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氷のCEOは、愛の在処をもう知らない のすべてのチャプター: チャプター 61 - チャプター 70

113 チャプター

60:偽りの声

 立て続けに計画が失敗し、玲香の苛立ちは頂点に達していた。 東京の綾小路家の自室は、彼女のプライドを具現化したような空間である。猫脚のアンティーク調の家具は白と金で統一されているが、その上には有名ブランドのロゴがこれ見よがしに入ったバッグや小物が無造作に散乱している。壁際には、買ったまま開封もしていないオレンジや青の箱が積み上げられている。 部屋全体が高級なショーウィンドウのようでありながら落ち着きがなく、品が良いとは言えなかった。 その部屋の主である玲香は、シルクのガウンを羽織って忌々しげにタブレットをスワイプする。画面には、結菜の発見を称賛する地方の記事が映っていた。「あの女……!」 玲香は低く唸ると、タブレットをソファに叩きつける。ぼすん、と音がしてタブレットは高級なスプリングに跳ねた。 物理的な攻撃も、職場での圧力も通じない。ならば社会的な信用そのものを、根こそぎ奪ってしまえばいい。(そうよ、最初からこうすれば良かったんだわ) 彼女は興信所の番号を呼び出し、スピーカーモードに切り替えた。「私よ。仕事をお願いしたいの」「これは綾小路様」 電話の向こうで、低い男の声が恭しく応じる。「あの町の、女たちが集まる場所……そうね、スーパーや商店街の井戸端会議に紛れ込みなさい。そして、それとなく噂を流すのよ。『図書館の早乙女結菜という女は、東京の資産家を子供を盾に誘惑している』『父親も分からない子供を育てる、素性の知れないシングルマザーだ』とね。証拠は必要ないわ。人々の心に、疑いの種を植え付けられれば、それでいいの」 怒りを押し殺した、ひどく冷たい声だった。◇ 数日後、町に数人のアウトドアウェアを着た男女が姿を現した。観光客を装った、興信所の工作員たちだった。 彼らは商店街のパン屋で世間話をする主婦の輪に加わり、人懐こい笑顔で話しかける。「この町って、子育て支援が手厚いんですねえ。市営住宅も子育て世帯優先。図書館でも、シングルマザーの方
last update最終更新日 : 2025-10-28
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「……東京から来たっていう、あの……」「子供をだしにして……」 断片的に言葉が聞こえてくる。その一つひとつが、結菜に向けられた棘だった。(急にどうしたのかしら? 私、何か良くないことをしてしまった?) 何が起きているのか分からない。昨日まで自分たち親子に優しかったはずの世界が、突然、冷たい壁となって立ちはだかっている。その理由なき悪意が、何よりも結菜を追い詰めていった。◇ しかし玲香の計画には大きな誤算があった。結菜がこの町で、すでに深い信頼を築き上げていたことだ。 噂が広まり始めた頃、商店街の八百屋で、数人の主婦がひそひそと噂話をしていた。「聞いた? 図書館の早乙女さん。東京の若い社長さんを狙ってるって話よ」「まあ、やっぱり。どうりで地味なのに妙に目立つと思ったわ」 その会話を、店主の頑固親父が黙って聞いていた。彼は、泥付きの大根を雑に新聞紙で包むと、主婦たちに向かって吐き捨てるように言った。「あんたら、馬鹿なこと言ってんじゃないよ」「え?」「早乙女さんは、毎週うちで一番安い見切り品の野菜を買っていくんだ。それでも、いつも『立派な野菜ですね』って言って、大事そうに抱えて帰る。自分の服はいつも同じなのに、子供には季節の果物を欠かさない。そんな人が、男をたぶらかすような計算高い女に見えるかい? 俺には見えねえな」 店主のぶっきらぼうだが心のこもった言葉に、主婦たちは顔を見合わせる。気まずそうに黙り込んだ。 図書館の館長や同僚、そしてこの八百屋の店主のように、結菜の誠実な働きぶりを間近で見てきた人々が一人、また一人と彼女を庇い始めたのだ。 その流れを決定的にしたのが、週に一度の「子供向けおはなし会」の日だった。 結菜が絵本を読んでいる最中、一人の見慣れない女性が、わざとらしく大きな声でクレームをつけた。「ちょっとよろしいかしら! あのような素性の知れない方に、大事な子供たちを任せて大
