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All Chapters of 血と束縛と: Chapter 1631 - Chapter 1640

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第45話(37)

 顎ひげを生やした男のほうは、グレーのチェック柄のマフラーを外し、口元に笑みを湛えながら総子に頭を下げる。一方の坊主頭の男は、表情らしい表情もなく、黙然と佇んでいる。「――寒いですね。約束の時間まで宿でじっとしているのも落ち着かないので、わたしらだけ一足先にやってきました」 総子の言っていた通りだと思ったが、それよりも和彦が気になったのは、顎ひげの男の言葉にわずかに独特のイントネーションがあることだった。関西弁だろうかと思いながら、なんとなく総子の背後に控えたままになっていると、顎ひげの男がふいに和彦に目を留めた。「なかなかいい格好ですね。いかにも、田舎で過ごす正月休みといった感じで」 スウェットの上下に半纏を羽織った格好をそう表現され、和彦は居たたまれなさから身を縮める。「顔色はあまりよくないが、起きて動けるようならよかったです。昨日は、あんなことになっていましたから」 墓地で気を失った和彦を運んできてくれたのが彼らであると、総子は教えてくれた。和彦は礼を言おうとしたが、制された。「ああ、気にしなくてけっこうです。仕事をしただけですから。……昨日のはこちらの失態です。もっと早くにあなたを見つけるべきでした」 戸惑う和彦にかまわず、顎ひげの男は総子に向き直る。「ざっとこの周囲を見ておきましたが、不審者は見かけませんでした」「ご苦労様です。さあ中にどうぞ。お茶を淹れましょう。朝食はお済みですか?」「こちらで食べるのを楽しみにして、宿の朝メシは断ってきたんですよ。――あっ、コーヒーでお願いします」 男とのやり取りに慣れているのか、総子は口元を押さえて笑う。しかしすぐに笑みを消し、和彦を見た。「では、準備をしますから、和彦さんがお風呂を済ませてから、一緒にとりましょう。そのとき、お互いの紹介と、今後についてのお話も」 和彦は、一変した場の雰囲気に呑まれそうになりながら、ぎこちなく頷いた。**** 帰りの列車で、和彦は座席にぐったりと身を預けていた。効きすぎた暖房のせいで、さきほどから顔が火照るう
last updateLast Updated : 2026-09-04
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第45話(38)

 すべてを知った今、和彦にとって実家の存在は、どこよりも苦しい場所となった。俊哉と相対するのも、正直怖い。だからといって、このまままっすぐ長嶺の本宅に駆け込んだところで、総和会が――というより守光が、見逃してくれるはずがない。 長嶺の男たちと知り合う前まで、自分はどうやって生きてきたのだろうか。ふっとそんなことを考え、和彦は身を震わせる。 列車がようやく目的の駅に到着し、のろのろとコートを着込んで準備をする。 ホームを歩きながら、ずっと緊張していた。人の流れに押されるように改札口を通り抜けた瞬間、ざわりと肌が粟立った。混雑する駅構内で、何者かがこちらを見ているような視線を感じたのだ。気のせいかとも思ったが、和彦は顔を伏せる。このときには、心臓の鼓動が痛いほど速くなっていた。 どこに向かうのかも決めないまま、とにかくその場を立ち去ろうと機械的に足を動かすが、行き交う人たちにぶつかりそうになり、結局顔を上げてしまう。五メートルほど離れた場所で、マスクをした男が、じっと和彦を見ていた。さらに男が携帯電話を手にしたところで、顔を背けて早歩きとなる。 明らかに、和彦を捕捉しようとしている者の目だ。 脳内に激しい警告音が鳴り響き、じっとりと冷や汗が滲む。とにかくここから出なければと、気ばかりが逸り、足がもつれそうになる。「――佐伯先生」 背後からはっきりと名指しされて呼ばれる。和彦はビクリと肩を震わせたものの、振り返らない。 とにかくタクシー乗り場まで行けばなんとかなるかもしれないと、密集していた人たちが分散したタイミングで、小走りとなる。背後から足音が迫っているようだった。 階段を駆け下りながら和彦はふと、もしかして自分は、意図的に罠に追い込まれているのではないかと危惧を抱いた。「あっ……」 タクシー乗り場の案内が見えたが、最悪なことに乗車待ちの行列ができている。その近くに、大柄な男が立っていた。行列に加わっているわけではなく、誰かを探しているかのように辺りを見回している。 全身の毛が逆立つような感覚に襲われ、近くの太い柱の陰に隠れた和彦は強張った息を吐き出す。見間違えるはずもない。普段の
last updateLast Updated : 2026-09-04
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第46話(1)

