All Chapters of 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る: Chapter 681 - Chapter 690

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第681話

午後七時。由奈がチャリティーパーティーの会場へ姿を現した瞬間、周囲の視線がふっと集まった。深みのあるボルドーのファーを肩に掛け、その下には黒のベルベット素材のマーメイドドレス。華やかな来場者たちの中にあっても、彼女だけはどこか空気が違う。静かなのに目を引く、美しく冷えた炎のようだった。会場へ足を踏み入れた由奈は、まず祐一の姿を探した。その時――「……由奈?なんでここにいるの?」横から飛んできた声に、由奈が振り向く。奈々美だった。奈々美は明らかに動揺していた。今夜のパーティーは表向きこそチャリティーイベントだが、実際には将吾と影山家が祐一を陥れるために用意した罠だ。完全招待制で、由奈には招待状が届くはずがない。――なのに、彼女がここに立っている。奈々美の胸の奥がざわつく。まさか、祐一を追って来たのか?そんな奈々美の不安をよそに、近くにいた女性たちがひそひそと囁き始めた。「あの人が池上さん?滝沢社長の奥さんって人?」「ええ。弟が性的暴行で拘束されたってニュースの……よく顔出せるよね」それを聞いた奈々美は、口元を歪めた。「由奈、もしかしてまだ祐一さんに未練があるの?離婚手続きの最中だってのに、よく追いかけて来れたよね」「え、あの二人は離婚するの?」「滝沢社長、一途に奥さんを愛してるって噂だったのに。結局、奥さん側が執着してただけ?」嘲るような笑いが広がる。奈々美も満足するように鼻で笑う。けれど由奈は怒るどころか、むしろ薄く笑った。「誤解しないで。今日はあなたのお母さんに用があって来たの」奈々美の表情がぴたりと止まる。「……え?」「そんなに驚くことはないでしょ?それともお母さん、私の相手をするのは気まずいの?」由奈は眉を上げた。「別にいいけど。こっちから探しに行くまでだから」「ちょっと、待ちなさい!」奈々美が慌てて前へ出る。「母は忙しいの。会いたいからって会えるわけないでしょ!」「いや、会えるよ」由奈はさらりと言った。「だって、私はまだあなたの義姉なんだから」「祐一さんとはもうすぐ離婚するでしょ!」「そうよ、でも離婚が成立する前に、私はあなたの義姉であることは変わりはないわ」にこやかなまま返され、奈々美は顔を引きつらせた。「昔から思ってたけど、あなたって本当に図太い女だね」「祐一
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第682話

その女性と視線がぶつかった瞬間、由奈は思わず息を止めた。相手も同じだったのだろう。一瞬、露骨な驚きが顔に浮かぶ。だが彼女はすぐに目を逸らし、何事もなかったように影山家の面々へ視線を向けた。それを見た由奈は、ようやく真由美が焦っていた理由を理解する。周囲でもざわめきが広がっていた。「え、あの人……滝沢社長の奥さんに似てない?」「聞いた話、あの子は影山家が――」続きを聞く前に、真由美が勢いよく由奈の腕へ手を回した。「由奈さん、私に話があるんじゃなかった?」そして、周りに声をかける。「皆さん、ごゆっくりどうぞ。由奈さんとは外で少しお話してきますね」真由美は将吾へ目配せすると、由奈が口を開く隙も与えず、そのまま半ば強引に会場の外へ連れ出した。薄暗く、人通りの少ない廊下まで来たところで、由奈はようやく腕を振り払う。そして小さく笑った。「さっきの女性が着てたドレス、二年前におばあさまの誕生日パーティーで私が着たものと同じですよね?私に似た女性を見つけ、同じ服を着せて、髪型まで真似させるなんて。要するに、次の祐一の相手に仕立て上げるということですか?」将吾と敦が裏で手を組んでいること、由奈はとっくに察していた。両家は祐一と将平を今の立場から引きずり下ろそうとしていることも。――祐一はあの日、「何を見ても信じるな」と言ったのも納得だ。由奈の言葉に、真由美はとうとう表情を取り繕うのをやめた。「私たちが何をしようと、あなたは関係ないでしょ?もうすぐ祐一さんと離婚するんだから、余計な口出しはやめた方がいいわよ!」そこで彼女の視線が、ふっと由奈の腹部へ落ちた。「……でないと、お腹の子も、あなたの弟も、どっちも守れなくなるわよ」その瞬間、由奈の心臓がひやりと冷えた。――やっぱり気づかれていたのか。だがここで認めるわけにはいかない。少しでも動揺を見せれば、相手に確信を与えるだけだ。由奈は肩をすくめ、軽く笑ってみせた。「私が妊娠してるなんて、誰に聞いたんですか?」「誰からかなんて関係ないわ」真由美は腕を組み、鼻で笑う。「その気になれば、あなたに子供なんて産ませないことくらい簡単なのよ」真由美はもともと、由奈本人とお腹の子に手を出すつもりだった。だが祐一が妊娠を知っているかは分からず、迂闊に動けなかった。もし流産でも起きれ
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第683話

