All Chapters of 離婚後、捨てられた私は人生の頂点に立つ: Chapter 81 - Chapter 90

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第81話

放課後、紗音は真っ先に水琴に会いに来たが、彼女がどこか上の空であることに気づいた。「水琴お姉ちゃん、どうしたの?」紗音にとっての水琴は、常に冷静沈着なイメージだったから。「ううん、大したことじゃないの」水琴はかすかに微笑む。「嘘だ!掲示板でみんなが騒いでる件でしょ?まったく、誰があんな情報流したんだか。ねえ、水琴お姉ちゃん、学校の上からプレッシャーかけられたりした?」紗音が心配そうに尋ねる。彼女も、教授たちのオフィスから漏れ聞こえてくる話を耳にしていたのだ。「あなたには何も隠せないわね。上の人から何か言われたわけじゃないの。鷹司雅が、自分の誕生日パーティーに私を招待してきたのよ。……そこに、小林先生も来るらしいわ」紗音は顔をくしゃっとさせた。「あの人がお姉ちゃんを招待?絶対何か企んでるよ!水琴お姉ちゃん、行っちゃダメ!もし小林先生に会いたいなら、兄様に言えばいいじゃない。兄様にお願いすれば、きっと招待してくれるよ!」紗音は、兄は何でもできるのだと、誇らしげに胸を張った。「ううん、いいの。もう行くって決めたから。それに、私が小林先生に会いたいのは、コンテストのためだけじゃないの」水琴は紗音の申し出を断った。何かあるたびに、灼也を頼りたくはなかった。紗音は目を丸くする。「コンテストのためだけじゃないって……じゃあ、他に何があるの?」「秘密」水琴は意味深にそう言った。言いたくないのだと察し、紗音はそれ以上追及しなかった。しかし、彼女は相談室を出るや否や、灼也に電話をかけた。興奮した声でまくし立てる。「兄様!うち、鷹司家から招待状って届いてる?」電話の向こうで、灼也は一瞬、言葉をためらった。「……招待状?」「そう、鷹司雅の誕生日パーティーの招待状!届いてない?」電話口から聞こえる紗音のやけに期待に満ちた声に、灼也は首を傾げる。確かに、そんなものは届いていない。彼がそう答えようとした瞬間、アシスタントがドアをノックし、一通の招待状を差し出した。開いてみれば、それはまさに鷹司家からのものだった。「……ああ、あるよ。たった今、届いた」どうして知っているのかと尋ねようとする前に、紗音が答える。「兄様!その招待状、わたしのために取っておいて!わたしも行く!」「君が急に鷹司雅の誕生日パーティーだと?あの子のこと、嫌
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第82話

すかさず、紗夜が贈り物を受け取りながら前に出る。「静沢さん、いらしたのね。雅さんなら、上で準備しているわ。どうぞ、中でゆっくりなさって」屋敷に足を踏み入れると、すでに多くの客で賑わっていた。かつて自分が取り仕切っていた宴会と比べても、何ら遜色はない。紗夜の準備もなかなかだと、水琴は内心で評価した。行き交う招待客は、皆、鷹司家と所縁のある人々だ。そのうちの少なからぬ者が水琴を知っており、彼女の登場は多くの視線と、ひそひそとした囁きを集めた。水琴はそれらを意にも介さず、会場を見渡したが、そこに小林菫の姿はなかった。パーティーの開始まで、まだ十数分ある。まだ到着していないのだろう。すでに着いた者たちは、あちこちで輪を作り、談笑を始めている。その中で、水琴はぽつんと一人、佇んでいた。その様子に気づき、佳乃がすぐに近寄ってくる。「よくもまあ、来れたものね。忠告しておくけど、今日はおとなしくしていることよ。さもないと、容赦しないから」佳乃は嫌味たっぷりにそう言い放った。知る顔一つない会場で、佳乃が立ち去った後、今度は紗夜が歩み寄ってきた。「静沢さん、パーティーはいかが?」彼女が丹精を込めて準備したであろうことが、随所に見て取れた。一流のパティシエを呼んで作らせたというデザート、計算され尽くした酒類の配置、選び抜かれた花々。「まさか、それだけを言いに来たわけじゃないでしょう?」水琴は彼女の表面的な優しさには乗らなかった。この女は、物分かりのいい、か弱い女を演じているが、裏で何を企んでいるかわかったものではない。「ふふ……静沢さん、大変だったでしょうと思って」紗夜は微笑んだ。「こういう準備って、本当に骨が折れるもの。でも、もうあなたが骨を折る必要はなくなったのね」「小林先生を餌に、私をパーティーに誘い出す……あなたが考えた策でしょう?」水琴の顔に、奇妙な笑みが浮かんだ。紗夜は、心底意外だという顔で水琴を見つめる。「静沢さん、あなたを招待したのは雅さんのアイデアで、私は知らなかったのよ。もちろん、私もいつかあなたを招待したいとは思っていたけど、来てくれるか自信がなくて……まさか雅さんが、あなたを呼んでくれるなんてね」「他のお客様をもてなしたらどうかしら。私は一人にしてほしいの」その言葉に、紗夜の表情が一瞬、こわばった。すぐにその場を
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第83話

