All Chapters of プライド崩壊の夜~元妻、二人目の妊娠~: Chapter 101 - Chapter 110

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第101話

明里は腹が立って仕方がなかったが、潤のこの様子では帰らないだろうことも分かっている。とはいえ、潤と同じベッドで寝るなんて、ありえない話だ。ただでさえ、潤の服は濡れそぼり、ソファまでびしょ濡れにしているのだ。もともと疲れ切っていた明里は、寝る場所まで奪われて、ますます苛立ちが募った。仕方なく隣の一人掛けソファに腰を下ろし、今夜一晩だけはこれで我慢しようと決めた。ところが座った途端、潤が寝室から出てきた。「何モタモタしてる。さっさと休め」「あなたが私のベッドを占領してるのに、どこで休めっていうの?」潤はソファの傍らに立ち、明里を見下ろした。「お前……俺と同じベッドで寝るのも嫌だってことか?」「だって私たち、離婚するのよ」「まだしてない」「あなたと同じベッドで寝たくない」明里は顔を上げて彼を睨み返す。「前から嫌だったし、今はもっと嫌」潤はただ黙って彼女を見つめている。すると、明里は気まずく視線を逸らした。「今夜は仕方ないわ。明日の朝一番で誰かに服を持ってきてもらおう」そう言って目を閉じ、取り合わない姿勢を見せた。ところが次の瞬間、思わず短い悲鳴が漏れた。体がふわりと宙に浮いたのだ。反射的に何かにしがみつき、目を開けた時にはもう潤の腕の中にいた。自分でも無意識に、彼の首に両手を回してしまっていた。潤は明里を抱えたまま、寝室へと向かった。「潤、離して!」明里は必死でもがいた。しかし、潤の両腕は鉄の箍のように微動だにしなかった。明里の非力な抵抗など、彼にとってはまったく通じていなかった。潤はベッドの傍らで立ち止まった。「もう動くな。これ以上動いたら何をするか分からなくなる。生理中だろうが知ったことか」明里は怒りに燃える目で彼を睨みつけた。潤は構わず続けた。「大人しくしてろ。そうすれば寝るだけだ。もう遅いし、騒ぐな。俺も疲れてる」ちょっと待てよ。騒いでるのは誰というのか!おかしい話でしょう!明里は歯ぎしりしながら、本気で目の前の男の肉を食いちぎってやりたい衝動に駆られた。潤は彼女をベッドに降ろすと、自分もすぐ隣に滑り込んだ。明里は即座に背を向けて寝返りを打った。するとすぐさま、背中に温かい胸板が密着してきた。「さあ、寝るぞ」潤は後ろから彼女を抱きしめ、あろう
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第102話

けれど、耳元の痒みはますます強くなる。明里は無意識に小さく身じろぎし、布団を被ろうと手を伸ばした。次の瞬間、何か重いものが覆い被さってきて、目を開ける間もなく唇を塞がれた。潤だ。彼女の唇をこじ開け、舌を絡めて激しく貪った。これで目が覚めなければ嘘だ。「んっ……!」くぐもった声を上げ、両手で潤の肩を押すが、あっさりと両腕を掴まれて頭上に押さえつけられた。明里が激しく抵抗すると、潤が少し唇を離した。「もう動くな。キスだけじゃ済まなくなるぞ」明里が動きを止めたのを見届けると、潤は再び貪るように唇を塞いだ。明里は拒否することもできず、かといって応えるつもりもない。このキスは長引くだろう。もしかしたら潤は理性を失ってしまうかもしれない――そう思っていた。ところが意外にも、間もなく潤は彼女を解放し、鋭い視線を一度だけ送ると、ベッドから降りて浴室へ向かった。すぐに、冷たいシャワーの水音が聞こえてくる。あれって……もしかして、体が反応して辛くなって、水を浴びに行ったってこと?勝手にすればいい!自業自得!明里は慌ててベッドから降り、服を掴むとリビングへ逃れた。まだ眠気が残っていた彼女は、一人掛けソファに丸くなる。潤が出てきたらどうしようかと考える間もなく、うとうとと微睡み始めた。一方、潤は朝から情熱的なキスをして自分の体を火照らせた挙げ句、手を出すわけにもいかず、またしても冷水を浴びる羽目になった。バスタオル一枚を腰に巻いて出てくると、明里がソファの上で小さく丸まり、その小さな頭がこくりこくりと揺れていた。まるで居眠りする小鳥のようで、どこか愛らしい。明里は彼の前ではいつも素っ気なく取り澄ましていて、特に最近は怒ってばかりだった。潤は、こんな無防備な彼女の姿を見たことがなかった。彼は足音を忍ばせてそばに歩み寄り、隣にしゃがみ込んで、しばらく黙って見つめていた。それから手を伸ばし、彼女の顔にかかった髪をそっと払ってやった。その指が触れた瞬間、明里の体勢が崩れ、前のめりに倒れかけた。はっとして、彼女が目を開けた。「そんなに眠いのか?」まだ少しぼんやりしている明里の耳に、潤の笑みを含んだ声が届いた。彼は彼女の顔をじっと見つめる。「いい大人が、よだれ垂らしてる」明里は反射的に口元を拭っ
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第103話

