々のプロジェクトを潰すために極めて悪意をもって仕組まれた、外部からの『攻撃』です」◇ 湊さんの指摘に、会議室の空気が一変した。「相沢夏帆の査問会」から「ホテルが受けた攻撃への対策会議」へと、議題そのものが覆されたのである。 彼は私の隣まで来ると、肩に手を置いた。「僕は数ヶ月、彼女と共に仕事をしてきました。彼女のデザインへの情熱も、その誠実さも、誰よりも知っているつもりです」 湊さんは柳専務をまっすぐに見据えた。「ミリ単位の光の『冷たさ』に納得できず、会社に逆らってまで、たった一人で職人の元へ乗り込む。そんなデザイナーが盗用などという、魂のない行為に手を染めるはずがない」 彼は父である黒瀬社長に向き直り、宣言した。「僕は彼女の言葉を、ほんのわずかたりとも疑っていません」◇「では、どうすると言うのだ」 黒瀬社長が苦々しい表情で問う。 湊さんは待っていましたとばかりに、反撃のシナリオを提示した。「こうしましょう。第一に我が社の法務部を通じて、
last updateLast Updated : 2025-10-21
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 会議は湊さんが完全に主導権を握る形で、散会となった。 黒瀬社長も柳専務も、最後まで何も言えなかった。 私はあまりの急展開に、まだ席を立つことができずにいた。 二人きりになった会議室で、湊さんが私の前で頭を下げた。「申し訳ありませんでした」「え?」「ほんの一瞬でもあなたを一人で、あの場所に立たせてしまったこと。僕がもっと早く、動くべきだった」 彼の声は、後悔に歪んでいた。 彼は私の潔白を、最初から一度も疑っていなかったのだ。涙がこぼれそうになる。「覚えておいてください」 彼は私の前に膝をついて、微笑んだ。涙のにじんだ目尻に指を当てて、ぬぐってくれる。「僕は何があっても、あなたの味方です。何があっても、あなたを守り抜きますから」『あなたを守り抜きますから』 湊さんの言葉は、私の心の中で何度も響いていた。 ◇ 【湊視点】 役員会議の翌朝、僕は自らの執務室のデスクで、いつもと同じように座っていた。 目の前には秘書と法務部の責任者が立っている。「ヨーロッパのデザインコンペの主催者に連絡を。例の学生、マルク・リシャール君と、どんな手段を使ってもコンタクトを取りたい。費用は問いません」 僕はもう一つ指示を出す。「評論家の西園寺氏と、ライバルホテルの佐藤氏。この二人の、ここ数ヶ月の金の流れを徹底的に洗ってください」 秘書と法務部の責任者が頷いたので、さらに追加をする。「法務部長には、今回の件、名誉毀損と営業妨害で訴訟の準備を。相手方が事実を認めた場合、我々が提示する条件は一つだけだ。公の場での、相沢夏帆氏に対する謝罪広告。それ以外に、和解の道はない」 夏帆さんの盗作疑惑が持ち上がってから、僕はずっと考えていた。 彼女が盗作するなどあり得ない。では、この騒ぎは何なのか? と。 原因はすぐに分かった。佐藤とライバルホテルによる妨害行為だ。 だ
last updateLast Updated : 2025-10-21
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【夏帆視点】 重い足取りで事務所に出勤すると、社内の空気は昨日よりもさらに冷たく、重苦くなっていた。 同僚たちは私の顔をまともに見ることができず、気まずそうに視線を逸らす。「相沢さん。来てくれる?」 所長が、私を所長室に呼んだ。「黒瀬様から連絡があったわ。あなたはこのまま、プロジェクトの担当を続けるように、と。……でも、もし疑惑が晴れなかった場合、うちの事務所がどうなるか、あなたも分かっているわね?」 所長は、私を信じたい気持ちと、会社を守らなければならないという立場の間で揺れている。 いっそ疑って切り捨ててくれた方が、気が楽だったかもしれない。 宙ぶらりんの状態が、私をかえって孤独に追い込んだ。◇ それから数日後。 私は、インペリアル・クラウン・ホテルの特別応接室にいた。 湊さんのセッティングで、盗用されたとされるデザインの作者、マルク君とのビデオ会議が行われることになったのだ。 モニターに映るマルク君はまだ学生の面影を残す、気弱そうな青年だった。 彼はおどおどしながら、事の経緯を語り始めた。マルク君はドイツ人だったが、ほとんど違和感のない日本語を話していた。 確認のためにこのビデオチャットを録画していることを伝えてから、話を聞く。「僕のデザインコンペ受賞は本当です。ただ、あのコンペはとても小規模なもので、受賞作を含めた応募作の詳細なデータは、外部に一度も公開されていません」「なるほど。続けてください」 湊さんが微笑みを浮かべて言うと、マルク君は少し安心したようだった。「僕は卒業後、日本で仕事がしたくて。日本の伝統美を尊敬しているんです。そのために日本語も勉強しました。それで日本のデザイン事務所に何社か、ポートフォリオを送りました」 ポートフォリオとは、自分の実績をまとめたレポートだ。デザイン関係の仕事であれば、コンペの受賞歴や今までの仕事の実績などを載せる。 湊さんが言った。「送り先の中
