All Chapters of 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る: Chapter 671 - Chapter 680

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第671話

業界のサミットを終えた祐一は、数人の経営者たちとともに国際貿易センターの会議棟から出てきた。談笑しながら並んで駐車場へ向かう一団の中で、祐一は少し前を歩いていた。背筋の伸びた長身に、指先には先ほど渡された煙草が一本挟まれている。だが火をつける気はないらしく、ただ無造作に持ったまま、次の提携案件について交わされる会話を淡々と聞き流していた。その横を、半歩後ろから麗子が付き従う。必要な場面では柔らかく会話に入り、秘書としての有能さを自然に示しながら、滝沢グループの立場もしっかり守っていた。駐車スペースに着くと、他社の社長たちは笑顔で挨拶を交わし、それぞれ去っていく。祐一は吸わなかった煙草を麗子へ渡し、処分を任せると、そのまま車へ向かう。ドアを開けようとしたその時、車体に擦り傷が入っているのが目に留まる。祐一は眉をひそめ、スマホを取り出そうとした。すると横から、遠慮がちな女の声が聞こえた。「すみません……こちらのお車の持ち主の方ですか?」祐一が振り返る。女性の顔を見た瞬間、彼の動きがわずかに止まった。だが、それもほんの数秒だった。すぐに視線を外し、淡々と答える。「そうですが」「さっき、うっかり擦ってしまって……本当に申し訳ありません。修理代、弁償させてください」由夏はバッグの持ち手をぎゅっと握り締めていた。緊張で肩が強張り、声もどこか上擦っている。祐一は車を一瞥して、答える。「そこまでおっしゃるなら……十万円ちょうどでお願いします」由夏は一瞬固まったが、すぐに頷く。「……わかりました」そしてその場で送金を済ませる。入金を確認した祐一は、そのまま車に乗り込もうとした。「ま、待ってください!」由夏が慌てて呼び止める。閉めかけたドアを止め、祐一が横目で彼女を見た。「まだ何か?」「その……連絡先を交換しませんか?もし後から何か問題があった時、連絡できた方が――」無理に作った笑顔だった。スマホを握る手は小刻みに震えている。祐一はそんな彼女をしばらく見つめていた。やがて視線を逸らすと、車内の収納スペースから一枚の名刺を取り出し、差し出す。「何かあれば、秘書へ」それは麗子の名刺だった。「ありがとうございます」由夏は表情を引きつらせながら受け取る。次の瞬間には、車のドアが閉まり、黒い車体はそのまま走り
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第672話

祐一にじっと見つめられたまま何も言われず、由奈は彼の目の前で手をひらひらと振った。すると次の瞬間、祐一がその手を掴む。掌から伝わる熱に、由奈は反射的に手を引っ込め、身の半分を扉の内側へ隠した。「……何なの?さっきから一言も言わないなんて。用がないなら閉めるけど」さりげなく言ったものの、鼓動がなかなか落ち着かない。祐一は低く笑った。「用はないよ。ただ、顔を見たくなっただけだ」「顔を見に?」由奈は再び少しだけ顔を覗かせる。「離婚手続きはまだ途中だし、会う機会はいくらでもあるんだから、わざわざ来なくてもいいでしょ」その言葉に、祐一の笑みがわずかに薄れた。静かな視線だけが、まっすぐ彼女へ向けられる。由奈は見ないふりをした。「私、もう休むから」そう言って扉を閉める。けれど数秒後、なぜかまたそっと開けてしまった。――まだいた。まるで由奈が扉を開けるのを分かっていたかのように、祐一の口元に微かな笑みが浮かぶ。「休むんじゃなかったのか?」「……そっちこそ、帰らないの?」「君が休むのと、俺が帰るかどうかは別の話だろ」祐一は平然と言った。「俺が帰らなきゃ休めないってわけでもないんだし」つまり、由奈が彼を意識していると言いたいのだ。由奈はむっとして、勢いよく扉を閉めようとした。だが祐一が片手で扉を押さえる。「由奈」今度の声は、妙に真剣だった。由奈は怪訝そうに彼を見る。祐一は低く告げた。「これから先、どんなニュースを見ても――落ち着いていてほしい」その言葉には、何か含みがあった。まるで近いうちに、何かが起きると予告しているように。由奈は目を伏せて少し考え込み、やがて静かに視線を上げた。「……分かった」……その夜。浩輔は会社の同僚との飲み会があるらしく、事前に家へ電話をかけてきていた。由奈は通話しながら、煮込んでいたスープの味を確かめる。「分かった。お酒、飲みすぎないでね」「はいはい、分かってるって」浩輔は笑いながら電話を切った。すると隣にいた同僚、前田俊太(まえだ しゅんた)が、にやにやしながら肩を寄せてくる。「おっ、彼女?」「違うって、姉だよ」「うわ、筋金入りのシスコンじゃん」俊太は浩輔の肩に腕を回した。「そういや今日の飲み会、広報部の阿部みやびさんも来るらしいぞ?前にお前の連絡先聞きたが
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第673話

