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All Chapters of 血と束縛と: Chapter 1691 - Chapter 1700

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第47話(19)

 今は健康そのものの千尋だが、幼少期は病弱だったと聞いたことがある。生まれた頃からこの家で生活していた千尋はともかく、稜人の場合は体調だけでなく、ストレスのほうも大丈夫なのだろうかと今から心配になってくる。 ついつい稜人に、幼い頃の自分の境遇を重ねてしまう。余計なお節介で済めばいいが、と和彦はふっとため息を洩らす。 空のグラスを弄びつつ、賢吾は穏やかな眼差しをそんな和彦に向けている。なんとなく気恥ずかしさを覚えて、わざと素っ気なく片手を振る。「早く部屋に戻って休んだらどうだ」「休むにはまだ早いな」 意味ありげな笑みと謎解きのような返事に、和彦は慌ててカップを手に立ち上がろうとする。「そ、そうかっ……。ぼくは部屋で、クリニック関係のあれこれを片付けないといけないから、これで――」「冗談だ。もう少しつき合ってくれ」 目を眇めた賢吾にそう言われ、手首を軽く掴まれる。この手を振り払える勇気は和彦にはない。素直に座り直すと、賢吾はある人物の名を口にした。「宮森に――」「宮森さん?」「今日一緒に飲んでいて、お前への言付けを預かった」 和彦は、長嶺組若頭と長嶺組傘下城東会組長という肩書きを持つ男のことを思い出す。物騒な肩書きに反して、見た目はごくごく普通の顔立ちをしており、佇まいもまっとうな勤め人のよう。話してみればそれとなく極道らしい地金も透けて見えるが、和彦に対しては終始紳士的だった人物だ。 宮森とセットで思い出すのが、彼の甥の存在だった。「もしかして、優也くんのことか……?」「忘れられているんじゃないかと、宮森が心配していたぞ。あいつもなかなか過保護だからな」 声を洩らした和彦は、額に手をやる。最後に優也と電話で話せたのはいつだったかと、記憶を辿る。実家に帰っているときに軽く世間話をしたのだが、まさかあのあと、長らく連絡が取れない状況になるとは想像すらしていなかった。そして本宅に戻ってきてからも、まだメールすら送っていない。「……薄情者だと思われてるな。優也くんに」「向こう
last updateLast Updated : 2026-09-16
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第47話(20)

 噛みつくように唇を吸われてから、強引に舌が口腔に押し込まれてくる。首の後ろにかかった指にぐっと力が入り、身を捩って抵抗しようとしていた和彦は、それだけで動けなくなった。 我が物顔で口腔中を舐り回しながら賢吾の目が笑っている。睨み返す気力など、あっという間に食われてしまった。 ようやく唇が離れて喘ぐ和彦に、ヌケヌケと賢吾が言う。「今夜は我慢するつもりだったが、お前に冷たくされて、気が変わった」「……冷たくなんてしてないだろ」「俺の誘いを露骨に受け流した。三か月もお前を待ち続けていた身には、堪えるんだ。こう見えて、けっこう繊細だからな」 自分で言っておかしかったのか、賢吾は低い笑い声を洩らす。獰猛な獣の鳴き声のようでもあり、和彦はそっと身を震わせていた。「――久しぶりに、お前の体を見せてくれ」 耳に唇が押し当てられ、囁きを注ぎ込まれる。鼓膜を震わせるバリトンの響きに逆らえず、シャツのボタンを外し始めたが、途中、賢吾の視線から逃れるように背を向ける。「いまさら気になるものか?」「あんたが、今にも取って食いそうな目をしてるからだ」 シャツを脱いで足元に落とすと、当然のように指示される。「下も」 和彦は大きく深呼吸をすると、注文通り一糸まとわぬ姿となった。賢吾に背を向けたままでいたが、すぐ背後で気配が動き、ビクリと身じろぐ。 背骨のラインに沿って指先が這われた。「筋肉のつき方が少し変わったか?」「よく山を歩いていたからな。それに……、軽く護身術を習っていた」「怖いな。油断したら、お前に投げ飛ばされるかもな」 そこまで本格的なものは教わっていないし、何を血迷ってそんな命知らずなことをしなければならないのかと、和彦は顔をしかめる。「……できるとは思ってないくせに、意地の悪い男だな」「この機会に挑戦してみたらどうだ」 和彦の力を試すように背後から抱き締められる。抱擁というより拘束で、がっしりとした両腕の中では身じろぎもままならない。髪に頬ずりし
last updateLast Updated : 2026-09-16
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第47話(21)

