「大丈夫です。あちらへ座りましょう」紬は少し離れた反対方向の席を示した。慎のほうにはもう一瞥もくれず、真っ直ぐに窓際の席へと向かった。それでも、思考の奥底はどこか奇妙にざわついたままだった。席につくまでの間、慎のほうから何か声をかけられるような動きは一切なかった。心の中の恐ろしい推測の輪郭がはっきりしていくのに、紬は完璧な表情を保ち、何も表には出さなかった。たとえ昨夜の相手が慎であったとしても、今さら何がどうということでもない。かつて三年間も、形ばかりとはいえ夫婦だったのだ。今さら一夜の過ちが多かろうと少なかろうと、二人の間で何かが決定的に関係が変わるわけでもない。意味のない感情的な縛りを自分に強いるような未練がましい質でも、紬はなかった。「少し寒くないですか?」悠真が、紬の薄いニットの上着を見て気遣わしげに言った。海上の朝は気温が低い。自分が羽織っていた上着を脱ぎ、静かに差し出す。「よければ、これを」「大丈夫です。どうぞお気遣いなく」紬は少し不思議そうに、眉を寄せて悠真を見た。ここまで来ると、さすがに確信に変わった。悠真の自分に対するこの甘い気遣いは、明らかに「特別な感情」からくるものだ。どこかしら、やはり強い違和感がある。悠真は強引に上着を押し付けることはせず、紬の拒絶を静かに受け入れた。ひどく胃の具合がよくなかったので、紬は朝食にはほとんど手をつけることができず、温かいはちみつ水を多めに飲んで胃を落ち着かせた。悠真が途中で仕事の電話を受けに、中座した。紬はその隙に笑美へラインを打ち、朝食のために下りてくるよう知らせた。メッセージを送信し終えた直後、目の前の空いた席に不意に誰かが腰を下ろした。香凛は今日は完全に素顔だったが、それでもその顔立ちは驚くほど美しかった。にこやかに笑いながら、さりげなく紬の顔色や様子を観察してきた。「おはよう。昨夜はよく眠れた?」紬は、今朝すでに聞き覚えのある問いだと思った。先ほど、悠真もまったく同じことを聞いてきたのだ。「昨夜、何時にお開きになったんですか?」紬は正面から答えるのを避け、さらりと話題を変えた。香凛は眉を上げ、優雅に顎に手を当てながら答えた。「夜中の三時過ぎだったかしら。部屋に戻ってもなんだか眠れなくて、結局こうして早起きして下りてき
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