余命僅かな私、彼の「忘れられぬ人」の身代わりになる のすべてのチャプター: チャプター 551 - チャプター 555

555 チャプター

第551話

政府の人間として同席していた秀治も、険しい表情のまま冷徹に告げた。「園部さん、今後は上層部からの調査に協力していただきたい」その一言が引き金となり、会場の空気は一気に沸点へと達した。事態がまさかここに至るとは、その場にいた誰一人として予想していなかったのだ。少し離れた席で、悠真はしばらく黙考した後、ゆっくりと紬へ視線を向けた。その瞳の奥で、複雑な感情がいくつも交錯していく。紬が只者ではないことはずっと肌で感じていた。ひょっとすると自分より実力が上かもしれないとさえ思っていた。ただ、このような形で実力が証明されるとは、夢にも思っていなかった。この残酷な現実を目の当たりにして、寧音の思考は、ほとんど真っ白になりかけていた。荒い息を吐きながら、落ち着き払って座っている英明へと視線を向ける。大勢の前でこれほど我を忘れて取り乱したのは、生まれて初めてのことだった。……いったい、どうしてこんなことに?英明もまた、寧音の視線に気づいていた。眼をすっと細め、その奥に何もかも見通すような冷たさをたたえながら、鼻で笑い、低く吐き捨てた。「随分と大胆な真似をしてくれたな。危ない橋を渡るのも大概にしろ。結末は考えていたのか?」彼にはすべてが分かっていた。寧音にチャンスがあったとすれば——昨日のあの一度きりだったということが。しかし、あの技術データが紬のものであろうとなかろうと、寧音のやったことが許されざる行為であることに変わりはない。まるで後がない博打打ちのように、他人のデータを自分のものだと偽って急場しのぎで頭に叩き込み、我が物顔で披露する。自分が衆人環視の中で追及しないとでも思ったのか。しばらくは露見しないとでも高を括っていたのか。浅はかな真似もいい加減にしろ。自分で蒔いた種なら、自分で始末をつけろ。英明は秀治へと視線を移し、波立たない声で静かに告げた。「経緯についてはある程度把握している。必要であれば、いつでも協力する」その言葉が放たれた瞬間。寧音の胸の中で、何もかもが音を立てて灰になった。この窮地から抜け出す打開策など、もはや何一つ思い浮かばない。昨日だって迷ったのだ。だが、あの局面で賭けに出なければ、もう二度と這い上がれないと、そう確信してしまった。英明のデータを盗用したとしても、彼は自身の面子のため
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第552話

この場に居合わせた誰もが、言葉を失うほどの衝撃を受けていた。こんな結末を、一体誰が想像できただろう?寧音の身に降りかかった転落も、紬の恐るべき正体をも。一颯は顔面を蒼白にしながらも、陸の正論の前には何も言い返せなかった。笑美も一颯の軽率な振る舞いに呆れており、やり場のない腹立たしさに顔を強張らせていたが、もう関わるつもりはなかった。寧音が上層部からの調査対象となった今、一颯ごときが口出しできる段階の話ではないのだ。香凛もどうにも釈然としない表情で慎の横顔をしばらく見つめてから、ようやく探るように口を開いた。「長谷川代表、焦りはないのかしら?」その一言で、周りの人々もようやくひとつの異様な事実に気がついた。慎は事の顛末において終始、微塵も動揺の素振りを見せていなかったのだ。まるで、すべてが他人事であるかのように。慎はゆるやかに視線を巡らせ、香凛を一瞥した。「規定通りに調査が入る、ただそれだけのことだ。何を焦る必要がある?」香凛は思わず眉根を寄せた。胸の奥で渦巻く違和感が、どんどん膨れ上がっていくのを感じていた。寧音の不祥事は対処されねばならない。だが今日の大会自体は、予定通りに幕を閉じなければならなかった。結果は、もはや語るまでもない。堂々たる紬の一位は、誰の目から見ても文句のつけようのない完全な勝利だった。こうして劇的にその正体が白日の下に晒された今、誰が何を疑う余地などあろうか。そこにあるのは純粋な驚きしかなかった。この分野に関わる者なら、五年前に一躍名を轟かせたU.N2を知らない者はいない。誰もが、どこかの業界の重鎮による偉大な研究成果だと信じて疑わなかった。それが、一人の若い女性の手によるものだったとは。五年前……彼女はまだ、二十歳になったばかりだった。そのあまりにも驚愕の真実に遅れて気づいた者たちが、次々と息を呑んだ——これほどまでに底知れぬ天才が、現実に存在し得るものなのか。紬自身も、今日がこんな波乱の展開を迎えるとは予想だにしていなかった。またしても公の場で正体が明かされることになってしまったが、今回は影響力が全国規模だ。本来であれば、厳格な守秘義務の期限が切れた後であっても、業界内のごく限られた範囲で知られる程度で済むはずだった。これほど注目を集める舞台になるとは、夢にも思
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第553話