「彼の言葉を信じるかどうかは、警察が決めることです」由奈は淡々と言いながら、意味ありげに真由美を見つめた。「前田さんは今も取り調べを受けています。もちろん、私だって全部嘘ならいいと思っていますよ。でももし本当なら……あなたも無関係では済まないかもしれませんね。どうか、お気をつけて」真由美が言葉を返す前に、由奈は踵を返した。妊娠を疑われている以上、さらに踏み込んでは危険だと判断し、話を切り上げたのだ。だが、真由美と俊太が互いを庇いきれなくなる日はきっと来ると――由奈はそう確信していた。……駐車場へ向かい、車の鍵を取り出したその瞬間だった。突然、強い力で腕を引かれ、由奈は車の陰へと引き込まれる。反射的に身構えたが、顔を上げた途端、見慣れた輪郭が目に入った。「祐一?来るの遅すぎない?会場にいると思って、さっきまでそこにいたけど」祐一は周囲を軽く確認すると、口元を緩めた。「会場に入ってたなら、もう全部見たな?」「ええ、見たわよ」由奈は肩のファーを整えながら鼻を鳴らす。「将吾さんと影山家が手を組んでるって聞いた時は、もっと陰湿な手を使ってくるのかと思ったけど……まさか色仕掛けとはね」祐一の目が細くなる。「なんか棘あるな。もしかして嫉妬してるのか?」「……は?」由奈は即座に彼の身体を押しのけた。「だってあの人、ほとんど『池上由奈二号』じゃない。離婚は既定路線って周囲に思わせておいて、次は元妻そっくりの女性に近づくとか……実は未練たっぷりですって宣伝してるようなものでしょ」少し間を置き、さらに呆れたように続ける。「こんな計画、考えたのは将吾さん?それとも真由美さん?まさか影山家なの?」祐一はわずかに顎を上げ、笑いを堪えるように息を漏らした。「発案者は影山彰だ」由奈は黙り込む。その反応をどう思ったのか、祐一は目を細める。「送ろうか?」「結構よ。自分で帰れる」由奈は車のドアを開ける。だが乗り込む寸前、背後から再び声が飛んだ。「何か俺に言うことはないのか?」由奈は振り返る。数秒、彼を見つめたあと、ふっと笑った。「もう離婚するんだもの。それらしく振る舞わないと」そう言い残し、車を発進させる。テールランプが遠ざかっていくのを、祐一はその場で静かに見送っていた。口元には、消えない笑みだけが残っている。……祐一が宴
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第684話