「恋する人にとっては、一日会えないだけでもすっごく長く感じるんだもん!」紗音が、さも当然のように口を挟んだ。「紗音の言う通りだよ」灼也が楽しそうに笑う。そのやりとりに、水琴は思わず吹き出してしまった。その笑顔は、夜空に咲く花火のように、華やかだった。パーティーの参加者たちの多くが、興奮した面持ちで灼也を見つめていた。鷹司家のパーティーに招かれるのもそれなりの名士たちではあるが、灼也のような大物は数えるほどしかいない。彼のような人物は、通常、招待することすら叶わないのだ。ここにいる者たちのほとんどは、灼也が属するサークルとは無縁で、喉から手が出るほど、彼のような人物との繋がりを求めていた。臣もまた、予想外のゲストの到来に驚いていた。招待状を送ったのは、あくまで慣例に従ってのこと。まさか本当に彼が来るとは思っていなかったのだ。水琴と楽しそうに語らう灼也の姿を見て、臣の双眸がじりじりと赤く染まっていく。その眼差しは、見る者を凍てつかせるほどの冷たい憎悪を孕んでいた。彼の視線に気づいた紗夜が、どこか傷ついたような声で言う。「静沢さん、やっぱり灼也様とは特別に親しいのね……さっき私が挨拶に行ったら、なんだかひどく誤解されているみたいだったわ。臣さん……静沢さん、まだ私のことを恨んでいるのかしら」「紗夜、君のせいじゃない。全部、俺のせいだ。それに……もしかしたら、先に裏切ったのは彼女の方かもしれない。君は優しすぎるんだよ。彼女のことは気にするな」臣はそう言って、紗夜の肩をそっと叩き、慰めた。水琴たちの周りには、灼也と話そうとする人々が絶えず集まってきていた。だが彼はそれをあしらい、やがて会場の隅に腰を下ろした。それ以上、彼を邪魔しようとする者はいなかった。パーティー開始まであと二分というところで、水琴はついに待ち人が現れたのに気づいた。紫色のドレスをまとった小林菫が、ホールへと足を踏み入れる。その姿は四十歳ほどにしか見えず、成熟した色香が漂っていた。水琴が挨拶をしに行こうとした、その矢先。紗夜がすっと彼女の前に立ち、そのまま連れて行ってしまった。「水琴お姉ちゃん、探してたのって、あの人?」紗音は、初めて見る菫の姿を興味深そうに目で追った。水琴は頷く。「ええ、そうよ」灼也は菫を一瞥し、どこかで見た顔だ、とだけ思った。
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第84話

