All Chapters of 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る: Chapter 391 - Chapter 400

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第391話

将平が顔を上げた。「誰だ?」「米林明夫という男だ」米林明夫(よねばやし あきお)という名に、将平はすぐには反応しなかったが、隣にいた古賀が思わず声を上げる。「辞職後、突然姿を消した元銀行頭取の……あの米林ですか?」祐一は静かにうなずいた。将平は手元の碁石を置き、記憶をたぐるように目を細める。「たしか、あの人は急に消えたな。海外に渡ったって噂は聞いたが……どうして今さら?」祐一は碁石を指先で転がしながら、低く問い返した。「息子がいるんだろう?」「らしいが、私は会ったことがない」将平は肩をすくめる。「米林明夫は人当たりがよくて、どこにでも顔が利くタイプだった。なのに十数年前、突然辞めて国内の連絡を全部絶った。あれは不可解だったな」祐一の横顔が、わずかに陰る。将平が探るように息子を見る。「急にそんな名前を出すなんて……誰かに何か言われたか?」「別に」祐一はそれ以上、口を開かなかった。ちょうどそのとき、由奈が戻ってきた。部屋に足を踏み入れ、祐一と将平の姿に一瞬だけ足を止める。祐一と視線がかすめ合うが、彼は目を伏せたままだ。由奈は将平に向き直り、軽く会釈する。「お義父さん、ただいま戻りました」「おかえりなさい」将平は穏やかに応じ、古賀に指示を出した。「フロントに確認してくれ。レストランに空きがあれば予約を」古賀はうなずき、部屋を出ていった。由奈が自室へ戻ろうとすると、将平が呼び止める。「今夜は祐一と食事に行く。お前も一緒に来なさい」義父の言葉を断るわけにもいかない。「わかりました」そう答えて、由奈は部屋へ戻った。祐一はその背中を目で追い、何も言わなかった。……その夜、祐一たちはホテル内のレストランへ向かった。廊下を曲がったところで、弘志と妻の真里にばったり出くわす。「将平さんが江川市にいらしているとはね。ひと言いただければ迎えを手配したのに」弘志がにこやかに声をかける。将平もすぐに応じた。「川口さんこそご多忙でしょう。ご迷惑をかけるわけにはいきません」「いやいや、あと二年で定年退職ですよ。今はむしろ暇なくらいです」弘志は笑い、それから祐一を見た。「滝沢社長、お身体はもう大丈夫ですか?」祐一は目を細める。「ええ、問題ありません」「病気で海外療養中だと聞きましたが?」空気がわずかに
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第392話

由奈と祐一はレストランの個室に入り、向かい合って座った。だが、どちらも口を開こうとはしない。しばらく沈黙が続いたあと、祐一は背もたれに体を預け、シャツの襟元をゆるめる。「……何か、言いたいことはないのか?」由奈は静かに彼を見つめ返す。「何を聞きたいの?」祐一は言いかけて、口をつぐんだ。彼女の答えが、きっと自分が聞きたい言葉ではないとわかっているのだろう。やがて将平が戻ってきた。どこかぼんやりとした表情で、まだ皐月と再会した余韻に浸っているようだった。「楽しく話せたか?」不意に祐一がそう口にする。どこか皮肉めいた響きに、将平は眉をひそめた。「久しぶりだったから、少し長く話しただけだ。余計なことは考えるな……お母さんにも言うな」「俺が言うまでもないさ」祐一は淡々と返す。「今頃母さんが何を考えているのか、父さんならよく分かっているだろう」その言葉に、由奈は思わず口元を引き結んだ。将平はふと彼女を一瞥し、すぐに話題を変える。「注文しよう。食べたら、早めに帰って休んだ」食事中、祐一と将平はほとんど会話をしなかった。由奈も同じように黙々と箸を動かす。突然、スマホの着信音が鳴り、彼女はびくりと肩を揺らした。画面を見ると、智宏からの電話だった。その瞬間、祐一が視線を上げ、何も言わずに彼女を見つめる。由奈は将平に向き直る。「すみません、お義父さん。少し席を外します」将平は頷いた。「行っておいで」由奈は廊下へ出て、通話ボタンを押した。「滝沢社長たちと一緒に江川市へ戻ったのか?」「はい。浩輔が自殺しようとして……あの子が心配で」由奈は目を伏せた。「お兄さん、あの子にはもう私しかいないんです。置いていくなんてできません。でも、江川市に残したままだと、また何か起きるんじゃないかって……不安で」「僕の方から迎えを手配しましょうか?」智宏はすぐに彼女の意図を察した。由奈は小さく笑う。「それは助かります。浩輔の意識が戻ってきていますし、まずは本人と話してみます。そのあとで連絡しますね」「分かりました。待っています」そう言ってから、智宏は声を少し低くした。「江川市で頼れる人は多くない。くれぐれも慎重に動いてね」「はい」通話を終えた瞬間、胸に重くのしかかっていた不安が、ようやく少しだけ軽くなった。個室へ戻ろうとした、そ
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第393話

