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第47話(9)

 ここまで言われて、今度は和彦は苦笑いをする。俊哉は、長嶺賢吾という男を、本性を見せなければならないほどの存在だと認めたということなのだろう。守光に対抗しうると賢吾が判断されていなければ、即座に話し合いは打ち切られていたはずだし、和彦を長嶺の本宅に預けるという結論には至らなかったはずだ。「……難解な人なんだ。でも義理堅いとは思う。一度した取り決めは、守るはずだ」「義理堅い、か。それがつまり、お前が実家にも顔を出したいという根拠になるのか?」「和泉の家に行って、いろいろわかったことがある。それを踏まえて、家族とまた話がしたいんだ。……向こうが、ぼくを家族と認めてくれるなら、だけど」 悲しいことを言うなと、賢吾に手荒く頭を撫でられた。「わかった。お前がやりたいようにすればいい。ただし、行動するなら、事前に予定を知らせろ。それは絶対だ」「――……実は、和泉の家で紹介された人からも、会社に一度来てほしいと言われてて……」 賢吾が大仰に眉を動かす。「ずいぶん交友関係が広がったな」「自分でもびっくりしている」「和泉家と繋がるというのは、そういうことだろうな。佐伯家は、官僚として特殊な世界で力を振るってきた一族で、一方の和泉家は、ある意味対照的だ。調査書類を読んだだけだが、昔から手広く商売をやって成功してきたらしいな」「おばあ様の話だと、その商売を畳んだりしたみたいだけど」「和泉家が今扱っているものは、一つだけだと言っていい。だがその一つが、強力だ」 実のところ、和彦はまだ和泉家というものを把握しきれていない。広大ではあるものの、周囲を田畑に囲まれた土地に老夫婦が静かに暮らしている様子をこの目で見てきた。だが、総子から渡された、和彦に譲るという財産目録はあまりに凄まじかった。そこに、和泉家が持つ力の一端を見た気がしたのだ。「和泉の家に厭われると――……」 ふっと、俊哉に電話越しに言われた言葉が口を突いて出る。訝しむように賢吾がこちらを見たので、なんでもないと和
last updateLast Updated : 2026-09-14
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第47話(10)

** 実家に置いていった和彦の荷物は、すべて客間に運び込まれていた。里帰りをしたときは年末だったため仕方ないが、そのとき持っていた着替えはすっかり季節外れとなっており、改めて、自分が不在の間に流れた時間について実感する。 長嶺組の男たちに抜かりはなく、新しい春物の衣類が用意されており、ありがたく和彦は着替えを済ませた。 文机の上には、里帰りに持って行った着替え以外の細々としたものが、整理して置かれている。文庫の一冊を開くと、三田村からクリスマスプレゼントとして贈られた栞が挟まっていた。それだけではなく、賢吾からの香水と、千尋からの名刺入れもきちんと戻ってきている。鷹津との生活で切り離していたものが、一つ一つ自分の中に戻ってきているような、不思議な感覚だった。 足を伸ばしてぼんやりしていると、廊下のほうで抑えた足音がして、客間の前で止まった。「――先生、お茶はいかがですか」 笠野の声に、知らず知らず顔が綻ぶ。玄関からまっすぐ客間に向かったため、和彦が本宅で一番世話になっていると言っても過言ではない笠野の顔をまだ見ていなかったのだ。「いただくよ」 そう応じると、障子が開いて笠野が盆を手に姿を現す。文机の上にスペースを作ると、そこにお茶の入ったカップが置かれた。 笠野は軽く室内を見回してから、和彦が着替えた服に目を留める。「もうダウンの上着は使わないでしょうから、クリーニングに出しましょうか」「うん、そうしてくれ」 ダウンコートのポケットに入れてあった図鑑は、文机の引き出しに仕舞ってある。ログハウスに置いてきてしまった野鳥の図鑑を、鷹津は忘れず送ってくれるだろうかと、ふと気になった。「お昼は何かリクエストはありますか?」 服を抱えた笠野に問われ、和彦は少し考え込む。「……卵焼きが食べたい。少し甘めの。あとは、おにぎり。具は任せるよ」 卵焼きに何度か挑戦してみたが、どうしても上手くできなかったので、もう自分に才能はないのだと諦めた。やはり人に作ってもらったほうが美味しい。「それぐらいお安い御用ですが、でしたら、汁物もつけ
last updateLast Updated : 2026-09-14
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第47話(11)

