All Chapters of プライド崩壊の夜~元妻、二人目の妊娠~: Chapter 91 - Chapter 100

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第91話

明里は頷いた。「ええ、わかった」潤は彼女を一瞥すると、その答えに満足したのか、表情をずいぶん和らげた。明里は言った。「もう帰って」「今夜は帰らない」潤はそう言うと、「シャワーを浴びてくる」と続けた。それを聞いて、明里はさっと立ち上がり、彼の前に立ちはだかった。「潤、お願いだから帰ってちょうだい」それを聞いて潤は彼女を見つめた。普段は厳格で隙を見せない男もこの時の眼差しは、どこか優しさが宿っているようだった。明里は目を逸らし、まつ毛を震わせた。「私を困らせないで、お願い」潤は数秒黙り込んだ後、口を開いた。「俺が泊まると、なぜお前が困るんだ?生理中なのはわかってる。手出しはしない。ただ……」「だめ。私たちはもう離婚の話を進めているのよ。今さら体の関係を持つこと自体が無理なの」潤はあたりを見回して言った。「じゃ、ソファで寝るよ」明里は不思議そうに尋ねた。「それなら、ここに泊まる意味なんてあるの?」潤は少し苛立ったような、それでいてどこか恥ずかしそうな表情を浮かべていた。明里は自分が見間違えたのかと思った。潤は言った。「俺がそんなことしか考えていないとでも思うのか?」明里は深く考えず、ただ言った。「私たちは離婚するのよ。あなたがここに泊まるなんて筋が通らないじゃない。それにソファで寝るなんて……帰ればベッドで眠れるのに、どうしてそんな思いまでしてここに?」「帰りたくないんだ……」「お願いだから」潤が言い終わる前に、明里は手を差し伸べて言った。「私を困らせないで」彼女の表情を見て、潤はそれ以上何も言わず、自分の服を手に取って外へ向かった。ドアの前に立ったところで、彼は振り返った。「明里、離婚のこと……もう一度話し合えないか?」明里は心底驚いた。「何言ってるの?話し合うことなんて何も変わらないじゃない?もう決めたことでしょ?」そう言った後、彼女ははっとした。おそらく、陽菜の身に何かあったのだろう。だから潤はこんなことを言い出したのだ。そうでなければ、潤がこの結婚生活をやり直そうとする理由などないだろうと、彼女は思った。「もう、話し合う余地はないのか?」潤は明里を見つめ、以前よりもずっと穏やかな声で言った。「もし……俺に何か悪いところがあったのなら、改めるから」明里は呆然とした。
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第92話

明里は離婚協議書を大事そうに抱きしめていた。ずるい手を使って手に入れたものであり、自分のやり方が正々堂々としたものではないと、彼女自身も分かっていた。だが、仕方がなかった。というのも、潤がずっと引き延ばしてばかりで離婚に応じてくれないからだ。こうして離婚協議書を手に入れたからには、次にやるべきことは潤に離婚を切り出すことである。しかし、彼を怒らせずに済むように、どう切り出すべきか……明里は、じっくり考える必要があると思った。その一方で、彼女はまたこれから始まる新しい生活を思うと、胸のつかえが下りるようだった。そう思うことで、彼女は一晩ぐっすりと眠ることができた。翌朝、電話の音で目を覚ました。彼女が電話に出ると、その声にはまだ眠気が残っていた。「もしもし?」電話の相手は拓海だった。「まだ寝てたか?」明里は一気に目が覚め、声のトーンもはっきりとしたものになった。「先輩、朝早くからどうしたんですか?」「もう八時過ぎだぞ。とっくに起きてるかと思った」明里はぎょっとした。自分が八時過ぎまで寝ていたなんて。珍しいことだった。おそらく、昨日潤が離婚協議書にサインしてくれたのが嬉しくて、気が緩んで寝過ごしてしまったのだろう。それに、ぐっすり眠れたおかげで、気分もとても良かった。ここ最近の憂鬱な気分が、すっかり晴れたようだった。彼女はベッドから起き上がり、髪を耳にかけながら言った。「昨日は寝るのが遅かったもので、先輩、何か御用ですか?」「今日、工場に行くんじゃないのか?なら、乗せていくぞ」「ごめんなさい、先輩。今日は別の用事があるんです」「そうか、分かった。じゃあな」電話を切ると、明里はため息を一つ吐いた。自分が離婚することは、いずれ隠し通せるものではないだろう。その時が来たら、一体どうなることか……だが今は考えるのはやめよう。せっかくの良い気分を、余計なことで台無しにしたくはなかった。明里はまず顔を洗って身支度を整えると、家を出てお気に入りのカフェで朝食をとった。そして、ちょうど良い時間になったのを見計らって、樹の法律事務所へと向かった。樹は彼女にジュースを一杯差し出しながら尋ねた。「これでよろしいですか?」明里は特に好き嫌いはないので、笑顔でお礼を言った。樹は潤がサイン
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第93話

