All Chapters of 王子様系御曹司の独占欲に火をつけてしまったようです: Chapter 71 - Chapter 80

94 Chapters

71

 私の言葉に、彼らはただ静かに耳を傾けていた。 やがて片桐先生が、ふっと厳しい口元を緩めた。「なるほどな。黒瀬君が君に賭けた理由が、少し分かった気がするよ」 彼らの目が、好奇から純粋な尊敬の色へと変わっていく。 私は自分の言葉で、自分の力で、目の前の人々の心を動かしたことに、手応えを感じていた。 湊さんはただ誇らしげに、優しく、その様子を見守っていた。 ◇  インペリアル・クラウン・ホテルで行われている、パーティーの終盤。 私たちがテラスから会場に戻ると、明らかに部屋の空気が変わっていることに気づいた。 それまで私を遠巻きに見ていた人々が、今は尊敬と少しの興奮が混じったような、熱っぽい視線をこちらに向けている。(どうしたのかしら……。あ、あれは) テラスで私と話した建築家たちが、それぞれの輪に戻って私のデザイン哲学について語ってくれているのだ。 先ほどまで私を値踏みするように見ていた別のデザイナーが、名刺を持ってこちらへ近づいてきた。「相沢先生、素晴らしいお話を伺いました。ぜひ、今度ゆっくりお話をさせてください」 すると輪の中心にいた建築界の大御所、片桐先生が私たちの会話に割って入るように言った。「君たち、彼女のデザインの本当の価値が分かるかい? 彼女が作ろうとしているのは、ただの豪華な箱ではない。人が、その中で豊かな時間を過ごすための『舞台』なのだ。最近の見栄えだけのデザインとは、魂が違う。私も大いに感銘を受けた」 彼の言葉は会場の隅々まで、確かに響き渡った。 佐藤が撒いた悪意の種は、本物を見抜くプロフェッショナルたちの言葉によって、完全にその力を失っていた。 見れば佐藤は、公然と恥をかいたために今は会場の隅で小さくなっている。 彼は私の評判が逆転したために、さらに居場所をなくしているようだ。もう誰も佐藤を見ようとしないし、相手にしていない。 少しだけ胸がすっとした。 私はようやく
last updateLast Updated : 2025-10-25
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 華やかで過酷だったパーティーが終わった。私たちは帰路についていた。 車のシートに深く身を沈めると、緊張の糸が切れた体はずっしりと重い。 車窓に流れていく夜景を眺めながら、私は助手席で黙り込んでいた。「大丈夫ですか? 疲れたでしょう」 湊さんが心配そうに声をかけてくれる。(湊さんは、いつも私を気遣ってくれる。優しくしてくれる) 私はしばらくためらった後、正直な気持ちを言ってみることにした。「ありがとうございました。湊さんがいなければ、私は、きっと潰れていました」 まずは感謝を。心の底からの、本当の気持ちだ。「でも…」 私は言葉を続けた。「すごく、無力でした。あなたの力なしでは、私はあの世界で、自分の言葉を届けることすらできない。それが悔しくて……情けなかったんです」 守られて安心する。 でも自分が彼に付属するだけの、ただの飾りになってしまうのが怖い。 守られていなければ何もできない、お人形にはなりたくない。 それは私の魂の叫びだった。◇ 私の告白を、湊さんは真剣な表情で聞いていた。 やがて彼は静かに答えた。「あなたの気持ちを、傷つけてしまっていたのなら、謝ります。ですが僕の意図は、少し違う」 彼は慎重な口調で続けた。「僕がしたかったのは、あなたを無力にすることじゃない。悪意という雑音で、あなたの声が掻き消されてしまうのが、許せなかっただけです。僕が作った静寂の中で、あなたの言葉を、あなたの本当の力を、彼らに届けたかった」 そうして湊さんは微笑んだ。私を励ますように。「テラスであの建築家たちの心を動かしたのは、僕の力じゃない。全てあなた自身の力です」 彼は私の強さを心の底から信じて、尊重してくれていた。 その事実に、私がずっと固く握りしめていた拳から、すっと力が抜けていくのを感じる。 湊さんの言葉は、私の心に染み込んでい
last updateLast Updated : 2025-10-26