last update最終更新日 : 2025-10-29
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 おはなし会での一件は、その日のうちに町中の噂となった。 翌日、結菜が出勤すると、図書館のカウンターにはひっきりなしに町の人々が訪れた。彼らは本を借りに来たのではない。「早乙女さん、これ、うちで採れたトマト。頑張ってるんだから、ちゃんと食べるんだよ」「うちの息子が、昨日はごめんねって。早乙女先生を守るんだって、木の枝を振り回して大変だったのよ」「変な噂なんて、誰も信じてないからね!」 口々にかけられる温かい励ましの言葉と、差し出されるたくさんの差し入れ。 結菜は、涙がこぼれそうになるのを必死でこらえる。心底ありがたかった。「ありがとうございます」 何度も頭を下げる。 悪質な噂は完全に沈静化した。結菜への信頼は、以前よりもさらに強固なものになっていた。◇ 一方、東京の綾小路家。玲香は、興信所の担当者からの最終報告を、スピーカーにしたスマートフォンで聞いていた。『――以上の理由から、対象者・早乙女結菜の社会的信用の失墜を狙った工作は、逆効果に終わったと判断せざるを得ません。特に、おはなし会での一件以降、対象者への同情と支持が町全体に拡大しており……』「もういいわ」 玲香は、男の淡々とした声を遮ると、通話を終了させた。そして次の瞬間、スマートフォンを大理石の床に叩きつけた。 ガシャン! と硬質な音がして、スマホの画面にヒビが入る。「ありえない……! 田舎の主婦どもが、この私の計画を邪魔したっていうの!?」 結菜の顔、そして自分を追い返した母親たちの姿が脳裏に浮かび、玲香は悔しさに体を震わせる。彼女の工作は、またしても結菜の評価を高めるだけの、みじめな結果に終わったのだ。 そしてその事実は、智輝の元へも届けられていた。◇ 深夜、プロジェクトのオフィスに残っていた智輝の元に、秘書がやって来た。「どうした? こんな時間に」「急ぎのご報告です
last update最終更新日 : 2025-10-29
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63:見えない価値

 町の噂が結菜への称賛に変わったという報告は、玲香のプライドをずたずたにした。「あの女が、町の英雄ですって……?」 東京の自室で、玲香はタブレットに表示された地方紙の記事を睨みつけ、低く呟いた。智輝のプロジェクトの成功が、憎い結菜の名声を高めている。その事実が我慢ならない。 彼女は受話器を掴むと、父親の銀行で地方の案件を管轄する役員の番号を呼び出した。「私よ。例の町の、図書館の件だけれど」「これは綾小路様のお嬢様。本日はどのようなご用件で?」 相手が恐縮する声がスピーカーから聞こえる。「早乙女結菜。知っているわね? 彼女を、桐生様のプロジェクトから完全に外しなさい。理由はそうね……『専門外の司書が重要プロジェクトに関わるのは、情報管理の観点から問題がある』とでもしておけばいいわ。とにかく、あの女を智輝様の目に入らない場所へ追いやりなさい」「そ、それは……頭取にお叱りを受けませんか?」 以前の失敗例がある。相手はためらっていたが、玲香は脅しをかけた。「これは、頭取の娘としてではなく、未来の桐生家の人間としての『お願い』よ。文句があるなら、桐生家の方々に言うことね」(あの女をプロジェクトから、智輝様から引きはがすためなら、もうなりふりかまっていられないのよ!) 玲香の苛立ちは頂点に達していた。◇ 館長室のドアをノックすると、「入りたまえ」という声が聞こえた。 結菜が中に入ると、館長はデスクで山積みの書類に視線を落としたまま、顔を上げようとしない。その指先は神経質にペンを弄んでいる。普段の快活な彼からは想像もできないほど、重苦しい空気が漂っていた。「早乙女君……急に呼び出して、すまない」 ようやく発せられた声は、ひどく低くて重苦しい。「明日付で、担当業務を変更してもらうことになった」「変更、ですか?」 先日の地下書庫の件がある