「噛む、なっ……」「噛んでない。歯が当たっただけだ」 屁理屈を言うなと窘めて、腕の中から抜け出そうとしても、それは許されなかった。 賢吾の片手がスッと下へと移動し、下腹部にてのひらが押し当てられる。意味ありげに陰りをまさぐられて咄嗟に和彦が考えたのは、鷹津との行為だった。すでに、そのときの行為の名残りはなく、和彦の記憶にあるだけだ。しかし、賢吾の指が動くたびに、その記憶を暴かれそうな危惧を覚える。 足を開くよう命じられ、勝手に体が動く。怯えている和彦の形を指先でなぞってから、賢吾の手が両足の間に差し込まれる。「うっ……」 柔らかな膨らみに指がかかり、それだけで膝から崩れ込みそうになる。その気配を察したのか、賢吾に腰を抱えられるようにして洗面台の前へと連れて行かれた。「ここに掴まってろ」 言われるまま洗面台の縁に手をかけた和彦は、顔を上げてぎょっとする。鏡に自分の姿が映っており、すでに締まりのない顔をしている。視線を逸らすと、今度は背後に立っている賢吾と鏡越しに目が合った。「――しっかり俺を見ていろよ」 視線を逸らすのは許さないと言外に仄めかし、賢吾は容赦なく和彦の体を調べていく。両足の間に膝を割り込まされて、さらに大きく足を開くと、背を押さえつけられる。自然と腰を突き出したような姿勢となり、羞恥から顔を背けようとしたが、無遠慮な手つきで尻の肉を掴まれて動けなくなる。 体を丹念に見ている賢吾の様子を、和彦は見せつけられる。鷹津との最後の情交の痕跡は、もう肌に残っていないはずだと目まぐるしく考える自分自身が嫌になる。甘やかしてくる賢吾を舐めていたわけではないが、改めて、大蛇の化身のような男の怖さを実感していた。 強い執着は、見えない蛇の舌だ。それがじわじわと肌を這い回る。見つめてくる眼差しに体をまさぐられているようで、あっという間に和彦の息遣いは乱れ、体温が上昇していく。 しっとりと肌が汗ばむと、賢吾が再び首筋に顔を寄せてきた。「髪が長いと、お前の顔が見えにくいな。早いうちに切りに行ってこい」 伸びた髪もなかなかいい、という発言を一
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第47話(22)

 賢吾に言われるがまま、和彦は下肢に手を伸ばすと、身を起こした自らのものを掴む。今度は賢吾に見せつけるために手を動かし、羞恥と興奮に交互に襲われながら快感を手繰り寄せる。  ときおり首や肩先に唇を押し当てるだけで、賢吾は何もしてこない。鏡の中で煩悶する和彦を眺めて、ゆったりと笑みを浮かべるだけだ。  もっと触れてほしいと思った瞬間、賢吾から罰を与えられているのかもしれないと気づいた。三か月もの間、別の男との生活を堪能していたことへの。  ゾッとした和彦はすがるような眼差しを賢吾に向ける。 「どうした? 急に不安そうな顔をして」  ひどく優しい声音で問いかけながら、賢吾が頬に唇を寄せてくる。 「触って、くれないのか……?」 「触ってるだろ」 「そうじゃなくて――」  一気に芽生えた不安を、どう言葉で伝えればいいのかわからない。もどかしくなり、和彦は振り返って直接賢吾を見ようとしたが、あごを掴まれ正面を向かされる。 「お前の複雑な家庭事情も何もかも呑み込むつもりだが、鷹津に関することは、どうしたって喉に引っかかりそうでな。お前を閉じ込めて、縛り上げて何日か放置するのも手かと考えてみたこともあるが、それで俺自身が満足して、気が晴れるかというと、それはないだろうな。嫉妬深い蛇としては、その放置している間に、お前がちらりとでも鷹津を想って煩悶する姿まで想像しちまうんだ」  寸前まで和彦に対して甘く優しかった賢吾が、嫉妬に狂うただの男になる。鷹津への複雑な気持ちを軽口に紛れ込ませるように洩らしていたが、和彦が考えていた以上に、賢吾にとって無視できない存在となっていたのだ。 「お前が俺に対して感じる後ろめたさを解消するために、俺が協力する――というのは、違うよな? 今回のことで確かに嫉妬はしたが、やむをえない状況だったとわかってはいるんだ。だから俺には、お前に罰を与える理由がない。ただお前は、自分の多情さをよく噛み締めろ」 「……ぼくに、怒っているのか?」 「話は最後まで聞け。――お前の多情さに、俺は……というより俺たちは、振り回されることがあるが、救われてもいる。妙な奴を引き寄せるから、危なっかしさもあるがな」 「引き寄せる云々は、ぼくのせいばかりにされるのは、少し納得いかない」 「他の奴に聞いて回ったら、全員が俺の意見に賛同すると思うぞ」  
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第47話(23)

