寧音が慎の執務室から姿を現すと、待機していた秘書たちが恭しく駆け寄り、彼女のバッグを受け取った。「園部様、長谷川代表がレストランでお待ちです。ご休憩のあと、お車までご案内いたします」「こちらは、代表が園部様のためにとご用意くださったコーヒーです。道中、お召し上がりください」差し出された数々の気遣いに、寧音は優雅な微笑みを返す。そのすべてを、当然のものとして受け入れているようだった。自信に満ち、何にも揺るがないその佇まいは、まさにこの場所に「相応しい」存在だと示している。誰もが彼女を、未来の「代表夫人」として扱っていた。その光景に、紬は息を呑む。慎の代表室は、会社の機密が詰まったプライベートな空間のはず。そこを、寧音の休憩室として自由に使わせているなんて。……この三年、自宅でさえ彼の書斎に入れてもらえたことなど一度もなかったのに。愛されているか、いないか。その答えを、これ以上確認する必要があるだろうか。「温井マネージャー、少し脇へ。園部様がお通りになります」要が、紬の存在を咎めるように鋭い視線を向けた。紬は唇を噛む。もう気にしないと決めたはずなのに、あまりにもあからさまな扱いの差が、三年間、顧みられることなく尽くしてきた自分の心を抉るようだった。俯いた彼女は、静かに道を開けると要に告げた。「長谷川代表のお手が空きましたら、私の離……」「──慎?」エレベーターホールへと向かっていた寧音が、その一言に足を止め、初めて紬の存在に気づいたかのように振り返った。無機質な表情のまま、紬に値踏みするような視線を向けて要に尋ねる。「この方も、ここの社員の方?」「はい。広報部の温井マネージャーです」要が前に出て答えると、寧音は「なるほど」とだけ呟き、紬から興味を失ったように視線を戻した。自分のスキャンダルを、広報部が担当したがらなかった理由は温井紬。合点がいった。彼女は嘲るように、ふっと口元を緩める。「ランセーは、社員が代表を名前で呼ぶなんて、随分と風通しの良い社風なのね」その言葉は、もはや紬にすら向けられていなかった。要の表情がこわばる。寧音はもう何も意に介さない様子でエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まる直前、要はこちらを睨みつける。「温井マネージャー。あなた、礼儀というものを弁えているのですか。
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