麗子は傍らで続けた。「あの女性、真由美様が送り込んできた人間だとお考えですか?」祐一は資料を机に置き、写真へ視線を落とす。「彼女……由奈に似てると思わないか?」「ええ、確かに少しは似ています。でも、よく見ればそこまで――」麗子は写真を見つめながら考え込み、ふと表情を変えた。「まさか……影山家の差し金ですか?」将吾と真由美が、わざわざ由奈に似た女を祐一のそばへ送り込むとは考えにくい。祐一の性格を、あの夫婦はよく知っているからだ。だが、影山家なら話は別だった。こういう回りくどい手口は、いかにも彰らしい。麗子は我に返り、さらに尋ねる。「この女性はどうします?」「泳がせる」祐一は短く答えた。「……由奈さんには?」その問いに、祐一はしばし沈黙した。机を叩く指先のリズムだけが、静かな執務室に響く。やがて低い声で言った。「離婚するなら――周りに信じ込ませないとな」麗子はその意図をすぐに察した。「承知しました」軽く頭を下げ、そのまま部屋を出ていく。一人残された祐一は、窓の外の景色を眺めた。長い間、盤上に置いたまま動かせずにいた駒――ようやく打つ時が来た。……その頃、浩輔は一晩帰宅せず、由奈が何度電話をかけても繋がらなかった。胸騒ぎを覚えた由奈は、別の方法で会社関係者へ連絡を取ろうとしていた矢先、突然、警察署から電話を受ける。そして、由奈は卓巳を連れ、慌てて署へ駆けつけた。中へ入ると、浩輔が一人の中年女性と激しく言い争っている。今にも掴み合いになりそうな勢いだったが、警察官たちが間に入って制止していた。「浩輔!」由奈は駆け寄り、弟の腕を掴む。「どうしたの?何があったの?」すると、中年女性が勢いよく口を挟んだ。「あんた、この子の家族よね?彼、うちの娘に手を出したのよ!娘はまだ十七なのに、よくもそんな真似ができたわね!いい?もし誠意のある対応をしてくれなかったら、全部ネットにあげるからね!あんたら、一生頭が上がらないようにしてやるんだから!」「俺は何もやってない!」浩輔は顔を真っ赤にして叫んだ。「俺、その子が誰かも知らないんだ!なんで俺と同じ部屋にいたのかも分からないし、触ってなんかもいない!昨日は泥酔してて、まともに意識もなかったんだよ!」「酒のせいにする男なんて山ほどいるわ!酔った勢いで女
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第674話