「手が休んでる」「あんたが話しかけてくるから……」 我慢できなくなった、と呟いた賢吾にあごを掴み寄せられ、また激しく唇を貪られる。その状態で身を捩った和彦は、ワイシャツに包まれた広い背に両腕を回す。布の下に身を潜めている大蛇の姿を思い浮かべなから、何度もてのひらを這わせていると、和彦の舌を甘噛みした賢吾が、苦々しい口調で言った。「俺が一番嫉妬する相手は、鷹津じゃねーな。背中の〈こいつ〉だ。お前がいつも物欲しげに撫でまわして、甘やかすせいだ」 本気で言っているのか疑わしいが、それでも和彦は嬉しくなり、賢吾の肩に額をすり寄せる。 自分の中に芽生えた不安の正体がわかった気がした。賢吾の中にある己の存在を強く実感したかったのだ。そのために必要なのは罰などではなく、もっと単純で、明け透けなほどわかりやすいもので――。 さきほどから感じていたが、賢吾の両足の間をまさぐると、興奮した状態となっていた。身震いしたくなるような肉欲の疼きが急激に高まり、和彦は小さく吐息を洩らす。「――和彦、舐めろ」 賢吾のその言葉を待っていた。崩れ込むようにその場に座ると、スラックスの前を寛げて、賢吾の欲望を引き出す。まずてのひらで包み込むようにして扱いて、ゆっくりと顔を寄せる。 オンナらしく奉仕するため、賢吾によく見えるように舌を出し、丁寧に這わせる。根本から舐め上げて、括れに舌を絡ませ、先端に吸い付く。和彦の示す媚態の意味を理解したのか、賢吾の指が無遠慮に口腔に突っ込まれて強引に大きく口を開けさせられる。そこに、容赦なく熱い肉の塊を押し込まれた。「んんっ」 反射的に頭を後ろに引こうとしたが、ギリギリで耐える。そんな和彦の頭を、賢吾がやや乱暴に押さえてくる。たっぷり愛せと言わんばかりに。和彦は悦びに小さく喉を鳴らし、同時に、口腔で脈打つ逞しいものを締め付ける。 賢吾の高ぶりに呼応するように、和彦自身も反応していた。たまらず口淫と同時に自慰を始めると、低い笑い声が降ってくる。「いやらしいオンナだ」 和彦一人による行為が熱を帯びてくると、賢吾が深い吐息を洩らす。頭を押さえつけていた手が、いつの間にか髪の付
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第47話(24)

**** 長嶺の男二人は、揃って朝早くから出かけていた。出向く場所は別らしいが、多忙な立場なのは同じようだ。 昨夜の賢吾との行為のせいで、父子どちらとも顔を合わせづらかったので、朝食をとりながら和彦は、正直助かったと思った。 その後、組員が持ってきた書類の説明を受けて署名をしてから、クリニック再開に向けての準備について相談を持ちかける。さすがというべきか、和彦が心配するまでもなく、すでに各方面への手配は始めているという。 一端の経営者のつもりであっても所詮和彦は雇われで、エキスパートの支えが欠かせない。一人で張り切ったところで仕方ないと言われたようで、少しだけ恥ずかしくなり、それが顔に出ないよう必死だった。 客間に戻ると、忘れないうちに優也へとメールを送る。まだ寝ているだろうかと心配したが、あっという間に返信があり、直後に電話がかかってきた。『――生きてた?』 優也からの第一声に、和彦は破顔する。「しばらく連絡できなくてごめん。寂しがってくれてたんだって?」『……情報が正確に伝わってないみたいだな、あんたのところに』「照れなくていいだろ」『照れてないっ。……なんか、相変わらずみたいだ』 どういう意味だと尋ねると、優也は少し口ごもったあと、教えてくれた。『年明けてからいままで、あんたがけっこう大変な目に遭ってたって聞かされてたから。荒んだ感じになってるのかと、勝手に想像してた』 これは、優也への宮森の説明が悪いというより、その宮森への賢吾の伝え方に問題があったのではないか。そう思った和彦だが、あえて確認することでもない。無事に戻った今となっては、笑い話にしてもらったほうが気が楽だ。「大変な目というのは大げさかもしれないけど、まあ、いろいろあったのは確かだ。ひとまず落ち着いたから、戻ってきたんだ」『電話もできない状態だったみたいだから、こちらもなんとなく察するものがあったけど。しかし、三か月って……』 優也の物言いが引っかかる。そ
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第47話(25)