last update最終更新日 : 2025-10-30
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 専門知識を持つ結菜が外れたことで、古文書のデジタル化作業は滞っていた。 プロジェクトルームに集められた臨時スタッフたちは、高解像度モニターに映し出された古書の画像の前で頭を抱えている。「この『みぎは』って、どういう意味だ?」「前後の文脈からすると、季節のことのようだが……」 ミミズが這ったような崩し字と、現代では使われない独特の言い回し。彼らの知識では、解読は不可能に近かった。「なぜ、こんなに時間がかかっているんだ」 報告を受けた智輝は、苛立ちを隠さずにプロジェクトルームへ乗り込んだ。彼はスタッフの一人を押し退けるようにして席に着くと、自ら古書の解読に取り掛かる。 だが、彼もまた同じ壁にぶつかった。膨大な歴史データベースを検索し、古語辞典を何冊も並行して開く。持ち前の明晰な頭脳で一つ一つの単語をパズルのように組み立てていくが、文章全体の意味がどうしても浮かび上がってこない。一つの文脈を理解するのに、半日を費やしてもまだ足りなかった。(結菜は、これを……当たり前のように読んでいたというのか)思うようにはかどらない作業に、彼の眉間のしわは深くなる一方だった。「これはもう、専門の学者を呼んで解読してもらうしか」「というか、早乙女さんはどうしたんだ。彼女、学者ばりの知識の持ち主だろう」「異動になったらしいぞ。プロジェクトの担当から外れたって」「はぁ!? なんで! あの人が図書館側の中核だろうに」 スタッフたちの声が聞こえてくる。智輝はここでようやく気づいた。(そうか……。俺が気づいていなかっただけか。彼女がいたから、全てがスムーズに進んでいた。あれだけの資料をたった一人で受け持って、しっかりと作業を回していた) それは、結菜の「見えない価値」だった。誰もができると思っていた作業は、彼女の専門性と地道な努力によって支えられていたのだ。◇(……結菜の、専門知識)
last update最終更新日 : 2025-10-30
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65:雨の日

 その日の午後、結菜がカウンター業務をしていると、窓の外が急に暗くなった。分厚い灰色の雲が、あっという間に空を覆い尽くしていく。すぐに、ぱらぱらと大粒の雨が窓ガラスを叩き始めた。(樹のお迎えの時間までには、止んでくれるといいけれど……) 結菜は時計を気にしながら、不安な気持ちで空を見上げた。 しかし彼女の願いとは裏腹に、時間と共に雨は勢いを増すばかりだった。 終業時間になる頃には、雨音は轟音のようになって図書館の屋根を激しく打ちつけている。「すごい雨ですね」「今日は寄り道しないで帰らなきゃ」 同僚たちが口々に言っている。 田中が心配そうな口調で続けた。「早乙女さん。保育園まで気をつけてね」「ありがとう。では、お先に失礼しますね。お疲れ様でした」 同僚たちに答えて、外を見る。 激しい雨が強い風を伴って吹き荒れていた。 結菜は覚悟を決めると、傘を握りしめて外へ飛び出した。 降り注ぐ雨が、あっという間に彼女の肩とカバンを濡らす。風も強く傘が何度も煽られて、そのたびに結菜は体ごと持っていかれそうになった。 保育園までの道は、普段なら歩いて10分ほどの距離だ。だが今日だけは果てしなく遠く感じられた。 水はすでに歩道の縁石を超えて、あちこちに大きな水たまりを作っている。水たまりを避けて歩けるものではなく、パンプスの内側は、とっくに冷たい水で満たされていた。(樹、怖がっていないといいけれど……) 息子のことだけを考えて、結菜は前へと進んだ。 保育園の明かりが見えてきた時には、彼女はずぶ濡れで息も上がっていた。保育士の先生が、驚きと心配が入り混じった顔で結菜を迎える。「早乙女さん、この雨です。タクシーを呼んだ方がいいんじゃありませんか?」「いえ、道が混んでいるようですし、歩いた方が早いかと」 結菜は気丈に答えたが、外の様子は彼女の想像を超えていた。 風と雨は留まるところを知らず、強ま
