All Chapters of ポンコツ悪役令嬢の観察記録 ~腹黒執事は、最高のショーを所望する~: Chapter 81 - Chapter 90

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第81話 幕間劇 ~ 仮説:恋とは狂気そのものである(前半)

 思えば、僕にとっての世界は、いつだって色褪せた盤上だった。 人の喜びも、悲しみも、怒りも、絶望も。すべてはありふれたもので、予測可能な振る舞いだった。 イヅル・キクチ。僕が僕であると、認識したその時から。 すべてを遠い国の、史書を読むように理解していた。 同時に、人の心という臓器から溢れ出す、温かい情動の血が、自分には決定的に欠落していることを。「……ひどく、乾いている」 喉が、血が、皮膚が、髪が、目が。外も内も、僕という存在そのものが、砂漠のように。 古老たちの語る、故郷の話はいつだって血生臭かった。 極東の島国、長きに渡る戦乱の時代。 我らが祖は、隠密傭兵集団『鴉天狗衆』における菊池一党として、闇を喰らい、血を啜り、歴史の裏で暗躍したという。 否、その真の名は、敵の首で弄び、骨で笛を吹いたという、凶悪な殺人集団――|鬼口《キクチ》。 いくつ首級を上げたのか、いくつ城を更地にし、田園田畑、小川を血に染めたのだろう。 だが、遠い御伽噺になってしまった。「“我”も、その時代に生まれればよかったのだ」 生まれるのが、遅すぎたのだ。どうせなら同胞らと、阿鼻叫喚の地獄を歩いてみたかった。 さすれば、この焼けつくような渇きも、業火で多少は紛れただろうか。 戦乱の終息は、我らから牙と生きる場を奪った。大陸へと渡り、海を越え、流浪する旅路の果て。 我らは、ひとつの根城を見出した。 ――この、シャーデフロイ家に仕えることで。 なぜ、とは思うまい。 他者の不幸と、密やかな裏切りを礎に築かれた、壮麗なる骸の館。 紋章に刻まれた『翼ある毒蛇』と、悲劇に寄り添う『リンドウ』の花。 曰く、「誰かの悲劇に寄り添い、我らは正義を成す」と。 一見、崇高なようでいて、結局は他者の不幸を啜って咲く、歪な徒花。 その在り方は、『鴉天狗衆』たる鬼口の業と、奇妙なほどによく馴染んだろう。「でも、その
last updateLast Updated : 2025-12-18
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第82話 幕間劇 ~ 仮説:恋とは狂気そのものである(後半)

「ねーねー。イヅルは……いつも、わたくしがしてほしいことを、してくれるね」「左様ございますか。それを『気が利く』と、いうのですよ」「そっか。……わたくし、昨日、誕生日だったのよ。ほら、見てよ。プレゼントが、い~っぱい!」「そうですね、たくさんです」「……イヅルは誕生日ないの? 寂しくない?」 子供の気まぐれだ。誕生日祝い……そんなもの、貴族以外にあるはずがない。 ただ、生まれただけで、生物が肯定されることなどありえないのだ。 ましてや、生存した年月を数えることに、何の意味があるのすらかも、よくわからない。「私めに、誕生日などないのですよ。イヅルと、お嬢様は違うのです」「……違わないもん」「はい?」「ねえ、イヅル。あなたは、欲しいものはないの? 欲しいものがあるなら、今、言いなさい。わかった?」 つまらない気まぐれ、哀れみだ。 ならば、望めば、この国を阿鼻叫喚の地獄にでも、変えてくれると言うのだろうか? 伝え聞いた、かつての故郷のように。 だが、はて? 言われてみれば、考えたことがない問いだった。“我”が、なにかを欲しいと思ったことが、そもそもあっただろうか、と。「ありませんね、ビーチェお嬢様。なにひとつ、思いつかないのでございます」 いずれにしても、この娘になにが出来よう? 断れば、シュンとして。薔薇色の髪をくるくると指で、巻き取るように思索にふけるベアトリーチェ。 いったい何を思ったか、次に放たれた言葉こそが、“|我《ぼく》”を――この世界を変えていく。「なら、こうしましょうか、イヅル。欲しいものが見つかったら、“それまでの分。今までの分、まとめて全部上げる”わ」 力強い約束。|僕《われ》の人生に与えられた、ただ一つの目的。「だから、ながく長く&helli
last updateLast Updated : 2025-12-19
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第83話 時よ、唇に止まれ――そなたは美しい