グラスを差し出し、灼也の持つそれに合わせようとした、その刹那。灼也はひらりと身をかわした。「すみません、鷹司さん。俺はみーちゃんの付き添いで来ただけなので」雅の顔から、さっと血の気が引いた。もう片方の手は無意識にドレスの生地を強く握りしめ、差し出したグラスは行き場を失って宙を彷徨う。灼也に声をかけたこと自体を、心の底から後悔した。みーちゃん……なんと親密な響きだろう。大勢の目の前で、灼也はこんなにもあっさりと自分の面子を潰したのだ!彼女は必死で平静を装い、グラスを引いた。「……どうぞ、ごゆっくり」それだけを絞り出すと、雅はすごすごとその場を立ち去るしかなかった。その一部始終を見ていた水琴は、思わずぷっと噴き出してしまう。あの灼也が、人をやり込めることにも長けているとは意外だった。「灼也様のあの一言、雅さんは今頃、腸が煮えくり返っているでしょうね」灼也はさして気にも留めず、肩をすくめてみせる。「事実を伝えたまでさ」すると、隣で聞いていた紗音が口を尖らせた。「まだ言ってなかったけど、わたしも兄様も、水琴お姉ちゃんのために来たんだからね!」司会者がパーティーの進行を務める中、水琴は手持ち無沙汰にデザートをつまんでいた。どうやって小林先生に接触しようかと思案していると、紗音が新たなデザートの皿を手に戻ってくる。「水琴お姉ちゃん、デザート取ってくるときにね、鷹司雅が何やらコソコソしてて……挙動不審だったの。USBメモリを持ってたんだけど、わたしが声をかけたら、ビクッて震えちゃって!すっごく可笑しかったんだから」紗音はそう言って、おかしそうにころころと笑った。USB……?水琴はその単語を頭の片隅に置き、ふと会場の巨大なスクリーンに目をやった。そして、雅の企みに思い至る。水琴の口の端に、ふっと笑みが浮かんだ。「紗音ちゃん、お願いがあるの」「うん、なあに?」紗音はこてんと首を傾げ、水琴に耳を寄せた。二人が囁き合っている、まさにその時だった。臣が灼也のもとへ歩み寄ってきた。「君が来るとは思わなかった」灼也はどこか冷ややかな空気を纏い、含みのある声で返す。「俺が来たのは、みーちゃんがいるからだ。彼女が虐められでもしたら、と心配でね」グラスを握る臣の手に、ぐっと力が籠もる。「ご冗談を、高遠さん。いったい誰が水琴を虐めるという
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第85話

スクリーンが、ぱっと明るくなる。映し出されたのは、薄暗がりの中、男が女に乱暴に絡んでいる一枚の写真だった。これは……!会場全体が息を呑む。次の瞬間、無数のフラッシュが焚かれ、記者たちが狂ったようにシャッターを切り始めた。名家のスキャンダル――その誕生の瞬間を、誰もが見守っていた。雅は、まだスクリーンを振り返らない。階下の客たちの反応だけで、計画の成功を確信していた。彼女は興奮に声を震わせ、壇上から水琴を指差す。「この写真に写っているのは静沢水琴!A大学の心理学講師にして、私の元・義姉ですわ!皆様に告発いたします!この女は、結婚中でありながら不貞を働き、あちこちで男を誘惑するような、恥知らずな女なのです!」灼也様が怒りに顔を歪め、水琴を突き放す――その光景が雅の脳裏に浮かんだ。さあ、どんな顔で怯えているかしら。彼女は嘲るように水琴の方に目をやった。だが、雅の期待は裏切られる。灼也は感情の読めない無表情でスクリーンを見つめ、水琴に至っては、口の端を緩やかに吊り上げたまま、余裕の笑みすら浮かべている。そして隣の紗音は……なぜか、今の自分とそっくりな、期待に満ちた興奮した顔で、こちらをじっと見つめていた。いったい、どういうこと?灼也様には、写真の女が見えていないとでもいうの?その時だった。スクリーンから、息の詰まるような金切り声が響き渡った。「離して!私は鷹司家の人間よ!」その聞き慣れた自分の声に、雅は現実に引き戻される。ハッと振り返った先に映っていたのは――!中年男に絡まれる、紛れもない自分自身の姿。数日前の高遠家のパーティーでの、あの忌まわしい出来事!「やめっ……見ないで!見ないでっ!消して!早く消しなさい!」顔面蒼白になった雅は、巨大なスクリーンを小さな体で隠そうともがき、狂ったように叫んだ。やがてスクリーンはぷつりと暗転する。しかし、ついさっきまでの光景は、記者たちのカメラにも、そこにいる全ての招待客の脳裏にも、鮮明に焼き付いてしまった。「お母様!静沢水琴の写真だったはずなのに!どうして?!いったいどうなってるのよぉっ!」雅は、無数の視線を突き抜けるように水琴を睨みつけた。その嘲笑と侮蔑に満ちた瞳を見て、全てを悟る。――あの女よ!あの女が、写真をすり替えたんだわ!「静沢水琴……!よくも、私を嵌め
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第86話

