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氷のCEOは、愛の在処をもう知らない のすべてのチャプター: チャプター 51 - チャプター 60

113 チャプター

50:閉ざされた扉

 翌日の午後、智輝は結菜の姿を探していた。(彼女と話をしなければ。彼女自身の口から、本当の話を聞かなければ……) 智輝はようやく過去と向き合う覚悟を決めていた。たとえ彼の罪が明らかになる結果であろうとも、もう逃げ続けるのはできない。 ところが、いつも彼女がいるカウンターに行っても姿が見えなかった。「すみません。早乙女結菜さんを探しているのですが」 カウンターの同僚に彼女の所在を尋ねる。「早乙女さんでしたら、郷土資料室の書庫で整理作業をしていますよ。ご用事でしたら、呼んできましょうか?」「いえ。こちらから向かいます」  郷土資料室は普段は職員以外立ち入らない、静まり返った書庫エリアだ。館内の案内図を見て、智輝はそこへ向かった。 彼のまとう空気は、いつもの冷たく近寄りがたいものではない。覚悟を決めた男の真剣なものだった。 郷土資料室の奥、高い書架が迷路のように並ぶ通路の向こうに、結菜の背中はあった。一人で黙々と古い資料を整理している。 智輝は足音を殺して、ゆっくりと彼女が作業する通路へと入っていく。一歩、また一歩と距離を詰めた。 不意に、結菜の肩が小さく震えた。彼の気配に気づいたのだ。彼女は振り返ることなく、その場で動きを止める。 智輝は、彼女のすぐ背後で立ち止まった。初めて結菜にまっすぐに向き合う。 その瞳には後悔と、これまで見せたことのない切実な色が浮かんでいた。◇ 書庫の整理をしていた結菜は、彼の足音に気づいいた。強い緊張に襲われる。 彼女の頭には、鏡子からの書状の冷たい文面が焼き付いている。(来た。お母様からの使いとして、あの手紙の続きを言いに来たの……?) DNA鑑定をして血の繋がりが確認できれば、親権の協議を。 それが最もあり得る可能性だ。しかし結菜の脳裏に、樹と笑い合っていた智輝の穏やかな顔が蘇る。(でも……ううん、違うかもしれない。
last update最終更新日 : 2025-10-23
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51

「早乙女さん……。頼む、5年前のことを、話してほしい。何があったのか、君の口から真実が聞きたいんだ」 その声はCEOとしてのものではなく、一人の男としての心からの響きを帯びていた。 ――真実が聞きたい。 それは結菜が5年間、心のどこかで待ち焦がれた言葉だった。いつか本当のことを打ち明けて、和解できたら。樹を息子として認めてもらい、また一緒に過ごせたら。この5年で、何度そう思ったことだろう。 だがあまりにも遅すぎたのだ。5年の年月が流れ、鏡子からの脅迫めいた書状が届いた今となっては、結菜は智輝を信じられなくなっている。(真実? 今さら、何を) ここで、樹が智輝の子だと認めてしまったら? その瞬間、樹は桐生家の血を引く者だと、結菜が証言してしまうことになる。そうなればDNA鑑定など関係なく、彼らは樹を奪っていくだろう。桐生家の力で、法律やあらゆるものを利用して、無理やりにでも。(あなたを信じることはできない。5年前に私を信じなかったあなたを、信じられるわけがない。そして今、あなたの家は、私から樹を奪おうとしている!) 結菜の中で、かすかな期待が恐怖に塗りつぶされた。息子を守るため、そして彼女自身が二度と傷つかないため、心の壁をもう一度厚く張り直した。 結菜が顔を上げた時、表情からは一切の感情が消え失せていた。瞳は何も映さないガラス玉のようだ。「もう、終わったことです。桐生さんには、何も関係ありません」 その声は、かつて智輝が彼女に向けたものと全く同じ、温度のない響きだった。結菜は智輝に背を向けて、彼が存在しないかのように淡々と本の整理作業に戻る。 彼女の強い拒絶に、智輝は言葉を失った。その場に立ち尽くす。 智輝は、結菜に恨まれていると思っていた。怒りをぶつけられて、なじられて当然だと。 5年前、あれだけひどい態度を取ってしまった。それにもし、本当に樹が智輝の子であるならば、結菜は誰にも頼らずにたった一人であの子を育て上げたことになる。 それがどれほどの苦労を伴うのか、智輝には想像もつかない。その原
