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All Chapters of 血と束縛と: Chapter 1571 - Chapter 1580

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第44話(20)

『どんな不祥事を起こそうが、悪さをしようが、親は簡単に子を見捨てない――と綺麗事を言うのは、お前に失礼だな。少なくとも、佐伯俊哉には思惑があってのことだ。そこに、俺のオヤジも噛んでる。気が張って仕方ないだろうが、踏ん張れよ』 ふっと沈黙が訪れる。和彦はベッドに腰掛けると、何を話そうかと言葉を模索する。俊哉の様子を伝えておくほうがいいのだろうか。長嶺組や総和会で変わったことはないかと聞くべきだろうか。あれこれ頭に浮かぶのだが、口には出せない。 結局、ぽろりと洩らしたのはこんなことだった。「――……早く、戻りたい。そっちに」『心置きなく戻れるように、用事を済ませてこい。待ってるから』 賢吾の声音が一際優しさを増す。「……今、あんた一人なのか」『どうしてだ?』「子供を甘やかすような声を出してるから、誰か聞いていたらびっくりするんじゃないかと心配になった」『別に、聞かれてもかまわねーがな。俺が甘いのは、お前にだけだって、みんな知ってる』 ヌケヌケと、と思いつつも、表情が緩んでしまう。「千尋はどうしてる?」『ようやく自分の部屋に戻った。ずっとお前の心配をしてたみたいだぞ。本当に戻ってきてくれるのか、ってな』「あいつらしい。……年越しの準備は進んでいるか?」『いつも通りだ。去年は、お前がいたおかげで華やいで、楽しかったのにな』 今朝、三田村を見かけたことは言わなかった。賢吾は把握しているのかもしれないが、自分と三田村の秘密にしておきたかった。 実家に滞在している間に、賢吾への隠し事はいくつ増えるのだろうか――。 和彦はこの瞬間、自分がとてつもなくしたたかでふてぶてしい、〈悪いオンナ〉に変化した気がして、ゾッとする。こんな変化を、和彦は望んでいない。『さすがにお前でも、今日は疲れただろうから、早く休め』「……まだそんな時間じゃない」『俺と話し続けると、興奮して眠れなくなるぞ』 艶のある笑い声に鼓膜を震わされ、甘い疼き
last updateLast Updated : 2026-08-23
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第44話(21)

**** 数年ぶりの実家での年越しのために、翌日から和彦は動き始めた。 大掃除をしようと、トレーナーの袖をまくり上げ、バケツなどを探し出してはきたものの、定期的に専門業者を入れている家は、心配するまでもなく掃除が行き届いている。 結局、自分の部屋の窓を磨いたり、本棚の上のわずかな埃を払ったぐらいで、掃除は済んでしまった。 他の家族は何をしているのか、それぞれの部屋に入って物音一つ立てない。もしかして外出しているのかもしれないが、わざわざドアをノックしてまで確認する必要はない。 和彦が一人暮らしをしていた間も、この家の生活はこうして淡々と続いていたのだなと、奇妙な感慨深さすら覚える。家族という団体で暮らしていながら、家庭内でそれぞれが独立していた。 それが過ぎて、和彦は孤立感を覚えていたが――。 すっかり手持無沙汰となったため、着替えを済ませ、財布と携帯電話を持って家を出る。外の空気を吸いたくなった。 自由に出歩いていいと俊哉から言われてはいるが、門扉を開ける瞬間、和彦は緊張した。自分は今、表の世界に身を置いているのだと、肌で実感できたからだ。 慎重に周囲を見回してみても、昨日同様、監視がついている気配はない。仮についていたとしても、和彦に近寄ることはできないだろう。あの守光が、いまさら俊哉を相手に事を荒立てるまねをするとは思えない。 羽織ったカーディガンの前を掻き合わせて、首を竦める。あまり大荷物にしたくなくて、ダッフルコートは持参してこなかったのだが、厚手とはいえさすがにカーディガンでは心もとない。仲のいい兄弟なら、上着の一枚ぐらい気軽に借りられるのだろうが、さすがに英俊には頼めない。 パンツのポケットに財布と携帯電話を捻じ込んだ和彦は、散歩がてら実家近くの並木道を歩く。 記憶になかった家が建ち並び、道路の幅が広くなり、街灯のデザインが新しくなっていたりと、意外にしっかりと記憶に残っているものだなと、ささやかな驚きに浸っているうちに、広場に出る。ここも、新たに造られた場所のようだ。 広場の一角に公園があり、遊具がいくつも設置されている。しかし、この寒さで
last updateLast Updated : 2026-08-23
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第44話(22)