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73:公園デート

 祝賀パーティーでの一件から、数日が過ぎた。  私の周りの空気は落ち着きを取り戻したけれど、私の心はずっと重かった。  仕事に集中しようとしても、ふとした瞬間にパーティーでの出来事や湊さんの固い覚悟を思い出し、物思いに耽ってしまう。  集中力を欠いてばかりで、ケアレスミスを起こしてしまった。 最近、こういうことが増えている。どうにもぼんやりしたり、眠気がやけに強かったり。  色々な事が起きたから、疲れているのだと思うが……。「相沢さん、大丈夫?」「疲れているんじゃないか?」 同僚たちが心配してくれる。  心遣いはありがたいが、プロジェクトはこれからさらに佳境を迎える。気を引き締めながら、答えた。「大丈夫ですよ」 その日の午後になって、湊さんが定例会議でもないのに、ふらりと事務所に現れた。  彼は私のデスクの前に立つと、私の顔を覗き込んだ。  近い位置にある湊さんの整った顔に、心臓がどきどきとうるさい。 湊さんの形のいい眉がしかめられた。どうやら彼は、私の目の下にあるくまを見つけてしまったようだ。「相沢さん。明日の予定は?」「特にありませんが。溜まった事務作業を片付けようかと」 私がそう答えると、彼は有無を言わせぬ口調で告げた。「明日は、一日、休暇を取ってください。これは、プロジェクトの最高責任者としての、副社長命令です。最高のパフォーマンスのためには、休息もまた、重要な仕事ですから」 私が何か言い返そうとする前に、彼は「これは仕事です」と、いつもの切り札を使った。  それを言われてしまえばなすすべがない。  私は仕方なく頷いて、休暇届を書くことにした。 ◇  翌日、彼が運転する車が向かった先は、千鳥ヶ淵だった。  お堀の水面には、盛りを過ぎた桜の花びらがまるで薄紅色の絨毯のように、一面に浮かんでいる。芽吹き始めた若葉の緑が、目に鮮やかだった。 お掘のほとりのベンチに腰掛けると、湊さんは少し照れたように、手製
last updateLast Updated : 2025-10-27
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「料理は、あまり得意ではなくて」 はにかむ彼の姿は、いつもの完璧な御曹司とはまるで別人だった。「ううん、すごく美味しそうです。ありがとうございます。でも、どうして湊さんが? ホテルのシェフに頼めば、すごいものができたでしょうに」「夏帆さんに作ってもらった生姜焼きが、とても美味しかったものですから。僕も挑戦してみたんです」「それは……嬉しいです。今度は一緒に何か作ってみましょうか」 つい自然に言ってしまって、私は後悔した。湊さんへの恋心は、いずれけじめをつけようと覚悟していたのに。  こんなふうに未来を約束するような言葉を、口にしてしまうなんて。 私の後悔を知る由もなく、湊さんは子供のようにぱっと顔を輝かせた。「本当ですか!? ぜひ! 僕、次はオムライスに挑戦してみたいんです」 その純粋な喜びに、私の胸がちくりと痛む。  これ以上、彼に期待させてはいけない。  私は慌てて話題を変えるように、堀の水面へと視線を移した。「風が、気持ちいいですね」 私たちは他愛もない話をしながら、サンドイッチを頬張った。  堀を渡る風が、彼の髪を優しく揺らしている。水面には散り残った桜の花びらが、きらきらと光っていた。  仕事のことも佐藤のことも、あの夜のことも。今はすべてが遠い世界の出来事のようだった。 食事が終わると、私たちは堀に沿ってゆっくりと歩き始めた。「東京にずっと住んでいますが、こんなふうに、ただ公園を歩くなんて、いつ以来だろう……」 湊さんがどこか眩しそうに、木々の緑を見上げながら呟いた。  そばめられた目の縁の長いまつ毛が、木漏れ日を映してちらちらと瞬いている。 私は彼から目を逸らして言った。「私は逆です。田舎で育ったので、こういう場所に来るとすごく落ち着きます。東京の人混みは、まだ時々怖くなるので」「そうだったんですね。……あなたのデザインが、どこか温かくて懐かしい感じがするのは、そのせいかもしれませんね」 湊さんの言葉に、私は
last updateLast Updated : 2025-10-28