last update最終更新日 : 2025-10-24
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52:大家の通告

 あの日、桐生本邸で結菜と樹の存在を報告して以来、玲香は鏡子からの連絡を待っていた。(お義母様であれば、きっと上手く取り計らってくださる。あの汚らわしい女を、5年前と同じように追い払ってくださるわ) そう期待してのことである。 数日後、鏡子から茶の誘いがあり、玲香は喜び勇んで桐生邸を訪れた。 優雅な応接室で、鏡子は完璧な所作で紅茶を淹れながら、静かに告げた。「玲香さん、先日お話しいただいた件、手配は済ませました。代理人弁護士を通し、早乙女結菜宛に正式な書面を送りました」「まあ!」 玲香は嬉しさに声を上ずらせる。これであの女もおしまいだ。そう思えば、笑顔になるのを抑えられなかった。 ところが。「内容は、例の子供のDNA鑑定の要求です。もし智輝の子であると鑑定されれば、桐生家として親権について協議する用意がある、とも書き添えてあります」 鏡子の言葉に、玲香の笑顔が引きつった。(智輝様の子供ですって……? もし本当にそうなら、あの子が――あの女の子供が桐生家に入る? 冗談じゃないわ!) 智輝の妻となり、未来の跡継ぎを産むのはこの私だ。どこかの女との間にできた子供が、自分の立場を脅かすことなど、絶対にあってはならない。 しかし玲香は内心の動揺を笑みの下に隠し、鏡子に深く頷いてみせた。「さすがお義母様。桐生の血を引く者を、野放しにはできませんものね」(ここで反対するのは得策ではないわ。いくら汚い女の子とはいえ、智輝様との血縁が立証されてしまえば、鏡子様の孫になる。悪く言い過ぎて、お義母様のご機嫌をそこねてはいけない) 鏡子と別れて自宅に戻った後、玲香は思考を巡らせていた。鏡子のやり方は確実だが、時間がかかる。その結果、血縁関係が不成立になるのが一番いい。そうすればあの女は智輝からも鏡子からも蔑まれて、追い出されるだけだ。 だが、万が一にも鑑定で血縁関係が証明されてしまえば、厄介なことになる。(それなら、DNA鑑定が行われる前に、あの親子を町から追い出してしまえ
last update最終更新日 : 2025-10-24
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 地方都市のホテルのスイートルーム。玲香は窓の外に広がる街並みを見下ろしながら、スマートフォンのスピーカーから聞こえる担当者の声に耳を傾けていた。『……以上で、物件の所有権移転手続きは完了いたしました』「ご苦労様。それで、そのアパートに住んでいる早乙女結菜という女の処遇だけれど」 玲香はティーカップを優雅に持ち上げ、唇を湿らせる。「理由は何でもいい。そうね……『老朽化に伴う建て替え』で結構よ。弁護士名で、即時退去を命じる内容証明を送りつけてちょうだい。抵抗できないように、法的に完璧な形でね」 電話口で代理人に指示を出す玲香の唇には、冷たい笑みが浮かんでいた。(お義母様からのDNA鑑定要求。住む家の喪失。これで、あの女の心も折れるはず。まあもちろん、別の安アパートを探すでしょうけど) 玲香は電話の向こうの担当者に、追加で命じた。「この町の、彼女が借りられそうな安物件は全てリストアップしてちょうだい。オーナーに連絡を取って、あの女……早乙女結菜には、決して部屋を貸さないように伝えなさい。お父さまの銀行の名前を使えば、簡単なことでしょう?」 図書館司書の給料は安い。住める場所は限られる。職場はあっても住む家がなければ、幼い息子を抱えた女などすぐに音を上げるはず。玲香は結菜が絶望にくれてこの町から逃げ出す姿を想像し、愉悦に浸っていた。◇ 数日後、結菜の元に、新しいオーナーの代理人弁護士を名乗る男から一通の封書が届いた。(え? 大家さん、変わったの? どうしたのかしら) 封を開けると、中から現れたのは一枚の書類だった。『建物明渡請求通知書』 堅苦しい表題の下には、感情の入り込む隙もない無機質な文章が続いていた。『……前略、当職は、貴殿が現在賃借する下記物件の新所有者より依頼を受け、本通知書を送付いたしました。 さて、当該物件は老朽化が著しく、倒壊の危険性も認められるため、所