「滝沢社長……私のこと、覚えてますか?」由夏は祐一の傍で足を止め、精一杯作った笑みを浮かべた。祐一の視線が、彼女の着ているドレスに落ち、目の奥がわずかに冷えた。だが次の瞬間には、もう何事もなかったように微笑んでいた。「覚えてますよ。確かこの前……秘書に連絡してきた方ですよね?」「はい。覚えていてくださったんですね」「滝沢社長とは面識があったんですね?」彰が歩み寄り、意味ありげに口を挟む。「てっきり初対面かと思っていました」敦と将吾も、揃って祐一へ視線を向けた。祐一は口元に笑みを浮かべたまま、意味深に答える。「この前、駐車場で偶然会ったんです。危うく妻かと思いましたよ」そう言って、由夏へ目を向ける。「丸上さんは、影山さんとも知り合いなんですか?」由夏の肩がぴくりと揺れた。何か言いかけるより先に、彰が軽く笑って話を切る。「会ったことはありますが、長い付き合いではありません。彼女が奥さんに似ているのは事実ですし、滝沢社長が見間違えるのも無理はない。実は僕も、最初は驚きましたよ」「彰、丸上さんが滝沢社長と話している最中だろう。邪魔しては失礼だ」不機嫌そうに遮ったのは敦だった。その苛立ちは、彰が由奈の話をしたことに向けられている。他人の妻に未練を見せるなど、見苦しい――そう言いたげだった。「おや、滝沢社長のグラスが空いたんだね」そう言いながら、敦は鋭い視線を由夏へ向けた。それは警告でもあった。――あなたは影山家のために動けばいい。余計な感情を持つな、と。その視線を受け、由夏は気を取り直し、ワインの入ったグラスを祐一へ差し出した。自分もグラスにワインを注ぎ、祐一のと軽く合わせる。祐一は由夏がワインを飲むのを見届けると、ようやく自分のグラスに口をつけた。その様子を見ていた真由美の目に、冷たい色がよぎる。……翌朝、まだ眠りの底にいた由奈は、枕元で鳴り続けるスマホに眉をしかめた。ぼんやりしたまま一度切ったものの、すぐまた着信音が鳴り響く。観念して通話を取った。「……もしもし」「もしもし、由奈、大丈夫か?祐一、よくもあんなことをしたな」聞き慣れた声に、由奈は一気に目を覚ます。「お兄さん?あんたことって……祐一が何かしたんですか?」「え?由奈はまだニュースを見てないのか?」智宏の声は低く、明らかに怒気を含んでいた
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第685話

智宏はしばらく言葉を失っていた。沈黙が長すぎて、由奈は通話が切れたのかと思ったほどだ。やがて、低い声が返ってくる。「……祐一は知ってるのか?」「まだ言ってません」由奈がそう答えると、智宏は深く息を吐いた。「駿介と何人か、海都市へ向かわせる」「ううん、大丈夫です」由奈は即座に返事した。「妊娠のこと、滝沢家はまだ何も知りません。でも真由美さんは勘づいています。こんなタイミングにお兄さんが人を寄越したら……お腹の子が無事に生まれてこられる保証なんてありません」智宏は黙り込む。会話の端々から何かを察したようで、それ以上、由奈と祐一の関係については追及せず、ただ静かに言う。「……あなたが一人だと、どうしても心配なんだ」「大丈夫です。ちゃんと頼れる人はいます。腕もいいですし、しっかりしてますよ」由奈は少し笑って続けた。「あと、お父さんにも伝えておいて。私は平気だからって」通話を終えると、由奈は再びタブレットのニュース画面へ視線を落とした。そこに映る祐一と由夏の写真を見つめながら、何かを考え込む。……麗子は由夏をマンション近くまで送り届けると、車を停めて念を押した。「丸上さん。三日があれば十分だと思うので、ちゃんと考えてから答えを出してください」「……はい」由夏は車を降り、その場で麗子の車が去っていくのを見送った。バッグを抱きしめるように持ち、唇を噛む。そして重い足取りでマンションへ入っていった。部屋へ戻り、ドアを開けた瞬間――ソファに座る彰の姿が目に入る。彼はスマホ画面を見つめていた。今朝のニュースを読んでいるのだろう。由夏は緊張した面持ちで近づく。「影山さん……」「あいつに抱かれたのか?」彰は顔も上げず、画面をスクロールしたまま尋ねた。由夏は数秒沈黙し、小さく首を振る。「……いいえ」昨夜、何があったのか。彼女自身が一番よくわかっている。「やっぱり警戒されてたのか。まあいい。ニュースが出ただけで十分だ」彰の目が鋭く細まる。彼はスマホを閉じ、立ち上がって由夏の前へ歩み寄った。由夏は俯いたまま動けない。昨夜のドレスはまだ身につけていたが、髪はおろしており、メイクも落としている。その顔立ちは薄く、地味だった。華やかなメイクが消えると、もう由奈には似ていない。彰は指先で彼女の顎を持ち上げる。由夏は目を伏せたまま
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第686話