 起きてから、今日一日の予定を何も考えなくていい朝というものを、和彦はベッドの中で堪能していた。〈ここ〉で寝起きするようになって、確実に眠りが深くなっている。安定剤も必要なく、朝までぐっすりと眠れるうえに、うなされるような夢も見ることはない。漂白されたような目覚めだと、そんな言葉がふいに頭に浮かぶのだ。 和彦はもぞりと寝返りを打つと、ベッド横の小さな窓に視線を向ける。今日も天気はよくないのか、陽射しは入ってこない。外はよほど冷え込んでいるのか、窓から見ることができるブナの木の枝は、ふわふわとした綿毛がついたようにうっすらと白くなっている。 樹霜と言うのだと教えてもらった。読んで字のごとく、樹木の枝についた霜だという。枝だけが白く染まっている光景は幻想的で、いつまででも眺めていたくなる。「雪……」 ぽつりと洩らした和彦は、慌ててベッドから起き出すと、裸足のまま床の上に降り立つ。室内はほんのりと暖かいが、さすがに足元は少し寒い。窓からよく外を見てみると、今にも雪が降り出しそうな空模様ではあるが、かろうじて持ちこたえているようだし、夜の間に積もることもなかったようだ。 窓の外には、ブナの木々と、その間を漂う濃い霧があるだけだ。静謐としか表現できない光景だった。まだ見慣れないということもあり、深い沼の底にでも沈んだ場所にいるような、不思議な感覚に陥る。 実際のところは、和彦が今寝起きしているこのログハウスは、ブナ林の一角を切り拓いた場所に建っている。周囲に人家はなく、夜ともなると月明かりすら眩しく感じられるほど真っ暗になる。息を潜めて静かに生活したい人間にとってはうってつけの場所だろう。もっともそれは冬の間の話らしく、暖かくなってくると、近くにあるという渓谷目当ての人たちのトレッキングコースとなるそうだ。 小さな滝もあるらしく、大雪が降らないうちに足を運んでみたいと思っているが、この空模様が続くようなら間に合わないかもしれない。 ベッドを簡単に整えた和彦は、クローゼットから着替えを選び出す。とにかく冷え込む地域なので、しっかり着込むよう厳命されていた。コーデュロイパンツを履くと、Tシャツの上にネルシャツと厚手のセーターを
last updateLast Updated : 2026-09-05
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第46話(2)