「物心ついたときから叩き込まれた習性ってやつだろうな。組を守ることが何より優先。組のために最善となる方法を取る。そうであれと、オヤジからさんざん言い聞かされて、努めてきた。そのために総和会にも献身してきた。あの組織は面倒くさい一方で、確かに組を守ってもくれるんだ。従順であるうちはな」「互助会、だったな」「今の総和会は、オヤジそのものだ。長嶺守光の持つ執念と愛情が、あのでかい組織を動かしてる」 長嶺組を守るために――と、賢吾は苦々しげに呟く。和彦はそこに、賢吾を生かし、縛り付ける血の鎖を感じた。 およそ賢吾らしくない、迂遠で歯切れの悪い物言いは、守光と膝を突き合わせて話しているうちに、嫌でも実感させられたものがあるのかもしれない。和彦が、俊哉や総子と話して感じたものがあったように。「だからといって、こちらの執念や愛情が踏みにじられるいわれはない。……もっとも、俺もさんざん、お前を踏みにじってきたんだがな。悪いことはできねーな。オヤジを責めることで、俺はお前から責められることになる」「それは……」 この男は、自分よりさらに窒息しそうなほど重いものを背負っているのだと思うと、和彦は身を乗り出さずにはいられなかった。 大きな手を握ると、賢吾が驚いたように目を見開く。「おい――」「……大蛇の化身みたいな男が、こんなに優しいなんて思わなかった」 きまり悪そうに顔をしかめたあと、賢吾は意を決したようにこう告げた。「今回のことは三者円満とはいかないが、痛み分けとしてカタをつけるために、オヤジがある条件を出してきた。お前を月に一度は、本部に派遣するようにと。一度といいながら、何日もお前を拘束するんじゃないかと思ったが、本部で一泊過ごしてくれればいいと言っていた。形が必要なんだそうだ。長嶺の男たちが、一人の〈オンナ〉を共有して、大事にしているという」 和彦は、数か月前、総和会の別荘で守光に言われたことを思い出す。総和会の力を認めながらも、取り込まれることを警戒している賢吾に対して、守光は和彦を利用するつもりだ。そのため、和彦個人が総和
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第47話(12)

 反射的に身が竦む。咄嗟に和彦の脳裏に浮かんだのは、おぞましい百足の姿だった。「総和会でのお前の後見人という決定は覆らなかった。お前の立場を思えば、あの男ぐらいの番犬は必要だと、押し切られた」「番犬……」 和彦にとってはある意味、思い入れのある言葉でもあり、ほろ苦い気持ちにさせられる。 微妙に表情を曇らせた和彦の変化に、賢吾は座布団から下りて正座をすると、深々と頭を下げた。「おそらくお前が希望していたことを、ほとんど叶えてやれなかった。俺の力不足だ。すまなかった」 これまで見たことのない賢吾の姿に、和彦は激しく動揺する。頭を下げたまま賢吾は続けた。「お前を連れ戻しておきながら、この体たらくだ。騙したなと詰ってくれてもいい。……これ以上長引けば、お前を鷹津に持って行かれると焦っていた。なりふりかまっていられなかった。お前が古狐どもに振り回されるとしても、俺の側に置くことを優先したんだ」 和彦がため息をつくと、賢吾がわずかに頭を上げる。謝罪しながらも、上目遣いの眼差しには狡猾さとふてぶてしさが覗いている。「あんたみたいな男に頭を下げられて、そこまで言われたら、ぼくは何も言えない」「遠慮なく言ってくれていいんだぜ。あんたみたいな男、と言うが、俺は案外狭量だ。たとえば、鷹津の隣に立つお前を一目見て、嫉妬して、八つ当たりするぐらいにはな」「……あれ、八つ当たりだったのか。あんたを怒らせたんだと思った……」「つまり俺は、その程度の男だってことだ」 賛同しかねる言葉だが、言ったところで屁理屈で納得させられるのが目に見えているため、曖昧な表情を返しておく。 今後の予定について軽く相談してから、今はとにかく環境に慣れるよう念を押される。意味がわからず首を傾げると、賢吾は真剣な顔つきで説明した。「お前はもう、山奥でひっそりと息を潜めて暮らしていたただの堅気じゃなく、長嶺の男たちの〈オンナ〉に戻ったということだ。そして、長嶺組のシノギに貢献する医者でもある。振る舞いには気を配れ」 和
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第47話(13)