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 そうして彼が手を戻す途中、指先が少し動いて私の頬に触れる。  輪郭を撫でていく指の感触に、心臓がどきどきとうるさいくらいに鳴った。 彼の指先は温かく、乾いていて、……心地よい。  形の良い、でも男らしく骨ばった手が頬を撫でて、離れていった。 あの手。優しくも力強い男性の手。  いつも私を守ってくれる。  そしてあの一夜では、あの手が私の心を満たすと同時に、何もかもを暴き立てた。強がっていた私を慰めて、甘やかして、蕩けさせて。弱い私を見つけてしまった。 彼を満たしてあげたかったけれど、それ以上に私が満たされてしまった。  あの時も、今も。 湊さんの指先から、桜の花びらが飛んでいく。  春の空に吸い込まれて、すぐに見えなくなってしまった。 ◇  その後は彼の提案で、私たちは手漕ぎボートに乗ることになった。  湊さんは自信満々にボートに乗り込んで、オールを握った。「お任せください。あなたを水上の散歩へとエスコートしますよ」 いつもの王子様のような台詞に、私はくすりと笑う。  しかし彼の自信とは裏腹に、ボートはまったく前に進まなかった。 湊さんが右のオールを漕ぐと、ボートは左に。  慌てて左のオールを漕ぐと、今度は右に。  その場で不器用にくるくると回り続けるだけだった。「あれ……?」 片方のオールを水に深く突き刺したかと思えば、もう片方は空を切る。ざあっと大きな水しぶきが上がって、私のワンピースの裾を濡らした。  ボートがゆらゆらと揺れる。「わっ、冷たい!」「す、すみません! どうも、言うことを聞いてくれなくて」 最初はくすくすと忍び笑いをしていた私も、とうとう堪えきれずに声を上げて笑ってしまった。  湊さんも自分の不甲斐なさに観念したように、照れ笑いを浮かべている。「どうやらボートの操縦は、会社の経営より難しいらしい」 素直な白旗宣言に、私はさら
last updateLast Updated : 2025-10-28
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 ボートを降りた後、私たちは公園に併設された小さな美術館を訪れた。  二人並んで、静かに絵画を見て回る。  一枚の風景画の前で偶然、同時に足を止めた。 有名な画家の作品ではない。無名の作家が描いた、ただの田舎の夕暮れの絵だった。 描かれていたのは、収穫を終えた後の水を張った田んぼが広がる、どこにでもあるような風景。  地平線に沈みかけた太陽が空と水面を、燃えるような茜色と黄金色に染め上げている。  小さな農家の屋根やあぜ道に立つ一本の木が、地面に優しい紫色の長い影を落としていた。 ただそれだけの絵。なのに見ていると、不思議と心が落ち着く。  絵全体を包み込むあの夕暮れの光が、まるで温かい記憶を呼び覚ますようだった。「……きれい」 私が呟くと、湊さんも頷いた。「ええ。光の描き方が、あなたのデザインに、どこか似ている気がして」 彼は私のデザインの本質的な部分を、深く理解してくれている。  その事実に私の胸は甘く切なく、締め付けられた。 絵の中の夕日は、遠い日の真実を切り取ったように佇んでいた。 ◇  美術館を出ると、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。あの絵の夕暮れと同じように、茜色の空が美しく広がっている。  昼間の暖かさはもうなくて、ひんやりとした風が私たちの間を吹き抜けていく。  私たちはどちらからともなく、少しだけ歩くペースを速めた。 駐車場に戻り、湊さんの車に乗り込む。  滑るように走り出した車内は、静かだった。  でもそれは気まずい沈黙ではなく、言葉にしなくてもお互いの想いが通じ合っているような、満ち足りた静寂だった。 流れていく街の景色を、私はただぼんやりと眺めていた。  ビルの窓ガラスにオレンジ色の夕日が反射して、きらきらと光っている。 ふと隣に座る彼の横顔に、視線を移す。  夕暮れの光が彼の整った顔立ちに、柔らかな陰影を落としていた。  ボートに悪戦苦闘していた、子供のような顔。  
last updateLast Updated : 2025-10-29