 逃げ場のない、馬車の隅。こんな密室に、閉じ込められて。「では、教えて差し上げましょう」 揺らめく焔は、わたくしを捕らえて離さない。 骨ばった、冷たい指先が頬を撫でれば、熱い吐息は唇にかかる。「――きっと、“恋とは、狂気そのもの”なのだと」 視界がイヅルで埋め尽くされて、触れあう瞬間、身体中に電流が走ったみたいだった。 最初は、優しく。まるで壊れ物を扱うかのように、そっと、啄む。 でも、すぐに、それは激しさを増して。「……んッ」 思わず、小さく声が漏れた。 重なった唇が、微かに開く。そこへ滑り込む舌は、わたくしの内側を侵略した。「ぁ……!」 甘い。脳が、痺れるように甘い。 絡み合う、熱と熱。唾液と、吐息の交換。 息ができない。思考が溶けて、頭が真っ白になる。 あまりの激しさに、顔を逸らそうとすると。 大きな手が、後頭部に回されて――さらに深く、強く、押し付けてくる。逃がさないと、言わんばかりに。 もはや、わたくしにできることは、彼の身体を、ぎゅっと握りしめることだけ。シャツ越しに伝わる、彼の筋肉のこわばり、強い脈動。 初めてのキスは、あまりに熱くて、暴力的で。彼に“独り占め”されていると言う、どうしようもないくらいの実感。 ――そう、わたくしは……満たされてしまった。 どれくらいの時間が経ったのか。永遠にも一瞬にも感じられた口づけは、ようやく終わりを迎える。 ちゅ、と名残惜しそうな音を立て、わたくしたちは離れた。銀の糸が、すうっと引いて、切れる。「はぁ、はぁ……っ」 酸素が足りなくて、クラクラする。 イヅルの指先が、わたくしの濡れた唇を、愛おしげになぞった。「これで、おわかりになりましたか?」「……っ!?」
last updateLast Updated : 2025-12-20
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第84話 幕間劇 ~ ガリアからの黒い風

「つまり。王立アカデミーで蔓延っていた“火遊び”は、西から飛んできた火種だった、というわけか」 王は、報告書を机に放り投げると、深いため息をついた。怒りより、失望と諦念が濃く滲む。「身勝手な捜査の割には、随分まとまっておるな。バージル」「ご叱責は、いくらでも受けましょう。……私が調査していた資料は、まさに灰と帰しました。ですが、諦めた訳ではなかったのです!」 相対するバージルは、堂々とそう返した。 机の上には、押収物が並ぶ。不気味な装丁の書物、曲がりくねった短剣。乾燥させたハンノキの小枝。「国境付近のエイデンの森、最奥部にある『黒の森』。そこを支配するとされる、ハンノキの王への信仰。……これらは近年、ガリアの貴族たちに流行している、退廃的サロン文化そのものだったのです!」 西の大国、ガリア王国。 芸術と魔術の先進国でありながら、絢爛な文化の裏で、爛れた快楽主義とオカルトが跋扈する国。 質実剛健を旨とするシュタウフェン王国とは、水と油のような存在。だが、その洗練された文化は魅力的に過ぎた。「この“流行”に感染し、ガリアからの物資を、王立アカデミー内に持ち込んでいたのが――」「シューベルト宰相派の、若き令息たちであった、と」「……御意に」 |流行《モード》は、いつの世も、若者の心を惑わす病だ。 特に、宰相派の子息たちは、親の交易関係を通じて、ガリアの文物に触れる機会が多かった。「……世間知らずの彼らが、華やかさに心を奪われ、真っ先に染まったのも、無理からぬことかと」「調査委員会は、学生たちの事情までは、なかなか踏み込めぬ。これは盲点であったな」「これまでの事件も、アカデミー内部からの手引きがあったとすれば、筋が通ります。ただ、シューベルト宰相自身がどこまで関与していたかまでは……」「あ奴め、ガリアとの太いパイプを誇示しておったが&hel
last updateLast Updated : 2025-12-21
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第85話 五番目の貴方は、ワン・オブ・ゼム