 何かを確かめるようにじっくりと、上唇と下唇を吸われる。和彦は小さく喘ぎながら、同じ行為を賢吾に返してから、口腔に熱い舌を迎え入れる。蠢く舌の動きに必死に応え、流し込まれる唾液を受け入れてから、引き出された舌に慎重に歯が立てられる。このまま噛み千切られるかもしれないという恐怖は、とてつもない淫らな衝動も伴っている。 堪らず鼻にかかった声を洩らすと、きつく抱き締められる。何度も切ない声で賢吾の名を呼び、再び口腔に差し込まれた舌に吸い付く。賢吾の興奮は、強くなる腕の力や、荒い息遣い、高い体温から伝わってくる。もちろん、和彦もこれ以上なく興奮していた。 その果てに、賢吾の腕の中でビクビクと身を震わせる。「――……キスだけでイッたのか? いやらしいオンナだな、お前は」 獲物を弄ぶ獣の残酷さを含んだ声で、賢吾が囁く。 ログハウスでの生活で、和彦と鷹津との関係がこれ以上なく深まっていると察しているうえで、そんなことは関係ないとばかりに賢吾は口づけで迫ってくる。和彦の中にある感傷も罪悪感も、すべて呑み込むかのように。官能の高ぶりに、和彦の目尻に涙が浮かんでいた。 濃厚な口づけを堪能して、ようやく唇が離れる。和彦は息を乱しながら賢吾の肩に額をすり寄せると、手荒く後ろ髪を撫でられた。「この手触りはなかなか惜しい気もするな。どうする、伸ばし続けてみるか?」「……昨日言っただろ。時間ができたら、切りにいく」 どうする、と聞いておきながら、和彦の返事に賢吾は満足げに目を細める。 賢吾が自室に戻るタイミングで、昼食の準備ができたと笠野から内線がかかってきたため、一緒に客間を出る。久しぶりにダイニングで食事をしようと思ったのだが、なぜか賢吾もついてくる。「出かける準備をしなくていいのか?」「お前の顔を見ながら、茶を飲む時間ぐらいはある」「……好きにしてくれ」「ついでに、千尋も呼ぶか。自分の部屋でウズウズしてるだろうからな」 廊下を歩きながら、中庭に視線を向けていた和彦は、あることに気づいた足を止める。「なあ、中庭のあ
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第47話(14)

**** 和彦は数日ほど本宅に滞在することになった。その間に、自宅マンションにハウスクリーニングを入れると賢吾は言っていたが、本当に必要なのだろうかと甚だ疑問だ。よく気の利く笠野の差配により、日頃から組員たちが管理してくれていたはずで、わざわざ業者を入れるような状態になっているとも思えない。 もっともらしい理由をつけないと、和彦がすぐにマンションに帰りたがると考えたのかもしれない。 客間に転がった和彦は、耳を澄ませる。うるさくない程度に、人の話し声や足音が聞こえてくる。鷹津と生活したログハウスが非常に静かだったため、この生活音に溢れた環境にいると、戻ってきたのだなという実感がひたひたと押し寄せてくる。 障子を通して陽射しの暖かさを感じる。朝方はまだ肌寒かったが、それも日が昇るにつれて和らぎ、過ごしやすい気温となっている。こんな天気のときに散歩すると気持ちいいのだろうが、ふらりと一人で出歩ける山の中ではないため、護衛をつけなければならない。長嶺の本宅から出入りするとき、これは絶対だ。 散歩には行きたいが億劫だと、ぽろりと本音が洩れる。 昨日、本宅に到着してからずっと、軽い違和感は拭えない。三か月というのは、生活習慣を変えるには十分な時間だったのだろう。鷹津と生活を共にしている間、日々の家事はほぼ交代、もしくは半分ずつこなしていたため、何もやらなくていい本宅では、なんとなく身の置き場に困る。マンションの部屋で一人になれば、また感覚は違うのだろうが。 気が重いことは早く済ませてしまおうと、俊哉には連絡を入れておいた。肝心なことは鷹津から報告を受けているはずなので、和彦からは、長嶺の本宅にいるということぐらいしか告げることはなかった。そのあと、和泉家にも電話をかけ、総子と話すことができた。ログハウスで過ごす間に、何度か総子とは連絡を取り合っていたため、正直、俊哉とよりも気楽にやり取りができるようになっていた。 電話の向こうから猫たちの鳴き声が聞こえてきたことを思い出し、つい笑みをこぼす。「――和彦、今いい?」 障子の向こうから突然、千尋の声がした。ぼんやりしていたため、足音に気づかなかったようだ。和
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第47話(15)