潤はまだ、何も身に着けていなかった。露わになった上半身。腰に巻かれただけのバスタオルは、さっきからの揉み合いで今にも落ちそうなほど緩んでしまっている。ふと視線を落とした瞬間、明里の頬がカッと熱くなった。咄嗟に腕を伸ばし、目の前の逞しい胸板を押し返す。「潤!」だが、掌に触れた肌もまた、灼けつくように熱かった。火傷でもしたかのように慌てて手を引っ込め、その勢いで立ち上がろうとするが、潤はそれを許さない。腰を掴む腕に、ぐっと力が込められる。室内は暖房が効いているため、明里のルームウェアは薄手だ。服越しに伝わる潤の体温が、腰を掴む掌からじりじりと滲んでくる。「何する気よ!?離して!」明里の声が怒りに震える。「昨日言っただろ。今日は離婚の話し合いをするって」潤の落ち着き払った声が、ひどく癇に障った。いつだってそうだ。彼はどこにいても優雅に構え、平然としている。その姿が、明里自身の無様な狼狽を惨めなほど際立たせるのだ。「その話し合いでしょ!離婚する夫婦が、こんな格好で密着するわけないじゃない!」明里が睨みつけると、潤は目を細めて彼女を見下ろした。「だから、まだ話し合いの最中だ。成立したわけじゃない」明里は深く息を吸い、努めて冷静さを取り繕った。「ねえ、潤。他に何か条件でもあるの?」「条件?」「そう。いつまでもサインを渋るってことは、私に呑ませたい条件があるのに言い出せないとか、そういうことでしょ?」潤は首を横に振った。「ない」明里の苛立ちが募る。「だったら、わざと意地悪してるってこと!?」「どうして俺が、わざわざお前に意地悪なんてする必要がある」潤は言った。「俺はただ……離婚したくないだけだ」明里は言葉に詰まった。以前、潤が口にしていた株価への懸念を思い出し、提案する。「じゃあ、こうするのはどう?離婚のことは伏せておくの。あなたも私も口外せず、誰にも知られないようにする」「人を馬鹿にしてるのか?」潤は言った。「それに、離婚した後、お前は再婚しないつもりか?」「今のところ、そのつもりはないけど……」「『今のところ』だろ」潤は鼻を鳴らした。「伏せておいて、後でお前が再婚でもしてみろ。世間から見れば、俺が妻を寝取られたピエロに見えるだろう」なぜだろう。潤がそんな世間体を気にして
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第104話

