将平が顔を上げた。「誰だ?」「米林明夫という男だ」米林明夫(よねばやし あきお)という名に、将平はすぐには反応しなかったが、隣にいた古賀が思わず声を上げる。「辞職後、突然姿を消した元銀行頭取の……あの米林ですか?」祐一は静かにうなずいた。将平は手元の碁石を置き、記憶をたぐるように目を細める。「たしか、あの人は急に消えたな。海外に渡ったって噂は聞いたが……どうして今さら?」祐一は碁石を指先で転がしながら、低く問い返した。「息子がいるんだろう?」「らしいが、私は会ったことがない」将平は肩をすくめる。「米林明夫は人当たりがよくて、どこにでも顔が利くタイプだった。なのに十数年前、突然辞めて国内の連絡を全部絶った。あれは不可解だったな」祐一の横顔が、わずかに陰る。将平が探るように息子を見る。「急にそんな名前を出すなんて……誰かに何か言われたか?」「別に」祐一はそれ以上、口を開かなかった。ちょうどそのとき、由奈が戻ってきた。部屋に足を踏み入れ、祐一と将平の姿に一瞬だけ足を止める。祐一と視線がかすめ合うが、彼は目を伏せたままだ。由奈は将平に向き直り、軽く会釈する。「お義父さん、ただいま戻りました」「おかえりなさい」将平は穏やかに応じ、古賀に指示を出した。「フロントに確認してくれ。レストランに空きがあれば予約を」古賀はうなずき、部屋を出ていった。由奈が自室へ戻ろうとすると、将平が呼び止める。「今夜は祐一と食事に行く。お前も一緒に来なさい」義父の言葉を断るわけにもいかない。「わかりました」そう答えて、由奈は部屋へ戻った。祐一はその背中を目で追い、何も言わなかった。……その夜、祐一たちはホテル内のレストランへ向かった。廊下を曲がったところで、弘志と妻の真里にばったり出くわす。「将平さんが江川市にいらしているとはね。ひと言いただければ迎えを手配したのに」弘志がにこやかに声をかける。将平もすぐに応じた。「川口さんこそご多忙でしょう。ご迷惑をかけるわけにはいきません」「いやいや、あと二年で定年退職ですよ。今はむしろ暇なくらいです」弘志は笑い、それから祐一を見た。「滝沢社長、お身体はもう大丈夫ですか?」祐一は目を細める。「ええ、問題ありません」「病気で海外療養中だと聞きましたが?」空気がわずかに
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