last update最終更新日 : 2025-10-25
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54

 翌日、結菜は仕事の休憩時間に、町に数軒ある不動産屋を直接訪ねて回った。けれどどの店でも答えは同じだった。「あいにく、今はご紹介できる物件がありませんでして」と、申し訳なさそうに断られるばかり。まるで町全体から、見えない壁で締め出されているような錯覚に襲われる。 ここで負けるわけにはいかない。樹のために。八方塞がりの状況に追い込まれた結菜は、最後の望みをかけて、市の住宅相談窓口へと向かった。◇ 市の住宅相談窓口。順番を待つ間も、結菜の心臓は早鐘のように鳴っていた。やがて番号を呼ばれて、彼女は担当の職員の前に座る。結菜は大家の代理人から送られてきた、内容証明のコピーを差し出した。「……という事情で、10日後にはアパートを出なくてはならなくて。ですが、町中の不動産屋さんを回っても、今すぐ入れる物件が一つも見つからないんです」 声を絞り出す結菜に、担当者は気の毒そうに眉を寄せた。「14日以内の退去勧告とは……随分と急ですね。ですが、契約書の内容次第では違法とは言い切れません。それで、市営住宅の空き状況ですが……」 担当者が手元の端末を操作するが、その表情はすぐに曇った。「申し訳ありません。現在、公営住宅は全て満室でして、空き待ちの方も大勢いらっしゃる状況です」「そんな」 その言葉は、結菜の最後の望みを打ち砕くには十分だった。 だが、別の職員が慌てたように駆け寄ってくる。「早乙女さん! ちょうど今、駅前の新しい住宅にキャンセルが出ました! 子育て支援住宅です!」 智輝の社会貢献プロジェクトの一環で、リニューアルされたばかりの住宅である。セキュリティも設備も整っており、今のアパートとは比べ物にならないほど良い物件だった。「抽選になってしまいますが、早乙女さんの条件でしたら、かなり当選の確率は高いと思います」「そうですか! 当選しますように……」 結菜は祈るような気持ちで、申込書を記入した。
last update最終更新日 : 2025-10-25
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55:地下書庫の光

 結菜と樹の引っ越しは、図書館の同僚たちが総出で手伝ってくれた。 館長が手配してくれた軽トラックに、決して多くはない家財道具と、段ボールに詰められたおもちゃや絵本が積み込まれていく。「てぃらのくんは、ぼくがもっていくの!」「てぃらのくん」は樹の宝物である恐竜のぬいぐるみだ。誰にも渡すまいと、小さな腕でしっかりと抱きしめていた。 その様子に、図書館の同僚たちは微笑ましそうに笑っている。 元のアパートから引っ越し先の市営住宅は、そんなに距離は離れていない。荷物が少ないのもあって、引っ越しは手早く済んだ。「ママ、ここがあたらしいおうち?」 樹が新居を探検して回っている。「そうよ。前のところよりずっと立派ね」 玲香の悪意によって手に入れた新しい市営住宅は、結菜がこれまで住んでいた古いアパートとは比べ物にならないほど、住心地のいい場所だった。 結菜と樹は、マンションの一階エントランスの自動ドアを抜ける。背後でカシャンと硬質な音を立てて閉まるオートロックの施錠音が、しっかりとしたセキュリティに守られている安心感を与えてくれた。 部屋のドアを開けると、西陽が差し込む明るいリビングが2人を迎える。前の部屋では昼間でも電気が必要だったのが、嘘のようだ。「ぼくのへや!」 樹は叫ぶと、自分の部屋へと駆けていく。前の家は狭くて、子供部屋はなかった。自分だけの部屋をもらった樹は、とても嬉しそうにしている。 結菜はその後ろ姿を、愛おしい気持ちで見つめた。樹のためだけの、小さな子供部屋。そこで彼が、宝物である恐竜の絵本を並べている。その光景だけで胸が温かくなった。 夜、樹を寝かしつけた後、結菜はリビングで温かいお茶を飲んでいた。アパートでは隣室から聞こえてきたテレビの音も、古い窓が風にガタガタと鳴る音もない。ただ、穏やかな静寂が満ちている。(静か。こんなに安心して、夜を過ごせるなんて) 結菜はこの幸運が、玲香の悪意によるものだとは知らない。 ただ、めぐり合わせに感謝していた。(樹も喜んでいる。あの子が安心して笑って