二日後――葉子は警察署へ出向き、これまでの証言を撤回したうえ、自ら俊太とのチャット履歴を提出した。担当刑事は記録を確認し終えると、目の前の少女を見つめる。「どうしてこのやり取りを今まで出さなかったんですか?虚偽の証言をするだけでも、罪になってしまいますよ」葉子はリュックの肩紐をぎゅっと握りしめたまま、うつむいて黙っていた。「あなたはまだ未成年ですし、自分から証拠を提出した点は考慮して、今回は厳重注意とします。お母さんを呼んでくれますか?」しばらくして、連絡を受けた葉子の母親、南川理恵(みなみかわ りえ)は警察署へ駆けつけた。葉子の姿を見るなり、いきなり指を突きつける。「ほんっとに恥知らずね!私はてっきり、あんたが無理やり――」「ご家族の方、落ち着いてください。まずは話を――」警察官が間に入るが、理恵は感情を抑えきれない。「話は聞かなくてもわかってるのよ!この子、嘘までつくようになって!しかもネットで知り合った男と会うなんて!こんなの近所に知られたら、私たち家族がどんな目で見られるか、わかったもんじゃないわよ!」娘が被害を受けたとして警察へ届けを出した時点で、すでに世間体が傷ついたと思っていた。なのに今度は、加害者が浩輔ではなかったと判明し、再び警察署へ来る羽目になった。近所に事情を聞かれたら、もう言い訳のしようがない――そんな怒りと羞恥ばかりが頭を占めていた。葉子は終始無言だった。母親の怒鳴り声も、責め立てる言葉も、まるで耳に入っていないかのように。女性警官が彼女の前にしゃがみ込み、穏やかな声で問いかける。「事件当日、何があったのか話してくれますか?安心して。私たちがちゃんとあなたを守りますから」葉子は小さくうなずいた。……葉子が証言を覆した件は、卓巳からすぐに由奈へ伝えられた。だが、理恵の様子を聞いた瞬間、由奈の表情が変わる。「……お母さん、手をあげてなかったよね?」「殴ろうとはしてましたが、警察に止められました。お母さん、普段は娘さんを放ったらかしのくせに、問題が起きた途端ぜんぶ彼女のせいにして……『はしたない子だ』って責めてました」卓巳は現場にいなかったが、話を聞いただけでも胸が痛んだ。由奈は彼を見上げる。「今から行けば、まだ間に合うよね」「え……行くんですか?」卓巳は不思議そうに眉をひそめた
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第687話

卓巳はその言葉に顔をしかめた。「あの、言い方ってものが――」「加藤さん」由奈が静かに制した。彼の言葉を遮ると、そのまま理恵をまっすぐ見つめる。「弟は無実です。私はただ、弟のために真実を明らかにしたかっただけ。誰かを陥れるつもりなんてありません。それに……この件を隠し続けることが、本当に娘さんのためになると思いますか?前田さんを警察に突き出したのは私です。彼が何をしたかも、全部把握しています。娘さんを利用していたこともね」そこで一拍置き、はっきりと言った。「もし彼が何の罰も受けずに釈放されたら――もう一度、娘さんの前に現れないと断言できますか?それに、娘さんが自分から真実を話さなければ、いずれ警察が事実を突き止めます。そのとき嘘の証言をした責任を負うのは、娘さんです」声が少しだけ低くなる。「前科がつけば……将来、まともな仕事を見つけるのだって難しくなるでしょう」その一言で、理恵は完全に黙り込んだ。反論しかけていた言葉が、喉の奥で消えていく。娘が真面目に勉強しないのはまだいい。だが、働けなくなるのは困る。将来、自分は娘を頼るつもりなのだから――理恵の沈黙を見て、由奈は核心に届いたと悟った。そしてさらに言葉を重ねる。「娘さんの名誉のことを心配しているのは分かります。でも安心してください。この件は捜査の始まりから終わりまで、娘さんの個人情報が外に漏れることはありません。被害者が誰か、外部に知られることもない」そして、少し間を置いてから言った。「それから将来の仕事のことですが――娘さんが二十歳になったら、うちの会社を紹介します」理恵が目を見開く。由奈は淡々と続けた。「それで納得していただけますか?」理恵は呆然としたまま、改めて由奈をじろじろ見た。どこへ行くにも人が付き添っている。身なりも立ち居振る舞いも、どう見ても普通の家庭の娘ではない。「……ほんとに、うちの娘に仕事を?」葉子も驚いたように目を見張っていた。由奈はバッグから兄の名刺を取り出し、理恵に差し出す。「こちら、兄の名刺です。会社情報も載っています。信用できないなら、ネットで調べていただいて構いません」理恵は名刺を受け取った。紙質からして高級そうだ――そんなことを思いながら見ていたが、住所が栄東市だと気づき、少し顔をしかめる。「栄東市って……遠くな
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第688話