歩みを止めた慎が、静かにこちらを振り返った。距離が開いているため表情までは読み取れなかったが、彼はしばらくの間、ただ無言で紬を見つめ返していた。彼が纏う空気が柔らかく解けているように感じられる。二人の間に、余計な言葉など必要なかった。悠真はそんな紬の様子を一瞥してから、遠くの慎へと視線を移した。慎はそれ以上長く留まることはしなかった。そのまま出口へと向かって消えていく。人の出入りが絶え間なく続くエントランスに姿を現した香凛もまた、迎えの車を待ちながら、彼の後を追うようにして足早に出てきた。横に並び立ち、慎の無表情な横顔をじっと見つめながら、冷ややかな声を投げる。「温井紬は……もう以前のような、取るに足らない存在ではありませんよ。今日のような大舞台でその名を轟かせた以上、彼女の名声も地位も盤石なものとなりました。仮に誰かが彼女の足を引っ張ろうと企てたところで、もう手の打ちようがないでしょうね」周囲がいかに紬に不満を抱いていたとしても、いかなる手段を用いようとも、もはや一切通用しない領域へと彼女は羽ばたいてしまったのだ。対する慎は静かに長い睫毛を伏せ、ライターを長い指先で弄んでいた。「……そうだろうな」香凛は微かに口の端を引き上げてみせたが、その張り付いたような笑みに温度は一切こもっていなかった。「長谷川代表。正直なところ、私はあなたのことがまったく分からなくなってきたわ。園部寧音と温井紬——あなたが心の底から本当に愛しているのは、一体どちらなのかしら?」今日という日が訪れるまでは、彼女は疑う余地もなく、寧音の方なのだと固く信じていた。だが……今日の結末を目の当たりにして以降、何かが根本からおかしいという違和感が、どうしても拭い去れなかったのだ。慎と紬の夫婦関係が世の明るみに出てからというもの、そして香凛が帰国して以来——慎は紬を気にかけるそぶりなどただの一度も見せず、終始一貫して寧音の側に立ち続けてきた。幾度となく彼女を庇い、幾度も障害を取り除き、あからさまな特別扱いをしてきたのだ。だからこそ、香凛はずっと信じて疑わなかった。この男が唯一心から愛しているのは、寧音なのだと。事情を知る者であれば、誰が見てもそう思うに決まっている。だが、結果はどうだ。寧音は取り返しのつかない大事件を引き起こし、罪
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第554話