「真実は、あんたの弟がうちの娘に手を出したってことよ!納得できないなら、彼の無実を証明できる人でも見つけてきなさいよ!」中年女性は鼻で笑った。その言葉を聞いた瞬間、浩輔がはっと顔を上げる。「……そうだ、俊太だ。俊太なら証言してくれるはずだ!」警察官が机の上に置かれた浩輔のスマホを示した。「連絡してみてください」浩輔はすぐに俊太へ電話をかけた。だが、呼び出し音は長く鳴るだけで、一向に繋がらない。それから何度かけても、応答はなかった。その様子に、由奈は胸の奥に嫌な予感が広がるのを感じた。彼女は自分のスマホを取り出し、同じ番号へかける。数秒後、今度は繋がった。だが受話器越しに浩輔の声が聞こえた瞬間、相手は慌てたように通話を切った。静まり返った空気の中、由奈はゆっくりと顔を上げる。視線の先では、浩輔が呆然と立ち尽くしていた。信じられない――そんな表情だった。毎日顔を合わせ、兄弟みたいに付き合ってきた友人が、こんな時に電話一本すら取らないなんて。中年女性は待ってましたと言わんばかりに声を張り上げる。「ほら見なさい!この人、言い逃れる気満々じゃない!証人がいるって言ったのも、ただ時間を稼ごうとしてるだけじゃないの?うちの娘はまだ十七よ?人生はこれからだってのに、全部めちゃくちゃにされたのよ!」警察は女性を宥めつつも、手続きは淡々と進めていった。少女はホテルの一室から保護されたが、彼女の身体検査の結果はまだ出ていない。そのため、浩輔は容疑者として引き続き署内待機となった。浩輔は魂が抜けたように、その場に立ち尽くしていた。疑われたことよりも、信じていた友人に見捨てられたことのほうが、堪えているのかもしれない。由奈は何も言わず、浩輔のそばに座って検査結果を待った。向こうの家族は相変わらず敵意むき出しだったが、今の彼女に相手をしている余裕はないし、スマホに届くメッセージすら確認できていなかった。三十分ほど経った頃、女性警察官が検査結果を手に戻ってきた。その瞬間、室内の空気が張り詰める。全員の視線が、一枚の報告書へ集中した。「検査結果が出ました」女性警察官が書類を確認しながら告げる。「被害者の体内から検出された精液は、容疑者、池上浩輔さんのDNAと一致しています」浩輔の顔から血の気が引いた。「……そんな……」ふらつくように一
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第675話

由奈は車内で落ち着かないまま座っていた。祐一が今どう対応しているのか、どんな質問攻めに遭っているのか分からない。考えようとするほど胸の奥がざわついた。運転席の卓巳がバックミラー越しに彼女を見る。「池上さん、そんな心配しなくても大丈夫ですよ。社長はああいう連中に潰されるような人じゃありませんし、怖いもの知らずですから」由奈は視線を落としたまま、何も答えなかった。――タイミングが良すぎる。あの記者たちも、配信者も。まるで最初から何が起こるか知っていたみたいだった。偶然にしては、出来すぎている。それはもう「仕組まれていた」と考えたほうが自然だった。しばらく沈黙したあと、由奈は静かに口を開く。「加藤さん、前田俊太って人を調べてくれませんか?浩輔の同僚なんです」その声は驚くほど冷静だった。卓巳はすぐに頷く。「任せてください。明日には結果を出します!」その頃、浩輔の件はすでに会社中に広まっていた。喫煙スペースでは、他部署の社員まで混ざって噂話に花を咲かせている。「池上、未成年と寝たってマジ?」「今朝、警察に連れてかれたらしいぞ。ガチだろ」「動画見たわ。つーかあいつの姉ちゃん、めちゃくちゃ美人じゃね?」下卑た笑い声が飛び交う。その時、誰かがふと思い出したように口を開いた。「そういえば前田、お前昨日、池上と一緒だったんじゃなかった?」その場の視線が一斉に俊太へ向く。俊太は煙草を咥えたまま、わずかに顔を逸らした。「……俺は何も知らない」その返答に、阿部みやび(あべ みやび)が勢いよく歩み寄る。「前田さん、昨日、池上さんを送ってったのあなただったなのに、『何も知らない』はないでしょ?」周囲は面白がるように見守っている。だが俊太だけは苛立ちを隠せなかった。煙草を乱暴に揉み消し、低い声で言う。「送ったのは事実ですよ。でも途中であいつが勝手にいなくなったんです。ホテルに行ったなんて俺が知るわけないでしょう」「嘘です!池上さんがあんな状態で一人で歩けるわけがありません!」みやびは納得していなかった。俊太の拳がじわりと握られる。その空気を察した別の社員が割って入るように笑った。「いやいや、阿部さん。池上って酒強いじゃん。俺ら何回も飲んでるけど、昨日の量であんなベロベロにならないって」「確かに。俺ら全然
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第676話