 当初は夫婦で過ごす予定だったというだけあって、二人で過ごすにはぴったりの家だった。寝室は、大きめのベッドとクローゼットで大半のスペースが占められており、リビングダイニングは、テーブルセットとソファが隣り合って並んでいる。そこに薪ストーブと、二人分の食器を収めておくだけのサイドボード、買い溜めた食料品を入れておく横長の収納ボックスが加わり、窮屈さ一歩手前の空間を保っている。テレビは置いていない。そして固定電話もない。 ちなみに外には、薪や除雪道具を仕舞っておく小屋があり、野菜や常温保存がきく食品なども保管している。 和彦はラジオの電源を入れると、適当に周波数を合わせる。これまでラジオを聴いて過ごすという習慣がなかったので、今の時間帯にどんな放送をしているか、まだ把握できていないのだ。こういうときは新聞の番組表を確認して、と言いたいところだが、ここは新聞が配達されておらず、さらにはインターネット回線も通っていない。日々のニュースはラジオ頼りとなっている。 ラジオをつけたまま、ヤカンの湯を使って洗面所で顔を洗うと、室内を簡単に掃除してからコーヒーを淹れる。一人分の朝食をわざわざ準備するのも面倒で、缶に入ったクッキーを数枚、小皿に取り分ける。 予定がないため、やることもない。ゆっくり休めと言われているが、さすがにここに滞在するようになって十日も経つと、ずっと続いていた熱も下がり、今の体調はいい。まだ少し歩きにくくあるが、右足の捻挫の腫れもすっかり引いた。 クッキーとコーヒーを交互に味わいながら窓の外に広がるブナ林を眺めていて、ふと思い立ち、サイドテーブルに置いてある野鳥図鑑を手に取る。退屈しのぎにと、和彦が好んで読むミステリー小説以外にも、さまざまなジャンルの雑誌を買ってきてもらったが、この図鑑は〈彼〉が選んだものだ。この辺りを飛んでいる野鳥の姿を双眼鏡で見ては、図鑑を開いて名を確認している。 目的がなくても、図鑑というものは眺めているだけで楽しい。和彦は、ある鳥のページで手をとめ、ひときわじっくりと眺める。 コーヒーを飲み終えたカップを洗ってから、ついでに毛布を取ってきて、ソファに横になって読書をしようかと考えていると、外から車のエンジン音が聞こえてくる。 ログハウスの
last updateLast Updated : 2026-09-05
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第46話(3)

 翔太は二、三日おきに、こうして食料品や日用雑貨品などを運んできてくれる。彼の実家は、このログハウスから車で十五分ほどの場所にあり、山魚の養殖場と、併設した食事処と商店を経営している。翔太は養殖の仕事の傍ら、注文を受けるとこうして配達もしているのだという。 翔太は和彦の足元を見て、問いかけてきた。「足の調子はどうです?」「うん、もう腫れは引いたよ。少し痛みはあるけど、歩けないほどじゃないし」「だったらようやく、念願の温泉に入りに行けますね」 このログハウスについているのはシャワーだけで、湯に浸かりたいときは近くの町営温泉を利用することになる。ただし和彦は足を捻挫していたため、いまだに一度も出かけられていない。「……骨折してるわけじゃないから、大げさなんだよな。一応自力で歩けるわけだし」「〈あの人〉が心配するのもわかりますよ。熱、出ていたんですよね?」「その熱が下がったから、温泉に入ってじっくり温まりたい……」 翔太は苦笑いしてから、段ボールから品を取り出すのを手伝ってくれる。「そんなことが言えるぐらい元気になってよかったですよ。最初、佐伯さんのことを病人だって説明されたから、うちのかあちゃんととうちゃんで、滋養をとってもらうのにどんな食い物を差し入れたらいいのか、相談し合ったんですよ」「ただの疲労で、少し寝込んでいただけなんだけど、大げさに伝えたみたいだ」 冷凍した肉の塊を取り出して目を丸くすると、近くで獲れた鹿肉だと教えてもらう。「とにかく肉を食わせて、佐伯さんを少し太らせたいと注文を受けたので。若い鹿だからクセも少ないし、脂っこくなくて、いくらでも食えます。何より美味い。適当に塩コショウで味つけしただけでいいですよ」 料理が苦手な人間には、手順が少ないのはありがたい。簡単に作れる料理の本も買ってきてもらい、二人で四苦八苦している最中なのだ。 空になった段ボールを畳んだ翔太が、挨拶をして玄関を出ようとして、急に振り返る。ポケットから折り畳んだ紙を差し出してきた。「そうだ。頼まれてたもの、持ってきてたんだ。――これ、
last updateLast Updated : 2026-09-05
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第46話(4)