そう言えば、鷹司家の面子のためだけでも、母が水琴を追い出すことは火を見るより明らかだった。案の定、佳乃はすでに水琴の目の前まで駆け寄っていた。その目は憎悪に血走り、先ほどまでの上品な貴婦人の仮面は、見る影もない。「この泥棒猫!自分がふしだらなくせに、よくも私の娘に泥を塗ってくれたわね!」せっかく灼也様をお招きできたというのに。この日のために、どれだけ準備を重ねてきたと思っているのか。その全てが、この忌々しい女のせいでめちゃくちゃにされた!絶望に駆られた雅は、獣のように叫びながら水琴に殴りかかった。あの憎らしい口を引き裂いてやりたい。いや、いっそあの美しい顔を、ズタズタに傷つけてやりたい!その形相は、およそ上流階級の人間とは思えない、あまりに下品なものだった。居合わせた夫人や令嬢たちは皆、侮蔑の眼差しを向ける。あのような人間と関わりを持つこと自体が、自分たちの品位を落とすことになると、誰もが思った。かろうじて理性を保っていた紗夜が、慌てて彼女を引き留めようと手を伸ばす。「雅さん!戻ってきなさい!」しかし、一歩遅かった。雅はすでに狂乱のまま、水琴へと飛びかかっていた。「失せろ」灼也の凍るような声が響き、水琴の体がぐっと引き寄せられる。空を切った雅の体は、そのまま床に叩きつけられた。みっともなく、顔から派手に突っ込む形だ。その衝撃で、雅が丹念にセットした髪は無残に乱れ、見栄を張るためにつけていた真珠のネックレスは糸が切れ、床一面に散らばった。一瞬の静寂。会場の誰もが呆気に取られ、その視線は侮蔑の色を帯びていく。雅はようやく我に返り、床に転がる真珠と、自分に注がれる冷たい視線に気づくと、堰を切ったように「わあぁっ」と泣き叫んだ。無様で、滑稽なその姿。それを、水琴はまるで路傍の犬でも見るかのように、冷ややかに見下ろした。――本当に、上辺だけの張りぼてね。わめき散らすことしか脳がないなんて。これが鷹司佳乃が育てた『出来の良い娘』の正体とは。佳乃は慌てて娘を抱き起こし、水琴を睨みつけた。「この……!よくも私の娘にこんな真似を!ここは鷹司の家よ!あんたみたいなのが好き勝手していい場所じゃないの!」せっかくのパーティーを台無しにされ、臣は内心で舌打ちをした。そもそも、なぜ雅は水琴を招待などしたのか。おかげで、妹が男に絡ま
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第87話

記者たちはその一言一句を記録し、フラッシュの光が絶え間なく明滅する。佳乃が憎悪の目で水琴を睨みつけると、カメラのレンズが一斉に彼女へと向けられた。誰もが次なる爆弾発言を待ち構えている。その時だった。すっと一つの人影が、水琴の前に立ちはだかった。彼は集まってきた記者たちを一瞥しただけだ。それだけで、群がっていた者たちは皆一歩後ずさり、突きつけていた録音マイクすら、おずおずと下ろした。灼也の表情はますます険しくなり、その瞳は氷のように冷たい。沸き立つ怒りをどうにか抑え込んでいるのが、かえって凄みを増していた。「勘違いをなさっているようだ。あの映像に映っていた男は、そもそもあなたの娘さんが静沢さんを辱めるために雇った人物。映像の中の会話を、ここにいる皆さんもお聞きになったはずだ。……まさか、ここにいる全員が、何も聞こえなかった愚か者だとでもお思いで?」臣の顔色が変わった。そうだ、映像はわずか十数秒で強制的に消されたが、その中には確かに会話が含まれていた。男が「鷹司雅に頼まれて静沢水琴を陥れようとした」と訴える声が……しかし、佳乃はもはや理性を失っていた。「あなたはあの女の肩を持つから、そうおっしゃるのでしょう!可哀想な雅が、あんたたちに好き勝手な濡れ衣を着せられて!」「母さん!」臣は慌てて母の言葉を遮った。高遠家は、自分たちが敵に回していい相手ではない。水琴は冷ややかに笑う。「高遠さんは、ただ事実をおっしゃっただけです。雅さん、私はとっくに言ったはずよ。『鷹司家とは金輪際関わらない』と。その約束を破って、何度もちょっかいを出してきたのは、あなたのほうでしょう?今回は、その報いを受けたに過ぎないわ」「違う!」雅の声は、激しく叫んだせいで老婆のようにしゃがれていた。「あんたのせいよ!全部あんたが、私の誕生日パーティーを滅茶苦茶にするために仕組んだんでしょう!」彼女は、どっと臣の胸に倒れ込んだ。「お兄様!見てよ、この女の性悪なところ!私のために、仕返しをして!」もう、ここまでだ。自分の面子は地に落ちた。だが、このまま静沢水琴だけを、何のお咎めもなしにこの場から帰してたまるものか。「水琴、そうだとしても、君はかつて雅の義姉だったんだ。もし彼女が何か過ちを犯したというなら、内々に俺に話せばよかっただろう。どうして、こんな大勢の前で事を荒立
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第88話