last update最終更新日 : 2025-10-26
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 結菜と樹の新しい生活が、ようやく軌道に乗り始めた矢先のこと。結菜は、館長から内線で呼び出された。「早乙女です。ご用は何でしょう?」 館長室に入ると、館長は結菜に椅子を勧めることもせず、ただ窓の外を眺めていた。彼の背中からは深い苦悩がにじみ出ている。「早乙女さん……君に、伝えなければならないことがある」 重い口を開いた館長の声は、いつもの張りを失っていた。「君を……明日付で、地下の閉架書庫の担当に異動させることになった」「地下書庫、ですか?」 結菜が聞き返すと、館長は気まずそうに顔を歪めた。「なぜ、でしょうか。私は何か、業務上のミスを……?」「君のせいでは、断じてない!」 館長は、珍しく声を荒らげた。誰かに聞かれるのを恐れるかのように、声を潜めて続ける。「図書館の指定管理会社本社からの、直接の命令なんだ。……当社のメインバンクである綾小路銀行様からの、強い『ご推薦』があったらしい。なんでも、桐生様の婚約者であられる、綾小路玲香様のご意向だそうだ……。一介の館長である私には、どうすることもできんのだよ」 結菜は言葉を失った。婚約者の立場と、父親の銀行の力。玲香はその両方を盾に、自分の職場にまで介入してきたのだ。(左遷。今度は、こんなやり方で……) 館長もまた圧力の被害者だと悟った結菜は、反論することなく、「分かりました」とだけ答えた。◇ 翌日、結菜は館長から渡された一本の古い鍵を手に、普段は誰も使わないバックヤードの階段を下りていた。 一歩進むごとに、ひんやりとした湿った空気が肌にまとわりつく。コンクリートの階段に、彼女の足音だけがコツコツと響いた。 重い鉄の扉の前に立って、鍵穴に鍵を差し込む。ぎい、と錆びついた音がして、扉が開いた。 その瞬間、カビと古い紙の濃密な匂いが結菜の鼻をつ
last update最終更新日 : 2025-10-26
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 2日目。作業着代わりに着ているスモックは、早くも埃で灰色になっていた。指先は黒ずんで、爪の間には汚れが入り込んでいる。昼になっても、誰かが呼びに来ることはない。結菜は、持参した水筒のお茶とパンだけで食事を済ませた。 3日目。終わりの見えない単調な作業と、誰とも会話することのない孤独な時間に、結菜の心身は疲れ果ててきた。保育園のお迎えに行った時、樹に「ママ、お顔がつかれてる?」と言われてしまった。(私をここへ閉じ込めて、心を折るつもりなのね) ふと、そんな思いが胸をよぎる。しかし結菜は固く唇を結び、かぶりを振った。(ここで諦めたら、樹を守れない) 息子の笑顔を思い浮かべる。彼女は再び、目の前の段ボール箱に向き直った。 異動から一週間が過ぎた頃。結菜は、書庫の最も奥に積まれた、町の創設者一族からの寄贈品と書かれた木箱の山に手をつけていた。重い木箱の蓋を開けると、樟脳(しょうのう)の匂いと共に、丁寧に布で包まれた小さな革張りの手帳が出てくる。 結菜が慎重にページをめくると、そこには墨がにじんだ、美しい女性の筆跡が並んでいた。町の創設者の妻による、町の開拓時代の日誌だった。 そこにあったのは、日々の暮らしの生々しい記録だ。『九月三日 晴れ。本日も、昨日見つけた木の実を皆で食す。酸味が強く、たくさんは食べられないが、何もないよりは良い。夫は、この土地で麦が育つか案じている』『九月十日 曇り。川で衣類を洗濯。冷たい水で指の感覚がなくなる。夕餉は干し魚と、根菜を煮込んだ汁物のみ』『九月二十日 雨。三日続いた長雨で川の水嵩が増し、私たちの最初の家が、濁流にのまれてしまった。皆、為すすべもなく立ち尽くしている。明日からは、この丘の上の土地に居を移すことに決まった』 結菜は目を見開いた。町の公式な歴史では、この村の開拓者たちは最初からこの丘の上に住居を構えたと記されている。川沿いに公式記録から消された「最初の町」があったなど、誰も知らなかったからだ。(これは、すごい) 智輝がこの町で進めているプロジェクトは、単なる図書館の建て替えやIT化ではない。その土地に眠る
last update最終更新日 : 2025-10-27