 何してる? と簡潔さをきわめた文章を目にして、今度は唇を緩める。いつもの優也らしいメールだ。 さっそく返信しようとメールを打ち始めた和彦だが、かじかんだ指が上手く動かず、もどかしくなって電話に切り替える。『珍しい。そっちから電話くれるなんて』 挨拶もなく、驚いた様子で優也に言われてしまう。いつも電話を億劫がる和彦に対する皮肉かもしれない。それでも破顔したのは、優也が、和彦にとって〈あちら〉の世界を匂わせる相手だからだ。コーヒーの温かさよりも、ほっとする。「君と話したくなった」 大まじめに和彦が答えると、なぜか電話の向こうで優也が沈黙する。「――……ぼく、変なこと言ったか?」『……いや、あんたが〈モテモテ〉な理由が、ちょっとわかった気がして』 声に動揺を滲ませた優也が、咳払いをしてから改めて問いかけてくる。『で、何してるの、今』「何もしてない。やることないから、公園でコーヒー飲んでる」 マジかよ、という呟きが聞こえてきた。『確か、実家に戻ってるんだっけ』「うん……。君は?」『あー、こっちのことは、別にいいじゃん』 優也の歯切れの悪い物言いに、かえって和彦の興味はそそられる。宥めすかしてなんとか聞き出したが、なんと宮森の自宅にいるのだという。『年末年始はこっちで過ごせって、無理やり連れてこられた。もうさ、うるさいんだよ。組の人間が出入りするわ、子供が家中走り回るわで。しかも、毎食、こんなに食えないっていうのに、ご飯もオカズも山盛りで出されて。寒いのに、朝晩散歩に連れ出されるし』 心底嫌そうな口ぶりで話す優也だが、健康的な生活を送っているのは間違いない。宮森は、優也に対して積極的に出ることにしたようだ。そのほうがいいと確信したのだろう。「次に会うときは、多少は肉付きがよくなってるかもな。君は少し痩せすぎだったから、しっかり面倒見てもらうといい」『……偉そうに言うな』「君の主治医だから。偉そうに言わせてもらうよ」
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第44話(23)

「どこに……」 俊哉はゆっくりと腕時計を見遣る。「早く着替えてこい。わたしは車で待っている」 拒否できるはずもなく、和彦は指示に従う。急いで家に入ると、俊哉に合わせてスーツに着替え、洗面所で手早く髪を整える。 ロングコートを抱えてガレージに戻ると、俊哉が待つ車の助手席に乗り込んだ。** 車中で和彦が、再度、どこに向かうのかと問いかけると、俊哉はある高級ホテルの名を口にした。 なんのために、とさらに問おうとして、昨日の書斎でのやり取りが蘇る。俊哉の口ぶりから、和彦一人で〈どこか〉に向かうものだと思っていたが、どうやら俊哉本人も同行するようだ。 俊哉がハンドルを握るという珍しい光景を横目に、こうして二人で出かけるなど、いつ以来だろうかとふと考える。 幼い頃、和彦は、事情があって診察を受けるため病院に通っていた。忙しい家族に代わり、親戚の女性が付き添っていたが、一度だけ、俊哉が連れて行ってくれたことがあった。 その帰り、いつもとは違う道を通っていたことを、和彦は鮮明に覚えている。遠回りというよりまったく違う目的があったようで、思えばあれが、最初で最後の俊哉とのドライブだった。「昔、今のように車に乗せたときも、そうやって、おっかなびっくりな顔をしていたな、お前は」「……父さんは、ぼくに興味がないのかと思ってた。見てたんだ、ぼくのこと」「子供の頃から、何も不自由させなかったつもりだが」 そういうことではないのだと、強い苛立ちが和彦の中で生まれる。しかし、それも一瞬だ。俊哉の言葉に、不承不承ながらも肯定せざるをえなかった。ただ、不自由はしていなかったが、和彦に選択肢は与えられなかった。「ずっと疑問だったんだ。どうして、ぼくを医者にさせたかったのか。子供の頃は、それが父さんの希望ならと疑問にも思わなかったけど、今は――」 いつかは佐伯家から放逐されるであろう自分には、医者になることは、ある意味最善の道だろうと、和彦は納得していたし、両親に感謝もしている。ただ、あえて医者でなくてもよかったはずだ。
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第44話(24)