雅もまた、怒りの頂点からようやく理性を手繰り寄せた。「今の映像は、ただストーカーに付きまとわれただけのことよ!未遂だったんだから、被害者はむしろ私のほうだわ!」彼女は瞬時に事件の性質をすり替え、自らを『被害者』の立場に置いた。うまくいけば、同情票を集めることさえできるかもしれない。水琴はその言葉の意図を即座に見抜いたが、大勢の記者がいるこの場で、あえてそれを暴こうとは思わなかった。もうここに自分の用はない。雅や鷹司家の人々がこれから何を言おうと、聞くだけ時間の無駄だ。水琴は会場を見渡し、ついに、ずっと探していた目的の人物を片隅に見つけた。――小林菫。彼女は優雅なドレスを身にまとい、シャンパングラスを片手に、ステージ上で繰り広げられる騒動を静かな微笑みと共に眺めている。まるで、この喧騒の全てが自分とは無関係であるかのように。水琴は笑みを浮かべて、その人影へと歩き出した。灼也も黙ってその後ろについていく。紗音はそんな二人を見送りながら、もっと面白いことになればいいのに、と言いたげな顔で兄にひらひらと手を振った。「兄様、早く水琴お姉ちゃんのところに行きなよ!わたしはまだこのお芝居、見てたいから!」水琴は菫の前まで来ると、すっと手を差し出し、単刀直入に切り出した。「小林先生、はじめまして」菫は一瞬、訝しげな表情を浮かべたが、それでも差し出された水琴の手に自分の手を重ねた。「はじめまして。失礼ですが、あなたは?」「A大学の心理相談室で講師をしております、静沢と申します。先生が帰国されたと伺い、ずっとご連絡を取りたいと思っておりました。ですが、どうしても叶わず……このように突然お声がけする失礼を、どうかお許しください」「いえ、構いませんわ。ところで、そちらの方は?」菫は、水琴の隣に立つ灼也に不思議そうな視線を向けた。水琴のそばに来てもなお、灼也の纏う空気は氷のように冷たく、その眉間には鋭い拒絶の色が刻み込まれている。彼は軽く会釈した。「高遠灼也です」灼也はその顔に見覚えがあった。「……どこかで、お会いしたことが?」水琴は少し眉をひそめ、意外な顔で灼也を見つめた。まさか、ナンパ?しかも、ずいぶん古風なやり方で。ところが、菫はふふっと微笑むと、一瞬で警戒を解いた。「覚えていらっしゃいませんか、高遠さん。以前、妹さんの心理的
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第89話