立ち上がった潤のバスタオルは、もはや何も隠せていなかった。全てが、隠すところなく明里の前に晒されている。「何を恥ずかしがってる」潤は悠然とバスタオルを巻き直した。「見たことあるだろう」明里は平然を装いたかったが、表情までは取り繕えない。潤が足を踏み出し、キッチンのある方向へ向かう。すれ違いざま、彼は明里の耳元へ唇を寄せ、低く囁いた。「見るだけじゃない。触れたことだってあるだろう?」頭の中で何かが弾けた。このヘンタイ!潤はそのままキッチンへ行き、冷蔵庫を開けるなり不満げな声を上げた。「お前の冷蔵庫、空っぽすぎるだろ」言いながらスマホを取り出し、アシスタントに電話をかけ始める。明里は深呼吸をして、震える声で告げた。「服も持ってきてもらうの忘れないでね」すると潤は、スマホに向かってこう言った。「俺の服を、何着か持ってきてくれ」――何着?どういう意味?明里は目を吊り上げて彼を睨んだ。ここに泊まり込むつもり?なんて図々しいの!アシスタントはすぐにやって来た。潤は半裸の状態なので、ドアを開けに出ることもできない。仕方なく明里が玄関へ向かう。アシスタントを中には入れず、荷物だけ受け取って礼を言った。渡された袋は二つ。一つは野菜や果物、もう一つは潤の衣類だ。明里は食材の入った袋を潤に押し付けると、もう一方の袋を開けて中身を確認した。着替えを一式だけ取り出して彼に渡し、残りは袋に戻して玄関に置き去りにする。帰る時に、全部持って行ってもらうんだから!潤はキッチンに立つと、手際よくハムと卵を焼き、小麦粉を溶いてクレープ生地を作り始めた。広げた生地の上に具材とレタスを乗せ、ソースを塗ってくるりと巻き上げる。皿に盛り付けるまでの動作に無駄がない。「これなら早い。腹が減ってるんだろ、とりあえずこれで我慢しろ。今度ちゃんとした料理を作ってやる」潤は皿を彼女の前に置いた。明里は湯気の立つ皿を見つめた。まさか潤に、こんな特技があったなんて。とはいえ背に腹は変えられない。あれこれ考える余裕もなく、明里は夢中でクレープを頬張った。「どうだ?」潤の期待に満ちた視線を受け、明里は口いっぱいに頬張ったまま、コクコクと頷くことしかできなかった。潤は満足げに彼女の髪を撫でると、再びキッチンへ戻り、自
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第105話

「私には何の文句も要望もないわ」明里はきっぱりと言い放った。「慰謝料も、株も、不動産も、車も、宝石も、何もいらない。だったら、簡単に作れるはずよね」「お前が思ってるほど簡単じゃないんだ」潤はカフスを整え、上着を羽織った。「じゃあこれで決まりだ。夜、迎えに来て食事に連れて行く」明里は彼を見つめたまま、口を閉ざした。潤が不意に距離を詰めてくる。身を屈め、明里の額に優しく口づけた。「待ってろ」彼が出て行った後も、明里はぼんやりとその場に立ち尽くしていた。潤は……どうかしてしまったのだろうか?それとも、誰かに刺激でも受けたのか?でなければ、この異常な行動をどう説明すればいい。今日の午後は、工場へ顔を出す予定があった。ここ数日、拓海は毎日「工場へ行くか」と訊ねてきたが、彼女は毎回断っていた。実のところ、彼と顔を合わせたくなかったのだ。昨日も健太に、自分の離婚の件を拓海には伏せておくよう念を押したばかりだ。ただ、この状況……おそらく長くは隠せないだろう。いいや、もう気に病むのはやめよう。なるようになる。その時になったら考えればいい。少し本を読んで、ついでに健太に出された課題を片付けよう――そう思っていたのに。食べ過ぎたせいだろうか、強烈な睡魔が襲ってきた。元々、明里は朝寝坊をするタイプではないし、昼寝も時間があればする程度で、必須というわけではない。なのにこの二日間はどうしたことか。朝は起きられず、昼間も目が覚めない。おそらく最近疲れすぎていて、張り詰めていた糸が切れた反動だろう。精神的な限界を超え、今になって一気に脱力感が押し寄せているのだ。だから、こんなに疲れているに違いない。自分にそう言い聞かせ、明里は再びベッドに潜り込むと、泥のように眠りに落ちた。スマホの着信音で目が覚めた。意識が朦朧としたまま通話ボタンを押す。「村田さん、今日はいらっしゃいますか?」明里は時計を一瞥して、飛び起きた。「すみません……すぐ行きます!」電話を切り、慌ただしく着替えながら思う。自分がこんなに眠れるなんて、まるで冬眠前の動物みたいだ。工場の作業を終えたのは、もう五時を回っていた。車で家に戻り、服を着替えると、また吸い寄せられるようにベッドへ倒れ込んだ。どうしよう、まだ眠い。最近、睡魔に取
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第106話