last update最終更新日 : 2025-10-31
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(乗れ、ですって? この人の助けだけは、借りたくない!) 結菜の心に意地とプライドが湧き起こる。「ママ、寒いよ……」 だが腕の中で樹の体が冷え切っているのを感じると、その意地はあっさりと砕け散った。彼女がためらっていると、智輝は運転手に合図を送る。後部座席のドアが開けられた。「市営住宅まで、お願いします」 車に乗り込むと同時に、結菜はそれだけを言った。しかし智輝は前を向いたまま、その言葉を短く否定する。「いや、俺が泊まっているホテルへ行く」「え? どうしてですか?」「ここから一番近い。道路がこの状態では、少しの距離を進むのも骨だからな。まずは体を温めるのが先決だ」 道路が冠水し始めている以上、言い分はもっともだ。 けれど彼の視線が、ルームミラー越しに樹に向けられているのを、結菜は見逃さなかった。◇ 案内されたのは、豪華だが人の温もりが感じられないスイートルームだった。 智輝はすぐにフロントに電話を入れる。「桐生だ。子供用のバスローブと服を用意してくれ。サイズは……」 彼はちらりと結菜を見た。「110センチです」 結菜が答える。「110センチの男の子用を頼む」 そしれから自分のスーツケースから糊のきいた真新しいYシャツを取り出して、結菜に差し出す。「君はこれを着ろ。クリーニング済みだ」「え……で、でも……」 結菜は戸惑っている。「他にないだろう。一時しのぎだ。風邪を引くよりはマシだから、早くしろ」 強い口調で促され、結菜は智輝のYシャツを受け取った。 子供用の服はすぐに届いたので、そちらも受け取る。2人分の着替えを持ち、樹を連れてバスルームに入った。 バスルームのドアを開けた瞬間、結菜は思わず足を止めた。 そこには、
last update最終更新日 : 2025-11-01
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 結菜が金色の蛇口をひねると、勢いよくお湯が流れ出して、あっという間に大きなバスタブを満たしていく。備え付けられていた高級そうな入浴剤を、数滴垂らしてみる。ふわりと優しい花の香りが立つ。注がれるお湯の勢いで、きめ細やかな泡が水面を覆った。「あわあわだ!」 樹は、雨で体が冷え切っていたのも忘れて大はしゃぎだ。 息子の楽しそうな様子に、結菜も微笑んだ。「さあ、あわあわに入ろうね」「うん!」 結菜は自分と樹の体を軽く洗ってから、泡立つバスタブに入った。 樹は泡の感触を面白がって、手ですくったり息で吹いたりしている。バシャバシャと水しぶきを上げながら泳ぎ始めたので、結菜は苦笑した。「こら、泳がないの。危ないよ」「でも、こんなに広いんだよ?」 樹は口を尖らせたが、結菜が手を伸ばして体を抱きしめると、不承不承大人しくした。 それからは湯船の中で、気持ちよさそうに手足を伸ばした。結菜の腕の中で安心しきった顔をしている。 温かいお湯の中で、結菜の緊張も解けていく。こわばっていた筋肉がゆっくりとほどけていった。(良かった……) 結菜はすっかり温かくなった息子の体を、ぎゅっと抱きしめる。安堵のため息をついた。 ◇ 「わー、おふろ、ひろい! プールみたい!」「こら、泳がないの。危ないよ……」 バスルームから聞こえてくる樹のはしゃいだ声と、それをたしなめる結菜の声。バシャバシャという賑やかな水音もしている。 智輝はリビングのソファに座りながら、その声を不思議な気持ちで聞いていた。 胸に温かい何かが込み上げてくる。その正体が分からなくて、智輝はそっと首を振った。 と。突然、バスルームのドアが勢いよく開いた。「きゃーっ!」という結菜の小さな悲鳴と、「ママ、鬼ごっこだよ!」という樹の楽しそうな声が続く。その声と同時に、下着姿の樹がリビングへと飛び出してきた。
last update最終更新日 : 2025-11-02