 防寒対策をして外に出ると、ゆっくりと辺りを見回す。目が覚めたときはあれだけ立ち込めていた霧はすでにもう消えている。ただ、だからといって天候がよくなったわけではなく、厚い雲が空を覆い尽くしている。翔太は夕方から吹雪いてくると言っていたが、もっと早くに天候が崩れても不思議ではない。山の天候は気まぐれだと、もう何度も聞かされていた。 和彦は右足の調子を確認しながら、ゆっくりとした歩調で歩く。ここで生活し始めてから痛感していたが、捻挫したことを抜きにして、格段に体力が落ちている。肉体的にも精神的にも疲弊しきって高熱を出し、それはほんの二日ほどで下がりはしたが、あとは微熱が続いていた。とにかく体がだるくて、ログハウスの周囲を散歩するのがやっとだったのだ。〈彼〉が、和彦を置いて一人で朝から出かけるのも、そんな体調を知っているからだ。連れ回したところですぐに疲れさせるだけだとわかっているのだ。 体力を戻すより先に、まずは気力の復調を優先しなければ――。和彦は自分に言い聞かせながら、足を動かし続ける。目的はなんでもいい。気力が湧き起こり、実際に行動を起こしてみようという気になるのであれば。 車一台が通るのがやっとの山中の道は、陽射しが差さないこともあって薄暗い。車どころか人の姿もなく、ブナの木の間を吹き抜ける風の音だけが響く。ときおり頬に冷たいしずくが触れるのは、枝についた樹霜の名残りのようだ。 和彦は歩きながら高いブナの木を見上げる。最初は木の種類などわかっていなかったのだが、ログハウスに連れて行かれたその日に、窓の外を見ながら教えてもらった。他に、薪ストーブの扱い方や、防寒の仕方など。 本当は他に教えてもらいたいことはあるが、和彦からはまだ尋ねていない。和彦の心中を察してか、〈彼〉からも切り出してはこない。静かだが、どこか緊張感のある日々を過ごしてきた。 風の音に交じって水音が聞こえてきたので、耳を澄ませて気のせいではないことを確認する。少し歩くと道が二手に分かれ、和彦は迷わず小道のほうに足を進める。 辿り着いたのは、小さな沢だった。大小の岩や石が転がっている間を、細く水が流れている。行こうと思えば上流へと上がっていけるかもしれないが、真冬の今の時期、水を被りながら濡れた岩を
last updateLast Updated : 2026-09-05
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第46話(5)

** 足を引きずる和彦に合わせて、鷹津はゆっくりとした歩調で歩く。息が切れて立ち止まると、声をかけるまでもなく、鷹津も足を止める。 和彦を急かすでもなく、頭上を見上げたり、周囲を見回す鷹津の様子は、警戒心が強い獣を思わせる。さながら今の自分は、その獣に庇護される#番__つがい__#といったところだろう。大げさではなく、この地に来てから和彦は、何もかも鷹津の世話になっていた。 あの日駅で、南郷たちから逃れるために必死で駆けていたときのことを思い返す。 道路に飛び出し、向かってくるバイクを前に動けなくなった和彦を、背後から強く腕を掴んで引き戻したのが鷹津だった。とはいえ、すぐには正体がわからなかった。バランスを崩して足首を捻り、勢いで地面に座り込んだのだが、目深にキャップを被った髭面の男に容赦なく引き上げられ、ほとんど抱えられるようにして歩かされたからだ。 切迫感と混乱と恐怖、それに足の痛みから、思考が空白になっていたのかもしれない。和彦は抵抗もできないまま、ただ男についていくしかなかった。駅近くに停まっていた車の後部座席に男と一緒に乗り込み、十分ほど移動した。最後まで運転手とは一言もを会話を交わさなかったことから、何もかも打ち合わせ済みだったのだと推察はできた。 車を降りると、近くのコインパーキングに停まっていた別の車の助手席に押し込まれた。今度は男がハンドルを握り、和彦はひたすら体を強張らせて俯いていたが、次第に右足の痛みが強くなっていくことに気づき、ぎこちなく動かしてみる。意識しないまま呻き声を洩らしていた。「――足を痛めたか?」 ここまでずっと沈黙を貫いていた男が初めて発した声を聞き、和彦はハッと顔を上げた。ハンドルを握る男の横顔をまじまじと見つめたところで、やっと、鷹津だと気づいたのだ。 少しの間我慢しろと言って、鷹津は車を走らせ続ける。和彦は目を見開いたまま、ただ鷹津の横顔を見つめることしかできない。どうしてあの場にいたのか聞きたかったが、落ち着いてくれば、理由は一つしか思い当たらない。俊哉が事前に知らせていたのだ。だから俊哉は、わざわざ在来線を使うよう和彦に指示したのだ。 行き違いになったらどうするつもりだったの
last updateLast Updated : 2026-09-05
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第46話(6)