 祝賀夜会の夜。 王都の路は、無数の魔術灯で煌々と照らされ、着飾った貴族たちを乗せた馬車が、天の川のように王宮へ続く。 そんな最中、一台の王室専用馬車が、シャーデフロイ伯爵邸の門をくぐった。 降り立ったのは、正装に身を包んだ、王太子バージル・ファン・シュタウフェン。 白亜の軍礼装に、王太子の証であるサッシュ。その美貌は、星々すら霞ませるほど。 バージルは、緊張とそれ以上に決意を秘めて、玄関へと足を踏み入れた。(よし。準備は万端だ。今夜こそ、彼女に……ベアトリーチェに、私の真意を伝えるのだ) 父王の言葉が、胸に蘇る。 ――足元の花も愛でてやれんのか。(そうだ。確かに私は、言葉があまりに足りなかった。不器用に過ぎた! 今夜のエスコートを通じ、ベアトリーチェの誤解を解く。そして、共に手を取り合って、この国の危機に立ち向かうのだ!)  バージルは、やはりそんなことを考えている。今の距離感は、生じたすれ違い、誤解によるものだ、と。 己の振る舞いが、ベアトリーチェから“評価”された結果だとは考えていないのだ。 未だに、為すべき正義が先に立ち、ベアトリーチェ個人の感情も、価値観も置き去りになっている。「ベアトリーチェ嬢は、支度が済んでいるか?」 出迎えた使用人に、バージルは問うた。 しかし、なぜか使用人は目を白黒させて、口ごもる。「は、はい。お嬢様は……すでに、お待ちでございます。ただ……」「ただ?」「その……少々、『お連れ様』が多いようでして」 お連れ様? 侍女か何かのことか? そう訝しみながらも、バージルは扉を開け放った。「待たせたな、ベアトリーチェ――」 だが、バージルの言葉は、喉の奥で凍り付いたままになった。「あら。ずいぶんと、遅かったですわね、バージル殿下!」 そこにいたのは、燃えるような
last updateLast Updated : 2025-12-22
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第86話 花が燃ゆるは、誰がため

 さすがに、五人全員が一台の馬車に乗るのは、物理的に不可能でしたわ。 というわけで、わたくしとイヅルはシャーデフロイ家の馬車に。“ギャニミード家の愉快な皆様”は、彼らの馬車へと分乗して、夜会の会場へと向かうことになったわ。「正直、意外でしたわ。ジャンジャック様」 馬車に乗り込む前に、気だるそうな長兄ジャンジャック様に、わたくしは尋ねたの。「このような馬鹿げた振る舞い、貴方のような方は、心底お嫌いでしょうに。なぜ、こうして付き合ってくださるのですか?」 すると、ジャンジャック様は、哲学書からふっと目を上げる。「嫌いだな。実に、くだらない。見栄と意地を張りあうなんて、滑稽だ」「うっ……」 否定しないのね。清々しいほどに。「だが、小生は……いや、我々はシャーデフロイ家に、借りがある」「借り……ですか?」「ルチアのことだ。……あの娘と、我々兄弟を、引き合わせてくれたのは、きみの母君――マティルデ様だろう?」 えっ、ルチアとギャニミード男爵家を繋いだ? ママが? そんな話は、初耳だった。「……どういう、意味なのでしょうか?」「なんだ、知らないのか。あの御方は、山奥に隠れ住む、ルチアの才を見出し、我が父に紹介してくださったのだよ」「そんなことが……」「ふっ、父が言っていたよ。『あの娘が、我が家に来てくれたのは、奇跡のような巡りあわせ。シャーデフロイの、気まぐれな嵐のおかげだ』とな」 眉間にしわを寄せたまま、ボソボソ呟く、ジャンジャック様。「あいつは……我が家に“光”をもたらした。父も、エミールも、小生も、ルチアのおかげで、救われたのだ。……その恩義に報いるためなら、道化の真似事くらいいくらでもするさ」 そう言って、彼は再び
last updateLast Updated : 2025-12-23
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第87話 主役は乙女よ、我が愛しき好敵手(前半)