菫はふふっと微笑むと、耳にかかった髪を指先で優雅に後ろへ流した。「実を言うと、私はもう長いこと審査員のような仕事はお引き受けしていないの。それに、こちらでの滞在期間も、そう長くはありませんから」「ですが、先生の理論は、A大学の心理学部の学生たちにとって、常に道標となってきました。以前、国際的なコンテストからも招待があったにも関わらず、先生が全てお断りになったことも存じ上げております。それでも……まずは、こちらをご覧いただきたくて」水琴は、真摯な眼差しでそう訴え、バッグから一束のファイルを取り出した。「こちらは、学生たちが先生の理論を基に執筆した論文です。中には、独自の視点から新たな考察を加えたものもあります。どうか、お目通しいただけませんでしょうか」菫は意外そうな顔でファイルを受け取ると、ぱらぱらと数ページをめくった。「……ありがとう。後で、じっくり読ませていただきますわ」水琴は、ほっと息をついた。これで菫が承諾してくれるという確信はない。だが、少なくとも、学生たちの熱意のこもった論文を、本人の手に渡すことはできたのだ。彼女がその場を辞去しようとした、その時だった。「静沢さん」菫に、不意に呼び止められた。「今夜のこの出来事、あなたはどうご覧になりました?」水琴は一瞬戸惑い、ステージの上でまだ続く騒動を指差した。「……あちらのこと、でしょうか?」「それ以外に、何があると?」菫はそう言うと、意味深な笑みを浮かべた。「ただ、一つだけ言っておきます。静沢さん、あなたのやり方、見事でしたわ。もし私だったら……そうね、あなたよりもっと容赦のないやり方をしたかもしれません」彼女は、ちらりとスクリーンの操作卓に視線を走らせた。水琴は、瞬時に全てを理解した。雅がしたことも、自分がしたことも、この人の前では全てお見通しだったのだ。「ご冗談を。私はただ、自分を守りたかっただけですから」菫は、手の中のシャンパンをくいと飲み干すと、空になったグラスを静かにテーブルに置いた。そして、優雅な仕草で一礼し、そのまま会場を後にしていく。水琴は灼也と目を見合わせ、ぷっと噴き出した。「あなたも、気づいてたの?」――USBの件を、と。灼也はただ、意味ありげに微笑むだけだ。「俺はいつでもみーちゃんのことを見てるからね。……上出来だったよ」「からかってるんで
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第90話

水琴は、静かに説明を始めた。「無駄よ。彼らは鷹司家には逆らえない。鷹司家の言う通りに記事を書けば大金が手に入るけど、逆らえばクビになるかもしれない。彼らがどちらを選ぶか、わかるでしょう?」水琴は、記者たちが質問を始めた時点ですでにこうなることを見越していた。だからこそ、雅が話題をすり替えた後、それ以上追及しなかったのだ。明日、世間が知るのは、結局のところ鷹司雅が『知らせたいこと』だけなのだから。「ええっ?!」紗音は不満げに水琴の腕に絡みついた。「こんなことになるなら、野次馬なんてしてないで水琴お姉ちゃんと一緒に小林先生に会いに行けばよかった。……あ、そうだ。先生、引き受けてくれたの?」「まあ、断られた、って感じかしらね。お時間も貴重ですし。でも、学生たちが先生の理論について書いた論文は渡してきたわ」これだけでも、大きな収穫だった。「水琴お姉ちゃん、落ち込んでない?大学の上層部には、なんて説明するの?」紗音が心配そうに水琴の顔を覗き込む。「大丈夫よ」水琴は優しく紗音の頭を撫でた。「やれるだけのことはやったし、お願いもした。努力したっていう事実があれば、それで十分よ」断られること自体は、悪いことだとは思わない。それに、たとえ菫の力を借りられなくとも、自分一人の力でコンテストを成功させる自信はあった。「大丈夫だよ!水琴お姉ちゃんには、わたしがいるからね!」マンションの下に戻ると、一人の人物に遭遇した。小林鹿耶だ。鹿耶は、一目で灼也の車だと気づいたらしい。両手に大きな買い物袋をいくつもぶら下げたまま、車から降りてきた水琴の行く手を塞いだ。「あんたねえ!ミコト!男にうつつを抜かして、親友を放ったらかしにするなんて!」その声は、水琴への遠慮など微塵も感じさせないほど大きい。しかも最悪なことに、すぐ後ろから降りてきた灼也の耳に、その言葉はまっすぐ届いてしまった。当の本人は、何食わぬ顔で鹿耶に挨拶している。「どうも」「どうも、灼也様!」鹿耶はにこやかに応じると、すぐに水琴に向き直って脅すように問い詰めた。「白状なさい!あんたたち、二人でどこで油売ってたのよ!あたしが何回電話しても出ないし!」電話?水琴ははっとして自分の体を探ったが、今日着ているのはドレスだ。スマートフォンは、ここにも、車の中にもない。「スマホ、たぶん相談室
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