潤は返事がないことに気づき、寝顔を覗き込んで額に口づけた。次に明里が目を開けた時、辺りはすっかり暗くなっていた。携帯を手に取って驚愕する。もう夜の八時を過ぎているではないか。画面には何件もの着信履歴。全て潤からだ。慌ててかけ直すと、呼び出し音は鳴るが誰も出ない。代わりに、リビングの方から足音が近づいてくるのが聞こえた。驚いてベッドから飛び降りるが、体勢が整わないうちに寝室のドアが開いた。「どうしてここにいるの?」明里は目を丸くした。潤は彼女を見下ろして言う。「俺がドアを叩いて、お前が開けたんだ。それからまた寝た」「……忘れてた」明里はぺちんと自分の額を叩いた。「寝ぼけてたみたい。何の用?」潤が眉をひそめる。「一緒に食事をするって言っただろう」「もう八時過ぎよ……」明里に、彼と食事をする気力は残っていない。「もう帰って」「何が食べたい?」潤は構わずに続ける。「店を予約させる」「いらない」明里は寝室を出て、ソファに座り込んだ。「食べたくない」そこで初めて気づいた。ダイニングテーブルの上にノートパソコンが広げられている。明らかに、彼女が起きるまでの間、潤はここで仕事をしていたのだ。「夕食くらいは食べないと」潤は食い下がる。「薬膳料理はどうだ?スープでも作ってもらおう」「いや」胃が重く、少し気持ち悪い。動きたくもなかった。「潤、帰って。今は話したくないの」「具合が悪いのか?」その言葉が終わらないうちに、彼の手が伸びてきた。大きな掌が明里の額に触れる。明里は硬直した。思わず目を上げ、潤を見つめる。しかし彼女は気づいていなかった。今の自分の視線が、迷いと無防備さに満ちていることに。長く震える睫毛、上向いた小さな顔、そして桜色の唇が僅かに開いていることに……それが、あからさまな「誘い」に見えるということに。潤はその期待に応えるように、片膝をソファにつき、彼女の顔を両手で包み込むと、その唇を塞いだ。明里は驚愕に目を見開いた。な、何?次の瞬間、強烈な吐き気が込み上げてきた。明里は勢いよく潤を突き飛ばすと、靴を履く暇もなく裸足で洗面所へ駆け込んだ。「うっ!」便器にしがみつき、何度かえづく。しかし、朝に潤が作ったクレープを食べたきり、今はもう夜の八時過ぎだ。胃の中はとっくに
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第107話

一つは、潤を前にした時の自分の態度だ。妙に度胸がついている気がする。一体誰が、こんな勇気をくれたのだろう。二つ目は、感情があまりにも敏感になっていること。以前はこんな風に、些細なことでイライラしたりしなかった。それに、異常な食欲と眠気……昨日はご飯を二杯も平らげ、酢豚の大皿を半分以上も食べてしまった。そして今日も、泥のように眠り続けていた。明里に出産経験はないが、生理的な知識がないわけではない。これらの症状は、妊娠の兆候によく似ている。妊娠……?頭の中が真っ白になり、明里は呆然と立ち尽くした。どれくらい経っただろうか。ようやく視線を落とし、そっと手で下腹部を覆う。妊娠しているの?ここに……自分と潤の子供が?以前なら、この知らせに歓喜したかもしれない。潤の心がどれほど冷たくとも、子供ができれば、それが二人の鎹になったかもしれない。夫婦を繋ぎ止める希望になったかもしれない。けれど今は……潤と離婚しようとしている最中なのだ!これは意地を張っているわけでも、彼を試しているわけでもない。諦めた末の、完全な決別なのだ。もし本当に妊娠しているなら、この子はどうして、よりによってこんな時期を選んでやって来たのだろう。我に返ると、自分がまだ裸足のままであることに気づいた。慌てて靴を履き、服を着替えて体を冷やさないようしっかり包み込むと、明里は部屋を飛び出した。この辺りの土地勘がないため、スマホのナビで一番近い病院を探し、タクシーを飛ばした。病院を出たのは、一時間後のことだった。本当に、妊娠していた!あまりのショックに言葉も出ず、明里は長い間、病院の入り口で放心していた。外来から駐車場までの道のりを、十分近くかけてとぼとぼと歩く。まさか、妊娠確定の診断を受けた直後、医師からの第一声が「この子、産みますか?それとも処置しますか?」だとは思いもしなかった。妊娠の事実を受け止めきれていないうちに、「産むか産まないか」という究極の選択を突きつけられたのだ。産むとしたら、潤はこの子をどう思うだろう?そもそも離婚はできるのか?産まないとしたら……明里は視線を落とし、まだ何の膨らみもない平らな下腹部を見つめた。これは、自分と潤の子供なのだ。この子が消えてしまうかもしれな
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第108話