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「館長! 地下の資料室で、大変な文書を発見しました!」 結菜の報告に、館長は初め信じられないというように目を見開いたが、日誌に目を通すうちにその顔は興奮に赤らんでいった。「早乙女さん、確かにこれは大発見だよ。すぐに市の歴史編纂(へんさん)室に連絡を入れよう!」「はい!」 翌日、市の専門家たちが地下書庫に駆けつけて、日誌が本物であると鑑定されると、事態は一気に動き出した。 その情報は地方紙の記者の耳に入って、数日後の朝刊の一面を「町の『失われた歴史』発見! 市立図書館の地下書庫に眠る開拓者の日誌」という大見出しが飾った。 記事には発見者である司書・早乙女結菜の名前と、彼女が埃まみれの書庫で黙々と作業を続けていたという美談が添えられていた。 さらに一週間後、結菜は市役所のホールにいた。市長から直接、今回の発見に対する感謝状が授与されることになったのだ。 普段着のブラウスとカーディガンではなく、数年前に一度だけ着たワンピースに身を包んだ結菜は、無数のフラッシュと拍手の中、緊張した手で感謝状を受け取った。「この発見は、町の皆様の歴史への想いがあってこそです」 マイクの前に立った結菜は、そう言って深く頭を下げた。その謙虚な姿は、再び新聞やローカルニュースで好意的に報じられることになる。「ママがしんぶんにのってる!」 樹は大喜びで、図書館の新聞の写真を何度も眺めていた。◇「桐生様。こちらをご覧ください」 プロジェクトの定例会議を終えた智輝は、秘書が差し出した地方紙に目を通し、動きを止めた。一面に印刷された「早乙女結菜」という名と、彼女が発見したという古い文書の記事。彼は食い入るようにその記事を読んだ。(川沿いに、消された『最初の町』……?) 智輝の脳内で、プロジェクトの膨大なデータと、この記事の内容が高速で結びついていく。彼がずっと解明できずにいた、町の初期設計における不自然な点。その最後のピースが、今、この一枚の紙の上で示されていた。(なぜ彼女が地
last update最終更新日 : 2025-10-27
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 地方紙の記事には「最近、地下書庫へ異動になったばかりの図書館司書・早乙女結菜さんが大発見」という一文が、ごく小さく載っていた。しかし、町の有力者たちはその一文を見逃さなかった。 その夜、町の商工会議所の会合で、地元の建設会社の社長が、酒の席で隣に座る食品卸会社の重役に声を潜めて言った。「おい、読んだか、今日の新聞。図書館の早乙女さん、市長から表彰されたらしいな」「ああ。うちの孫娘も、あの人のおはなし会が大好きでね。素晴らしい発見だよ。だが、気にならんか? なぜ、あれほどの有能な人材が、つい最近、地下書庫なんぞに追いやられていたのか」 電気工事の社長が口を挟んだ。「……綾小路銀行だろう。図書館の指定管理会社のメインバンクは、あそこだからな」「なるほどな。東京の大銀行様は、やることが違う。少し、うちのメインバンクも考え直す時期かもしれんな……」「ああ。うちもだ」 小さな町での信用は、金では買えない。玲香が父親の権力を笠に着て行った横暴な介入は、彼らの地元でのビジネス基盤を蝕み始めていた。◇「玲香」 東京の綾小路銀行頭取室。父親からの呼び出しに、玲香は優雅な足取りで入室した。図書館プロジェクト介入の件で、褒められるとでも思っていたのだろう。 しかし彼女を迎えたのは、父親の冷たい視線だった。「お前の軽率な行動のせいで、あの町での我が行の評判がどうなっているか、分かっているのか」「お父様……? 何のことですの?」「とぼけるな! 図書館の人事にまで口を出し、結果、相手に手柄を立てさせるだけならまだしも、こちらの心証まで悪化させおって。桐生家へのアピールも、全て裏目だ! お前は、私が築き上げてきたものに泥を塗ったんだぞ!」「そ、そんな……」「もう一つある。お前はあの町で、不動産の不当な買い占めを行ったと報告が上がってきた。どういうつもりだ?」「あの件は、あたしも不
last update最終更新日 : 2025-10-28
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