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77:職人たちの反乱

 湊さんと過ごした穏やかな休日から、私の日常は仕事という名の忙しい奔流に飲み込まれていった。 スイートルームのプロジェクトは、特注家具やテキスタイルの製造という、最終的な製造段階に入っていた。 私は湊さんへの複雑な想いの全てを、仕事へのエネルギーに昇華させる。 このプロジェクトを完璧な形で成功させる。 それが彼にできる私の唯一の償いであり、そして――最後の別れの挨拶になるのだから。 今日も私は、小樽のガラス職人である高村さんと、ビデオチャットで打ち合わせをしていた。 新しいガラスシェードの発注書を送ったので、その確認だ。「相沢さんの指示書は、本当に分かりやすい。作り手の気持ちを、よく分かってらっしゃる」 高村さんが言った。ぶっきらぼうな口調の中に、しっかりとした信頼が感じられる。「そう言っていただけると、デザイナー冥利に尽きます」 私が言えば、高村さんは照れたように少しだけ唇の端を上げた。 気難しい職人たちと、魂で通じ合えるような感覚。 デザイナーとして、これ以上の喜びはない。 事務所内もプロジェクトの成功を確信して、活気に満ちた空気に包まれていた。◇ その日、事務所の電話が立て続けに鳴った。 最初は事務のスタッフが対応していたが、やがて所長が険しい顔で自ら受話器を取るようになる。「はい、アトリエ・ブルームの所長です。……え? どういうことですか? そんな。そこを何とか……!」 最後の電話を、彼女は蒼白な顔で切った。 そして震える声で、私に告げた。「相沢さん、大変なことになったわ」 ガラス職人の高村さん、家具工房の親方、テキスタイルの染織家。 プロジェクトの根幹を支える最も重要な職人たちが、全員同じ日に、一方的に契約の破棄を申し出てきたというのだ。 私は驚いて身を乗り出した。「そんな! 一体どうしてですか?」「理由を尋ねたけ
last updateLast Updated : 2025-10-29
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 アトリエ・ブルームの所長室は、パニック状態になっていた。 所長は蒼白な顔で受話器を置いた。普段はきれいに整えられているデスクの上が、今は走り書きのメモで散乱している。「どうしましょう、相沢さん……」 彼女の声は普段の張りを失って、弱々しく響いた。「違約金だけで、うちの事務所、潰れるわよ。インペリアル・クラウン・ホテルズだけじゃない、業界内での信用も全部……もう終わりよ……」 彼女は頭を抱えて、デスクに突っ伏しそうになる。 私はショックを受けながらも、必死に冷静さを保とうとしていた。「黒瀬副社長に相談しましょう。悪い予感がします」 すぐに湊さんに電話をかけ、状況を報告する。 スピーカーフォンから聞こえてくる湊さんの声は、驚くほど落ち着いていた。「やはり、動きましたか」 彼は私が話し終えるのを待って、言った。「このあまりにも統率の取れた動き……偶然とは考えにくいですね。十中八九、グラン・レジスの佐藤でしょう。一度、電話を切ります。すぐにこちらで裏を取りますので、少しだけお待ちください」 一方的に切れた電話に、所長は「どうしよう」とさらに不安を募らせている。 それから30分も経たないうちに、私のスマホが再び湊さんからの着信を告げた。「相沢さん、黒瀬です。やはり、思った通りでした」 その声には確信と、怒りの色がにじんでいた。「私の部下が、職人のお一人とコンタクトを取りました。グラン・レジス東京が佐藤の名前で、現在の契約金を遥かに上回る、破格の長期契約を提示してきた、とのことです」「そんなひどいことが、あり得るのですか」 所長が思わず、といった様子で言う。「職人たちも、生活がかかっています。大企業の長期契約という誘惑は、断ち切りがたいものでしょう」 湊さんの声には、職人たちを責める響きはなかった。◇
last updateLast Updated : 2025-10-30
