だが、それ以降、彼女が戻ってきた映像はどこにもなかった。「あのトイレの方向に、外へ通じる通用口のようなものはありますか?あるいは別の場所に繋がる非常階段や、業務用エレベーターなどは?」支配人は青ざめて首を振った。「そのようなものはございません」慎の眉間がさらに深く寄った。目の奥に、殺気を孕んだ冷たい光が滲む。「もう一度、よく考えていただけますか?」慎の纏う圧倒的な威圧感に呑まれたのか、声を荒らげているわけでもないのに、その暗く光を失った瞳と向き合うだけで、支配人は思わずどっと冷や汗をかいた。必死に記憶を呼び覚まそうとしていると、ふと何かを思い出した。「……確かに直接外へ出られる出口はございませんが……あちらの奥から厨房に通じておりまして、厨房側に、食材搬入用の通路がございます」慎は踵を返し、弾かれたように厨房へ向かった。厨房の作りは複雑に入り組んでおり、いくつもの角を曲がって、ようやく外に通じる重い鉄扉を見つけた。その先は人気のない薄暗い路地で、表通りへと繋がっていた。慎は激しい呼吸を素早く整え、冷徹な黒い瞳で周囲の状況を観察した。どの方向にも行ける。車を使えば、どこへでも連れ去ることができたはずだ。だが――視線が、斜め向かいにある入札会場の建物でぴたりと止まった。瞳に鋭い光が宿る。大股で走り出しながら、村岡に電話をかけた。「会場の責任者を捕まえてくれ。絶対に騒ぎ立てるな。紬は、あの中にいる可能性がある」……紬は、重く沈んだ意識の中でゆっくりと目を開けた。薬品の刺激臭が頭の芯に鋭い痛みを残している。病院に通い詰めた経験から、あれがエーテル系の揮発性物質だとすぐに察しがついた。両手が、背後で乱暴に縛られている。目を開けると、そこは窓からの光が一切ない、完全に閉ざされた部屋だった。換気扇の音すらしない。薬の効力はまだ体内に残っていて、指先にすら力が入らない。何とか起き上がろうと床でもがいていると、部屋の中にもう一人、何者かがいることに気づいた。紬が警戒して動きを止めると、その人物はすぐにくぐもった笑い声を漏らした。ひどく陰湿で、粘つくような笑いだった。「随分と用心深いね。お前の旦那さんと同じだ」唐突に慎の名が出たことで、紬は全身を緊張させた。声のした方向へ目を向ける。
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