明里は茹で卵を齧りながら、現状を冷静に分析しようと努めた。今、自分は妊娠している。選択肢の一つは、この子を産まず、予定通り潤と離婚する道。中絶を選べば、誰もこの子の存在を知ることはない。全ては元の計画通りに進み、これからの人生に影響はないだろう。もう一つは、この子を産むが、潤には告げず、一人で育てる道。潤との関係はもう終わっている。子供を使って彼を繋ぎ止めるような真似はしたくない。子供のためだけに一緒にいるような結婚生活に、何の意味があるというのか。明里ははっきりと分かっていた。この子を堕ろすことはできない、と。しかし、エレベーターでのあの一幕を目撃し、ドラマの内容を見てしまうと、一人で育てるという決断にも迷いが生じる。一体、どうすればいいの?答えは出ない。悩んでいるうちにまた強烈な眠気が襲ってきて、明里は意識を手放した。翌朝、電話の音で起こされた。彼女はスマホを手探りで掴む。「もしもし……」「アキ、まだ起きてないの?」明里はあくびを噛み殺して身を起こした。「お母さん?」「昨夜、潤から電話があったのよ」明里の目が覚めた。「何て?」「お父さんに会いに来るって」玲奈の声は弾んでいた。「昨夜は遅かったから電話しなかったけど、今日聞いておこうと思って。いつ来られるの?」明里は寝耳に水だった。「お母さん、彼と相談してから連絡するね」「潤はいい子ねえ。あんなに忙しいのに、お父さんのことを気にかけてくれて。アキ、もう離婚なんて言わないでね?」明里は曖昧に返事をした。電話を切ると、眠気は完全に吹き飛んでいた。どうやら昨夜、自分が潤を追い出した後、彼は玲奈に電話を入れたらしい。潤は一体どういうつもりなのか?本当に会社の株価を心配しているだけで、離婚を先延ばしにしたいのか?それとも……実は潤も自分に、ほんの少しは情があるのだろうか?明里の心の天秤が僅かに揺れた。だが次の瞬間、彼と陽菜の関係が脳裏をよぎる。どうあれ、潤が陽菜を愛しているのは事実だ。たとえ自分に情があったとしても、それはおそらく男のエゴに過ぎない。成功した男は、両手に花を抱き、全てを手に入れたがるものだ。潤もその例外ではないのだろう。そう結論付けると、明里は再び離婚の意志を固めた。子供について
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第109話