「東山社長でしたか」祐一は微笑む。「まさかこんなところでお会いするとは」隆も笑みを浮かべる。「ええ、奇遇ですね」祐一はちらりと由奈を見やった。「妻がなかなか戻らないので、誰かに会って引き留められているのかと思いましたが……お嬢さんでしたか」その言葉に、東山夫妻の視線が由奈へ向く。由奈は一瞬ぎこちない表情になったが、すぐに笑顔を作った。「実は美夏さんと会う約束をしていたんです。まさか隣の部屋にいるなんて思わなくて……」佳苗は娘を見つめ、口調をやわらげる。「由奈さんと約束していたなら、早く教えてくれればよかったのに」「さっきから説教ばっかりされてたから、言うタイミングがなかったんだよ」美夏は不満げに言い返す。「説教って、お前……」隆は声をあげようとしたが、祐一たちがいることを思い出し、言葉を飲み込んだ。「すみません……娘は昔から気が強くて」祐一は頭を振る。「いえ、こちらこそ、お邪魔しました」佳苗はすぐに口を挟む。「とんでもない。せっかくですし、一緒にお茶でもいかがですか?」「ご厚意はありがたく。ただ、また改めて」祐一は由奈が何か言う前に肩へ手を回し、そのまま個室へ連れ戻した。扉の前で、由奈は彼の手を振り払う。「どういうつもり?」「人の話を盗み聞きするのが、そんなに楽しいのか?」言葉に詰まり、由奈は眉を寄せる。「あなたには関係ないでしょ」祐一の表情がわずかに沈む。「俺たちがまだ夫婦である以上、関係はある」言い返しても無駄だと思い、由奈は顔を背けた。祐一も追及せず、扉を開けて中へ入る。……翌朝、由奈が病院の前に着くと、ちょうど綾香が車から降りたところだった。「池上先生!」手を振りながら駆け寄ってくる。由奈は微笑んだ。「おはようございます。美夏さんのところ、もう慣れましたか?」「はい。東山先生のおうち、本当にすごいんです。マンションなのに一戸建てみたいなメゾネットで、部屋も広くて!」綾香は目を輝かせる。「引っ越したとき、びっくりしましたよ。高価なフィギュアが棚いっぱいに並んでいて、しかも全部限定版なんですよ。ほんと、お金持ちって感じです!」由奈はくすりと笑った。「ええ、彼女は確かにお金持ちですね」「二人で何をこそこそ話してるんですか?」不意に背後から声がした。振り向くと、美夏が立っている。
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第394話