英明は今日、すぐに帰路につこうとはしなかった。声をかけてくる者も多かったが、いつものように無碍に扱うこともなく、どことなく上機嫌に見えた。紬が近づいた頃、英明はちょうど、ひとしきり押し寄せた挨拶の波をさばき終えたところだった。紬の顔を見るなり、英明はふんと鼻を鳴らし、後ろ手に組んで外へと歩き出した。紬も黙って後を追う。英明の助手が後ろに付き従い、声をかけてくる者があれば先回りして面会を断った。「少し、お話しできますか?」紬には分かっていた。彼なりに、話す機会を与えてくれているのだと。英明はちらりと彼女を横目で見た。「今や温井紬ともあろう者が、面会希望の連中を門前払いするくらい、造作もないだろう。わざわざ俺に聞く必要もあるまい」紬は内心で苦笑した。……先生のこの毒舌は、相変わらずだ。それでも気にする素振りは見せず、丁寧に言葉を返した。「先生こそご冗談を。今日はあんな騒ぎになって、私自身も驚いているんです」英明はようやくゆっくりと階段を下りながら、相変わらずのぶっきらぼうな口調で言った。「無理もない。だが今日以降、お前がこの研究の道を歩む上で、もはや立ち塞がる障害はない。この研究の世界において、お前は別格となったのだからな」研究者という立場で、これほどの注目と名声を手にする者は決して多くない。この業界で名が知れ渡っているのは、英明自身と宏一くらいのものだ。他の業界を見渡しても、余程の特別な貢献をするか、確固たる地位を築き上げた者でもない限り、一般大衆にまで名が知れ渡ることなどほとんどあり得ない。紬がこれから先、果たしてどこまで上り詰めていくのか、多くの人が注目していくことになるだろう。紬自身も、それは分かっていた。ただ、今の彼女にはそれよりも気がかりなことがあった。「先生は会場で、園部さんの件は経緯をご存知だと仰っていましたが……あれはどういう意味だったのでしょうか?」なぜ、英明が関係しているのか。英明はゆっくりと彼女を一瞥した。「大して語るべきことなどない。結局のところ、己で選んだ末路に過ぎん。善と悪は紙一重——邪な欲望を抱き続ければ、こうなるのは自明の理だ」彼の目から見ても、寧音が確かに優秀な逸材であるという認識はあった。学習能力も高く、記憶力もずば抜けている。自分が記し
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第555話

二人が去った後のこと——香凛は車に乗ろうとしてふと足を止め、紬たちが消えていった方向をちらりと見やった。そこへ悠真が現れ、物思いに沈む香凛を見つけた。静かに歩み寄りながら言う。「彼女の正体なんて、誰も予想していなかった。今日公表された以上、上層部からの評価も別格になる。もう小細工が通じる相手じゃないよ」悠真は自身の車へと歩きながら、すれ違いざまに軽く言い捨てた。「あの日、お前が裏で何をしたか、あの長谷川代表が気づいていないとでも思っているのか」香凛はそこで初めて、悠真へと視線を向けた。口元に笑みが浮かぶ。けれど、そこには一欠片の温度すらこもっていなかった。……寧音は、これまでの生涯で一度たりとも、このような国家調査機関の建物に足を踏み入れる日が来るとは思っていなかった。密室で何度も繰り返される問答。冷や汗がじわりと滲み出し、襟元を濡らしていく。尋問は、全体で二時間近くにも及んだ。国家機密に関わる重大事案とあって、彼らの取り調べには一切の容赦がなかった。もちろん、素直に認めるわけにはいかない。頑なに否定し続ければ、調査の期間は必然的に長引く。ようやく機関の建物から這い出すようにして外へ出た時、見上げた空はすでに夕暮れ色に染まっていた。この二時間、慎からの着信は一本もなかった。迎えにも、来ていない。がらんとした交差点を眺めながら、寧音はもとから血の気のない顔をさらに強張らせた。唇をきつく結び、胸の奥で暴れる不安を力で押さえ込む。今後も調査に応じ続けなければならない。それどころか——これからしばらくの間、自分は厳しい監視下に置かれることになる。それがどれほど深刻な事態であるかは、言うまでもなかった。足元が崩れ落ちるような感覚に陥り、自分の心が底へと沈んでいくような気がした。手配した車で自宅へ送り届けられると、咲がすでに血相を変えて待ち構えていた。凄まじい噂は、とっくに彼女の耳にも届いていたのだろう。ネット上はすでに大炎上状態で、恐ろしい速度と勢いで拡散され続けていた。寧音は玄関を入るなり、糸が切れたようにソファへと崩れ落ちた。「何かの間違いじゃないの!? あの温井紬がそんなはずないじゃない! ついこの間、業界に出てきたばかりのただの新人でしょう!?」咲の指先は氷のように
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