「別に構いませんよ」樹は言った。「鍋は、大勢でつついた方が楽しいですからね」「じゃあ、胡桃に聞いてみます」「ええ」樹は頷いた。明里は俯いて、胡桃にメッセージを送った。【胡桃、今、黒崎先生のところにいるんだけど、お昼ご馳走する約束だったの。それで、三人で一緒にどうかなって思って。黒崎先生も鍋がいいって言ってるの。正直、二人きりだとちょっと気まずいから】樹とは、まだそこまで親しい間柄ではないのだ。幸い、胡桃からの返事はすぐに来た。【いいよ】それを見て明里は安堵したかのように、樹に言った。「胡桃が了承してくれました。じゃあ、お店予約しますね?」予約を済ませると、明里は立ち上がった。「まだ時間がありますし、黒崎先生、お仕事なさっていてください。私は外で待っていますので」外には応接室や共有のロビースペースがあったため、そこで勉強しながら待っていればいいと明里は考えた。しかし、樹が彼女を長く待たせることはなかった。三十分ほどしてオフィスから出てくると、彼は明里に声をかけた。「そろそろ行きましょうか」明里は時計に目を落とした。「少し早くないですか?」「先に胡桃を迎えに行きましょう」樹は言った。「彼女にもそのように伝えてありますから」それを聞いた明里は、すぐに立ち上がった。「じゃ、行きましょう」「俺の車で行きましょう」と樹は言い、「よろしいですか?」と付け加えた。明里に異論はなかった。駐車場に着くと、樹は後部座席のドアを開けた。「後ろへどうぞ」明里は礼を言って車に乗り込んだ。樹が運転席に乗り込んだ直後、誰かが近づいてきて、いきなり後部座席のドアを開けた。二人ともきょとんとした。そこに現れた人を見た樹は、眉をひそめた。「何をしている?」だが、大輔は彼の問いかけなどお構いなしに突然現れては、勝手に車に乗り込み、そして明里を見て微笑んだ。「アキ、また会えたね!」正直なところ、性格はさておき、大輔のその容姿だけを見れば、実に目の保養になる。彼はシルクのシャツをことさら好んでいるようだった。他人が着れば大惨事になりかねないが、大輔が纏うと、気品と気だるさが漂うから不思議だ。だが、それでも明里は彼と関わりたくなかったから、顔をそむけ、一言も口を利きたくないという態度を示した。そして、樹もまた冷た
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第94話