last updateLast Updated : 2025-10-22
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 会議が終わり、応接室には私と湊さんの二人だけが残った。 私の盗作疑惑は晴れた。全身から力が抜けていくような、深い安堵感。 でもそれと同時に本当の黒幕を逃してしまった悔しさが、胸の中に広がっていた。「ありがとうございました」 やっとの思いで絞り出した声に、湊さんは静かに首を振った。「僕がしたかったのは、真実を明らかにすることだけです。それから僕が信じた人が、誰にも傷つけられないようにすること。ただ、それだけですよ」 私は彼をじっと見つめた。どこまでも誠実な言葉が胸に響く。 すとん、と。自分の中に一つの答えが落ちてきた。 ――ああ、私、この人が好きなんだ。 その自覚は驚くほどすんなりと私の中に馴染んでいく。この気持ちはもうずっと前から、私の中にあったのだ。 でも同時に、罪悪感がささやかな幸福感を一瞬で塗りつぶしていった。(圭介と同じことをした私が、この人の隣に立つ資格なんて、ない) 湊さんへの想いが本物であればあるほど。 このプロジェクトを最高の形で成功させること。 それが彼にできる私の唯一の償いであり、最後の別れの挨拶になるのだろう。 私はそう、心に決めた。 ◇  あの日、湊さんが「反撃を開始します」と宣言してから、事態は非常に速く動いていった。 たったの数日で、評論家・西園寺氏が自身の運営するウェブマガジンのトップページに、『記事の誤報に関するお詫びと訂正』と題した、自身の署名入りの謝罪文を掲載したのだ。 画面をスクロールする。するとそこには、これまでの彼の尊大な文体とは似ても似つかぬ、淡々とした事務的な言葉が並んでいた。『先日掲載いたしました、インペリアル・クラウン・ホテルズ社の新スイートルームに関する記事において、デザイナー相沢夏帆氏の盗用疑惑を指摘いたしましたが、その後の調査により、私の完全な事実誤認であったことが判明いたしました。根拠の薄い情報源を鵜呑みにし、十分な裏付け取材を怠った結果、相沢氏、及び関係者の皆様の名
last updateLast Updated : 2025-10-22
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66:きらびやかな世界の片隅で

 さらに別の日の午後、所長がいかにも高価そうな封筒を手に、興奮した様子で私のデスクへやってきた。「見て、相沢さん! インペリアル・クラウン・ホテルズからよ!」 手渡されたのは、年に一度開催されるという、業界関係者向けの祝賀パーティーへの招待状だった。『相沢夏帆』 そこにはっきりと、私の名前が記されている。「黒瀬様から、今回のプロジェクトの顔であるあなたに、ぜひご出席いただきたいと、直々のご指名よ。デザイナーとして、これ以上の名誉はないわ!」 所長は手放しで喜んでいる。 けれど私の心は、喜びよりも重たい不安で沈んでいった。 あの黒瀬社長夫妻や、業界の有力者たちが一堂に会する華やかな場所。 いくら疑惑が晴れたとはいえ、スキャンダルの後で私が好奇の目に晒されることは、想像に難くない。(またあの値踏みするような視線の中に、身を置かなければならないの?) とても気が重かった。◇ 結局断り切れずに、私はパーティーに出席することになった。 会場となったのは、インペリアル・クラウン・ホテルの最も大きな宴会場「鳳凰の間」。 湊さんが手配してくれた深い青のドレスは、私を守る鎧のようにも感じられた。 彼のエスコートで会場に足を踏み入れると、鳳凰の間の豪華できらびやかな室内が目に飛び込んできた。。 天井では巨大なシャンデリアが輝き、オーケストラの生演奏が心地よく空間を満たしている。 たくさんのVIPたちのざわめきが部屋に響いていた。「夏帆さん。少しご挨拶に回りましょう」 湊さんは私の緊張を和らげるように、優しく腰に手を添えた。 彼が私を導いた先には、白髪を上品に撫でつけた初老の紳士が立っていた。日本の建築界の第一人者として知られる、大河原先生だった。「大河原先生、ご無沙汰しております。今夜はお越しいただき、ありがとうございます」「おお、湊君か。君が副社長になってから、ますますホテルの評判がいいと聞いているよ」 大河