『あんた、いい感じにとぼけてるよな。――その言葉はまだ早い。こっちは、あまり他人に説明したくない空白期間があるから、就活が順調にいくか怪しいし。叔父さんは、知り合いに頼むから、まずはアルバイトから始めてみたらどうだと言ってくるんだけど』「きちんと相談してるんだ」『履歴書とか準備してるのバレたんだよ。だから、説明しないわけにもいかなくて……』 優也に対して宮森は過保護だという、賢吾の言葉はあながち大げさではないようだ。『なるべく叔父さんは頼りたくないから、僕の狭い交友関係の中で、頼りになりそうな人たちにも声かけてる。別に、前の事務所より大きいところがいいとか、年収が上のほうがいいとか、そんなのは希望してないんだ。とにかく、ストレスのない人間関係が築けるところがいい……』 切実だなと、心底優也に同情する。和彦の場合、精神力と体力の限界を感じて転科した過去があるので、他人事だと思えないのだ。「よかったらぼくも協力するけど」 和彦も現状、やはり狭い交友関係の中で生きており、頭に浮かんだのは胡散臭い笑みを浮かべた秦だった。ただ、人脈の広さは只者ではない。いざとなれば力になってもらおうかと考えたのだが、優也の返答は素っ気なかった。『いや、いい。あんたに借りを作ると高くつきそうだから』「……別に、恩を高く売りつけようなんて気はないけど」『あんた自身は善意の塊でもさ、周りの連中が怖いじゃん』 残念ながら反論できなかった。『こっちは一度どん底まで落ちたせいで、けっこうクソ度胸がついたというか、開き直れてるから、変わった仕事でもしてみようかと思える程度に余裕はあるんだ。行き詰まったときには頼りにさせてもらう、かも』 ほんの数か月前に、熱を出して子供のように駄々をこねていた人物とは思えないほど、優也は落ち着いていた。一体何がきっかけかと問うと、苦い口調で教えてくれた。『仕事辞めて引きこもってから、腫れ物に触るような扱いだったんだけど、あんたに往診してもらってから、多少雑に扱っても大丈夫だと叔父さんたちから判断されたみたいでさ。理由つけ
last updateLast Updated : 2026-09-17
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第47話(26)

**** 上半身に集中している切り傷を一つ一つ検分し、洗浄しながら、和彦はマスクの下で唸り声を洩らす。すると、手術室を区切るカーテンの向こうから組員が顔を覗かせてきたので、手術の介助をしている看護師が小声で叱責する。〈こちら〉の仕事のベテランらしく、女性ながらヤクザ相手にもまったく臆していない。 総和会から回ってきた仕事を請け負うのは久しぶりだが、手術の準備や手伝いをするスタッフの顔ぶれはほとんど変わっておらず、今のところすべてにおいて滞りはない。皆、手慣れたものだ。一番落ち着かないのは、もしかすると和彦かもしれない。 本宅で相変わらずのんびり過ごしていた和彦の元に、賢吾経由で総和会からの連絡が入ったのは、ほんの一時間ほど前だ。緊急で怪我の治療を頼みたい患者がいると言われて、逡巡する余裕もなく車に乗せられ送り出された。途中、総和会が用意した車に乗り換え、移動しながら患者の状態について説明されたのだが――。 正直、怪我自体は重篤なものではない。見た目はなかなか凄惨だが、すでに出血も止まりつつあり、患者の意識もしっかりしている。大怪我と聞かされたときは、輸血パックの手配が間に合うか心配したぐらいなので、医者としては素直に安堵すべきなのだろう。 和彦はもう一度唸り声を洩らすと、今度は患者である青年が不安そうな眼差しを向けてきた。現役ホストというだけあって顔立ちは悪くなく、身なりにも十分金をかけているとわかる。日焼けした肌に鍛えられた体つき。さきほど和彦と看護師で切り刻んで剥ぎ取ったシャツは、手触りでわかる高級品だった。しかし、何より大事な資本である体を、客によってズタズタに切りつけられたのだから皮肉だ。 女性の力によるものと、切れ味の悪い刃物を使ったせいで、太い血管まで傷つける事態には至らなかったのだろうが、何しろ傷が多い。 ここで和彦は心の中で結論を出す。手間のかかる処置が必要なため、自分に回ってきたのだなと。患者には申し訳ないが、確かに指先の感覚を取り戻すには最適な仕事だ。 患者の体の前後を写真に撮ってから、さっそく局所麻酔を打って傷の縫合を始める。これだけ傷が多いと、細かく縫うと肌が引き攣れて、かえって日常生活に支
last updateLast Updated : 2026-09-18
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第47話(27)