明里は何と言えばいいのかわからなかった。仕方なく、彼女は頷いた。こうして、大輔は厚かましくもついてきたのだった。胡桃の住むマンションに着き、二分も待たないうちに彼女は現れた。明里はすでに車を降りており、腰まである長い髪の女性を遠くに見つけると、駆け寄って彼女を抱きしめた。胡桃も明里を抱きしめ返しと、その背中を軽く叩いた。「大丈夫、大丈夫よ。私が帰ってきたからには、もう誰もあなたをいじめたりさせないから」明里は鼻をすすり、「うん」と頷いた。胡桃は華やかでくっきりとした顔立ちで、大きくウェーブのかかった髪が、エキゾチックな雰囲気を醸し出していた。対照的に、明里はクールで整った顔立ちで、物静かで浮世離れした雰囲気を纏っている。車の中から大輔が口を開いた。「いやはや、どちらも絶世の美女だが、互いに全く違った魅力を持っているな」だが、樹は彼を冷たく睨みつけた。「黙れ!さっさと降りろ!」「嫌だね」と大輔は言った。「お前たちが食事に行くのに、俺が一人増えたところで問題ないだろ?」「そうだな、だけどあなたがいてもらう必要もない!」樹はそう言い捨てて車を降りた。そして、二人のそばに歩み寄ると、口を開いた。「胡桃、久しぶり」胡桃は白目をむいた。「一生会わなくても別にいいけど」そう言われてたが、樹は怒る気配もなく、優しそうな笑みを浮かべた。明里は胡桃がそんなことを言うとは思わず、思わず彼女の袖を引っ張った。胡桃は途端に機嫌を直し、「行こっか、お腹ペコペコ!」と言った。樹は助手席のドアを開け、「胡桃、こっちへ」と言った。胡桃が動かないでいると、明里が彼女を助手席に押し込んだ。そして、自分は後部座席に乗り込んだ。四人が車に乗り込むと、後部座席から大輔が声をかけた。「どうも、俺は遠藤大輔」胡桃は助手席から振り返り、手を差し出した。「はじめまして、葛城胡桃」大輔は彼女と握手しながら言った。「噂に通りの美人だな」「あなたも、なかなかのイケメンよ」「当然だ」大輔はそう言うと、樹に身を乗り出して言った。「ほらな、俺と胡桃はすっかり意気投合した。一緒に食事しても、別に構わないだろ?」樹が何か言う前に、胡桃が口を挟んだ。「いいじゃない。イケメンがいたほうが、食事も楽しいはずよ」「聞いたか、彼女、俺の
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第95話

そう聞かれ、胡桃はドキッとした。だが、大輔はもう感づいた様子で、明里をじっと見つめて言った。「二宮と離婚するつもりなのか?」明里は無表情で、胡桃に箸を渡しながら答えた。「いいえ」「もちろんアキのことじゃないさ!別の友達のことよ!」胡桃も慌てて口を挟んだ。樹も眉をひそめた。「大輔、変なことを言うな」大輔は明里をちらりと見て、笑いながら言った。「はいはい」珍しく素直な大輔を見て、樹は思わず警告するように彼を一瞥した。大輔は片眉を上げ、口の端に妖しい笑みを浮かべた。明里は、樹と二人きりで食事をすることに、やはり少し抵抗があったのだ。何しろ、まだそんなに親しいわけではないからだ。しかし、そこに二人が加わったことで、もともと明るい性格の胡桃が大輔と話し始めると、二人はあれこれと話題が尽きない様子だった。そのおかげで、食卓の雰囲気を心配する必要はなくなった。食事が一段落すると、樹が立ち上がり、大輔に言った。「ちょっと付き合え。一服しに行くぞ」そして、男二人は個室を出て行った。「ごめんね、アキ。私、大輔さんが知らないなんて知らなかったから……」胡桃がすぐに謝った。「早口言葉みたい」明里は笑った。「別にいいわよ。いつかは知られることだし。それに、彼に知られたところで大したことないし」「それもそうね。彼の噂は前から聞いてたけど、あまりいい話じゃなかったの。でも今日会ってみたら、意外と悪い人じゃなさそうね」「そうかしら?私はそうは思わないけど」明里は答えた。「彼のこと、好きじゃないの?」「デリカシーがないと思う。親しくもないのに、馴れ馴れしく下の名前で呼んでくるし」「名前くらい、いいじゃない。でも、確かに人懐っこいっていうか、必要以上に馴れ馴れしいところはあるかも。私も今日が初対面なのに」そこで明里はふと尋ねた。「もしかして……彼のことが好きなの?」正直なところ、明里は親友にああいう男を好きになってほしくなかった。なぜだか分からないが、彼女はどうしても大輔に良い印象を持てなかったのだ。「何言ってるのよ」胡桃は笑った。「ありえないでしょ」その言葉に明里はほっとして笑った。「よかった。あんな人が彼氏になったらきっと大変だろうと思ったの」「私のこと心配してくれてるの?」胡桃は彼女の頬をつね
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第96話