「綾香さんが買ってきてくれたんだ。読書も気持ちを落ち着かせるのにいいって」浩輔は少し照れたように言った。由奈は付き添い用の椅子に腰を下ろし、やわらかく微笑む。「綾香さんは優しいからね。でも、あまり迷惑をかけちゃだめ。何かあったら、まず私に頼って。私はあなたの姉なんだから、なんでも聞いてあげるわよ」その言葉に、浩輔はふと表情を曇らせる。しばらくして視線を落とした。「でも……いつまでも姉さんに頼ってばかりじゃいられない。俺は子どもっぽくて、頼りないって自分でもわかってる。両親は優しくしてくれたけど、本当は俺を期待してなかった。姉さんの旦那を頼るしか出世できないって、ずっと思ってたんだろうな」由奈の胸が、きゅっと締めつけられる。「姉さんが滝沢家に嫁いでから、どれだけつらい思いをしてきたのか……もっと早く知っていれば――」「もういいの」由奈はやさしく遮った。「過ぎたことよ。今さら振り返っても仕方ないわ」彼の肩にそっと手を置く。「ねえ、海都市に戻りたい?」浩輔は驚いたように顔を上げる。「海都市に……?」「家はまだ残っているし、叔父さんたちももう関わってこないはず。もし戻りたいなら、迎えを手配するわ」浩輔はじっと彼女を見つめた。やがて、ゆっくり口を開く。「……あの女が、俺を殺そうとしてたから?」由奈は目を伏せた。「あなたに何かあったら怖いし、彼女はまたあなたに会いにくるかもしれないから」歩実こそが浩輔の実の姉だった。浩輔がその事実を知った時、どれほどの衝撃を受けるのか、由奈は手に取るように分かっている。浩輔は小さく息を吐き、無理に笑みを作る。「わかった。姉さんが心配してくれてるんだし、これ以上迷惑はかけない。ちょうど、海都市にも戻ってみたいと思ってたんだ」その答えを聞き、由奈は何も言わずに微笑んだ。病室を出ると、由奈はすぐに智宏へメッセージを送った。ほどなくして返信が届く。【藤堂を向かわせます】駿介が来てくれるなら安心だ。もし他の誰かに浩輔を任せてしまえば、思わぬ事故が起きる可能性もある。そう考えた瞬間、胸の奥に溜まっていた重さが、ようやく少し軽くなった。その直後、真里からも連絡が入る。市内のバラ園に来てほしいという内容だった。午前中は特に予定もない。由奈は休みを取り、約束の場所へ向かった。広大な敷地に
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第395話

その名前をどこで聞いたのか、なかなか思い出せない。思い出そうとすればするほど、記憶は霧の向こうへ逃げていく。由奈は小さく息を吐いた――無理に思い出さなくてもいい。そのうち、自然と繋がる日が来るはずだ。気持ちを切り替え、麻央に視線を向ける。「叔母と親しくされていたんですか?」麻央は一瞬、きょとんとした。そこでようやく、亜紀が由奈の身内であることを思い出したらしい。他人の過去をその身内の前で語っていたことに気づき、気まずそうに笑う。「いえ、何度か顔を合わせた程度よ。親しいというほどではないわ」それ以上踏み込む間もなく、真里がさりげなく話題を変えた。三十分ほど談笑したころ、沙也加が「ネイルの予約があるの」と席を立つ。麻央もそれに合わせて帰り支度をし、二人は軽く挨拶をして去っていった。温室に静けさが戻る。由奈と真里はガラス張りの建物を出て、小道をゆっくり歩いた。やわらかな日差しが、緑の葉を透かして揺れている。真里は、ふと由奈の横顔をのぞき込む。「本当は今日はあなたと二人でゆっくり話すつもりだったの。まさかあの二人が先に来るとは思わなくて……断るわけにもいかなくてね。気を悪くしていない?」由奈は顔を上げ、軽く首を振った。「まさか。江川市の奥様方に顔を覚えていただくいい機会でした」真里はくすりと笑う。「あの二人は噂好きでね。どんなことでも、すぐ耳に入るの。どうか気にしないでね」――亜紀のことを話題にされたのが、気がかりなのだろう。由奈は視線を落とした。「……実は私、叔母のことが少し気になっているんです。今日、もう少し知れるかと思って」真里は意外そうに目を見開く。「お父様から聞いていないの?」由奈は静かに首を横に振った。真里はしばらく考え込むように遠くを見つめ、やがて小さくため息をつく。「そう……どう話せばいいのかわからなかったのね。私も詳しい事情をすべて知っているわけではないけれど、恭子とは昔からの付き合いだもの。まったく知らないわけでもないわ」由奈は迷いながらも、胸の内を打ち明けた。「叔母は……本来、父と結婚するはずだったのは自分だって言いました。母に横取りされたんだと」真里は足を止めた。「そんなことを?」由奈はうなずく。けれど真里の表情を見て、話がそれだけではないと直感する。「私は、どこかに誤解がある気
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第396話