last updateLast Updated : 2025-10-23
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 湊さんは言葉を続けた。「彼女は今回のプロジェクトで『記憶に残る空間』をテーマに掲げています。ただ豪華なだけではない、お客様の人生の時間に寄り添う、温もりのある空間を……と。先日、彼女が選んだアンティークチェアが現場に届いたのですが、その椅子が一つあるだけで、部屋の空気が、まるで長年誰かが大切に住んでいたかのように、深みを増したんです」 それは、ただ私を褒める言葉ではなかった。 私のデザインの最も大切にしている部分を、彼がきちんと理解して代弁してくれている。 大河原先生の私を見る目が、少しずつ変わっていくのが分かった。 品定めをするような鋭さが消えて、純粋な興味と探るような光が宿っていく。「黒瀬君がそこまで言うのなら、よほどの才能なのだろうな。完成を楽しみにしているよ、相沢さん」 先生が初めて、私をデザイナーとして認める言葉をくれた。 湊さんはそれからも、業界の重鎮に私を紹介してくれた。 彼の言葉のおかげで、私に向けられる視線が単なる好奇から、尊敬と興味の色へと変わっていくのが、肌で感じられた。 しかし輪から少し離れた場所で、黒瀬社長夫妻が冷たい査定するような目でこちらを見ていることに、私は気づいていた。 そして、そのさらに奥。 グラスを片手に、蛇のような笑みを浮かべてこちらを見つめる、グラン・レジス東京の佐藤の姿を、私は見つけてしまった。◇「少し父に呼ばれています。すぐに戻りますから」「はい。いってらっしゃい」 湊さんが申し訳なさそうに、私のそばを離れた。 私が一人になった瞬間を、佐藤は見逃さなかった。 彼は人の良さそうな笑みを浮かべて、私に近づいてくる。「いやあ、相沢先生。先日は大変でしたな。あらぬ疑いをかけられて。しかし、さすがは黒瀬様。あっという間に火消しとは、見事な手腕だ」 私の潔白ではなく湊さんの力を称賛することで、遠回しに私を貶めている。(よく言うわ、自分から仕掛けておいて)
last updateLast Updated : 2025-10-23
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「お話の途中、失礼」 その声に編集者の肩がびくりと跳ねた。 いつの間にか、湊さんが私たちの背後に立っている。 彼は私の腰に優しく手を添える。「彼女のデザインに関するお話なら、私もぜひお聞かせ願いたいのですが」 湊さんは編集者に笑顔を向けた。「ですが彼女のプライベートは、我々のプロジェクトとは一切関係ありません。何より僕の大切なパートナーの時間を、根も葉もないゴシップで無駄にするのは、感心しませんね」 その目は一切笑っていなかった。 編集者は気圧されて、すごすごと退散していく。 湊さんは最後に、顔が引きつっている佐藤にだけ聞こえる声で、冷たく言った。「佐藤さん。あなたもあまり私のパートナーを、煩わせないでいただきたい。彼女の時間は貴重なものですから」 多くのゲストが見ている前で、佐藤は公然と恥をかいた。彼の顔は屈辱に赤く染まっている。 彼が何か言い返そうとする前に、湊さんはその場の有力者たち……先ほど私と話した建築家の大河原先生らに向き直り、申し訳なさそうに、だがよく通る声で言った。「皆様、お見苦しいところをお見せしました。どうもグラン・レジス東京の佐藤さんは、我々のプロジェクトに大変なご興味をお持ちのようで」 その言葉は明らかに、その場にいる全員に向けられている。 注目が集まる中、湊さんは今度は心配そうな表情を作って佐藤を見つめた。「そうだ、佐藤さん。だからこそ、僕は心配しているんですよ」「……何がですか、黒瀬副社長」 佐藤が敵意と警戒の眼差しで答える。「いえね、最近、あまり良くない噂を耳にしまして」 湊さんはさも心配している、という口調で続けた。 王子様のように整った顔立ちだけに、説得力が増している。「ベイエリアで進めているという、グラン・レジスさんの新しいリゾート開発。あそこの土地の買収を巡って、地権者の方々と、少々強引な交渉があったとか。あれは佐藤専務の担当でしたね。もちろ
last updateLast Updated : 2025-10-24