 ここは元は飲食店らしく、手術室が設けられた二階は宴会もできる座敷だったようだ。多少の改造は加えられているが、かつての光景が簡単に想像できる。建物の表は人も車もひっきりなしに通っており、よくこんな物件を手術場所に使おうと思ったなと、大胆さに呆れるよりも、感心してしまう。 裏口から中に入ったとき、一階の広い炊事場の存在がちらりと視界に入ったが、何も人を治療するためだけにここを利用しているわけではないのだろうと考えてしまうあたり、和彦はすっかり物騒な男たちに毒されていた。 総和会からつけられた案内役の男に促され、階段を下りていると、取り乱した若い女性の声が耳に届いた。少し待つよう男に言われて従う。男が様子を見に先に一階に下り、その間和彦は所在なく、壁に貼られたポスターを眺める。元飲食店らしく、古くなったビールのポスターだ。 すぐに男が戻ってきて、一緒に下りる。 一階も、通りに面している窓はカーテンが引かれているうえに、出入り口も含めてバリケードのようにテーブルやイスを積み上げて外からの侵入を阻んでいる。人の出入りはすべてカウンター横の裏口から行われていた。 その裏口に向かいながら、和彦は横目でちらりと、殺風景なカウンターについた女性を見遣る。取り乱した声の主のようだが、必死に肩を震わせて泣きじゃくっている様子は子供のようであり、側に立つ男たちは困惑気味だ。総和会と、総和会を構成する組の男たちの組み合わせは、こういった治療の場では珍しくないのだが、ホストの患者と女性の存在はどうにも異質だ。 気にはなるものの、あまりじろじろと観察するのもためらわれ、そうしているうちに裏口のドアが開く。すぐ目の前に待機している車に案内役の男とともに乗り込み、あっという間に立ち去る。「さっきの――」 なんとなく後ろを振り返ったあと、シートに座り直した和彦が口を開きかけると、案内役の男が察したように説明してくれた。 泣きじゃくっていた女性は、ある組の幹部の一人娘で、ホストのほうはその恋人だという。恋人と言いながら、奥歯にものが挟まったような説明から、第三者からは女性が金づるのように見えていたのかもしれない。別れる別れないのケンカから、あの事態に至ったということだが、病院に駆け込めない
last updateLast Updated : 2026-09-18
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第47話(28)

** 三田村が連れて来てくれたのは、広大な敷地の公園だった。公園と名はついているが敷地内にさまざまな施設があるようで、設置された敷地内の地図看板をちらっと見ただけでもキャンプ場や植物園、レストランの文字が目に入った。「……すごいな。バーベキュー場もあるし、池もある」 子供を連れた家族の姿がすでに何組も視界に入る。だからといって居たたまれなくなるということもなく、学生らしいグループや、幅広い年齢層の男女が楽しげに歩いている姿もある。つまり、医者とヤクザの組み合わせが紛れたところで目立たないということだ。それに、何しろ広い。「意外な場所を知ってるんだな、三田村」 スーパーで買い込んできたおにぎりやお茶が入った袋を手に、三田村は目元を和らげる。「千尋さんに頼まれていたんだ。子供が喜びそうな場所を調べておいてくれと。いくつかピックアップした中にこの公園があって、気になってたんだ」 千尋の目的を察して、和彦は小さく頷く。「あいつなりに、父親をやろうとしてるんだな……」「俺はそういうのとは無縁だから、ただ組がにぎやかになってくれるんなら、嬉しい。――先生も戻ってきてくれたしな」「戻ってはきたけど、いろいろあった。前のぼくとは、変わったかもしれない」 冗談めかして言ってはみたものの、三田村から気遣わしげな眼差しを向けられて、心が痛んだ。「本当は桜の花が見られたらよかったんだが、見頃になるには少し早かったみたいだ」 レンガ敷きの小道の傍らに桜の木が植えられているが、三田村の言葉通り、まだ花をつけていない。色づいたつぼみがあるのではないかと目を凝らしたいところだが、歩調を緩めた途端に三田村がこちらをうかがってくるので申し訳なくなってくる。 三田村なりに目的地を設定しているようだった。ときおり歩道に出ている案内板を見ては、道順を確認している。「……地図だけだとわからないものだな。こんなに歩くことになるとは思わなかった」 ぼやいた三田村の足元は、スーツに合わせて革靴だ。一方の和彦はスニーカー
last updateLast Updated : 2026-09-18
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