「彼女は俺たちの関係を知らない」と、樹が淡々と口を開いた。「前は知らなくても、今は知ってるだろ?」大輔は続けた。「それでもお前に依頼をしているわけだから、二人はもう破局してるってことだな」それを聞いて、樹はタバコの火を消した。「あなたには関係ないだろう。俺のクライアントに手を出すな!」そう言うと、樹は個室の中へと入っていった。大輔は顎に手を当て、何か考え込んでいるようだったが、すぐに彼も個室へと戻っていった。その後は特に何事もなく、大輔もおとなしくしていた。そして食事が終わると、意外にも彼は一言挨拶をしただけで帰っていった。彼が去ると、明里はそっと安堵のため息を漏らした。大輔とは、できるだけ関わりたくないというのが彼女の本心だった。一方で、樹は二人の女性を事務所まで送り届けると、明里はすぐに帰ろうとした。「胡桃、まだ俺の事務所に来たことがないだろう。少し休んでいかないか?」と樹が声をかけた。明里は恋愛事には鈍感な方だが、それでも、樹が胡桃に向ける視線に、どこか違和感を覚えていた。それに、もし樹が大輔の従兄なら、その家柄も相当なものであるはずだ。しかし、樹は最初から彼女に対して、そして今、胡桃に対しても、常に謙虚で礼儀正しい態度を崩さない。それどころか、どこか慎重な、遠慮がちな様子さえ見受けられた。明里は笑顔で胡桃を見た。「入ってみなよ、素敵なところよ」「付き合ってくれる?」「これから工場に行かなくちゃいけないの。もう行かないと」と明里は言った。「じゃあ、私も工場に行く」そう言うと、胡桃は樹に向き直り、「黒崎先生、じゃこれで!」と告げた。断られたが、それでも樹は特に何も言わず、笑顔で二人に手を振った。車に乗ると、胡桃は助手席にだらりと身を沈めた。「疲れた、ちょっと寝るね」「おやすみ」明里は暖房を少し強くした。工場に近づくと、彼女は胡桃を起こした。「胡桃、もうすぐ着くよ。そんなに寝たら夜眠れなくなるよ」胡桃は時計を見て、自分が一時間も寝ていたことに気づいた。彼女は大きく伸びをしながら言った。「ここが言ってた化学工場?中って全部、化学薬品なの?放射能とか大丈夫?」「物によってはね。でも大丈夫、ちゃんと防護対策はしてあるから」と明里は答えた。それでも胡桃は不安そうだ。「だった
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第97話

「私は平気だけど」「前は酸っぱいものなんて食べなかったのに、どうして急に好みが変わったの?」「多分……年を取ったせいかな」二人はソファに転がりながら笑い合った。夜11時過ぎまで語り明かし、二人はようやく眠りについた。翌朝、胡桃は電話で目を覚ました。通話を終えると時間を確認し、朝食を作るためにキッチンへ向かった。しかし、明里の冷蔵庫は空っぽで、胡桃はあり合わせの小麦粉と卵で、簡単なパンケーキを作るしかなかった。彼女はおおらかで明るい性格で、裕福な家庭で育った令嬢だが、意外にも料理の腕はなかなかのものだった。やがて胡桃が準備を終えた頃、明里はまだ起きてこなかった。彼女に朝寝坊する習慣がないことを、胡桃は知っていたからだ。二、三度声をかけると、明里はくぐもった声を漏らし、また寝返りを打って眠ってしまった。よっぽど疲れているのだろうか。胡桃は今日、他に用事があったため、明里にメッセージを残して先に家を出た。明里が目を覚ましたとき、少しぼんやりとしていた。彼女はベッドに起き上がってしばらく呆然としていたが、やがて枕元のスマホを手に取って時間を確認すると、驚きの声を上げた。もう十時を過ぎていた。こんなに長く寝てしまったなんて。そして、胡桃からのメッセージに気づいた。それに合わせるかのように、お腹がぐぅっと鳴った。明里は他のメッセージは後回しにして、まずベッドから出て顔を洗い、それから朝食を食べることにした。胡桃はミキサーでジュースまで作ってくれていた。明里のキッチンには調理器具が一通り揃っているものの、彼女はそれらをほとんど使うことはなかった。胡桃の料理は本当に美味しくて、パンケーキは冷めても香ばしく、ふんわりとしていた。明里は一気に二枚も平らげ、ジュースも飲み干すと、ようやく満ち足りた気分になった彼女は今日一日どこにも行かず、家で化学工場の資料整理に集中することにした。そして疲れたら少し体を動かす、そんな一日を過ごすつもりだった。朝食が遅かったので、昼食は抜いて夕食と一緒にしようかと考えていた。しかし、午後二時過ぎにはもうお腹が空いてしまい、スマホでデリバリーを探してみるが、何を食べたいのか自分でも分からなかった。だが、ふとある考えが頭をよぎった。智子が作るスペアリブが
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第98話