真里はしみじみと語った。「亜紀さんは事故に遭う前、恭子とほとんど見分けがつかないほど似ていたの。双子だから当然だけど、事情を知らない人が間違えても無理はないわ。秀明さんも、石川家に娘が二人いるなんて知らなかったし、あのパーティーの時は、まだ亜紀さんは帰国していなかったのよ」少し間を置き、続ける。「当時、石川家の当主は恭子を不動産投資家の若葉家の長男に嫁がせ、亜紀さんは秀明さんに嫁がせるつもりだった。その頃に初めて亜紀さんは秀明さんと会ったの。秀明さんは彼女を、あの夜一目惚れした相手だと思い込んでしまった。でもすぐに、石川家に娘が二人いると知ってね。間違いに気づいて、亜紀さんに説明しようとした矢先――あの火事が起きたのよ」由奈は眉をひそめた。「……つまり、叔母は、あの事故が起きるまで、父が人違いをしていたことを知らなかったんですね」真里は小さくため息をついた。「ええ。きっと、これも運命のいたずらだったのね」由奈は黙り込んだ。――だから亜紀は、恭子を憎み、秀明をも憎んだのだ。彼女の立場で見れば、秀明は自分に想いを寄せ、心を通わせていたはずの相手だった。ところが、彼女は火事ですべてを失い、気づけば、想いを寄せていた男も姉と結婚していた。だが、どれほど不幸でも――彼女が自分を母から奪い、さらには歩実という殺人犯と手を組んだ事実は、決して消えない。彼女が可哀想だと思う気持ちが、憎しみを帳消しにすることはなかった。……翌日、由奈は病院を訪れ、浩輔の退院準備を手伝った。身支度を終えた浩輔は、彼女の手から荷物を受け取ると、不安げに尋ねる。「姉さんは……また海都市に戻るのか?」由奈は少し驚いたあと、弟の髪をやさしく撫でて微笑んだ。「あなたが海都市にいるんだから、もちろん戻るわ」浩輔はうなずいたが、その目には別れを惜しむ気持ちが滲んでいた。由奈は駿介に向き直る。「弟のこと、よろしくお願いします」「お任せください、お嬢様」病院の廊下で、浩輔と駿介が去っていくのを見送る。寂しさはあったが、胸の奥にはどこか安堵もあった。その時、恭介から電話が入った。由奈はすぐに出る。「もしもし、先生?」「ずいぶん長い休みだったな。もう時間は大丈夫なのか?」彼女は申し訳なさそうに答える。「ええ。ご心配をおかけして、すみません」恭介
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第397話

ウェイターに案内され、歩実は隣の個室の前に立った。深く息を整え、鏡代わりにスマホでメイクを確認する。自信に満ちた表情を作ると、そのまま扉を押し開けた。視線の先、パーテーションの向こうにぼんやりと人影が見える。体格のいい、若い男だとすぐに分かった。歩実は髪を耳にかけ、ゆっくりと歩み寄る。艶やかな笑みを浮かべながら、声をかけた。「あなたが……セロン様ですね?」男は振り向きもしなかった。グラスを手に取り、冷たく笑う。「数年ぶりなのに、お前は相変わらずだな。あの滝沢祐一の妻になれなかったとはいえ、男を誘惑する腕は衰えたわけじゃないらしい」歩実の笑顔が凍りついた。――この声は。男がゆっくりと振り返る。その顔を見た瞬間、歩実は息を呑み、数歩よろめきながら後ずさった。「米林圭介……!どうして、あなたがここに……」「石川亜紀という後ろ盾を得たくせに、俺が帰国したことを聞いてないのか?」歩実の顔から血の気が引いた。体が小刻みに震え始める。歩実にとって、圭介は天使の仮面を被った悪魔だった。かつて、その優しげな仮面に騙され、心も体も踏みにじられた記憶は、今も消えていない。圭介が一歩近づく。距離が縮まるほど、歩実の震えは激しくなった。目の前まで来た瞬間――彼女の膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。「……来ないで」「なんだ、まだ俺が怖いのか?」興味を失ったように、圭介は冷ややかな目で歩実を見下ろした。「安心しろ。昔の女に未練はない。今回出資してやったのも、条件があるからだ」歩実は拳を握りしめ、唇を噛む。「……何をして欲しいの?」圭介はソファに腰を下ろした。「ナノ医薬品の製剤技術を手に入れろ」歩実は目を見開く。「……正気?そんなこと――」「お前の度胸で、できないことなんてあるのか?」圭介は靴先で彼女の顎を持ち上げ、嘲るように笑った。「お前はどんな人間だったか、思い出させてやろうか」歩実の顔色はさらに白くなる。だが、しばらくして小さくうなずいた。「……やってみる」「長く待たせるな」圭介は足を組み替え、興味を失ったように手を振る。「もういい。消えろ」歩実は立ち上がり、必死に平静を装って部屋を出た。レストランを出ると、そのまま車に乗り込む。ドアを閉めた瞬間、抑えていた怒りをぶつけるようにハンドルを叩いた。ようやく
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第398話