俊太が会社を出たところで、突然、行く手を塞がれた。警戒して身構えた次の瞬間、卓巳が馴れ馴れしく肩に腕を回してくる。「おっ、久しぶりじゃん。僕のこと忘れた?今日は男同士、ゆっくり昔話でもしようぜ」「はあ?誰だよおま――」俊太が振り払おうとした瞬間、後ろ首をぐっと押さえ込まれた。次の瞬間には、そのまま車内へ押し込まれていた。「ちょっ……!」慌ててドアを開けようとするが、すでにロックされて、逃げ場はなかった。「あなたが前田俊太さん?」不意に聞こえた女性の声に、俊太はびくりと肩を震わせた。振り向いた先、後部座席に座っていたのは、息を呑むほど整った顔立ちの女性だった。由奈は柔らかく微笑む。「緊張しないでください。少し場所を変えて、ゆっくりお話ししましょう?」「な、なんなんですか、いきなり……」俊太は唾を飲み込みながら訊ねたが、声は明らかに上擦っていた。「私たちがあなたをお誘いした理由、もう察しはついてるんじゃないですか?」由奈は手元の雑誌をぱらりとめくりながら、淡々と言う。その一言で、俊太は完全に黙り込んだ。しばらくしてから、震える声で絞り出す。「……どこへ連れて行く気ですか」由奈は答えない。代わりに、隣に座る卓巳がぽんと彼の肩を叩いた。「肩の力、抜いてくださいよ。僕たち、別に人を食ったりしませんから」軽い口調だったが、俊太の身体は小刻みに震えていた。由奈はそんな彼を静かに見つめる。後ろ暗いことのある人間ほど、冷静を保てないのだろう。車は何度も道を曲がり、やがて川沿いの橋の下で停まった。周囲には人影もない。人気のない景色を見た瞬間、俊太の顔色が一気に変わる。「お、降りません!俺、降りませんから!」卓巳は容赦なく後ろ首を掴んだ。「はいはい、駄々こねないでくださいね」まるで子猫でも持ち上げるように、そのまま車外へ引きずり出す。運転手は卓巳の知り合いらしく、自然な動作で俊太のスマホを取り上げた。「な、何する気なんですか……?お、俺、本当に何も知らないんです……!」半泣きの声で訴える俊太は、足まで震えていた。卓巳は面白がるように彼の周りをぐるりと歩く。「まだ何も聞いてないのに、『知らない』って決めつけるんですね?」からかうようで、わざと脅すような口調だった。俊太の顔は真っ青になる。由奈は彼の前まで
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第677話

「本当です!間違いありません!」俊太は必死に頷いた。由奈は意味深に微笑むだけで、何も言わない。その沈黙が、かえって俊太を追い詰めていく。そこへ卓巳がロープを持って戻ってきた。それを見た瞬間、俊太の足から力が抜けた。「い、一時半!一時半です!浩輔と別れたのは一時半です!」卓巳はロープを地面へ叩きつける。鈍い音とともに、川辺の土埃が舞った。「前田さん、あなた、僕たちをからかってます?」卓巳はしゃがみ込み、にやりと笑う。「さっきは一時、今度は一時半?次また変わったら、本当に縛って川に投げ込みますよ」俊太は全身を震わせながら地面に這いつくばり、何度も頭を下げた。額には泥と汗が張りついている。「ほ、本当です!さっきは勘違いしただけで、本当に一時半なんです!」由奈はふっと笑った。「そうですか。あなたが自宅近くに戻ったのが二時。確かに、帰るまで多少時間はかかりますよね」「……はい」俊太は縮こまりながら答える。由奈はゆっくりと彼の背後へ回った。「でも、被害者の南川葉子という少女がホテルにチェックインしたのは夜の十二時。そして、浩輔とあなたが店を出たのは十一時半」由奈は立ち止まり、淡々と続ける。「飲み会の店はあなたたちの会社の近く。郊外でも何でもないですし、あのホテルまでなら、タクシーで十分間程度で着きます。あなたたちが別れたのは一時半となると、この間の約二時間、二人はどこへ行ってたんですか?」俊太の顔から血の気が引いた。手のひらには嫌な汗が滲んでいる。嘘を一つつくと、それを貫き通すためにさらに嘘を重ねなければならない。時間をごまかせば逃げ切れると思ったのだろう。だが、嘘は所詮嘘だ。自分で作った綻びに、自分自身が気づけなくなっていたのだろう。「お、俺は……」「前田さん」由奈は再び彼の前に立つ。「あなたがどうして浩輔を陥れたのかはわかりません。でも、今ここで本当のことを話すなら、私はあなたを困らせるつもりはありません。でも、これ以上隠すつもりなら――」由奈の声がわずかに冷える。「この件があなた自身の意思なのか、それとも誰かの指示なのかは関係ありません。少なくとも、全部片付くまで、あなたが穏やかな日常に戻ることはないでしょう」その言葉が終わるや否や、卓巳が運転手に合図を送った。二人がかりで俊太を押さえ込み、ロープを身体へ巻き
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第678話