明里は洗練された顔立ちをしており、黙っていると、どこかクールな雰囲気を醸し出す。彼女自身の性格も、人に甘えるような可愛らしいタイプではなかった。しかし、健太夫婦は明里の才能を見出してくれた恩人であり、心から彼女を可愛がってくれていた。実の両親よりも、明里はむしろ先生たちの方に親しみを感じていたのだ。だから厚かましいのを承知でお願いしてみたのだが、意外にも智子は大喜びでこう言った。「あら、まあ、じゃあ今からスペアリブを買いに行くわ!アキ、早くおいで!」明里も微笑んで言った。「ありがとうございます」彼女はさっと起き上がると、服を着替え、車のキーを手に取って家を出た。これほどまでに良くしてくれる二人に、どう恩返しをすればいいのか。せめてこれからは精一杯、恩返しをしようと、明里は心に誓うのだった。途中、高級フルーツ店に立ち寄り、普段は自分では手が出ないようなチェリーや大きなオレンジなどを買い込んでから、K大へと向かった。健太はK大からほど近いところに住んでいた。明里が到着すると、二人はすでに買い物を済ませて戻っており、智子がちょうどスペアリブをつくろうとしているところだった。夕食まで時間はまだたっぷりあるので、十分に煮込められるだろう。明里は食べたくてうずうずしていたが、すでにリクエストまでしてしまった手前、今すぐ食べたいなどと言えるはずもなかった。そこで、健太は明里を書斎に連れて行き、早速彼女の学業の指導を始めた。そうなると、明里はすぐにスペアリブのことなど忘れ、化学の世界に没頭した。やがて、智子がドアをノックして声をかけた。「ご飯だよ!」その声で、明里は自分のお腹がとっくにペコペコだったことに気がついた。そして、ものすごい量を平らげられそうに思えた。食卓で、明里はお椀と箸を並べ、まず先生たちにご飯をよそった。智子が言った。「アキ、さあ早く食べてみてちょうだい。私の料理の腕は落ちてないかしら?」明里は健太の方を見た。健太が先に箸をつけたのを確認してから、彼女もおかずに箸を伸ばした。スペアリブを一口頬張ると、明里は満足そうに目を細めた。ああ、この味だ。明里のその表情を見て、智子も満足げに目を細めた。彼女にとっては、明里にどれほどの化学や物理の才能があるかなど関係なかった。ただ
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第99話