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「桐生さん、申し訳ありません! その子をこちらに戻してもらえますか? ……ほら樹、戻ってきて!」 彼女はまだ裸なのだろう、ドアから体を出せずにいる。「やだ! ぼく、おじさんと鬼ごっこしてたの。つかまっちゃったよ!」 樹はきゃっきゃと笑うばかりで、結菜の言うことを聞こうとしない。 智輝は腕の中の樹と、ドアの隙間からこちらをうかがう結菜を交互に見て、一つため息をついた。「この子の服は、俺が着せておく。君はゆっくり着替えてくれ」「え、でも……」「気にするな。君たちに風邪を引かれたら、後味が悪いからな」「じゃあ……お願いします」 結菜は少し不満そうにしながら、浴室のドアを閉じた。 智輝は、ソファの上に置かれていた子供用のバスローブを手に取った。バスローブはとても小さくて、彼はふと笑った。「じっとしていろ」「うん」 樹に言い聞かせて、バスローブを着せてやる。 智輝は不器用な手つきで、樹の髪と体をタオルで拭いた。もぞもぞ動く樹を膝に抱え直し、拭き残しがないかチェックする。それから、ドライヤーで髪を乾かしてやった。 樹は温かいドライヤーの風に、気持ちよさそうに目を細めている。(柔らかい髪だ。母親と同じ髪) 指を滑る髪はふわふわと柔らかい。智輝の目元に、優しい笑みが浮かんだ。◇ 結菜がバスルームから出てくると、ソファの上で智輝に寄りかかり、安心しきった顔で眠る樹の姿があった。その小さな寝顔を見つめる智輝の視線は、結菜が今まで見たことのないほど穏やかで、愛情に満ちている。 結菜の気配に気づいた智輝が、顔を上げた。「この子はいい子だな。君が懸命に育てたのだと、伝わってくる」 智輝は言って、結菜を正面から見つめた。結菜は智輝の大きなYシャツを着て、戸惑うように立っている。 彼の服を着た結菜の姿に、智輝の心がぐらりと揺れた。
last update最終更新日 : 2025-11-03
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69:嘘の証拠

「……君を、信じたいと思っている」 智輝の言葉が、広いスイートルームに響いた。結菜は彼の真摯な瞳から目を逸らせずにいた。5年という長い歳月を経て、凍りついていた2人の心が、ようやく溶け始める。(信じてくれるというのなら、私も……) その奇跡のような瞬間――。 ピンポーン。チャイムの音が、2人の空気を壊すように鳴り響いた。 結菜はびくりと肩を震わせて、智輝はいぶかしげに眉をひそめる。「こんな時に、誰だ」 智輝が立ち上がってドアを開ける。そこには高級ブランドのレインコートに身を包んだ玲香が、いかにも心配そうな表情を浮かべて立っていた。「智輝様、この豪雨でご無事かと心配になりまして……あら?」 玲香の視線が、智輝の肩越しに室内に注がれる。彼女は、智輝のYシャツをぶかぶかに着た結菜と、ソファで安心しきって眠る樹の姿に気づいた。心配そうな表情がさっと崩れて、憎しみと嫉妬が両目に灯る。 だが、それも一瞬のことだった。玲香はわざとらしく悲しげな表情を作ると、結菜に聞こえるように智輝に語りかける。「やはり、鏡子様が――お義母様がご心配なさっていた通りでしたのね」 まず鏡子の名前を出すことで、自分が彼女と同じ立場にあることを暗に示す。「智輝様が、あの方にこれほどまでに心を囚われてしまうのには……何か特別な理由があるはずだと、ずっと思っておりましたの。恋は盲目と申しますものね。でも智輝様、あなたが目を覚ますための真実を、ここにお持ちしました。あぁ、早乙女さん。あなたも一緒に確認してよろしいですわよ」 彼女はそう言うと、持っていたタブレットの電源を入れて智輝に画面を見せた。 そこには興信所に作らせた、巧妙に捏造されたメールの送受信履歴が表示されていた。---From: Yuna.STo: Reika.A件名: 先日の件について綾小路玲香様先日、智輝様との件でお話しさ
last update最終更新日 : 2025-11-04
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