将吾の邸宅。「……これは、一体どういうことだ?」将吾はスマホをテーブルに置き、険しい顔で真由美を見つめた。真由美はそれを手に取って画面を見るなり、表情を変えた。俊太に脅されること自体は、別にどうでもよかった。だが――その俊太が、自分に責任をなすりつけ、逆に噛みついてくるとは思ってもいなかった。「じゃあ、由奈の弟の件……あれはお前がやったのか?」将吾の声は低く、冷え切っていた。「今みたいな大事な時期に、余計な問題を起こすなって言ったはずだ。俺の言葉を聞き流していたのか?」真由美はいら立ちを隠せず、スマホを乱暴にテーブルへ置いた。「だって、由奈が妊娠したと思ったのよ。だから、少し警告してやろうとしただけ。まさか――」言いかけたところで、将吾が眉をひそめる。「彼女……妊娠してなかったのか?」真由美は鼻で笑った。「もし妊娠してたら、祐一が知らないわけないでしょう?中道家も動いていないし、だったら違うってことよ」将吾はしばらく黙っていた。やがて立ち上がると、冷たく言い放つ。「ニュースの件は、自分で何とかしろ」そう言い残して二階へ上がっていった。その背中が見えなくなった瞬間、真由美の顔が一気に沈んだ。――早く、俊太を黙らせないと。その頃、浩輔は警察署から釈放された。由奈は、車の前で早くから彼を待っていた。浩輔は足を止め、目を見開く。「……姉さん?来てくれたの?」ゆっくりと歩み寄る彼に、由奈は手を伸ばし、肩を軽くつまんだ。「痩せたね。ここ数日、大変だったでしょう」浩輔はうつむき、しばらく黙っていたが、やがて小さく口を開いた。「……姉さん、ごめん」由奈は首をかしげた。「どうして謝るの?」浩輔は拳を握りしめた。「全部、俺のせいだ。俺が姉さんを巻き込んだ。俊太が裏切るなんて思わなかった。俺、何が悪かったのかもわからない……ずっと、あいつのことを一番信頼してたのに」話すうちに声が詰まり、肩が小さく震え始めた。二人は大学時代の同級生だった。同じ会社に採用され、職場でも浩輔が最も信頼していた相手が俊太だった。だからこそ――自分を陥れたのがその親友だったことが、何より堪えた。由奈は浩輔を責めず、ただそっと彼の背を叩いた。「大丈夫。今回の件をきっかけに、彼の本性が見えたと思えばいい。友達を一人失っても、もっといい人と出会
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第689話