「あっ!」 息を呑んだ。 それは、真っ赤な、燃えるような緋色の花束。 でも、ただの花じゃないわ。その花弁一枚一枚が、繊細な布で作られた、精巧な造花だった。しかも、この布は――!「温かい……まさか、火蚕綿!? あの時の!?」 そう、メゾン・ニクシーで、わたくしも、ツェツィーリア様も、互いに譲り合って、結局誰も買わなかった、あの幻の布地!「ええ。あの日、お嬢様方が諦められた、火蚕綿です。……あまりに勿体ないので、こっそり買い付け、ニクシー夫人の手で、このような形に」 花束を受け取ると、ほんのりと温かく光を帯びる。この布自体が、魔力に反応して熱を持つのね。 イヅルは、悪戯っぽく微笑む。「こう見えて、美にはうるさいもので。生花はいつか枯れますが、これは、決して枯れることはございません。永遠に、麗しい赤を保ち続けるでしょう」 ええ、なんて綺麗なの。 夕焼け空を切り取ったような、鮮烈な赤。わたくしのドレスの色とも、よく似合っていた。「でも、どうしてわたくしに? わたくし、もうドレスの薔薇飾りも十分ですわよ? もちろん、あなたからのプレゼントなら、嬉しいけれど……」「この花束の使い方は、お嬢様次第でございますよ。……持ち帰り、髪飾りにするもよし、そのドレスの胸元を、さらに彩るもよし。あるいは――」「あるいは?」「誰か大切な方に、贈るのも、また一興かと」 その言葉に、ハッとする。 この枯れない花。永遠の赤は、あの日のわたくしたち二人が、口喧嘩をして、一緒に諦めた色なのよ。 ああっ、この執事は、いつだってそうなの。この言葉に出来ないモヤモヤを、誰より早く察し、手を差し伸べてくれるのだわ。「イヅルは……いつも、わたくしがしてほしいことを、してくれるのね」「左様でございますか。……それを『気が利く』と、言うのですよ」 イヅルは
last updateLast Updated : 2025-12-24
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第88話 主役は乙女よ、我が愛しき好敵手(後半)

「まあ、あんな下品な登場をして。ツェツィーリア様の方が、ずっと素敵ですわ!」「そうよ、あんな男装なんて! その……ね?」 取り巻きたちの陰口も、彼女の耳には届いていないようだった。「わたくし……行かなきゃ」「ツェツィちゃんのところですね。了解です!」 わたくしはルチアを伴い、一直線に歩み寄った。「あ、あら? ベアトリーチェ様が、こちらへっ!?」「ひぃっ! 何かされるのかしら!? ついに対決?!」 取り巻きの令嬢たちが、恐れおののき、波が引くように道が開く。 その先に、ツェツィーリア様だけが、凛と立っていたわ。「良い夜ですわね、ツェツィーリア様」「そう? あたしの気分は最悪よ。なに、その派手なドレス。まるで、舞台女優気取りじゃないの。変な男たちまで侍らせて、品が無いわよ」 すると、ルチアが「あれ、わたしのお兄ちゃん達です」と口にした。ぐっと、息を詰まらせるツェツィーリア。「……ぜんぶ、何もかも、あたしから取るつもり? そんな勝ち誇ったような顔をして」 ツェツィーリア様は、ツンと顔を背ける。でも、その手は、小さく震えていた。「いいえ、勝ち負けどころではありませんの。本当のことを言うと、あなた様に、お会いするのが怖かったのですわ」「……え?」「それでも、ただ……これをお渡ししたくて」 わたくしは、抱えていた緋色の花束を差し出した。「は? なにこれ?」「あの時の生地で作った、花束ですわ。一本は、わたくしの髪に。残りは……全て、あなたに」 ツェツィーリア様が、ハッと目を見開く。「あの時の……って、まさか」「ええ。わたくしたちが、一緒に諦めた、あの『火蚕綿』ですわ」 わたくしは、勇気を出して笑みを浮かべた。「きっと、あなた
last updateLast Updated : 2025-12-25
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第89話 王の桟敷(ケーニヒス・ローゲ)の密談