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69:王子様の守護

 湊さんの介入で、佐藤と編集者はその場を立ち去った。 悪意の嵐は一時的に過ぎ去ったけれど、それだけでは終わらない。私たちの周りだけ、それまでの喧騒が嘘のように、会話のボリュームが一段低くなっていることに気づいた。 誰もこちらをまっすぐには見ていない。 でもグラスを口に運びながら、あるいは隣の人物と当たり障りのない会話を交わしながら、視線だけが値踏みするように私たちに向けられているのが分かった。 シャンパングラスで巧みに口元を隠し、ひそひそと何かを囁き合っているご夫人たち。 遠くのテーブルから、スマートフォンをさりげなくこちらに向けている若い男性もいる。 自分が値札をつけられた商品にでもなったような、居心地の悪さを感じる。 湊さんも気づいているだろうに、何事もなかったかのように、私の手を取って別の場所へとエスコートしてくれた。「少し気分を変えましょう。あんな輩のせいで、あなたの時間を無駄にするのは惜しい」 それ以来、彼は終始私のそばを離れようとしなかった。 誰かが挨拶に来れば私を先に立たせて、会話が途切れないように巧みに言葉を挟む。 グラスが空になれば、さりげなくボーイを呼んで新しいものを持ってきてくれる。 完璧な「盾」であり「守護者」だった。 でも、彼の守りが強ければ強いほど、私は自分が何もできない無力な存在であるように感じてしまう。息苦しさを覚えていた。(守られている。でもこれは、私の力じゃない。私はただ彼の隣で、微笑んでいるだけの人形になったみたい)◇ このままではいけない。 湊さんに守られてばかりでは、私は私のままでいられなくなる。 私は自分の力で、この状況を打開しようと決めた。 湊さんが、旧知の有力者らしい初老の紳士と話し込んでいる。今だ。 私はそっとその場を離れると、別の建築家やデザイナーが集まっているグループに、名刺入れを手に向かっていった。 この場には普段会えないような大物たちが勢揃いしている。ぜひとも顔をつないでおきたい。
last updateLast Updated : 2025-10-24
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70

 打ちひしがれる私の元に、湊さんが戻ってきた。「相沢さん、ここにいましたか。……どうしました?」「いえ。何でもありません」 彼は私の様子からすべてを察したようだったが、何も言わない。 ただ「少し、風にあたりませんか。ご紹介したい方々がいるんです」と言って、私をテラス席へと誘った。 ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よい。 テラスの一角には数名の男女が集まって、静かにグラスを傾けていた。 その中心にいるのは、白髪を後ろに撫でつけた痩身の老人。日本の建築界を牽引してきた大御所の建築家、片桐先生だった。その隣では、若いが辛辣な批評で知られる女性評論家が、面白くなさそうに腕を組んでいる。 向こう側にいるのは、日本でも有数のデザイナーだ。 彼らは会場のゴシップには一切興味を示さず、建物の意匠や照明の配置について、専門的な議論を交わしていた。 湊さんが私を伴ってその輪に加わる。「先生方、ご紹介します。今回のプロジェクトのデザイナー、相沢夏帆さんです」 値踏みするような鋭い視線が、一斉に私に注がれた。 特に片桐先生の目は、私の内面までを見透かすように深くて厳しかった。「ほう。君が、湊君の肝いりの」 先生はワイングラスを回しながら、言った。湊さんは頷く。「今回のプロジェクトで、私が最も感銘を受けたのは、相沢さんの『時間』に対する哲学なんです」「では、相沢さん。単刀直入に聞こう。君のデザインは、インペリアル・クラウンという『伝統』と、どう向き合うつもりかい?」 それは私のデザイナーとしての覚悟を問う、本質を突いた質問だった。 湊さんはただ黙って私を見ている。私自身の言葉を待っている。 私は一度、深く息を吸った。 それから自分のデザイン哲学について、語り始めた。 アンティークチェアが持つ時間の重み、『光の心臓』が照らし出す、人の心の温もり。それらの事々を。 最初は戸惑いがあったけれど、、デザインの話になると自然と、言葉に熱
last updateLast Updated : 2025-10-25
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