由奈が予備のカードキーで部屋に入ると、リビングは真っ暗だった。物音を立てないよう静かにドアを閉め、そのまま自分の寝室へ向かおうとする。その時、バーカウンターのほうの灯りがふっと点いた。由奈は足を止める。振り返ると、バスローブ姿でグラスを手にした祐一が、ゆっくりと歩いて出てきた。「……まだ寝てなかったの?」「眠れない」彼はグラスをグレーの大理石のカウンターに置き、じっと彼女を見つめる。「ずいぶん遅かったな」「残業してたから」由奈はちらりと彼の手元の酒に目を向け、思わず口にした。「体調が優れないなら、お酒は控えたほうがいいよ」祐一は一瞬だけ動きを止めた。静まり返った瞳に、かすかな波紋が揺れたかと思うと、すぐに消える。「安心しろ、死にはしない。君がすぐ未亡人になることもない。期待外れで悪かったな」皮肉のきいた言い方だった。由奈はため息をつき、言い返す気にもなれず、部屋へ入ろうとする。「由奈」呼び止められ、振り向く。「今度は何?」祐一は彼女の顔を見つめたまま、何か言おうとして言葉を失う。結局、絞り出したのはたった一言だった。「……おやすみ」「おやすみ」それ以上は何も言わず、由奈は部屋へ戻る。ドアが閉まった後も、祐一はしばらく彼女の部屋を見つめていた。グラスを握る手に力が入り、手の甲の血管が浮き上がる。脳裏に浮かんだのは、今日、奈々美からかかってきた電話の言葉だった。――祐一さん、いい加減目を覚まして。由奈が好きであなたのそばにいるわけがないでしょ?中道家の人が言ってたよ。あなたが回復したら離婚を許すって叔母さんが由奈に約束してた。だから由奈は祐一さんの治療に付き添ったんだよ。祐一は椅子に腰を下ろし、手のひらで額を押さえた。胸の奥が締めつけられ、呼吸が苦しくなる。……翌日、海都市。「おばあちゃん、私、海外なんて行きたくない!」リビングで、奈々美は和恵にすがりついていた。「どうして祐一さんが私にこんなことするの?由奈の機嫌を取るため?最初に彼女を突き放したのは祐一さんじゃない。それなのに、今になって全部私のせいにするの?私が二人の仲をかき回したからって、海外に追い出そうとするなんて……ひどいよ!私だって滝沢家の娘で、おばあちゃんの孫なのに!」興奮のあまり、言葉が止まらない。「お母
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第399話