「今回帰ったら、お母さんが慎吾の公務員試験のことを持ち出すかもしれない」「分かってる」明里は驚いた。「どうして知ってるの?お母さんが言ったの?」「慎吾本人が俺に言ってきた」明里のはらわたが煮えくり返る思いだった。「他に何て言ってたの?」「知り合いはいないか、コネを探してくれって頼まれた」「ダメ!」明里は怒りで震えた。「引き受けてないでしょうね!?」潤は沈黙した。明里はこの数日、どうしてこんなに気が短いのか不思議に思っていたが、今その答えが分かった。妊娠しているからだ。今まさに、怒りの炎が体中で燃え上がるのを感じる。「潤!あなた頭おかしいんじゃない!」明里は歯噛みした。「彼のことには関わらないでって言ったでしょ!」「でも彼はお前の弟だ」「実の弟じゃない!それに、すぐ離婚するんだから、あなたと彼は何の関係もなくなるのよ!」「じゃあ、どうしてほしい?」「私が言ったら聞くの?」明里は心底呆れた。「前にも言ったわよね。彼が何を言おうと、聞かなくていいし、関わらなくていいって。聞いてた?」「他人なら関わらない」「私にとって、彼は他人なの!」潤は数秒沈黙してから口を開いた。「彼は今、何もしていない状態だ。良くない人間と付き合うんじゃないかと心配だ。この前のことがいい教訓になったはずだ。だから、公務員を目指すのは悪いことじゃない」「そうね。でも私は、彼が自分の実力で試験を受けてほしいの。もし合格すれば、みんな喜べる。不合格なら、それは実力不足よ!コネを探すなんてやり方は間違ってるし、他の受験生に対して不公平でしょ!」「時には、人脈も実力の一つだ」明里はきっぱりと言った。「その考え方は納得できない」潤は小さく溜息をついた。「明里、この世の中、全てのことに白黒つけられるわけじゃない」明里は彼の言外の意味を察した。要するに、自分の真っ直ぐすぎる性格を疎ましく思っているのだろう。潔癖すぎるのは美点ではなく、むしろこの社会では「融通が利かない堅物」と呼ばれる。多くの人は要領の良さや抜け道を学んで生きているのだから。だが慎吾が受けるのは公務員試験だ。これから公の仕事をする人間なのだ。彼の人格を、明里は認めることができない。そんな人間が、本当に国民のために働けるのか?信じられない。
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第110話

午後、明里は工場へ足を運び、正門で担当者に連絡を取って完成した資料一式を手渡した。担当者は満足げに頷いた。「村田先生、ぜひまたご一緒させてください」最初に紹介された時、相手は彼女が上手くやれるとは思っておらず、その態度は横柄ですらあった。それが今では満面の笑みを浮かべ、すっかり低姿勢になっている。明里が確かな実力を示したからだ。他の仕事ならコネや縁故でどうにかなるかもしれないが、専門知識が問われる領域では、実力だけが物を言う。報酬も相場より弾んでくれたようだ。明里も笑顔で応じた。「また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。お世話になりました」工場を後にすると、そのまま自宅へ戻り、友人の胡桃に電話をかけた。「胡桃、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」胡桃は帰国してまだ数日だが、親戚や友人への挨拶回りを早々に済ませ、すぐに仕事へ打ち込んでいるらしい。「何?言って」「確か前に、ケータリングをやってる友達がいるって言ってたわよね。メニューを選んだら、自宅まで届けてくれるっていう」妊娠した以上、長期間デリバリーのジャンクフードを食べ続けるわけにはいかない。かといって、自分で料理もできない。以前、胡桃から聞いた話では、その友人は衛生管理がしっかりしていて、料理の腕も確かだと言っていた。「ええ、どうしたの?頼みたいの?」妊娠のことは、当分秘密にしておきたかった。これからどうすべきか、まだ自分の中で答えが出ていないからだ。だから、親友の胡桃にもまだ言いたくない。明里が注文したがっていると知ると、胡桃はすぐに言った。「あの子、今は何人かスタッフを雇って手広くやってるのよ。ラインのIDを送るから、食べたいものがあったら直接リクエストしてみて」明里は礼を言った。すると胡桃が言った。「私、最近バタバタしててごめんね。そうだ、私のところに引っ越してきてよ。ご飯作ってあげるのに」「いいのよ。お正月前で忙しいでしょ。それに、お正月が過ぎたら私、大学に戻るし」「そうね」胡桃は少し間を置いてから、声を潜めた。「ねえ……黒崎先生から、連絡きてない?」「この二日は何もないけど。どうしたの?」「ううん、何でもない」二人はまた他愛のない話をしてから電話を切った。今の明里には、友人の恋路を気にかける
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