「……ええっ、あの方に?」誘った同僚が驚愕の声を上げる。「この大学の、最大のパトロンよ。とんでもない資産家なんだから」同僚は複雑な表情で、去りゆく明里の背中を見つめた。明里が駐車場に向かうと、いつもの車を運転席で待つ潤の姿があった。だが、その車の窓辺には一人の女子学生が立っており、何やら潤と親しげに話し込んでいた。明里は邪魔をするのも気が引け、少し離れた場所で様子を見守った。女子学生が携帯を取り出している。どうやら連絡先でも交換しようとしているのか、そんな様子が見て取れた。その女子学生は若く、歩いているだけで目を引くような、若さと美しさが溢れる少女だった。明里は見覚えがあった。以前、潤に花を贈ろうとした子だ。あの時、潤が断ったために彼女が花を譲り受けたのだ。しばらくして、女子学生は一歩後退し、車に向かって手を振り、軽やかな足取りで去っていった。彼女が去ると、運転席に座る潤の姿がはっきりと見えた。彼は気だるげにハンドルを握り、節くれだった指を動かしていたが、その手に「誘惑」に応じる気配は微塵もなかった。ふと顔を上げた潤が、こちらを見ている明里に気づく。次の瞬間、彼は居ても立ってもいられないといった様子で車を降り、明里へと歩み寄ってきた。「退勤か?疲れていないか?」明里が小さく首を振ると、彼は自然な動作でカバンを持とうとした。明里はそれを巧みに避ける。潤は一瞬だけ寂しげな目をしたが、すぐに先回りして助手席のドアを開けた。明里が乗り込むと、潤がシートベルトを締めようと身を乗り出してくる。「自分でするわ」指先がかすかに触れ、潤の手がぴたりと止まった。彼はすぐに手を引っ込めると、足早に運転席へと回り込んだ。だが、ドアを開けようとした瞬間、背後から呼ぶ声がした。「待ってください!」振り返ると、さきほどの女子学生が駆け寄ってくるところだった。彼女は手にした真っ赤な林檎を無理やり潤の手に押し付けると、返事を待たずにまた走り去っていった。潤の手に残されたのは、一つのみずみずしい林檎。彼は困惑したように林檎を見つめ、それから助手席の明里へと視線を投げた。明里は射抜くような瞳で、無表情に彼を凝視している。「……これ」潤は車に乗り込むと、その真っ赤な果実を持て余すように差し出した。「あげ
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