今度は、中から返事があった。「入れ」紬がドアを開けると、慎はシャワーを浴びて着替えたところらしく、こちらに背を向けて携帯を眺めていた。部屋に入ると、畳の脇の絨毯に彼のスーツの上着が落ちているのが目に入り、紬は無意識に歩み寄ってそれを拾い上げた。ちょうどその時、慎が振り返り、紬の腕にある上着を見て、わずかに眉をひそめた。「今後、俺の服には触るな」かつて彼の服はすべて紬がアイロンをかけていたため、慎は彼女がまた同じことをしようとしていると思ったのだろう。紬は唇を引き結び、上着を畳の上へと放った。「私たち、いつ……」「先に寝てろ」慎は紬の言葉を遮り、腕時計に目を落とすと、足早に部屋を出て行った。彼女に何か重要な話があるかどうかなど、気にも留めない様子だ。彼がこれほど急いで出ていくとは。離婚の話を切り出す隙もない。彼をこれほど急がせる相手といえば、寧音以外に考えられなかった。その時、階下から車のクラクションが聞こえた。紬の携帯が鳴り、承一からボイスメッセージが届く。【明後日の夜、晩餐会に付き合ってくれ。業界の重鎮ばかりが集まる。顔を繋いでおけば、お前にとっても有益なはずだ】紬は【分かった】とだけ返信すると、クローゼットから置きっぱなしにしていた着替えを取り出し、ゲストルームへ戻って眠りについた。翌日。美智子は慎が夜中に家を出たことを知り、ひどく腹を立てていた。紬がなんとか宥めてから、フライテックへと向かう。フライテックの状況は、あらかた把握できた。必要な資料はすべて目を通し、今後の方向性を細部までまとめて、技術部の中核社員である田中朝日(たなか あさひ)に渡す。紬が三日足らずで山のようなデータファイルを読み解き、さらに価値の高い技術指導書まで作成したと知って、朝日は驚きに口をあんぐりと開けた。「本当に、お一人で?」朝日は信じられない、という顔だ。承一は意味ありげに笑った。「これはまだ序の口だ。彼女が当時どれだけ引く手あまただったか知ってるか?国内外のトップ大学から、どれだけのオファーが来たことか。オレがあと五年努力したところで、数年前の彼女には及ばないかもしれない」朝日は驚きと疑念の入り混じった表情を浮かべたが、それでもまだ半信半疑のようだった。「賀来代表、ご冗談でしょう?代表は国内でもトップク
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