祐一も彼女に続いてリビングに入り、ソファに腰を下ろした。何気なくテーブルへ視線を向けかけたが、その動きを遮るように、由奈は咄嗟に彼の膝へ腰を下ろした。あまりにも突然のことに、祐一の目がわずかに見開かれる。「……?」訝しげな視線を向けられ、由奈は引きつった笑みを浮かべた。「足、滑ったの……って言ったら信じる?」祐一は目を細め、しばらく黙ったあと、淡々と答える。「信じる」「……え?」「足を滑らせたどころか、君が空から降ってきてそのまま俺の腕の中に落ちてきたって言われても、俺は信じる」真顔のままそんなことを言われ、由奈は思わず言葉に詰まった。からかわれたと気づき、むっとして立ち上がろうとした瞬間――祐一が腕を回し、彼女を再び引き戻す。軽く抱き込まれた拍子に、彼の手が由奈の腹部へ触れた。由奈の身体がぴたりと固まった。すると耳元で、祐一が不思議そうに呟く。「……君、なんか腹回り少し丸くなった?」由奈は一瞬で息を吸い込み、慌ててお腹を引っ込めた。「誰が丸くなったって?」「ただの感想だ。そんな怒るな」祐一は面白そうに目尻を緩める。「女性はね、丸くなったって言われるの嫌いなの。滝沢社長ともあろう人が、そんなことも知らないの?」由奈はわざと棘のある言い方をしながら彼の腕から抜け出した。その隙に、さりげなくテーブルの上を片づけ、置きっぱなしだった妊娠検査の用紙を丸めてゴミ箱へ押し込む。最後にそっとゴミ箱をテーブルの下へ蹴り込んでから、ちらりと祐一を盗み見た。――気づいていない。由奈は胸の奥で小さく安堵する。「……昨日はありがとう」記者たちに囲まれた時のことを言っているのだ。祐一はゆっくり立ち上がった。「礼をしたいなら、明日のチャリティーパーティーに付き合ってくれ」「チャリティーパーティー?」「真由美さんも来る」……一方その頃、卓巳は俊太を警察へ連れて行った。「彼は絶対に証言を覆す」と踏み、事前に取っておいた録音データを警察へ提出する。俊太は青ざめた。「お、お前たち……録音してたんですか?」「あなたが信用できなさそうでしたからね」卓巳は肩をすくめる。次の瞬間、俊太は勢いよく警察へ向き直った。「こいつらを訴えます!脅されて無理やり言わされたんです!口封じされそうにもなったんですよ!」警察官が卓巳
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第679話