 子供のように唇を尖らせる千尋だが、この仕種もあざとい。たまらず和彦は顔を背けて噴き出してしまう。「そのほうが長嶺の男らしい。お前が痩せ細ってたら……、申し訳なくてこんなふうに向き合えなかった。だから、元気そうでほっとしてる」 言ってから、これは自意識過剰な発言だったかもしれないと即座に後悔する。慌てて言い募ろうとしたが、千尋が一瞬顔を歪めてから飛びついてきた。「うわっ」 声を上げた和彦はそのまま千尋と一緒に倒れ込む。しがみついてきながら千尋が低く呻き声を洩らし、ぐりぐりと額を肩に擦りつけてくる。 少々乱暴ではあるが、怒っているわけではないようだ。和彦の脳裏に、大型の獣が爪と牙を立てないよう気をつけながら、精いっぱい体をすり寄せて甘えてくる姿が浮かぶ。「もう帰ってこないじゃないかと思ってた……。和彦が実家の空気に触れて、家族に囲まれて、そしたら、もう〈ここ〉に帰ってくる必要はないって、気づくんじゃないかって――」「……変な言い方だな。ぼくは催眠術にでもかかってたみたいじゃないか。気づくも何も、ここがどんな家で、お前たちがどんな人間なのかわかったうえで、世話になってたんだ。そして、戻ってきた」 不安かと尋ねると、頑是ない子供のように首を振り、ますます強くしがみついてくる。さすがに少し苦しいと思いながらも、押し退ける気にはなれず、ポンポンと背を軽く叩いてやる。 離れて生活している間に、千尋の自分に対する熱情がいくらか冷めているのではないかと、恐れると同時に、ほんの少し期待にも似た気持ちが和彦にはあった。そのことを、今は申し訳なく感じる。抱き締めてくる腕の強さや呻き声は、千尋の一途さを雄弁に物語っているからだ。 将来、自分はこの青年に何を返せるだろうかと考えていると、ようやく気持ちが落ち着いたのか、千尋がもそもそと身じろいでから起き上がる。手を掴んで和彦も引っ張り起こしてもらうと、照れたように千尋が笑った。「久しぶりだから興奮しすぎた」「……血気盛んでけっこうなことだな」 結局何をしに来たのかと尋ねよう
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第47話(16)

「心当たりはあるんだろ?」「うん。……年上の女」 さすがに複雑な心境になったが、これが嫉妬からくるものなのか結論を出す前に、千尋が言葉を続けた。「高校生のガキが、大人のきれいな女に一目惚れしてのぼせあがった――なんて話じゃなくて、若いうちから女に慣れておけって、じいちゃんが紹介してきたんだ」「……それが、長嶺の家の流儀というやつか?」 皮肉を言いたいわけではなかったが、そう受け取られても仕方のない言い方をしてしまい、和彦は顔をしかめる。いまさら、長嶺家の教育論や倫理観についてとやかく言うつもりはないし、言う権利が和彦にない。「組の人間がよく通ってた店で働いてた人でさ、客あしらいが上手くて人気あったみたいだけど、高校生の俺なんて、てのひらで転がすまでもなかったんじゃないかな。何度か遊んで、そういうことをして……、でも恋人同士というわけじゃなくて。で、連絡が取れなくなって、そのまま。俺はじいちゃんに、その人がどうなったのか聞きもしなかった」 千尋の知らないところで、守光と女性、賢吾も含めてやり取りがあったのだろう。守光としては、目論見通りだったのかもしれない。「軽蔑した?」 自嘲気味に千尋に問われる。和彦は似た表情で返しながら、千尋の頭を撫でてやる。「残念だが、お前に偉そうに言えるほど、ぼくも品行方正な高校生活を送ってたわけじゃないから――」 里見の顔が脳裏に浮かび、苦い気持ちが込み上げてくる。実家に里帰りしたときの里見の部屋での出来事以来、まったく連絡を取っていない状態だ。新しくなったスマートフォンには、里見の連絡先は残されていなかったが、それは俊哉を通して入手可能だ。もっとも、そこまでして里見と何を話したいのか、和彦自身よくわかっていない。 ただ、里見が英俊をどう思っているのか、それだけはずっと気になっていた。ログハウスに滞在している間、連絡をするべきなのか迷ったこともあるが、行動を起こさなくて正解だったのだろう。英俊が知ったら、余計なことをするなとまた殴られていたところだ。「どうかした?」 突然黙り込
last updateLast Updated : 2026-09-16
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第47話(17)