 和彦は、絶句するしかなかった。そんな大事なことをどうしていままで教えてくれなかったのかと、膝の上で硬く手を握り締める。いままで話す機会はいくらでもあったはずだ。それが、車中での世間話のついでのように語られたのだ。 和彦の実母である紗香は、奔放で、火のように激しい気性の持ち主だったという。奔放ゆえに、姉の夫である俊哉と関係を持ち、そして和彦を身ごもった。両家でどのような話し合いが持たれたのか、結果、和彦は綾香から誕生したことになっており、戸籍には養子だという記載はされていない。 母親は、〈火遊び〉の末にできた子供を手放したのだと、断片的に俊哉から聞かされた話と、佐伯家内での自分の扱いから推測していた和彦だが、今この瞬間、疑念を抱く。 名しか知らない母親の実像に、ようやく触れられるかもしれないのだ。「ぼくの将来のことを、話してたんだ、母さん。もっと早くに、そのことを知りたかった……」「だとしても、何も変わらなかっただろう。あえて記憶に残さなくてよかったんだ。もう、この世にいない人間だ」「そんな冷たい言い方しないでくれっ。〈あの人〉は、少なくともぼくに笑いかけてくれた。それに手も繋いで――」 感情的になって溢れた言葉に、口にした和彦自身よりも、俊哉のほうが過敏に反応した。針で刺すような一瞥を向けてきたのだ。「覚えているのか?」「……わからない。でも、頭に浮かんだんだ。今」 うそではなかった。覚えていると言えるほど明瞭な記憶ではない。しかし、忘れていると言えるほど明確な欠落があるわけでもない。まるで幻のようなものだ。はっきりとした輪郭を掴もうとしても、まるで靄のように手からすり抜けていく。 昔からふとした瞬間に、誰かに優しく微笑みかけられた光景や、手を握られたり、抱き締められた感触などが蘇ることがあった。家族よりも面倒を見てくれていた親戚の女性との思い出かと、さほど気に留めていなかったが、俊哉の様子で腑に落ちた。 胸の辺りがズシリと重くなる。急に気分が悪くなってきて、額にじっとり冷や汗が浮かぶ。和彦の顔色の変化に気づいたらしく、俊哉はわずかにウィン
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第44話(25)

**** ベッドに横たわった和彦は、天井を見上げたまま大きくため息をつく。本当は寝返りを打ちたいが、それすら億劫だ。とにかく、疲れ果てていた。 午後二時頃に俊哉とともに実家に戻ったあと、和彦は何もする気力も体力も起こらず、すぐに自分の部屋に引きこもった。その後、綾香の戻ってきた気配がしたが、わざわざ一階に下りて顔を見せる気にもならなかった。英俊は、いまだ戻ってきていない。 それでよかったかもしれない。とてもではないが、英俊の顔をまともに見られなかった。 ようやくもぞりと身じろいで、和彦は体の向きを変える。昔から使っている本棚が視界に入り、わずかに胸が痛んだ。かつては、兄が選んでくれた本がずらりと並んでいたのだ。 他人が放つ毒にあてられたと、和彦は苦々しく心の中で呟く。 おかげで帰りの車の中では、俊哉とは会話を交わすどころではなかった。せめて、〈彼女〉との対面の意図について問い質すべきではあったが。 今からでも――と、なんとか気力を振り絞って起き上がろうとしたとき、携帯電話が鳴り始める。里見との連絡用で使っているものだ。 どうしても、自分の兄と寝ている人だという事実が、和彦の脳裏をちらつく。嫉妬とも嫌悪ともつかない感情に、胸苦しくなる。 ためらっているうちに着信音は途切れたが、一分の間も置かず、再び鳴り始めた。里見からの電話を避けることは、実質的には不可能だ。いざとなれば実家の固定電話にかけてくることもできる。 無駄な足掻きをやめて、ベッドを下りた和彦は電話に出ていた。『今、大丈夫かな』 何日ぶりかに聞いた里見の声は、不思議なほど耳に馴染んだ。前回、クリニックを訪ねてきた里見との再会は最悪に近く、もしかするともう二度と、顔を合わせることはないのではないかと、密かに覚悟すらしていたのだ。 しかし現金なもので、何事もなかったように里見に話しかけられると、和彦はあっという間に昔の感覚へと引き戻されそうになる。一心に里見を慕っていた頃に。「……うん。自分の部屋にいるから」 正直に答えたあと、自分が一度は電話に出なか
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第44話(26)