歩実は動揺を必死に隠し、鼻で小さく笑った。「実の親を見つけて、海都市に戻ってたって聞いたけど、もう帰ってきたの?」そばにいたスタッフが思わず二人を見比べる。不仲だという噂はあったが、どうやら本当らしい。由奈は足を止め、歩実の前に立った。顔色ひとつ変えない。「ずいぶんと詳しいですね。裏でたくさん情報収集してたのでは?」含みのある言い方に気づいたのか、歩実はわざとらしく首をかしげる。「何を言ってるのか、全然わからないわ」由奈はスタッフに向き直った。「ここはいいから、先に戻ってください」「はい」スタッフは慌てて頷き、その場を離れる。姿が見えなくなったのを確認すると、由奈の表情から笑みが消えた。「本当にわからないかどうかなんて、もうどうでもいいわ。今まで罪から逃れられたとしても、これからもそうとは限らないから」歩実の顔がわずかに強張る。だがすぐに、肩をすくめて笑った。「何?わざわざ警告しに来たの?」由奈は答えない。歩実は一歩距離を詰め、周囲に聞こえない声で囁く。「残念だけど、私をどうにかできると思わないで。中道家の娘だろうと怖くないわ。最後に勝つのがどっちかなんて、まだわからないからね」挑発だとわかっていても、由奈の指先に力がこもる。だが防犯カメラのあるここで手を出せば、自分が不利になるだけだ。拳をゆっくりとほどき、歩実が背を向けかけた瞬間、由奈は微笑んだ。「そういえば、自分の本当の両親のこと、気になりませんか?」歩実の足が止まる。振り返ったその目は、由奈の意図を探るように鋭い。だが数秒後、歩実は鼻で笑った。「私は孤児よ。親なんていない。仮にいたとしても、育ててもくれなかった人に興味はないわ」由奈は何も言わず、ただ微笑んだまま見送る。歩実の背中が遠ざかるのを見届けると、由奈の口元の笑みは静かに消えた。彼女がどう受け取ろうと関係ない。ただ、あの質問をしただけで、歩実の心に棘は残ったはずだ。ふと、机の上に置かれた研究報告書が目に入る。由奈は視線を落とし、しばらく考え込んだ。……自分のオフィスに戻った歩実の顔色は、明らかに悪かった。由奈が突然現れたせいで、研究報告書を撮影する機会を逃してしまったのだ。それ以上に、最後のあの言葉が頭から離れない。――実の両親。彼女は、何かを知っているのだろうか。
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第400話

歩実は書類を手にデータベースへ向かい、管理担当にそれを手渡した。相手は彼女の顔を見るなり、わずかに驚いた表情を浮かべる。「……あれ?前田さんが持ってくるはずでは?」「急用ができたそうで。代わりに頼まれたんです」歩実は微笑み、自然な口調で続けた。「ところで、アンデル教授はいらっしゃいますか?少し用があって」「ここ二日ほど不在ですよ」疑われていないとわかると、歩実は納得したように頷く。「そうなんですね……」忙しく働くスタッフたちを一瞥し、口元に冷たい笑みを浮かべると、そのまま静かに立ち去った。……一方、由奈は手術を終えたばかりで、廊下で患者の家族に術後の注意点を説明していた。患者の家族が病室へ戻るのを見届けると、スマホを取り出す。前田からのメッセージが表示されていた。由奈はそのまま執務室へ戻る。倫也の執務室の前を通りかかったとき、中から女性の声が聞こえてきた。「池上さんは祐一くんの妻なのよ。本気で既婚者に惹かれていたわけじゃないよね?」由奈の足が止まる。無意識に、その場で立ち尽くしてしまった。中から倫也の落ち着いた声が返る。「誰を好きになるかは私の自由です。お母さんたちの意見に左右されるものではありません」「倫也の恋愛に干渉するつもりはないわよ。でも、池上さんはダメなの」皐月の声は焦りを含んでいた。「素性がはっきりしてるのなら、普通の家の娘だって受け入れるわ。でも池上さんは一度結婚しているし、それに――」言葉を詰まらせ、言い換える。「お父さんだって許さないわ。こんなの、世間に知られたら笑われちゃうだけよ」倫也はゆっくりと視線を上げた。「お母さんは滝沢社長の父と付き合っていたから、お父さんが気にするのも無理はありません」「今はあなたの将来の話をしているの!」倫也はそれ以上聞く気がないのか、静かに言った。「このあと仕事があります。今日はもう帰ってください」由奈は扉の外で立ち尽くしたまま、唇をきつく結んだ。皐月が出てくる気配を感じ、はっと我に返り、すぐにその場を離れた。執務室に戻っても、心は落ち着かない。椅子に座ったまま、先ほどの会話が何度も頭の中で繰り返される。――倫也が自分に好意を?そんなはずはない。きっと皐月の思い込みだ。そう結論づけようとしても、胸の奥にわずかな違和感が残った。……
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