 心の準備をしたはずなのに――。和彦は無意識のうちにコートの胸元を握り締める。 そんな和彦の様子を一瞥して、鷹津は小さく舌打ちした。「さっきから顔色が悪いぞ。死人みたいなツラだ。……これから車で長距離を移動することになるから、多少無理させるぞ」「えっ……」「その途中で、いろいろと買い込むものがある。が、まずは、お前の足の状態を確認するのが先だ。痛みがひどいようなら、病院だな」「待、て……。どこに行くんだ? 病院じゃなくて――」「お前には当分、実家だけじゃなく、長嶺とも総和会とも離れてもらう。そのために、身を隠す場所を押さえてある」 なぜ、そうなったのか。鷹津は話してくれなかった。聞けば教えてくれたのかもしれないが、実家に向かうわけではないと知り、まず安堵した自分の気持ちに和彦は従うことにした。「――……鷹津、あんたも一緒にいてくれるのか?」「そのつもりで、ずっと準備をしていた」「だったら、いいんだ……」 ようやく肩から力を抜いた和彦に、次に鷹津が言ったのは、自分のことは名で呼べということだった。鷹津が姿を消す前、ぎこちないながらも互いに名を呼び合っていたことを、しっかりと覚えていたらしい。切迫したこの状況で念押しされることなのかと戸惑いもあったが、いつまでかはわからない、これから生活を共にするための契約なのだと和彦は認識し、承諾した。 鷹津は、和彦の予想を遥かに上回って細やかに面倒を見てくれている。出会ったばかりの頃の、傲岸不遜で挑発的、下卑た発言ばかりしていたのは一体なんだったのかと、ときおり考えるぐらいだ。 本来、こういう性質の男だったのか、自分だけが特別なのか――と、和彦は傍らに立つ鷹津を見遣る。見慣れたつもりでも、短髪に、口元を覆う髭という精悍な姿に、鼓動が大きく跳ねることがある。「どうした?」 そう問いかけてきて、さりげなく鷹津が腕を出してくる。和彦は遠慮なく掴まり、再び歩き出す。「翔太くんが、鹿肉の塊を持ってきてくれたんだ
last updateLast Updated : 2026-09-06
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第46話(7)