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 もちろん、職人だって人間だ。日々の暮らしがあり、家族を支えていかなければならない。 仕事としてやっている以上は、対価が必要になる。 でも。私自身がデザイナーの仕事に心から打ち込んでいるように、彼らにも譲れない一線があるはずなのだ。 少し前、ガラス職人の高村さんは「作り手の気持ちをよく分かっている」と言ってくれた。そうした信頼が私たちの間にはあったはずだ。「今から車を回します。一緒に行きましょう、相沢さん。金で動かされた彼らの心を、もう一度、僕たちの側に取り戻しに」 彼は金や権力ではなく、私と私のデザインが持つ「魂の力」を信じてくれていた。彼自身がそれらの力を強く持っているにもかかわらず、私を信じて任せてくれる。 それは私にとって、何よりも心強い宣戦布告となった。 ◇  湊さんと共に小樽に飛んだ私は、高村さんの工房の前に立っていた。 工房の扉は少しだけ開いていたが、中から聞こえてくるはずのガラスを溶かす炉の音や、道具の触れ合う音は一切しなかった。 不自然な静けさが、私の胸をざわつかせる。「入りましょう。……ごめんください」 湊さんに促されて、おそるおそる工房の中へ足を踏み入れる。 やはり、ガラス炉の熱気は感じられない。ひやりとした空気が流れている。 工房の中央に、数人の男たちが立っていた。 ガラス職人の高村さんだけではない。 がっしりとした体つきの、家具工房の親方。 藍色の作務衣を着た、テキスタイル工房の染織家。 プロジェクトに関わる主要な工房の親方たちが全員、腕を組んで厳しい顔つきで、私たちを待ち構えていた。 個々の話し合いの場ではない。彼らが組織立って私たちを待っていたのは、一目で分かった。 工房の壁には、使い込まれた道具が整然と並ぶ。作業台の上には、作りかけのガラスのオブジェが埃を被って置かれている。 彼らが仕事を止めているのは、明らかだった。 工房の空気は、以前訪れた
last updateLast Updated : 2025-10-31
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 彼らの決意は固い。 金銭的な交渉では、もう太刀打ちできない。 私は最後の賭けに出ることにした。 持参した大きな図面ケースから、新しいデザイン画を広げる。 これまで誰にも見せていなかった、スイートルームの最終完成予想図である。「皆さんが、グラン・レジスからのオファーを受けられたお気持ち、分かります。生活も、従業員の皆さんの未来もかかっている。私に、それを止める権利はありません」 私は一度、言葉を切った。「でもこれだけは聞いてください。高村さん」 私はガラス職人の彼に、向き直る。「私が『光の心臓』と名付けたあの照明は、ただのガラスでは絶対に作れないんです。高村さんのガラスだけが持つ、あの内側から発光するような、温かい揺らぎ。あれがなければ、私のデザインはただの冷たいオブジェになってしまう。お客様の心を温める『心臓』には、なれないんです」 次に私は家具工房の親方を見つめた。「鈴木さん。あなたの作る椅子は、ただ座るための道具ではありません。滑らかな背もたれの曲線は、人が一番安らげる角度を知り尽くしている。あのアンティークチェアと並んでも、決して負けない品格と、現代の暮らしに寄り添う優しさ。その両方を持つ家具を作れるのは、あなただけです」 最後に、私は染織家の彼に深く頭を下げた。「渡辺さん。あなたが染める布の、あの風の色を写し取ったような藍色。あれはただの『青』じゃない。窓から見える空と、遠くの海の色を、部屋の中に運んできてくれるんです。あの布がなければ、私の部屋は、呼吸をすることができない」 胸に様々な思いが込み上げてくるのをこらえながら、私は続けた。「皆さんの仕事は、ただのデザインの部品ではありません。一つひとつが、この空間の魂なんです。誰か一人でも欠けたら、このスイートルームは死んでしまいます。お金の話ではないんです。……どうか私と一緒に、この魂を完成させてはいただけないでしょうか」 それはクライアントから業者への言葉ではない。 同じクリエイターから尊敬する先達への、心からの願いだった。 職人た
last updateLast Updated : 2025-11-01
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