**** ショッピングエリアを抜けてきた和彦は、広々としたアトリウムを見回す。年末の買い出しに来ている人も多いのか、商業ビル内はどこも混雑している。簡単に買い物を済ませるつもりだったが、商品を見ているより、レジに並ぶ時間のほうが長くかかった。 休憩スペースで少し座りたかったが、案の定というべきか、空いているイスがない。場所を移動しようにも、ここが里見との待ち合わせ場所だった。「何を買ったんだい?」 唐突に話しかけられて驚く。いつの間にか里見が傍らに立っていた。和彦は、持っている袋を軽く掲げて見せる。「ダウンジャケット。荷物になると思って持ってこなかったけど、家の近所を散歩してたら、やっぱりいるなと思って」 案内板でビル内に量販店が入っているのを見つけて立ち寄り、手頃な価格のものを買ったのだ。里見は軽く眉をひそめる。「言ってくれたら、おれのを持ってきてあげたのに」「いいよ。きっと、もったいなくて袖を通せないから。里見さん、着道楽ぶりに拍車がかかってるんじゃない?」 そうかな、と呟いて、里見が自分の格好を見下ろす。シャツの上からVネックニットを着ており、いかにも仕立てのいいイタリアンカラーのコートを羽織っている。知的で品のいい外見をさらに引き立てる装いに、和彦は少しだけ見惚れてしまう。昔は、里見と二人で出かけるたびに、誇らしい気分になったものだ。 ふいに里見に顔を覗き込まれ、危うく仰け反りそうになる。里見は険しい目つきとなった。「……何、里見さん?」「いや、実家できちんと休めているのかなと思ったんだ。なんだか疲れているように見える」 相変わらず目敏いと、和彦は素直に感心する。言い繕うことはできなかった。「ずっと気を張ってる。自業自得なんだけど。今回は、大事な用があって呼び戻されただけで、そうでなかったら――……」「大事な用?」 答えようとしたが咄嗟に言葉が出ず、和彦は視線をさまよわせてしまう。里見はちらりと笑みをこぼした。「約束通り、夕飯を食べようか。ここな
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第44話(27)

 里見は、こちらの意図を探るように一瞬鋭い目つきとなったが、すぐに目元を和らげた。「なかなか強烈な女性らしいね」「知ってるのっ?」 反対に和彦のほうが驚いてしまい、つい声が大きくなる。店内は、夕食時にはまだ少し早く、さほど客は入っていない。誰もこちらに注意を向けていないのを確認して、和彦は声を落とした。「里見さんも、会ったことが……」「まさか。ただ、英俊くんがたまにこぼすのを、聞いていたんだ」 和彦も他人のことを言えないが、里見と英俊の関係はよくわからない。割り切った関係で、互いを利用し合っているだけだと里見は言っていたが、そんな簡単なものではないと、当事者でない和彦にも断言できる。今でもつき合いのある元上司の息子と関係を持つリスクは、ささやかな憂さ晴らしの見返りとしては、抱えるには大きすぎる。 かつての和彦と里見がそうだったように、英俊との間にも、きっと情が介在している。「……里見さん、平気だったの、それ」「それ、とは」「兄さんが結婚するかも、という話」「おれには、佐伯家のことで口出しする権利はないよ。英俊くんも納得して、出馬や結婚について話を進めているんだ」 そうではないと、本当は言ってしまいたかった。俊哉から聞いた話では、英俊は、そのどちらにも迷い始めている。 うな重が運ばれてきて、二人の前に置かれる。割り箸を手にしたものの和彦は、すぐには食べ始められなかった。自分でも意外なほど、昼間の出来事が澱のように重く心に沈んでいる。「ぼくは、女性相手はスタッフや患者さんで慣れてると思ったけど、あの人は……、苦手かもしれない」「兄弟で、感性が似ているんだね」「どうだろ。でも、兄さんも何か感じてるのかな。だったら――」 あえて結婚しなくてもいいのではないか。そう思いはしたものの、口には出せない。佐伯家の家柄に見合う相手を、両親は慎重に探し出したはずだ。これまで部外者として生活し、ほんの数日、実家に里帰りをして事情に触れただけの和彦に、意見は許されない。「ぼくに求められてい
last updateLast Updated : 2026-08-25
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第44話(28)