翌朝、由奈は卓巳を伴い、葉子の住むアパートを訪れていた。インターホンを押す直前、卓巳が一歩前に出る。「池上さん、ここは僕が。あの子の母親、かなり気が強かったので」「大丈夫よ、状況は状況だったし、あの時、彼女はただ娘を守ろうとしてただけだから」由奈はそう言って、静かにインターホンを押した。しばらくして扉を開けたのは、白髪の小柄な老婦人だった。見慣れない二人を前に、少し驚いたように目を瞬かせる。「どちら様で……?」「南川葉子さんのお宅でしょうか?私たちは彼女の友達で、少しお話があって伺いました」「ああ、そうかそうか。中へどうぞ」老婦人はにこやかに二人を招き入れると、そのまま奥の部屋へ向かい、扉を軽く叩いた。「葉子、お客さんだよ」そう声をかけてから、今度はリビングへ戻り、慌ただしく湯気の立つカップを運んでくる。「遠慮しないで座ってねぇ。ちょうどお茶を入れたところなの」「ありがとうございます。お気遣いなく」由奈が慌てて立ち上がろうとすると、老婦人は笑いながら手を振った。「いいのいいの。お客さんなんだから」それでも葉子はなかなか部屋から出てこない。老人はまた奥へ向かって声を張る。「葉子、早く出ておいで!」数分後、葉子は眠そうな顔のまま、だるそうに足を引きずってリビングへ現れた。だが、由奈の姿を見た瞬間、その表情が凍りつく。一気に目が覚めたようだった。由奈は穏やかに微笑む。「こんにちは。会うのは二度目ですね」葉子は視線を逸らし、唇を噛んだまま黙り込む。「葉子、せっかくお友達が来てくれたのに、寝坊してどうするの?」老婦人はそう言いながら腰を下ろし、苦笑混じりに続けた。「この子ねぇ、小さい頃からほんと手がかかって。高校も途中でやめちゃったし、働き始めても長続きしないの。昼夜逆転で、毎晩毎晩ゲームしてて、昼間は寝てばっかりなのよ」その口調に責める色はなく、ただ心配ばかりが滲んでいた。由奈は静かに尋ねる。「ご両親は……?」「母親は毎日麻雀ばっかり。父親も地方勤務で、年に何回帰るかって感じよ。家計は父親が支えてくれてるから、あの人も大変でねぇ」老婦人はため息をつき、どこか寂しそうに笑った。「私ももう歳だから。自分がいなくなったあと、この子を誰が見てくれるのか、それだけが心配なの」その時、葉子が急に口を挟んだ。「おばあちゃ
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第680話

俊太は、よくゲームの通話越しに仕事の愚痴をこぼしていた。片想いしているみやびが、自分ではなく親友のほうを好きらしいこと。酒を飲むたび電話をかけてきて、みやびのことをどれだけ好きか、延々と語ること。最初はただの恋愛相談だった。けれど次第に、俊太は何でも話すようになっていった。そしてある日、突然その親友の悪口を言い始めた。「いい顔してるだけの偽善者だ」と。「みやびに好かれる資格なんてない」と。さらには、ゲーム開発のプロジェクトでも、自分のほうが努力しているのに、上司に評価されるのはいつも相手ばかりだと、不満を滲ませていた。葉子は静かに俯く。「たぶん……初めてだったの。男の人が、自分の前であんなふうに弱音を吐くの」恋も上手くいかず、仕事でも報われない。そんな俊太を見ているうちに、同情は少しずつ別の感情へ変わっていった。「だから、あの日……急に会おうって言われた時も、断れなかった」由奈は眉を寄せる。「その日が、初対面だったんですか?」葉子は小さく頷いた。それから、言いづらそうに声を落とす。「……私、高校中退してるの。社会に出て働いてたし、男女のそういう話も周りでたくさん見てきたから……ホテルで会おうって言われた時も、どういう意味かは分かってた……そのつもりで行ったの」卓巳が額を押さえ、呆れ半分にため息をつく。「南川さん、それは完全に遊び目的の誘いでしょう……初対面でホテル指定してくる男が、本気なわけないじゃないですか」「それは分かってた」葉子は目を伏せたまま答えた。「自分が騙されてることくらい。でも、なんか……流されるまま行っちゃって」彼女は、あの夜も自分が想像していたような展開になるのだと思っていた。けれど実際は、違った。由奈は静かに核心へ踏み込む。「ホテルへ行った時、そこに私の弟もいたんですよね。しかも意識がない状態で」葉子はこくりと頷く。「前田さんがずっと愚痴ってた親友っていうのが、私の弟でした……あの日、あなたもそう聞かされたんでしょう?」葉子は視線を落としたまま、否定しなかった。そこから先を、由奈はあえて深く聞かなかった。少なくとも、浩輔が最初から最後まで被害者だった――それが分かっただけで十分だった。由奈はしばらく葉子を見つめ、それから淡々と口を開く。「ひとつ、はっきり言っておきます。前
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