 一部が炭のように焦げてしまったホットサンドを食べ終えた和彦は、食器を洗ったあと、冷蔵庫や食料品が入った収納ボックスの整理をしてから、一仕事終えたとばかりにソファで横になった。 一方の鷹津はテーブルにつき、書店のカバーのかかった専門書らしきものを読んでいた。つけたままのラジオから流れていたのはピアノの音が心地いいクラシックで、おかげであっという間にウトウトする。鷹津に何か話しかけられて、適当な返事をしていた気がする。 ふと目が覚めたのは、窓がガタガタと揺れる音のせいだった。風が出てきたなとぼんやり考えながらソファの上で身じろぎ、壁にかかった時計を見上げる。午後三時を少し過ぎており、二時間ほど眠ったことになる。使った毛布を畳みながら室内を見回すが、鷹津の姿はない。 立ち上がった和彦は何げなく窓のほうを見て、驚く。外が白く染まっていた。窓に歩み寄り、声を洩らす。「うわ……」 圧倒されるような勢いで雪が降っていた。いつから降っていたのか知らないが、ブナの木の枝にすでに積もっており、山を白く染めつつある。その光景から目が離せなくなっていた。しかし数分もしないうちに現実に引き戻される。 いきなり玄関のドアが開き、ヌッと鷹津が入ってきた。米袋のようなものを玄関横のスペースに置くと、またすぐに出ていく。 一体なんだろうかと、和彦は玄関横で屈み込み、袋に印刷された文字を読む。すると鷹津が戻ってきて、今度は段ボール箱とレジ袋を抱えていた。段ボール箱のほうを差し出され、反射的に立ち上がって受け取る。和彦が昼寝をしている間、鷹津は外で作業していたらしく、着込んだダウンコートの両肩に雪が積もっていた。「その荷物は、お前宛てに送られてきたものだ。預かっていると安川商店から連絡が入って、受け取りに行ってきた。ついでに買い足しておきたいものもあったしな。明日でもよかったが、吹雪いてくるとなると、雪で道がどうなるかわからん」 安川商店とは、翔太の実家のことだ。二人宛ての荷物は安川商店に送ってもらい、連絡があると鷹津が受け取りに行く。ここまでやってくる配達業者が大変だというのもあるが、何より、このログハウスの住所を明らかにしたくないというのがあるのだろう。
last updateLast Updated : 2026-09-06
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第46話(8)

 丁寧に送り状を剥がしてから、段ボール箱を開封する。中を見て、声を上げていた。「セーターが入ってる。それに、毛糸の靴下っ。これは……のど飴かな。あっ、ジャムも入ってる」 他にお茶のティーバッグや茶菓子、佃煮なども入っており、和彦の生活を気遣っているのがよく伝わってくる。段ボールの下には厳重に梱包された包みが入っているのを見つけて、ちらりと鷹津を見上げると、ひらひらと手を振られた。「それは寝室で確認してこい。俺に見られたくないものなんだろ」「そういうわけじゃないけど……。これを見ている最中の、ぼくの顔を見られたくない、というのが正確なところだな。きっとひどい顔になるから」 一週間ほど前、最初の荷物が総子から届いたとき、同封された手紙に予告めいたことは書かれていたのだ。誰にも邪魔されず、時間もたっぷりある環境にいる今こそ、できる手続きを進めてしまいたいと。 わたしたちには残された時間が少ない、と和泉家に年末年始に滞在したとき、ぽつりと総子が洩らしていた。その言葉の重みを、和彦はじわじわと実感している。「……子供の頃のことを思い出してから、自分は〈欠けていた〉人間だったんだと思った。実の母のこと、母方の祖父母のこと。ぼくは自分を守るために、思い出を犠牲にしてたんだ。だからこそ、全部知ってしまうと、何かで補おうと焦ってしまう」「和泉家の人間と思い出作りがしたいのか?」 鷹津の声には、どことなく突き放したような冷たさがあった。皮肉屋な男らしく、感傷的になっている自分を嘲っているのだろうかと、鷹津の表情をうかがった和彦は目を丸くする。鷹津は、怖いほど真剣な顔をしていた。 自身の出生について、鷹津には簡単な説明しかしていない。もしかすると俊哉か総子から詳細に聞かされているのかもしれないが、和彦から切り出すことを待っているように感じる。混乱した気持ちを言葉にして吐き出してしまうこともあり、きっと要領を得ないであろう話でも、鷹津はすべて理解しているかのように自然に会話を続けるのだ。「――……何も知らないまま、ずっと疎遠にしてたんだ。その間
last updateLast Updated : 2026-09-06
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