「どうして最初に、子供のことを俺に知らせなかったのか、じいちゃんとオヤジに聞いたんだ。そうしたら、相手がギリギリまで、産むかどうか迷ってたみたいなんだ。じいちゃんの説得で産んだあとは、今度は、子供を長嶺で引き取らせてほしいと言ったんだけど、相手の実家と揉めて……」「〈大人〉の話に、お前を巻き込みたくなかったということか」「ヘラヘラして過ごしてからなあ。その頃の俺。二人が気を回したのも、複雑な心境だけど理解はできる」 結果として千尋の子を引き取ることはできたが、急転直下でそこに至った理由は、なんとも現実的なものだった。「条件のいい結婚話がまとまったんだって。きれいな人だったし、まだ若かったから、当然といえば当然なんだけど。ただ、未婚の母なのはともかく、子供の父親の家が、でかいヤクザの組だというのは知られたくなかったみたいで……。それでうちの親戚の家に一旦預けられて、面倒を見てたんだ。その間に、双方にとって円満となる環境を整えて――と、じいちゃんが言ってた」 千尋の物言いが他人事なのは、やはり大事なことを何も知らされないまま現在まできたからだろう。千尋を除く長嶺の男二人が過保護なのは間違いなく、それとなく千尋の子の存在を仄めかされた和彦は、ある意味特別扱いされたということだ。「まあ、俺は知らないうちに、長嶺の男としての義務は果たせてたってことだよ。オヤジのときは、じいちゃんや他の身内からの圧力がすごかったらしいから。結婚は後回しでもいいから、早く跡目を作れって。俺が生まれたら生まれたで、前に和彦に話したと思うけど、じいちゃんとお袋は仲悪くてさ。もし仮に、子供ができたのを機に俺が結婚してたとしても、きっとうまくいかなかったと思う」 あっけらかんとした千尋の話を聞きながら、和彦は薄ら寒いものを感じていた。 守光と賢吾は、長嶺の本宅に〈女〉を迎え入れるつもりがあったのだろうか、と。相手の女性の、千尋に対する本心など今となっては不明だし、『条件のいい結婚話』についても、長嶺組――というより長嶺の男たちが手を回してまとめたのではないかと想像してしまう。 堅気の女性では、千尋を支えられないと考えたうえでのことかもし
last updateLast Updated : 2026-09-16
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第47話(18)

** 夕食後、和彦は一旦客間に引っ込むと、この三か月の間に溜め込んだどころではない仕事関係の雑務をこなしていた。即時対応が必要なものは、長嶺組のほうで動いてもらっていたので、いわば事後確認のようなものだ。 賢吾には、本宅にいる間ぐらいのんびりしろと言われているのだが、昼間千尋と楽しんだ分、気が急いてしまう。 なるべく早くにクリニックも再開したいため、詳細な予定を立てる必要もあった。導入している医療機器のメンテナンスも行いたいし、薬品やサプリメントも、年末に棚卸しはしたものの、改めて確認しておきたい。必要ならば、販売店の営業に来てもらい――。 文机に向かい、カレンダーを傍らに置いてやるべきことを書き出していた和彦は、唸り声を洩らす。あれもこれもと思い付き、思考がまとまらなくなってくる。 一人で考えるのは無理だと諦め、クリニックの運営を手伝ってくれているスタッフや組員に相談することにする。そう結論を出すと現金なもので、息抜きをしたくなった。 ふらふらとダイニングに向かう。夕食の片づけが終わり、夜食の時間帯にはまだ早いため、誰もいない。この隙にと、キッチンに入ってドリッパーやペーパーフィルターなどを用意してコーヒーを淹れ、さらに電子レンジで牛乳を温める。 コーヒーに牛乳を注いでカフェオレを完成させると、片付けを済ませていそいそとテーブルにつく。 牛乳が多めになったカフェオレだが、穏やかな雰囲気の中で一息つくには最適な味だ。 同じ屋根の下には千尋がいて、今頃自室で何をしているのかちらりと気にはなったが、わざわざ声をかけたりはしない。一緒に出かけた食器店で、熱心に子供用の食器を選んでいた千尋の横顔を思い返し、意識しないまま和彦の口元は緩む。突然知らされたわが子の存在を、千尋なりに受け止めようとしているのだと感じた。 一方の稜人は、実父の存在をどんな形で知らされたのかと考えて、今度は口元を引き締める。どうしても自分自身に重なり、苦い感情がこみ上げてくるのだ。 和彦は、自分が不幸だったと思わない。ただ、幼いうちに別の選択肢も選べたのではないかと、当時自分の周囲にいた大人たちに複雑な感情は覚える。その選択肢がなんであるか、具体
last updateLast Updated : 2026-09-16
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