「最初は、ぼくに、という話だったらしいんだ」「何が?」「結婚話。佐伯家と姻戚になれるのなら、人脈でも資金でも、兄さんの政界進出に力を貸すって、そういうことだったみたい。歳も、ぼくのほうが近いし」 しかし現在、結婚話が進んでいるのは英俊だ。和彦の行方がわからなくなった結果、そうなったのか、実家に思惑があってのことか、帰りの車中で俊哉に確認することはできなかった。いつになく不機嫌そうな横顔を目にしたせいだ。 俊哉にとって、今日の面談は不本意なものだったのだと、なんとなく和彦は察したのだ。「――兄弟揃って物静かなのね、って嗤われたよ」 ふうっと息を吐き出した和彦は、お茶を啜る。里見のほうは、和彦の話を熱心に聞きながら、いつの間にか食事を平らげていた。食べるのが早いのは、昔からだ。「珍しいね。君が他人に対して、そんな刺々しい言い方をするの」「ぼくは……昔から人嫌いの性質だよ。ただ、表面を取り繕うのが上手いだけで……」「今は、それもしたくない?」 和彦は返事の代わりに顔を背ける。 彼女は、英俊との結婚話を進めると決めながら、その弟である和彦を露骨に値踏みしてきた。そのことがひどく癇に障り、反感を抱いた。自分でも意外だが、佐伯家そのものを軽んじられたような気もしたのだ。「おれの誘いに応じてくれたのは、愚痴をこぼしたかったから?」「……里見さんなら、他言しないと信用してるから。それに――」「気に食わない相手だから、結婚を思いとどまるよう、英俊くんを説得してもらいたい、とか」 柔らかな苦笑を含んだ声で言われると、和彦は、自分が子供の頃に戻ったような感覚に陥る。「里見さん、そんなに意地の悪い物言いをする人だったかな」「そうだな……。君があんまり健気だから、少し意地悪を言いたくなった」「健気って、ぼくが?」 きょとんとした和彦に、里見は真顔で頷く。「英俊くんの心配をしてるだろ。彼女と結婚して幸せになれるんだろうか、って」 
last updateLast Updated : 2026-08-25
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第44話(29)

** 車で移動する間、和彦はひたすら困惑していた。隣でハンドルを握る里見は、ドライブを楽しんでいるかのように、気軽に話しかけてくる。しかし、降ろしてほしいと頼んでみると、首を振って拒むのだ。 恫喝してくるわけでもなく、それどころか声を荒らげることすらしない里見だが、和彦を帰したくないという確固たる意志は伝わってくる。 状況としては今まさに連れ去られているのだが、切迫感や危機感は乏しい。 里見の真意や、英俊との関係がどうしても気になるのだ。 話を聞いて、揺れる気持ちにケリがつくなら――と、どこか言い訳じみたことを、和彦は自分に言い聞かせる。 膝の上で握り締めていた手をゆっくりと開く。覚悟を決めるしかなかった。「……結局、里見さんの思うとおりになってたんだよね。昔から」 和彦の非難がましい言葉を受け、里見は短く笑い声を洩らす。「君には多少強引に出たほうがいいって、知ってるからね。自分からあれこれとワガママを言う子じゃなかったから」「持って生まれた性分かな。ぼくの周囲は、そういう人……男ばかりだ」 ピリッと車内の空気が緊張する。和彦は、あえて里見の表情を確認しなかった。 車は、あるマンションの駐車場に入り、エンジンが切られる。戸惑う和彦に対して、里見は先に車を降りると、後部座席に置いた和彦の荷物を取り上げる。目が合うと頷かれ、車内に一人残るわけにもいかず、渋々和彦もあとに続く。 エントランスに入ると、里見は集合郵便受の前で立ち止まる。郵便物を取り出している間、和彦は所在なくガラス扉越しに外の通りを眺めていた。「――静かだろ」 ふいに里見に話しかけられる。「うん……」「オフィス街にあるから、生活するには不便な場所なんだ。ただ、仕事に集中はできる」「あっ、じゃあ、ここが仕事用に借りてる部屋?」「出勤も楽だし、出張帰りとか、駅が近いから寝泊まりするにもいい場所なんだ。年相応に、家でも買おうかと考えたこともあるんだけど、独り身で、なんでもかんでも自
last updateLast Updated : 2026-08-25
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