 王宮の大広間、この喧騒を遥か眼下に望む場所。  天井近くの壁面に突き出した、半円形のバルコニー席――通称、|王の桟敷《ケーニヒス・ローゲ》。  今宵、重厚なるベルベットカーテンは、密やかに開かれ。王国の行く末を、握る三人の男たちの、天空の密室となっていた。「フハハ! 見ろ、フリードリヒ。あの熱気を。若いというのは、それだけで素晴らしいことだ」 上機嫌にクリスタルグラスを掲げるのは、シュタウフェン国王。  隣で、苦虫を噛み潰したような顔をしているのは、『高き黒鷲』の宰相フリードリヒ・フォン・シューベルト侯爵だった。「お恥ずかしい限りです、陛下。娘があのようにはしゃぎ、感情を露わにするとは。どうやら、アカデミーで毒されたようだ」 眼下には、フロアの中心で、ギャニミード家のルチア男爵令嬢と踊る、ツェツィーリアの姿があった。  手には――あろうことか、あの『燃える薔薇』から贈られた、緋色の花束が、しっかりと握りしめられているではないか。「まあ、いち父親としては複雑な心境ですが……まったく、男装している女と踊るとは!」 「おやおや。『高き黒鷲』も、娘には手を焼いていると見える」 ゆらり、とグラスを回しながら、口を挟んだのは、ウェルギリ・ファン・シャーデフロイ伯爵。  『翼ある毒蛇』は、いつもの食えない笑みを浮かべている。「貴様。娘を誑かしただけでなく、息子まで! ヒュプシュの件、私はまだ納得しておらんぞ」 「ワシは何もしておらんよ。それにご嫡男の件は、王太子殿下のちょっとした誤解。今週には釈放されることでしょう。お二人とも血気盛ん。若気の至りで羽目を外しただけのこと」 「……チッ、お前が関わっていないはずがあるまいに」 ウェルギリ伯は、暗に『それは、王家と宰相派との問題だろう』と受け流す。政敵同士の、火花散る会話。  だが、そこに決定的な決裂はない。知っているのだ。この国を支えるには、互いが必要不可欠であることを。  王は、そんな二人を、楽しそうに眺めている。「そうだ、その件はすまなかったな、フリードリヒ」 「……まあ、息子が、余計な遊びをしていたのは、私の監督不行き届きでしたが」 「ウム。でだ、余も確認しておきたい。此度の一連の流れ。まさか、そなたの細君が……マティルデが、関わってはおらぬだろうな?」 急に、王から問われた、シャ
last updateLast Updated : 2025-12-26
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第90話 砕け散る輝き、混沌サプライズ

 エミール様の奏でるリュートは、哀愁と華やかさが入り混じる。どこか迫りくる、終わりの予感。 宮廷楽師たちが続けば、会場の貴族たちを、退廃的な陶酔へと誘うワルツとなった。こういうのも、弾けるのね。「仮面舞踏会のワルツ……どうせなら、もっと明るい曲が良かったわね」 わたくしは、そっと振り返った。 背後に控える、漆黒の影へと。誰よりも一途で、誰よりも残酷な、わたくしだけの従者。「ねえ、イヅル」「はい、お嬢様」 イヅルは、恭しく、一歩前に進み出た。 こんなお祭り騒ぎ。すべてを冗談やパフォーマンスで済ませてしまえる、嘘みたいな時間。 なんだか周囲のざわめきが、すっと遠のいていくような気がした。「約束通り、ダンスのお相手を、お願いできるかしら?」 差し出した手は、少しだけ震えていたかもしれない。 だって、こんな大勢の前で、執事と令嬢が、手を取り合って踊るなんてありえないもの。貴族社会の常識を覆す、許されざる行為。「不思議ね。今のわたくしなら、ぜんぶ黙らせることが出来る気がするわよ?」 きっと、本当はそんな上手くは、いかないかもしれないけれど。 見つめ返してくる、イヅル。黒曜石の瞳に、いつもの皮肉めいた色はない。そう、まるで凪いだ夜の海みたい。「では、喜んで、見世物になりましょう。――我が、愛しの主」 返答は、流れる音楽よりも、わたくしの鼓膜を強く震わせる。 白手袋に包まれた手が、わたくしの手を取り、そっと唇を寄せた。手の甲に触れる、熱い吐息。 ……世界には、わたくしたち二人しかいなくなった。「参りましょうか」 イヅルのエスコートで、わたくしたちは、ダンスフロアの中央へと進み出る。 周囲からの視線や評価も、今は気にならなかった。彼の手の温もりと、彼のリズムだけが、わたくしの全てだった。 イヅルの手が、わたくしの腰に回される。 ぐっと引き寄せられ、身体が密着する。心臓の音が、聞こえるくら
last updateLast Updated : 2025-12-27
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