「あの……さっきは大丈夫でしたか?」由奈の気遣う声に、由夏の表情がわずかにこわばった。彼女は顔をそらし、唇を軽く噛む。「……ありがとうございます。でも、大丈夫です……」「あ、誤解しないでください。変な意味で声をかけたわけじゃないんです」由奈は少し困ったように笑った。「あなたに文句を言いに来たわけでもありません。ただ、たまたま奈々美を見かけて……それで、あなたもいるって気づいただけで」由夏はおそるおそるまぶたを上げ、由奈を見た。あの夜のパーティーで初めて会ったとき――彼女は初めて知ったのだ。彰が自分にメイクをさせ、祐一に近づかせた理由を。たとえ自分の意思ではなかったとしても、結果的に、自分は祐一と由奈の関係に踏み込んだ側だった。だから由奈の前では、どうしても胸を張れなかった。真正面から向き合う勇気もなかった。由奈はバッグの中から小さなメモ帳を取り出した。そこに住所と連絡先を書き込み、一枚破って由夏へ差し出す。「もし何かあって、私に連絡したくなったら――いつでも電話してください」少しだけやわらかく笑う。「友達が一人増えた、くらいに思ってくれたらいいから」由夏は差し出された紙を受け取った。そこに書かれた住所と連絡先を見つめたまま、数秒、動かなかった。やがて、どこか呆然としたまま小さくうなずき、エレベーターへ乗り込んでいった。……由奈がレストランへ戻ると、ちょうど浩輔が食べ終えたところだった。席に戻って会計をしようとする由奈を見て、浩輔が首をかしげる。「姉さん、まさか……奈々美のところ行ってたんじゃないよな?」「違うよ。彼女に用なんてない」そう言いながら手を上げ、店員を呼んで会計を頼む。浩輔は口を尖らせたまま黙っていた。会計が終わると、今度は店員に領収書を頼む。それを見た由奈が、思わず笑った。「私がおごったのに、会社に経費申請するつもり?」浩輔は悪びれもせず肩をすくめる。「姉さんのお金だって、空から降ってくるわけじゃないだろ」さらりと言って続けた。「それに俺、ちゃんと会社のために働いてるんだから、一食分くらい経費で落としても問題ないさ」由奈は笑ったまま、何も言わなかった。……二人が家へ戻ると――門を開けた先の庭で、祐一と卓巳が話していた。祐一のコートは冬の鋭い風を受けて揺れ、裾が翻る。髪の先にも
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第690話

由夏は素早くメモを化粧ポーチの中へ押し込み、上着を羽織ってリビングを出た。足音を殺しながら、そっと玄関の鍵を開ける。扉を半分ほど開けた、その瞬間。相手の顔を確認する間もなく、男が勢いよく中へ踏み込んできた。濃い酒の匂いが一気に流れ込み、足取りも明らかにふらついている。玄関脇の棚に置かれていた花瓶がぶつかって床へ落ち、鈍い音を立てた。由夏は思わず二歩後ずさる。「か、影山さん……?」彰はようやく足を踏ん張ると、無造作にシャツのボタンを外した。「名前で呼べって言っただろ」そう言って顔を上げ、まっすぐ彼女を見る。――けれど、その視線は本当に由夏ではなく、まるで彼女を通して別の誰かを見ているようだった。由夏は緊張で喉が張りつき、乾いた唇をそっと舐めた。「こんな時間に……どうしたんですか?と……とりあえずお水、持ってきますね」そう言って逃げるようにキッチンへ向かう。振り返ると、彰はそのままソファに腰を落としていた。水を注ぐ手が小さく震える。彰が自分に好意を持っているとは思わない。けれど、女性として、酒を飲んだ男と二人きりでいることを警戒しないわけにはいかなかった。……用心するに越したことはない。由夏は深く息を吸い、キッチン台の上に置かれたハサミへ視線を向けた。水を持って戻り、テーブルへそっと置く。そしてすぐ、数歩ほど後ろへ下がって距離を取った。彰はすでに上着を脱ぎ、ソファにもたれかかっていた。だが、水には手をつけない。ゆっくりと顔を向け、その視線が由夏の頬に落ちる。暗い照明のせいか、酔いのせいか――彼の目には、一瞬、由夏の輪郭が別の誰かと重なって見えた。「……由奈ちゃん」彰はふいに、自嘲するように笑った。「もし、あんなことがなかったら……僕たちはまだ、友達でいられたかな?」由夏は息を呑んだ。返事もできない。まして問い返すことなど到底できなかった。そのとき――彰が突然、身体を起こし、彼女の手首を掴んだ。「答えろ」「っ……!」由夏の顔から血の気が引く。慌てて振りほどこうとする。「影山さん……人違いです――」「答えろ!」声と同時に、握る力が一気に強まった。骨が軋むような痛みに、由夏は眉を寄せる。「……っ、わ、私たちは……友達、だったと思います……」震える声でようやくそう答える。すると彰は低
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