明里は俯き、どう切り出せばいいのか分からなかった。しかし、このことは、いつまでも隠し通せるものではなかった。二人が食事を終えるのを見計らって、彼女は箸を置き、きちんと座り直した。そして、口を開いた。「先生、智子さん、私……離婚する予定なんです」それを聞いて、健太はきょとんとした。智子は驚愕した。「何だって、離婚?」健太はすぐに机を叩いた。「ふざけるな!離婚を何だと思っているんだ?そんなに簡単に口にするものではない!」明里も結婚して何年も経たないうち、離婚を切り出すのは少し気が引けたと思った。だから、こんな知らせを聞けば、周りが驚くのも無理はないということは想像できていた。そこを、明里は慌てて説明した。「彼とは……もう愛情なんてないんです。このまま続けても意味がありません」「愛情がないだと?あれほど結婚したいと言っていたじゃないか!」健太はさらに不思議に思った。「一体どういうことだ!」彼が不思議に思うのも当然だった。最も期待していた教え子が、一番大事な時期に学業を投げ出して結婚してしまったのだ。もし結婚生活がうまくいっているのなら、何も言わなかっただろう。だが、今、彼女は離婚すると言った。健太は心から明里を大切に思い、自分の娘のように思っていた。だけど、離婚するということは、彼女の結婚生活が幸せではなかったということなのだろう。明里は言った。「はい、もう本当に……彼とはやっていけません」健太がさらに聞こうとしたとき、智子が彼の腕を引いた。すると健太も口を閉ざし、それ以上聞かなかった。結局のところ、明里は実の娘ではない。厳しく言い過ぎて、彼女を傷つけるわけにもいかないのだ。智子はため息をついた。「具体的に何があったのかは分からないけれど、でも、結婚は遊びじゃないのよ。今の若い子たちは、勢いで結婚して、何かあればすぐに離婚だなんて……感心しないわね」「私も長い間考えて、決断したんです」明里は言った。「すみません、こんなことで心配かけてしまいまして」結局、色々話していたら、明里がそこを去ったのは九時過ぎだった。彼女は健太夫婦に多くのことを語った。結婚後の変化、研究所で働き続け、専門分野から離れてはいないものの、心境や態度が変わり、それが成果に大きな差を生んだこと。さらに、これから
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第100話

それを聞いて、潤は伏し目がちになり、その濃いまつげが微かに震えたように見えた。明里は彼から視線を逸らし、もう顔も見たくなかった。潤が口を開いた。「そういう意味じゃない。ただ、俺たちはまだ離婚していない。お前が屋敷に戻らないなら、俺がお前に会いに来るのは当然のことだろう?」「何か用?」明里は尋ねた。「話があるなら聞くけど」「中にも入れてくれないのか?」「もう遅いから、迷惑よ」と明里ははっきり言った。「離婚協議書の話を、こんな玄関先でするのが妥当だと思うか?」明里は仕方なく、彼を中へと招き入れた。しかし、潤は中に入るなり離婚協議書の話には一切触れず、ずかずかとバスルームへ向かった。明里は彼の前に立ちはだかった。「何するのよ?」「シャワーを浴びるんだ」潤は言った。「今夜はここに泊まる。疲れているから、目が覚めたら、明日の朝に話そう」「だめよ!」明里は一歩も引かない。「そんなの絶対にだめなんだから!」潤は何も言わず、彼女を数秒見つめると、おもむろに服を脱ぎ始めた。まさか彼がここまで厚かましいことをするとは、明里は思ってもみなかった。ほんのわずかな間に、潤はジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩め、シャツのボタンを外し始めた。次第に、見事に割れた腹筋が露わになっていった……明里は咄嗟に目を逸らした。「潤!恥ずかしくないの!」潤は脱いだシャツを無造作にソファへ放り投げた。そして、明里はベルトのバックルを外す音を耳にした。さすがに我慢の限界だった。彼女は潤を鋭く睨みつけると、寝室に駆け込み、バタンとドアを閉めた。潤はふっと笑い、シャワーを浴びに行った。十数分後、寝室のドアがノックされた。ドアの外から潤の声がした。「バスタオルがないんだが、裸でうろつかせる気か?」この前彼が使ったバスタオルは、明里が洗濯してベランダに干してあった。ということは、潤は本当に裸でバスルームから出てきたというのだろうか。そう思うと明里はさらにイラついて歯を食いしばった。「自分の服を着て、さっさと出て行って!」「今夜は帰らないと言っただろ」潤はドア越しに言った。「お前は生理中なんだし、何もしやしない。ただ一晩泊まるだけだ。それもだめなのか?」明里ははっとした。そうだ、自分は生理中だと嘘をついたのだった。そ
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